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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録(要旨)

2012年9月15日(日)

早稲田大学名誉教授 西村吉正氏
「 日本経済は衰退しつつあるのか 〜その歴史的位置付けと将来展望〜」
(於大阪武藤記念ホール)

T.一人当たり「国民の値打ち」の二千年

(1) 日本のGDPはピークアウトへ

  先ずこの講義では国民一 人当たりの年間GDPを「国民の値打ち」と定義 したい。さて、IMFの資料によれば、戦後の 日本人の「国民の値打ち」は1950年に131 ドルであり、フィリピン人より劣っていたが、1960年にはギリシャ人、1970年にはイタリア人、1980年にはイギリス人に追いつき、1990年には25010ドルとなり、遂にアメリカ人を追い越した。その結果「国民の値打ち」に人口を乗じた「GDP」の全世界に対する日本の割合は、1950年には3%であったが、1960年の高度成長スタート時の4.4%からうなぎ登りとなり、30年後の1990年には(人口シェアが2.3%であるのに)8.6%となった。

  戦後日本は、なぜ短期間で成長を遂げて、アジア唯一の先進工業国になれたのか。それは日本人が優秀であったからではなく「欧米人に出来ることは日本人にも出来る」の精神、そして幸運もあったからと考えるべきである。福澤諭吉の「脱亜論」は、欧州に見習うべきことにいち早く気がついた名著である。日本人は、バブルの絶頂期には最早欧米に学ぶものなしと豪語し、特に上記の8.6%は購買力平価換算の国際ドル(以降のドル数値はすべてこの単位)であるが、円高の魔術による為替レート換算では17.9%となるので、日本は「日米欧三極」の一角、世界第二の経済大国と思い上がってしまったのであった。然し、その後2000年には7.2%、2008年には5.7%、今から18年後の2030年には、まさにつるべ落としの3.3%になるとの予想が内閣府から3年前に出されている。

  山田風太郎氏が1998年に「過去日本において、これほど幸福な50年は、いままで一度もなかった。失われた90年代と文句を言っているのは贅沢である」と述べた。然しこれは、「うかうかしていると、このような幸せは、すぐになくなってしまうものであり、何もしなくても守られていると思うのは大間違い」という意味に捉えねばならない。そして現にその通りになって来ているのである。


(2) 遡れば、明治になるまで日本は中級の周辺国だった

  英国の経済学者ANGUS MADDISONの推計によれば西暦0年、弥生時代の日本の人口は全世界人口の1.3%の300万人であり、「国民の値打ち」は400ドル、GDPは12億ドルであった。当時の巨大GDP国家はインド、中国であり、それに次ぐ西欧12カ国がビッグ3であり、各々世界の総GDPの30%から25%を占めていた。

  西暦1000年の世界では、インド、中国、西欧、日本の「国民の値打ち」は、ほぼ横並びの約450ドル前後で(これは平均値であり、中国とインドは王侯貴族が人民から収奪して所得格差は大きかった)、GDPシェアは人口シェアとほぼ同じであった。具体的にはインド28%、中国23%、西欧12カ国7%であり、日本は2.7%だった。即ちその頃の各国の国力は人口に比例していた。

  1870年の世界では、これまでの人口に比例するGDPシェアが、「国民の値打ち」に比例する序列となった。即ち数字では西欧12カ国は人口シェアが13%であるのに、GDPシェアは倍以上の30%となり、逆に中国は人口シェアが28%であるのに、GDPシェアは17%、イスラムを除くインドは人口シェアが20%であるのに、GDPシェアは12%となった。一方で新興国アメリカは人口シェアが3.2%であるのに、GDPシェアは8.9%となり、それに比べて日本はアメリカとそれ程変わらない人口シェアであるのに、そのGDPシェアはアメリカの三分の一以下の2.3%だったが、それはペリー来航による開国要求に従わざるをえなかった要因の一つであろう。尚日本の人口は3400万人で、応仁の乱の時から3倍強に増えたが全世界比では2.7%であった。


(3) グローバリゼーション下における「国民の値打ち」

  1870年における「国民の値打ち」はアメリカがトップで2445ドル、西欧12カ国は2080ドルとなったのに対して、インドと中国はともに530ドルであり、日本は両国を抜き737ドルであった。これはグローバル化、即ち西洋的世界の世界制覇によりアジア的世界との格差が、拡大したことによるものであった。

  1870年台の格差拡大の要因は、第一に産業革命による技術革新があげられ、二つには資本主義経済のルール、即ち所有権概念、市場・競争原理の取引原理、プロテスタンティズムによる勤労意欲が増したこと、三つ目には先進国が銃と鉄と病原菌で後進国を席巻したことが一般論としてあげられる。さらに、西洋とアジアの格差はもっと深い文化的・文明的違いによるものとの見方があるが、これはアジアが文明的に劣っていると言っているのではない。

  21世紀に入り発展途上国のキャッチアップが急となり、中国・インドが高度成長期に入ると、「日本人にできることは中国人にもできる」となり、「国民の値打ち」を高めた国は人口の順に経済大国となり、「経済力=人数×単価」への回帰となって来るだろう。その結果2030年において、日本の10倍の人口を有する中国の世界でのGDPシェアは30.2%となり(2009年内閣府予測)、その時の日本のシェアは中国の十分の一の3.3%(同予測)になってしまう。よって国際的な所得の平準化が進むことにより、日本は米英と中印のグローバル化の挟み撃ちにあう苦境に陥ることになる。但し各国民の能力に差はないにしても、各人が勤勉に努力するか否かも大切な「国民の値打ち」の要素である。

U.「国民の値打ち」を高めるふたつの基本コンセプト

(1)「北欧型福祉モデル」

  会社が社員に福祉を保障する「日本型モデル」はバブル崩壊でその限界が露呈し、国家が国民に福祉を保障する「西洋型福祉国家モデル」も、国民は政府に依存して働かなくなり、サッチャー首相により否定された。その中で注目されるのは「北欧型福祉国家モデル」である。但しそれは福祉国家ではあるが、怠けて暮らせるものではない。競争力の落ちた企業は創造的破壊がなされるが、その結果による失業者は国家が面倒を見るのではなく、労働市場政策により雇用流動性を確保することにより、効率部門で働けるしくみが確立されている。それはサービス水準の高い厳格な会員制のクラブに例えられ、会員としてルールを厳しく守るべきことが要求される。

  さらに加えて、勤勉に働くべきことが要求されている。与えられる社会保障の水準は、当事者の労働市場におけるパフォーマンスに結びついているので、「国民の値打ち」は自助努力により高められるべきしくみとなっている。以上のふたつの要件を満たして始めて寛大な福祉が供されることになっている。

  2010年の「国民の値打ち」は、北欧ではノルウエー85000ドル、デンマーク56000ドル、スェーデン49000ドルであり、主要国である米国47000ドル、日本43000ドル、ドイツ・フランス・イギリスの4万ドル弱(但しユーロ安の影響がある)を上回っている。


(2)「金融立国モデル」

  国民の値打ちを高めるもうひとつのモデルは、個人が自分を支える「アングロサクソンモデル」である。その中のひとつに、実体経済に相対する関係にある「金融立国モデル」がある。それはヒトより先回りをして社会を再編成出来る見識があり、さらにヒトの上前をはねる能力も要求されるものであり、システムの力と個人の力よりなる。「システムの力」とは、基軸通貨ドル、ペンタゴン(軍事力)、世界のリーダーが話す英語等、自分のルールを押付けることが出来、他国は従わざるをえない覇権国の経験と実力である。さらに世界の普遍的価値となっている民主主義・市場経済・キリスト教、最近では国境を超えた米国の情報・金融革命によるグローバルスタンダードもその中に数えられる。

  「個人の力」とは天才的能力であり、政治・経済分野では、ロスチャイルド、マルクス、バーナンキ、キッシンジャー、科学分野ではアインシュタイン、フロイト、文化分野ではマーラー、チャップリン、ベッカム、スピルバーグ、そしてキリストである。彼らはいずれも現在1200万人しかいないユダヤ人である。日本人に彼らに匹敵する天才は果たしているのだろうか。

V.これから日本はどうするべきか?

(1) 日本人という明治以来の既得権はいつまで通用するか?

  大きな世界史の流れの中で日本は中堅国であった(日本辺境論)。これからもほどほどの国でよいのではないか(下山の思想)? 然し人口減少、高齢化時代においてこそ日本人の真の「国民の値打ち」が問われるのである。


(2) 人口増加は期待出来ず

  現状のままの出生率が続くと仮定すると少子高齢化がさらに進み、2050年には現在の127百万人が89百万、2100年には41百万人、2200年には9百万人になる計算となる。GDPを増やすためには人数が大切であるが、増加はかなり難しいのではないか。なお労働参加率は高めることが大切であり、人口減少を補うものである。


(3) 単価アップで勝負する

  日本人が得意な「モノづくり」の建て直しが必要である。そのためには単なる「モノづくり」から、モノづくりに付加価値をつける「コトづくり」と「ブランド力育成」への高付加価値化を目指して「単価アップ」で勝負しなければならない。さらに進めて、前述の「北欧型福祉国家モデル」の選択により、自立精神をベースにした失業率低下、その為の円滑な産業転換、職業転換が図られねばならない。一方「金融立国モデル」は遊牧民・バイキングの思想であり、格差を容認し、単純労働者を輸入しようとするものである。然し日本人は果たしてヒトの上前をはねる力を持てるのか、それは日本人の流儀に合うのか?


質疑応答
「質問1」
 

日本が短期間でアジア唯一の先進国になれたのは、江戸時代に各藩がリーダーをしっかり養成していたことも、大きかったのではないか。

「回答」

その通りである。江戸時代は暗黒の時代と言われていたが、平和で文化的な時代であり教育も世界一であったとの評価に変わって来ている。その蓄積のお蔭は大きい。


「質問2」

中国の高度成長の話があったが、途中で内乱により挫折するのではないか?

「回答」

他国をそのように決めつけず、我々自身が努力することこそが大切である。 失敗してもインドがある。



「質問3」

住専7社の処理の産みの苦労は如何?

「回答」

内外から大変な袋だたきににあったが、今から思えば早く処理してよかった。リーマンショックの処理の際、あれだけ非難していた米国も我々の処理方法を真似しており、特許権侵害と思っている(笑い)。又中坊さんのご苦労に感謝したい。 



「質問4」

日本人の値打ちが問われるが、大阪は「とりわけ危ない」ことの意味は何か?

「回答」

大阪、京都は日本の中では先進地域である。文句は程々にして、やるべきことを先ずやるべきである。生活保護が一番多いのは「もらえるものは、もろとこか」の考えであり、その前に自分のやることをする自助努力の精神が大切である。

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