ホーム > 武藤記念講座(講演会事業) >自民党衆議院議員 船田 元氏 民主党衆議院議員 長妻 昭氏 政治評論家 安廣欣記氏 「為政者はかくあるべき〜理想の国家像の実現を目指して」 

武藤記念講座(講演会事業)

第995回武藤記念講座「80周年記念シンポジウム」要旨

 2014年10月25日(土)

 開催場所 東京・六本木 「国際文化会館 別館二階」

「為政者はかくあるべき〜理想の国家像の実現を目指して」

パネラー   自民党衆議院議員 元経済企画庁長官       船田 元氏
パネラー   民主党衆議院議員 元厚生労働大臣        長妻 昭氏
コーディネーター  政治評論家                              安廣欣記氏
総合司会者 慶應義塾大学弁論部エルゴー会名誉顧問 町田正三氏 


セミナーセミナー


講演中の船田元氏(上)と長妻昭氏(下)


第一章「船田元衆議院議員の基調演説」

第1節「政治とカネの問題」
  武藤山治は福澤諭吉が唱えた「独立自尊」の精神を、政治と経済の世界に色濃く反映させた一人であり、政官財の癒着、政商の暗躍に対して、大変厳しい批判を展開した結果、社会正義に殉じたが、その武藤山治の精神にまさに反する、古くて新しい政治とカネの問題が発生した。その結果、安倍内閣の看板である「女性が輝く社会と地方創生」を担当する二人の女性大臣が、辞任する事態となった。そもそも政治資金規正法により、政治資金の出し入れは、厳重に管理されねばならず、議員の政治団体の政治資金収支報告書は、特別の講習を受けた税理士のチェックを必ず受けて提出され、誰でも見られるよう公開され、数年前からは領収書の添付も義務づけられたので、1円まで管理されねばならない。従って今回収支の差額が数千万円単位に及ぶことは到底考えられず、このままでは有権者に対する利益供与になり、同規正法に違反するので、なぜそうなったのかを調査のうえ、説明責任が果たされねばならない。政治家たる者、又特に政権を担う場合は、有権者からより厳しい目が向けられるので、政治を語る前に法律に則り、有権者に認めてもらえるように、心を律しなければならない。政権を担う与党の一員として、大変ご心配とご迷惑をかけていることを、お詫びする次第である。

第2節「私の政治信条」
  私は祖父の代からの世襲議員であり、「門前の小僧習わぬ経を読む」で、ある程度の政治の予備知識はあったが、病弱の父に代わっての突然の出馬であったので、大変慌てた記憶がある。かつ弱冠25歳の初当選であったので、世襲に対する世間からの風当たりは厳しかった。然し、その時の経験がその後の政治生活の教訓になったと考えている。即ち私は政治のひとつひとつに対する考え方を「事に当たっては、冷静にかつ前向きに考え、奢ってはいけない・威張ってはいけない」ことをモットーとして来た。又、私は保守政治家である。保守にも様々な保守があるが、私は「健全な保守」を目指してきた。健全とは「中庸」を意味するが、それはすべてのものの真ん中という意味でなく、極端なものを排して真ん中と言う意味である。又保守は「守り保つ」と言う意味であるが、古い価値観を守るだけでは、本当の保守ではない。本当の保守ならば、決して一か所に止まってはならず、世の中の変化を仕訳して取捨選択したうえで、変わるべき重要な部分は、自ら大胆に変わっていかなければならないと、考える。私が長官を務めた経済企画庁の業務は現在、経済財政諮問会議に移管されているが、消費者問題は消費者庁が所管している。現在自民党の消費者問題調査会長を担当しているが、経済が健全に動いていくためには、業界が消費者問題を考えながら、事業活動を展開することが、むしろ業界の信頼と発展に寄与するものである。メニュー偽造表示問題があったように、これまでの生産者・供給者の立場からつくられた法律、制度、さらには行政を、消費者目線、国民本位のものに改めようとするものであり、本日のテーマである理想の国家像における国民のために、なくてはならないものと考える。

第3節「憲法改正について」
  私は自民党の憲法改正推進本部長として、現在は未だ憲法改正のための環境整備をしているが、国民投票法の投票権年齢を4年後には18歳にする法案が国会を通り、それに伴い公職選挙法の選挙権も18歳に引下げるべく8党で審議中である。憲法改正の内容については、国家権力、為政者の行動を制限する立憲主義(現行憲法はその色彩が濃いが)の基本原理も大切だが、それだけではなく我国の国柄、国の特徴、国民全体が目指して行くべき方向性も明確にした「国籍」のある憲法であることが大切である。又第9条の問題も大切であるが、それだけでなく国民の権利と義務のバランスが大切である。確かに、戦後現行憲法下で経済成長と平和がもたらされたが、失いかけていることがある。それは国民の規範意識であり、権利ばかり主張して義務を履行しない風潮である。教育と勤労と納税の三大義務にあらたな義務を加えることは、難しいだろうが、自由の裏には責任があり、権利と義務は裏腹の関係にあることを、第12条(自由と権利の保持の義務、その乱用の禁止、公共の福祉のために利用する責任の規定)に付け加えるべきである。

第二章「長妻昭衆議院議員の基調演説 」

「はじめに」
  国会議員の仕事は何か、それは「日本を発展させ、国民のみんなが本当に幸せに暮らして行けるようにすること」であり、最低限の仕事は「日本国家が存亡の危機に陥らないように準備」しておくことであり、さらには「日本も寄与することにより、飢餓のない世界平和を実現し、最終的には全人類が末永く滅びずに、幸せに生活できるようにその実現を目指す」ことが、究極の仕事であると考える。

第1節「国際社会における「人類存亡の危機への対応」を」
  人類は果たしてよい方向に進んでいるのか、悪い方向に進んでいるのか。便利と脆弱の正の関係は、竹馬の棒がどんどん高くなって人類が塀の上を歩いていることに、例えられるのではないか。即ち文明に対するリスクとは人類存亡の危機であり、それは贅沢への警鐘であり、裏返せば「文明への逆襲」であると言える。人類存亡のリスクの第一は自然の脅威であり、贅沢な暮らしをした結果のCO2排出に起因する、温暖化による地球の悲鳴である異常気象、20世紀初めに世界で数千万人が死亡したスペイン風邪を想起させる、エボラ出血熱等のウイルスの脅威である。第二に、衰えを見せないイスラムのテロに加えて、最近では情報インフラを麻痺状態にするサイバーテロ(とくにクラウドコンピューティングに対する)の脅威がある。第三は国家財政破綻、さらに崩壊して初めてそれとわかるバブルの崩壊(日本の失われた20年はバブルによるものであり、バブルは犯罪である)、そして世界を駆け巡る電子化された架空のマネーによる金融危機の連鎖である。又今世紀半ばには世界人口は、現在の72億人から90億人に増加すると見込まれているが、日本は逆に減少し、中国も人口の伸び率は低下し、増えるのはアフリカ諸国であり、全世界の四人に一人がアフリカ人になるとのことである。従って人口増加による食糧とエネルギー資源の不足のみならず、アフリカの秩序をどう確立していくかの問題も出てくるだろう。私が最近二回出席したIPU(列国議会同盟)では、国連に対する批判が非常に厳しかった。即ち国連は官僚主導になり、例えばWHOは世界の伝染病への対策が取れていないとの声があがり、又安全保障理事会は常任理事国の拒否権で機能しておらず、世界の秩序がどこを軸として動いて行けばよいのか、混沌とした状態を憂え、特に米国に対する批判が渦巻いていた。

第2節「格差を小さくして「すべての人に居場所と出番」を」
  ジニ係数と相対的貧困率は、米国に次いで格差が大きい数値になっているが、そもそも経済格差を是正することは社会全体の利益になる。その適切な配分を阻害するものは、第一に政治的無関心を表す低投票率(日本の年齢別投票率格差は英国に次いで世界二位)、第二に政治とカネの問題の典型例である官民の利権複合体と企業団体献金、さらにそれらと同一線上にある集票マシーンと1億円パーティーである。よって政治を必要とする人が、政治から最も遠くに居るのである。格差があると、町内会の役員の為手(なりて)がなくなり,地域のつながりがなくなり、政治に関心がなくなり、治安が悪くなる事態が発生する。然し格差是正のためには、分配か成長かの不毛な二者択一論でなく、すべてのひとに出番が与えられる政策を立案するべきである。そのためには多様な価値観を認めて、格差の頸木(くびき)を解き放たねばならない。日本では忠臣蔵や、暴れん坊将軍徳川吉宗の封建時代の真只中に、すでにイギリスでは、初代首相ロバート・ウォルポールは議院内閣制による首相を最も長期間にわたり務め、今の党首討論(クエスチョンタイム)も行われていた。日本の民主主義の歴史はまだ日が浅いのである。又日本は資源がなく、価値ある資源は人の能力しかないので、眠れる能力、眠れる労働力、浪費される能力は、貴重な資源が壊されていることを意味する。かくして能力の浪費を避けて、ひとりひとりの能力が発揮されるようにしなければならない。即ち格差が小さくすべての人に「居場所」と「出番」が与えられる社会では、一人ひとりの能力が最大限発揮出来るので、持続的に成長可能な社会がつくられるのである。憲法についても、その延長上で考えていくべきである。私は、現行憲法は環境権などあらたに必要になった規定は、追加するべきであるが、大きく変える必要はないと思っている。確かに一から日本国民の手でつくられた憲法ではないにせよ、中身の役割や世界のレベルから見て、一人一人の多様性のある能力の発揮を阻害するものではないと考えている。

第3節「人々との信頼と協力による「地域社会の結びつき」を」
  ネアンデルタール人は20万年前に出現、2万年前に絶滅したが、彼らは、我々より脳は大きく腕力は強かったのに、咽頭が小さいので言葉を話す能力に乏しく、小集団で行動してチームプレーができなかった。然し我々現生人類(ホモ サピエンス)は言語能力に優れ、チームプレーが出来ることで今日の文明を勝ち取ることが出来た。米国の哲学者ロールズは、我々は生まれる前(初期状態)においては、どこに、どのような状態で生まれるのか、即ち発展途上国のスラム街の貧乏人か、先進国の金持ちに生まれるかは分からないので、格差を是正して、最悪の状態でもそこで生きられるようにすることが、大切であると説いている。「イスラム国」へ走る欧米の若者は、移民差別に怒っているのであり、振込め詐欺をする日本の若者は、金持ちから騙し取るのは正義と考えている。このような空気が出来上がると、一気に極端な方向に動く歴史に学ばねばならない。貧しい人達との共存のひとつの答えが「ソーシャルキャピタル」の概念である。それは富やお金でなく、人々の信頼と協力による地域社会の結びつきを表す概念であり、インフラを意味する本来の意味の「社会資本」とは異なるものである。ソーシャルキャピタルが、蓄積された社会では相互の信頼や協力が得られるため、他人への警戒が少なくなり、治安、教育、健康のみならず、経済にもよい影響を及ぼし、その結果、社会全体の効率性も高まるのである。勿論その前提として第2節の格差是正が必要であるが。

第三章「パネルディスカッション」

第1節「格差について」
「安廣コーディネーター」
  我々は国民経済において生産と消費の両方に携わっているが、船田議員の消費者重視の立場は、国民の立場をより重視する立場に立つものである。一方長妻議員のすべての人に居場所と出番が与えられて、格差を小さくすべしとの議論も、国民の立場に立つものである。お二人のお考えに接合点があるが、「国民のためのあるべき政治家像」についてご意見を伺いたい。
「船田議員」
  消費者が生き生きと消費生活を営むためには、消費者市場が健全でなくてはならない。然し中には生産者、販売者がルールを無視し、不良製品により不当の利益を得ることが、往々にして行われている。然し行政が消費者目線で監視することにより、健全な業界になるならば、消費者が安心して消費活動を営むことが出来て、それがひいては企業が自らの存続を維持できることになり、国家経済の活力も生むことになる。但し消費者の利益だけを見るのではなく、生産者の利益も勘案して、お互いが共通の利益が得られる接点を調整して見つけるべきである。政治は二極対立のいずれかに極端に傾いては必ず歪みが生じるものであることを忘れてはならない。勿論どこに接点を見出すのか、関心事項と視点が違うのは、政党間の拠って立つ綱領と基盤の違いによるものであり、あとは民主主義のルールに則り、選挙により国民の判断を仰ぐことになる。
「安廣コーディネーター」
  極端な例ではあるが、中野区では四人に一人の児童が給食費に事欠く一方で、(よいことではあるが)ソフトバンクの孫社長やユニクロの柳井社長は、東日本大震災に100億円の寄付が出来る位に格差が大きくなりつつあるので、消費者利益の保護よりも、格差をなくすことの方が先決であると思うが、長妻議員はどう考えるか?
「長妻議員」
  格差が全くない社会はありえず、共産主義が幻想であったことが証明された。然し資本主義も徹底的に突き詰めていくと、本当に成長するためには、格差が余り大きくなり過ぎると、成長の足を引っ張ってしまうことが、フランスの経済学者ピケティー、世界一の格付け会社S&P、IMF、米国の経済学者グルーグマン(ノーベル経済学賞受賞)、米国スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞)ら錚々たる学者や機関によって論証されている。我国では知的障害者と身体障害者の雇用は既に義務づけられ、二年後に精神疾患者についても義務づけられるが、それらの障害者の雇用により、職場全体に助け合いの精神が生まれて生産性をあげている企業の例が見られるようになっている。ドイツは46年ぶりに新規国債発行ゼロとなったが、その要因のひとつは最低賃金が日本より遥かに高く、一日10時間以上の労働が禁止されており、又それに耐えられない企業は淘汰され、国全体の労働生産性が高まったからである。今までは賃金を上げることについては、人権や施し的視点があったが、格差を縮小することにより生産性が上がり、経済が成長するためにこそ必要である。逆に格差が拡大すると高所得者の精神疾患が増え、子供の学力も低下し、治安も悪くなることが実証されている。
「安廣コーディネーター」
  長妻議員の話に関連して、格差拡大について如何?
「船田議員」
  格差が拡大し過ぎることが、経済成長の足を引っ張り、社会的治安を悪くすることは間違いない。又格差が何によって生じるのか、それが例えば親の仕事、親の学歴等の本人の能力、努力に無関係で決まることは是正しなければならない。然し個人の能力と努力を無視して格差を必要以上に是正するならば、働く意欲をなくし、悪平等になってしまい、世の中全体の活力を削ぐことになるのではないか。格差是正は美しい言葉であるが、この点は気をつけて対応しなければならない。

第2節「憲法改正について」
「安廣コーディネーター」
  最高法規である憲法改正について、船田議員は改正についてかなり積極的な姿勢であるが、長妻議員も必ずしも反対論者ではないとのお話であった。憲法改正は、安倍首相が情熱を燃やしているテーマであるが、これを一気に行うと世論が離れてしまうので、第一次安倍内閣でまず国民投票法を改正した。一方現行憲法は改正のためには、両議院において総議員の三分の二以上の賛成が必要であり、さらに国民投票で過半数を必要とする硬性憲法である。然しGHQの施政権のもとでつくられて、70年近く経った憲法であるので、日本の国柄をもっと打ち出し、今の国情にあった、例えば環境権も盛り込んで改正するのは当然と思っているが、お二人の基調演説をさらに深めてお話を伺いたい。
「船田議員」
  自民党の憲法観は大きくふたつに分かれる(三つ目の不磨の大典としてとらえる人はいない)。現行憲法はGHQの占領下でマッカーサー草案が提示され、芦田修正や一院制を二院制にする等の修正もなされ、帝国議会で数か月の審議を経て制定された憲法である。即ち押し付けられた憲法であるので、その出自から変えるべきと考える人が約半数である。残りの半数は、そういう歴史はあったかもしれないが、公布後68年経ちその憲法のもとで高度経済成長もあったし、平和も守られ日本の近代化をつくって来た定着した憲法であるとするものである。然し安廣先生も述べられたように、硬性憲法である現憲法改正のための一番の関門は「96条の改正手続き」自体を改正して硬性憲法を軟性憲法化することである。世界で国民投票の議決を課している国の国会での議決要件はほとんどの国が二分の一である。国会で三分の二の議決要件を課している国は、逆にほとんどの国が国民投票を課していない。従って我国憲法は世界でも最も厳しい改正条項を有する憲法であるので、国会の各議院の発議の議決要件を二分の一にするべきである。そうした場合国家最高法規の憲法改正の可決要件が、一般の法律の制定と同じでは軽すぎるのではないかとの意見があるが、一般の法律と違うのは更に国民投票という非常に重い足かせがあることである。尚国民の過半数が改正したいと思っても現行の発議の要件では国会の三分の一の反対があれば、そこで改正の審議が止まってしまうことになるので、民意が反映されないことになるのである。
「長妻議員」
  日本が停滞しているのは、国民が権利、権利と主張するからであるとの論議があるが、本当にそうなのか、私はそうは思わない。勿論、憲法は全く変えてはいけないという議論は時代錯誤であり、見直すべきところは見直す必要がある。然し骨格である権利(公共の福祉に反しない限りとの制限があるが)と義務、最低限度の生活保障、基本的人権の本質について定める97条等は変えていくことは非常に問題がある。戦前に戻るとまでは言わないが、情報を絞って空気さえ変えれば、一気に極端な方向に進んでいくことになりかねない。確かに日本国憲法は日本人が一からつくったものではないが、非常によい憲法であったので、変える必要がなかったのではないかと思われる。ドイツは60回近く改正しているが、同国の憲法の規定は非常に細かいことまで規定しているので、テクニカル的に変えなければならないケースが、多いことによるものである。
「安廣コーディネーター」
  自民党は平成24年谷垣総裁の時作成された「自民党憲法草案」をどうするのか、集団的自衛権の時のように公明党の慎重な姿勢があるが。
「船田議員」
  野党の時の草案なので、気持ちが大きくなった感がある。章ごとにチームを作って各章が競い合って作成したので、改正すべき最低限のものではなく、改正してもよいのではないかという部分もあるが、現在の素案を変える積りはない。但し同素案は改正への全体のメニューと考えていただきたい。改正点は100か所以上あり、それらを一度に改正に持ち込んだ場合、国民は困惑し収拾がつかなくなるだろう。その中から、内容の上で関連した条項を区分して、重要であると考えるものから順番に俎上に載せていくことが現実の姿となり、現在の予測では全部を改正し終わるまで四・五回の投票が必要であり、5年から10年かかると考えている。又自民党だけでは改正の発議をするのは無理だろう。公明党、民主党の皆さんとの折り合いをつけていかないと、三分の二を超えることは不可能である。即ち現在衆議院では与党で三分の二を超えているが、参議院では二年後の選挙を予測しても三分の二は難しいと思われる。

第3節「その他の諸質疑応答」
1.国会議員の指導性について
「安廣コーディネーター」
  議員内閣制では、国民が選ぶ国会議員の中から国会によって国の最高指導者が選ばれるので、民意が大切であることは分かる。然し政治家の行動を見ていると、少々民意を過大視しているように思われる。俗に内閣支持率が20%以下になるとその内閣は瓦解の兆しが見えて来たと言われている。然し民意は色んな意味で大事であるにせよ、又国民から託されているにせよ、逆に国会議員は国民の指導者でもあるべきと思うが、国会議員の国民に対する指導性についてどう考えるか?選挙区に帰ると選挙民にべたべたする政治家の人も少なくないと思われるが如何?
「船田議員」
  政治家は選挙が命であり、選挙に勝たねばただの人であり、場合によりそれ以下の人になるのが現実である。ご指摘のような選挙民との関係を余儀なくされている、ひとつの問題として選挙制度の在り方がある。現在の小選挙区制の基では、目指す政治の理想と政策を語るよりも、選挙区に張りついて諸会合に出ること、酒を酌み交わすこと等により、有権者に向かって媚びることに力点が置かれているのが実情である。このような今の選挙事情を改善するのは、政治家自身の責任であるが、政治家だけでなく有権者も、理想の政治家像をしっかり持って、それに基づいて投票行動を決めてもらうことが重要であると考える。よって小選挙区制自体もそろそろ検証していく時期になったのではと考えている。
「長妻議員」
  選挙制度も関係しているが、「べたべた」するのは余りよくない。然し私はもっと有権者との密着度を深めるべきと考えている。即ち政治家は有権者ともっと向き合うべきである。向きあっていないのは、有権者を怖がっているからではないか。有権者の醸し出す意見、与論、空気を読むばかりで、酒を酌み交わしても反論せずに帰ってしまうのでなく、有権者を説得するべきである。以上については私の自戒もこめて申上げたが、これからの政治家に問われることである。空気は読むものでなく、つくるものである。

2.民主党の原発ゼロの考えについて
「安廣コーディネーター」
民主党は原発ゼロを目指すのか?
「長妻議員」
  民主党は2030年代に原発ゼロを目指す。私は、原発ゼロはポピュリズムと思っていたが、実は同問題について民主党政権のとき「討論型与論調査」を行ったが、意外な結果が得られた。それは単なるアンケートに終わらせず、アンケートに答えてくれた人の中から、二回目は東京に集まってもらい、合宿しながら小グループで議論を行い、そののち二回目のアンケート調査をおこなったところ、一回目より原発ゼロの割合が増え、そして三回目の議論のあとではもっと増えたのである。原発を再稼働することが大人の政治家であるような風潮があるが、大震災のとき3千万人の避難計画をつくろうとしたが、実現不可能であったし、原発をテロリストが攻撃すれば、核を持たなくても核攻撃が出来ることになる。よって原発リスクはゼロにしていく方向に進めていくべきである。
「安廣コーディネーター」
  討論型世論調査は、真の民意を探る有意義な調査方法のひとつである。新聞社は3000人を対象に電話により無作為抽出で定期的に行っているが、アルバイトを使って機械的に集計していることが多い。

3.官と政の関わりについて
「安廣コーディネーター」
  官僚を使いこなせず、事務次官会議を無くす等の官軽視が、民主党の政治に陥穽をつくってしまったと言えるが、官と政の関わりについて如何?
「船田議員」
  長かった自民党政治時代に、彼らを使いこなして来たかに対しては、及第点を必ずしももらっていない。何故ならばある問題については官僚に牛耳られ、彼らの考え方に動かされてしまうことが、少なからずあったからである。よって我々政治家は、もっと政策の勉強をし、それを実施する場合どういう影響が出るかについて、官僚以上に緻密に分析をして、そして政治なりに結論をえなければならないので、自民党本部において政務調査活動を強化してきた。従ってかっての官僚主導時代からは、かなり脱却して来ているといえる。そしてそれを実現できたのは3年数か月の野党時代があり、その反省があったからである。さらにもうひとつ、官僚が力を発揮するところは、どこかと言えば「規制」である。いくつか規制をつくり、そのことで官僚自身が、みずからの権限拡大のために仕事をつくっていくことが問題である。規制改革をすることは、官僚が必要以上の力を持つことを防ぐことに繋がるのである。民主党政権時代にいわゆる事業仕分けを行い官僚からの脱却を目指され、当時我々は批判をしたが、これもひとつの方法であろう。然しそれをやり過ぎると政治家自身が予算を編成しなければならなくなる。官僚の方がよく勉強しているので、官民が協力して行うことが大切である。

4.政党綱領について
「安廣コーディネーター」
  政党は政治理念に基づいて結党されるが、民主党は政党綱領を有しているか?
「長妻議員」
  マスコミではないと言われているが、綱領は結党のときからある。ただ更新はしていなかったので、去年激論をして改定した。そこには目指す社会像と国家像が示されている。又ホームページにも公開されている。

5.会場参加者との質疑応答
「質問1」
  「頑張った人が報われる社会」というが、どんなに頑張っても報われない人がいることに対してどう考えるか?
「回 答」
「船田議員」
  頑張れば必ず報われる仕組みをつくらねばならない。機会と結果の平等のうち機会の平等は是非実現しなければならない。然し結果の平等はある程度認めなければならないが、余り求めてはいけない。
「長妻議員」
  頑張ろうとしても、集中出来ず頑張れない人もいる。従って頑張ってない人は駄目で、頑張る人だけを助けるというのは、よくよく考えねばならない。金銭的に成功した人は、努力によるのか、運によるのかの世論調査がよくあるが、米国では努力、スエーデンでは運との答えが多い。所得再分配政策も北欧は進んでいるが、米国は進んでいないことと関係があるのではないか。

「質問2」
  テロは力で抑えれば抑える程拡散していく。テロの温床である格差を無くすための努力が必要ではないか
「回 答」
「船田議員」
  テロを力で抑えると、恨みには恨みが伴うので、その連鎖を断ち切らねばならない。ハンチントンの「文明の衝突」では宗教と文化の違いで対立が起こると予言したが、その対立は知恵によって解決されねばならない。米国は現状ではテロの温床に対して、力によって戦わざるをえないが、やはり力には限界があり、お互いの文化と宗教の違いを乗り越え、格差をなくす努力が必要である。
「長妻議員」
  アルカイダのテロ組織に応募する人は格差が激しい国・地域程多いと言われている。一定程度の生活が出来て、しかも富を一部の人に集中させないことが根本治療につながる。国際社会もイスタンブール宣言などで格差を是正することこそが、世界の安定につながるとの認識である。イラクの6万人の武装兵士の職業訓練と就職紹介をしている日本人女性に会ったが、彼らは生活出来ないから兵士になっているとの話を聞いた。力と力の対決では軍事費がいくらあっても足りず愚の骨頂である。

「質問3」
  1億総中流の時代に格差という概念は余り聞かなかったが、今や格差社会と言われている。格差は平均賃金に対して、例えば標準偏差σの正規分布が拡がったからなのか、失業率、生活保護所帯の数なのか、格差という言葉が歩き始めているが、格差を客観的数値で評価するべきであるが如何?
「回 答」
「船田議員」
  私の場合の格差は客観的と言うよりも、多少主観的であり、時代とともに変わっていくものであると考える。具体的には賃金と全所得と財産の三つについてとなるが、低い人がそれでよいと思うならば格差の問題は生じない。又貧困家庭であるうえに教育出来ない場合は格差が再生産される。一方社会的に見てそれぞれの格差が容認できないときに格差となるのではないか。
「長妻議員」
  国際社会では格差をジニ係数(所得や資産の分布の不平等度を表す指標の一。係数は 0 と 1 の間の値で示され,完全に平等なとき最小値 0 をとり,不平等度が大きいほど 1 に近づく)と相対的貧困率で測る。貧困率には相対的貧困率と絶対的貧困率があるが、国際的には絶対的貧困率は一人当たりGDPの値となり、世界では1万ドルを超えるとある程度豊かな国であり、日本は4万ドルあるので、絶対的貧困の国ではない。然し国の中では相対的貧困率で測る。それは可処分所得の平均値の半分に満たない人の割合で示し、日本は15%を超えて米国に次いで2位の悪さである。特にひどいのはひとり親の家庭である。又資産の格差の数値は測定されていないが、第二次世界大戦で資産はすべて破壊されたので、終戦直後はほとんど差がなかったが、この70年で積み上がり、所得格差より拡大しているのではないか。又日本の所得再分配機能は低下しており、所得上位10%の人達の払っている税金のシェアーは同じ10%である。尚所得だけでなく能力の格差、健康格差の概念がある。

6.総合司会 町田正三氏の総括
  本日のシンポジウムは「格差」の問題がひとつのメインテーマだった。確かに格差は政治において大切な問題であるが、それは金銭・物質の充実の問題である。然しもうひとつ大切なことは「心の安らぎと充実」である。「苦しむ者は幸いなり」と私は父から教えられてきた。家庭、学校においても、又政治においてもこの「心の安らぎと充実」を大切にしなければならない。武藤山治こそは、つねに心が充実して「人のためにある人」だった。鐘紡において従業員の福利厚生施設を充実させながらも、日本一の会社に仕上げ、「女工哀史」で有名な細井多喜蔵をして素晴らしいと絶賛させた。それは「人を生かし、そこに生きるエネルギーをつぎ込んだ」からである。 さらに第一次世界大戦で国のために戦死された人のために、実業人でありながら政治に働きかけ軍人救護法を成立させ、さらに時事新報社の社長として経営を立て直すが、マスコミはかくあるべきと、「社会の不正を糺し、正義に殉じた」のであった。

文責

公益社団法人國民會館


  

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