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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録

2010年10月9日(土)

作家 曽野綾子氏
「背骨のある日本人」(於大阪武藤記念ホール)

今晩食べる物がなく、水を飲んで寝るか、乞食をするか、盗みをするしかない状況が、貧困の定義です。それからすれば、世界の中で日本は「夢の国」であり、国民は健康で、賢く、働き者です。にもかかわらず、何故日本人は「与えられること」をあまりにも要求するのでしょうか、又現在のこの国の「よどみと閉塞感」はどこから来ているのでしょうか?

この世は理想とは程遠く、矛盾が人間に考える力を与えてくれます

平和主義者は、戦争は百パーセント悪いことと言っていますが、戦争からも学ぶべきことが沢山あります。戦争だけでなくこの世は矛盾だらけですが、その矛盾が人間に考える力を与えてくれます。ヘブライ語で「苦いパンを敢えて食べろ」という言葉がありますが、苦く生の味が残った小麦の命を食べることにより、新しい命の創造がなされることに思いをいたすことを意味しています。さらにあらゆる現実の苦労を直視して自分の知恵で考え、たとえ後ろ指を差されても、信念をもって行動するべきです。またよい本を読んで目からうろこの経験をすることもよいことです。然し他人の価値観を鵜呑みにしていては、尊敬される人間にはなれません。特に読者としてはマスコミの報道に流されず、寄稿者としては、その差別的編集方針と差別的用語の使用制限に対して断じて屈してはなりません。

幼い頃と初期の学習は強制から入るべきです

私は小学生の六年間、母に作文を毎週強制的に書かされましたが、そのお蔭で作家となることができ、半世紀余りで原稿用紙十五万枚六千万字を書いて来ました。どのような職業であれ、始めは強制から入り、私くらい励めば一人前になれるものです。この世界にユートピアはなく、安心して暮らせる生活はないことを教えるため、十八歳になれば全員一年間共同生活をして、奉仕活動をさせて鍛えるべきであると提言したことがあります。又、国際的人間になるためには、そもそもその国のよい国民であること(to be international be national)が前提であることを教え込まなければなりません。

与えられることに感謝するだけでなく、与える人になるべきです

一神教で同根のユダヤ教・キリスト教・イスラム教はいずれも、「隣人(同族、同一宗派の人)を愛し、汝の敵(同族、同一宗派以外の人)を憎め」と教えています。然しイエスは「汝の敵を愛し、迫害する人のために祈れ」と革新的教えを説きました。故に与えられることによる幸福に感謝すると同時に、もらった分を他の人と分かち合うことが大切です。戦後の日教組の教育は、要求のみの「おもらい根性」により、日本人に貧困な精神を植えつけました。現在の日本の「よどみと閉塞感」は、まさにその退廃した教育から来ているのではないでしょうか。以上から背骨は例え曲がっていても柔軟で強くなければなりません。即ち標題の「背骨のある人」とは、政府や教師に言われるからでなく、しっかりした個性ある自己を自ら確立することにより「与えられるだけでなく、分相応に与えることのできる」人のことです。
そしてそれは社会的評価にとらわれない見事な生き方となるでしょう。

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