ホーム > 武藤記念講座(講演会事業) 慶應義塾 塾長 清家篤氏>「社会保障制度を将来世代に伝えるために」

武藤記念講座(講演会事業)

第1027回武藤記念講座要旨

    2017年2月25日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    慶應義塾 塾長
    清家篤氏氏

 「社会保障制度を将来世代に伝えるために」 

セミナー





はじめに
  今日は武藤記念講座にお招きいただき誠に有難うございます。會館の創立者 武藤山治氏は慶應義塾において福澤諭吉から直接薫陶を受けた塾生で、また後には福澤が作った時事新報の社長も務めてくださいました。その武藤山治氏ゆかりの會館でお話をさせていただくことは、慶應義塾におります者にとって大変名誉なことであります。今日はこれから日本が未曽有の高齢化を経験する中で、日本を世界で類のない豊かな高齢社会にしてくれた一つの要因でもあります社会保障制度を「どのように将来の世代にも伝えていくか」ということについてお話をさせていただきます。

第一章 日本の高齢化は世界一  
第1節 世界に類を見ない高齢者人口比率の高さと高齢化スピードの速さ
  日本の高齢化は文字通り世界に類を見ないものです。日本と高齢化の先進国であるドイツ・フランスの65歳以上の高齢者人口比率を見ますと、今日本の水準は27%ぐらいで、高齢化が先に進んだドイツ・フランスをはるかに凌ぎ、高齢化水準は世界一位になっております。人口の4分の1以上が65歳以上の高齢者で、これはまだ単なる通過点です。2035年、今生まれた赤ちゃんが大人になる頃には、この比率が33%を超え、人口の3分の1以上が65歳以上の高齢者となります。そして2060年、今の大学生が65歳以上の高齢者になる頃には人口の40%となります。5人に2人が65歳以上の高齢者になります。日本の高齢化が世界に類を見ないというのは、この高齢者人口比率が世界で最も高いということが第一の特徴です。第二の特徴は高齢化のスピードが非常に速いということです。65歳以上の高齢者人口比率が7%になった時からその倍の14%になるまでを測るのが一般的です。高齢者人口比率が7%になりますとその社会は「高齢化社会」Ageing Societyと申します。先進国になりますと、高齢化社会にもなります。日本の高齢者人口比率が7%になったのは、1970年 大阪で万博が開かれた年で、まさに先進国の仲間入りをすると同時に高齢化社会に突入しました。ところが日本は1970年高齢者人口比率が7%になってから一気に上昇し、1994年の24年間でこの比率が14%に達しております。高齢者人口比率は14%に達しますと、高齢化社会を卒業し「高齢社会」Aged Societyとなります。ヨーロッパの先進国は7%から14%になるまで50年〜100年かかっておりますが、日本は半分の期間、すなわち倍のスピードで高齢化を進めたことになります。ちなみにフランスでは114年かかっております。日本はフランスの4倍のスピードで高齢化が進んだということです。
第2節 団塊の世代が75歳以上の高齢者に突入
  次に65歳以上の高齢者の中で65歳〜74歳の比較的若い高齢者と75歳以上のより高齢な高齢者を比較しますと、2015年この比率はほぼ1対1です。ところが2025年にはこの比率が1対1.5になります。65歳〜74歳の比較的若い高齢層より、75歳以上の高齢者人口比率が1.5倍高くなるということです。2025年には1947年〜1949年に生まれた団塊の世代の人達が全員75歳以上の高齢者になります。ちなみに団塊の世代の人達は毎年270万人生まれております。昨年生まれた赤ちゃんが100万人の大台を割り込んでおりますので、団塊の世代の人達は、今の3倍ぐらい生まれておりました。その大きな人口の塊が一気に75歳以上に突入します。その結果この比率が急激に高くなるわけです。2060年になりますと65歳〜74歳の比較的若い人達1に対し75歳以上のより高齢な人達が2という非常にトップヘビーな人口構造になります。少なくともこれまでの経験では、75歳を超えると有病率あるいは要介護率は急速に高まってまいります。単に高齢化が進むだけではなく、高齢者の中でより高齢な人達が増えることは、社会保障制度の問題を考える場合とても大切な数字です。
第3節 高齢化の二つの要因「長寿化」と「少子化」  
  このように高齢化は様々な問題を日本の社会に投げかけつつあります。もちろん高齢化そのものは日本の経済社会の成功の結果でこれ自体はとても素晴らしいことです。
  高齢化をもたらす要因は二つあります。一つは「長寿化」です。多くの人達が長生きするようになる。もう一つは「少子化」です。赤ちゃんの数が少なくなってくる。この二つが合わさって高齢化が進むわけです。実はそのどちらもが経済の発展成長すなわち一人当り国民所得の上昇ときれいな相関をなしています。所得が高くなると寿命が延び、出生率は低下する。これが世界の人口の歴史で共通に見られる現象です。
  ちなみに日本人の平均寿命すなわちゼロ歳児平均余命は1947年太平洋戦争が終わって2年後の人口動態統計では、男性が50歳、女性が54歳でした。実は乳児死亡率、幼児死亡率が非常に高かったからです。栄養状態が悪く、小さな赤ちゃんが育たない。あるいは簡単な感染症等で抵抗力が弱いために亡くなってしまうというケースが後を絶たなかったからです。もう一つ衛生状態がよくありませんでした。下・上水道が完備していませんでしたので、多くの子供が消化器系の感染症で亡くなりました。それから年を取った方も長く生きられなかった。それは栄養状態、衛生状態もありますが、住環境がとても貧しかったこともあります。冬は寒い、夏は暑い。そういう所で暮らしているため、高齢者の体力の弱った方が冬の寒さ、夏の暑さを越せずに亡くなるというケースも少なくなかったといわれております。また医療水準が非常に低かった。この医療水準が低いというのは、医療技術の立ち遅れというだけでなく、医療保険制度が未整備だったからです。1947年は皆保険ではありませんでしたので、貧しい人達は充分な医療が受けられなかったわけです。ところが現在の寿命は男性81歳、女性87歳です。人口の少ない一部の先進国を除きますと、日本は男女とも世界で一番寿命が長い国になっております。寿命が短くしていた要因が全て克服されたからです。こんなに短い期間で寿命がこれほど伸びた社会は歴史上どこにもありません。栄養状態の改善、衛生環境の改善、住環境の改善、そして医療水準の向上が「長寿化」をもたらしました。まさに日本の経済発展成長の結果であります。  
  「少子化」も同じ傾向を辿ります。1947年日本人の寿命が50代前半であった時代、女性の合計特殊出生率、女性が生涯に産む平均的な子供の数は4.5人でした。これは日本が貧しかったからです。人口学で貧しい社会は「多産多死」といって、赤ちゃんはたくさん生まれ、たくさん死ぬという人口構造です。日本は貧しい社会の典型的人口構造だったのです。これが豊かになってきますと出生構造が「少産少死」に変ります。子供は少なく生んで、生んだ子供はきちんと育っていく。多産多死から少産少死へ人口転換が図られます。これも典型的な発展途上国から先進国になるプロセスで、しかも日本はこの人口転換が非常に短期間で実現したということです。先進国では寿命の延びと出生率が下がる結果、高齢化は不可避となります。日本は突出してはいますが、これはドイツ・フランスなどでも長い間続いたものです。
  ちなみに少子化、高齢化が意識され始めたのは、世界史的に見ますと19世紀の半ば過ぎ、陸軍大国だったフランスがプロシャに負けた頃からです。フランスでは、この敗戦を契機に少子高齢化を意識し、1世紀ぐらいかけゆっくり人口政策をすすめてきました。高齢化は先進国になり、経済が発展成長すると必ず起きるものです。したがって、先ず高齢者自身が長生きを喜べるようにしなければなりません。また若い人達も子供をきちんと産み育てて幸せな家庭生活を送れるように、また何よりもこれから生まれてくる将来の人達に、今日のような長生きや幸せな家庭生活を送れる状況を伝えていくことが大事です。そのために社会保障制度改革が今必要となっているのです。

第二章 先ず社会保障制度を支える人を増やすことが重要
第1節 人口減少は必ずしも労働力人口の減少にはならない
  高齢者が増えることにより、年金を受け取る人、医療・介護サービスを受ける人がどんどん増えてまいります。しかし給付を削って制度を維持しても、世の中は貧しくなるだけです。給付を大幅には削らず、持続可能なものにしていくことが大切です。そのためには社会保障制度を支える人、つまり働いて付加価値を生み出し、税金や社会保険料を納める労働力を増やすことが最も大切です。
  今出生率の低下傾向により直近の出生率は1.46まで下がりました。出生率は少なくとも2ないと人口を維持できません。現在人口は約1億2千7百万人ですが、今世紀半ばには1億人を割り込み、今世紀終わりには6千万人台と現在の半分になると予想されます。ただし人口が減ると、その分だけ労働力人口が減るわけではありません。労働力人口とは人口とそこに占める働く意志のある人達の比率「労働力率」の積です。例えば人口1億人で労働力率が50%とすれば5千万人が労働力人口です。ですから労働力率を高めていくことができれば、人口が減っても労働力人口は減りません。2014年の労働力人口は約6千6百万人ですが、このまま労働力率が変わらなければ、2030年には労働力人口が約8百万人減少して5千8百万人となってしまいます。ここまで労働力人口が減りますと日本の経済、社会保障制度はもたなくなります。そこで今は働いていない人達が、働けるような状況を作り出すことが必要です。特に30代の女性、60代以降の高齢者が働く比率を高めていくことが重要です。男性の場合、高齢者60〜64歳の労働力率を現在の78%から2030年には89%まで引き上げ、60代後半の労働力率は53%を68%まで引き上げる必要があります。そして30代女性は前半、後半とも71%を15年後に85%ぐらいまで引き上げますと、労働力人口を2百万人ぐらいの減少に留めることができます。このぐらいですと生産性を上げていけば、経済を成長させ、社会保障制度を維持することは可能です。政府は一億総活躍時代ということで高齢者、女性の就労の促進を図っていますが、これをしっかり進めるべきです。
第2節 定年退職制度を見直し高齢者の活用を
  年齢に関係なく能力を発揮できる社会をつくるため「定年退職制度の見直し」が必要です。現在30人以上雇っている企業の93%に定年退職制度があり、内81%は法律の下限年齢60歳を定年と定めていますがこれを見直していく。法律では労働者が希望すれば65歳まで雇用を継続しなければなりませんが、まだまだ定年を65歳以上にする企業は少ない。ただし30〜99人の規模では定年を65歳以上に定めている企業がすでに2割を超えていますし、30人未満の企業などでは定年が65歳以上または定年のない会社はもっと多くなります。中小企業は比較的定年が長く、大企業ではまだまだ65歳のところが多いということです。その一番大きな理由は「年功的な賃金制度」です。若いときは年功賃金がよいのですが、30代後半くらいから徐々に年齢や勤続年数と賃金の関係を弱くしていくことが必要です。20〜24歳を100とした年功賃金カーブが1985年からだんだんフラットになってきていますが、これをさらにもう少しフラットにしていく。
  また年功賃金には20代、30代、40代それぞれの必要に応じた生活給という考え方があります。労働者の生活を無視した賃金の考え方はありえませんが、生活の範囲をどこまで見るかは時代により変化します。生活給を世帯主が一家4人の生活を支えるという設定で計算している「世帯主生活給」の考え方は日本だけではありません。アメリカでも1960年代〜1970年代半ばまでは専業主婦が一般的でした。しかし70年代半ば以降、日本が良い車を安く作り輸出し出した頃から、アメリカのブルーカラー労働者の賃金が下がり、そのため夫婦共稼ぎで生活水準を維持する傾向が強まり、1980年代女性の就労率上昇に繋がりました。二人で働くことで豊かな生活をするという生活給の構造に変わったのです。日本でも1990年代初めは、まだ世帯主生活給を多くの企業で払えていましたが、バブル崩壊以降だんだん厳しくなり年功賃金もフラットになってきました。グローバルな競争が進み、先進国の賃金体系は世帯主生活給から個人単位の生活給へと変わり、家族の基本的な構造も共働きの世帯が標準的な構造に変わりつつあります。その中で定年退職制度の見直しや、年功賃金がフラットになることは整合的な雇用システムの変化といえます。そのもとで比較的摩擦なく定年を延ばしていくことが可能な状況が出てきているということだと思います。
第3節 女性の労働力率を高める施策を推進する
  今内閣の最大の課題は、女性の労働力率を高めることです。高齢化が進む一つの要因が少子化です。実は出生率の下がり方は一本調子ではありません。1940年代の終わりに4.5あった出生率は、1960年頃には2という水準まで一気に下がり、半分以下になりました。その後1970年代半ばまでは2の水準で推移しました。ところが70年代の後半から出生率の水準が2を下回り出し、2005年には1.26まで下がりました。その後少子化対策が功を奏し反転上昇し現在は1.46まで回復していますが、まだ2には相当遠い。安倍内閣では1.8まで回復したいと対策を進めております。
  70年代半ば以降出生率が下がりだした理由ははっきりしています。子育てのコストが高くなったからです。子供を生み育てる費用が急速に高くなった理由は二つあります。一つは直接費用で、子供の生活費、そして教育費などです。もう一つは機会費用と言われるもので、子供を生んだり育てたりすることによって失われる経済的損失です。これが先進国になり豊かな社会になればなるほど急速に高まってきます。例えば大卒女性が定年まで働いた時に得られる生涯賃金額は約2.5億円と推計されています。この女性が働き始めて10年で結婚・子育てのため仕事を辞め専業主婦になった場合、生涯賃金は5千万円くらいです。残り2億円は本来稼げるはずだったのに放棄した収入となり、機会費用ということになります。あるいは結婚して家事や育児を両立するためフルタイムからパートになる。パートは同じ仕事をしても正社員の6掛けくらいですから、生涯賃金も1億円くらいの機会損失がでてきます。このように機会費用が非常に大きくなるのは、子供を生み育てながら仕事を続けられる環境になっていないからです。したがって解決策は、女性がキャリアを捨てずに、仕事を続けながらも子供を生み育てることができるような環境をつくる。このことが出生率を高め、同時に女性の就労率も高めることになります。具体的には、保育サービスを充実する、子供手当てを充実する、教育費を軽減する、というようなことが何よりも大切だということです。出生率と女性の就労率を国際的に見た場合、非常にはっきりした正の相関関係があります。女性の就労率が高い北欧諸国は女性の出生率も高い。一方女性の出生率が低い日本、韓国(出生率約1.2)、台湾(同約1.1)は女性の就労率も低い。したがって今政府が進めている待機児童ゼロ、育児サービスを充実する政策は正しいわけです。これは社会保障制度を改革していく中でとても大切なポイントです。

第三章 社会保障制度の給付の見直し
第1節 伸び続ける社会保障給付費とその特徴  
  社会保障給付総額は2012年に約110兆円、現在は約120兆円近く、そして2025年には約150兆円と、2012年の1.36倍に上昇します。また給付に占める年金・医療・介護の三つの給付ウェートが非常に高い。2012年度では年金が約54兆円、医療が約35兆円、介護が約8兆円と給付の9割以上です。それに対し子供子育て支援は4.8兆円、残りが生活保護・その他となっております。すなわち社会保障給付の大きな部分は高齢者向けの年金・医療・介護で、若い人の子供子育て支援が非常に少ない。これは制度的な理由があります。年金・医療・介護は社会保険制度で保険料収入・一定の税の補助という恒久財源があり、それに伴い支出も順調に増えていくわけです。ところが子供子育て支援は保険制度ではない。保険はリスクに備えるための制度です。予想外のことが起きた時、病気になったり介護が必要になったり、そういう保険事故が起きた時に給付がなされる制度です。年金保険は、年をとるリスク、正確には予想外の長寿に備える保険です。年をとるのは一定年齢まではある程度予想範囲内で、保険ではなく貯蓄で賄えます。しかし予想よりも長生きした時、初めて保険事故として保険がおりる。今65歳まで生きるのは予想外ではありませんので、保険事故としての年金はもう少し後からもらえるようにしてもよいかもしれません。しかし子供子育て支援については、子供を持つということは事故ではありませんので、保険事故に馴染まないということで社会保険制度になっていないわけです。したがって子供子育て支援は税財源でやろうということになりますが、税収はそんなに多くないですから、子育て支援は抑えられてしまいやすくなるのです。
第2節 「社会保障制度改革国民会議」の提言
  野田政権の時、三党合意で「社会保障制度改革国民会議」がつくられ、安部政権の下で議論を重ね、最終的に2013年夏、答申を出しました。年金・医療・介護・子育て支援の四つを検討することが会議に課せられた使命で、消費税を10パーセントに上げた時、先ず子供子育て支援を充実する。少なくとも7千億円できれば1兆円を子供子育て支援の充実に振り向ける、という提言をいたしました。すなわち社会保障給付全体に占める年金・医療・介護という高齢者向け給付と子育て支援という若者向けの給付のバランスをもう少し若者の子育て支援が充実するような形に見直していくということが一つです。
  次に年金と医療・介護ですが、年金はどちらかというと簡単な問題、医療・介護はより難しい問題です。年金給付は2012年度の53.8兆円から2025年度60.4兆円まで1.12倍に増えますが、他方で医療給付は35.1兆円が54兆円の1.54倍へ、介護給付は8.4兆円が19.8兆円に2.34倍になります。年金は受給する資格のある人の増えるペースでしか増えません。またマクロ経済スライド制で年金の実質給付額を抑制する仕組みが機能するようになれば実質の伸びはさらに緩やかになります。これに対し医療・介護は高齢人口の増加以上のペースで増えていきます。その理由は高齢者の中で75歳以上のより高齢な人達の比重がこの10年間、特に2025年にかけて急速に高まっていくからです。単なる高齢人口増加だけではなく、医療や介護をより多く必要とする人口の増加による影響です。更に医療は質もどんどん高まっていきますが、そうした良い薬、良い検査、良い手術は値段も高くなります。医療水準が高まれば高まるほど医療の単価は高くなるわけです。介護では介護サービスを提供する人材を確保するために介護の値段を高くしていかなければなりません。労働力不足は介護の費用を高くします。
  また年金は保険料や税金を集めて、年金受給者に年金を配るお金の話で完結します。保険料や支給開始年齢を変えるということで問題は解決します。ところが医療・介護は単なるお金の問題ではありません。医療・介護は、保険料や税金という形で国民から費用を徴収しますが、給付はお金ではありません。お医者さんや看護師さんが患者さんを治療する、あるいは介護師さんが介護サービスを提供する。すなわちその費用はお金で集めて、給付はサービスで行うのが医療や介護です。そこにサービスを提供する人達が介在します。つまりお医者さん、看護師さん、介護士さんが集まらなければ、お金は充分に集まっても、絵に描いた餅です。あるいは医療改革をするにも、お医者さんが快くやってくれない改革は進みません。医療・介護は変数が多く難しい問題です。過去10年ぐらい最大の問題点は、比較的簡単な問題である年金に多大な政治的エネルギーを投入し、より難しく深刻な問題である医療や介護の改革をないがしろにしてきたことです。これを本当に真剣にやらないといけません。
  財政的には、年金に貴重な税財源をあまり投入することはないと思います。むしろ医療・介護です。75歳以上の殆どの人は病院通いをしています。これはもうリスクとはいえません。日常的なことです。リスクに備える保険制度ではカバーしきれません。税財源を投入するしかないわけです。なけなしの税財源は、医療・介護そしてその前に子供子育て支援にしっかりと投入して行く。そういう社会保障制度改革が必要になってくる。そして元気な高齢者には、働き続けることで社会を支える側にいてもらうということです。
  これから高齢者の定義も見直す必要もあると思います。先般日本老年学会が、高齢者の定義を65歳から75歳にすべきだと提言をして社会に波紋を投げかけました。少なくとも65歳を高齢者と定義し年金を給付するということはもう止めた方がよいと思います。直近の簡易生命表では、65歳の平均余命は男性が19年、女性が24年です。これでは高齢者となってからの期間が長過ぎます。進学率も高くなっていますから、働き始めるまで20年強、そして65歳まで約40年間働く。その後約20年の引退期間。80年の長い人生の中で、半分は社会を支えるが、半分は社会に支えられるというのはバランスとしていかにも上手くない。高齢者が就労を続けつつ、消費活動を行ない、社会保険料や税の負担をするという形で経済も発展するし社会保障制度の持続可能性も高まってまいります。
  これから介護の問題も大変深刻になってきます。今日本全国で認知能力に問題がある高齢者の方の人口は約5百万人いると推計されています。これが今から10年の間に2百万人増え7百万人になるといわれています。特に認知症を発症した方の介護の場合は、ほとんど一対一の介護が必要になってきます。ただでさえ介護労働力が不足気味で、このままでは介護離職者もさらに増えてまいります。つまり親の介護のため子が仕事を辞めて介護するというケースがますます増えます。40代、50代の経験豊かな労働力がいなくなることは、経済全体に単に労働不足以上のより深刻な影響を与えます。では介護離職を少なくするために病院に入院させるかというとそうはいきません。日本はすでに人口一人当りのベッド数は先進国の中でも一番多くなっています。高齢者の入院が増え、多くのベッドを占領しますと、本当に入院が必要な人達が入院出来なくなります。したがって、高齢者の中で特に介護を必要とするために病院におられる方々には、在宅または病院と在宅の中間施設である様々な老人施設で介護と医療が一体となった「地域包括ケア」に移っていただく。そうしないと医療の体制は持続可能でなくなってしまいます。もちろん要介護の状態にならないため様々な生活習慣病予防も積極的にやらなければなりません。慶應義塾大学では、百寿調査という100歳以上まで生きた方の調査をおこなっております。その人達の遺伝子から過去の生活習慣などのデータを調べますと、長寿にプラスの要因も分かってきています。例えば、皆さんおしなべて小学校の成績がよろしい。もしかすると小学校の頃成績が良かった人は真面目で、健康にも良く注意し、お医者さんの言うことなども良く聞く。あるいは知的好奇心がある。そのようなことが長生きをする要因かも知れません。生活習慣病を予防して、健康長寿を目指していくことが政策的には重要です。あるいは人工頭脳、AIなどを検査や診断の面で活用し、お医者さんは、より多くの時間を治療に費やす。そのような形で医療の効率化を進めていくことも必要になってくると思います。
第3節 社会保障に打ち出の小槌はない
  社会保障は誰かがこれを賄わなければなりません。現在の状況を言えば社会保障給付の大宗はまだ保険料で賄われていますが、すでに3割程度は税によって補填されています。しかし税収は十分ではないので、結局のところそのほとんどが国債で賄われています。国債は将来返済しなければならない借金ですから後世代の負担になります。人口はどんどん減りますから、国の借金の総額は同じでも、後の世代になればなるほど1人当りの借金が増えます。まして借金の総額も増えればなおさらです。打ち出の小槌はありません。日本を世界に冠たる豊かな長寿社会とした社会保障制度を将来世代に伝えていくためには、今思い切った増税をするか、あるいは給付のカットをするしかありません。おそらく我々がしうることはその両方を我慢出来る範囲の中で、しかし着実に進めていく。将来へのつけ回しはこれ以上許されません。我々の世代で、負担をきちんとし、給付を合理化していくことによって、社会保障制度をしっかりと将来世代に伝えて行かなければなりません。

おわりに
  最後に慶應義塾の創立者である福澤諭吉の言葉を三つ紹介させていただきます。
  一つは「奴雁」という言葉です。福澤は「群雁野に在て餌を啄むとき、其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、之を奴雁と云ふ。学者も亦斯の如し。天下の人、夢中になりて、時勢と共に変遷する其中に、独り前後を顧み、今世の有様に注意して、以て後日の得失を論ずるものなり。」と言っております。つまり雁の群れが一心に餌を啄ばんでいるときに、一羽だけ首を高く上げて、周囲の番をする雁がいる。これを奴雁という。知性のある者は同じ役割を果たさなくてはいけない。世の中の人達が夢中になって、目先のことに、汲々としているときに、ひとり歴史を顧み、そして現状を冷静に分析して、将来のために何がよいかということを考える。そういう者でなければいけない、ということです。
  次に「公智」ということです。これは福澤の主著「文明論之概論」の中心的な概念です。「人事の軽重大小を分別し軽小を後にして重大を先にしその時節と場所とを察するの働を公智と云う。」つまり物事は全て相対的なものだ。その中で重いものを先に軽いものを後にする。この判断ぎりぎりのところで選択をする。この判断をする力を公智という。福澤は智と徳が文明を進歩させるものだと、言っています。そしてこの智と徳をさらに私と公にわけ、私徳とは、謙虚、親切といった、個人の心の内の徳を、一方公徳とは、公平、勇気といった社会の中で示される徳だと言います。そして智についても、私智とは勉強ができるというような一身上の智、それに対し公智とは、今大切なのは何なのかということを判断する判断力を言い、この公智こそ大切だと言うのです。そして公智の基準になるのが科学(サイエンス)という意味の実学だと考えていました。
  「実学」について福澤は「本塾の主義は和漢の古学流に反し、仮令ひ文を談ずるにも世事を語るにも西洋の実学(サイヤンス)を根拠とするものなれば、常に学問の虚に走らんことを恐る。」と述べております。当時の儒学などでは、昔偉い人が言ったことを金科玉条のように覚えるのが主流であった時代に科学的な思考方法の重要性を説いたわけです。物事をまず疑ってかかり、それについて仮説を作り、その仮説を検証して結論を導く。イデオロギーに走らず事実を見つめるということです。
  福澤の「奴雁」「公智」「実学」という考え方こそ、日本の社会保障制度のこれからのあり方を考える際、思い起こさなければならないことであると思っています。

質疑応答
「質問1」

  日本の生産性は先進国のなかで最低だという話を聞きますが、人口と労働生産性アップにかなり相関性があるとすれば、就労人口、生産力率も大きく変わってくる可能性があると思いますが。そこはどう考えれば良いでしょうか。

「応答1」

  生産量は、労働者数掛ける一人当りの労働時間掛ける時間当りの生産性。この三つの変数の積が生産量です。これから一人当たりの労働時間はもう長くできませんし、労働者数も減ってくるわけですが、最後の労働生産性を高めれば生産は維持できることになります。何としても労働生産性を高めていかなくてはなりません。ただし労働生産性が低くなるのは実は統計上の問題もあります。特にサービスの生産性が低いのはそのためも大きい。サービス業の労働生産性が日本は先進国の中で格段に低いのは、端的に言えば価格が低いからです。例えば、皆さん海外旅行の経験があると思いますが、日本のサービスはとてもきめが細かくて、おもてなしの心があります。そして安い。ところが海外で同じサービスを受けようと思ったら、とても高いホテルに泊まり、チップも弾まないといけない。つまり日本のサービス業の生産性が低く出るのは、日本は質の高いサービスに対して、低い価格しか払っていないということです。したがって正当な価格がつけば、サービスの生産性は格段に高くなるはずです。また医療などの分野では、機械でできる検査、診断などはお医者さんから人工頭脳に切り替える。数年先には実用化されるというトラックの自動運転などで生産性を高めていくことも必要です。


「質問2」

  日本の国債が1千兆円を越えて、果たして返せるのかなと思います。インフレに持っていくしかないと思いますが。またバランシートでは何百兆円も資産があるわけです。どう考えたらよいのでしょうか。

「応答2」

  国債は国民の借金ですから、それは国民が返さなければいけない。返す方法は大きくわければ二種類で、一つは増税。もう一つはインフレです。いずれも国民の可処分所得は減ります。つまり国民の生活水準がどちらかの形で下がります。そういう形で返さなければいけないということです。国内の資産と負債のバランスですが、幸い日本の国債の多くは日本人に所有されておりますが、海外の人達も相当程度日本の国債を買っております。それを返せるか、返せないかという問題の前の段階で、まず国債の価格が暴落するだろうということです。国債価格が暴落するということは、金利の急上昇を意味します。ポイントは市場がどう判断するかで、それは結局のところ日本国が負債を返すつもりがあるかどうかということに尽きます。つまり国債を持っている人達が、あるいは国債に投資しようとしている人達は、危なくなったと考えれば売りに走りますので、その時には国債が暴落します。そうしますと金利は急騰し、日本の国の財政が破綻します。多くの企業の財政状況もいっきに悪化するということになります。ですからこの国債の問題は、最終的に返せるかどうかというよりは、途中の段階で国債の価格が暴落しないかどうかということがポイントだろと思います。

   今のところ、日本の政府は、借金を長期的には返済するという意思があると思われています。国債価格は非常にしっかりと安定していますし、金利も低い状態ですので、少なくとも当面は大丈夫だということなのだろうと思います。



以上は、「慶應義塾長 清家篤氏の講演」を國民會館が要約・編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものです。



お問い合わせ

イベント情報や館内のご利用についてなど、お気軽にお問い合わせください。

※メールソフトが開きます

お問い合わせ