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武藤記念講座(講演会事業)

第1030回武藤記念講座要旨

    2017年5月13日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    駒澤大学名誉教授  
    西 修氏

 「憲法改正へどう向き合うか」 

セミナー





はじめに
  今年5月3日、日本国憲法施行70周年を迎え、民間憲法臨調公開憲法フォーラムで、安倍晋三自民党総裁から「2020年には憲法改正施行を」とのビデオ・メッセージが放映されました。「憲法第9条1項、2項はそのままにして、3項で自衛隊を明記する。それと共に教育の無償化を導入する」という具体的な内容のものでした。憲法審査会は、10年前に「憲法改正原案を審査する」ために設けられましたが、ただ「勉強会」や「討論会」を繰り返してきただけです。安倍総理のみならず、多くの人がしびれをきらしていることでしょう。
  本日は、憲法成立経緯と比較憲法、それらを踏まえ憲法改正へどう向き合えばよいのかという3本立てでお話をさせていただきます。

第一章 日本国憲法の異常な成立過程
第1節 連合国総司令部(GHQ)と極東委員会による関与と圧力
  日本国憲法の原点は「GHQの占領政策」にあります。1945(昭和20)年9月22日、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが本国から「日本国が再び米国と世界の平和および安全に対する脅威とならないことを確実にすること」(『降伏後における米国の初期の対日方針』)という指令を受けます。このような大きな枠組みのなかで、明治憲法の改正作業が行われました。
  また翌年2月26日には、占領中の日本を管理する最高機関として、「極東委員会」(連合国11か国のちに13カ国)が設置されます。この極東委員会の政策決定には、総司令部が従わなければならず、とくに「日本の憲法構造の変革」すなわち「明治憲法の改正」については、必ず極東委員会の協議と合意が必要とされました。極東委員会には「天皇を断罪せよ」とか「極東国際軍事裁判にかけろ」と主張するソ連、オーストラリアなどが入っており、明治憲法の改正にはその同意を得られないことを前提に考える必要がありました。GHQも極東委員会も、それぞれの思惑をもっており、日本国憲法にそれを投影するべく、さまざまの関与と圧力をかけました。このことを最初に認識しておく必要があります。もっとも、GHQの日本国憲法草案に対して、日本側の要求で、二院制の設置(GHQ案は1院制)や参議院の緊急集会など若干の追加修正もありましたが、逐条的にGHQの賛同と極東委員会の最終的な承認が必要でした。その最大の狙いは、「天皇の権限を制約することと平和条項としての第9条の設定」でした。
  私は1984(昭和59)年から87(62年)年にかけて、当時民政局で日本国憲法のオリジナル・ドラフトを起草した8人と面談しました。チャールズ・ケーディスはキーパーソンで運営委員長でした。当時40歳、コールネール大学を卒業、ハーバード大学ロースクールを修了し、入隊前は弁護士をしておりました。オズボーン・ハウゲは立法権を担当。当時32歳です。リチャード・プールは天皇など担当。彼がケーディスに「非武装はおかしい」と言うと、「この案はマッカーサー司令官から出ているのだ。何かそれ以上、言うことはあるかね」と問われ、反射的に「ノー、サー」と答えたそうです。べアテ・シロタは女性の権利。ミルトン・エスマンは当時28歳で行政権の章を担当。すでにプリンストン大学の政治学博士を取得しており、「行政権は内閣総理大臣に属する」との規定をおいたところ、ケーディスから「議院内閣制だから合議体としての内閣に属するとすべきだ」と言われ、抵抗したため、メンバーから外されたそうです。セシル・ティルトンは地方行政担当。「地方の自治体の長の権限をかなり強くしましたが、運営委員のアルフレッド・ハッシー中佐から全面的に書き改められました。そんなこんなで、2月4日から作業にかかり、2月12日のリンカーン誕生日に全体の案がまとまりました。わずか10日間程度です。いかに即席か理解できると思います。これらの人たちに会って、彼らが共通に語ったことは、「日本国憲法は改正されているとばかり思っていた」「自分たちは、上からの命令で日本国憲法を作った。しかしそれは暫定的なものだと思っていた」ということです。40年間改正されていないことを知って彼らは驚いていました。そしてそれから更に30年が経過しているのです。ただ、何もしないで、時の流れにまかせていてはいけません。
第2節 帝国議会では共産党が憲法制定に徹底反対
  1946(昭和21)年8月24日、衆議院で政府の憲法案すなわち現行憲法案に対して、各党が最後に意見を開陳しました。共産党は第9条について、次のように発言しました。「当草案は戦争一般の放棄を規定しています。・・この問題は我が国と民族の将来において極めて重要な問題であります。・・しかし現在の日本にとって、これ(注.現行9条)は一個の空文に過ぎない。・・我々は、このような平和主義の空文を弄する代わりに、今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度を取るべきであると考えるのであります。それはどういうことかと言えば、如何なる国際紛争にも日本は絶対に参加しないと言うことである。・・要するに当憲法案第二章(注.現行9条)は、我が国の自衛権を放棄して、民族の独立を危うくする危険がある。それ故にわが党は、民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない」。実に真っ当な発言ではないでしょうか。共産党は当時「憲法を改正せよ」と強く主張しました。今は「憲法の全条文を守ります。自衛隊は憲法違反」と言っております。憲法違反の自衛隊を解体し、日米安保条約を解消して、我が国の安全をどのように確保していくのか、全く発言していません。資本主義を基調としている現行憲法を守って、党の綱領にある「共産主義」をどのように実現していくのか、明らかに矛盾しています。
第3節 憲法語録とGHQの検閲
  憲法の成立について、様々な人が所見を述べています。ここでいくつかを紹介しましょう。
  先ず白洲次郎です。彼はオックスフォード大学留学中に、駐イギリス特命全権大使の吉田茂と親しくなり、その後首相となった吉田の右腕として活躍した人です。天皇からマッカーサーへのクリスマス・プレゼントを届けた時、「その辺にでも置いておくように」と贈り物をぞんざいに扱われ、「我が国の元首である天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは礼を失しているのではないか」と述べ、「マッカーサーに盾突いた唯一の日本人」と言われております。3月4日から5日にかけて日本側とGHQとの徹夜の作業で、日本側が押し切られてしまう状況を目の当たりにして、3月7日の手記で「かくのごとくして、敗戦最露出の憲法は生まれる。今に見ておれという気持ち抑えきれず」と述べています。
  入江相政(すけまさ)は侍従、侍従長を長年努めました。彼は1946年6月8日の日記で「この憲法草案を、心あるもので、これを満足している者は一人としておろうか」、また憲法施行日の1947年5月3日の日記では「大変な雨である。こんなつまらぬ憲法を作ったから、天気もこんなになるのだ」と書いています。
  宮澤俊義。東大で長年、憲法学を講じ、護憲派に非常に影響力のある教授です。1946年10月1日の貴族院帝国憲法改正案特別委員会小委員会の秘密会で「憲法全体が自発的に出来てゐるものではない。重大なことを失った後でここで頑張ったところで、さう得るところはなく、多少とも自主性をもつてやつたといふ自己欺瞞にすぎない」と、憲法の非自発性、非自主性、自己欺瞞性を明言しました。
  ニクソン元副大統領が1953年に来日した時、「私はこの場で合衆国が(1946年に日本国憲法に非武装の条項を入れたことの)誤りを認めます」と言い、オバマ政権時のバイデン副大統領は「日本国憲法は我々が書いた」と断言しています。
  また当時GHQの検閲は、徹底していました。メリーランド大学のマッケルデン図書館に検閲の現物が保存されています。私はそのうち、日本国憲法に関する記述の検閲物を取集してきました。近衛文麿の談話として、「私が10月4日にマッカーサーに会ったとき、私にマッカーサーから憲法を改正するように言われた」というようなことが書かれていたのですが、その部分が全面的に削除されています。マッカーサ−の指示で憲法が改正されたようなことは知られてはならなかったのです。
  しかもGHQは巧妙で、検閲していることも公にしませんでした。こういうことが日常茶飯事でなされておりました。日本国憲法が総司令部に起因すること、そのことの批判は許されなかったのです。

第二章 世界の憲法との比較の中で 
第1節 世界の憲法の実情
  私は、現在、世界で施行されている189カ国の憲法を収集、比較してみました。日本国憲法について、いくつかの誤認識があります。
  第一に、制定順に古い方から並べますと、アメリカの憲法が1787年で一番古く、日本国憲法は古い方から14番目です。「新憲法」と言われることがありますが、世界的には今や古い部類の憲法に入ります。
  第二に、各国憲法はかなり頻繁に改正されています。アメリカ憲法から1940年代までに制定された憲法は19カ国ありますが、たとえばインド憲法(1949年)は100回、ドイツ憲法(1949年)は60回、改正されています。ノルウェー憲法について、ある本で400回以上と書かれていたので、同国のホームページに入り問い合わせたところ、司法省から返信が来ました。答えは「わからない」というものでした。時代が変われば憲法が改正されるのは当たり前という考え方に立っているのです。一カ条でも変えようとすると天地がひっくり返るような大騒ぎになる国とは全く違います。
  第三は、189カ国の憲法のうち、159カ国(89.1%)の憲法に平和条項の規定があるということです。日本国憲法は「世界で唯一の平和憲法」であるというのは誤りです。この表について、一つだけ指摘しておきたいのは、フィリピンが1987年に新憲法を制定したときに、平和条項の象徴として「自国に、外国の軍事基地を置かない」という条文を入れたことです。この条項により、アメリカの軍事基地が撤去されました。そのあとに何が起きたか。中国がフィリピンと係争中の海域に人工島を作りました。この行為について、常設仲裁裁判所で中国が敗訴したのですが、中国はその判決を聞き入れず、人工島を更に整備し続けています。日本に尖閣列島などの問題で教訓を与えているのではないかと思います。
  第四に、1990年から2016年までに103の国で新憲法が制定されました。その103カ国の憲法を比較してみると、「環境の権利義務・保護」が92カ国(89.3%)、「プライバシーの権利」86カ国(83.5%)、「家族の保護」88カ国(85.4%)、「政党」92カ国(89.3%)に規定があります。いずれも日本国憲法に規定がありません。また「平和主義」条項は101カ国(98.1%)の憲法にあります。他方で、「国家緊急事態への対処」は103カ国全ての国の憲法に規定があります。世界の憲法は、国際平和を謳い、その平和が侵され、憲法秩序が侵された場合に備えて緊急事態条項を設定しているのです。世界の憲法は、平和、国防、緊急事態をセットで取り入れているのです。このことが世界の憲法比較の中で、はっきり見えてきます。
第2節 最大の課題は憲法第9条
  平和安全法制ができ、去年3月に施行されました。衆議院の憲法審査会で3人の憲法学者がそろって憲法違反だと言い、限定的な集団的自衛権の行使が「戦争になる」「非立憲的である」「政府の解釈改憲である」「徴兵制に直結する」という言説が流布しました。私は衆議院の安全保障特別委員会で「戦争法ではなくて、明らかに戦争抑止である」と同法の合憲性を主張しました。集団的自衛権は「自国が攻撃されたら他国に守ってもらう。しかし他国が攻撃されたら自国が攻撃されたとみなしてその国を守る」という相互の安全保障関係を前提とします。ヨーロッパで東西陣営が対立し、いつ熱戦になってもおかしくないときになぜ戦争が発生しなかったか。それはワルシャワ条約とNATO(北大西洋条約機構)でお互い牽制し合っていたからです。そういう意味で平和安全法制は戦争抑止法なのです。
  内閣が解釈を変えることは非立憲的だという声もありますが、内閣法制局はあくまで内閣の一部局です。最高裁判所とは違うのです。政府は、警察予備隊、保安隊ができた当時は、「近代戦争を遂行するに足る実力をもてば憲法違反だが、警察予備隊、保安隊は近代戦争を遂行するに足る実力にまでいたらないから合憲だ」という解釈をとっていました。ところが、自衛隊ができて近代戦争を遂行できる実力集団になると、「自衛のため必要最小限の実力は憲法に違反しない」と解釈を変えました。今回が初めてではありません。現行憲法上、自衛隊をどのように考えるべきかは、後述しますが、限定的な集団的自衛権の行使は、決して憲法違反ではありません。
  平和安全法制の成立時、世論調査では反対が圧倒的でした。しかし半年後の世論調査では、日経新聞、産経新聞、共同通信などの調査では賛成または必要であるとする回答が反対または不必要を上回っており、変わって来ております。
第3節 自衛力を認めた「芦田修正」
  日本国憲法の原案たるマッカーサー・ノート(1946年2月3日作成)の第二原則が「@国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は紛争解決の手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争さえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。Aいかなる日本の陸海空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍には与えられない」という内容でした。「国際紛争解決の手段としての戦争」(侵略戦争)だけでなく、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」(自衛戦争)も放棄するべきだというのが、マッカーサー・ノートの趣旨です。
  このマッカーサー・ノートを条文化したのが民政局次長のケーディスでした。ケーディスは、上記のうち、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」部分を削除しました。なぜか。私が84年11月にケーディス宅を訪れてインタビューした折に、その理由を明かしてくれました。「自己の安全を保持するための手段としての戦争まで放棄するのは現実的ではない。もし日本が攻撃されたら、自らを守ることが出来ないではないか。どこの国にも自己保存の権利を持っているのだ」。
  次に重要なのは、「芦田修正」です。具体的には第9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」を入れたことで知られています。芦田氏は1957(昭和32)年12月5日の内閣憲法調査会において、「『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによって、原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが、一定の条件のもとに武力を持たないということになる」と述べています。自衛のための戦力が可能になったということです。この芦田修正を受けて、極東委員会で議論になりました。そこでは、中国のタン代表が「芦田修正によって常識は、・・自衛の目的であれば、軍隊の保持は認められることになろう」と述べ、閣僚がシビリアンであることの条文を入れるように要求します。
  結局、貴族院でシビリアンを「文民」と訳し、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という第66条2項が新設されたのです。極東委員会の思考回路は、芦田修正により自衛の軍隊保持が可能となった。そうすると軍人の大臣が誕生する。それではミリタリー・コントロールになる。それは阻止し、シビリアン・コントロールにしなければならない。そのためにはシビリアン大臣制が絶対必要だということで、今の第66条2項ができたのです。
  それゆえ、9条と66条2項は不可分である、この不可分性をきちっと把握しなければ、9条を正しく理解できないと言うのが私の立場です。これは解釈の仕方ではなく事実の問題なのです。そして根本的な問題は、日本政府が極東委員会の審議経過を全く知らないまま文民条項を導入したということです。ですから、9条と66条2項を別個に解釈しています。何を言いたいかというと、政府が内容を把握しないまま、66条2項を導入したところに日本国憲法成立過程のいびつさの象徴が表れており、9条解釈最大の混迷の原因がここにあるということです。

第三章 憲法改正へ向けて
第1節 何故憲法改正か
  私は、憲法9条の成立過程などにかんがみ、自衛隊は合憲であると解しています。しかしながら、憲法学者の多くが憲法違反であるとの立場をとっているのは事実です。一般の人にとって判り難いのも事実です。そうであれば、憲法を改正してすっきりさせるのが一番よいのではないでしょうか。
  私は、5月3日の産経新聞「正論」欄に「9条改正2段階論」を書きました。第一段階として、「わが国が自衛力を持つことが必要かどうか」を問い、多くの国民が必要であると考えれば(そうなると信じますが)、第二段階として、「どういう形で自衛力を持つか」を議論した方が建設的でないかと述べました。
  日本国憲法の上諭で「朕は、日本国民の総意に基いて、(中略)ここにこれ(日本国憲法)を公布せしめる」とありますが、いつ、どこで、どのように国民の総意が問われたのでしょうか。「日本国民の総意」を問うために、国民投票を実施することが絶対に必要であると考えます。
第2節 憲法改正の主な論点
  第一に憲法前文があります。前文は憲法の顔、国の顔です。しかし憲法前文は、「コピペ」です。アメリカ合衆国憲法、リンカーンの演説、マッカーサー・ノート、テヘラン宣言、大西洋憲章、アメリカ独立宣言などの貼り合わせです。
  ここでテヘラン宣言、大西洋憲章と前文を比較してみましょう。
  テヘラン宣言「われらは、その国民が、われら三国国民と同じく、専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている」
  日本国憲法前文「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において」
  大西洋憲章「すべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されて」
  日本国憲法前文「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」
  まさに「コピペ」そのものです。
  多くの国の憲法は、自国の伝統文化の継承に言及し、また平和とともに国防条項や緊急事態対処条項をおいています。日本国憲法には、国防条項も、緊急事態対処条項も欠いています。ドイツのコンラート・ヘッセという著名な憲法学者は「憲法は、平時においてだけではなく、緊急事および危機的状況においても真価を発揮すべきものである。憲法がそうした状況を克服するための何らかの配慮もしていなければ、責任ある機関には、決定的瞬間において、憲法を無視する以外にとりうる手段は残っていないのである」と言っています。憲法の一番大切なことは、緊急事に真価を発揮することです。しかし今の日本国憲法は平時しか対象としておりません。緊急権条項を入れれば、内閣総理大臣が暴走する危険があるといわれますが、何の条項もない方が内閣総理大臣に暴走させる危険性があります。憲法に緊急事態対処条項を設定しておくことが、立憲主義にかないます。  
  次に「家族保護の条項」の導入も必要です。『世界人権宣言』において、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」と規定されております。実はべアテ・シロタのGHQ憲法案にはあったのですが、日本側から憲法規定として相応しくないということで削られました。当時の佐藤達夫法制局部長は、自著『日本国憲法誕生記』の中で、「あれを残しておいたほうがよかった」というようなことを言っております。
  「環境権」といった新しい権利も対象になります。96条の憲法改正手続きの緩和も必要でしょう。それから自分たちのツケを後世に残さない「財政の均衡化」、「衆議院と参議院のあり方、役割分担の方法」。日本維新の会が主張している「教育の無償化、憲法裁判所の設置、地域主権」なども踏まえて、改正の対象と順位づけを考えていかなければいけません。
第3節 日本国憲法の家
  私たちが住む「日本国憲法の家」は、文化・伝統・アイデンティティという土台のもとに、個人、家族、地域社会、地方自治体、国家という五重構造で成り立っています。私はこの土台がしっかりしていないと、良い「日本国憲法の家」は構築されないと考えております。
  そしてそれぞれが繋がりをもつことが大切です。日本国憲法には個人があるけれども、家族、地域社会が位置づけられていません。個人の尊重は重要ですが、家族や地域社会の一員だという認識を欠けば、独善的な個人しか残らなくなってしまいます。私が家族や地域社会に言及すれば、昔の「家」制度や「向こう三軒両隣」的イメージをもつかもしれませんが、全然違います。社会の基礎単位としての家族、連帯としての地域社会の大切さを憲法レベルで考えていく必要があるということです。
  キーワードは「共生」です。男と女、子供と大人、健常者と異常を抱えている人たち、国際社会や自然環境との共生。それがダイナミックに未来へと受け継がれる憲法をめざすべきである、というのが私の「日本国憲法の家」像です。

おわりに
  昨今の世論調査をみると、産経、毎日、NHKで憲法改正賛成が多数を占め、読売、日経が拮抗、朝日は反対が多数という結果です。我々自身が「日本国民の、日本国民による、日本国民のための憲法」を構築していく、外部勢力の干渉と圧力によって作られたものから、我々自身が主体的に参加し、作り上げていく、そんな姿勢が必要ではないでしょうか。まさに日本国民の矜持が問われているのではないかと思います。

質疑応答
「質問1」

  女性国会議員が、子供達のママ友を集め「自民党は戦争をやるべく憲法改正しようとしている」と吹き込んでいる。どう思われますか。

「応答1」

  集まってしゃべることは悪いと言えません。しかし、憲法改正=戦争ではないことをきちんと伝えていく、デマを排するという点で、本日の私の話しがお役に立てばと思います。


「質問2」

  96条の2/3条項は、多数決原理に反する。法の下の平等に反するのではないか。

「応答2」

  普通の法律改正と憲法改正とでは、その重みが違うので、差を設けることは、法の下の平等に違反するというような結論にならないと思います。
  ただし、96条の改正手続きは、各国憲法に比べて非常に高いハードルであるというのが実情です。そういうハードルの高さが憲法改正を遅らせてきた要因の一つです。国民がどんなに憲法改正を思っていても、国会のいずれかの院で3分の1プラス一人が反対すれば、国民に発案できません。主権を有する国民の意思を反映しやすくするという意味で、発議要件を緩和することが必要であると考えます。


「質問3」

  憲法成立過程で、憲法改正手続きのハードルがなぜこんなに高くなったのか。

「応答3」

  GHQにおける第1次案は「10年間は、憲法改正をしてはいけない」というものでした。「日本はまだ民主主義に慣れていないので、10年間は我々の作った憲法を改正してはいけない。ただしその後は10年毎に、特別国会を作って再検討する」というものでした。第2次案では「基本的人権にかかわる条項は、国会の3/4の賛成で発議し、国民投票で2/3の賛成を得なければならない」というふうに変わり、最終的に現行の条文として提示されました。帝国議会で理論的に詰めた議論がなされなかったというのがその実情です。


「質問4」

  極東委員会が関与する前に、GHQとしては決めてしまう必要がある。その時、天皇制を人質にバーターしたと聞きましたが、それは事実ですか。また本来外国が主権国家に対し最高法規まで決める権利は国際法上認められていないため、マッカーサーは日本が決めた形にしたのですか。日本に成文法が必要なのでしょうか。

「応答4」

  天皇制とのバーターについては、2月13日にマッカーサー草案が日本側に示されたとき、ホイットニーの口から出たかどうかということが決め手になります。松本国務相は、「天皇の身体は保障できない」と告げられたとの記述を残していますが、私がケーディスに聞いたところ、そのような言葉はなかったと言っていました。「言った、言わない」では平行線になりますが、日本側はバーターとして捉えていたのは事実と思います。
  国際法上、1907年のハーグ陸戦法規では、「占領者は、絶対的支障がない限り、被占領地の法規を尊重しなければならない」という規定があります。この規定との関係が問題になりますが、日本国憲法は、明治憲法の改正手続きに則っていることも事実です。国際法上、問題ではありますが、それだけを主張することもできないと思います。
  成文の憲法典がないイギリスでは、1215年のマグナ・カルタから、さまざまの憲法的法律や判例の積み重ねがあります。いわゆるコモン・ローといわれているのですが、日本とは法体系が異なります。ドイツやフランスなど大陸型の法体系を採ってきている日本では難しいと考えます。



以上は、「駒澤大学名誉教授 西 修氏の講演」を國民會館が要約・編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものです。



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