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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録

2011年10月10日(月・祭)

評論家 石平氏 「中国の現状と近未来を論究する」(於大阪武藤記念ホール)

1.中国革命の父孫文

「100年目の10月10日」
本日10月10日は、孫文率いる革命党が反乱を起こして清朝を倒した辛亥革命100周年の記念日である。この革命の歴史的意義は大きく、数千年続いた皇帝専制 体制を打破してアジアで初めての近代民主主義の共和国を目指したものであり、中国史上最大の出来事のひとつである。

「孫文の志いまだならず」
然し今日まで100年経ってもその目的とする民主政治は達成されていない。即ち中華民国の流れを汲む台湾には民主主義が育っているが、現在の中国は、旧態依然の独裁政治のままである。日本が近代国家にスムーズに移行出来たのは、天皇の存在が大きいが、中国は一から国家を作らねばならなかったこともその原因のひとつである。
孫文を臨時大総統とする南京臨時政府は成立したが、革命勢力の軍事力が弱体であったため、北洋軍閥の袁世凱が偽の共和国を作り、帝政を復活させて皇帝になろうとした。孫文は三回目の革命により袁世凱を排除したが、その後も各地で軍閥が割拠して実権を握れず、二回目の革命時には日本へ一時亡命のやむなきに至った。1917年にレーニンにより世界初の共産党革命を成功させたロシアは、革命を世界に広めるため国際統一組織コミンテルンを結成した。コミンテルンはモスクワで革命家を育成して各国共産党に送り込み、中国でも1921年に中国共産党が誕生した。然し軍事力に劣る孫文は、コミンテルンの軍事援助の申し出を受入れ、国内容共勢力と手を組み、共産党と云う化け物を中国に引き寄せることとなってしまった。
「革命未だにならず」との有名な言葉を残して孫文が1924年に死んでのち軍の実権を握った蒋介石は、1927年北伐を開始するとともに共産党と決別して中華民国の初代総統となり、やがてほぼ全土を統一した。敗れた毛沢東残党は山賊として落ち延びたものの、そこから徐々に勢力を伸ばし、中華民国と内戦状態に入り、日中戦争終結後には巨大化した一大勢力となり中華民国を台湾へ追いやって、1949年中華人民共和国が成立、今日まで62年間の共産党政権の始まりとなった。

「中国近代化への日本人の支援」
孫文に対して、日本人は亡命時だけでなく、最初から最後まで彼の革命活動を物心両面で支援した。のみならず、古来日本は中国から文化の教えを受けて来たが、明治維新の文明開化は逆に中国に大きな影響を及ぼした。即ち西洋の文化・思想・先端技術が、日本を通じて中国にもたらされた。同時にそれらに使われる日本語に訳された西洋の言葉、例えば政治、経済、財政、人民、哲学、そして共産党と云う言葉さえも日本からもたらされ、そのまま中国語の現代語となった。

2.共産党一党独裁を画した毛沢東と搶ャ平

「中国史上最悪の独裁者、毛沢東」
「彼が国民に対してただひとつよいことをしたのは、彼自身が死んだことである」と言われる毛沢東統治時代の27年間は、秦の始皇帝よりひどい極端な独裁政治が行われ、中国数千年の歴史がそこで断絶するところとなった。すなわち彼自身の権力を守るために、中国の「伝統文化」が片っ端から破壊し尽され、又夫婦と親子の間までも国民相互が監視しあう「密告社会」となり、粛清運動においては国民が「迫害の対象」となり、共産党の発表でも約6千万人が非正常的死亡を遂げたと言われている。又死亡せずとも計画経済による貧困者の生活は「阿鼻叫喚」の地獄と言っても過言ではない状況であった。
文化大革命時代には国民の「道徳倫理」も地に落ちて生徒が先生をなぐり吊るし上げることが礼儀と言われた。中国では、通常三百年位の間隔で「易姓革命」が行われるが、政権は変わるが社会のベースとなる階層は変わらなかった。もともと中国には「郷紳階層」(日本でいう武士、神主、僧侶、素封家等)が道徳と倫理を担い、時代が変わっても子供の教育と自分達の地域社会を守り統括して来た。
然しこの階層が、革命直後に反革命分子として共産党の発表で71万人もが銃殺された。一党独裁の共産党政権下では、地方自治体も軍も警察も人民公社も国有企業も、隅から隅まで一党独裁の共産党本部を頂点としたピラミッドを形成する共産党支部によって一人一人が支配されていた。

「改革開放の搶ャ平」
搶ャ平亡き後も現在まだ搶ャ平時代にあると言ってよいが、彼は中央政府による計画経済を「改革開放」の現実的路線に転換した。即ち国民に腹一杯食べさせるために、創意と努力により、経済の資源配分を市場価格に任せる市場経済による経済成長を目指した。そのため技術と資本の導入を促進し、その間は日本に対しては戦争責任に触れなかった。最早中国は低成長には耐えられず、そうしなければ政権維持が出来ない状況になっていたといえる。その結果政府を頼りにしない民間の中小企業を中心とする市場経済の規模は全体の60%を占めるに至った。

「共産党イデオロギーの崩壊」
かくして共産主義のイデオロギーが崩壊しつつあり、共産主義の正当性が無くなってきた。替わりに38年間続いた中華民国時代の出版物がベストセラーになり再評価されている。お互いが誰をも信じられない人間不信の共産党の時代でなく、人間として正しく生きようとする論語の精神のあった中華民国の自由な楽しく幸せな時代を懐古している。それでは何のために中華民国を潰したのか、それは水戸黄門の物語において、物語を面白くするために悪党を作り出すのと同じ論法である。水戸黄門は共産党であり、悪党は国内では中華民国、国外では日本となっている訳である。
300社の新聞社は統制出来るが、5億のインターネットと1.3億のブログ普及により一党独裁の情報統制が出来なくなっている。高速鉄道事故の例では、マスコミが国民の声を代弁するのみならず、事故の真相がネットにより瞬時に拡がり、昔のように事故を隠したり、ましてや車両を密かに埋めることは出来なくなっている。

3.経済成長神話の光と陰

「水増し経済成長による異常な物価高騰」
中国は過去30年間マネーサプライを急増させることで、経済の急速な発展を推し進め、世界第二の経済大国となった。然しその間の経済成長率が92倍であるのに、通貨発行量は705倍の過剰流動性のカネ余りとなった。その結果お金の価値が大きく下がり、インフレを享受する金持ちも増えたが、実質賃金が大幅に低下して貧困層も増えて貧富の差が拡大した。その貧困層は政府発表では人口の10%強の1億5千万人であるが、実際はその倍と言われている。尚中国の経済全体に対する消費比率は米国の70%、日本の60%に対して40%を割って非常に低く、経済の成長は国民の消費拡大によるのではない。即ちひとつは「対外輸出」であり、もうひとつは「固定資産投資」によるものである。特に固定資産投資は融資バブルと不動産バブルを誘発し、実体経済の裏づけのない空虚な紙幣だけが国内に溢れた。高速鉄道も乗る人の便益でなく、固定資産への投資のために建設されたと言える。

「インフレ抑制策失敗によるハードランディングの懸念」
いずれにしても政府にとって異常なインフレとその結末であるバブルの崩壊が脅威となってきた。消費者物価指数は前年比6%を超えて来ており、特に食品は14%アップ、中でも必需品の豚肉は8月には56%アップとなった。一方不動産市場はすでに急速に冷え込んでおり、13の都市で取引量が一年前に比べ3割ダウンし、広州の不動産取引は昨年比5割も低下、10月は上海の取引価格は15%も下がって不動産バブルの崩壊が始まっている。政府はすで金融引き締め措置を実施しており、併せて金利引き上げにより中小企業の資金難に拍車がかかり、倒産ラッシュになる可能性が出てきた。従ってインフレ亢進による低所得層の生活難、景気の後退と経済の減速は最早避けられず、加えて不動産バブルの崩壊から、中国社会のなかで蓄積されているさまざまな矛盾が一気に噴出して、社会全体が暴動の多発など天下大乱の可能性が出てきた。まさにインフレで死ぬかバブルで死ぬかの瀬戸際になってきたと言える。

「権力維持のための対外的危機創出に注意」
これまで経済成長の神話が国民を満足させて来たが、神話はあくまで神話であり、永遠の成長は不可能である。よって権力維持のためには、国民の目をそらし、国民を結束させる必要があり、そのためには対外的危機を作りださねばならない。即ち統治の有効手段として、共産主義はもう旗印にならないので、ナショナリズム(愛国主義)に訴える敵国が必要である。海洋支配戦略を進める中国に対して、ベトナムとフィリピンは米国と協力して一歩も譲らない外交交渉をしている。国家意識と国防意識が希薄な日本が一番の対象になる可能性が高い。最近の調査船、空軍機の追尾、領空侵犯等からも危機が予知され、日本は中国リスクを真剣に考えなければならない。但し中国とはある程度の距離を置いて付き合った方がよい。國民會館創設者武藤山治の師である福澤諭吉の「脱亜論」が今こそ見直されねばならない。

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