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武藤記念講座(講演会事業)

第1020回武藤記念講座(夏季青年特別講座)要旨

    2016年8月27日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    外交評論家
    石平氏

 「中華帝国の歴史と習近平政権の国際戦略」 

セミナー





序章 日中外交の最近の動向
  8月23日、中国の王毅外相が日中韓3カ国外相会談のため来日、意外なほど柔軟な姿勢で日本との関係改善を示した。最近まで習近平政権は日本に挑発的な行動を繰り返し、厳しい姿勢であったが、突然関係改善のポーズを示すことになった。これは9月4〜5日、中国杭州でのG20国際会議を、国家の威信をかけて成功させたいためである。中国の強引な覇権主義外交は世界の反発を招き、今中国は孤立している。この状況を打開するため、G20の議長国としてアジア外交の主導権を取り戻すことが習近平の狙いである。しかしこの国際会議で南シナ海問題が持ち出され、一斉に中国批判が始まると中国の面子は丸つぶれになる。あらゆる手段を使って南シナ海問題が出ないようにしなければならない。そのため今一番心配しているのが「安倍晋三」という存在です。安倍首相が中国批判の急先鋒になると、中国の起死回生のチャンスを潰されてしまう。つまり安倍首相の口を封じ込めるため、急遽外相を派遣し対日工作を行ったのです。G20の会議が注目されるところです。これが最近の日中外交の動きです。

第一章 中華思想の特質と中華帝国拡張の歴史
第1節 秦・漢時代から始まる「華夷秩序」と「膨張主義」
  南シナ海問題が国際問題となり、周辺国が反発する原因を考えるため「中華帝国の歴史」を振り返る必要がある。「中国5千年の歴史」と言うが、前半は帝国ではなかった。例えば、孔子・老子・孟子という哲学者が生まれた時代は帝国ではなかった。あの頃は春秋・戦国時代で大陸の中に様々な国があり、文明・文化にとって最も良い時代であった。中国の素晴らしい思想家、哲学者を輩出したのはこの時代である。
  しかし紀元前221年、秦の始皇帝が武力を持って中国大陸を初めて統一し大帝国を作った。「中華帝国」の歴史はここから始まる。ただし秦の始皇帝の時代は民衆の反乱により15年間で滅んでしまう。秦王朝に代わり再び中国を統一したのが漢帝国です。今の中国人が漢民族といわれ、文字が漢字といわれるのは漢帝国の名称が由来である。この漢帝国の対外政策がまさに「中華思想」にもとづく「華夷秩序」です。「華」は中国のことで真ん中の花、「夷」は中国周辺の野蛮民族、韓国人も日本人もみな野蛮人です。周辺民族が貢物をもって中国皇帝に臣下の礼をとる。漢帝国を中心とした「華夷秩序」がこの時代に出来上がった。しかし漢の武帝時代、周辺の国々が朝貢してくるだけでは満足できず、いきなり大軍を派遣、武力で相手を制圧し中国の一部に併合してしまった。先ず朝鮮半島を占領、4つの郡にした。ベトナムも完全に中国の一部にした。西域の新疆、ウイグルにも進出し土地を奪い、それまでの中国歴史上で最も大きな領土を作りあげた。「中華帝国」が完全に出来上がったのはこの武帝の時代です。今でも「民族の英雄」として誉め讃えられている。
第2節 唐王朝「羈縻政策」(きびせいさく)に見る覇権主義の特質
  中国では、漢の武帝が作りあげた大帝国を維持することが伝統となった。中国は「易姓革命」の国で、常に王朝交代の歴史であった。前漢、後漢、三国時代、南北朝時代をへて、再び中国を統一したのが隋王朝である。しかし隋王朝は、4回にわたる朝鮮征伐で高句麗に敗れ、長く続かなかった。その後中国を統一したのが唐王朝で周辺民族の支配政策に成功し約3百年続いた。それが「羈縻政策」です。周辺の国々を、馬や牛の手綱を取るやり方で統治したのです。周辺の国々のことを牛、馬同等と思っているということです。この政策により唐の時代は繁栄した。しかしこの時代、敢然と立ち向かったのが日本です。隋第2代皇帝煬帝の時、日本は大和朝廷推古帝の時代で、政治を司ったのは聖徳太子です。聖徳太子は隋の皇帝に「太陽の昇るところの天子から太陽が沈むところの天子へ」として国書を出しています。中華思想では天子というのは、世界で唯一中華帝国の皇帝しかいない。しかし日本の天皇を太陽が昇るところの天子と称し、まさに中華帝国に対し反逆したのです。独立国家として中華帝国と対等の立場を保ってきたのは、東アジアの中では唯一日本のみです。
第3節 歴代の王朝が受け継いだ「中華帝国」のDNA
  唐王朝が滅亡し宋の時代が始まる。北宋と南宋、特に南宋は文化が栄え、陶磁器や仏教の禅宗、雪舟の水墨画等が日本に入って来た時代です。しかし宋はモンゴル人のフビライに滅ぼされ、中国が外民族である野蛮民族により統治されたのが元の時代です。モンゴル人は朝鮮半島を渡り元寇として日本にも来襲しました。しかし武士の奮闘と神風により失敗に終わったという歴史もありました。元の時代が終わり再び漢民族が帝国を作ったのが明です。明王朝は「華夷秩序」を完全に回復させ、李氏朝鮮は明帝国に朝貢し、琉球もベトナムも朝貢しました。明帝国は2百数十年間続いた。その後中国を統治したのが少数民族の満州民族が作った清王朝です。秦の始皇帝以来清王朝まで常に王朝の交代があり、皇帝は国内の安定に成功すれば必ず「華夷秩序」の再建に取り掛かる歴史が繰り返し続けられた。中華帝国は、必ず周辺の民族を征服、自分たちの勢力下に置く。そうしないと気が済まない伝統がある。しかし、清王朝の末期に入ると中華帝国の歴史にとって最も大きな地殻変動が始まる。

第二章 近代中国「百年の屈辱」の歴史
第1節 西欧列強諸国の中国進出と不平等条約
  19世紀半ばになると西欧列強諸国がやって来た。日本では黒船来航、中国では1840年の阿片戦争です。阿片戦争でイギリスが勝利し不平等条約を清王朝に強要、徐々にイギリス勢力が清国内に入ってきた。中華帝国からすれば1840年は中華帝国の転落が始まった年です。まさに「百年の屈辱」の近代史が始まったということです。西欧列強諸国が次々に中国と不平等条約を締結、中華帝国は徐々に昔の栄光を失っていった。
第2節 「琉球処分」と「朝鮮独立」で華夷秩序は完全崩壊
  しかし中国にとって、最も屈辱的で許せなかったのは日本でした。日本は中国からすれば野蛮民族であった。しかし明治維新になり急速に強くなり、しかも生意気になって中国を虐めだした。イギリス、フランスは中国の市場を開放する程度です。しかし日本は明治12年に「琉球処分」を行った。中国の朝貢国であった琉球王国が沖縄県として日本の一部となり、中華帝国の「華夷秩序」の一画を崩した。更に日清戦争の結果、朝鮮も中国から独立し、朝鮮王朝史初めて独立国家となった。日清戦争の戦後処理を決めた下関条約の第1条は朝鮮が清国から完全に独立して独立国家の地位を保つということであった。本来ならば朝鮮の人々は下関条約が締結された日を自分たちの独立記念日として大いにお祝いしないといけない。中華帝国からすれば、朝鮮が独立したことは「華夷秩序」の完全崩壊である。漢の武帝以来中国人が苦心して作り上げた2千年の歴史ある華夷秩序を潰したのは、「明治の日本」「大日本帝国」なのです。その意味において中国人の日本人に対する歴史的恨みは非常に深いものがある。
  中国では中華秩序がうまく行かなくなると王朝自体も危うくなる。日清戦争が終わると近代革命がおこり清王朝は崩壊した。1911年に中国で初めての近代共和国国家である中華民国ができた。秦の始皇帝から始まった王朝史は終わった。実は革命勢力が結集したのが日本である。日本は中国の近代革命の発祥の地である。中国近代革命の父である孫文は、日本やアメリカから資金を調達し革命をおこした。しかしその後継者の蒋介石時代、1930年代後半から日中戦争が起こり、1945年に戦争が終わった。中国人から見れば、中国の華夷秩序が崩壊した「百年の屈辱」の歴史は1840年に始まり1945年に終わるということです。
第3節 中華民国と「十一段線の宣言」
  近代になって、中国指導者の考え方が中華帝国の枠組みを捨ててしまうことにはならなかった。むしろ漢の武帝から始まった中国の伝統を中華民国が受け継ぐ。今の南シナ海問題とも関係する。今南シナ海を中国が支配する根拠となっているのは九段線です。本来なら中国の領海は中国南の広東省、中国最南端の海南島までです。ベトナム、フィリピン、インドネシアが面している海域はどう考えても中国のものではない。しかし中華民国は十一段線と称して段線を引き、「この線の内側の海全部中国のもの」と宣言した。この十一段線は歴史的根拠もなければ、法的根拠も全くない。蒋介石が勝手に線を引いた。今の国際社会の常識では考えられないような乱暴な話である。しかし中国人は当然だと考える。すべての土地、海は中国皇帝のものである。それ以来南シナ海のインドネシア、フィリピンの沿岸までの海は全部自分たちのものだと主張する。近代国家でありながら考え方は、漢の武帝時代から何にも変わっていない。そして2年後中華民国は崩壊した。

第三章 中華人民共和国の拡張戦略の変遷
第1節 毛沢東の拡張戦略
  1949年、中華民国を潰したのは毛沢東の共産党である。共産党が軍事的反乱を起こし勝利した。そして毛沢東が再び中国大陸を統一して今の中華人民共和国を作った。中華民国は台湾に逃げ現在に至っている。中華人民共和国の対外政策は2つの時代に分けることが出来る。前半は毛沢東の時代である。彼は人民解放軍を作り反乱を起こし中華人民共和国を作った。毛沢東は建国の父である。そして亡くなったのが1976年で、その間の27年間が中国現代史でいえば毛沢東の時代である。毛沢東の時代は、中国5千年の歴史の中で一番の暗黒時代といっても過言ではない。おそらく1億人以上の国民が政治的迫害を受け、数千万人が殺されたり自殺に追い込まれたりした。対外政策は、中華帝国の伝統を受け継ぎ、帝国拡張に向けて侵略戦争をはじめた。先ずチベットを占領し、中国に併合したのが1950年。また同じ年に今の新疆ウイグル地域も占領した。1951年からは朝鮮戦争へ参戦した。更に50年代末にはインドとも国境をはさんで戦争をした。60年代には、旧ソ連と国境紛争を行った。最後1970年代はベトナムとも戦争をやった。第2次世界大戦以降、現在に至るまで71年間アジアで最も戦争した国は、毛沢東の中華人民共和国です。つまり毛沢東の野望は、もう一度「中華帝国」を作り「華夷秩序」を取り戻すということであった。しかしチベットと新疆ウイグルの占領を除き、華夷秩序の回復は殆ど失敗に終わった。その原因は、当時最貧国の一つで、経済力は今の1/100程度で大した軍事力もない。それで失敗に終わった。
第2節 ケ小平時代の隠忍時代
  2代目の新しい指導者はケ小平である。ケ小平が権力を握ったのは1980年代です。彼は現実主義者で、客観的に状況を見ている。毛沢東の華夷秩序再建の失敗を反省し、先ず経済力を身に着けることから再出発を始めた。すなわち「改革開放路線」です。その基本戦略は中国の経済を立て直し、成長軌道に乗せることであった。そのためには労働力、資本、技術の3つが揃わなければならない。当時中国にあるのは労働力だけ。資本、技術は世界の先進国から導入するため開放政策を行う必要があった。鎖国政策をやめ先進国と仲良くし、開発援助や企業の投資を呼び込む。「外資企業大歓迎」という政策を打ち出した。もう1つの政策が「侵略戦争は止めよう」ということです。しかし中華帝国の野望を捨てたわけではなく、力を身に着けるまでしばらく我慢し、諸外国に対しソフト路線でやって行くということです。日本やアメリカを安心させ、資本や技術を持ってくるよう仕掛ける。それがケ小平の戦略です。この戦略が大成功をおさめ、中国は急速に経済成長した。日本を抜いて世界第2位の経済大国となり、軍事力も飛躍的に増強された。今中国の持つ軍事力は毛沢東時代とは比べ物にならないくらい巨大化した。そしてこの十数年間、ケ小平路線を忠実に守って来たのが、江沢民であり、胡錦濤であった。
第3節 習近平の国際戦略
  ケ小平路線に終止符を打って、新しい時代に入ったのは2012年11月の第18回共産党大会で胡錦濤に代わり中国の最高指導者に習近平が就いた時からです。習近平の政策路線は、ケ小平路線の転換です。ケ小平路線の最大のポイントは、中華帝国の野望をしばらく隠し、外国との良好な関係をもち経済成長に専念することでした。習近平はケ小平戦略の成功を母体として、もう一度中華帝国の復興に取り組むことにした。これは習近平だからではなく中華帝国の歴史の当然の帰結である。「民族の偉大なる復興」である。党大会で、中国の夢を実現させると宣言したのである。その意味は「昔のいい状態に戻す」すなわち阿片戦争以前の中華帝国の栄光を取り戻すということであり「華夷秩序」をもう一度ということです。
  阿片戦争以来の近代史は、まさに「百年の屈辱」の歴史である。精神的な屈辱はまだ清算されていない。それを完全に清算したうえで、近代史以前の「華夷秩序」をもう一度ということです。習近平は「中華帝国の復権・華夷秩序の復権」に向けてここ数年着々と進めてきた。経済面では、中国が中心となってアジアインフラ投資銀行「AIIB」という組織を作り上げ、中国主導でインフラ投資を進め新しい経済秩序を創り上げる。すなわち「華夷秩序」の経済版である。政治的には、南シナ海の軍事拠点を全力をあげて進めてきた。あちこちの島を埋めたて軍事拠点を作り、南シナ海全体を中国の軍事支配下にしようとしている。地球上で南シナ海程重要な海域はない。世界の貿易の半分が南シナ海の海域を通る。日本、台湾、韓国、フィリピン、ベトナム皆南シナ海を利用して経済活動を行う。中国からすればこれほど好都合なことはない。アジア諸国は誰も中国に対して反抗できなくなる。みんな中国の軍門に下り、中国を頂点とした秩序で生きて行くしかない。これが習近平の国際戦略の全体像です。

  これから我々はどうするのか?習近平の野望を阻止するためにどうするかは今後の重要な課題です。

質疑応答
「質問1」

  先日の「日中韓外相会談」はうまくいったのだろうか。

「回答1」

  習近平政権の当面の目的が、G20で安倍首相が波風を立てないように封じ込めることです。今の時点では問題は何も解決されていない。中国の友好姿勢はG20が終わったらすぐ変わる。そう甘い話ではない。そのことを見据え日本の国益にとって何が一番良いか判断しなければならない。基本的に南シナ海問題に無関心となることが一番国益を損ねる。日本はアメリカと団結して中国の行動を封じ込めなければならない。


「質問2」

  中国は尖閣に上陸するか?

「回答2」

  中国は今でも着々と尖閣上陸の準備を進めている。そのタイミングは彼らの政治闘争、国際情勢などいろいろな観点から総合的に判断して行くだろう。やり方は、偽装漁民(民兵)が上陸し居座る。日本は先ず海上保安庁が出るが武装民兵に対処できない。更に中国には海警局もある。日本には海上自衛隊しかない。海上自衛隊が出たら中国は軍を出す。彼らはそういうシナリオである。しかし、彼らが一番期待しているのは、日本政府がためらって海上自衛隊を派遣せず、中国の尖閣占領を座視してしまう。そして1週間、1カ月偽装漁民が居座ると理論的に日本の尖閣に対する施政権が失われる。既成事実ができあがると今の竹島のように中国のものとなってしまう。日本は本当に戦争をやる覚悟で自衛隊を派遣しなければならないが、今の日本の内閣、今の法体制の下で決断ができるか。たしかに自衛隊も専守防衛は出来る。しかし民兵に占領されたら対応が難しい。もう1つアメリカが安保条約を発動するかどうか?アメリカの判断基準は施政権が日本側にあるということである。中国がねらっているのは戦争せずに、民兵を使って尖閣を自分のものにしてしまう。中国の戦術が成功してしまう可能性がある。日本はそういうことが起こることを想定し対応策を考えなければならない。


「質問3」

  中国は、日本に先に手を出させようとしているのではないか?

「回答3」

  それも1つの思惑でしょう。中国は、日本が手を出せない状況に追い込み、尖閣を盗るのが一番の上策です。次が日本に手を出させて軍事力で抑え込むことです。


「質問4」

  今後も中国は南シナ海の島を埋立て続けるだろうか?

「回答4」

  南シナ海問題は、フィリピン大統領が直接話をつけようとしている。中国は裁定以来不利な立場に立たされているから、まずこの話に乗る。しかしこの話は破綻する。両方の主張は折り合いをつけるのは無理。フィリピンの大統領は見方が甘すぎる。


「質問5」

  沖縄の翁長知事からは、自分の県に中国の船が入って来ているにもかかわらず、なんのメッセージも出さない。その点どのように思われますか?

「回答5」

  沖縄は問題です。1つは米軍基地の問題です。中国の海洋戦略は、南シナ海、東シナ海を支配下に置く。邪魔なのが米軍基地です。習近平からすれば米軍基地が沖縄から消えてしまえば万々歳です。今沖縄で起きている反基地運動は習近平のためにやっている。その大半が沖縄の人ではなく日本の左翼である。もう1つ中国はいずれ沖縄を中国の属国に戻す。それが中華秩序の回復になる。今沖縄の中で琉球独立運動を唱える人がいる。今年5月に中国の北京で、軍の主宰で沖縄独立を討論するフォーラムまでやった。完全に日本を分裂させる工作です。習近平の為に一生懸命働く人が沖縄に多くいると言うのは問題です。


「質問6」

  中国共産党が、琉球独立運動に資金を供出している可能性はあるのか?

「回答6」  

  可能性はある。中国にとって、中華秩序の復興のため資金を出す方がコストは安くつく。


「意見」

  石平先生が、日本のことを心配してくれているが、日本国民が、日本の主権と独立を意識しなければいけないと思う。



以上は、「石平氏の講演」を國民會館が要約・編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものである。



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