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武藤記念講座(講演会事業)

第1003回武藤記念講座要旨

  2015年6月6日(土)
  於東京・六本木 「国際文化会館」
  埼玉大学名誉教授 長谷川三千子氏
  「憲法改正と戦後レジームの克服」 

セミナー


ポツダム宣言の受諾は、戦後70年を迎えるのに未だ解消されない「ねじれた戦後レジーム」の元凶であると、日本国への厚い心で然し学問的に冷徹に講演される
長谷川三千子先生


第一章「戦後レジームの呪縛 」
第1節「戦後レジームのねじれ」
  第一次安倍内閣のスローガン「戦後レジームからの脱却」の中で初めて使われた「戦後レジーム」とは、第二次大戦での日本の降伏後、GHQの許で出来上がった日本国憲法を頂点とした、内政・外交・安全保障などの基本的枠組みである。然し、いきなりレジームという耳なれないカタカナ語が使われたうえに、矢継早の諸政策のなかに埋もれてしまい、はっきりしないまま安倍政権は幕を閉じたのであった。5年後に第二次安倍内閣が発足したが、「デフレからの脱却」に政策の重点が置かれ、「戦後レジームの克服」という精神面のスローガンは、今までのところ表立って使われていないのが実情で ある。然し、決してその政策が取り下げられたのではなく、如何にこの課題の解決が難しいものであるかを示しており、「戦後レジーム」は、表に出ない我々の内で、深く厄介な根を張った問題となっている。


第2節「戦後レジームと連動している日本国憲法のねじれ」
  「戦後レジーム」は厳密にいうと、1945年の終戦時ではなく、1952年のサンフランシスコ条約により軍事占領が解かれた時から始まるが、1947年に公布された「日本国憲法」と連動している。我々は、国により時代によって色々な体制の下で暮らしている。然し、フランス革命前の旧秩序を意味するアンシャン・レジームの如く、旧体制は、それを壊したあとに振り返って、初めて気が付くものであり、我々のいる現在の社会の空気、その在り方そのものについて、自身でとらえるのは一般的には難しいものである。
  日本国憲法は、制定以来一字一句も変えられていないという点において、世界最古の憲法と言われているが、その日本国憲法を改正しようとする動きが出てきている。然し何をどう変えたらよいのか、まだ与党自民党の中でも意見がバラバラである。即ち「戦後レジーム」の克服を目指そう、と言うときに、我々はそれをどのような形をしたものと考えるのか?実はそれは極めて入り組んだ、「ねじれ」そのものの形をしているのである。そして、それがまさに日本国憲法の形であり、それを解明することが、憲法改正、戦後レジームの克服への第一歩である。その為には、現憲法の形と本質をしっかり見極め、ねじれの大本を除去しなければならない。即ち憲法はこんな形をしており、こんなにおかしいと、誰の目からも見えるようにしなければならない。
  然し、日本国憲法の制定過程の事情を調べれば調べる程、それは日米合作であり、何をやっているのかと情けなく思う位、米国の言うことを唯唯諾諾と聞き、あれをせよ、これをせよと言われればその通りに行い、うそで塗り固められて制定されたものであることが明確になったのである。当時の政治のトップとしては、一億の民を飢えさせないために致し方なかった面もあるにせよ、入り組んだ複雑な事情を知り、私は鬱々と気が滅入ってしまったのであった。


第3節「ポツダム宣言が戦後レジームの原点」
  そのような時、2週間程前に国会で党首討論が行われ、その中で共産党の志位委員長が安倍首相に対して、ポツダム宣言こそが、我国の「戦後民主主義の大事な原点」であると、まるで五箇条のご誓文を持ち出したかのように、論戦を挑んだのであった。志位委員長は、「ポツダム宣言が援用しているカイロ宣言では、連合国は第二次世界大戦を、日本の「侵略」を処罰するために戦った正義の戦いと宣言している。即ち日本を侵略国家として無条件降伏を迫り、日本は「悪い戦争」、連合国は「正しい戦争」をしたことを認めて、ポツダム宣言を受諾したことを否定するのか」と質問したのである。
  朝日新聞は志位委員長が勝ったと論評したが、私は志位さんの意見と全く違う意見であり、戦後レジームのねじれの原点をポツダム宣言から見つけていきたい。そのためには我々の戦後レジームを大きく支配しているポツダム宣言の正しい実像をこそ、知らねばならない。即ち同宣言は力の誇示、皆殺しの脅迫が本質であり、日本国民に対してあなた達は殺さないと甘言し、さらに天皇制を否定しないなどの、相反する要素がからまりあった「ねじれ」となっている。
  (國民會館注釈)安倍首相は、志位委員長に対し、ポツダム宣言を肯定する答弁をしたら日本を侵略国と認めることになり、それでは自らの歴史認識に反する。他方、ポツダム宣言が間違っていると言えば、戦後国際秩序の基本を否定し、米・英・ロ・中をはじめとする旧連合国を敵にする外交上の失言になる。そこで首相は、窮余の策として「つまびらかに読んだことはない」と答えたのであろう。


第二章「戦後レジームの原点、「ポツダム宣言」を読み解く (原文出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊) 」
第1節「力の威圧的誇示、軍国主義者の糾弾、及び脅迫的最後通牒(一条から六条)」
   第一条 吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及グレート・ブリテン国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
    現代語訳:我々(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
  解説 皆殺しにしてもいいのだが、ギブアップすれば、命は助けてやるとの雰囲気が冒頭の第一条から漂っている。さらに数億人の国民を代表するとの、表現の意味するところは、連合国はこの第二次大戦を「民主主義国家対ファシズム・ナチズムの戦い」の図式としてとらえ、何を語るにも我々は、国民の総意に基づき、又は自由なる人民の名によると主張しているのである。

  第二条 合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
  現代語訳:3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により、支持され且つ鼓舞される。
  解説 ポツダム宣言の面目躍如たるところである。即ち戦争を遂行するとの原語は「prosecute」でありそれは、犯罪者に対して刑を執行すると言う意味である。又同じくドイツとの戦いに勝利したヨーロッパ戦線の戦力を、東アジア戦線に投入するので、これまでの数倍の戦力でお前たちを叩き潰しにかかる、との力の誇示そのものである。

  第三条 蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スルドイツ国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スルナチスニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全ドイツ国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
  現代語訳:世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。
  解説 日本は、ドイツのように無条件降伏(unconditional surrender)したのではないが、それに近い降伏をねらうものであり、ルーズベルトは脅迫観念(obsession)に近いほどに、それにとりつかれていた。そして、宣言11日前の7月15日にはニューメキシコで原子爆弾(ファットマン)の実験に成功していたことが、この恐ろしい脅迫の背景にあった。いわば無駄な抵抗は止めろ、との意味も込められている。

  第四条 無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
  現代語訳:日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
  解説 ここでこれまでと論調が変るが、降伏をしたら未来があるとの論調が通常、降伏を勧告する際の定型である。即ち降伏を速やかに促すひとつの有効な方法は、その国の国民が一番大切にしている価値が損なわれないことであると、米国のある学者が云っている。そして日本が降伏をするに際し、大切な価値とは、国体の護持であり、天皇陛下のご一身を守ることであった。軍国主義的助言者とは誰か、それは内閣を輔弼(天皇を補佐すること)する人達のことであり、罪を(味方にしようとする)国民でなく、助言者にかぶせているのである。

  第五条 吾等ノ条件ハ下ノ如シ、吾等ハ下条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス 
  現代語訳:.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
  解説 他に代わるべき選択肢はない(no-alternatives)との厳しい書き方であるが、無条件降伏ではない。然し外交文書であるから、これに従わねばならないことは、憲法学者の通説である。

  第六条 吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス 
  現代語訳: 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な「軍国主義」が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
  解説 「新秩序」の意味は多様である。即ち、日本が大東亜戦争を戦った大義が東亜の新秩序であるが、具体的には当時の東南・南西アジアはすべて欧米諸国の植民地になっており、その植民地を開放してアジアの自立独立を勝ち取ることであった。然しポツダム宣言では、それをひっくり返して、欧米諸国がつくるアジアの秩序を新秩序と論じたのである。憲法第9条の冒頭の「我らは正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の言葉は、連合国と一緒に作ったものではあるが、いつの時代にも通用する条文ではある。然し連合国は、この条文により、自身がつくるアジアの新秩序を意図していたのではないかと思われる。又日本全体を敵にしていない、ターゲットにしているのは国民ではなく、政府の中枢の軍国主義者である、と言っているのである。然し志位委員長はここで、戦争中の敵国同士が当然行う、言葉のぶつけ合いを真正面から受けて、我々日本が悪かったので、ポツダム宣言を受諾したと言っているのである。日本が何故、のまざるをえなかったかは、最後の条で明らかになる。然しこの6条は単なる力の誇示ではなく、皆殺しはしないが、国民たちは助けてやってもよいとの、いわばいやらしい力の誇示、かつ日本の断罪、自分たちの正義の誇示がいっしょに織り込まれている。

第2節「占領政策、領土縮小、武装解除、民主化、及び経済復興」(七条から十二条)」
  第七条 右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
  現代語訳:第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。

  解説 武力で日本の領土を支配下に置くことを宣言している。

  第八条 カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
  現代語訳:カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
  解説 1914年以前の領土に戻すべきとの、領土に関する条項であるが、前述の通り、志位委員長は、援用されているカイロ宣言において、連合国が日本の「侵略」を処罰するために戦った正義の戦いであったと宣言していることが、極めて大事であると、拡大解釈しているのである。

  第九条 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
  現代語訳:.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。
  解説 簡単に書いてあるが、普通の戦争において、このようなことが実現されるのは難しい。然し日本は海外を含むすべての戦線から完全に平和的に撤退したのであった。これ自体は素晴らしいことである。然し連合国は、軍事占領されたある程度の抵抗に対して戦わねばならないと、緻密な計算を練って軍事モードで身構えていたのに、日本人は完全に停戦を順守したことは、逆に戦後レジームからの逃げ難さを作り、裏目に出た側面もあると言えるのである。

  第十条 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

  現代語訳:我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
  解説 民主主義的傾向の復活強化とあるは、大日本帝国憲法において、すでに民主主義が確立されていたことを前提としている(明治憲法起草者の一人金子堅太郎を欧米各国に1年間派遣して、同憲法が立憲君主国の憲法として申し分ないとの高い評価をえている)。言論、宗教及思想の自由等大日本帝国憲法で、基本的人権は確立されていたことを示している。然し同憲法下では抽象的な宣言でなく、きちんとした法律に落とし込んで初めて、それが実際的に確保されるとの考え方に基づいていた。従って、政府首脳はポツダム宣言を受諾しても、帝国憲法を改正する必要はないと考えていた。

  第十一条 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
  現代語訳:日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
  解説 軍備に繋がる例えば航空機の製造は制限されたが、一般産業については緩やかな制限になっていた。ここには第一次世界大戦の苦い経験が生きているのである。第一次大戦において、悪名高き非常に過酷なドイツへの戦後賠償(一説によると当時の可能であるドイツ経済力の10倍にのぼる)がドイツ経済を壊滅状態に陥れ、社会の混乱を招き、その中からナチス率いる国家社会主義政党の台頭を許したとの反省に立つものであった。

  第十二条 前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ 
  現代語訳:日本国国民が自由に表明した意思による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
  解説 占領軍撤収に関しては、緩やかな条件となっている。然し約束通り平和的にして責任ある政府が樹立されたので、占領は2年で済んだ筈だが、足掛け7年間にも及んでしまったのである。然し大切な箇所は日本国国民の自由に表明する意思に従い政府が樹立されるとの文言である。然しこれは日本国民が望まない「政体」はとらなくてもよい、占領者は政体を押付けないという意味である。この条項があったからこそご聖断のあと、時の政府はポツダム宣言を受諾したのである。然し東京大学の宮沢俊義教授は、国民が自由に表明した意思とあるのは、ポツダム宣言受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行し、日本国憲法は、新たに主権者となった国民が制定したと考える、いわゆる「8月革命説」を唱えた。然し実は同教授はポツダム宣言の受諾後に法制局に、憲法改正の必要があるかと問われ、その必要はないと答えていたのであった。


第3節「戦力の不保持へ繋がった全日本軍の即時無条件降伏(十三条)」
  第十三条 吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
  現代語訳:我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。
  解説 本条がポツダム宣言の本質である。悪い戦争と認めることは(勿論現代においてこのようなことは許されないのであるが)、例えとして、取調室で容疑者が、ピストルを突き付けられて、罪を認めれば殺さない、認めないならば殺すぞと言われ、自白を迫られたようなものである。即ち、いい戦争にあたるか、悪い戦争にあたるかをそのように迫られた場合、悪い戦争であったと言わざるを得ないのである。志位委員長はこのように強制された自白であることを考慮に入れず、日本が悪い戦争をしたと発言したのである。
  然しこういう構造があったからこそ、日本国憲法9条第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」との主権のある独立国家ならば、およそ絶対ありえないことが、いまだに独立国である日本に存在しているのである。これが存続する条件は、ひとつは日本が本当に悪者国家であり、すべての武器が奪い去られたならば、世界は平安となる場合か、もうひとつは日本が軍事空白地域になると、世界平和にとり危険な要素になるので、従前の軍備のバックアップが独立後の日本にも存続しなければならない場合である。これはまさに沖縄である。沖縄は日本に間接統治されていた間も軍事占領されていたし、今もなお米軍基地により守られているが、沖縄の犠牲のうえに、9条2項は成り立っていると言えるのではないか。過日、沖縄の知事が米国に辺野古移設反対を直訴したが、直訴すべきは「米国の脅迫により9条2項の規定を作らされ、沖縄は基地で苦しんできた。あなた達が9条2項を作ったのであるから、あなた達が取り払って下さい」と言うのが本来その理屈であろう。勿論知事は口が裂けてもそのようなことは言わないし、我々も期待するものではないが。
  然しことほど左様に、戦後レジームのねじれが、ポツダム宣言の原点に埋め込まれているのである。志位発言は一石を投じてくれたので、ぜひポツダム宣言を読もうではないか。そして、そこからどうやったら、こんがらかった体制を解きほぐしていけるかを、考えていかねばならない。


第三章「質疑応答」
「質問1」

  朝日新聞は5月の憲法記念日に、なぜ馴染んで来た憲法を変えるのかの論説とともに、新憲法が出来たときに皇居前広場で、一万人が集まって大歓迎し、特に漆黒の封建的社会にいた女性達は、憲法により基本的人権を付与されて、輝く顔をして心から歓迎していたと報道していたが、その記事は徹底的に検閲されて書かされていることをどう考えるか?

「回 答」  

  終戦の翌月の9月から厳重な検閲体制が敷かれていた。日本国憲法には天皇が法律を公布する際の上諭(じょうゆ)がついており、帝国憲法の改正手続きにより、日本国憲法が公布されたので、法的連続性は確保されている。さて日本国憲法第一条に「天皇陛下は日本国民統合の象徴」とあるのは正しい規定である。その通りに、終戦後天皇はどこへ行幸されても、国民から熱狂的歓迎を受けたのである。然しそのような正しい規定だけでなく、日本国憲法には日本政府の原案だけでなく、GHQの原案が入っており、色々な嘘と真が入り混じっているところが、非常に厄介なところである。然し嘘と真が破綻して、そしてその条項があれば主権国家の憲法として成り立たない第9条2項だけでも、きちんと改正するべきである。即ち必ずしも朝日新聞だけが、ねじ曲っているのではないところが、厄介なところである。

「質問2」

  旧軍隊ならば、このようなねじれに対して、クーデターに訴えたかもしれないが、現在では考えられないか?

「回 答」  

  自衛隊員だった作家の浅田次郎氏は、三島由紀夫に心酔して作家になるため自衛隊をやめようと、上司に相談した。彼は非常に優秀だったので「馬鹿言え、残れ」と言われ、直立不動で起立するとビンタを張られたが、「自分が悪かったであります」と、思わず言ってしまったそうだが、自衛隊の体質を表しているのではないか?

「質問3」  

  (意見)自衛隊は平和の中にどっぷりつかり、訓練では実弾を撃っても、戦闘行為を行ったことがない、戦死者も出ていない。そしてほとんどの隊員は、戦争は起きないと思っている。戦争が起これば又は起こりそうならば、依願退職をする人が多いのではないか。又自衛隊は利潤追求をする組織ではないので、5時になったらすぐ帰宅する。然し有事に備え、平時は人材教育を重視し、訓練・訓練、教育・教育で頑張っている。そのような中で国際貢献は外国の軍隊と一緒に仕事をするいい経験であり、意識を改めるために大変役に立っている。

「質問4」  

  先生の言われたように憲法9条2項は改正すべきであるが、さらに私は前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」も改正すべきと考える。又衆議院憲法審査会に参考人として出席した三人の憲法学者が安保法制について三人とも違憲との判断を示したが、特に自民党は、なぜ長谷部教授を呼んだのか?長谷川先生にこそ国会で意見を開陳して欲しかった。

「回 答」

  なぜ百地教授を呼ばなかったのかと思う。長谷部教授は憲法学者としてきちんとした仕事をされており、彼は安保法制を整備するのなら、きちんと9条を改正すべきとの正論を、言いたかったのではないか。憲法前文については公正と信義に「信頼」してではなく、公正と信義を「指導」するとするべきである。日本が世界の公正と信義を「指導」するとの意味である。村山談話でただ一つよい言葉は「信無くば立たず」である。これは私の信念でもある。又総理が70年談話を出されるとすれば、私は中国大陸から学んだ、「仁政」と「王道」の東アジアが共有する政治道徳の伝統を、過去はともかく、これからの世界の道標として、中国と共に掲げていくとしたらよいのではないか。憲法前文もアジア発で「信を広める」でよいのではないか。

「質問5」  

  今のメディアは偏向しており、かつ出鱈目であり、社会を変えるには、メディアを正しく変えることが必要ではないかとの質問に対して、メディアが悪いのではない、大衆がメディアに乗っかっているだけであると、シンクタンク独立総合研究所の青山繁晴氏が答えていた。さらに同氏は教育こそ大切であると持論を展開されたが、戦後レジームを変えるには、憲法9条2項も大切だが、教育改革こそが原点と思うが如何?

「回 答」

  勿論その通りである。教育をよくするには、教科書をよくすることも大事であるが、それだけでは駄目である。教育もマスコミと同じく社会に乗っかっているところがある。つまり、日本全体の空気に乗っかって、先生達も「日本が悪かった」と教室で言わないと、いけないような気分になっているのである。それには日本人が、理屈にかなった話だけを、きちんとしようとすることが大切である。理屈にかなった話を大人たちが、ありとあらゆるところでしていると、自然に学校の先生も理屈を通さないと、生徒たちからおかしいと言われるので、理屈を通すようになるので、そういう世の中に、していかないといけない。

「質問6」  

  ヤルタ会談にはスターリンが来ていたのに、ポツダム会談にはなぜ参加していなかったのか。

「回 答」

  ポツダム宣言がなされた7月26日にはまだ日ソ中立条約が生きていたが、ソ連は8月9日になってこの条約を破棄して、ソ満国境を越えたのであった。尚連合国が日本を占領するに当たり、日本を管理するため設け、ソ連もメンバーだった極東委員会の存在が、米国に日本国憲法の制定を急がせ、わずか一週間で憲法草案を仕上げたことは、ソ連も戦後レジームに複雑な影響を与えたことになる。即ちソ連が憲法制定に手を突っ込んで来る恐れがなかったら、もう少し日本の自主性を生かした本格的帝国憲法の改正が可能だったかもしれない。

「質問7」  

  米国憲法の改正手続きはその発議に対して上下両院の3分の2以上の賛成が必要であり、さらにアメリカ全州の4分の3以上の州議会が、この発議について賛成が必要である。日本よりその要件は厳しいのに、それでも改正は幾度となく行われてきたが、日本国憲法が70年間も改正されなかった理由は何か?

「回 答」

  米国憲法の改正要件は厳しく、700回の発議がなされ27回の改正が行われただけである。然し日本国憲法の発議はまだ一度もなされていない。なぜこのようなひどい憲法が、70年間改正の発議自体もされなかったのか。日本国憲法の内容が余りにひどいので、憲法改正の本格的審議を始めると、日本全体がパニックになるかもしれない。心理学者に言わせれば、そういうことが暗黙のうちに分かっている場合、誰も言いだせないそうである。私の個人的仮説であるが。

「質問8」  

  圧倒的に長期間多数を占めてきた自民党は憲法改正を怠り、平気で国民を裏切っている。その自民党に、相も変わらず投票する国民も、思想信条がはっきりしていない。憲法改正にはチャレンジするべきである。私は環境権を一項入れてもよいと思うが、現在問題になっている集団的自衛権については、国連憲章が規定する集団的自衛権の意味と違うのではないか。やはり信頼できるのは米国であるので、自衛権を米国との二国間の関係できちっとするべきである。そのためには、日本軍の指揮権をはっきりさせ、日本人がコントロールして、戦前の経験から、条件付で軍人が独り歩きしないようにしなければならない。そしてそれを憲法に明示的に書き込まねばならない。然し安倍さんのステイトメントは米国迎合型であり、US-JAPANでなくJAPAN-USではないか。自衛隊の使い方も向こうに合わせた使い方では駄目である。

「回 答」

  軍隊を持たない憲法であるのに、おもしろいことに文民条項だけはある。圧倒的に長い期間自民党が政権与党だったので、自民党にも戦後レジームの責任はある。又米国の傘ないし核が日本を守ってきたことは確かであり、これも戦後レジームとなっている。軍事技術についても米国に頼りきりになっている。以って、日本人が苦手とする長期戦略を大胆な発想で描き、物心両面にわたる緻密な努力を底辺からも積み重ねていかないと、戦後レジームからの脱出はできないのではないか。




文責

公益社団法人國民會館


  

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