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武藤記念講座(講演会事業)

第991回武藤記念講座要旨

2014年6月14日(土)

  数学者、作家、お茶の水女子大学名誉教授  藤原正彦氏
 「日本のこれから」 
       大阪「武藤記念ホール」


セミナー


國民會館を大阪城に向けて建てたのでなく、まるで大阪城を、國民會館に向けて建てたかのような絶景である、との名言を語られたのちに、講演される藤原氏。



    第一章「日本の国柄を破壊している市場原理主義」

    第1節「市場原理主義という改革の間違い」
    ここ十数年の日本は、政界も財界も官界も、改革、改革であった。政治家を選ぶ国民も改革が大好きである。然し改革をすれば、世の中がよくなる訳ではない。十年前の方が政治も経済も社会も安定し、人の心も穏やかだった。そして二十年前はもっとよかったし、三十年前に遡ればさらによかったのではないか。通常は改革をすればどんどんよくなる筈であるのに、そうなっていないのは、そもそも改革と改善は違うからである。なぜならば改革しても必ず改善される訳ではないからだ。即ち市場原理主義、新自由主義、あるいはグローバリズム等の名のもとに、郵政改革、ビッグバン、商法改正、そして労働者派遣法の制定など、ありとあらゆる規制緩和と規制撤廃という改革がおこなわれたが、よくならなかった。そもそも、いかなる規制もなく、皆が自由に公平に競争して勝った者が全部取って、強い者が弱い者をむさぼり食うのを、何が悪いというのは「けだもの」の論理である。ゲームの世界では勝ったり負けたりするが、市場原理主義の世界では強い人が勝ち続け、弱い人は負け続ける結果、世界中で格差が拡がり、弱者はどんどん追いやられてしまうのである。リーマンショックのような大きな失敗があっても、人類は反省せず、いまだに世界中でグローバリズムが叫ばれているが、市場原理主義により、10年以上栄えた国を私は知らない。その結末はすべてはバブルになって、はじけて終りとなり、社会はすさんで来るのである。例えばユーロ危機も神奈川県位の規模の、小さなギリシャ一国の問題ではなく、ギリシャの国債を仕組んだ、金融派生商品の残高が巨額に上っているから、世界中が青ざめているのである。世界は、一箇所に穴があけば沈没する隔壁なきタンカーのように、脆弱な構造となっているので、ヒト・カネ・モノが国境を越えて自由に動くことは制限されるべきである。

    第2節「弱い者いじめをする帝国主義と市場原理主義」
      日本は聖徳太子の十七条憲法にある「和を以て貴しと為す」国であり、競争・競争、評価・評価には最も不適な国である。即ち生き馬の目を抜くような競争は、ヨーロッパ、他のアジアの国と違って、本質的に生理的になじまない国である。そもそも規制は子供、老人、貧乏人などの弱者を守るためにある。人類は弱い者いじめをする帝国主義を、200年も反省しなかったが(市場原理主義は20年)、弱い者いじめは「武士道精神」では最も恥ずべき卑怯なことである。然し日本は明治になってそれに乗ってしまったのであった。当時の国際情勢下では、「けだもの」のような列強に植民地化されないためには、富国強兵策は現実的には仕方なかったが、武士道の精神からは、白人達にその根本的な間違いをお説教しなくてはならなかったのである。マルクスという大天才がつくった共産主義は、論理的に美しいが、人類という生物に合わなかった。市場原理主義についても同様のことが言えるのである。

    第3節「経済より大切なものは国柄である」
      私にとって、市場原理主義はたかが経済の問題である。日本人は給料が半分、いや十分の一になっても死に絶えないだろう。いざとなったら草の根を食べてでも生き延びる強靭な民族である。私は母と兄妹と四人で満州から引揚げてきたが、母は北朝鮮で言語に絶する苦労をして三人を食べさせてくれたし、帰国後も食糧難を家族五人で、幸せに明るく乗り切った。お金と幸せは何も関係ないのである。然し市場原理主義は経済を壊しただけでなく、「国柄」を壊し始めている。これは見逃すことは出来ない。ある保守系の政治家が国にとって重要なことは、国防と繁栄であると言ったが、大変な間違いである。国防と繁栄は国柄を守るための手段である。主客転倒してはならない。

    第二章「日本の国柄とは何か」

    第1節「国柄としての初等教育の重要性」
      国柄の内の重要なひとつは初等教育である。然し江戸時代初期から識字率が50%あり、ヨーロッパの先進国と比べて、ほとんど四世紀間に亘って、世界で断トツであった日本の初等教育が壊され始めている。昔も今もこれからも、すべての国において一番大切な学科は国語である。私は初等教育の大切さを、つとに「一に国語、二に国語、三四がなくて五が算数、あとは十以下」と言っている。即ち母の語る母国語を、徹底的にマスターすることが圧倒的に重要である。日本語がマスター出来ていないと、日本人になれないだけではない。「思考」が出来ない人間になってしまう。なぜならば言葉は、考えたことを表現するだけでなく、思考は言葉を使って行い、思考と言葉は同じものであるからである。さらに「思考」だけでなく、「情緒」も言葉によって多様多彩な表現が出来、より深く高度なものになる。算数については、江戸初期に京都の和算家吉田光由が著わした数学入門書は、江戸時代を通して大ベストセラーとなり、その後の日本の算数王国の基礎となった。 然し最近の調査では国語・算数とも世界の断トツから10位近くまで落ちている。文部省の役人は世界には200も国があるので、これでよいのではないかと言ったが、一位でも日本は亡んでいく、不憫な国である。なぜならば、小さな島に人間がひしめいて、7割が山地であり、天然資源もほとんどなく、大台風と大洪水、大地震と大津波など、ありとあらゆる天災がやって来る日本が、世界で生きていくには頭脳で勝負する他ないのである。従って単なる一位ではなく、断トツでなければならないのである。

    第2節「国柄のための教育改革について」
      社会生活で求められる能力を競う昨年の「国際成人力調査」で日本の成績は断トツであったが、よくよく見ると、成人層が子供時代に学力が高かった結果であり、若年層が一位でなかったことは、今後の低下傾向が予想され大いに心配である。日本人の英語の実力は、アジア30カ国の中で、最下位の北朝鮮の上の29位であるからか、8割の人が小学校から英語を学ぶことに賛成している。然し英語が出来なくても20世紀で、最大の経済的発展を遂げたのである。叉小学校からパソコンを教えることにも同じく8割の人が賛成しているが、小学校からパソコンに戯れていたら、論理的思考がおろそかになり、立派なパソコンもプログラムもできなくなるだろう。それよりも小・中・高では徹底的に数学を叩きこむべきである。かくして国民までが我国を滅ぼそうとしているのである。叉政府は「ゆとり教育」により落ちこぼれも、登校拒否も無くすとのふれこみだったが、無くなるどころか成績は、どんどん下がっていった。一方日教組は「生きる力、創造力を育む」と打ち出しが、同じ結果になっている。日本人は自然科学でノーベル賞を16人も輩出しているが(アジア全部でもその半分にもならない)、大阪の町工場の子息の山中教授は、1世紀にひとつかふたつの超弩級の発見をし、人格的にも立派な方である。然し彼等ノーベル賞受賞者は、小学校でそのような創造力を育むことは習わず、野山で遊びまわっていたのではないか。極めつけは、小学校で金融論を教えようとしていることである。かくして財界、日本経済新聞、エコノミスト達は次から次へと日本を滅ぼす為に全力を傾けるという、信じられないことを行っているのである。そのため教育改革が必要となるが、歴代の内閣の教育改革はすべて失敗であった。外交・安全については天才的な安倍総理も、グローバル化を目指している限り、教育改革には必ず失敗するだろう。教育改革は他の改革よりもはるかに難しい。なぜならば改革のためには、正しい世界観と歴史観、理系文系にまたがる広範な深い知識、そして人間に対する深い思いと情緒、さらには日本のみならず、外国にも通じる国際性が必要であるが、これを満たしている人はほとんどいないからである。但しこれは米国と英国でも同じことが言えるのであり、どこの国でも教育改革は永遠に出来ないのではないか。 

    第3節「日本型経営システムと日本型医療システム」
      日本型の資本主義は、従業員の忠誠心に対して企業は終身雇用で応え、不況になれば従業員より先に役員から報酬をカットする世界で最も優れた経営システムであった。そのシステムにより1980年代には人類の夢である1億総中流化を実現したが、世界はそれに対して日本にしかできない方法で一人勝ちするのは、ずるいと、嫉妬と羨望から日本を非難した。然し1990年代に入ってバブルがはじけると、それを忘れて、「バスに乗り遅れる」と国民の不安を煽って、米英型のグローバリズム、市場原理主義に乗ってしまったのである。世界には色んな資本主義があってもよいのである。日本型医療システムも2000年のWHOの調査では世界断トツであった。そのシステムは自分だけが幸せで、周りの皆が、不幸であることに耐えられない慈悲の心から来ていた。然し小泉・竹中内閣が15位の米国の真似をして、弱者や高齢者をいたぶる制度にしてしまったのである。勿論、膨張する医療費に対しては累進制などの適切な手を打たねばならないが。

    第三章「日本の国柄の世界的意義」

    第1節「世界の中で唯一金銭より心が大切と考える日本人」
      以上のシステム破壊により、日本人の宝物である「心」が壊されてしまったことが何よりも残念である。日本人は、元来世界で金銭崇拝からは最も離れた国民であった。フランシスコ・ザビエルの日本布教時の第一声は「日本は不思議な国である。金持ちが威張っていない、貧乏人が自分を卑下していない」だった。即ち、西欧の支配者である貴族は権力・カネ・教養を独占していたのに、日本の武士は権力と教養は独占していたが、お金はなかった。「武士は食わねど高楊枝」である。その貧乏な武士を金持ちの商人が、尊敬していたのは高邁な道徳倫理の武士道精神に拠るものであった。イギリスの女流旅行家イザベラ・バードは、明治のはじめ東北地方を旅したが「その地方の日本人は貧乏だが、目はおだやかに澄んで、礼節をわきまえ羞恥心もあり、実直に働いて金銭に淡白であり、叉一人旅の女性にも何の危害も加えなかった」と記している。然し今や、「カネで買えないものはない、人の心もカネで買える」と金銭崇拝する人が時代の寵児となったりした。叉法治国家を逆手にとって、法に触れないことならば何でも出来る、との風潮が生まれたが、法律によってしか人間の行動が規制出来ない国家は、そもそも恥ずべき国家である。自分の言動を道徳によって、自己規制できる国が高貴な国である。江戸の人口百万人に対して、お巡りさんは数百人しかいなかったが治安は保たれていた。子供たちも万引きなんかしなかった。万引きなんかすると親を泣かしてしまい、先祖の顔に泥を塗り、「おてんとさま」も見ているとの美しい心を有していた。「お金を貯めるよりも徳を重ねること、自分のためよりも公のために働くこと、自分の意見を激しく主張するよりも人の気持を察すること」の美しい価値観、かつ「仕事を誠実に忍耐強くすること、時間を守ること、納期を守ること」は日本では当たり前のことであるが、世界に出ると異常な行為ととられる。然しこの異常さこそが日本の「国柄」である。日本には「国柄」しかないのである。

    第2節「日本の国柄が世界史を変えた」
      1)世界の帝国主義の日本への攻勢は次のようだった。西欧諸国は西からアフリカ、中近東を征服して、インド、アジアを植民地化して極東の日本にまで到達した。東から米国はインデアンを虐殺し、メキシコから西部の5州を奪い、スペインからフィリピンを奪い、さらにハワイ王国を騙して併合しペリーが日本に来た。さらに西からの陸路ではモスクワ近辺の国だったロシアは、たった70年位でオホーツク海に到達して、そこに至るまでの諸民族を虐殺し、満州と朝鮮まで肉薄した。日本はそれら列強の攻勢に対して、他のアジア諸国と同様に諦めても仕方のない風前の灯だった。
      2)然し日本は植民地になる道を選ばず、身分不相応だったかもしれないが、気高い独立不羈の道を選んだ。即ち千年の封建時代と270年の鎖国のあとにもかかわらず一念発起し、民族の存亡をかけて戦いに挑んだのであった。そのため国家予算の6〜7割を軍備に使い、鳥肌が立つような臥薪嘗胆が求められたが、明治維新から僅か37年で大国ロシアを破ったのであった。近代に入って、有色人種が白色人種を武力で勝利したのは日本が初めてであり、その結果インドのネール、ベトナムのホーチミン、さらにはトルコとエジプトでの独立運動の端緒となった。
      3)日本は、第二次世界大戦により、ほぼ白人全員を敵にまわして300万人の命を失い、原爆まで落とされて民族が滅びる寸前までに惨敗し、国土は荒廃した。然し世界大戦終了後に、植民地主義・帝国主義、公式には人種差別まで終わらせた結果となった。即ち大戦前アジア・アフリカの独立国は、6カ国しかなかったのに、大戦後には100カ国が独立を達成したのである。これは始めからそのような目的があったのではなく副産物であるが、トインビーの言うように歴史上の大殊勲を成し遂げたことは間違いない。そしてこれを成し遂げたのは以上の通り日本の「国柄」によるものであった。欧米人は困難にぶつかったら、「論理的・合理的に考え、理性に則って誠心誠意考えれば、必ず解決できる」と信じてやってきたが、ヨーロッパ中において、最近の政治・経済・社会・人の心の荒廃をそれでは救えなくなっている。何かよい知恵はないかとイギリスを代表する知識人から尋ねられたが、日本は「国柄」を有しており、その底部に「美しい情緒とかたち」があることを説明したことであった。

    第3節「国柄の底部にある情緒とかたち」
      1)日本が完膚なきまでの敗戦の30年後には、世界第二の経済大国になれたのはなぜか、それは日本には「国柄とその底部にある情緒とかたち」があったからであった。諸外国がそれを真似しようとするが、国柄は真似できないだろう。そもそも日本人は日常的な花、字、お茶を各々華道、書道、茶道と、何でも芸術にしてしまう程に、異常な美的感受性を有している。そしてその美的感受性をベースとする文学、芸術、数学、物理学の四つが世界で断トツのレベルにある。「日本文学」においては、わびとさびと幽玄、そしてもののあわれの美的情緒が世界では類を見ない文学を生み、「芸術」は奈良時代の彫刻はミケランジェロの作品を上回ると言われ、ヨーロッパの印象画は浮世絵なしでは考えられない。そして「数学」の行列式は江戸時代に、関孝和がライプニッツより10年早く発見している。叉岡潔は世界の三大難問を全部ひとりで解いたが、彼は工夫して解いたのではなく、新しい理論を自分で創始して解いたのであった。そしてそのベースにあったのは日本文化に対する圧倒的自信からであった。彼はアインシュタインが相対性理論を発明したのは、ユダヤ民族に対する自信と誇りからであると言っている。尚、もし数学にノーベル賞があったなら、日本のノーベル賞受賞者はもっと増えて合計20人位になっていただろう。そして4、5年前日本人が三人も同時にノーベル賞を受賞した「物理学」も断トツである。以上の四つは軍事力や経済力に対する自信から生まれるのではなく、叉知能指数でも偏差値でもなく、「美的感受性」の自信から生まれたのである。そしてこの四つがある風下の化学、生物、医学、農学、薬学、工学は全部進歩し、工業立国となるのである。
      2)岡潔は、野に咲くすみれの花の、一輪を美しいと感じる気持が美的情緒であると語ったが4、5日で散る桜に対し、はかなさゆえに美しさを感じ、束の間の秋の夜に、美しい音楽のような虫の音を聞いて憂愁を感じ、散る寸前のもみじの最後の輝きにはかない人生を投影して、人間は小さな存在であるとして偉大な自然にひざまずくのである。我々は決して欧米人のように自然に挑戦し征服しようとするものではない。日本は天災の宝庫であるが、神様は公平を保つために、日本にこのような美しい自然と、それを感じる情緒を与えてくれたのである。
      3)「かたち」としては、親孝行をする「家族愛」、故郷を懐かしむ「郷土愛」、そして「祖国愛」が大切であり、それら三つがあって始めて自然に、外国の人達の気持がわかる、最も崇高な人類愛に達するのである。叉武士道精神の慈愛・勇気・誠実もかたちであり、その中核にあるのは弱者への涙である「惻隠」を政治・経済・教育の政策の中心に育てるべきである。叉陰険に人を追い込む「卑怯を憎む」ことも徹底的に叩き込まなければならない。東北大震災のときに世界中から賞賛された「個を殺しても公のために身を捧げる」美しい精神も、崇高なかたちである。

    「終わりに」
      18世紀の思想家スマイルズは「歴史を振り返ったとき、最も実り多い時代は最も苦境にあった時である。なぜならばその苦境を乗り越えて初めて、さらなる高みに到達することが出来たからである。」と述べている。まさに現在は、デフレ不況と震災の苦境を乗り越えているときであり、将来さらなる高みに立てるよう、「論理・合理・理性」だけでなく、「美しい国柄」と、「情緒」と「かたち」を取り戻して、素晴らしい社会・国家をつくることが、本日のテーマ「日本のこれから」の課題である。


    文責

    公益社団法人國民會館


      

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