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武藤記念講座(講演会事業)

第1038回武藤記念講座要旨

    2017年11月18日(土)
    於大阪「國民會館 武藤記念ホール」
    作曲家   
    吉田 進氏

 『現代音楽は恐くない』  

セミナー






はじめに
  日本文学で、『源氏物語』のような古典しか読まない人は、国文学者といわれる専門家で、普通は夏目漱石も読めば、村上春樹も読むのが普通ではないでしょうか。それぞれの時代に、それぞれの表現が生まれるわけで、古典だけに接するのは、バランスに欠ける気がします。昔の人たちがそれぞれの時代に、どう生き、どう表現したかを知ると同時に、われらの時代の作家が、どう表現しているかを味わうことも大切だと思います。ところが西洋音楽の場合、古典音楽と現代音楽の間で断絶があります。モーツァルトを熱心に聴く人も吉田進は聴かない。それは何故でしょうか。

総論「現代音楽のすすめ」
第1節「なぜ現代音楽はなじめないのか」
  音楽は音というものを素材にしているわけですが、音は捉えどころがない。聞こえたそばから消えて行く。絵画であればずっと見つめていることが出来ます。ところが音楽の場合には、どんどん先へ進んでしまう。「ちょっと待って」と言うわけに行かない。だから非常に捉えにくい。したがって新しい表現を担っている現代音楽を、直ちに理解するのは困難が伴います。同じ曲を何度も聴き直せば、より良く把握できますが、普通はそんな努力をせず諦めてしまう。しかし、好奇心を働かせれば、これまでとは違った音楽の楽しみ方が可能となり、人生が豊かになること間違いありません。
第2節「 現代音楽とは何か」
  「現代」とはいつからを指すのかと言うと色々な説があり、(1)19世紀末から(2)第1次世界大戦以降[1918〜](3)第2次世界大戦以降[1945〜]に分かれます。今日は(1)の19世紀末からということにします。この頃からの音楽が、一般には馴染みがなく、分かり難いとされているからです。
第3節 「なぜ現代音楽が生まれたか」
  文学と同じように音楽でも、それぞれの時代に、それぞれの作曲家が、自分の表現を探し求めました。だからバロック音楽のバッハと古典音楽のモーツァルトは、それぞれの時代を反映して様式が異なります。音楽はメロディーとかリズムとか色々な要素から出来ていますが、メロディーの面から音楽の歴史の変遷を考えてみましょう。古典音楽にはハ長調とか、イ短調とか「調性」があります。モーツァルトの≪交響曲第41番「ジュピター」≫はハ長調の曲です。ハ長調の音階は「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」とピアノの白鍵だけで出来ています。非常にすっきりしていて、こういう音階を「全音階」と呼びます。この≪ジュピター交響曲≫の終楽章の冒頭は、ほとんどハ長調の全音階で出来ていて、非常に明るくて輝かしい、いかにもローマ神話の最高神ジュピターという仇名に相応しい。ところがロマン派のヴァーグナーの作曲したオペラ≪トリスタンとイゾルデ≫の前奏曲(1859年)はイ短調で始まっていますが、ずい分複雑というか、込み入っています。ここでは白鍵だけでなく、黒鍵の音もすべて使われています。つまり「ド・ド#・レ・レ#・・・」というように、白鍵も黒鍵も、合わせて12の音がすべて使われており、こういう音階を「半音階」と呼びます。何故ヴァーグナーはこんな音楽を書いたのでしょうか。ひとつはモーツァルトとヴァーグナーでは、同じドイツでも時代が違います。≪ジュピター交響曲≫(1788年)が書かれた翌年、ヨーロッパではフランス革命が起こり、ナポレオンが皇帝になる。ヴァグーナーは、1849年フランクフルトで革命が起こり、これに参加し亡命を与儀なくされています。つまりヴァーグナーは政治にも関心があり、当然その時代の社会から影響を受けたでしょう。モーツァルトとは時代が違うのです。それから≪トリスタンとイゾルデ≫というのはオペラですが、これは不倫の恋の話です。トリスタンという騎士が、自分の主君である王様のお妃であるイゾルデと相思相愛の仲になる、というストーリーです。当時ヴァーグナー自身も後援者の奥さんと不倫の関係にあった。だから、かなわぬ恋、愛の苦悩、というものを表現するのには、≪ジュピター≫のような明るい全音階ではなく、心の影の部分を表し易い、半音階を必要としたわけです。しかし、この後に生まれて来る作曲家は、モーツァルトやヴァーグナーとはさらに時代が異なるわけですし、表現したい内容も新しくなるでしょう。そこで作曲家は、また新しい表現の方法を開拓するわけです。しかしこれは新しいだけに、なかなか耳になじまないので、「現代音楽は難しい」と思われてしまうわけです。

各論 「現代音楽の種明かし」
以下、各論の部分については割愛させていただきます。

おわりに
  今日は「現代音楽は恐くない」と題して、ドビュッシー、シェーンベルク、メシアン、ストラヴィンスキー、そしてショスタコーヴィッチの音楽の種明かしをしてみました。それぞれの作曲家が、それぞれの時代に、どう生きて、どう表現したか、少しお分かり頂けたでしょうか。こうして見ると、やはり現代という時代は、モーツァルトやヴァーグナーが生きた時代とは違う。そして現代音楽というのは、正にこの現代という時代を反映している。そういう意味では、現代音楽を通して現代というものを理解する、ということさえ可能なわけです。そう考えると、やはり『源氏物語』だけを読んでいる訳には行かない、モーツァルトばかり聴いて満足している訳には行かない。自分が今、こうして生きている、「われらの時代」の音楽に耳を傾けることもまた、必要でないか、と思う訳です。

質疑応答
「質問1」

  ドビッシーの「月の光」を、印象派という気持ちでピアノに取り組むと弾きこなせない。ピアノの構造とか音遊びで作ったのではないだろうかと思ったら弾けるようになった。現代音楽を区分されますが、一般庶民はそういう区切りに拘らず、自分の感性に合う音楽を楽しんだら良いのではないかと思いますが如何でしょうか? またメシアン先生は「日本人は、聖なるものを感じる事ができる」と思われたと言われましたが、どうして日本人の精神性というのを感じられたのか教えていただけたらと思います。

「回答1」

  ドビッシーのピアノの曲を、科学的な方から行ったら弾きやすくなったというのは、その通りだと思います。ドビッシーは印象派と言われていますが、絵の概念をそのまま持ち運ぶのは問題もあります。特に西洋音楽は、数学に近いもので非常に抽象的なものです。音階は計算して出来ているものですから、イメージとか音楽の外にあるものよりも、音そのものに近づいた方が良いのではないかというのはその通りだと思います。今日、印象主義とか表現主義とか言いましたが、これは便宜的なもので区別して聴くことはない。ただ現代音楽を聞かれていない方も多いので、区別してそれぞれの特徴が分かるように便宜的に説明しました。次にメシアン先生の質問ですが、メシアンは日本に何度か来ております。最初はメシアン先生の≪トゥーランガリーラ交響曲≫を小澤征爾さんがNHK交響楽団で日本初演した時です。その時日本を大変気に入られて、先生は「7つの俳諧」という曲を書いていらっしゃる。それから日本の鳥も軽井沢に行って、たくさん楽譜に書きとられた。先生は日本に来て、自分の曲が日本人の演奏家によって演奏され、お客さんの反応をみて、世界で一番自分の音楽を理解している聴衆だと実地体験で思われた。最後に日本の精神性ですが、西洋はユダヤ教、キリスト教、イスラム教いずれも一神教で絶対他を許さないところがあります。自分の神以外は認めない。しかし日本の宗教は、八百万の神です。日本人は一種の寛容さ、そういう哲学が基本をなしていると思います。僕は、西洋文明は終焉したと思っています。西洋文明の次にどういうものが来るのかという時に、日本の神道みたいなものが、基本的な考え方になりうるものだと思っています。


「質問2」

  2010年代後半で、現代音楽の中で、世界的にブームになっている、評判になっているものを教えて頂きたい。

「回答2」

  ポピュラー音楽の世界のマイケルジャクソンのようなブームは、現代音楽ではないと思います。今までにない新しいことをするという意味での「前衛」は、1990年位でほぼ終わった。それから後は、新しいものを探すよりも、そういうものを使いながら自分の表現を探していくということになっている。音として聴くと随分聞きやすいもの、むしろ19世紀のロマン派みたいな音楽さえ、現代音楽として作られています。そうした中で、現代音楽のインパクトはなくなったと思います。ただフランスの場合に考えて言うと、西洋的でない外からのものに、関心が集まりつつあるのではないかと思います。


「質問3」

  ショスタコービッチの≪ジャズ組曲第2番≫の中の≪ワルツ第2≫は、非常に美しいメロディで驚いたのですが、先生は、ショスタコービッチが非常に極限の世界に追い込まれて、いろいろ妥協をし、聴くに堪えないようなのもある、という意味のことをおっしゃいました。例えば交響曲ではどういうものですか。

「回答3」

  交響曲で言いますと5番は有名ですし、皆さんに分かりやすいので聴いて頂きたい。あと4番も素晴らしい曲だと思います。彼は発表したら自分は殺されると思い、長い間20年間隠していた。4番は特に同業者の作曲家からみるとうならされる曲です。最後の15番、これは昔好きだったのですが、中にロッシーニのウイリアムテル序曲とか入ってきて、ショスタコビッチという作曲家がいよいよ晩年になって自分の終りも近くなった時に、自分の人生を思い返しているようなそういう印象があって好きです。それ以外の交響曲は、ちょっと疑問に思います。妥協なのか本来の彼のものか難しいですけれど、ピアノ協奏曲になると聴くに堪えない。


「質問4」

  交響曲第7番はどうですか?

「回答4」

  人それぞれですが、個人的にはどうでしょうか?レニングラードでしたね。


以上は、作曲家 吉田 進氏の講演を、國民會館が要約、編集したものであり、文章の全責任は当會館が負うものです。



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