ホーム > 武藤記念講座(講演会事業)>作曲家 吉田 進氏 >「カルメンという名の女」  

武藤記念講座(講演会事業)

第1010回武藤記念講座要旨

    2015年11月14日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    作曲家  吉田 進氏
 「カルメンという名の女」 

セミナー





第一章(序説)カルメンへの誘い

第1節「世界で一番人気のオペラ」
  カルメンは1875年フランスの作曲家ビゼーが作曲したオペラであり、舞台はスペインである。自由奔放なジプシー女性カルメンとセビリア駐屯の衛兵伍長ドン・ホセは恋仲になるが、恋多きカルメンは闘牛士に恋し、嫉妬に狂ったドン・ホセに殺されるというストーリーである。カルメンは世界中で知らない人がいない位に誰からも知られ、現在世界で一番上演回数が多いオペラとして余りにも有名である。又オペラに発して劇映画や音楽、バレエ等さまざまな形にアレンジされている。
  映画では1982年ヌーベルバーグのゴダール監督の「カルメンという女」がある。銀行強盗の一味であるカルメンは、銀行の警備員ドン・ホセと相対するが、一目ぼれして一緒に逃亡するというストーリーであるが、流された曲はビゼーの曲ではなく、ベートーベンの弦楽四重奏曲である。又日本でも1951年の木下惠介監督による本邦初の総天然色映画「カルメン故郷へ帰る」は、都会で自由奔放にカルメンリリーの芸名で踊り子をしている高峰秀子が、浅間山の麓の故郷に帰ってきて村人達をびっくりさせる映画であるが、バックに流れた曲はシューベルトだった。
  音楽でもさまざまな形で使われている。まず20世紀を代表するバイオリニスト、ハイフェッツのためにフランツ・ワックスマンが作曲した「カルメン幻想曲」、幻のピアニスト、ホロヴィッツが作曲した「カルメン変奏曲」、さらにジャズ風にアレンジされたビゼーの原曲にオスカー・ハマースタイン二世が作詞したミュージカル「カルメン・ジョーンズ」は原作のストーリーを第二次世界大戦中のアメリカ南部の黒人社会に置き換えた作品である。

第2節「大衆的大成功の理由」
  それではカルメンは、何故大衆的な大成功を収めたのか。その理由は第一に、通常オペラのハイライトであるアリアは、登場人物のその時の感情を表現するため複雑な独唱曲が多いが、カルメンは、オペラの外にすでに存在しているはやり唄や民謡など、だれでも気軽に口ずさめる、シンプルで親しみやすい曲が、主体となっているからである。第二に曲の組み立て方が巧みで、分かりやすくかつドラマチックであること、第三に人間の感情の移ろいを実に巧みにとらえていることである。以上の三つに加えて、カルメンはジプシー女性であり、舞台はスペインであることからメロディーが異国情緒に富んでいることも、その理由に上げられるだろう。フランスとスペインの間にあるピレネー山脈を越えると、そこはアフリカであるとの表現があるが、実際、スペインはその昔アラブに支配されていたし、ジブラルタル海峡を挟んでヨーロッパではアフリカに最も近く、ヨーロッパであるが異国であると言われていたのである。

第3節「オペラの生い立ち」
  カルメンの原作は、1845年フランスの作家プロスペール・メリメの実話を基にしたと言われる小説であり、原作は今も文庫本で読むことができる。その後アレヴィとメイラックの共同執筆による台本で、ビゼーによりオペラ化されたのは、それから30年後の1875年であった。然し初演の初日はオペラ史上名高い大失敗であった。それは当時のオペラ界では、カルメンのような自由奔放で暴力的かつ、反社会的な女性が、オペラの主人公になることに聴衆はついていけなかったからであろう。ビゼーは初演の3カ月後に36歳の若さでこの世を去った。彼は初演の失敗に失望して死んだのではないかと言われるが、それは俗説で、その後客足は増えて、初演は成功裏に終わったのであった。尚カルメンのオペラのジャンルは「オペラ・コミック」と呼ばれ、それは(通常のオペラのように、言葉の内容を聞かせることに重点を置いてメロディーに変化を持たせず語るように歌う「レチタティーヴォ(叙唱)」ではなく)、台詞(せりふ)と歌が交互に語られ歌われるものであったが、その後台詞部分もメロディー化して全部歌われるようになったのである。尚コミックがつくが、最も有名なオペラ・コミックであるカルメンは、悲劇である。

第二章「(本論)カルメンの物語と曲の鑑賞」

(1)前奏曲(カルロス・クライバー指揮ウィーン歌劇場でのウィーンフィルハーモニー公演より)
  幕があがる前のオーケストラによる「前奏曲」は三つの曲よりなる。最初は、闘牛場の華やかな興奮的気分の「行進曲」、次に闘牛場の主役である「闘牛士の歌、トレアドール(馬に乗った闘牛士の意味)」、再び「行進曲」にかえり、最後は全曲を通じて繰り返し流される、カルメンとホセの悲劇的結末を予感させる「宿命の主題」である。

「第一幕」
  (2)「ハバネラ」(バレンボイム指揮ミラノ・スカラ座公演より)
  幕があがると、スペイン南部の町セビリアに駐屯する衛兵達と伍長ホセ、昼休みに近くのタバコ工場から出て来た女工たちの中にジプシー女のカルメン、二人の主役が広場に登場する。そしてカルメンに兵隊の男たちが言い寄ると、彼女は「恋というものは野放しの小鳥、手なづけて馴らすことは出来ぬもの。脅してもなびかぬ、口説いてもきかぬ。私が思う人は他にいる、かわいやその人。恋は気ままもの、だれの言うこともきかぬ。そちらがお厭でもこちらは大好き、そちらがお厭でも構わない。好かれたらご用心。」と有名な「ハバネラ」を歌う。このメロディーはスペイン民謡に昔からあった曲に、ビゼーが手を入れたもので、誰でも口ずさめるシンプルな曲である。然し同時にその歌詞はオペラの結末を暗示しているのである。
  (3)「母は子をいつも思うと伝えて」(仏声楽家 アンドレア・ギヨーの歌)
  カルメンに魅力を感じていくホセに、彼の母親の伝言の手紙を言付かった純真可憐な村娘ミカエラが登場する。但しこのシーンはメリメの原作にはなく、オペラのためにつくられたものである。然しこの設定は極めて重要である。即ち自由奔放、利己的な女性であるカルメンと対照的に、息子や夫を慈しみ愛に満ちた母親、そしてその母親の代わりの母性を、ミカエラが演じているからである。南国の太陽のように明るく愛に満ちたアンドレア・ギヨーを超える歌声を聞いたことはなく、私が一番好きな歌声である。
  (4)「フラメンコ版カルメン」(カルロス・サウラ監督の映画「カルメン」より)
  ジプシー女のカルメンはフラメンコと切り離せないが、タバコ工場から飛び出して来た女工どうしがカルメン派とマヌエリータ派の二組に分かれてフラメンコを踊りながら喧嘩するが、カルメンはマヌエリータをナイフで傷つけてしまう。
  (5)「カルメンとホセのセギディリアの二重唱(パリ、オペラ・コミック座でのガーディナー指揮の公演より)
  刃傷で逮捕されたカルメンはホセに連行されていく。その道中カルメンはホセを誘惑しようとするが、「俺に話しかけるな」と言われたので、カルメンは鼻歌で「私の好きな士官は、大尉でも中尉でもなく、ただの伍長であるが、ジプシー女には十分」と歌う。その歌はスペイン南部の三拍子の舞曲であるセギディリアの曲で、これもすでに外にある曲である。然しホセは、誘惑に心をかき乱されて、カルメンを逃がしてしまう。

「第二幕」
  (6)「闘牛士の歌」(同上)
  町はずれの酒場、カルメンとその密輸業者の仲間たちが酒を飲んで談笑している。そこへ人気者の闘牛士エスカミーリョが登場、カルメンは一目ぼれしてしまう。のちにエスカミーリョがホセの恋敵となる重要な場面である。闘牛士の歌「闘牛士よ、牛と闘いながらも、黒い瞳がお前を見つめる、恋がお前を待っていることを思い浮かべろ」は、闘牛の試合と恋愛が結びつけられており、最終の第四幕での闘牛場の闘牛と、その前の広場で同時に恋愛が進行することの伏線になるよう工夫されている。
  (7)「カスタネットの踊り」(カルロス・クライバー指揮ウィーン歌劇場でのウィーンフィルハーモニー公演より」
  客が皆帰ったあとに、カルメンを逃がしたかどで、牢屋に入っていたホセが釈放されて、酒場にやってくる。そこでカルメンはホセ一人だけのために、カスタネットの曲を歌いながら踊り始め、ホセはそれに見惚れていたが、その時門限を知らせる帰営のラッパが鳴ったので、ホセは「帰らねば」とカルメンに告げた。然しカルメンは折角あなたのために踊っているのにと激怒する。ここで注目しなければならないのは、誘惑のカスタネットと帰営の義務のラッパの音色が同時に響き、ジレンマ、対立が音楽そのもので描かれていることである。まさに冒頭に述べた通り、曲の組み立て方からドラマが生まれているのである。けだしドラマチックであることは必ずしも激しい音楽であることは必要ないのである。カルメンと言い争いのあと、ホセは帰営しようとするが、そこへ衛兵隊長がカルメンに会いに現れ、嫉妬に狂ったホセは剣を抜いて上司と決闘になる。カルメンの叫び声を聞いて出て来たジプシー達に取り押さえられるが、ホセは軍職には戻れなくなり、カルメンとその密輸業者の仲間に入らざるをえなくなったのであった。

(8)間奏曲(カルロス・クライバー指揮ウィーン歌劇場でのウィーンフィルハーモニーとパリオペラ座のローラン・プティー振付によるバレエ公演から)
  とても美しい曲である。ビゼーが劇音楽「アルルの女」のために書いたものを転用したとよくいわれるが、それは俗説でその証拠はない。それにしてもダイナミックで激しい曲が多いこのオペラの中で、何故聞いていてほっとするこの曲が流れるのであろうか?オペラは恋愛物語が多く、最後は悲劇に終わっても優しく愛情を交わす場面があるものだが、このカルメンではそれがない。そこでビゼーはオーケストラ演奏ではあるが、間奏曲でその場面をつくったのではないか。私はローラン・プティー振付のバレエ「カルメン」の「愛のパ・ド・ドゥ(二人のステップ)」を見て初めて分かったのであった。

「第三幕」
  山の中の淋しい場所で、カルメンをはじめとする密輸業者が休んでいる。カルメンとホセの仲は当然うまくいってない。ホセが見張りを命じられて立っていると、葉陰に人影を見つけ発砲する。それはカルメンに会いに来たエスカミーリョであり、二人は決闘となる。カルメン達が駆けつけて分けて入るが、エスカミーリョは闘牛場に一同を招待すると約束して去る。そこに岩陰にいたあの純真な村娘ミカエラがホセの母危篤を伝えた。母親思いのホセはミカエラと連れ立って下山するが、エスカミーリョとカルメンの仲を怪しみ、カルメンに必ず会うからと捨てぜりふを吐いて去ったのであった。

「第四幕」
  (9)「フィナーレ、カルメンとホセ・合唱」(カルロス・クライバー指揮ウィーン歌劇場でのウィーンフィルハーモニー公演より」
  1)舞台はセビリアの闘牛場の前の広場。今日は闘牛の日であり、エスカミーリョも観客も闘牛場の中に既に入っている。一方母親の葬儀を終えたであろうホセは、その広場でカルメンをなだめすかして「お前とよりを戻したい、二人でどこかで別の人生を始めよう」と懇願するのであった。それに対してカルメンはホセに「あなたが私を殺すことを知っている。でも私は譲歩しない。私は自由な人間として生まれたから、自由な人間として死にたい」と答えたのであった。そこでホセは「まだ間に合う、私にあなたを救わせてくれ、そうすれば俺も救われる」と懇願する。それはお前を殺さない、そして自分も人を殺す罪から救われると言う意味であり、まだカルメンを主にしているものであるが、カルメンはノーだった。そこでホセは「お前は俺をもう愛していないのだな」と二回繰り返し、二回目は強い調子で叫び、さらに「俺はお前を愛している」と感情の移ろいを巧みに表現したが、カルメンはノーだった。そして挙句の果てに、密輸の仕事でも何でもするので、別れないでくれと、面子も何もない自己放棄をしたが、それでも彼女はノーだった。以上は冒頭で述べた通り、人間の感情の移ろいを実に巧みにとらえているのである。
  2)その時、闘牛場の中から歓声とともに、あの行進曲が聞こえて来たのである。つまり闘牛場の中ではエスカミーリョと牛の命懸けの闘いが行われている一方、闘牛場の広場ではホセとカルメンの命懸けの恋の対決が行われていたのである。そして闘牛士の歌と悲劇的結末を予感させる広場に流れる二つの曲のやりとりの組み合わせにより異常なまでの緊張の高まりとなったのである。これも冒頭に述べた曲の組み立て方の妙である。
  3)ホセは「それではお前はあの男を愛しているのだな、お前が行ってしまったら俺の魂は救いを失ってしまう。あの男のところへは行かせないぞ、俺について来るのだ、もうお前を脅迫するのはうんざりだ、これが最後だ、悪魔め」と最後通牒を出したので、カルメンは昔もらった指輪を放り投げた。そしてホセは「地獄に落ちろ」と激昂してカルメンを刺し殺したのであった。その時、闘牛場からは、エスカミーリョが牛を射止めたのであろう、闘牛士の歌が聞こえて来たのであった。かくしてふたつのたたかいを重層的に表現して、劇的なフィナーレとなったのである。

第三章「(終章)カルメンという名の女とは」
  (1)さて、我々はオペラ「カルメン」に何故感動するのか、すでに述べたが、ドラマチックな曲の組み立て、
    親しみやすいメロディー、人間の感情の移ろいが巧みな旋律等の理由に加えて、ホセがそこまで追い詰めら
    れカルメンを殺したあとも、いとしのカルメンと抱き寄せたことのみならず、カルメンという女性が自分の
    生き方を貫くために死を受け入れたところに感動するのである。嘘つきで、暴力的で、反社会的であり、決
    して褒められた生き方をしているとは言えない女性であるが、死を受け入れる人間の尊厳の大きさが輝いて
    いるからである。そうでなければ、男が女を捨て、女が男を捨てる話はそこら中にころがっているのである。
  (2)メリメの原作は普遍的であり、カルメンには夫がいたなど、色々な解釈がなされている。カルメンは殺
    されるが、それは単純な話ではない。彼女にはトランプ占いをしても、自殺とまでは言わないにしろ、少な
    くとも自分が死ぬことを受け入れていたといえるふしがあるのである。日本では曽根崎心中、心中天網島な
    ど、心中は男に殺してもらうものであるが、カルメンはホセが逡巡して落としたナイフを拾って、殺しても
    らったという別のバージョンがある。
  (3)ホセは脱走兵であるし、ここでカルメンを殺したら死刑になることは間違いないが、キリスト教では自
    殺が禁じられているので、カルメンは殺してもらったのかもしれないが、二人の死はほとんど心中に近いと
    言ってもよいのではないか。いずれにしてもこの「オペラカルメン」は、クラシックのオペラファンからす
    れば、通俗的であると馬鹿にされている向きもあるが、とんでもない間違いで、よく読むと実に深い意味が
    込められているのである。




「 以上は、吉田氏の講演を國民會館が要約・編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものである。」



お問い合わせ

イベント情報や館内のご利用についてなど、お気軽にお問い合わせください。

※メールソフトが開きます

お問い合わせ