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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録

2011年5月21日(土)

女優 小山明子氏
「二人三脚で乗り越えた介護の日々、今日も二人で」(於大阪武藤記念ホール)

一、倒れた夫、崩れて行った私

「うつ病へ一直線」
始まりは一九九六年の冬のロンドンでした。次男も結婚して我が家の幸せの絶頂期に、夫(大島渚監督)が同地で脳出血により倒れました。然し女優であるが故に主人の許へ飛んで行けず、妻として何の役にも立っていないと自分自身に苛立ち、自殺を願望するうつ病になってしまいました。うつ病は、無気力になって何事にも前向きになれないのみならず、自分では何も考えられなくなり、遂には食べられず眠れなくなり、大島が日本に帰り入院した同じ病院の閉鎖病棟へ息子達によって自殺予防のため、入れられてしまいました。

「さらに昂じて介護うつに」
まだ完治していないのに先生に許可をもらって大島の退院前に自宅に帰りましたが、留守の間に家の造作が夫の介護用にリフォームされ、妻として介護の準備が出来なかったこと、又彼は左視床下部の出血により右半身麻痺となりましたが、その原因である高血圧、塩分過多、高脂血症そして血糖値のための食事と飲酒の管理もしてあげられなかったこと、さらに食事のカロリー計算と野菜の料理方法等にも悩んでノイローゼは深まり、二〇〇〇年までの四年間に四回の入退院を繰返し、退院している間も通院し、抗うつ剤を飲み、夜寝る前に睡眠導入剤が必要でした。

「二人三脚でリハビリ始動、夫が先行」
夫がリハビリしている病院のお見舞いは欠かさず、お互いの回復のための二人三脚が始まりました。然し二人三脚と言っても、本人のやる気が一番大切であり、さらにこの人を絶対治してやろうとの先生方との三位一体の体制が必要です。然し大島は黙々とリハビリに励む優等生で、一度も「苦しい、痛い、辛い」と弱音を吐きませんでした。そしていつもお世話になっている皆さんに「ありがとう」と言っていました。この「ありがとう」の言葉こそが社会復帰が早くできる薬です。周りの人に感謝を言える人はこの人のためなら何でもやってやろうと、皆さんが真剣になってくれるからです。又リハビリは出来る限り早く取り掛からねばなりませんが、彼は病気を素直に受け入れ、着々とよくなっていき、遂に「ご法度」のクランクインを果たすことができました。然し私はといえば、駄目な主婦と思い込んで回復はまだ道遠しでした。

二、二人三脚のリハビリが軌道へ

「私もうつ病を卒業へ」
ある日鏡をみると大変な老婆になっていることに気がつきびっくり仰天し、何とかしなくてはと、水泳、お料理、ヨガの教室に入りましたが、中でも水泳はもう十年も続き八〇〇メートル泳げるようになりました。まさに継続は力です。お魚の安くてよいものを買うことにより、女優のときは経験できなかった料理する主婦の喜びにも目覚めました。そしてそれらが自分を解放出来るきっかけ、即ちうつ病の出口となりました。こうして自分を取戻し、「ご法度」がノミネートされたカンヌ映画祭に夫と出発する前には、これからは薬なしでやって行けるとの自信を持てるまでになりました。

「すべてを投げ出せたから」
然し大島はカンヌからの帰国後再び肺炎となり特別治療室に入院、悪いことに長年の家族同様の高齢のお手伝いさんも倒れる始末となり、二人の病人を見舞いながら、一人で家事をしなければならない運命となりました。先ず掃除、洗濯の手抜きを敢えて行いました。さらに食事の手抜きのため一人でレストランにも行きましたが、食事は家族と食べてこそ美味しいものと分り、結局家で一人で食べることに落ち着きました。輪番制のゴミ出しも行い、町内会の組長にもなって世話役も経験し、海岸と公園のゴミ拾い、消防の訓練を経験することも出来ました。近所の皆様には色々助けていただき、ある奥様には一週間も朝食を食べさせてもらうこともありました。そして世間が広くなるにつれて、今までの女優だからとの特別意識から抜け出すことが出来、人間はすべてのものを投げ出して初めて真価が問われることを悟ることが出来ました。

「幸せと不幸せは仲良しである」
然し二人が退院して幸せが戻って来たと思ったのも束の間、今度は大島の十二指腸潰瘍が破裂、再び集中治療室へ入り、チューブが六本も入る状態となり、おまけにお手伝いさんも又倒れました。まさに「禍福はあざなえる縄の如し」幸せと不幸せは仲良しであります。然しうつ病を乗り越えていた私は強くなっていました。介護保険制度によるケアマネさんとヘルパーさんに助けてもらいながら、台所と介護を両立させて、朝昼晩ノートを八年つけて、彼らに任せながらも彼らの管理をしています。そして初めて大島のベッドに付き添い、要介護5の人が、生きるということの大変さを見つめることができました。然し「なったものはしょうがない、現実を受け入れなければならない」との覚悟が出来ていることに気がつきました。そして「女優として思い上がり、やってもいないのに出来ないでは駄目だ」との意味がやっと分かりました。

三、二人三脚を超えて

「読書による心の栄養の大切さ」
大島の介護に通っていた病院の図書館での読書が、私の「心の栄養」となりました。最初は大学ノートにお見舞いにもらったお花の絵を描いていましたが、本の感想とその本からいい言葉を書き留め始め、私はそれで生き方が変わりました。山本五十六の「して見せて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」、上杉鷹山「なせばなる、なさねばならぬ、何事もならぬは人がなさぬなりけり」、星の王子さま「心で見なくては一番大切なものは目に見えない。神様は乗り越えられない試練は与えない」は私の好きな言葉です。

「名誉と地位を手放すこと」
然し最も感銘を受けたのは上智大学のアルフォンス・デーケン神父の著「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」であり、「名誉や地位は手放すこと、ありがとうの感謝の心を持つこと、苦しい時こそのユーモア、そして許すことの寛容さ」の言葉は私のバイブルの言葉となりました。介護の目的は「生きていてもしょうがない」と思わせるのではなく「生きている限り、幸せでなければならない」、「よき死を迎えるために今を生きている」ことにあるのです。

「肉体は死んでも心が生きている人に」
生き様がいいことに越したことはありませんが、人間は生きていること自体に意味があります。何故ならば死ぬことはお骨になることではなく、皆から忘れられた時に死ぬのです。「肉体は死んでも心は生きている」ことを忘れてはいけません。従って人々の心に残る人にならなければなりません。そのためには「今日一日をありがとう」の気持ちが大切です。そして「かきくけこ」、即ち「感謝すること、興味をもつこと、工夫すること、健康に注意すること、好奇心をもつこと」により、誰か人の役に立つために生きることこそが、人間の喜びであると思います。人間は歳を取ると、「健康・経済・生きがい」の三つが大切と言われていますが、主人と私は健康と経済は失いましたが、自分の生き方を変え、人間の親切さと優しさに生きがいをみつけ、二人で楽しい日々を生きています。

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