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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録

2010年4月17日(土)

フリージャーナリスト 大塚融氏と國民會館武藤治太会長との対談による「武藤山治と同時代の数寄者達」「数寄者には人間としてトータルな資質が必要である」(於大阪武藤記念ホール)

「数寄者には人間としてトータルな資質が必要である」

当今の経営者は企業文化やメセナという言葉に踊らされ、美意識もないのに芸術を支援さえすればよいと思っている。資金を出す前に「数寄者」や「風流人」であるべきと言っても「今は時代が違う」と野暮な返事ばかりだ。ここにも亡国の危機が確実に訪れている。「数寄者」や「風流人」は武藤山治のように経済人、政治家、言論人として自分の頭で考え、「仁者に敵なし」と胸を張れてこそ初めて持ちうる精神であり、そもそも美意識は、どういう生き方をするのかという人格が問われるものである。残念ながら現代の経営者に真の意味での数寄者がほとんどいない。武藤山治は、文筆に優れ文体においても美と品格を持ち、光悦風の神鹿図を描いたり、綿業会館の額「衣被蒼生」のような雄渾な書をしたためたり、自ら武藤乾山と称する陶芸等、美を創造して風流の世界に浸ることのできる自在な精神を持ち合わせていた。そもそも武藤山治のように人間としてのトータルな資質があって初めて美術コレクターの資格がある。

「美術蒐集家には矜持が必要である」

山治が美術コレクターとして、一番力を入れたのは蕪村である。世評では俳句においても絵においても二番手と言われていた蕪村を絵においては池大雅に優ると積極的に買い集め、その中から「夜色楼台図」が昨年国宝に指定された。さらに散逸を防ぐために尾形光琳に関する小西家文書のコレクション、あるいは海外流失を防ぐ仏教美術コレクション等、自らの目を信じて収集した。有名な佐竹家所有の伝藤原信実の三十六歌仙絵巻の売立てについても貴重なものを切断することに反対して最後は辞退した。又形式化した茶の湯を否定したが、茶道の前に皆平等であるとの千利休の考えに共鳴し松平不昧公の獨楽庵も復興した。武藤山治が育った岐阜県は財界人・茶人原富太郎(三渓)を生んだ土壌があり、生い立ちが培った面もあるが、経営者となってからは実業とは別に風流をたしなむ雰囲気が我が国全体にあり、広い交友の中から古美術の蒐集に向ったとも言える。息子の金太もギリシャ美術史を慶應大学で澤木四方吉教授に学び欧州に留学、オックスフォード大学ではビッツレイ教授に師事して日本における西洋美術史研究に大きく貢献、それがさらに当會館会長の治太氏の美意識に引き継がれて三代の系譜となり、國民會館の文化事業に引き継がれている。

「同時代の数寄者達」

同時代の数寄者達として、三井の益田孝(鈍翁)、慶應義塾先輩の高橋義雄(箒庵)、朝日新聞創刊者の村山龍平(玄庵)をはじめ、「聖ザビエル像」を自らの美意識を信じて須磨の別荘を売ってまで購入した「南蛮美術の蒐集家」の池長孟、戦後では陰徳の東洋紡績の谷口豊三郎とシャープの早川徳治が紹介された。                                   

以上

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