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武藤記念講座(講演会事業)

第1044回武藤記念講座要旨

    2018年5月19日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    慶應義塾大学教授   
    細谷 雄一氏

 『東アジアの国際情勢と日本の対応』  

セミナー





第一章 予測不可能な時代
第1節 揺れ動く東アジアの国際情勢
  東アジアの国際情勢は、朝鮮半島情勢を含めて大変揺れ動いています。この半年、国際政治で想定外あるいは驚くことが非常に多く起こっております。南北首脳会談が行われ、6月12日には米朝首脳会談が行われます。米朝首脳会談は去年の秋ぐらいからCIAと韓国情報機関が水面下で交渉を進めており、通常の外交ルートではありません。外交官にはサプライズです。今年3月ワシントンで、徐薫韓国国家情報院長がトランプ大統領に「南北首脳会談を行う予定だ。金正恩委員長はトランプ大統領に会うことを願っている」と伝えると、マティス国防長官はじめ多くの人達の反対にも拘わらず、その場でトランプ大統領は会談することを決めました。日本政府が爪弾きされ孤立しているのではなく、韓国外務省やアメリカ国務省の多くの人達も把握できておりません。トランプ大統領と娘のイヴァンカ、その婿ジャレッド・クシュナーといった血の繋がっている少人数のいわゆる「ロイヤルファミリー」で政策が決定されていると言われております。従来の伝統的な行政府、外交組織による政策決定とは違う動きです。指導者個人のその場の思いつきや感情で決められるということで予測不可能性が極めて高くなっているのです。殆どの人が先を見通せない。このような時は慎重に警戒しなければなりません。6月12日の米朝首脳会談は実現する可能性が高いと思いますが、突然キャンセルや延期になるかもしれません。アメリカの国家安全保障担当のジョン・ボルトン大統領補佐官は最も強硬な対北朝鮮軍事攻撃支持派です。潮の流れが突然変わり、サプライズの軍事攻撃を始めるかもしれません。そのことも警戒しないといけないという非常に難しい時代にきています。
第2節 90年代の国際政治情勢と類似
  現在と同じような時代は過去の国際政治にもあります。1930年です。25年のロカルノ条約でドイツとフランスの対立が解消し、フランスは30年までにドイツとの国境線に駐留していたフランス軍を撤退させるという合意をします。28年、フランスのブリアン外相はアメリカのケロッグ国務長官と初めて戦争を違法とする不戦条約をつくり、30年にはヨーロッパ連合の提案をします。ヨーロッパの人達は、歴史上これほどまで戦争が起こりそうにない時代はないと語っていました。その時ヒトラー政権が誕生するわけです。多くの人達は安心していました。警戒感を示した新聞は非常に少なかった。当時ドイツの新聞社説では「ヒトラー首相を心配する必要はない。何故ならば我々にはワイマール憲法がある。ヒトラー首相といえども何でもかんでもできるわけではない。重要な決定をするときには議会の承認を得なければいけない。憲法があり議会がある以上は、例えヒトラーのような過激な思想を持つ人が首相になったとしても、制度がヒトラー首相をコントロールできる」と書いております。イギリスやフランスもヒトラーにほとんど警戒感を示していません。ヒトラーは「私は第一次世界大戦に参戦して負傷した。従って私も平和を望んでいる。ヨーロッパに自分の手で平和をつくりたい」と語っていたからです。しかしヒトラーが平和を望んでいたのは、ベルサイユ体制のもとでドイツの軍事力に制約があり、再軍備できるまでは戦争ができなかったからです。そしてその間はフランスとイギリスは弱い方がよい。そのため平和を語るのが最も都合がよかったわけです。多くの人達がまさか戦争が起こるとは考えていませんでした。
第3節 北朝鮮は本当に核兵器を放棄するのか
  何故、韓国やアメリカは南北首脳会談や米朝首脳会談に応じたのでしょうか。多くの人達が「北朝鮮が核兵器を放棄するわけがない。又欺くだけだ。韓国もアメリカも騙されないだろう」と言っていました。北朝鮮が本気で核を放棄するつもりがあるのか注意しなければなりません。北朝鮮は約25年間「核兵器の開発は防衛的な理由であり、アメリカが敵視政策をやめれば核兵器を持つ必要はない」と言い続けています。北朝鮮が言う朝鮮半島の非核化やCVID(完全な不可逆的な検証可能な非核化)の条件は、アメリカが北朝鮮に対する敵視政策をやめ、在韓米軍を撤退させ、核兵器で北朝鮮を攻撃するような脅しをやめることです。世界中の核保有国が核兵器をなくせば、核兵器を放棄できると言っており、核兵器を放棄する気は全くありません。南北首脳会談では大変揉めました。最後に北朝鮮の完全な非核化というCVIDのC(完全な)は入りましたが、北朝鮮に査察官が入るIV(不可逆的で検証可能な)は入っていません。06年の6者協議の時点まで戻っていないわけです。北朝鮮は平和のために核実験の停止を宣言すると言っていますが、去年かなりの核実験を行ったため、施設の半分が崩壊、放射能汚染が酷く、もはや核実験ができないわけです。その核実験施設を解体し安全を確保するために、国際社会からお金と技術を求める合理的な判断です。しかし北朝鮮は去年の秋、真剣に核放棄という方向へと舵を切ったと言われています。その理由は金正恩の若さです。彼は今後30〜40年国家を率いていかなければならず、核兵器を持ったまま制裁を受け続けることは不可能です。長期的に国家を指導していくため核兵器の放棄をオプションとしています。核兵器のコストがベネフィットより大きくなれば、交渉で核放棄に応じるかどうか決まっていきます。またアメリカも、オバマ大統領やブッシュ大統領の時は「核兵器を放棄した後でなければ米朝首脳会談を行わない」と言っていましたが、トランプ大統領は「核兵器を放棄する前に会う」と転換しました。つまり北朝鮮、アメリカ共に、それぞれ異なる理由で従来の政策を転換しましたが、諜報部門を中心に交渉していたので表には出なかったわけです。トランプ大統領は去年1年間、比較的日本や韓国などと協力を前提とした政策を展開していましたが、今年に入り大きく方向転換してきました。エルサレムへの首都移転問題、イラク合意の破棄の問題、さらには鉄鋼を巡る日本制裁の問題です。これらはリスクが大きく、トランプ大統領もできないだろうと言われていましたが実行しました。しかもトランプ大統領の支持は少し上がっています。我々が今まで慣れ親しんだ世界とは違った世界がこれから広がるかもしれません。

第二章 国際秩序の変容
第1節 悪化する安全保障環境
(1)戦後70年を越えて続いてきたリベラルな国際秩序、すなわち法の支配、航行自由原則、不拡散レジームなどが危機に直面しています。90年の湾岸戦争の時、ブッシュ大統領は「ルール・オブ・ジャングル」(弱肉強食)の時代から、「ルール・オブ・ロー」(法の支配)の時代へと変わりつつあると述べましたが、今世界で起きていることは、再び力による「ルール・オブ・ジャングル」の世界へと戻りつつあります。今世界の国々はそれに備えるため、急速に軍事力を増強しています。今までは国際法や国際組織に頼って紛争解決をしていましたが、もはや国際組織も国際法も頼りにならない。自分達の安全利益は軍事力で守らなければいけないということです。
(2)トランプ政権成立後の政策決定が不透明で、アメリカ外交の予測不可能性が高まっています。MMT(マティス国防長官、マクマスター大統領補佐官、ティラーソン国務長官)の3人がいれば、従来の伝統的な外交をやっていけるだろう。しかも三権分立で立法府もあり司法府もある。制度がトランプ大統領を抑えてくれるだろうといわれていました。ところがマクマスター、ティラーソン大統領補佐官が辞任、最も強硬なタカ派と云われているポルト氏が大統領補佐官に就任しました。マティス長官の「同盟国との関係を最優先する。最も重要な同盟国は日本である。戦争がもたらす被害はあまりに大きいから可能な限り外交手段に訴えて問題を解決するべきだ」という考え方は、今完全に孤立しつつあります。トランプ大統領はその場の思いつきで決めることが多く、例えば去年の春に行われたNATOの首脳会談で、トランプ大統領から、冷戦後一貫して遵守、尊重すると言い続けてきた北大西洋条約第5条の集団防衛という言葉が出て来なかったため大変なパニックになりました。ロシアはいつでもバルト三国に介入できるわけですから、ウクライナで起きている戦争が広がるかもしれないわけです。アメリカ大統領が第5条を守ることは極めて重要な意味を持っているわけです。同盟国を守ろうとしないということは非常に大きな不安材料になるということです。
(3)日本はロシア、中国、北朝鮮という核保有国に囲まれており、ロシアと中国とは領土問題を巡る摩擦があり、北朝鮮は日本への攻撃的な意図を示しています。日本の戦略環境は世界的に見て最悪のところにいるわけです。友好関係がある国々に囲まれていれば大きな軍事力を持つ必要はありませんが、日本の周りには多くの領土問題を抱える国があるわけです。軍事力を持たなくても国連があるから大丈夫だという人がいますが、国連安保理で拒否権をもつ常任理事国はアメリカ、中国、ロシアです。本当にトランプ、習近平、プーチンに日本の安全を守ってもらうつもりですか。ましてロシアと中国とは領土問題を抱えています。領土問題を巡って日本が侵略された時、国連安保理に訴えても中国やロシアは拒否権が行使できるため国連は役に立ちません。アメリカが助けてくれるか、日本が自分で動くしかないわけです。したがってアメリカが重要なのですが、トランプ大統領は同盟国にほとんど価値をおいていません。日本は非常に難しい立場におかれているということです。
(4)中国が経済成長に合わせて急速に軍拡をすすめており、他方でアメリカの同盟国への保証が不透明化している。一方で日本は国力の限界から防衛力整備に限界があるということです。98年小渕政権の時、尖閣諸島を巡って日本と中国の間で摩擦がありましたが、その時中国は一切領海侵犯、領空侵犯をしていません。当時の中国の軍事費は日本の十分の一でしたから、そんな強い相手と喧嘩するわけがないのです。中国の軍事費は今や日本の4倍〜5倍です。太平洋戦争の時、日本の海軍力は対米国の7割でした。今は対中国の2割です。如何に不安な状況にあるかということです。強い国が弱い国に横柄であるのは当たり前で、日本が中国に嘗められているということです。しかし日米同盟があるから中国は日本に対して挑発的な行動を控えているのです。アメリカがアジアから去れば、中国にとってこんなに有難いことはないです。14年5月のサミットで習近平は「冷戦の遺物である同盟を捨て去らなければいけない。そしてアジアの安全保障はアジア人のみによって担うべき」と新アジア安全保障構想を提示しましたが、日米同盟、米韓同盟そして今北朝鮮で起きていることを連立方程式で考えて下さい。日米同盟には安保条約第5条と第6条があります。第5条はアメリカによる対日防衛同盟で、日本が攻撃された時日本を守るということです。第6条は日米同盟です。アメリカ軍は極東、簡単に言えば朝鮮半島の平和と安全のために使えるということです。一方北朝鮮からの脅威に対して米韓同盟があります。北朝鮮の脅威がなくなれば米韓同盟は廃棄し、在韓米軍の撤退はほぼ義務です。北朝鮮の核放棄が順調に進めば、当然ながら中国と北朝鮮は在韓米軍の撤退を要求する筈です。ところが北朝鮮は米朝首脳会談の前提条件として「在韓米軍の撤退は求めない」と言いましたが、その後中国と会談して、「我々はやはり在韓米軍の撤退を求める」と言い換えました。中国が米朝会談の機会を利用して在韓米軍を撤退させる。後は日米同盟さえ否定出来れば、アジアからアメリカのプレゼンスがなくなるわけです。トランプ大統領は選挙期間中「何故日本を守らなければならないのか。在日米軍を撤退させよう。もし日本が不安だったら、勝手に自分達で核兵器を持て」と言っていたわけです。中国や日本の左派の人達は「米軍出て行け」と言っている。そして韓国も「アジアからアメリカは出て行け」と言っている。在日米軍がアジアから撤退して一番喜ぶのは中国です。日本と中国との軍事バランスは4対1あるいは5対1ですから、最早中国は日本に配慮する必要がなくなるわけです。北朝鮮の問題が解決するとことは望ましいことですが、中長期的に考えると、日本はかなり深刻な問題を抱えているわけです。
(5)急速な科学技術の進歩の中で、日本の科学技術的な優位に陰りが見えています。例えば東京大学は長年アジアNO.1の大学の地位でしたが、今は6位〜7位です。ここ数年間NO.1はシンガポール国立大学です。2番目が香港大学、その後に南洋工科大学、香港科技大学、北京大学、精華大学が続いています。知的所有を管理している国際機構(WIPO)の最新の「国際技術力ランキング」で日本は世界第14位です。科学技術の国家予算は米中の2強で、理系の論文などもほぼ米中で独占されています。特にAI、ドローンに関しては、完全に中国がリードしています。20〜30年経ちますと、全く違った世界になってきます。OECD加盟国で高等教育への政府の支出が1番低いのは日本です。明治時代の日本はおそらく世界で一番教育にお金をかけていた国で、平等な国民教育が行われていました。ところが今やOECD加盟国で最も教育にお金をかけない国になりました。日本は資源が豊かではないのですから、人材によって豊かな国になり安全な国になったわけです。人材にお金をかけなければ衰退するのは当たり前です。いつから日本は愚かな国になったのか。そんなことをしていたら、ますます日本は世界から取り残されてしまいます。
第2節 日本の防衛力の可能性と限界
  日本の安全防衛を考える時、先ずアメリカ、中国と対等な規模の防衛能力を持つことは出来ません。日本は独自のアプローチを考えなければ経済破綻します。日本一国で完全に自分達の防衛を全うしようと考えるべきではなく、日本の国情や環境に応じた戦略文化あるいは安全保障文化を考えないといけません。そのためにはクラウゼヴィッツ的な「直線的なアプローチ」ではなく、リデル=ハート的な「間接的アプローチ」を用いる。つまり日本は間接的に安全を守ればよいということです。日本の安全保障環境は、世界中の国が日本に友好的か又は敵対的かで全く変わります。日本は友好国を増やすことが良いわけです。戦前の日本は多くの国と敵対的関係にありましたが、今はほとんどの国が日本に対して好意的な態度を示しています。BBCの世論調査では、世界30カ国で最も良い影響を与えている国は5年ほど前には日本が1位でした。日本の新聞の論調では日本が嫌われているように思われておりますが、そんなことは全くありません。次に国際組織を利用することです。国連あるいは国際法というものを利用して、日本の安全を確保出来ればよいということです。リベラルな国際秩序が衰退し、国際法や国際組織が役割を失い、それぞれの国が剥き出しの暴力、軍事力によって世界の運命が変って行くことになりますと、日本にとって極めて不都合であり不利な世界です。したがって国際法や国際組織をきっちり維持して行くことが重要なわけです。近年日本は、ルールに基づいた国際秩序を維持するリーダーになると主張しております。トランプ大統領も中国もロシアもそれを破壊しようとしています。ルールを守ろうとしている国は日本とEUです。今年7月、日本とEU間でEPA(経済連携協定)とESPA(戦略パートナーシップ協定)を結びます。日本とEUは、国際法や国際組織を守って行くパートナーとして世界をリードして行く必要があります。パリ協定で環境の気候変動を巡る合意、あるいはWTO、国際海洋法という世界のルールは、過去20年間、殆どが日本とEUが協力して作ったものです。日本の自衛隊には予算的な制約や憲法上の制約で、出来ることと出来ないことがあります。したがって日本は間接的なアプローチで、自らが出来る政策を考えて行かなければなりません。
第3節 パワーバランスの変化
  今パワーバランスが変化しつつあります。戦争が起こる多くの場合、パワーバランスが変った時です。パワーバランスが変わる理由は2つあります。ある国が急速に力をつける場合と、ある国が急速に力を失う場合です。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ハプスブルク帝国が力を失い、バルカン半島や中央ヨーロッパで力の真空ができました。またオスマン帝国の力が弱まったことにより中東で力の真空が生まれました。その力の真空に入ろうとしたのがロシアとドイツです。そして両国の衝突が第一次世界大戦の始まりといわれています。また第二次世界大戦後にアジアで戦われた戦争は、全て大日本帝国が崩壊し、力の真空によって生まれたことによります。中国、台湾で国共内戦が起こります。インドシナでは第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争が始まっていきました。朝鮮半島で朝鮮戦争が起こりました。一方、ある国が急速に力をつけても緊張が高まるわけです。第一次、第二次世界大戦前のドイツ、第二次世界大戦前の日本です。第二次世界大戦後ではソ連が急速に軍事力をつけてパワーバランスが変化し緊張が高まりました。今は中国が急速に軍事力を増やしています。日本は安倍政権が成立するまで11年連続で軍事費を削減してきました。一方中国は過去28年間で軍事費が40倍になっております。東アジアで強大なパワーバランスの変化があったということは一目瞭然です。ハーバード大学のグラム・アリソン教授は、近代以降の16回の急激なパワーバランスの変化した事例を調べたところ、12回戦争が起きているということです。今アメリカの影響力の後退と中国の増強によってパワーバランスの変化が起きており、戦争になる可能性が非常に高いと述べております。
第4節 地政学の復活
  国際組織や国際法が機能しなくなると地政学の時代です。半島や離島が重要になります。中国は東側に北朝鮮、西側に北ベトナムという陸の緩衝地帯があり、海の緩衝地帯が南シナ海と東シナ海になるわけです。南シナ海は完全に中国が軍事的に制圧しておりますが、東シナ海はまだ達成されていません。中国が唯一コントロールできないのが尖閣諸島です。尖閣諸島を抑えますと東シナ海全体が中国の海になります。さて海南島には中国最大規模の海軍基地がありますが、南シナ海から外国の船を追い出せば、原子力潜水艦はすぐに海底の深い海溝に入れ、ソナーで追跡できません。アメリカから探知されずに太平洋の奥深い海を自由に航行できます。核ミサイルでアメリカ本土を攻撃できるわけです。中国が南シナ海を支配することによってアメリカとの交渉力が一気に高まり、アメリカの日本を守る姿勢が変ってくる可能性があるのです。南シナ海の地政学は極めて重要で、多くの人が気づかないうちに巨大な変化が起きているのです。外交問題の専門家32名に「戦後のリベラルな国際秩序は深刻な危機に瀕しているか」と聞いたところ、25名が危機的な状況にあると答え、リベラルな国際秩序は全く壊れていないと答えた人は1人もいませんでした。アメリカのリーダーシップが衰退し、法の支配に基づく国際秩序は後退しています。そして船が自由に行動できるフリーダム・ナビゲーション(FON)も崩れつつあるのです。

第三章 東アジアの二つの国際秩序像
第1節 異なる秩序観の対立
  アジアにおいて今後のビジョンを提示できる国は日本と中国しかありません。中国の「一帯一路」は、ユーラシア大陸の遅れた地域を中国の資金で開発し豊かにしていくということで好意的に受け止められています。一方日本の「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、法の支配を確立し、世界中の国が海を自由に移動できる。インド洋と太平洋を繋げ、北東アジア、東南アジア、南アジア、東アフリカの地域全体を繁栄させる構想です。大陸国家である中国が陸の構想を掲げ、海洋国家である日本は海の構想を掲げ戦っているわけです。この国際秩序観の対立は、自由主義や民主主義、法の支配、人権などの価値を重視する民主主義国と、それらの価値に否定的で権威主義的な諸国との間のイデオロギーを巡る対立でもあるということです。どちらの構想に基づいてこの地域の秩序が作られていくかということは将来にとって極めて重要となってきます。ところで安倍総理が去年6月、初めて中国の「一帯一路」構想を限定的条件付で支持を表明しました。その後の日中首脳会談でも、明確に協力可能な領域で協力すると言っています。つまりこの二つの秩序観は、日中関係が良くなればこれが融合し、日中関係が悪くなれば分裂するのです。現状は二つが融合する方向に動いています。今中国が日本との関係を強化している最大の要因は、トランプ大統領が中国に対し、貿易政策と安全保障政策で極めて敵対的な施策を提示しているからです。昨年12月のアメリカの国家安全保障政策で中国を最大の挑戦者として位置づけ、これに対抗する必要性が書かれました。中国では危機感が高まっているわけです。ところでアメリカのアジアにおける力の源泉は日米同盟です。日米同盟を分断すればアメリカの力は弱まるわけです。したがって今中国の日本に対する歩み寄りには二つの側面があります。経済的な理由やアジアの安定のために日中関係を良くしたいということと、アメリカの外交が予測不可能であるためアメリカの影響力を排除して日本との関係で安定的な秩序を作りたいという思惑が混ざっているということです。
第2節 「一帯一路」の国際秩序像
  「一帯一路」構想は中華民族の偉大な夢で、ナショナリズムです。革命第一世代の毛沢東や周恩来の時代は、建国によって国家の正当性を認め、共産党の正当性を求めていました。革命第二世代のケ小平や江沢民、胡錦濤は、経済成長で国民が豊かになることをもって正当性を主張しました。ところが今の中国政府は、経済成長がやや鈍化して、全ての人が豊かになる状況ではありません。したがって今度は経済成長からナショナリズム、民族の夢を掲げ、これを実現する政党が共産党であると正当性を主張しているわけです。つまり冷戦型同盟の否定、すなわちアメリカのアジアにおけるプレゼンスを否定することにより、中国はアジアにおける覇権的な地位が得られるということです。包括的で互恵的なアジア人によるアジア新安全保障観というものを実現する試みです。
第3節「自由で開かれたインド太平洋」戦略
  日本の「自由で開かれたインド太平洋」戦略は、16年8月、ケニアのナイロビでの安倍総理の演説で初めて出て来たものです。安倍総理は元々インド洋を重視し、インドとの関係を重視してきました。これは第一に経済的な理由からです。アジアではこれから少子化が進みます。日本だけでなく韓国や中国でも少子化が進んでいきます。したがって将来のマーケットとして、東アジアだけではなく南アジアや東アフリカにも目を向けなければ日本の繁栄を維持できないという経済的な動機が第一です。もう一つはアメリカの影響力が後退し中国の力が強まる中で、日米だけでは中国に対抗できない。したがって日米にインドを加える。更にオーストラリアを加え、日米豪印で中国に対するカウンター・バランスを作るという思惑だと思われます。表向きは、法の支配を確立し、航行自由などの基本的な価値を普及させ、この地域を繋げて行くということですが、日本はマレーシア、インドネシア、フィリピン、といった国々を支援して、それらの国々が自分達で、自分達の領土を守るようにする。要するに各国が海上保安庁の能力を強化する海上執行権の向上を図ることで、中国が影響力を拡大することを阻止していくということです。
第4節トランプ政権の「インド太平洋」戦略
  トランプ政権が最も中心に説いているのは「力による平和」です。レーガン政権の頃によく言われた言葉です。レーガン政権とトランプ政権の違いは、レーガン政権が軍事力と外交を組み合わせていたのに対し、トランプ政権は明らかに外交交渉というものを侮蔑し、軍事力に依存し過ぎているといえます。一方でトランプ大統領は北朝鮮と交渉していますから、その様子を見て行かなければなりません。昨年12月の国家安全保障戦略においては、かなり中国を敵視していますし、日本が提案した「自由で開かれたインド太平洋戦略」が盛り込まれています。日本がビジョンを提示しアメリカが受け入れるということは画期的なことです。今までと地位が逆転しているわけです。パワーは圧倒的にアメリカが強いのですが、アイデアやリーダーシップは日本が発揮しています。プリストン大学のジョー・アイケンベリー教授は1年前の論文で「これからのリベラルな国際秩序の運命は、日本の安倍晋三首相とドイツのアンゲラ・メルケル首相にかかっている」と書いています。それほどまで日本に対する期待というものが高まっています。去年のイタリアでのG7サミットでは、安倍総理が経済の展望や北朝鮮の制裁についてイニシアチブをとっているわけです。

おわりに
  これから日本に求められることは、第一に自助です。そのためには他国と協力することが重要です。これは他国に依存することとは違います。安全保障法制化の時、朝日新聞は、これで日本の民主主義、立憲主義、平和主義は壊れる、というようなことを書きました。多くの人達はそんなことを考えていないはずです。92年のPKO法案の時も、大阪弁護士会の9割が「これは違憲で反対である」と述べていました。10年に実施した内閣府の世論調査では80%以上の人がPKOに賛成しております。日本が平和に貢献することが実績で示されたからです。安保法制は他国と協力するために不可欠な協力法案です。90年代、情報を共有しただけで武力行使との一体化、集団的自衛権を行使したと言われ日本は孤立しましたが、安保法制が出来たことで対テロ政策などの情報が共有できるようになりました。また自衛隊がイラクのサマワで給水活動や橋を作る活動をしました。しかし治安維持や武器使用は出来ないため自分達の安全は、オランダとオーストラリアの兵隊に守ってもらったのです。自衛官にとって大変な屈辱です。つまり安保法制は、日本の安全保障政策を変えるのではなく、今までの様々な理不尽で非合理的な部分を直していくことが主眼です。これからはより自助が重要ですが、実は日本の安全保障政策の根幹は、アメリカがいつでも日本を助けてくれる、アメリカの善意がなければ日本の安全は守れないということです。しかし最近の中国の南シナ海での活動やアメリカのトランプ大統領の同盟国に対する批判から善意にだけ頼ることは出来ません。自分達の力で安全を守るということにより真剣でなければいけません。NATOは防衛費を2%以上にすることが公約になっています。日本はNATO加盟国の半分以下です。これだけ日本を取り巻く危険な環境の中で1%以下というのは本当に望ましいかということを考えなければいけない時代に来ています。しかし一方で日本はアメリカに頼るとことを今後も続けていかなければなりません。アメリカの穴を埋めるための財政的な余裕はありません。従って日米同盟はこれからも大切にして、同時にパートナー諸国であるオーストラリアやインドあるいは韓国など日本と安全保障の価値を共有する国々との協力を強化しないといけません。またEUとの関係も重要です。また近年では日英、日仏で飛躍的に安全保障協力が進んできています。危機があった時に日本に対して多くの国々が協力してくれるという態勢を作らなければいけないわけです。今の日本は大変に難しい環境にあります。しかし財政的な制約や憲法上の軍事的制約を考えた時、この厳しい国際環境を生き抜いていくための英知がなければいけません。安全保障の問題で難しい判断を迫られたとき、困難な問題が目の前に現れた時、賢明にそして望ましい選択が出来る判断力に今後の日本の運命がかかっているのだろうと思います。

質疑応答
「質問1」

  今東南アジアの難しい国際情勢下、日本外交はどう対応していったら良いのか。

「回答1」

  英国のマッキンダー卿は「大陸国家と海洋国家が衝突する場所が半島である」と書いていますが、この半島が中東と東南アジアと朝鮮半島で、20世紀多くの戦争がここに関連しています。戦前の大日本帝国は東南アジアや朝鮮半島を抑えようとし、それが崩壊した後、アメリカが進出します。ところがベトナム戦争でつまずき力を得たのが中国です。そして今東南アジアで最も信頼されている国は日本です。08年の東南アジア7カ国調査で最も信頼出来るパートナーは中国でしたが、5年後に行なわれた世論調査では、最も信頼できる国は日本でした。中国は31%から5%に下がっています。東南アジアは日本に大きな役割を担うことを期待していますが、日本が出来ることは憲法の制約もあり極めて限られているため、日本が直接東南アジアに関与するのではなく、東南アジアの国々がそれぞれ強くなるための能力構築支援です。リデル=ハートの間接的なアプローチです。しかしこの半年ほどで中国の影響力が強まっています。東南アジアはイスラム教諸国が多く、親ユダヤ反イスラムのトランプ政権が出来るとアメリカに対する批判が高まり、日米同盟も批判が出ているからです。したがって当面は中国と協力しなければならないと思います。日本単独で出来ることは限られています。日中が東アジアの自由貿易化も含めて協力出来ることがあるのだろうと思います。


「質問2」

  中国の急激な軍拡、アメリカの安全保障の不透明感が見える中、日本が攻めるツールを導入する流れに変わってきている気がしますが如何でしょうか。

「回答2」

  今防衛費を画期的に増やせないわけですから重点は海です。中国は物凄い勢いで船を増やしており、海上保安庁も海上自衛隊も船の製造が追いつかない。またイージス艦を増やすため大変な予算がかかり、ミサイル防衛まで出来ません。日本に向けて攻撃する意図があり、そして発射段階に入ったミサイルを攻撃することは、憲法の専守防衛の個別的自衛権の中に含まれると言うのが内閣法制局の解釈ですが、政府はトマホークやF35Bの敵地攻撃能力は今はやらないと言っています。敵地攻撃能力は国民の反発が強く出来ないと思います。自衛隊の出来ることは何なのか、必要以上のものをやれば相手に警戒心を与え逆効果となります。日本の安全保障環境の中で、身の丈に合った適切な安全保障政策を真剣に考えていく必要があります。


「質問3」

  中国は日本をどう見ているのでしょうか。

「回答3」

  今中国は、過激な意見を持っている人と日本との協調が重要だという人に分かれています。中国の決定的な転機は80年代です。胡耀邦国家主席と趙紫陽首相は、中国にとり最も重要なことは国民の生活を豊かにする経済成長であり、日本からの技術移転と経済的な協力が必要である。中国の将来を考えた時に日中の友好関係が必要である、とかなり強い信念がありました。ところが彼らは権力闘争に敗れて失脚しました。それ以降かなり強硬な路線に舵を切っていました。江沢民、胡錦濤体制で一定程度ブレーキを踏んでいたと思いますが、習近平主席は、基本的考えは防衛的であると思いますが、機会があれば領土を拡げ、中国の国益、権益を拡大しようとしています。5年程前まで国際会議では「安倍総理は危険な右翼であり平和を壊そうとしている。中国はいつも平和を守ろうとしている」と日本は批判されるばかりで孤立していました。ところが今はほとんどの人が中国を批判します。中国は国際社会の中で今非常に孤立していますので、変な方へ行かないというのが極めて重要です。中国人は、国家の効率や規律を持って行動する日本に異常なほど尊敬し好感を持っています。だから年間700万人も観光客が来るわけです。日本が先進的な国家として、政治体制も経済体制も中国よりはるかに成熟していることをわかっています。今中国に対する嫌悪感や反発が世界中で非常に強まっており、それを強めても日本自体はあまり得ることがありません。むしろ日本が東アジアの秩序を牽引し、日本の見識や品格、行動に中国が敬意を感じ、日本との協力が重要だと考えてもらう、つまり80年代の頃の中国に戻ってもらうということが重要です。中国は当時の日本人の8割以上が好感があったわけです。それが非常に利己的で乱暴な行動をすることで世界から批判されるようになってしまった。もう一度中国が世界から尊敬される国として、歴史が豊かな文明的な大国として、もう少し品格があり賢明な行動をとってくれるよう、日本は隣国としてさまざまな形で示唆する。それが出来ればそれは最終的には日本の国益になると思います。


「質問4」

  日本と中国は共存できるのでしょうか。また日本が「自助の精神」で安保環境の安定化のため努力するとはどういうことですか。

「回答4」

  中国は尖閣諸島を巡り、相当強硬な態度に出るだろうと思っており、すぐに中国と協力が出来るかは悲観的です。しかし20〜30年後は楽観的にみております。中国はこれから少子化で急激に子供が減り、生産年齢人口が減ります。日本から少子化と高齢化社会の対応を学ばなければ国は持ちません。今の習近平世代は文革で下放され、家族でさえも裏切る大変悲惨な目にあった異常な世代です。ところが20年後は、80年代の民主化に希望を感じた世代の人達が中国のエリートとして中枢に入ってくる。その頃は少子化で今のような軍拡は出来ない。国内の問題で大変な苦境に陥るはずで、今より更に国際的な信頼を失って孤立しているはずです。中国で内戦が起きる、国内が革命で混乱するとかすれば、日本とって大変なダメージになるわけです。中国が苦しむことを隣国として喜ぶべきだとは思いません。しかし少なくとも習近平体制が続く限りにおいては、抜本的な日中関係の改善はするべきではないし又出来ないと思います。一方アメリカは国内社会の環境が変化します。新聞が読まれない。国内の経済的な格差が拡がる。教育をしようと思っても子供を有名大学に行かせられない。国内で大変な不満がたまり、怒りがたまっている。その怒りがエリート層に向かってくる。より多くのリソースを国内に使うべきだという意見が広がる。そうするとアメリカがアジアで日本に有利な形で協力をしてくれるというのを前提にするべきではない。アメリカはより内向きになる。そしてアメリカの国内のリソースをより国内に使うようになった時、アメリカの善意に頼って日本の安全を考えるべきだとは思いません。その時には日本は「自助」自分達の力で自分たちの安全を担う。そしてアメリカに依存しない形で同盟を強める。トランプ大統領は日米同盟を壊そうとしているのではなく、日本がアメリカに甘えていることを怒っている。あくまでも自立した成熟した大人同士の関係としてお互いやるべきことをやって信頼関係を深めるということです。従来通りのアメリカ依存では日米同盟が持たない。つまり日米同盟を強化するためにこそ自立を強めるべきだと思っています。中国との関係を根本から改善するという表面的な中国の言葉に決して惑わされてはいけません。構造的な問題として今習近平体制の中で、李克強以外の今の常務委員の7人は対日強硬派で、対日環境を改善する意思はないと思います。日中関係改善というのは20年〜30年後以降、中国の国内の政治状況が変わった時、柔軟に対応出来る準備をするということです。


以上は、慶應義塾大学教授 細谷雄一先生の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです。



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