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武藤記念講座(講演会事業)

第1024回武藤記念講座要旨

    2016年11月26日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    作曲家
    吉田進氏

 「僕の音楽遍歴 〜フランスと日本の間で〜」 

セミナー





第一章 音楽との出合い
第1節 僕の原風景
  僕は、当會館創設者である武藤山治の長女(蝶子)の娘(静子)の四男(5人兄弟の末子)として昭和22年に東京で生まれ、山治は曽祖父にあたる。山治はカネボウを日本有数の企業にした大実業家であるが、僕はお金とは全く縁遠い作曲家となった。山治が音楽に関心を持っていたという話は聞かなかったし、血縁にはセミ・クラッシックの木琴奏者朝吹英一がいるくらいで、僕が音楽の道を進んだのは突然変異みたいなものである。
第2節 音楽との出逢い
(1)音楽家は、親や親類が音楽家であるか、子供の時からピアノを習っていたとかいう場合が多いが、僕の場合は全く違った。家にはピアノも置いてなかったし、親から楽器を習わされることもなかった。「自分は音楽が好きだからこそ、音楽をやっている」ということで、これは幸福なことだと思います。
(2)僕は4歳から6歳までの2年間、祖母蝶子と北鎌倉の禅宗の名刹「円覚寺」近くに住み、境内の幼稚園に通っていた。自然に恵まれ、鐘の音やお経の声を耳にしていた幼年時代が、作曲家としての僕に決定的な影響を与えたと思う。亡き祖母に捧げた僕の処女作「カナカナ」は、蝉の蜩を題材にした曲で、円覚寺の記憶と密接につながっている。
(3)僕が音楽を好きになったきっかけは、フジテレビの人気番組「ザ・ヒット・パレード」です。ザ・ピーナッツ、ミッキー・カーチス、スマイリー小原といったアーチストが出演、数々のポピュラーソングを聴き、世の中にこんな素晴らしいものがあるかと思った。「将来歌手になろう!」これが音楽との出逢いです。長兄にウクレレの弾き方を教わり、色々な曲を覚えて行きました。
(4)当時のポップスは、アメリカのヒット・ソングに日本語の歌詞をつけて歌っていた。そんなアメリカン・ポップスの中で「今夜二人で(Tonight My Love Tonight)」という曲にぞっこん惚れ込んだ。原曲はポール・アンカが歌い、作詞・作曲もと知り驚きました。彼はデビュー曲の「ダイアナ」以来、基本的に自作自演で通した人で、シンガー・ソングライターの草分けということになります。
  歌手志望の僕は、そこで作詞作曲を試みることになります。「中学校で習いたての英語で詞を作り、ウクレレを弾きながら曲を作る」ことを始めた。ある時、自然にスラスラとメロディーが口をついて出てきた。神秘的な力が僕の口を動かしているという感じで、そして出来た曲はズバリ僕の感情を表現したものでした。「これだ!これが作曲というものだ!何と素晴らしいことなんだろう!」と思った。この瞬間僕は歌手への夢をあっさり捨てて、作曲家になる決心をするのです。
第3節 クラッシック音楽との出逢い
(1)僕が慶應の志木高等学校1年生の時、広告代理店をやっていた母静子の弟から「カネボウのコマーシャルソングを作ってみないか?」と言われ、ウクレレ片手に作詞、作曲したところ、カネボウ提供番組のテーマ音楽に使われることになった。そしてこの報酬で念願のピアノを購入することなる。当時カネボウの社長は山治の次男絲治で「芸術を大切にする。応援する。」という姿勢は山治譲りであると思う。
(2)暫くすると壁に突き当たった。どれも同じような曲になる。そんな時ミュージカル映画「ウエストサイド物語」のリバイバル上映を観て啓示を受ける。あのミュージカル音楽は、ジャズっぽく、そしてオペラのようで、表現方法が幅広い。作曲者はニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者レナード・バーンスタインであった。つまりクラッシック音楽の世界の人でした。「クラッシック音楽を勉強すれば壁が打ち破れるかもしれない」と思い、ベートーベンの「運命」交響曲やヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」などクラッシックを聴き始める。自分のポピュラー音楽作曲の肥やしにするためでしたが、次第にクラッシック音楽の方にのめり込んで行ってしまいました。大学は慶應の経済学部に進みますが、その間に軸は完全にポップスからクラッシックへと移ってしまいました。ただし、音楽は相変わらず独学で、クラッシックの作品を書くには至っておりません。

第二章 作曲家の道へ
第1節 作曲家への動機
  僕は、大学卒業を期に作曲家として生きていくことを決意、本格的に作曲家への道を歩み始めた。その理由は、「音楽作品という形で、自分の生の証を残したい」という思いからです。死後も作品が演奏されることにより、その響きの中に生命が甦ると思うからです。音楽は楽譜だけ残っても、誰かが演奏してくれなければ無いも同然です。しかし死後演奏されることは不可能に近いと分かっていましたが、僕が活き活きと生きる道は音楽しかないと思ったからです。
第2節 本格的に音楽を目指す
(1)音楽大学へ入り直すことを目標に、作曲の基礎とピアノを大月玄之先生に習いました。その時「自分には一切音楽の才能はない。才能が全くないものが、努力でどこまで進めるか、己の人生を賭けてやってみよう。」という覚悟で臨みました。
(2)作曲の基礎勉強は順調に進みましたが、ピアノが上手くならない。ある日大月先生から「日本の音楽大学へ入るのは無理だよ。入学試験にピアノを要求されない外国の音楽学校へ行くしかないね」と言われ、先生は東京芸術大学音楽学部長で作曲家の池内友次郎先生へ僕の指導を託されました。そして2年後パリへ留学することになりました。
第3節 コンセルヴァトワール(パリ音楽院)で自分の感性を開眼
(1)コンセルヴァトワールでは、先ず作曲の基礎技術クラスに入りました。授業では、古今の大作曲家の模倣を学んで行くわけです。そこで自分は「西洋音楽の感性がない」ことに気づきました。また当時は日本の伝統(古典)音楽も殆ど知らない状況でした。
(2)次に創作するクラスへ進むには、作品を提出する試験があります。西洋音楽の感性はない、日本の音楽は知らない中で、とにかく自分自身の感性、音感覚だけを頼りに処女作を作曲しました。これが僕固有の音の世界を作り上げることを可能にしたと思います。

第三章 吉田進の音楽
第1節 処女作「カナカナ」
(1)ベートーベンの交響曲第3番「英雄」では、いきなり「ボン!」とフォルテで曲が始まります。その瞬間から音楽は始まります。つまり「音楽は音である」といわれますが、僕はそうは思わない。僕には「音楽とは沈黙である」と感じられるのです。
(2)作品「カナカナ」の冒頭は、9秒間の「深い沈黙」が置かれています。曲の途中にも沈黙が度々登場します。僕は沈黙が音以上に重要なのです。日本では「間(ま)」を大切にします。僕が沈黙を大切にするのも、やはり日本的感性なのだと思います。
(3)もう一つ西洋音楽と僕の感性が異なると思うのは「時間の捉え方」です。西洋音楽では4拍子だったり3拍子であったり同じテンポで規則的に進んでいきます。要は時間の合理化です。僕は人生が、人それぞれ異なる時間を生きており、一人一人の時間が愛おしいのに、異なる時間を合理化してしまうことは、勿体ない、物足りないと思うわけです。「カナカナ」ではピアノとオーボエでテンポが異なり、全体として非合理的、不規則に聞こえます。僕は自分の感性を頼りに曲を作るという方法で創作を始めました。
第2節 自己のアイデンティティーを表現した曲作り
(1)「演歌」とは歌を演じることです。歌詞の内容に従って声の出し方、歌い方を変化させ演劇的世界を作り上げ、演じる歌です。
(2)作品「演歌T」は、演歌に頻出する「女・貴方・夜・抱かれて・棄てられて・独り」という6つの単語を用い、男性を象徴するチェロと女性を象徴するバイオリンで、男と女の対話が始まり、ソプラノ歌手が濡場を歌います。石川さゆりに献呈したこの作品を、オリヴィエ・メシアン先生は「これは極めて短いオペラだ」と仰ってくれました。
(3)作品「演歌V〜袈裟と盛遠」は、パリ・オペラ座から室内歌劇(規模の小さなオペラ)を依頼され、ヨーロッパで初上演した日本語の新作オペラです。題材は芥川龍之介の短編小説です。
(4)日本の言葉には「詩的側面(ポエジー)」があり、和歌、俳句が代表的なものです。俳句を素材にした僕の作品は、「花鳥諷詠」を除き、すべて声の入らない器楽曲です。俳句は17音節しかないため、すべてを説明できず、人によって様々な受け止め方ができ、豊かな詩情が生まれる。それを様々な音色の楽器を使い表現しようと考えた。
(5)作品「五つの俳諧」は、最初6秒、最後3秒の沈黙、それから菜畑が風で波を打っているような弦楽器のリズムは規則的、合理的な時間を、色々な楽器が雀の声を象徴したモチーフを演奏する部分は全く不規則で非合理的な時間を構成しております。
(6)このように、フランスに住んで日本的な題材を作曲しております。それは、パリに住んでいるからこそ「自己のアイデンティティー」に気付づき「日本人」を意識する。これが僕の作曲家としての創作の原点で、自分を磨いていきたいと考えているからです。
第3節 ヨーロッパ伝統楽器のための曲作り
 (1)ヨーロッパで仕事をしていると、ヨーロッパ伝統楽器のための作曲を依頼されることが少なくない。ハンガリーの民族楽器でジプシーが演奏するツインバロム。スコットランドを始めケルト民族が好む楽器バグパイプなどに曲を書いています。これはフランス人作曲家とは別の新しい光を伝統楽器に当てるだろうと期待しているからだと思う。
(2)作品「アゲイン」は、ヨ−ロッパの民族音楽祭で見ることのできる伝統楽器ハーディ・ガーディのために作曲した作品です。アゲインというのは、英語のAgainで、同じ旋律が繰り返して出てくることを意味しています。
第4節 「能」を題材とした曲作り
(1)帰国するたびに、日本の古典音楽に接するよう努めている。その中で特に心を惹かれるものに「能」がある。オペラはルネサンス時代、古代ギリシヤの悲劇を再現しようとして生まれた仮面劇で、すべて男性によって演じられる「能」と共通性がある。フランス政府から新作オペラの依頼を受け、「能」を題材に取り組んだのが能オペラ「隅田川」です。
(2)謡曲「隅田川」を題材に取り上げたもので、感情の起伏はありますが、あまり大袈裟にしたくない。歌い方も話し言葉に近いリズムで歌わせています。楽器は打楽器だけで、指揮者がいないオペラは、世界で初めてだったかもしれません。
第5節 最後に
(1)作品「空蝉」は僕がコンセルヴァトワール在学中に初めて書いたオーケストラ曲です。この曲には、蜩やつくつく法師、油蝉など6種類の蝉が登場します。僕は、蝉の声が大好きで「北鎌倉」「蝶子おばあちゃん」「円覚寺」の記憶です。この曲には最後の音に「永遠の沈黙」と記された沈黙が20秒間置かれています。
(2)最後に、「僕の音楽遍歴は」決して当たり前の作曲家人生ではなかった。今日まで来られたのは親を始め僕を支えてくれた人々と、僕の作品を評価してくれたフランス人達のお蔭です。

(参 考)   インターネットで聴ける曲:
 《木霊U》   :https://www.youtube.com/watch?v=Ild5TgNqqNI
 《花鳥諷詠》:https://www.youtube.com/watch?v=DbccZX045lw
 《鳥神楽》   :http://www.youtube.com/watch?v=nFGwQZgs7CA
 《演歌T》   :https://www.youtube.com/watch?v=WEkPZVrP-5Q
 《演歌U》   :https://www.youtube.com/watch?v=_iQ78LjAC_Q
 《空蝉》      :https://www.youtube.com/watch?v=K28MpaMfMUU
 《隅田川》   :http://vimeo.com/10206088

質疑応答
「質問1」

  「空蝉」「隅田川」を聴いたフランス人や外国人の感想を教えてください。

「応答1」

  「空蝉」は、蝉の声を題材にしておりますが、フランスでは中部から南に行かないと蝉はいません。南フランスに住んでいる人は蝉かと理解できますが、北の人達は蝉のイメージではなく、純粋に音として聴く。また蝉の声と分かっていても、日本の場合は空蝉というと「はかない」「無常」と結びついています。フランス人には全く無常観とは結びついていない。むしろ南仏の愉しい風物詩というイメージですから、聴き方が随分違います。「隅田川」はオペラですから、ストーリーがあって、多くの人が泣いていました。


「質問2」

  ウイーンの音楽と比較して、パリも音楽の特徴を教えてください。

「応答2」

  ウイーンの音楽いわゆるドイツの音楽は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどがよく聞かれます。またヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」はパリの万博で演奏され、パリの人達に好評を得て有名になった曲です。パリの音楽はラテンですから享楽的です。愉しいことが好きな人達ですから。そういう意味でウインナーワルツなどは好まれた。歴史的にはウイーン・オーストリア音楽とフランスの音楽の違いはありますが、ポピュラーな曲はフランス人も好んでおります。


「質問3」

  日本の古典音楽を素材とした作品に、パリではどの程度お客さんが来られるのか?またその反応・反響はどうですか?

「応答3」

  普通の現代オペラですと4回、良くて6回で終わりになります。「隅田川」の場合は、フランスで22回公演されております。現代オペラとしては例外的です。この曲はフランス各地のオペラ座で公演されました。最後に「空蝉」を聴いてもらいましたが、僕は器楽曲も作曲しています。大体オペラの作曲家はオペラしか作りません。両方共作るのはモーツァルトぐらいです。僕はモーツァルトを狙いたいと思っています。また言葉と音楽は非常に重要です。オペラにはドイツ、フランス、イタリアオペラがありますが、これは言葉からきています。したがって「袈裟と盛遠」「隅田川」も日本語でやりました。日本語は非常に美しい言葉で、こういう日本語の美しい響きをオペラや歌曲を通して世界の人に知ってもらいたい。それが自分の作品の重要な部分です。日本語と言うものを作品に表現できなければ本当の作曲家ではないと思っています。


「質問4」

  フランスの音楽は、40年前と比べ変化してきましたか?

「応答4」

  フランスでは、色々な民族が入り乱れ、「ワールドミュージック」が生まれた。地理関係もあり、他の民族の音楽も積極的に取り入れるということでワールドミュージックが出来たのだと思う。「シャンソン」は、日本で懐メロに近い形です。フランスで様々な音楽祭がありますが、圧倒的に英語で歌われている歌が多い。完全にアメリカに影響を受けている。フランスの音楽状況は大きく変化している。



以上は、「吉田進氏の講演」を國民會館が要約・編集したものであり、文章の責任は当會館が負うものです。



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