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武藤記念講座(講演会事業)

第1029回武藤記念講座要旨

    2017年4月1日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    新潟県立大学教授 
    袴田茂樹氏

 「激動の国際情勢と日露関係」 

セミナー





1.混乱する世界情勢をどう見るか
  今や1年先あるいは1月先、何が起きるかわからないという激動の時代になってしまいました。最近のプーチン、トランプ、習近平の行動を見ますと「ロシアのクリミア併合」「何をするか、何を言うか全く読めないトランプ」「中国は南シナ海全体が中国領海である。そして東シナ海では尖閣を巡って日本と軍事衝突か」という物騒な時代になりました。私は「歴史の生地が出て来ている」と見ております。長い歴史を見ますと、安定していた冷戦時代の方が例外です。今は第一次世界大戦、第二次世界大戦が起きた20世紀前半と酷似しております。ロシア専門家が17〜18世紀のヨーロッパ全体を巻き込んだ「クリミア戦争」を書いていますが、まるで現在を描いているような感じがします。地政学的な国際関係、政治状況が復活していると言えるかもしれません。
  冷戦時代は、自由主義と共産主義の二つの陣営の枠組で、歴史の主役であった国家・民族・宗教などの様々なファクターが抑え込まれ、安定した状況でした。ソ連邦が崩壊し、二大陣営という枠組みが壊れた途端、様々なファクターが「パンドラの箱」を開けたように歴史の表舞台に飛び出して来たというふうに見ております。ソ連邦の崩壊が1991年。マーストリヒト条約でEUの合意が出来たのが1992年です。共産党一党独裁体制の大部分がなくなり「自由、民主主義、人権といった普遍的価値が重んじられる安定した世界が生まれる」との考え方が広まりました。日系アメリカ人のフランシス・フクヤマが、「歴史の終わり」という本で、対立・紛争の歴史は終わったと書いたのも1992年でした。21世紀は「グローバル化が進み、スマートホンで世界中の情報が国境と関係なく即座に入って来る。企業は世界中に工場を持ち、金融はインターネットを通じて富が瞬時に動く」という新しい現象が出ているのは確かです。十年前までは、政治学でも政治家の間でも、21世紀には国民・国家、領土・領海、国境・主権といったものは意味を失っていくという見方が主流でした。EUがそのモデルとして理想化されたのですが、世界の現実がそれを裏切りました。冷戦時代、尖閣問題は存在しましたが軍事衝突の可能性を考える人は一人もいませんでした。中国が南シナ海で勝手に島を埋め立て、飛行場や基地を作ることは考えられなかった。シリアを巡る中近東の現在の混乱も考えられなかった。冷戦が終わり、楽観主義の世界観が広まりました。しかし現実がそれを裏切りました。今歴史の生地の部分が出て来て、新たな地政学の時代になっていると見ております。

2.北朝鮮の核・ミサイル問題と我が国の異常な政治状況
  北朝鮮が核兵器やミサイルを開発する。金正男をVXで暗殺する。VXは化学兵器、毒ガスで、これを使って攻撃されたらとんでもないことになります。ところが今の日本の国会やマスメディアは、目前に生じている危機をそっちのけで、どこかの小学校の問題を国の最大の問題であるかのように論じている。日本を安全に守る真剣な議論が殆どなされない。ここ数年、安保法制の問題が議論されましたが、まるでスコラ哲学的、観念的な憲法論議が延々となされる。「日本人、そんな呑気にしておれる状況ですか」と言いたい。2000年代初め、アメリカがアフガニスタンのタリバン政権を倒し、フセイン政権を倒し、その力を世界に見せた時、リビアのカダフィーは震え上がって核放棄を約束しました。金正日も暗殺を恐れ、長期間姿を隠しました。その時が、北朝鮮に核開発を放棄させる唯一の時期だったのではないか。しかしその時、小泉首相が訪朝して宥和策を提案し、その後六者協議が始まりました。これは北朝鮮に核を開発させる猶予期間を与え、しかも最貧国の北朝鮮を世界政治の主役に祭り上げる役割を果たしただけではないか。
  拉致問題に関しても、小泉首相は相当数の拉致被害者の内5人は連れ戻しました。しかしその少し前の1967年に「東ベルリン事件」がありました。これはドイツに留学していた韓国の知識人達が、ある日突然消えてしまった事件です。KCIA(韓国中央情報部)が、彼らを北朝鮮のスパイ嫌疑で韓国へ不法に連行し、死刑判決・無期懲役の判決を下したことに対し、西ドイツが直ちに韓国に国交断絶(戦争の一歩手前)を突き付け、その年の内に17人全員を取り返した事件です。小泉首相が北朝鮮を訪問した時の「平壌宣言」では、拉致問題を「日本国民の生命と安全に係る重大な問題として話し合った」と言っていますが、横田めぐみさんなどが拉致されたのは1970年代です。すぐに北朝鮮の仕業ということは新潟県も日本政府関係者も分かっていたのですが、国会で問題にされたのは10年ぐらい経った後の話で、しかも「自国民の人道問題」として扱われています。西ドイツが他国民の不法連行や拉致を「主権侵害」として直ちに断固たる姿勢を示したことと比べ、日本との違いがよくわかると思います。日本人の場合「主権侵害」について、世界各国が真剣勝負で対応していることが分かっていない。国家の主権は単なる体面の問題、そんなことに拘って経済的に支障をきたすのはナンセンスという見方の方が圧倒的に多い。
  さて今北朝鮮に核を放棄させることが非常に難しくなってきています。結局カダフィーは殺害され、クリミアはロシアの武力によって併合されました。カダフィーやウクライナが核を持ち続けていたならば、おそらくこういう運命にならなかった。1994年の「ブダペスト合意」でウクライナの主権を保証したアメリカやイギリスは、ロシアのクリミア併合を事実上黙認した。これを見てきた金正恩は、核保有の必要性をますます確信したはずです。

3.トランプ政権とプーチン政権
  プーチン大統領は、アメリカの雑誌フォーブスで4年続けて「世界で最も強力な政治家」としてクローズアップされ、そういう状況下で、アメリカにトランプ政権が誕生しました。選挙期間中トランプ自身プーチンを非常に持ち上げていました。また国務長官で元エクソンモービルCEO・会長のティラーソンは、ロシアのエネルギー開発に随分力を入れ、国家友好勲章をもらっております。トランプが大統領に当選した時、あるいはティラーソンが国務長官に指名された時、ロシア議会では歓声が上がりました。彼らはクリミア併合など全く問題にしていませんでした。「ロシアと仲良くすればよい」と公然と述べていました。
  しかし最近雰囲気が変わってきました。フリン大統領補佐官が、選挙期間中に駐米ロシア大使と接触していたことで退陣を迫られ、ティラーソンも上院公聴会で「ロシアはアメリカの脅威である」と発言をせざるを得なかった。国防長官のマティスは、2月のNATO国防総省会議で「NATOにとって最大の脅威は、イスラム過激派でもなく、サイバーテロでもなく、ロシアの領土的拡大だ」とストレートに云った。トランプ自身も、高官のロシア疑惑の火消しにおおわらわで、ロシアに対し意図的に厳しい姿勢を示し、今軌道修正がされているようです。
  ロシアはトランプ政権を当初歓迎しました。しかし最近はアメリカ政府の中枢にいる人たちが厳しい対ロ発言をするので、アメリカに対し強い不信感あるいは反発を感じており、米ロ関係は緊張するでしょう。ロシア人のメンタリティから見ますと、トランプが大統領になったときロシア人は喜んだと言いましたが、彼を高く評価し、尊敬しているかというと全く違います。国際戦略の問題を単なる目先の損得勘定で動くプラグマティストとして尊敬していません。マティス国防長官のようにロシアに厳しい姿勢を示す者でも、筋の通った国家戦略的なリアリストは、嫌な奴だけども「敵ながらあっぱれ」と内心では尊敬します。トランプも「力」を示せば、怒っても内心尊敬されるでしょう。
  それではロシア人は日本をどう見ているか?ロシアには「ロシアのムジーク(百姓・男)は、ぶん殴られたら相手を恨むよりも前に尊敬する」という諺があります。ある程度緊張感を与える人間は嫌な奴と思っても内心尊敬する。あるいは一目も二目も置く。逆にすり寄ってくる人間、機嫌を取る人間は、都合がいいと思って大いに喜び歓迎もしますが、内心は軽蔑する。尊敬はしない。日本がどう見られているのか皆さん分かると思います。

4.トランプ大統領の中国への厳しい言動
  アメリカはこれまで各国に軍事基地を置いていましたが、単にその国を助けたのではなく、国際的なルールメーカーとして、自分の土俵で相撲を取らせてきたということです。しかし目先の損得勘定を重視するトランプは、中国に対して毅然とした対応ができるか疑問です。今は対外赤字トップの中国に高い関税をかけると厳しく言っていますが、戦略的に中国の問題にきちっと対応できるか。中国の対応次第でどう変わるかわからない。日本もそういうことを念頭に置いて米中関係を見る必要があると思います。トランプ政権はアメリカの安全保障の要である情報機関とも対立しており、今後難しい問題が起きるかもしれません。トランプの長女イヴァンカの夫クシュナは、大統領の上級顧問という公的な地位についていますが、中国の保険大手から4億ドルもの融資を受けるとかいろいろ結びつきがあるようです。このようなことも念頭に置いて米国の対中関係を見る必要があると思います。

5.北方領土問題
  12月にプーチンが訪日しましたが、それ以前に安倍首相は数回ロシアを訪問、昨年5月のソチでは、「新しいアプローチ」による7項目の経済協力の提案もしました。安倍首相は「北方領土問題を解決し、日ロ関係を真の意味で正常な形にする。北方領土問題は日本の領土、主権が侵害されている問題」という認識をはっきり持っております。安倍首相以上に北方領土問題に強い執念を持ってロシアに臨んだ首相はこれまでいなかったと高く評価しています。しかしアプローチの仕方が、前のめり過ぎないか。あるいはプーチン政権のリアルな状況をきちんと認識しないで一方的な期待、幻想をもってアプローチしていないかと懸念を抱いています。
  毎年2月「北方領土返還全国大会」が東京で開かれます。総理大臣も外務大臣も必ず出席、また色々な組織や元島民関係者などが壇上でスピーチをします。しかし「元島民が帰れない状況をどれだけ悲しんでいるか」「平均年齢が80歳を超える状況で、彼らが生きているうちに何とか北方領土問題を解決してほしい」と情に訴える発言が多い。もちろん北方領土問題は、元島民の問題であり、周域漁業の問題であり、あるいは根室を中心とした地域経済の問題でもありますが、本質的には「主権侵害」に日本がどう対応するかが問われている問題だと思います。尖閣は日本人が一人も住んでいませんが、中国側も日本側も軍事衝突の可能性が懸念されるぐらいの姿勢を示している理由は、主権侵害の問題だからです。主権侵害に真剣に対応しない場合、あらゆる外交、安全保障全般の問題に影響します。拉致問題を単に自国民の人道問題として捉えると、西ドイツの行動は説明できません。北方領土が元島民の問題なら、一人の日本人も住んでいない尖閣諸島は、守る意味が失われます。問題は主権問題なのですが、しかし日本ではそういう認識が残念ながら十分定着しておりません。
  1956年「日ソ共同宣言」(56年宣言)が結ばれましたが、平和条約は結べませんでした。本来平和条約の内容となる事柄はほとんどその時解決しています。戦争状態も56年宣言で法的にも終わって国交も回復しました。漁業協定とか、抑留者の帰還とか、日本の国連加盟とか全て可能になりました。平和条約が結べなかったのは領土問題が解決していないからです。
  56年宣言の内容は、平和条約締結後、歯舞、色丹の二島を日本に引渡すという内容です。四島の内の二島だから、半分だと思ったら間違いです。面積では、北方領土の僅か7%の小さい島二つです。フルシチョフは、残りの島が未解決の領土問題であるとは認めようとしませんでした。しかし1993年「東京宣言」が「択捉、国後、色丹、歯舞の四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結する」という内容で結ばれました。四島の「返還」ではなく「帰属」というニュートラルな表現ですが、ロシア側が「四島の帰属問題が未解決」ということを認めたことは大きな意味があります。四島が未解決の領土問題だと認めたからです。
  プーチンは2000年大統領として初めて日本に来た時56年宣言を認め、2001年のイルクーツク合意では東京宣言を認めました。更に2003年の日露行動計画でも東京宣言が平和条約締結のため非常に重要な合意であるということは認めています。しかし2005年9月国営テレビで「南クリル(北方四島)は第二次世界大戦の結果、ロシア領となり、国際法的にもそれは認められている」と公然と述べております。東京宣言を否定した訳です。実は現在に至るまで、プーチンはその立場を全く譲っていません。
  日本の首相や外務大臣が「ロシアに対する平和条約、領土問題解決に関する日本の基本方針」という時は、「四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結する」という東京宣言の文言を使います。昨年の10月3日の衆議院の予算委員会で、民進党の前原議員が岸田外相に、「四島の帰属というのは、日本への帰属ですか」と質問しました。岸田外相は「四島は日本の領土である。日本のこの問題に関する基本方針は、四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結するということであります」と答えた。すると前原議員が「何故二段に分けて答えるのですか。私は単に、日本への帰属ですかと聞いているだけですよ」と。このようなやりとりが続きました。それを見かねて安倍首相が「四島は日本の固有の領土です。我が国のこの問題に対する基本方針は、四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結する。それに一言も付け加えることはありません」と議論を打ち切りました。
  実はこのやり取りの本質は、わが国が、「北方領土問題の原則」と「北方領土交渉の基本方針」を分けているところにあります。原則は「歴史的にみても、国際法的にみても、四島は日本の領土である」ということです。しかし平和条約問題、領土問題に対する基本方針は、先ほどのニュートラルな表現を使っているのです。つまり原理・原則と基本方針を分けているのです。岸田氏は「もちろん日本への帰属です」と言いたいところですが、それを言ってしまうと原則を正面に出すことになり、ロシア側が交渉を拒否する絶好の口実を与えてしまうため、二段構えで答えているのです。三者ともそのことをよく理解しているので、このような質疑応答になったのです。しかし、このことを今の外務省が出している『われらの北方領土』という冊子の前文ではごっちゃにしています。したがってマスコミ関係者も分かっている人はほとんどいません。元外務省の関係者から、東京宣言の文言では、四島の「帰属問題」という言葉にたどり着くまでに随分苦労したと聞いております。彼は、外務省内でさえも、基本的な国家主権の問題とか、領土問題とかの本質を分かっていない人が多いということを非常に懸念していました。
  また、「簡単に四島は帰ってこないから、とりあえずプーチンが認めている56年宣言に従って二島を返還してもらい、残りは継続協議で、最終的に結論が出たら平和条約を結ぶのが現実的である」という意見があります。二島先行論とか段階論と言われますが、これは論理的に成り立ちません。二島を返還させるためには平和条約を結ばなければなりませんが、平和条約を結んだ後に残り93%の領土交渉というのはあり得ないことです。平和条約は戦後処理が最終的に終わったと意味する以上、今でさえロシアが領土問題を交渉しようとしないのに、平和条約を結んだ後に、更に残りの93%の領土交渉をすることはあり得ません。一方平和条約ではなく「友好条約」など中間条約で二島を日本へ返させ、その後四島の帰属問題が解決したら最終的に平和条約を結ぶ、というのも論理的に成り立ちません。56年宣言に従う限り、中間条約でロシアが日本に二島を引き渡すというのはあり得ないからです。ロシアが中間条約で二島を引き渡し、最終的に四島の帰属問題が解決したら平和条約を結ぶ、ということに同意するのであれば、二島先行論とか段階論に私は大賛成ですが、論理的にも現実的にもあり得ないことです。新聞などはいい加減な論が載っていますが、皆さんにはこのことを是非理解して欲しいと思います。
  「国家の主権と言うけれど、そんなことは俺たちの生活にはほとんど関係ない。単なる国のメンツの問題で、そんなもののために国と国とがごたごたする必要があるのか」という考えがあるかもしれません。これに対し、次のような例で問題の重要性を指摘したいと思います。
  2012年7月3日に、当時のメドベージェフ首相が「これは純粋に地方視察であって、政治的な意味はない」と言いながら、北方領土の国後島に一時間か二時間居てすぐにサハリンに引き返した時、「クリル(北方領土)は一寸たりとも(日本に)渡しません」「日本政府がどんなに抗議しようと問題にしません」と極めて政治的な発言をしました。かつてソ連時代も含めロシアのトップが北方領土は訪問していません。それは係争の地にトップが訪問するというのは、あまりにも挑発的だからです。しかし彼は大統領の時と首相の時、共に訪問しています。「私がここに来たことによって、日本人の酒はさぞかし不味くなったでしょう」そのような挑発的、侮辱的な発言もしています。
  実は7月28日、民主党が政権を握っていた時代ですが、玄葉外相とラブロフ外相がロシアで外相会談をすることになっていました。その直前に、メドベージェフがそういう行動をとったわけです。国際的には、「到底外相会談ができる雰囲気ではない」と日本側が会談をキャンセルあるいは延期するのが当たり前です。しかしこの時の日本の外務大臣は、プーチンへの秋田犬をプレゼントに携えてロシアに訪問したのです。もちろんロシア側は喜びましたが、内心は日本を「弱者」と見てバカにしています。
  それを注視していたのが、韓国の李明博大統領です。彼は竹島を訪問して支持率を上げようと思っていたけれども、日本の反応が怖かった。そこでメドベージェフの北方領土訪問に日本がどういう反応をするか非常に注視していた。「日本は領土問題で色々抗議するけれど、主権侵害に真剣には対応していない」と見て、すぐ8月10日に竹島訪問しました。それを境に日韓関係が一挙に悪くなった。
  また連鎖反応としてその翌月9月11日に日本は尖閣を国有化しました。民有地の国有化は領土問題には何の関係もありません。にもかかわらず中国は「主権の侵害」だとして、中国全土に反日暴動が起きました。これらは連鎖反応です。つまり「北方領土などあんな小さな島に何故こだわるのか」という人がいるかもしれませんが、主権侵害にいい加減な態度をとると、それが様々な国際問題に波及するのです。
  実業界の人が「靖国問題とか領土問題とか、政治は経済の邪魔をしてくれるな。経済は経済であり、政治の介入で被害を受け入れるのはわれわれ経済界なのだから」と言いたくなるのはわかります。しかし実業界が寄ってたかるODA(政府開発援助)は税金であり国家政策であり、まさに政治です。同じ意味で、実業界が奪い合っている国家発注や公共事業も政治です。都合のいい時には政治にたかり、都合の悪いときは、「経済は経済だ、政治は邪魔するな」というのはご都合主義ではないでしょうか。経済界の人々も、国家主権の問題についてもう一度考えて欲しいと思います。

6.日露首脳会談の総括
  この12月の日露首脳会談で、領土問題に関しまして成果はゼロでした。プーチンは何の譲歩もしませんでした。一応成果らしきものとして挙げられたものは2つあります。「北方四島における共同経済活動」と「元島民の島への自由往来の拡大」を成果として政府が発表しています。「プーチンが56年宣言で二島しか触れていないにも拘わらず、四島で共同経済活動をやろうと言っていることは大いに歓迎すべきことであり成果である」「二島ではなく四島全体に日本が関わる様になれるということは四島返還に一歩近づくことになる」と。NHK、毎日、産経その他のメディアの世論調査でも70%前後の日本国民が四島での日ロ共同経済活動に賛成しています。しかし私はこの世論調査は欺瞞だと思っています。肝心な事実を伝えていないからです。実は四島の経済活動は1990年代にロシア側が最初に提案しました。プリマコフ元首相・外相が強く四島の共同経済活動をやろうとして、小渕首相がモスクワを訪問した1998年に「共同経済活動委員会」が出来ました。何故ロシア側がそういう要求をしたか。ロシアは共同経済活動を「ロシアの法律の下で行う」という条件をこれまで崩していません。ロシアの法律の下で共同経済活動を行うということは四島に対するロシアの主権を認めるということになり、日本側はそれを認められません。そこで「両国の立場を損ねない形で」という条件をつけて四島の共同経済活動委員会をつくった。両国の立場を損ねない形ということになると、日本はロシアの法律の下で共同経済活動はしないということです。もちろんロシアも四島における日本の法律を認めませんから、実際には何も出来なかった。その時に日本側の要求で「国境線確定委員会」というのが出来ました。これは国境線がまだ決まっていないということをロシア側が認めたということです。国境線確定委員会と共同経済活動委員会を共に立ち上げたのですが、共同経済活動はロシア側があくまでロシアの法律の下で行うという主張を崩さなかったのでほとんど進みませんでした。
  今回も四島における共同経済活動を合意しましたが、ロシア側はあくまでロシアの法律の下でということははっきり言っています。それに対して日本側は、それを認めるとロシア側の主権を認めることになるので、「特別の制度の下で」共同経済活動をやると言った訳です。しかしロシアの法の下でもなく日本の法の下でもなく特別の第三の制度の下でということは簡単なことではありません。かなり多くの日本人とロシア人が四島で生活するとなると、六法全書を1冊作らなければなりません。日本人が長期間そこで経済活動をするということは、そこで生活するということですから、あらゆる問題が起き得るからです。単に税金をどちらに納めるかというそういう問題で済むことではありません。日本政府は「特別の制度の下で」共同経済活動することにロシアは合意したと発表しています。しかしこれは事実に反します。ロシア側は特別の制度の下でというのは認めていません。だから首脳会談後の「プレス向け声明」ではロシア側はその言葉を盛り込むことに強く反対して、結局削りました。
  世論調査をやる時は、「日本とロシアは四島での共同経済活動をしようという話が進んでいるが、ロシア側はあくまでロシアの法律の下でと主張している。日本側は、そうすればロシアの主権を認めることになるのでそれを認めていない」という客観的な事実を知らせた上で、「共同経済活動にあなたは賛成ですか反対ですか」と尋ねる世論調査をすべきです。しかしそのような説明を一切しないで、「四島での共同経済活動に賛成か反対か」と尋ねることは欺瞞的な調査で、国民の支持を取り付けるための何か意図的なものを感じるわけです。
  また、特別な制度が出来たとしても本当に日本の企業は積極的に北方領土に進出するかという問題があります。1970年〜1980年代にインフラがはるかに整備されている北海道の苫小牧で企業を誘致するために税金を数千億円投じて工業団地を造りました。しかしこの企業政策誘致は完全に失敗に終わりました。進出する企業がほとんどなかったのです。ましてやインフラも交通手段も法律さえも整っていない北方四島に進んで出ていく企業があるとは思えない。そういう意味でも北方四島における共同経済活動を成果のごとく発表するというのは問題であると感じております。
  それから元島民の往来枠の拡大といっても、実は今ビザなし交流とか墓参とか併せて3つの特別のビザなし交流の枠があり元島民は何回も行っているのです。今はこういうこの催しの組織者たちは、元島民に参加してもらうのに苦労している状況なのです。元島民はこの合意に随分喜んでいるというのは間違いです。
  それから、船で往来するのは大変だというので北海道と国後か択捉を飛行機で結ぶとしても、これは国際便になるのか、国内便になるのか、国際法的に難しい問題が生じます。当然日本は国内便として扱わなければならない。しかし、ロシア側はそれを認めません。特別にサハリン経由にするにしても、いずれにしても無理があるわけです。これらを「成果」というのは、ある意味で「イチジクの葉」です。つまり今回の首脳会談は、ほとんど成果がなかったという「恥部」を隠すための「イチジクの葉」です。
  またメディアにも問題があります。実はNHKの解説委員たちが雑誌『文春』の1月号に「プーチン大統領豹変」という題で記事を書いている。プーチン大統領が強硬な姿勢に豹変したという意味でしょうが、これはナンセンスだと思います。プーチンは2005年9月以来「四島は第二次大戦の結果ロシア領となり国際法的にも認められている」という立場を変えていません。
  2012年3月に朝日新聞の若宮啓文主筆が、ル・モンドなどヨーロッパの主なメディアの代表と共にモスクワでプーチンと会談をしました。プーチンは柔道家ですから北方領土問題に関するやりとりで、「引き分け」とか、両国外務省に「はじめ」の号令を出そう、などといって、柔道用語を使って話した。これを朝日新聞は、プーチンは平和条約問題で柔軟な態度を示していると、彼とのやりとりを詳しく報じたわけです。
  私はロシアの首相府サイトをすぐ見ました。ロシアでは大統領や首相、外務大臣などが公式的な発言をしますと、すぐサイトに載ります(当時「プーチンは首相)。私はサイトを見て驚きました。朝日新聞がプーチンの深刻な強硬発言を削除しているのです。例えば、プーチンはこの「引き分け」発言と並べて「(歯舞、色丹の)二島以外に日ロ間には領土問題は存在しない」「56年宣言には二島をいかなる条件で日本側に引き渡すか、また引き渡し後にその島に対する主権がどちらの国のものになるかについては書いてありません」と驚くような強硬発言をしているのですが、新聞報道ではその部分が削除されているのです。つまり、「引き渡しは返還ではない」「引き渡した後ロシアが主権を持ち続ける可能性もある」「平和条約締結後の引き渡しも条件次第である」と述べているのです。
  そしてNHKも含めて日本の各メディアは、朝日新聞の報道をベースに同じトーンの報道をしている。朝日は何故強硬発言を削ったのか。その理由は、「引き分け」という一見柔軟な発言をプーチンから引き出したことを大きな手柄にしたかったのです。したがって、それに水をかけるような強硬発言は削った。情けないと思うのは、プーチン発言のオリジナルをインターネットのサイトで簡単にチェックできるのに、日本の他のメディアもその基本をしていない。
  こうして、メドベージェフ首相は、領土問題では対日強硬派だけれど、プーチン大統領は柔道家で親日家だから、領土問題でも柔軟な姿勢を持っている、といった神話がわが国で広がった。だから去年の11月リマにおける首脳会談でプーチンが固い発言をした後、「プーチン豹変」といった記事が出たのです。
  私自身はロシアの専門家達あるいは政府関係者としょっちゅう意見交換をしていますから、今ロシアには二島といえども領土を日本に返還しようという雰囲気はまったくないということ、プーチンにもその意思も力もないということをよく知っています。しかし日本のメディアは、日本側にとって都合の良い部分だけ報じるものですから、日本側の期待値がどんどん上がったのです。またNHK論説委員が、「日本の島ともロシアの島とも決まっていないところで共同経済活動をやるというのは、身近な例でいうと<同棲>のようなものですね」とテレビで解説していた。つまり結婚したでもない、しないでもない、そういう過渡的な「同棲」のようなものと解説をしているのです。私はこの解説における「主権」認識の軽さに驚きました。同棲というのはどんな法律違反もなしでできる。しかし領土問題というのは、二つの国の主権が正面からぶつかる、戦争と同じ次元の深刻な問題です。これを同棲に喩えて説明するということ自体、主権問題を理解していない典型的な例ではないかと感じます。

質疑応答
「質問1」

  国後で大きな軍事基地が出来たという報道が出ました。これはますます距離を離していく話ではないか。また安倍さんがロシアに近づこうとしているのは、対中国牽制という側面があるのではないかと思うのですが。

「応答1」

  北方領土で地対艦ミサイル配備その他の軍備が大幅に強化されております。これは北方領土を返すつもりはないという意思表示でもあります。先日外相・国防相閣僚会議(2プラス2)が東京で行われた時、日本側は当然それに抗議しました。それに対してロシア側は、特定の国を対象にしているのではなく自国の安全保障のためだ、つまり北方四島は自国であると答えました。そういうことで平行線に終わった。領土問題の解決はそう簡単ではないということです。
  2つ目の対中牽制ということですが、確かにロシアはG7などから制裁を受けている時ですから中国と戦術的にかなり接近しています。しかし今中国はオイル価格の下落などで買い手市場となり、経済交渉ではロシアに強硬姿勢を貫いている。したがってこれまでのエネルギー合意さえも、行方が不透明になっています。つまり両国は公式的にテーブルの上では握手しながら、机の下では蹴り合っているという複雑な状況です。しかし、日本がロシアと接近することによって中ロ関係を変えることが出来ると考えるのは日本の力の過大評価です。日本は残念ながらそれだけの力はありません。中ロの軍事協力などを止めさせる程の力はありません。ロシアが公式的には、尖閣が中国領とも日本領とも言わない、ということ位は出来るかも知れません。しかし、中ロを離反させるとか、中国の日本に対する強硬な態度を変えさせるという力は日本にはありません。


「質問2」

  プーチン・安倍会談は失敗に終わったと民進党の議員が言っていたが本当か。

「応答2」

  失敗だと思っています。しかし民進党にはそれを批判する資格はない。民主党政権時代に安倍首相以上に領土返還に熱心になった首相がいましたか。それを考えて下さい。


「質問3」

  日本は一人芝居をしているだけですか。共同経済活動というのは、20年後も可能性は全くないものですか。一筋の希望があるとすればどんなことが考えられますか。

「応答3」

  弥縫策的な形で、主権問題に関わらない海の上での養殖とか、自然保護の学者がビザなし交流で渡航して自然保護活動を一緒にやる。またクルージングで島の周りの観光などは出来るかもしれません。しかし四島での本格的な経済活動は法的にも難しい。その問題がないとしても、北海道でも進出する企業がないのに、はるかに投資環境が悪い北方領土ではなおさらです。誤魔化しで何かグレーゾーンをつくり、それらしき活動をやるかもしれませんが、今の段階では両国が提案し合っただけです。4月末に安倍さんが訪露するので、ある程度詰められるかもしれないが、将来的にも、本格的な共同経済活動は期待できないし、また無理をしてやる意味もない。私は、四島で共同経済活動を行うという合意は、平和条約締結のための新しいハードルを設けたことになる、とさえ思っています。


「質問4」

  8月終戦前不可侵条約を一方的に破り、取るだけ取っていった国、本当に信用出来るか。
  経済協力ばかりさせられて挙句に「さようなら」とならないか。

「応答4」

  その可能性は大いにある。


「質問5」

  自国民を内外で2,000人以上暗殺しているプーチン大統領の愛国心や政治手腕に拍手喝采する人が多くいる。こういう能天気な人々を覚醒させるにはどうしたらいいのか。

「応答5」

  こういう講演会を各地でたくさん開くことです。


「質問6」

  尖閣に中国を近づけない方法があるか。

「応答6」

  トランプ政権が日米安保条約第5条を尖閣にも適用すると言ったことで、わが国は安全保障面では百点満点を取ったと言っています。つまり、日本の領土を他の国が侵害した場合は、米軍はそれを阻止するために日本と一緒に戦うと約束しました。ただ、米国の兵士が誰も住んでいない小さな島の為に血を流すと期待するのはナンセンスです。従ってまず必要なことは、われわれ日本人の国土防衛の自助努力です。中国側に、そういう挙に出たらまずいと感じさせるだけの自助努力を日本が本気でやる必要があります。そうすれれば米国も、日本がそこまでやっているのであれば、いざとなれば協力しよう、という気持ちになる。つまり、自助努力に尽きます。



以上は、「新潟県立大学教授 袴田茂樹氏の講演」を國民會館が要約・編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものです。



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