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武藤記念講座(講演会事業)

第1048回武藤記念講座要旨

    2018年8月4日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    作家・ジャーナリスト   
    門田 隆将氏

 『日本のマスコミはどこまで堕ちるのか』  

セミナー





  最近、杉田水脈議員が「新朝45」に寄稿した「『LGBT』支援は度が過ぎる」という記事で“生産性がない”という部分だけを取り出して批判が拡がっていますね。
  彼女は、あの記事の中で、安倍政権の少子化に対する無策の告発をおこなっているし、記事の主旨はほかにあります。発言や文章の一部分だけを切り取ってつるし上げるという、いつものマスコミの手法に嵌められていますね。
  ああ、またか、という気がします。これは、記事の主旨が誤って伝わると、本来は、編集者や校閲の担当者が「この部分は誤解を受けるから、この表現はやめましょう」と当然言うべきものです。それがなかったために、こんな騒動にされているのは大変残念です。
  いま多くの人達が、マスコミやジャーナリズムが“変”で、野党や自民党の中にも変な人が一杯いると思っているのではないでしょうか。最近多くの人が“変だ”と気付いてきたのは、インターネットの力によります。昔は情報と云いますと、新聞やテレビだけが独占してきました。警察には記者クラブがあり、役所という役所にもあり、経済団体等々にも、あらゆるところに記者クラブがあります。皆さんは、記者たちがそこで入手した情報をストレートに書いてくれるものだと勝手に思い込んでいたわけです。
  それが、実は彼らマスコミ自身によって“加工”されていることに気がつかなかった。特に新聞は、「事実」よりも自分たちの「主義主張」に合うよう皆さん方を導くように加工するのが常でした。これまでも週刊誌が「この記事はおかしい」と、事件や報道の真相を告発することはありました。
  しかし、インターネット時代の到来で、今はツイッター、フェイスブック、ブログで多くの人達が情報を発信することができるようになりました。  その問題の当事者が、マスコミ報道とは関係なく、自由に情報を発信できるようになった。しかも、北米、南米、アフリカ、ヨーロッパ、中東……どこにいても、世界中でそれを見ることができます。凄い時代になりました。
  なかには、ブログによって、大新聞が敗北するという事態が生まれるようにもなりました。これは、私自身に関係することでもありますが、福島第一原発事故の「吉田調書」に対する朝日新聞の誤報事件がそれです。
  2014年の週刊ポスト6月20日号で、私は「朝日新聞『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」という記事を書きました。これは朝日が5月20日の朝刊で「吉田調書」を独自入手したとして、「所長命令に違反して原発を撤退した」「福島第一原発の所員の9割が逃げた」と報道したからです。2012年、私は吉田所長と90人を超えるプラントエンジニアを取材し『死の淵を見た男 〜吉田昌郎と福島第一原発の500日〜』(PHP研究所)という本を書いております。初めて、あの福島第一原発で何があったのかを明らかにしたのです。
  朝日は、その内容と全く正反対なことを報道しました。私の読者、あるいは友人などから「朝日がとんでもない記事を書いている」というメールが入ってきました。ちょうど『慟哭の海峡』(角川書店)の取材で台湾のバシー海峡にいたため、10日遅れとなりましたが「お粗末な朝日新聞『吉田調書』のキャンペーン記事」とブログに書いて、その誤報を指摘しました。
  その私のブログを見て、週刊ポストが原稿を依頼してきたわけです。大津波が押し寄せて5日目の2011年3月15日は、日本有史以来最大の「危機の日」でした。チェルノブイリ事故の10倍の大事故になるかどうかのぎりぎりの日だったと言えます。免震重要棟には、ホワイトカラーや女性社員も含め720人がおりました。外は放射能に汚染され、逃げるに逃げられない状況です。
  現場のプラントエンジニアは繰り返し放射能の中に突っ込んで行き、原子炉建屋でバルブを開けたり、閉めたり、ぎりぎりの戦いをやっていました。そして、この3月15日の朝、2号機の圧力容器の圧力が2倍を超え、いつ破裂するかわからない状況になったわけです。そして大きなパーンという音とともに、圧力抑制室の圧力がゼロになった。
  その段階で、吉田所長は、「各班は最少人数を除いて退避!」という命令を発しました。そのためにバス5台を使い、健康な者は福島第二原発の体育館へ、病気や怪我をしている者は、福島第二のビジター用施設へ行くよう、あらかじめ決めてあったのです。
  しかし、そういうことをすべて語っている「吉田調書」の部分を一切無視して、朝日は、「所長命令は免震重要棟から外に出て待機を命じただけ。それに違反して福島第二原発まで所員の9割が逃げたのだ」と報じたわけです。実際に現場の人間に取材している私には、すぐに嘘だとわかりました。
  事実は朝日の記事と全く正反対のことが起こっています。退避命令が出た時、「班長を残して、あるいは同僚を残して俺は退避できない」と、あちこちで“逆”の現象が起こったのです。これは日本人特有かもしれません。外国メディアは「福島フィフティ」と報じました。日本人が“逃げなかった”ことが不思議だったからです。日本のマスコミは、東電と原発を批判するためには、事実など、どうでもいいのです。
  実は残った人は69人、全体の約10分の1でした。10分の1の意味は、10分の1が死んでも、次の70人が、更に次の70人が来れば、要するに「10回戦える」ということです。720人が一度に死ぬわけにはいかないという話です。そこまで追い詰められた日本人の究極の戦いがあったのです。しかし、朝日はこれを「日本人は逃げた」と書いたのです。
  朝日新聞の検証報告では、朝日が720人も取材対象があったのに、一人の取材もしていないことが書かれています。これには驚きました。あれほど大きな記事を、現場の人間を一人も取材しないまま、朝日は書いていたのです。私は、この歴史に残る事故の中で、日本人がどうやって戦ったのかという「真実」を歴史に残す意味で取材しましたが、朝日は違う。このときの紙面にも出ているように、ただ「原発の再稼働阻止」のためにあの記事を出したのです。つまり、事実など、朝日はどうでもいいのです。いつもの朝日のやり方です。
  週刊ポストの私の記事が出ると、朝日はすぐに「報道機関としての朝日新聞の名誉と信用を著しく棄損している。訂正の上、謝罪せよ。しない場合は、法的措置を検討する」という内容証明を直ちに送りつけてきました。「報道には報道で」ではなく、「報道には法的措置を」という言論弾圧です。それが朝日の正体です。しかし、ほかのメディアが次々と「吉田調書」を入手し、ついに朝日は誤報を認め、9月11日、ついに全面謝罪し、社長以下、編集幹部が更迭されました。外国紙は、朝日の報道を受けて当初、「日本人も逃げていた」「韓国のセオル号事件と同じだ」と書いていました。私は、「朝日は、なぜ日本人をそこまで貶めたいのか」と思いますね。
  このように、私のブログがきっかけで朝日の社長が辞任し、編集幹部は更迭され、今も朝日は部数減が止まらないという騒動になりました。
  つまり、インターネットというのは、それほど影響が大きいのです。私は、国民一人一人が情報発信のツールを手に入れた現代を“情報ビッグバン”と呼んでいます。メディアが朝日のようにでたらめ記事を書いても、「事実はこうです」と情報発信すれば、いつでもひっくり返すことができる世の中が来たということです。昔は編集局に電話して「これ間違っているのですけれど」と云いますと「はい、承りました。ありがとうございます」と、はぐらかされて終わりでした。しかし、今は違います。国民それぞれがそういう情報発信の力を持った時代なのです。
  しかし、朝日新聞のように、いまだに自分たちが国民に監視されているという「事実」自体を理解できないメディアもあります。そんな中で、情報源をテレビと新聞のみに頼っている人は、“情弱”(情報弱者)と云われています。私たちは、もはや既存のメディアに情報支配されている時代ではないことを、もっと自覚すべきでしょう。

  麻原死刑囚をはじめとする7人の死刑が7月6日に執行されました。マスコミはこの問題点をもっと指摘しなければならないと思います。国民の8割が死刑制度の存続を支持していますし、私も光市母子殺害事件を題材にした『なぜ君は絶望と闘えたのか 〜本村洋の3300日〜』(新潮社)をはじめ、死刑にかかわる本や記事を出しており、死刑制度の意義を認めております。しかし、月刊『Hanada』(2018年9月号)で「私が見たオウム事件 敗れたのは『警察』『検察』だ」では、「井上嘉浩に対する執行はおかしい」と論評しました。「オウムだから皆、死刑にしてしまえ」と思うかも知れませんが、死刑という刑罰はそんなもので運用されるべきものではありません。細かな事実認定を無視して、「こいつら、一網打尽だ」ということで死刑制度が運用されるのでは、どこかの独裁国家と同じになってしまいます。7人の中で1審と2審の判断が分かれたのは、井上嘉浩だけでした。1審は無期懲役、2審が死刑でした。しかし、新事実の発見があり、今年3月に再審請求がなされ、東京高裁刑事8部で第1回目の進行協議が5月8日、2回目が7月3日にありました。ここで新証拠に基づいて検察に井上の携帯電話の発信記録の提出が命じられ、8月6日の3回目の協議までにこれが提出されることが決まっていました。
  しかし、上川陽子法相は、それを無視して2回目の協議の3日後の7月6日、問答無用で死刑執行をおこなったのです。私は死刑制度の価値を認めているからこそ、この法務省のやり方が許せません。これでは、厳粛な運用が必要な死刑制度そのものが揺らいでしまいます。法務省自らが、その価値を減じさせているのです。この問題点を新聞やジャーナリズムは何も書きません。法務省と対峙するようなジャーナリズムは存在しません。そこまでマスコミは堕落しているのです。

  結愛(ゆあ)ちゃん虐待死事件の報道もひどかったですね。目黒区在住の5歳の結愛ちゃんが、両親に許しを請う言葉を綴って死んでいきました。本当に涙なしでは読めない文章でした。しかし、日本のマスコミは、くり返される悲劇に、問題の本質をまったく提示できないし、批判的な視点さえありません。そもそも問題意識をマスコミは持っていないのです。
  7月20日に、各紙は、「児童福祉士2,000人増へ。目黒虐待死受け政府、安全未確認なら原則即立ち入り調査」という記事を掲載しました。結愛ちゃん虐待死事件を受けて、安倍首相は児童福祉士2,000人を増やす方針を固めたという記事です。しかし、砂漠に水をまくような、こんな対策で虐待死が防げますか?
  品川、大田、目黒の3つの区を管轄するのが品川児童相談所です。そこには約140万人が住んでいますが、児童相談所はたった1つです。今年2月7日に児童相談所の職員が結愛ちゃん宅を訪問し、面会を拒否され、2月終わりには引っ越し前の香川県観音寺の医師から「気を付けて下さい、虐待の危険があります」との電話が直接あっても、品川児相は、放置しました。結愛ちゃんは、平均体重の半分ほどになり「何も食べられなくなっちゃった」と言いながら衰弱死しました。
  虐待の相談件数は、全国で今、年間12万件を超えています。全国でたった2,000人の児童福祉士増で、本当に対応できるのですか。そもそも安倍首相は、増員で虐待死が防げると本気で思っているのでしょうか。皆さんの近所で、一番、身近な行政組織は何ですか? まずそこから考えてみたらいかがでしょうか。
  私たちの身近にいて、何かあった時に駆けつけてくれる一番身近な存在は、いうまでもなく交番のお巡りさんです。白い自転車に乗って、ご近所を警らしているお巡りさんの姿を見ていない人はいないと思います。もし、このお巡りさんが、「結愛ちゃんは元気ですか?」「結愛ちゃんのお顔を見せてください」と、毎日のように訪ねてきてくれたら、結愛ちゃんの命はどうだったでしょうか。
  厚労省、そして、その意見を全面的に聞き入れている安倍首相は、虐待情報の「警察との全件共有」に否定的です。しかし、なぜ警察と全件情報共有しないのでしょうか。私は、「命を守る」組織である、警察との情報共有ができていない現状では、ますます虐待死事件が増えていくことを懸念します。「児童福祉士を増員しなければいけません」と加藤厚労大臣から云われ、安倍首相はそれを鵜呑みにする。安倍首相の欠点がそこから見えてきます。自分で「常識」をもとに考えてみればいいのです。
  児童相談所を管轄している側から話を聞いても対策は立てられません。「親子関係を守る」ことが児童相談所の遺伝子なら、「命を守る」という遺伝子を持っているのは警察です。安倍首相は、そこがわかっていないのです。 「交番は町の灯台」と言ったのは土田國保警視総監です。日本の虐待死は、警察との全件情報共有を実現しなければ命を守れないところまできています。町のお巡りさんが、「結愛ちゃん元気ですか。近くを通ったものですから、寄らせてもらいました」と、1日置きでも2日置きでも、結愛ちゃんのところへ顔を見せていれば、助かる可能性があったのです。「命を守る」ということはそういうことです。安倍さんには、そのことを知って欲しいですね。

  安倍首相の欠点を言わせてもらいましたが、一方で、あれだけ大騒ぎした「モリカケ」ですが、私には、この“作られた騒動”のどこに問題があるのか、その本質を朝日をはじめ追及しているメディアに聞いてみたいですね。
  物事を見る時は「本質は何か」を忘れてはなりません。森友問題は、「安倍首相が、お友達の籠池さんのために、国有地を8億2千万円値下げして売却した」というものです。「安倍首相が籠池さんという友達に」という最初から間違えています。安倍首相は籠池氏とそもそも一度も会ったことがない。お友達でも何でもないわけです。「奥さんが名誉校長をやっている」とのことですが、奥さんがそんな関係を持っているところはいくらでもあります。
  もともとあの場所は大阪空港騒音訴訟の現場です。森友と一筆の土地であった現在、野田中央公園となっている土地は、民主党政権時代、辻元清美国交副大臣が14億円の補助金をつけ、豊中市が2千万円だけ出して購入した土地です。実質98.5%の値下げです。森友と比較にならないくらい凄いことです。それだけ国は、このいわくつきの土地を売却したかった。
  そこへ森友が現われ、鴻池祥肇さん、鳩山邦夫さん、平沼赳夫さんに持ち込んだ。彼ら3人の政治家の名前は、改竄前の公文書にしっかりと出ています。しかし、安倍首相の「あ」の字も出ていません。でも、それでは記事にならない。だから新聞は、その事実を書きません。安倍首相は関係がないのだから、いくら言われても何も出て来ないのです。
  加計問題も同じです。国家戦略特区のワーキンググループでの議事録ですべてわかります。インターネットでクリックすれば、いくらでも出てきます。「モリカケは全然問題ない」と真実を書くのがジャーナリズムです。そして、安倍内閣の少子化問題に対する無策や、この虐待死案件にかんする問題意識の欠如など、本当に問題がある点を指摘するべきなのに、日本のジャーナリズムは、まったくこれをやりません。ただ「安倍を倒す」と、ウラも取れていないことを延々と書いている。本当に情けないですね。

  先週の日曜日(7月29日)の朝日新聞の社説を見て、私は目が飛び出しました。なんと安倍首相が「ヒトラー」にされていました。ユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッベルスや、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に送り込む実務責任者だったナチス親衛隊元中佐、アドルフ・アイヒマンを引き合いに出しながら、自国の総理である安倍首相をヒトラーに譬(たと)えているわけです。「ナチスの所業は・・・・森友問題でこの国の官僚が見せた態度に相通じる」、「ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の世界では、歴史は常に支配者の都合で書き換えられる。反抗した主人公は捕えられ、『党』があらゆる記録や、個人の記憶まで管理するのだと叩きこまれる。首相の周辺で起きていることは、この約70年前に書かれた逆のユートピア小説と重なる」、「あきらめずに行動し、多様な価値観が並び立つ世界を維持する」、「なんだか息苦しい。そう感じた時には、もう空気が切れかかっているかもしれないのだ」……等々。私はびっくりしてしまいました。「ゲッベルスのように、何処にも問題のない本質とかけ離れた報道をやってきたのはあなたでしょう」と云いたいのは私だけでしょうか。何百万部を有する新聞が、自国の総理大臣をヒトラーだと言い切るのは、本当に凄いですね。

  ケント・ギルバートさんが「慰安婦報道の英語訳で、いまだに性行為を強制されたという表現を書き続けているけれども、その理由は何か」と朝日新聞に再質問状を出したそうです。慰安婦の“強制連行”が事実であれば日本人はきっちりと受け止めなければなりません。しかし、歴史の事実を歪められては困ります。あの貧困の時代、家族のため、生活のため、身を売らなければならなかった薄幸な女性が沢山いたことは歴史の真実です。そのことは女性の人権問題として大いに話し合えばいいと思います。しかし朝日は、「日本の官憲・軍は、嫌がる婦女子を強制的に連行した。その数は8万から20万人に上る」と書いた。自分の恋人や奥さん、娘を強制的に連れていかれて性奴隷にされたことが事実なら、その夫や恋人、親は、一体なにをしていたのでしょうか。朝鮮の男たちは、そんな情けない存在だったのでしょうか。
  ソウルの国会図書館で昔の新聞を見ますと、毎日のように慰安婦募集の広告が出ています。上等兵の給与が約10圓の時代、「月収300圓保証 委細面談」という慰安婦募集広告があちこちに出ていました。仮に上等兵の給与を今に換算して10万円とすると、慰安婦の月収は300万円、年収3,600万円となります。歴史の真実とは、薄幸な女性達がこの慰安婦募集に殺到したことです。もちろん親に売り飛ばされた娘もいたでしょう。そういう薄幸な女性たちが沢山いて、そのことを女性の人権問題として議論すればいいのです。しかし、朝日は、これを日本の国家犯罪、すなわち「国家による強制連行」というありもしないことをでっち上げ、日本の「現在」と「未来」に天文学的な数字の被害を与えたのです。
  いま世界中に、この史実に基づかない慰安婦像が立っております。軍需工場で働いていた女子挺身隊の数、8万人から20万人を援用して慰安婦の記事を書いたわけです。自ら反省したはずの2014年から4年も経ったはずなのに、今でも「性行為を強制された」という表現を続けている朝日は、なぜそこまで日本を貶めたいのか、その真意を聞いてみたいですね。
  私は、彼ら朝日新聞幹部との対談で、「何でそこまで日本と日本人を貶めたいのだ」とよく聞きます。しかし、彼らは「朝日新聞は日本と日本人が大好きで、国を愛しています。なんで貶めなきゃいけないのですか」と答えます。空いた口が塞がらないですよ。本当に議論になりません。虚しくなります。

  私は、よく現代を“DR戦争”の最中です、と論評させてもらっています。ドリーマー(D)とリアリスト(R)が戦っている時代という意味です。ドリーマーは夢見る人、観念論の人で、リアリストは現実を見る人です。朝日新聞をはじめ、日本のマスコミは、未だに「左右の対立」が続いていると思いこんでいます。
  しかし、考えてもみてください。ベルリンの壁が崩れたのは1989年、ソ連がロシアになったのが1991年、日本社会党が消えてなくなったのが1996年です。左右対立の時代など、とっくに勝敗がついて終わっているのです。ドリーマーの人達は、観念的で平面的な捉え方しかできません。だから、リアリストの人達を「戦争をしたい人」と思いこんでいます。
  しかし、みなさんは「戦争をしたい人」ですか? そもそも日本に「戦争をしたい人」がいるんですか? 日本人は、特殊な一部の人を除いて99.9%が平和主義者です。しかし、その平和主義者は、「空想的平和主義者」と「現実的平和主義者」の2つに分かれます。観念論、空想論から一歩も出ることができない空想的平和主義者からは、私たち現実的平和主義者が「戦争をしたい人」にしか見えないのです。
  安倍首相、あるいは極めて現実的な論評をしている人間のことが、彼らは大嫌いです。私はドリーマーの人達を“自己陶酔型シャッター症候群”と名付けております。「俺は、戦争をしたい安倍政権を倒そうとしている」「憲法を改正して、いつでも戦争できるようにする奴らを阻止しようとする自分はえらい」と自分自身に酔っているのです。彼らは、いま石破茂さんを支持しています。安倍首相は憲法9条2項維持論者で、石破さんは2項排除論者です。朝日新聞が一番阻止したい「2項を削除して国際平和のためどこにでも行けるようする」と言っているのは、石破さんです。しかし、その石破さんを必死で応援しています。
  全く矛盾していて、笑ってしまいます。そして、彼らの特徴は自分の都合の悪い意見には全部シャッターを閉じて、耳に入れない。一種の確証バイアスです。そうやって、他者の意見を排除して自己陶酔しているのです。だから平気で「安倍首相はヒトラー」という社説を書くわけです。去年の選挙で朝日新聞は一生懸命、安倍一強政治を批判しました。しかし、結果は与党が3分の2を確保し勝利しました。それでも朝日は「おごりや歪みが指摘され続けても一強政治を続けるのか。数で押し切る政治から合意を追及する政治へ転換しなければならない」と書きました。なぜ国民の支持が自分たちのほうに来ないのか、どうしても謙虚になれないのです。
  いま日本社会で、偏向しているのはアカデミズムの世界とマスコミです。この二つが、日本で最も遅れていることを皆さんも知っていて欲しいと思います。

質疑応答
「質問1」

  ネットの空間でも言論封鎖は行われているのですか。

「回答1」

  ドリーマーの人たちは観念的、かつ狭量ですから、運営者に対する圧力をかけて、いろいろな言論封殺をやっているようですね。情報ビッグバンの時代ですから、さまざまなことが起こっています。ブログは群雄割拠。面白ければ生き残るし、そうでなければ消えていく。情報が民主化され、情報を独占していたマスコミがその地位を失いつつある今、大衆が発信する情報をも同等に扱われる時代が来たわけです。興味深いのは、「放送法4条」の問題です。この条項によって政治的に対立することは両論を平等に紹介しなければならない。しかし、テレビ番組をみればわかるように偏向の度合いがもの凄い。
  面白いのは、安倍首相が「偏向するなら、いくらでもどうぞ」という姿勢を示していることです。その代わり「電波は国民の財産ですからオークションにかけます」と云い始めました。これで民放連は、この3月以降、飛び上がって「安倍政権を絶対に倒さないといけない」ということに更になっています。しかし、これが安倍さんの凄いところと言えますね。


「質問2」

  朝日新聞の安倍叩きは、中国の謀略の匂いがするのですが。

「回答2」

  朝日新聞の広岡知男元社長が親中派の旗手だったことは有名です。昭和30年代の終わりから40年代にかけて、中国とはもの凄い蜜月関係になります。そこから本多勝一氏の中国ルポも生まれるし、一方的な中国のプロパガンダ・メディアのようになっていきます。最も問題なのは、朝日新聞が中国共産党の機関紙である人民日報と同一歩調をとることです。まるで兄弟新聞ですね。要するに、日本政府を揺さぶるために、人民日報に報じさせるわけです。それを朝日が受けて、大きな問題にしていく。最初にこの手法で行ったのが、昭和60年8月の中曾根首相の靖国公式参拝の時です。その時、人民日報に朝日が書かせて、国際問題にしていった。朝日は今も中国共産党との蜜月状態が続いています。


「質問3」

  活字を読む人が減り、「読者も堕ちている」と思うのですが。

「回答3」

  堕ちているのは、メディアの方であると思います。読者は目が肥えてきていると思います。無批判に読んでいた人達は読まなくなり、読む人は批判的な目で見るようになった。しかし、紙媒体の分厚いノンフィクションなどは読む人がいなくなりました。「ツイッターの170文字ぐらいは読めるけれど」という世界になってきています。しかし、レベルが低くなっているかどうかと言われると、若者のレベルはそんな嘆くような低さにはなっていないと思います。20代の若者は、バブル崩壊以後の「失われた10年、20年」に生きてきた人です。極めて現実的で、簡単には騙されません。今の若者はゴルフにも行かないし、車はシェアするかもしれないが、買いはしない。現実的です。
  昨年8月11日の読売新聞の記事で、早稲田大学現代政治経済研究所と共同でおこなった世論調査のことが出ていました。そこで、29歳以下の人が安倍政権を圧倒的に支持していることがわかった。彼らに「保守政党とはどこですか」と聞いたら、「公明党と共産党である」と答えたことが記事に出ていました。その理由は、従来の殻を破ることができず、いつまでも同じ主張をしているから、と答えているわけです。「では、リベラル政党とは?」と聞いたら、「自民党と維新の会」と答える人が多かったという。理由は、自民党は地球儀を俯瞰する外交を進め、アベノミクスに挑戦し、維新の会は、道州制や都構想などに挑戦しているから、と答えています。若い人達は流石だと思います。彼らには、従来の発想は通じない。若者の活字離れといいますが、インターネットで字は読んでいるわけです。紙離れではあるかもしれませんが、字は読んでいるわけです。若い人に望むことは「ハードカバーの分厚い本にも挑戦してください。特に門田隆将のノンフィクション!」ということになりますか。(笑)


以上は、作家・ジャーナリスト 門田隆将氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです。



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