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武藤記念講座(講演会事業)

第1022回武藤記念講座要旨

    2016年10月22日(土)
    於東京「国際文化会館」
    ・政治討論会 (パネラー)自由民主党衆議院議員   伊藤信太郎氏
                                         民進党衆議院議員         近藤洋介氏
                                         政治評論家                  安廣欣記氏

    ・若者の声を聴く会         慶應義塾大学弁論部       三田会・藤沢会部員
    
                 (総合司会)  慶應義塾大学エルゴー会  名誉顧問 町田正三氏
 「現国際情勢に鑑みて改憲の是非を問う」 

セミナー





第一章「安全保障を巡る国際情勢と日本のあり方」
第1節「伊藤信太郎議員の見解」
  我々は今「グローバルな時代」に生きております。「国民国家」という社会体制が定着し三百数十年、今「国民国家」というパラダイムが機能不全を起こしています。安全保障のみならず、経済・環境・文化・情報の分野も同様です。EUという新しい試みも必ずしも成功していません。安全保障問題で、戦後70年「日本の平和と安全」を守ってきた枠組みは「自衛隊」「日米安全保障条約」「国連」の3つですが、今単独で自分の国の安全保障を確立することはできません。現代の安全保障は、旧来のように「軍事的に領土を侵害される殺傷される」のみではなく「スムーズな経済活動、必要な資源が入って来る、環境が守られ、文化的・情報的に混乱させられないこと」も含め安全保障であります。例えば情報通信の分野では、インターネットで国境を越え、いくらでも情報が入ってきます。テロリストが爆弾を仕掛け、殺傷するだけではなく、情報テロもあります。ハッキングやウイルスが無数の場所から発信され、軍や政府の中枢またインフラの中枢にもきております。国民生活の大混乱が起こるということも十分蓋然性のあることです。そういう状況下での日本の安全保障です。狭義の意味では、自衛隊、安全保障条約と同時に国連の諸活動で貢献していくことが、単に人道主義という枠を超え「日本国民の安全を守る」ため非常に重要なことであると思います。要は日本の安全保障環境は非常に厳しく、軍事面では、中国がこの28年間で国防費は44倍、10年間でも3.4倍になっています。ロシアは2011年から2ケタの伸びです。北朝鮮は軍事的技術が格段に高まっていることは事実であります。また中国は伝統的な防衛思想があり、第3防衛線はハワイまで入っており、尖閣諸島は第1防衛線となっております。南シナ海の島々に軍事基地を建設しております。また新しい問題として情報による世界の攪乱リスクが格段に高まっております。したがって、自衛隊が新しい状況に対応できるよう法制、予算、技術、ガイドラインの見直しが必要であると思います。今日の議論の中では「世界の平和が守られることで日本の平和が守られる」という意識を共有したいと思います。
第2節「近藤洋介議員の見解」
  この20年間を経済的また安全保障の観点から見ますと、明らかに圧倒的な中国の台頭があり、そして国際情勢の不安定化です。この20年間のGDPで日本は減少しておりますが、アメリカは2.4倍、中国は16倍となっております。一方中国は日本の最大の貿易相手国で、アメリカの最大の貿易相手国でもあります。ビジネスの世界で相手が大きくなることは決して悪いことではありません。しかし中国は「共通のルールで取引できる国か?」ということが問題なわけです。例えばレアメタルは、日本の主力輸出商品(自動車、コピー機、カメラ、パソコン)に必要な希少金属ですが、中国が5年程前突然輸出禁止とし、工場が操業停止に追い込まれたことがありました。また日本の知的財産がコピーされ奪われていることも有名な話です。我々が額に汗して働いた国富が奪われることは由々しき事態であると動き出したのが、今国会で議論しているTPPです。その内容については議論がありますが、構想自体は「経済における日米安全保障同盟」であることは間違いありません。中国をビジネスルールのわかる国に取り込む大きな枠組みです。しかしアメリカでは1月の米国議会で通る可能性は極めて低く折角日米で作ろうとしたTPPも2年ぐらいは出来ない状況です。「中国と向き合う時にどうすればよいのか?」例えば原子力の使用済み燃料の処分問題です。これは安全保障上も極めて重要な問題で、中国でも困る話です。そういう共通の課題を、日中で更にはG8で、唯一原爆を受けた日本がリードしていくことが、中国に対し厳しく向き合うと同時に、中国への誘い水も必要ではなでしょうか。中国という巨大なドラゴンと「どう向き合い、どう制御するか」ということは、単に憲法だけを改正すればいいということではなく、現実に中国が最大のビジネスの相手国であり、無視できない隣国であるということを踏まえ、共に同じ方向を向くプロジェクトを進めることも含め考えていくことが、実は安全保障にも重要であるということです。
第3節「安廣欣記氏の見解」
  日本の法律は、ほとんどが政府提出の法案です。しかし憲法だけは衆議院100人、参議院50人が提案し、3分の2以上の国会議員の賛成がないと発議できません。先の参議院選挙では民進党の岡田代表が「絶対に3分の2は阻止する」と言っておりましたが、結果は改憲派が3分の2を超えることとなった。したがって憲法改正問題は今後国会マターとなるわけです。その前段として国際情勢があるわけですが、その緊迫度が増し、安倍総理の施政方針演説あるいは国会答弁が最近、大きく変化してきています。太平洋戦争終戦時、本来ならば必要がないにもかかわらず、ソ連参戦前に原爆投下を急いだということがあります。その頃から米ソ冷戦時代が始まり、ソ連の戦後日本への影響力が増すことを恐れたのです。戦後は社会党がソ連、自民党がアメリカについていれば何となく平和が享受できた。それで平和ボケというものが出来上がってしまったのではないか、と思います。そして今安倍政権は「集団的自衛権は保持しているが、行使はできない」という解釈を変え、非常に限定的ですけれども行使が出来る道を開いた。それに沿った安保体制を整備した。このことをして護憲派は戦争法案と言う。戦争法とは戦争するための法律、集団的自衛権とは抑止力を高め、平和を維持するためのものですが、長年、平和ボケしてきた国民が冷静にそのあたりを眺められなくなっているのではないでしょうか。昨今のわが国近辺の国際情勢は安倍総理が繰り返すように非常に厳しくなってきています。中国は南シナ海に我が物顔で人工島を造成し、軍事拠点化する意図さえうかがえる。オランダのハーグ仲裁裁判所が中国の南シナ海進出には全く根拠がないと採決を下しても、そんなものは紙屑同然として一向に意に介さない。北朝鮮は過去5回核実験をやっているが、初めは2、3年間隔だったものが、今年なって8か月の間に2回核実験を行っています。しかもミサイルを北海道奥尻島沖の日本の領海に準じる排他的経済水域に3発も打ち込んだ。こういうことを見過ごして、日本が集団的自衛権を行使して日本自体を守ろうとすることを戦争法として退けるという姿勢は如何かと思うわけです。私は戦後70年間に、日本国民の多くに刷り込まれた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」すなわちアメリカが戦争犯罪責任を一方的に日本に押付け、日本が戦争を仕掛け、その結果、広島に原爆が投下されたのだから反省するのは日本だけと言わんばかりのアメリカの姿勢もしっかり見据えて、日本国民が目を覚ます時期に来ているのではないか、と提案をさせていただきたい。
第4節「討議」
  (町田 総合司会)
  安全保障とは、法や設備の整備と、もう1つ「国を守る思い」があると考えますが、この点に関し如何考えますか。

  (伊藤議員)
  国民が自国の文化・歴史や、日本人であることに誇りを持たなくなる。これが心の占領であります。そういう観点から、戦後の日本の教育のあり方、特に道徳教育、日本史を始めとする歴史教育はいささか問題があったのではないかと思います。日本の国柄にあった教育をしっかり行うということは、科学技術を高めることと同様に重要なことです。もう1つは情報が国境を越えて入ってきます。情報は人間の思想を攪乱することが出来ます。人は言語で物を考えますが、日本語は世界でも珍しい「表音表意併用言語」です。西洋的な思考もでき、かつ東洋的な思考もできます。「和洋折衷」は、日本の文化であり伝統であると思います。日本文化は、例えば宗教においては、原始アミニズムから神道になり、道教が入り、仏教が入り、それを融合する形で日本の宗教観が作られております。また日本文化そのものが漢字文化圏から入って来たもので、同時にサンスクリットの影響も受けております。日本は島国という特性も生かしながら、新しい文化を、外のものを取り入れたということが日本文化のダイナミズムと思います。日本は国柄に相応しい教育・文化・芸術はもちろん狭義の自衛力も含めて作っていくことが必要です。日本だけで防ぎようがないので、それを食い止める国際的仕組みを、日本がリーダーシップを持って作って行くことが必要だと思います。今までは戦勝国が作った国連やWTOの組織に入れていただくという立場でしたが、これからは日本がイニシアチブをとり、西洋の国だけでは考えられない、バランスの取れた国際組織や運営方式について責任を果たしていくということが日本の安全保障に繋がると思います。

  (安廣氏)
  「おもてなし」という表意文字は日本にしかない。またそれに伴う行動が世界で高く評価されています。日本は国際組織を作るため積極的に世界場裏に出て行くべき時だと思います。ただし危惧するのは、日本の良さを世界に分かってもらうという努力やお金を使っていない。外務省任せでは実現しないことです。日本も新たにNPOなどの行動する組織を強化しなければならないと思う。日本が、中国、韓国などと比べ、国際の場における広報宣伝活動が如何に脆弱であるかということで、これを強化することが先決であろうという気がします。

  (町田総合司会)
  「日本を愛する」ことが「日本を守る」に繋がると思うのですが。戦後「愛国心」がタブー視された。自衛力には日本への愛着心もあると思いますが如何?

  (近藤議員)
  私の父は、戦争遺児で初めて保守系国会議員になった人物です。父は「愛国心とは上から押付けるものではない」と明言しておりましたが、私もそう思います。私は3人の子供を育てておりますが、悲観的に思いません。自衛隊の皆様の活躍に心から敬意を払っています。教育基本法を改正し、今以上に愛国心を賞揚することは政治家として抵抗感を感じます。

  (伊藤議員)
  私も教育で愛国心を煽れということではありません。日本文化や自分の存在を認識し、誇りを持つ教育は必要だと思います。日本人であるとか、日本文化に対して誇りを持てないということが私の育った教育環境ではあった。日本史の勉強で近現代史の前で止めてしまうことは間違っているのではないかと思います。今私の所に12歳のイギリスの交換留学生が来ておりますが、彼はイギリスを16世紀前から現代まで知っていますし、誇りを持っています。またイギリスの政治やアメリカの政治を語りますよ。しかし日本の少年はそういうことを語ることがない。だから愛国心とかいうことではなく、やはり世界の歴史、日本の歴史、日本の文化、そこに自分がいるわけですから、そこに対する認識なり、誇りというものは教育として重要なことだろうと思います。

  (近藤議員)
  私もそういうことでは、全くその通りと思います。愛国心を文部科学省が掲げると誤解を受けます。また近現代史は徹底的に学ぶ必要があります。自分の住んだ故郷の先人達、自分の育ったところへの誇り。それが広がれば、コミュニテイ―から地域社会そして国への誇りと自然と広がるものであろうと思います。

  (伊藤議員)
  日本が、植民地にならなかった理由があります。それは江戸時代に藩校、寺子屋があったからです。そのことによって日本人全体の基礎的学力が高いと共に、それぞれの地域に対し誇りをもっていた。このことが日本が植民地にならなかった大きな理由の一つです。

  (町田総合司会)
  藤原正彦先生が「親子の愛、郷土の愛、祖国への愛の3つが我々の愛の基本としてあるのではないか。第2次世界大戦中、祖国の愛が愛国心に置き換わり、ナショナリズム(民族主義)とパトリオティズム(祖国愛)が混ざって使われた。国家という単位があり、それに対し愛情をもって行動するということは、社会に融和をもたらし、倫理を高めるのではないか」と書いております。愛国心を祖国愛という愛に結びつけると寛容されるべき愛情の1つではないかと思います。それが自然に「自分たちの国を守ろう。自分たちの子供をよい子にしよう。良い国を造ろう」という想いに現れることではないかと思います。

  (安廣氏)
  私は終戦の時、小学校2年生でした。先程「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と申し上げましたが、「日本が負けなければ大変な軍事大国となり、軍人が幅をきかせ、今の民主主義はなかった」ということを周囲から絶えず言われて育ってきた。これは日本を弱体化させるため徹底して日本から軍事力をはぎ取り、自衛力さえ持てないということを憲法に書き込ませたことと裏腹です。こうして育ってきた故に「祖国愛」を知らないままに来てしまった嫌いがある。確かに「愛国心」は教科書で上から教え込むようなものではないが、皆それぞれが愛するにたる国土づくりというものに精を出す中で、聖徳太子の「十七条憲法」から始まり、明治天皇が宣布した「五箇条の御誓文」は明らかに民主主義を踏まえた言葉といってもよいと思います。日本自体の国柄が決して民主主義に反する国柄ではなかったということをメディアでも、もっと取り上げていいのではないか。

  (町田総合司会)
  2000年の世界価値調査(18歳以上のサンプリング2000名)で「自国を誇りに思うか?」との問いに日本は世界最低でした。「もし戦争が起これば国のために戦いますか?」は中国90%、韓国74%、日本は15%で世界最低でした。日本に対し愛着があり日本を誇りに思うということ。愛する子供、愛する親、愛する郷土をもう少し考え、教育していく必要があるのではないでしょうか。

第二章「憲法前文および9条改正の是非」
  (町田総合司会)
  憲法の前文および9条で、日本人の安全と生存は世界の人達に委ね、戦争を放棄し、戦力は保持しないことを定めている。しかし現状の国際情勢を考えた時、これを「改正すべき」「改正しなくてよい」あるいは「解釈で適用していく」(解釈改憲)と3通りがあると考えられるが如何ですか?
第1節「伊藤信太郎議員の見解」
  戦後、憲法を1度も改正していないのは日本だけです。アメリカが6回。フランスが24回。第2次世界大戦で敗れたドイツは60回。イタリアも15回改正しております。この間世界の情勢は大きく変わりました。どんな素晴らしい憲法でも時代の変化とともに間尺に合わなくなってきます。9条の問題では、ドイツは1956年NATOに加盟するため軍事力を保持することに変更しました。前文については、国柄・文化歴史を反映したものであるべきで、不充分な文章だと思います。自民党改正草案前文のポイントは、歴史伝統文化を踏まえた文章にすべきだということ。憲法の3大原則のうち「主権在民と平和主義」はありますが、「基本的人権の尊重」がないのでこれを加えるということです。また「自然環境を守る」ことが安全保障上も重要で加えるべきであると思います。平和主義者が「私は平和が好きだ」と言いますが、これは「泥棒が嫌いだ」とよく似ています。「泥棒が嫌いだと言ったら泥棒は入りませんか?泥棒が入らないためには鍵をしっかり閉めるとか。お巡りさんがいるとか。家に強い人がいるとか。また泥棒をした人は制裁を受ける。ということがあって泥棒が入らない。」ということです。平和も全く同じです。平和が好きだと言えばだれも攻めて来ないし、命を奪ったり、財産を奪ったり、主権を侵害しないかというとそうではないのです。すでに危うくなっています。そこで我々は「積極的平和主義」ということで、日本の平和、世界の平和を守るため、日本の国柄、現在の安全保障、経済状況、環境状況を踏まえ憲法を考えることが必要だと思います。したがって前文も、9条も改正する必要があります。ただし、日本が戦前のような軍事国家とか侵略戦争をしないとはっきりとわかる文章にすべきだと思います。同時に文民統制ということ。他にとる手段がない時に必要最小限でということです。日本の安全を守るためは、日本の周りに高い塀を築くだけではだめで、極東地域、東アジア全体の安全が守られなければなりません。グローバルな時代、世界の安全が守られる、その中で日本が出来ることをするということも必要です。
第2節「近藤洋介議員の見解」
  憲法に改憲規定がある以上、時代に合わせ改正することはありえます。しかしいきなり改憲となるのか。それとも解釈を変えることで対応できるかは、レベル観の問題であろうと思います。今回政権が行った集団的自衛権の行使を解釈でするということは、これまで「専守防衛、海外派兵の禁止、集団的自衛権は認めない」といった政府の3原則からは大きく逸脱するので、解釈のレベルは超えているのではないかという指摘があります。解釈のレベルを超える場合は、手続きに則って憲法改正をするというのは当然のことであるという立場です。そこで前文と9条ですが、伊藤先生の指摘の通り日本語として読みづらいということは全くその通りです。前文は、基本原則を明らかにする上で、法と同じですから極めて重要だと思います。したがって3つの原則、「平和主義、国民主権、基本的人権」は明確に書くべきだと思います。国民主権は国民がこの国の主であり、受益者であって、平等な存在であるということ。平和主義では9条とも絡みますが、国際関係に於いて軍事力を前面に押し出す国家の姿勢を明確に否定すること。加えてあくまで他国からの侵略に対し、最後の手段として軍事力で自衛すると。また軍事力を打ち出して交渉することを明確に否定することです。そして人権の尊重。人は生まれながらにして自由であり、すべての人は価値に差をつけないことだと思います。この3つをきちんと書くことです。ただし逆に余計なことは書かないことです。ここに愛国心とかいうことは書く必要はない。憲法は「主権者たる国民が国家権力を縛るもので、国家権力が国民を拘束するものではない」からです。さて9条ですが、1項は解釈で読み込めますが、第2項の陸海空軍の戦力はこれを保持しないというところは、解釈では相当無理があります。「日本国は独立国家として他国の主権を尊重します。侵略は絶対に行いません。ただし、侵略をされたら自衛のためには戦います。そのための装備は持ちます。」ということを法的にはきっちり書くことだろうと思います。ただし現下の状況における集団的自衛権の必要性には疑問を持っております。集団的自衛権の範囲は極めてあいまいで拡大解釈される恐れがあります。私は集団的自衛権に否定的でありますから、必要であるならば、これは改憲で書く必要があるし、いまの解釈でやるのは違憲であると思います。
第3節「安廣欣記氏の見解」
  自民党は2012年の憲法草案をもっておられる。民進党は、枝野元民主党幹事長が「草案はないものと考えてよい」とおっしゃる。野田元総理は「改憲賛成」とご自身の本に書かれておられるが、先日の安倍総理への質問では「草案を撤回して憲法審査会に臨め」と強く主張される。各党が独自の草案を提出し、それを討論することが審査会としては有益ではないかと思っております。先の参議院選挙で岡田民進党代表は「憲法改正できる3分の2を阻止する」と強調するだけで、自分達が憲法にどう臨むかということは一切触れておられない。蓮舫民進党新代表は「今までとは違って提案型の政党になるのだ」と繰り返すが、これは旧社会党が反対だけの党だという非難を浴びせた、その事を踏まえた発言だと思われます。蓮舫代表は「憲法第8章の『地方自治』を改正してはどうか」といいますが、中身はおっしゃらない。大前研一さんが「憲法改正するならば第8章をやるべし」という本を出され、その孫引きとなるので話を控えたのかなと勝手な想像をするわけです。民進党にも自分達の草案を用意していただきたい。そこで初めて憲法審査会で具体的な討論が進むと思います。憲法は改憲か護憲かという形で国民投票に問うのではなく、各条項ごとに個別に改正か否かをたずねるものですから、それに対応すべく各条項について草案を出していただいた方がよいのではないかというのが私の考えです。

  (近藤議員)
  草案を全部出すということは正直言って疑問です。今回9条がテーマなので9条について申し上げましたが、今すぐにでも議論した方がよいと思うのは「衆議院の解散権」です。憲法は権力者を縛るための法律だと申し上げました。日本国最大の権力者は内閣総理大臣です。その内閣総理大臣の権力の源泉は解散権です。これが憲法では極めてあいまいな書き方になっている。「1年おきに解散してよいのか。2年毎はよいのか」これは憲法論議に値すると思います。我々は内閣総理大臣の権限は制限すべきと考えております。憲法では衆議院4年、参議院6年と書かれておりますが非常に曖昧です。相手が準備する前に選挙をすれば何度でも勝ち続けることができるのです。これは議会制民主主義を低下させる。かつては解散の大義がありましたが、今は少し乱暴になっていると思います。小選挙区制になり、政治家の質も必ずしも良くないと批判を受けており、解散権は制限すべきです。また前文などは合意できるところだと思います。フルパッケージで出さなくとも、憲法論議はできると思います。

第4節「討議」
  (町田総合司会)
  1946年の衆議院で、共産党トップの野坂さんが代表質問で「自衛戦争は出来るとすべきではないか。戦争放棄は侵略戦争の放棄と変えるべき」と主張し、それに対し吉田首相は「近年の戦争は多く国家防衛戦争の名のもとにおこなわれた。故に戦闘防衛権を認めることが戦争を誘発する」と答弁、投票では共産党全員が条文に反対、その他は賛成した。今解釈改憲が問題となっておりますが、共産党だけが戦争を認めず、他は「自衛権は憲法違反ではない」というのを見ますと隔世の感です。「いつの間」という危険があり、逆に「いつの間に変えられたもの」が現実に即している。微妙だなと思う。どちらも頷けるということが政治の世界で行われる。政治家の皆様にお任せするのではなく、我々自身がこういう事実を的確に判断し勉強して行かなければならないと思います。
  最後に憲法解釈、自衛権の解釈の問題で、1つは、集団的自衛権は合憲で、今の憲法で施策を実施していく。1つは、集団的自衛権は憲法違反ではないが、集団的安全保障、海外派遣はやってはいけない。1つは、全面的に違憲である。この点は如何?

  (伊藤議員)
  自民党の草案では、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇および武力の行使は国際紛争を解決する手段としては用いない。そして2項として、前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」となっております。これは1929年のパリ不戦条約の第1条が原則で、9条第1項の本質は変わっておりません。9条1項で禁止されるのは戦争および侵略目的による武力行使のみであり、自衛権の行使、あるいは国際機関による制裁は禁止されていないものというふうに考えています。また国家の自然権として自衛権があり、これを第2項に明記したと言うことです。この自衛権については国連憲章にある個別自衛権や集団的自衛権が含まれると解釈しております。日本が独立国家として、その独立と平和を確立し、国民の安全を守るため軍隊を保有することは必要であり、世界では常識であると自由民主党は考えています。

  (近藤議員)
   9条に1項は、伊藤先生が解説されましたが、現行の条文でも自然権としての自衛権というのは国家として付与されているわけです。ですから自衛権がある以上それを行使する自衛隊と言うのは認められております。確かに小学生が1項を読むと自衛隊は認められないと思うかもしれませんが、これは自衛のための戦争は認められると言うのが、法律家の読み方であります。現実の世界として1項は大丈夫であると思います。ただし2項の定義が非常にきつくて、弱い戦力であれば攻められてしまう。攻められないためにはかなりの力を持たなければ排除できない。今までの政府解釈も相当無理を重ねてきたと思う。2項の戦力はこれを保持しないと言うのは無理があると言うのが正直なところで、ここは直す必要がある。また先程の集団的自衛権ですが、今の国際状況の中で、集団的自衛権を論ずることはよくないという政治的判断に立ちます。海外派兵も、戦争目的で自衛隊を海外派遣しないということになっていると考えております。

  (町田総合司会)
  今の国際情勢を考えた場合に、個別的自衛権の発動だけで国家が守れるのか?また抑止力たるや如何?現実の問題として集団的自衛権を憲法違反だということで排除することは如何なものか。集団的自衛権はよいが、解釈改憲で認めていくことがよいのか?憲法改正を踏まえて集団的自衛権を行使しうると考えるのは如何ですか?

  (近藤議員)
  現時点では集団的自衛権は、我国の防衛には必要ない。我が国の個別的自衛権で十分対応できるというのが私の立場です。

  (安廣氏)
  第9条1項について護憲派の方々は、これを金科玉条視するあまり、世界に類を見ない平和憲法とおっしゃる方がいますが、駒澤大学の西修先生が約200カ国の憲法を調べたところによると、118カ国でこの第1項にあたる戦争放棄が明記されているそうです。問題は第2項「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」です。この戦力に自衛隊は該当しないというのがこれまの解釈です。これは日本語として無理がある。憲法学者の多くの方々が自衛隊が違憲であるというのはごもっともです。改正をする以外、現状に適合させるすべはないと考えます。なおこの戦力については自衛のための核であれば持てるというのが政府解釈です。我々が普通に考えた場合、到底理解できず、改正するのがいいのではないかと考えます。

  (質問1)
  中国の海洋進出、軍事費の増大が世界の脅威となっているのは事実ですが、経済力も膨大化し、アメリカが中国と戦争することはないと思う。また大義のない侵略戦争は国際世論が許さないということもあります。この情勢変化をどのようにお考えですか?

  (伊藤議員)
  外交力の背景には軍事力、物理的な力があります。もう1つは経済力。更に文化情報力があります。国際世論を日本の主張に近づけて行くことが非常に必要だと思います。今までの国際社会の仕組は、基本的には第2次世界大戦の戦勝国を中心に出来ています。それをもう少し世界の国々のバランスの取れた形にすることが出来るのが日本だと思います。国際世論のことでは、例えばユネスコに記憶遺産で南京事件や慰安婦問題が取り上げられる。このことに積極的にかかわらないと世界の世論が間違った、あるいは日本を誤解するということになります。これを含めての外交力であり、国益の確保だろうと思います。仮に中国とアメリカに安全保障上の葛藤があっても、戦争は経済的利益にならないのでしません。それは日本と中国もそうです。日本とアメリカもそうです。そのような中で日本の国益を最大化するのに、安全保障上の主張を強くしながら経済的利益も失わない。逆に経済的利益を上手く使うことで安全保障上の譲歩を引き出すこともできる。外交というのはまさに総合的なものです。今非対象の戦いというのがあります。諸国連合体とイスラム国との戦い。また内政と外交は非常にリンクしており、内政の不満が、強弁な外交に結びつく。これは世界の中での貧富の格差であり、経済的困難であり、社会的差別からです。そのため日本が出来ることをすることが日本の平和に結びつく。そこも含め日本の外交だと思います。

  (近藤議員)
  中国は巨大な経済大国になった。そして暴れん坊ですが、無視もできません。どう向き合うかということです。枠組みを作るのは非常に大事です。25年前日米構造協議というのがありました。日米の貿易摩擦です。アメリカは日本の金融を叩きに来た。日本の金融が大きくなり過ぎたとBIS基準を入れ、その後日本の金融界は塗炭の苦しみを味わうわけです。不良債権問題が表面化し、間違いなく日米構造協議の産物でした。今国際金融の面で何が起きているかというと、AIIB(アジアインフラ投資銀行)中国の動きはすさまじい。しかもこの動きにドイツが乗った。日米だけが抜けている。他の国がみんな入る。所詮たいしたことないと財務省はたかをくくっているが、少なくともかなりの仲間を集めている。豊富な資金で金を貸そうとしている。中国の国際金融インフラ投資のファンディングについて相当なプレゼンスを高めており、無視できない存在になっている。中国を「ルールを守る国」にしていくことが、子供たちの世代が、この国で生活していく上で、確かな生活が出来る国富を貯めることが出来る鍵になると思います。安全保障とは国民の命を守り、財産を守ることですから大事なことです。そういう観点から中国と向き合う。憲法ばかり議論することが本当に安全保障に資するのかと思います。

  (町田総合司会)
  安全保障はトータルで考えて行くことが重要であるということでした。今日のお話を受け我々の問題として今後考えて行きたいと思います。

第三章「若者の声を聴く」
第1節「慶應義塾大学弁論部 部員の意見開陳」
  (法学部 M.Rさん)
  軍事、防衛問題に関心がございますので、その点に絞り話をします。今日戦争というのは局地戦争、限られた範囲の島や地域を占領するという短期的な目標を持って終了する。これがメインとされています。太平洋戦争のような総力戦は起こりえないものとされています。それを前提に日本の防衛力を考えると、着々と増強されつつあり、米軍の支援という前提があれば、現行憲法で国民の生命を守れると思っております。しかし自衛隊は万が一の時には国民を守る盾となって戦ってくれるものです。9条2項の内容を見ますと、自衛隊の存在は文面を見る限りどう見ても違憲の存在です。自衛隊員も違憲の存在です。中国が出てくれば自衛隊員にも初の戦死者が出るでしょう。果たしてこれでいいのかなというのが疑問です。私の憲法見解は、専守防衛は維持しつつも、憲法に自衛隊を明示することが必要だと考えています。また交戦権についても自衛戦争は認められる。これは明記すべきです。また将来的には集団的自衛権も同様です。今は国民の意思が介在しない内閣の閣議決定が事実上の憲法機関となっているという現状で、国民投票で国民の意思が介在する方が民主的で望ましいと考えます。今年20歳になりまして選挙権を手にしましたが、今後憲法改正の是非を問う国民投票があれば、責任を持って1票を投じ、有権者としての責任を果たしていきたいと考えております。

  (環境情報学部 M.Sさん)
  憲法議論と若者の感覚の乖離が非常に顕著に表れていると思っております。改憲の是非を問うにしても、問題の本質を若者は分かってはいないのではと強く感じております。9条の意義、戦争放棄といいましても、憲法や立憲民主主義の意味合いをわかっているのか非常に疑問です。戦争放棄や国際平和なども表面上の理解に止まっていると考えております。最近、国会前で若者が激しく主張するということがありましたが、憲法と国際情勢をしっかりわかった上で行っているのか疑問です。国家を良くしたいとういことは素晴らしい主張だと考えますが、自己主張をただ自己顕示欲の充足手段として行っているような面が見受けられ、そういう意味で憲法議論と若者の感覚に非常に乖離があると思います。現在の若者も平和や戦争放棄という言葉には敏感です。戦争をしない方が安寧な生活ができると思うのですが、平和、戦争放棄という単語に飛びついて、「平和が好きだ」といっていても仕方がない部分があります。憲法の意味をよく理解し、その上で平和と戦争放棄を考えて行くべきと考えております。また愛国心について思っているのは、愛国心を文科省が教育するのは良くないと思います。ただし愛国心を持つ持たない以前の基礎知識、憲法がどういう位置づけなのか、民主基盤の中で、どのような最高規範なのか、この理解が欠如している現状を鑑みて、そういう面でしっかりとした教育を行うべきだと思います。

  (環境情報学部 O.Aさん)
  私は22歳です。私の世代は、世間では「ゆとり世代」であるとか「悟り世代」とか呼ばれております。同年代の友達をみますと、確かにどこかゆったりとしていて、政治とか世の中のことを、自分の問題として考えていないように感じられるのは事実です。国防に関しても、肌身離さず持っているスマートホンで、少しいじれば膨大な量の情報が手に入る時代です。簡単に手に入る情報ですから、重みも感じられないようなものになっているかしれません。身に迫った問題として感じているようには感じられません。そんな若者たちをよそに、我国を取り巻く情勢は、目まぐるしいスピードで変化してきましたし、これからも変化して行くと思います。先生方も仰っていた通り、中国の台頭でありますとか、領土問題、それに付随して起こる軍事的挑発行為ですとか、加えまして、アメリカの軍事力の低下、財政の疲弊などがあります。積極的に進出する中国と、これに介入できないアメリカという図式が出来上がっているように思います。このような状況に鑑みますと、戦後70年戦争はなかったのだから、これからもないといえないのが現実ではないでしょうか。この困難な世界情勢の中で安全保障が変わるということは、日本の国のあり方が変わるというふうに感じました。私たちが何を正義として守って行くのか、国民1人1人が深く考えなければならないと感じました。先生には重ね重ねお礼申し上げます。

  (環境情報学部 S.Sさん)
  本日の議論を通じて私が感じたことは、正しい論題をもう一度設定する必要があるのではないかということです。ニュースや新聞、あるいはネットの記事で「改憲について是か非か」という論題をよく見かけます。私は改憲是か非かという文言だけを見るのはあまり意味がないと思っています。大事なのは「憲法のどの条項をどのように改正するかについて是か非か」が重要なことだと思います。両親と憲法の話をしましたが、僕が「改憲すること自体にはそれほど問題がないように思う」と言ったとたん、「戦争について肯定的なんだ」と言われ「改憲=戦争」というのは飛躍し過ぎと思います。「戦争に道を開く余地が大いにある」とか「その改正の仕方だと良い」とか云う厳密な議論が必要であると思います。そういう点で本日は参考になりました。私の改憲に関する意見ですが、9条の改憲自体は問題がないと思います。なお2項に関しては、戦力と現在の自衛隊とに大きな乖離が生じているのは動かしようのない事実で、憲法を改正することに問題ないと思っております。今後大事なのは「何をどのように改正するのか」そこについて議論を深めていく、どの年代の人も、どの性別の人も、「何をどう変えればいいのか」を議論して行くことが最高法規である憲法を最終的に決める僕たちの権利と義務であると思っています。

   (法学部 S.Tさん)
  「若者の声を聴く」ということで友達50人に興味あるかと話をしましたところ、50人中49人までが「どうでもいい」ということでした。彼らは頭が悪く、無能なのかというと決してそうではありません。慶應に入る受験で点数を取ることについてはすごいのではないかと思います。つまり答えを出すということについてはすごい。得意と言うことです。しかし先程の討論でもありましたが、世の中は答えが出ないものがすごく多い。弁論部に入ってきた後輩をトレーニングするのですが、すぐには自分で答えは出ません。ネットで調べて来て、さも自分の意見のように言ったり、学校で答を出すことしか学んでないということで、自分の意見を言うことは教えられていません。このことが問題ではないでしょうか。これが「思考力」ではないでしょうか。2つ目に「対話と議論」にも問題があると思っております。私はこの夏までスタンフォード大学で勉強しておりましたが、3割がアジア人です。中国、台湾、韓国の人達は、世界のことをよく知っています。むろん日本についてもよく知っています。そして非常に意見を持って議論します。一方日本人はどうかというと、何十年間もこの議論が出来ないと言っているのに、一向に変わらないということです。結局私たち1人1人が議論する力をつけて行かなければならないのではないかと考えます。 

第2節 「意見交換」
  (質問者 1)
  私は60歳を遠く超えており、年寄として意見を言いたいのですが、長年生きていますと思っていることと、言っていることがかなり違うということがある。それは国家でも、過去の歴史でもそうだと思う。憲法論議の場合「9条を変えるべきだと。何故かと言うと自衛隊の位置づけを明確にするため」というのが多い。しかし、今まで明確にしなくても自衛隊はやってきたではないか。しかもアメリカからイラクに行けといわれたら従わなくてはならない状態になっている。変える意味があるのだろうかと思う。「9条があるから日本は平和が守れる」というつもりは全くないのですが、もっと狡賢く、したたかに9条を表に出しながら実利を採っていく考え方が大事ではないかと思う。直情的に「白黒」をはっきりする価値が感じられない。自衛隊は自衛軍と存在させて今まで通り、解釈は「世界観ないしは世界情勢のたびに少しずつずらしていく」説明も世界に対し変えていくことでいいのではないかと単純に思いますが?

  (回答 T.Rさん)
  「現行の憲法を改定しなくても日本の国益は守れるし、自衛隊は今後も存在するであろう」という点に関して違いはありません。ただし私が何故憲法を改正しなければならないと考えているかというと「立憲主義」からの懸念です。時勢に応じて憲法も解釈でかえていって説明して行けばよいと仰いましたが、解釈改憲は内閣で決定するものであって、そこに主権者たる国民の意思が介在しない。将来的にヒットラーのような政権が出て来て、解釈改憲をした場合に、ストップをかける機能が存在しません。そういう慣行については好ましくないし、それによって今は良くても長い将来までビジョンをもったとき、改憲すべきだと申し上げました。

  (質問者 2)
  若い皆さん方の、戦争のイメージに疑問があるのですが。私が敵対する参謀本部の作戦参謀であれば「先ず諜報戦で、日本の状況を徹底的に諜報する。次に謀略戦に入る。国内を混乱させる。次に歴史戦争。日本国民を精神的に痛めつける。そして経済戦争で、経済力を弱くする。そのような状況を作っておいて、正規軍ではない民兵を突入させる。正規軍を出すときは、サイバー戦争を仕掛ける。サイバー戦争とは、日本の産業を破壊するためにやる。そして宇宙戦争いわゆる宇宙から攻撃をしたり、海底から攻撃する」ということで、昔の第2次大戦の戦況とは、まるっきり形が違ってくるだろうと想像しております。若い皆さん方の戦争観とはどうか?

  (回答 S.Tさん)
  「戦争イメージはない」というのが正直なところです。「日本にそういうことを仕掛けるメリットとは何だろう」と考えると「本当にあるのかな」と思います。

  (回答 M.Sさん)
  私は沖縄出身で沖縄戦の悲惨さは小さい時から教育されてきました。しかし「残虐極まりない戦争が現代で起こるのか」というと「起こらないのではないか」と思います。世界情勢を見ても、激しい戦闘を繰り返しているところはありますが、その中でも大義名分といいますか、残虐性があっても大義名分がなければ政府も動けないというような事情が見受けられますので、日本を殲滅するような手法をとることは、世界の目から見てできないのではないかとみております。

  (質問者 2)
  無力化するための手段をどうするかということで、先ず第2次世界大戦のような戦争は、文明国の間ではないでしょう。支配するためには無力化すればよいので、その無力化の手段として今言ったシナリオが書けるということです。憲法9条を議論するのも、そのイメージがあって、それに対応する法整備が必要になるという意味です。

  (質問者 3)
  今の問題について皆さんが関心を持ち論議することに敬意を表したいと同時に、国際情勢をより理解を深めるために幾つか申し上げたい。今大量殺人はないと言いますが、シリアでは、小さい子供や老人が爆撃の中で何百人も亡くなっている。これからも随分起こると思わなければいけない。決して楽観論は持ってはいけない。各国の国民所得に於ける軍事費が何%か?お調べになったことがありますか?日本は約1%、5兆円です。他の国はもっともっと多いです。そういう事実を見ていただくとこれらの問題が更によりよい材料になると思います。また1951年アメリカの上下院合同外交委員会で、マッカーサーは「第2次大戦での日本の立場は、侵略戦争とはいえない。やむを得なかった」という言い方をしている。マスメディアは殆ど言わない。東南アジアの人達から「日本のおかげで自分たちは欧米の植民地から開放された」と感謝していることを何十回も聞きました。日本では誰も教えません。敗戦の時私は小学校3年生で戦後の教育を受けましたから、誰からも教えられない。現地の人から教えられた。単に日本のマスメディアのことだけではなく、世界の人達のから聞くべきだと。残念ながら私たち人間はまだまだ国際間の紛争は話し合いで解決しましょうという理想と夢だけで生きてはいられないように思う。日本の原子力発電所にミサイルを撃ち込んだらどうなりますか。悪夢であってほしいと願うけれども、夢だけではないような気がしますので申し上げます。

  (回答 O.Aさん)
  人の命は最も優先する事であります。国防という点について、日本だけでなくよりグローバル化した、より視野を広くして様々な情報を、より正確に判断して行くとの重要さがあると思います。

  (回答 S.Sさん)
  限れた予算の中でどこに配分するかというと、防衛費より社会保障の方が大事だと思う。目の前の介護とか、保育所が足らないといっている中で、「いつ攻めて来るかわからないミサイルに備える必要があるのか」という気持ちになります。

  (質問者 3)
  今いっていることに反対する人は誰もいない。しかし責任ある政治家、指導者的な立場の人は最悪のことを考えなければならない。リスクについても充分考えていただきたい。

  (質問者 4)
  今年25歳で社会人3年目です。Sさんの言うことに共感を得るのですが、改憲だけが先行して、何がそもそも大切なのかということがあまり理解されていない。その理由は、今の国際情勢の中で、優先的にしなければならないことを明確にしてこなかった政党の曖昧さがあります。憲法9条では「なぜ今議題として出て来るのか」背景を政治家にも発信してもらわないといけない。今まで平和に暮らしてきたという認識で、解釈変更でこれたという前提がある。解釈変更で憲法に目を向けずに嘘をついて来た長い歴史があって、結局今それに向き合わなければならないという状況になっている。政治は遠まわしに動いていて、政治に興味を持てないという。今どういう政治家が日本に必要か教えていただきたい。

  (回答 S.Sさん)
  安全保障法制で、たとえば数で負けるのであれば、どう譲歩して行くのか、勝海舟のやった江戸城無血開城みたいな形でどう引き出していくのかというところに、道はあるのではないか。ただ反対と言っているとか、のろのろ歩くとかは残念です。ちゃんと議論し合うことのできることが必要です。

  (回答 S.Tさん)
  国会討論を見ていると、自分が答弁で答えていることに対して理解していないと思うことがあります。国民の民意を代表している以上、基本的な事項の確認は必要である。

  (回答 O.Aさん)
  「顧みる力」を持っていただきたい。政治を行う者として自らの発言と言うものに責任を持つと言うことは当たり前ですが、その発言をした後、そのことを顧みて誤りがあったならば、それを訂正する勇気というものをもっていただきたい。

  (回答 M.Sさん)
  法律の知見が非常に重要となってくる。立法府が司法を理解していなければ、有効な法律も作ることが出来ない。複雑な法体系がある中、政治家だからこそより法に理解が求められると思っている。

  (回答 T.Rさん)
  長期的なビジョンを持って、日本の50年後、100年後の姿を具体的にイメージして、必要な事項をリストアップ、それを実行できる政治家がいれば理想的と思う。確かに現代はグローバル化で変化が激しい時代ですが、将来を見据えたプランを立てていただきたい。軍人ですが石原莞爾のような政治家が望ましいと思う。

第3節「伊藤信太郎議員の講評」
  私は政治家に求められるのは、「ジェネラリストでありスペシャリストである。」と思う。要は国会議員たるもの日本の国をどうして行くのか。そのためには世界はどうなっているのかというグランドビジョンが必要です。一方で国会議員は立法府の人間ですから、今まで制定された法律であるとか、法律がどのような影響を与えるかという精緻な法律論が必要で、その分野に対するエキスパートである必要がある。また手段と目的をよく考える必要もある。究極の目的を果たすために、どういう優先順位で手段を作って行くということが政治家に求められている。国の究極的目的は「日本国民が幸せに、平和に、そして未来に希望を持って生きることが出来る仕組みをつくるということ」である。そのため軍事的に攻められないようにしよう、そのため、自衛隊を法的に、予算的に支えていく。同時に打撃力も必要ですから「日米安全保障条約や地位協定を見直しましょう」という話も出るし、国際的枠組みの中で国連とどう提携していくか。今日本一国で日本の安全は守れませんから。私はそれが必要であると思います。
  学生に対する希望ですが、日本の学生は、日本の教育のあり方が、教師、教授が話したことを、要領よく理解して、既に答えがある問題について答える能力を高めるということにより、成績評価があるという基本的なスタンスがある。でもアメリカはそうではない。答えがないことに対して、教授に対して議論を挑む。この能力が必要です。世の中の多くの問題は答えがない。答えを見つけて行く過程が教育であり、それが思考力を高めることだろうと思います。もう1つ日本の問題は、意見が違うと言うことと敵であると言うことは別なんです。今日も私と近藤さんは意見が違いますが、私は近藤さんが敵ではない。日本の場合は意見が違うと友達になれないと言うような強迫観念があり、無理やり自分の意見を引っ込めてしまうとか。相手に合わせてしまうとか。それでは新しいものは生まれて来ない。文明は葛藤から生まれます。葛藤で人間は考える。意見の違う、文化の違う、スタンスの違う人と討論すると言うことが、最も教育効果があって、それが自分を高めることだと思う。是非ここに参加した有為な若者は、それを実践して、そのことを皆さんが生きることに使っていただきたい。日本の未来は政治家が作って出来るものではなくて、日本に住む日本人一人一人の充実した人生の結晶として未来があるので、今後の未来に期待して私の意見とします。


「 以上は、「東京大会シンポジウム」を國民會館が要約・編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものである。」



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