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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録

2011年4月16日(土)

評論家 金美齢氏
「私は、なぜ日本国民となったのか」(於大阪武藤記念ホール)

Tなぜ日本国民となったのか

「中国に飲み込まれる台湾」
私は50年もの間日本に住んで、ひたすら台湾独立のために戦い、台湾人であることを堅持してきた。私にとって台湾と日本はどちらも心のなかでふたつの祖国であった。然し2008年の選挙で台湾独立の旗を掲げる民進党が、親中の国民党に大敗した。国民党政権下の艱難辛苦の時代に、もし民意を問う自由な選挙が出来ていたならば、85%の人々が国民党支配を拒否して、台湾の独立を求めていたであろう。然し自由にものが言えるようになってこの体たらくであるので、遅かれ早かれ台湾は中国のブラックホールに飲み込まれ、その独立の道は絶たれたと考えざるをえない。

「私は台湾人を辞めた」
台湾の人達はなぜそうなることを見抜けないのか、そんなにものが見えないのか、それは台湾の人達が民主化された結果堕落し、中国と経済交流して発展していくことが得策と考えるようになったからである。私は正直言ってその愚かさに大変失望し怒りも覚えた。また色々のミスを犯した民進党に一度お灸をすえようとの投票行動もあったかもしれない。然しお灸をすえて、教訓を与えようとの投票活動が結果的には自分の首をしめることとなったのである。

「日本が中国に相対する最前線へ」
日本は同じ轍を踏んではいけない。これまでは台湾人として、「台湾は日本にとって大切な国であるので、大切にして下さい」と言ってきた。然し台湾が中国に飲み込まれると日本はどうなるのか、次は日本が中国と相対する最前線になることを知って欲しい。私は日本人になったのであるから、今後はお願いでなく、それが日本のためになると発言して行きたい。私にとって今後守らねばならないのは日本であるからだ。然し台湾はよくても現状維持がやっとではないか、日本とアメリカが背後に立って行動で示して台湾頑張れと励まして欲しい。政治家でただ一人西村真悟氏が上陸した尖閣諸島は、台湾ではなく日本の領土である。

U日本国民となって日本人のために言いたいこと

「正しい慈愛を」
「慈愛」と云う言葉は相手を無差別に愛することではない。弱い人だから、軋轢が起こるから、他人に嫌われるから、票がもらえないから、敵をつくりたくないから等、誰に対してもすべての人に優しいというのでは本当の優しさではない。思って言わないのではなく、思ったらちゃんと言う本当の強さがなければ、本物の優しさとはいえない。よって相手を心から愛しているとき初めて慈愛となる。是は是、非は非、正しいことは正しい、間違っていることは間違っている。そして好きには好きな理由がなければならない。

「感謝と自己責任を」
人生は自己責任で艱難辛苦をひとつひとつ乗り越えていかねばならない。然し通常それは多くの人に支えられて乗り越えられるものであるから、それらの人達への「感謝」の気持がなければならない。そしてその支えられた結果がどうなっても、それは「自己責任」である。この感謝と自己責任は私の人生において大切にしてきた二本柱である。今の日本がこれだけ衰退した原因は、しかも悲しいことにそれが日本人の教育の基本に据えられているのであるが、「何があっても人のせいにする」ことである。国家、社会、親、学校、会社、上司が悪いと言う人がどんどん増えていくにつれて日本が衰退して行ったといえる。

「本音でブレないこと」
日本の悪口を言えばもてはやされた進歩的文化人の時代は終わった。日本の活字の世界で最もビックな人である曽野綾子氏の言動は見事に偽善的でない。
又歳をとるのは決して悪いことでない。記憶力は落ちるが、理解力はまだ成長しており、それにブレない洞察力が加わるからだ。然し無駄に歳をとっていてはそうはならない。引退して欲しい人もいるが、世代交代によって若ければよいという訳ではない。さらに政治家が世襲だから駄目というのも偏った見方であり思慮の浅さである。すべてのことはコインの裏と表であり、ケースバイケースである。悪いDNAはよく出てくるが、よいDNAはなかなか出てこないものである。然しよいDNAは磨きに磨けば出てくるものであるので、そもそも先ずそのDNAがあるということが重要となる。大切なのはブレないというDNAを活性化できるかである。

V日本国民となって日本の政治のために言いたいこと

「リーダーの資質」
今回の大震災のような天災・人災の時にこそ国がしっかりせねばならない。この非常時にだれが一番役にたつというのだろうか、自衛隊である。然し日章旗、君が代へ敬意を表せず、日本国民でなく世界市民を標榜していたアマチュア政治家が三軍の長であり、又官房長官が自衛隊は暴力装置と言った政府では「命をかけていけ」と言われても行きたくなくなるのではないか。然しそもそも罪はかれらを選んだ日本国民にあることを忘れてはならない。国であれ、学校であれトップの資格とは、心からその組織を愛し、いざと云うときにはその組織を死にもの狂いで守る力がある人でなければならない。組織を愛して初めてその組織は、国ならば官僚と国民を奮い立たせ、学校ならば先生と学生を愛してきちっとした教育をすることができる。温度差はあるだろうが、自分の組織に対するロイヤリティーが大切であり、それは決してパワハラにはならない。器がどんどん小さくなっている日本の政治家にその覚悟がある人がいるのか?いないから日本はこの体たらくになったのである。「政治主導」についても、上にたつ人の器量が大切である。上にたつ人が官僚よりすぐれていなければ主導できる筈がないではないか。

「政治で大切なこと」
そもそも民主主義は人を堕落させるものだ。なぜならば人が甘やかされるからだ。働かなくても究極的救いとしての生活保護を受ければよいと安易に考え、政府もとにかく「やさしくやさしく」であり、政治家は票が減るからきつい事を絶対言わない。「あなたが国のために何が出来るか」を考えてくださいと言える政治家がいない。それを言ったら落選するからだ。国際・外交・防衛・領土問題が票にならないのは国民の生活第一とのキャッチフレーズで甘やかされたからである。確かに「国民の生活第一」は間違いないが、国の安定と繁栄がなければ国民の生活は吹っ飛ぶことを忘れてはならない。「国を愛する必要はない、国にしてもらえればよい」との考え、例えば大阪市の生活保護受給比率が全国一であるのは、皆さんの投票行動が悪いからだ。ひとりひとりが覚悟して、やり直すべきである。

「リーダーとしての器ある人達」
まだまだ日本は健全な部分が一杯残っているのに、折角の大震災の義捐金をすぐ配る決断が出来ないとは情けない。李登輝元総統は台湾の震災時、被災者に現金をヘリコプターで配って歩いた。リーダーは、非常時にその器が見えてくる。然し大災害でないと問題が見えて来ないことが問題である。嫌われてなんぼ、はっきりものを言えと言いたい。リーダーたるものそれだけの迫力が必要である。自動販売機とパチンコ店の電力使用に対しての石原慎太郎氏の発言は勇気あるものである。戦後レジームに対してノーと言った安倍晋三氏の信念も評価する。二人にも色んな欠点があるだろう、然し人間には完璧な人はいない、大切なことに命をかけられる人が、真のリーダーとしての器がある人である。

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