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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録

2012年7月7日(日)

同志社大学大学院教授  浜矩子氏
「明日からの挑戦にどう応えるか:グローバル経済と日本」
(於大阪武藤記念ホール)

T「明日からの三つの挑戦状」
そのようなことを体験する筈がないと思っていた我々に、明日からの挑戦状が叩きつけられた。 そこに何が書いてあるのか、それらは相互に関り合いのある三つの挑戦状であった。 挑戦その一は「内外均衡の相克は解消されるか」である。国家において内と外の程よいバランスは、昔から現在に至るまで常に悩ましい問題であった。 最近ではEUのギリシャ・スペインとドイツの間で深刻に対立している、雇用確保で国内均衡を果たすことを重視するのか、雇用を犠牲にしても財政の均衡を果たして対外収支尻の均衡を図ることを優先とするかの問題である。 以上の挑戦は第二の挑戦である「国々は国境なき時代を共有出来るのか」へつながってくる。即ちヒト・モノ・カネが国境を越えて動く時代には、どこまでが内側か、どこからが外側かが分かり難くなっている。 したがって福は内、鬼は外と言っても、国境が不明確であるので、逆に鬼を引き込み、福を追い出す結果にもなりかねないことがありうるのではないか。 そして以上ふたつから、挑戦その三の「資本主義はグローバル時代を生き抜けるか」の問題に帰結される。即ちマルクスによって定義された資本主義は国民国家の中で構築された資本主義であるので、グローバル化の時代に、 これからも生きながらえることが出来るのかが問われる訳である。国々はお互いかかわりあいを持つ相互関係にあり、国民国家をはみ出す部分は他国の領域となっているからである。そしてこの三番目こそが、この度の挑戦状の肝(きも)の部分である。 以上の問題は我々にどのような具体的な形で襲い掛かって来るのか、その挑戦に対して我々はどうチャレンジしていけばよいかを以下に述べていく。


U挑戦状の引き金となった事態

1.「現実となりつつある財政恐慌と中央銀行恐慌」
ギリシャで職を奪われた人達が暴徒化し略奪がなされて荒廃したアテネの街の生々しい現実を映像で見たが、「財政恐慌」に陥れば財政が事実上破綻して、我々が当然受給されると思っていた生活保護費や失業保険、さらに年金などの生活インフラの一部が奪い取られ、国民は周章狼狽するばかりとなる。 そもそも財政とは民間が困った時に出動してくれるレスキュー隊であり、本来ならば財政が破綻することはありえないし、又はあるまじきことが前提となっている。然し財政破綻により、大増税、又は行財政のサービスが質的量的に低下して、逆に国民が政府のレスキューを必要とするという倒錯した事態になってしまうことになる。そもそも国民はいざという時に政府が助けてくれるから、政治家と公務員を税金で養っているのであり、それが国民国家における国民と国家の契約関係である。 何故財政恐慌になってしまうのか。国々は多数、されど地球はひとつであり、ヒト・モノ・カネが国境を越えて動く国境なき時代であるが、国の財政は国境を越えられないからである。言い換えれば国境を越えて動くヒト・モノ・カネが引き起こした問題を、国境を越えられない国は解決することが出来ないからである。 そしてより恐るべきことは「中央銀行恐慌」である。17カ国よりなるユーロ圏に於いて、欧州中央銀行が財政破綻寸前国家群の国債を買っている。のみならず民間企業にも公的資金を注入しているのである。このことは同銀行の金庫に不良債権がうず高く積み上がっていくことを意味する。又日本銀行も日本の国債をその買取枠を拡大して買い続けている。即ちどちらの中央銀行も返すあてのない不良債権を買っているのである。そもそも通貨価値の番人である中央銀行が価値のない不良債権を買うことは、通貨の価値がゼロになり、通貨の購買力がなくなることを意味し、その結果経済活動は完全に麻痺状態に陥ってしまうことになる。即ち「財政恐慌」に加えて「中央銀行恐慌」が同時に引き起されることになれば、国家の「財政と金融」の中枢が破壊され、瞬時にして経済活動をショック死させるより怖いものとなろう。

2「TPP通商戦争である」

TPPは自由化を進めるのではなく、囲い込みをして「不自由化」を進めるものであることを知らねばならない。即ち昨日までの自由化の流れを止め、囲い込み境界の外側の国だけでなく、内側の国にも囲い込み外の国と取引が出来なくするという「不自由化」を強制しようとするものである。従って囲い込みのブロックの数が増えれば、それだけ地球経済が切り刻まれて、全地球ベースの自由度は低下し、自由貿易から得られる国際分業のメリットが損なわれることになるのである。 1930年代に、ヒト・モノ・カネが国境を越えて入って来ないようにするには鎖国しかないとの悪魔のささやきに乗り、さらには植民地化政策を進めてブロック経済を形成した結果、悲惨な状況となり、第二次大戦への扉を開けてしまったことを忘れてはならない。いずれにしても自由貿易協定は地域限定・排他的貿易協定であり、ブロック外の国々との、武器を使用しない「通商戦争」であると言える。


3.「通貨の世界も激変、そしてユーロは消滅する」

ヨーロッパ17カ国はユーロ単一通貨を、又日本は円単一通貨を維持出来るのであろうか。そもそも単一通貨圏が成り立つ条件は二つある。その第一の条件は、そのエリアのどこに行っても物価水準、金利水準、賃金水準そして失業率が同じである「経済実態の完全収斂」が実現されていることである。その場合はその領域の中に多数の国が含まれていても、国々の通貨の購買力は同じなので、単一通貨に置き換えることが出来る。然し第一条件が満たされない場合でも、第二の条件が満たされればよい。その条件とはその領域内の経済実態の格差を埋めるための装置である「中央所得再分配装置」が確保されていることである。然しユーロ圏はこのふたつの条件のいずれも満たしていない。したがって通貨圏としての存続は不可能であり、遠からずユーロは消滅し、ヨーロッパは分裂していくだろう。 一方日本経済もいつまで円単一通貨でいられるのか?日本が弟一条件の「経済実態の完全収斂」が達成されていないことは、東京一極集中と地方の疲弊による有効求人倍率の格差からしても明らかである。このような地域間格差をかかえながら日本が円単一通貨であり得ているのは、第二条件の「財政」という名の中央所得再分配装置が働いて来たからである。然し風前の灯火の財政状況のなかで、所得再分配のバラマキを続けて、果たして一国家一通貨体制を維持していけるのか、かなり限界に近づきつつあるのではないか。それはグローバル時代の単一通貨圏の守り手として、従来型の国民国家の財政では力不足になって来ているからである。そして国民国家の形を維持していくためには、地域社会、地域共同体、地域経済が各々の通貨を有する「一国家多通貨圏」になることが求められることになろう。  又国民通貨は地域通貨時代における国々の共通通貨として存続していくことが考えられる。然し地域通貨にはおのずと閉鎖性が内在する。地域通貨は下手をすれば徹底的な地産地消を促す手段として機能し、排外的な引きこもり体質を助長する可能性がある。 故にここをどう超えていくかが課題である。

V解決の鍵は何か


1.「分散と多様化」

ヒト・モノ・カネが国境を越えて動く国境なきグローバル時代に入ったために引き起こされる、以上の事態は、経済活動の基礎単位である国民国家、国民経済に対して強い拒否反応を示しているものであり、国々の陰から地域経済・地域社会がそっと顔を出して独自の展開力を形成しつつあるものである。それは従来の「集中と均一化」の時代から「分散と多様化」の時代へ変化しているものである。

2.「僕富論を超えて」

さらに以上の地球経済を壊している根底にあるのは人間のわが身かわいさのぶつかりあいによるものであるとの基本認識が大切である。そのためアダムスミスの国富論をもじり、「僕富論」でなく「君富論」を提唱したい。即ち僕の富さえ増えればよい、僕 の富さえ減らなければよいとのエゴ一色の自己保存本能のぶつかりあいの「僕富論」が地球経済を滅ぼすのであり、君の富を増やしてあげよう、君の富が減らないよう工夫をこらそうとの「君富論」の精神をお互いに共有することが、地球経済を生かしていくのである。

3.「情けは人の為ならずと、まさか論を」

「君富論」が荒唐無稽であり精神論に過ぎると言うのならば、多少よこしまであるかもしれないが、「情けは人のためならず」と置き換えれば、経済活動における自分だけよければという僕富論は克服できるのではないか。  そしてもうひとつ心得ておくべきは、「まさかは必ず起こる」との歴史の教訓である。 ヒットラーの第三帝国のファシズムはその悪い例であるが、ベルリンの壁崩壊とアパルトヘイト撤廃、アラブの春は輝かしき、まさかの例である。


質疑応答
「質問1」
 

君富論はどの国・地域から出で来るか

「回答」

地域は特定出来ないが、地球上の地域市民社会から出て来るだろう。それは今までの血で血を洗う市民革命でなく、新たな市民革命である。国民国家の求心力がなくなり、地球は一つされど、国々は多数の中で、鍵は世界中の市民社会にあり、地域の市民達の活動から生まれて来るだろう。


「質問2」

国益を考えず、地球市民の為にとのことであるが、それは左翼の論法ではないか?中国の国益追求にどう対応するのか? 

「回答」

ひたすら国益を追求するのではなく、国益を超えていかないと、お互いが首を絞めあい、奈落の底に落ちていくだろう。なぜ中国を恐れるのか?中国は天才子役に過ぎない。中国を大人にするために、日本は恐れを捨てて成熟した大人として、子供じみた振る舞いと決別するべきだ。子供と大人の違いは、子供は人の痛みと人の状況が分からないが、大人は人のために我慢、痛みを共有することが出来ることである。 



「質問3」

高度成長から始まった東京への一極集中はなぜ起こったのか

「回答」

ヒト・モノ・カネが東京へ向ったのは、それが焼け跡からの復興のために、合理的な管理メカニズムであったからだ。然し今や成熟債権大国となった日本において、それはもはや合理的でなくなった。一国多通貨の時代に向っているのであるから、市民達の力で集中から分散へ向わせなければならない。それは誰もが感じていることであり、現に若者達は地域に戻りつつある。一極集中は終焉のときを迎えている。



「質問4」

グレートリセットで、憲法も変えるべきではないか、又大阪都構想も進めるべきではないか?

「回答」

憲法改正まで考えるものではない。地域に力を分散するとの大阪都構想は、逆に一極集中を生み、強い者の為となり、誰のために何をするのか分からない。部分の木に格好のよいものもあるが、全体の森が明らかにされず、胡散臭さを感じる。首相公選制や憲法9条の改正が地方分権とどう繋がるのか、全体の森の姿が見えず、危険な方向性を有している。地方分権という今的な流れではあるが、弱き者達へのいたみ、小さきものたちの気持ちが分からず、全体の脈絡があるものとはいえない。



「質問5」

ヨーロッパの通貨統合は当初成功しているとのことだったのに、今や先行き危ないとのお話であるが、経済活動は勤勉でなければならないことが学ばれる。一方でアジアにおいて、通貨統合、東アジア共同体、さらには政治の統合まで可能なのか、又そのあるべき姿は如何?

「回答」

ヨーロッパの例は反面教師であり、アジア共通の単一通貨は間違っても導入するべきではない。政治面でも多様で体質の違うものをお仕着せで、ひとつの枠に押し込めると、必ず反発を生むだろう。身の丈にあった共生をすることが大切であり、放っておけば、自然発生的に補完的相互依存関係がハッピィーな形で生まれるだろう。下手な計画的人為的政治介入をしてはならない。



「質問6」

君富論は資本主義なのか、グローバル時代において、資本主義なくして世界をつなぎとめる主役は何か?

「回答」

世界をつなぎとめる主役は市民である。従って君富論の主役は市民である。それは制度的強制的に搾取なき社会をつくるのではなく、弱いものいじめ、格差、富の偏在をなくす搾取なき資本主義をつくるものである。資本主義はその方向に進化していかなければ、グローバル時代を生き抜けないだろう。

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