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武藤記念講座(講演会事業)

記念講座の記録(要旨)

2012年12月15日(土)

俳優 津川雅彦氏
「日本人の誇り」  
 大阪 「武藤記念ホール」

はじめに
  私は日本で始めて映画を製作した祖父から数えて三代目の世襲の役者であるが、先代達が無駄をしながらも身につけた沢山の経験の中から、そのエッセンスを引き継いだ役者根性に、誇りを持っている。そしてその「役者の誇り」が、「日本人の誇り」を考える踏み台となったのである。

T世界を感動させた、日本人の「我慢・忍耐・礼節の美しい心」
  3.11の大震災は数多くの感動する話を生んだが、津波から助かったものの、孤立した子供達が寒さの中で僅かな食料を、けなげにも仲良く分けあって飢えを凌いだという話があった。英国の有力紙がそれを報じ、その第一面に日の丸を描いた上で「がんばれ日本、がんばれ東北」と日本語で書いて世界に発信してくれたのであった。私は日本人としておおいに感激し、「日本人の誇り」を感じたのであった。様々な人間を演じる俳優である私は、子育てからも人間に対する深い洞察力を学んできたが、娘の学校の校長先生から「子育ての責任は、学校でなく両親の責任であり、親が三歳まで子供と遊んでやることにより、品のよい情緒が発達するのである」と教えられ目からうろこが落ちたことがある。

U縄文文化が「日本人の誇りのDNA」の原型を形作った
  1万5千年前の日本の縄文土器は世界最古のものであり、縄文人はその頃すでに釣り針、くじらを撃つもり、漆の器物なども有していたことが科学的に証明されている。その上、縄文人達は1万年もの長い間平和の時代を築いていた。そのことは弥生時代に比べ、争いによって損傷された遺骨の割合が十分の一であることにより証明されている。さらにその縄文土器は北方四島から沖縄まで現在の日本領土のすべてで出土されているが、その周辺では発見されていない。このことは縄文時代から今の日本の領土範囲が確定されており、外から人が入って来ない鎖国の状態で平和が維持されていたと言える。
  内紛が起こらず平和が保たれたのは彼らの叡智によるものであった。彼らは太陽、自然、生きとし生ける物の中に神が宿るとし、それら大自然を大切にする心が、彼らの心の中に平和を植えつけたのであった。即ち自分の中にも、又他の人達の中にも、神即ち良心が宿るとし、お互いがお互いを傷つけないようにしたのであった。村落も五十人以内とし、大自然を壊さないように欲しい分だけ獲物を取り、決して取り過ぎず又余分の蓄えも持たず、他の人に迷惑がかからないよう我欲を律したのであった。
  縄文時代の平和を愛するDNAは、平和が続いた平安時代、江戸時代に引き継がれ、さらに現代の東北の人達に引き継がれているのである。縄文土器の中には、芸術性の高い火焔式土器や真に美しい土偶が含まれているが、縄文土器は男達が狩猟に出ている間に女性達によって作られたのではないか。天照大御神も女性であったが、日本の女性の歴史は「縄文の誇り」から脈々と受け継がれており、彼女らは男性を裏で支えてきたのではなく、男性を育てながら平和をリードして来たのである。

V:失われた縄文人のDNAの再生こそが至上命題である
  米国は戦争に勝ったのに、日本人の素晴らしさに感動し、自分達の世界制覇のためには日本人を根こそぎ骨抜きにしなければならないと考え、日教組に次世代の日本を背負う大切な子供達への偏向教育を、実行させたのである。縄文人のDNAを受け継いだ日本人は本来平和を愛し、人に尽くすときは誠心誠意尽くす民族であるのに、大東亜戦争に敗れてからは、日教組により戦争が好きで残虐な日本人と思い込まされたのであった。さらに端午の節句と雛祭りを、性差は平等であるべきだと子供の日に統一し世界に誇るべき日本の文化を否定し、又運動会ではかけっこの順位の表彰をなくして、本来の平等の意味を履き違えさせたのであった。従って子供たちは出る杭は打たれるので、小さな殻に閉じこもり、 希望、理想、好奇心をなくし、ちまちまとしたいじめに走ってしまう結果となったのである。よって「日本人の誇り」を取り戻すためには、被災した東北の人達に倣い、失われた縄文人のDNAを再生することが何より大切である。

終わりに
  報われない努力にこそ品格があり、人間としての「誇り」は、義務を美しく果たしていくことにある。「葉隠」に言う「二つ二つの場においては、自分を殺して相手に与える」ことを「日本人の誇り」として大切にしたい。

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