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武藤記念講座(講演会事業)

第1049回武藤記念講座要旨

    2018年9月15日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    文藝評論家   
    小川 榮太郎氏

 『江戸思想が可能にした「明治国家」』  

セミナー





はじめに
  今年は明治150年記念の年であり、幕末・維新が様々に回顧されています。しかし明治維新の際立った特質は幕末の政変そのものではなく、その後、古代以来政治的権威だったことのない天皇を擁立した地方出身の下級武士政権が、稀にみる高度で安定した近代国家を維持できた点にあります。これは権力の力ではなく、民度と思想の力であり、日本にその地力が育まれたのは端的に江戸思想の力だと云ってよいでしょう。今日は、江戸思想と近代国家の成立の関係をお話しいたします。江戸時代あるいは明治維新の思想家の名前が数多くでてまいりますが、出来るだけ分かり易くお話しいたします。

第一章 歴史という学問について
第1節 歴史は過去の人間の事蹟
  歴史という学問は何故あるのでしょうか。今実証的な歴史研究が大変盛んで、これまでの歴史知識と違うことを云う学者が後を絶ちません。しかし史実の大きな書き換えは不要です。史実は記録に残っていないことが大半であり、記録が残っていても嘘の上塗りかもしれません。勝者の側から語られた歴史は嘘だらけだという人がいますが、敗者は勝者よりも嘘をつきます。新しい資料が発見されても真相から遠ざかるかもしれません。歴史とは過去の人間の事蹟です。人間をよく知らないと過去は甦りません。史記を書いた司馬遷や劇作家のシェークスピアほど人間をよく知る人はいません。人間を良く知らない学者が、資料を厳密に学問的に解釈しても歴史を甦らせることは大変難しく、通俗作家の人間観で過去の人間が甦るかというと疑問です。歴史を生きた人に寄り添い、その時代に生きた人間になり切るという謙虚さを持つことが重要です。また言葉でしか過去の人間の考えや史的な行動を知りえないわけですから、歴史家は言葉をよく知る優れた文学者でなければいけません。人を理解することは大変難しく、言葉のやり取りで誤解し、ケンカや軋轢が数多くあります。20世紀のイギリスの偉大な文藝評論家T.Sエリオットは「私たちはせめて互いに誤解し合える程度には、理解し合いたいものだ。」と言いました。みんな日本語で語り合っているから判り合っているように見えるけれども、実は誤解し合うところさえコミュニケーションがいっていない。本当はすれ違いきっているのだという事です。最新の資料で新しい歴史が明らかになったと云うのであれば、司馬遷の史記やヘロドトスはもう不要なのか。あるいは古事記や日本書記はどうでしょう。これらこそは本当に永遠の書物で、生きた人間の姿が最も深い言葉の力で刻印されています。
第2節 言葉とは呪術的なもの
  言葉は合理的なものではなく呪術的なものです。日本には言霊信仰があります。つまり言葉に霊魂を感じる力です。立命館大で長年教鞭をとっておられた白川静香先生は、古代の漢字が呪術的な神話的な起源を持つことを研究されました。司馬遷の史記や日本書紀、万葉集は言葉のもつ力を強烈に発散しています。歴史を知ることは過去の言葉の呪縛力を知ろうとすることです。過去の史実を塗り替えることは、歴史知識をより正確にしたいという要求ですから否定はしませんが、別の歴史観も知ってほしい。歴史を支えている人達の人間的なパワーがどんなに凄いかということが重要です。明治維新をつくった「江戸思想」は、吉田松陰や福澤諭吉の書いた物を深く読み込み、彼らの人間的なパワーを言葉から感じることが大事です。明治時代の日本を作ったのは江戸の人達の力です。明治150年の今こそ、「江戸思想」を考えていきたいと思います。
第3節 日本人の歴史意識の根本
  日本は天皇家が天照大神から「三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)」を委ねられ、今上陛下まで125代それを継いでおられます。その三種の神器の第一が“鏡”です。古事記、日本書記という日本の最初の史書は、まさに鏡として書かれました。これが日本人の歴史意識の根本です。先祖を大事にしようというのは鏡の意識です。先祖はどうでもよく、自分が大事であるという考えは、日本人のアイデンティティを破壊する思想です。先祖を大事にし、自分を大事にすることは両立できます。「鏡としての先祖を通して今の自分を見なさい」というのが天照大神の神勅です。古事記に天孫 瓊瓊杵尊に「鏡とせよ」とはっきり書いてあります。この意識は、民間の歴史書である大鏡、今鏡、水鏡、増鏡にも通じています。過去の人間の精神を知ることは、まさに今の私たちが鏡とするための歴史です。「先人はこう生きて来た、では私達はどう生きようか」という問いを投げかけることが日本人の歴史意識にあったわけです。今本屋で一番売れている歴史小説は、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢修平、吉川栄治の四天王です。何故読まれているのでしょうか。それは鏡だからではないでしょうか。歴史に人を見て、こんな生き方をした日本人がいたのかと、自分の鏡にしようと思うパワーが彼らの作品に感じられるからです。今日は「明治維新を成功に導いた江戸思想を今に生かす」ということで話を進めさせていただきます。

第二章 日本は近代国家の経営に何故成功したのか
第1節 近代化の鍵は自由
  明治維新というと坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、河合継之助あるいは新選組など幕末の人をイメージします。明治維新は奇跡的な無血に近い革命ですが、もっと凄いことは、この時偉い人がみんな死んでしまい、それを引継いた伊藤博文や大久保利通などが近代国家を運営したわけです。実は壊して新しく作ることよりも、近代国家を軌道に乗せ、運営することはより大変なことです。何故伊藤博文などの人達がそれを成し遂げたのでしょうか。それは実は「江戸思想の力があったからだ」と思います。近代国家システムは、人権の保護や権力の分散、資本主義市場の独立など極めて複雑で大きな仕組みです。彼らが、明治憲法という大変立派な憲法を自前で起草し、明治20年には既に混乱もなく、つつがなく運用できる社会を作り、さらに成長し続けることができたことは驚くべきことです。これは幕末の志士が偉かったとか、あるいは明治の啓蒙思想家や薩長政権の優秀さなどに帰するというだけでは到底説明できません。何人かの人間が偉いからシステムが回るということではありません。近代システムを作ることと、運用することは全然違います。システムは人が回すのです。あの時、それを日本ができたのは、経済力や軍事力とは違います。近代システムを回すのは大変難しいのです。何故ならば近代システムの鍵は“自由”だからです。
第2節 自由は人間の尊厳の根源
  自由は人間の尊厳の根源にかかわる究極の近代的価値です。自由には“政治的・社会的自由”と“内心の自由(思想表現の自由)”があり、システムの問題ではありません。これは難しい議論ですが、自由と平等では、あくまでも自由が本質で平等は付随する条件に過ぎません。平等を大きく前に出すと人間の尊厳を犯していくことになります。一人一人が全く異なる人間を、同一にならすことはできません。それは低い人に下駄をはかせて、高い人の頭を押さえつけることになります。人類の文明がここまできたのは、まさに平等ではなく自由に力を発揮するということを人類全体が選択したからです。平等は非合理な不平等や暴力的な抑圧を抑えるための是正の論理に止めないと、平等の強制になり人間を抑圧します。平等を第一原理にすると全体主義国家になります。まさに共産主義は平等を建前にするために自由を抑圧するわけです。平等は自由社会で行き過ぎた不平等を是正する時以外に振り回すことは極めて危険です。
第3節 自由度が高かった江戸時代
  江戸時代は士農工商の身分制社会でしたが、身分移動の自由度は高い時代でした。また支配階級の武士は米経済で、商人の貨幣経済についていけなく、大変貧乏でした。したがって金と権力が一緒にならず特権階級ができなかったわけです。金で威張れない武士階級は、誇りを根拠づける思想として“人格修行”が盛んにおこなわれたわけです。源平時代から500年間、戦を職業としてきた武士は、誇り高いリアリストで、みんな独立自尊でした。武田は上杉の下につくことを潔しとせず、織田は今川の下につくことを潔しとしない。福澤諭吉が独立自尊を唱えるずっと前から戦国武士は独立自尊を生きて来ました。つまり近代思想を輸入する前から日本には独立自尊の人間観があったわけです。江戸時代になり、戦争という仕事を失った武士に、誇り・リアリズム・貧乏・失業の4つが襲い掛かります。彼等の間では喧々諤々の自由な論争が起こります。日本中がいわば思想で沸騰し続けたのが江戸時代でした。このような武士の気風が町民や農民に移り思想家が全階層から出ました。

第三章 江戸の思想家たち
第1節 江戸初期の2人の思想家
  江戸思想の開祖は中江藤樹と水戸光圀の二人です。藤樹は江戸幕府開幕の1600年頃の生まれで、脱藩して帰農した人です。親孝行の“孝”を深め「藤樹学」というべき学問を立てました。彼は「万民はことごとく天地の子なれば、われも人も人間のかたちのあるほどのものは、みな兄弟なり」と書いております。西洋の思想も知らずに、福澤諭吉と同じことを語っています。同時代のもう一人の江戸思想の開祖が、徳川家康の孫である水戸光圀です。『大日本史』という近代的な史料批判の歴史書を監修しました。彼は「日本の独自性は皇統の一貫性である」と気がつきます。それなのに徳川家が権力を握ったことはよかったのだろうか。日本の歴史の正当とは何かということを考えたわけです。これは立派な歴史思想家です。ヨーロッパの近代的な歴史記述は19世紀のドイツのランケという歴史家に始まりますから200年早い実証研究です。また光圀は契沖を招いて万葉集の研究をしたことでも有名です。
第2節 幕末の思想家
  「江戸思想」が江戸幕府開幕以来260年間続いたことは凄いことです。そして幕末の思想が出て、近代日本の思想が可能になったわけです。明治の憲法体制が出現する上で最大の存在が福澤諭吉ですが、彼は非常に早い段階で近代世界システムを適切に理解していました。これは江戸の豊かな学問の伝統があったからです。福澤の前には天才的な思想家である横井小楠、吉田松陰が物凄い学問をしておりました。吉田松陰は幕末の志士で思想家です。「やむにやまれぬ大和魂」の辞世を詠んで30歳で刑死します。生涯のほとんどを、旅をしているか、牢屋に入っていました。山口県萩市から目録が出ていますが、驚くべき読書量と執筆量です。司馬遼太郎が「吉田松陰の文章がよい」と誉めるくらい名文家です。そして牢屋に入ってないときは、日本中を飛び回り、水戸の藤田東湖や熊本で横井小楠に会う。そして止むに已まれぬ思いで黒船に乗り込み、再び牢屋に入るわけです。彼に影響を与えたのが横井小楠です。横井は現実的な世界平和論者でした。「筋の通らない西洋列強のいいがかりがあれば断固戦争すべきだ。しかし富国強兵が全てだろうか。そうではない。日本の役割は西洋が道に外れたことを仕掛けてきたら、きちんと説得をして誤りを正し、大義を世界に広めなければならない」と考えるわけです。これは西郷隆盛も同じで「日本は平和の大義をむしろ世界に教えてあげるのが天命だ」と世界平和の思想を言っております。これが日本です。勝海舟は「西郷と小楠。心底恐ろしいと思ったのはこの二人だよ。小楠の思想を西郷の手腕で実現されたらこれはかなわん」と云っています。
  一方松陰は、貿易立国により世界中に平和的拠点を置くという思想を持ち、最後にグローバリズム的安全保障政策に到達します。ところがこういう先進的な文明論を抱いた松陰と小楠は儒者で、実はヨーロッパの学問をやっていません。こうした先人がいて明治維新が可能だったわけです。つまり後進国の日本が一生懸命ヨーロッパに教わり俄か仕込みをしたのではなく、自前の思想が進んでいたわけです。明治国家はこれらの人達の人間力が根底にあるのです。
第3節 明治初期の思想家
  明治初期の代表的な思想家として新渡戸稲造、内村鑑三、福澤諭吉がいます。新渡戸と内村はクリスチャンです。新渡戸は教育者で、後に国際連盟の事務次長を務めます。彼が英語で著した『武士道』は、日本のモラルバックボーンを西洋のキリスト教や中国・インドなどの地域と比較説明した比較倫理思想の名著で、30歳代後半に書いております。武士道は宗教ではなく教義もありません。彼は「明治時代は日本人の中に今でも息づいているモラルだ」と言っています。勇気、仁愛など徳目の持つ世界的な普遍性、人間性を英語で説明しています。今価値観というと民主主義とか、人権とか云っていますが、これは近代が生み出した政治イデオロギーです。人間のモラルを抜きにして、政治イデオロギーが社会の最上位の価値観だということは全体主義に繋がります。モラルこそが国家の基礎で、人間的自由のための最も重要な土台です。道徳(モラル)抜きの自由は、好き勝手をして人を傷つける自由になる。道徳を豊かにしなければ危険な社会になっていく。その日本人が拠って立つものが“武士道”であると云うのです。
  内村鑑三は筋金入りのクリスチャンで、なおかつ武士道の人で儒者です。近代ヨーロッパ文明はキリスト教抜きではモラルハザードが起きると考え、薩長の指導者に対し「日本にヨーロッパのような野蛮な政治、経済、観念を導入して、道徳の根本であるキリスト教を入れないなんてことをして、本当に大丈夫なのか。日本のモラルをめちゃくちゃにしないか」と厳しく書いています。
ところが日本は言うまでもなくキリスト教は採用せず、天皇を中心とした国体を選びました。彼は「私にとっては二つのJしか愛せない。つまり日本とイエスキリスト、この二つが自分にとって絶対の愛を捧げるものである」と云います。ところが彼のキリスト教の根底には“武士道”がある。聖書を日本の大人物達に照らし、アメリカ人より日本人の方が余程クリスチャンだと考えます。サムライ・クリスチャンと云われるわけです。彼は日本を愛し、明治天皇を大変尊敬していました。しかし江戸時代の天皇が一種の国家の底流を流れる理念であるのに対し、明治時代は天皇そのものを神格化し、天皇に従属する国家体制です。彼は近代天皇制度とイエスを信じることとの間で葛藤します。そしていろいろな形で迫害されます。この“個人と国家”あるいは“信仰と政治”の対立は極めて近代的な現象です。明治初期の人物にそれが可能だったかというのは、江戸儒学の中に独立の精神があり、彼が儒学で徹底して独立自尊の心を育てられたからです。
  一方、同じ時代に近代主義を代表するのが福澤諭吉です。彼の近代の理解は大変正確です。ところが、口では儒教を否定するのですが、彼もまたどう見ても儒教の人なのです。『学問のすゝめ』は近代版の論語です。「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」は有名ですが「平等だから頑張ってお前が偉くなれ。平等だから怠けてないで一生懸命勉強しなさい。そして人間を立派にしなさい。自己責任で自分の感情をコントロールしなさい」と云っています。彼が一番嫌ったのが“怨恨”です。この感情は最も人間を毒する思想だと云っています。ちなみに同じことは、日本最初の大思想家である聖徳太子の「十七条憲法」にも書いてあります。日本の民族性を考える意味で面白いと思います。福澤は「儒教みたいな空疎な学問をやっていてはだめだ。世の中の進歩に役立つ実学をしなさい」と云いますが、彼の人間観や学問はヨーロッパのモラルではなく、彼が子供の頃から身に付けた儒教です。

第四章 江戸思想の潮流
第1節 江戸思想の豊かさ
  江戸思想は朱子学批判の歴史です。朱子学は幕府公認の思想ですが、日本のあらゆる思想家が批判するわけです。これは凄いことで、学問の自由があったと云うべきです。その意味で、近代ヨーロッパ思想と江戸思想は親和性が高く、また公認の学問を様々なやり方で批判したため江戸の学問は多彩多様です。倫理・思想・人間論では日本の江戸時代の方がヨーロッパの近代より豊かです。しかも学問の真理を求め、旅をして歩いていたのは芭蕉だけではありません。中江藤樹の藤樹学派は、近江の片田舎で農民が教えた思想ですが、日本中に伝わり後継者が出てきます。京都の町人 伊藤仁斎のところに日本中から弟子が集まります。失脚した浪人の息子 荻生徂徠の学問は日本中で必読書になるわけです。あるいは本居宣長も医者でした。身分の低い人間が、藩主の先生になって欲しいと招かれるわけです。このような社会は、身分制社会ではありますが、ある意味で非常に自由があった社会と云って良いのではないでしょうか。日本人の中に、武士道的な公平さ、江戸思想の豊かさがあったのです。
第2節 江戸思想の二つの潮流
  近代化を成功させるうえで、江戸思想の二つの潮流が大きな役割を果たしています。一つの潮流は、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長と云う系譜です。この系譜は“言葉への関心”の系譜です。徂徠や宣長は世界的に見ても最も偉大な言語学者です。言葉に即して分析し、古代の精神を再現するというアプローチ、そして古代研究がそのまま近現代批判になるという大きな構図は、実はニーチェと共通します。江戸思想のこの側面が、近代西洋の哲学や自然科学を滋養する上で大きな役割を果たします。彼らの言葉に対する関心が非常にヨーロッパ的です。ヨーロッパの哲学は、例えばカントは「理性はどこまで信用できるのだろうか」ということが一つの大きなテーマでした。ヨーロッパの思想は、認識論・存在論いずれも言葉への関心です。そういう意味で江戸時代に言葉の研究の天才の系譜があったということは、近代ヨーロッパを受け入れる上で大変大きな決め手だったと思います。
  一方、江戸時代の多くの人に最も影響を与えたのは“人の道”を研究する「道の学問」でした。中江藤樹、熊沢蕃山、山鹿素行、伊藤仁斎に始まります。“人の生き方はどうあるべきか”と朱子学、陽明学、国学。そして老子を独特に哲学化した人。町人の哲学や農民の哲学まで出てきます。江戸の“人の道”に対する学問が自由闊達であったことが近代化の大きな鍵でした。道徳が学問として深まらないと近代は維持することが出来ません。近代の本質は自由です。道徳なき自由は野蛮状態になってしまいます。近代国家を成立させるために、法律で人を縛るのには限界があります。道徳を真面目に研究しない国家が、近代国家の真似をすると最後は全体主義になります。江戸時代「道の学問」が盛んだったから明治国家は極めてモラルの高い社会でした。
第3節 人の道
  伊藤仁斎は、論語解釈の世界的な革命者で、そのキーワードは“仁”でした。仁とは愛と云っています。彼の『論語古義』は論語理解の根本を愛においています。「君臣義有り、父子親有り、夫婦別有り、朋友信有りと云うけれど、その全ての根本は愛なのだ」と云うわけです。江戸の初期にキリスト教の純粋愛、絶対的な他者への愛を独自に云っています。藤樹学とは別のところで、仁斎は愛を論語から読み取っているわけです。母性的な愛、論語の母性性を説いたわけです。
  一方江戸初期の赤穂藩の軍学者 山鹿素行は“武士道”を確立しました。『忠臣蔵』は山鹿流の軍学から出ているわけです。吉田松陰も同じ山鹿流の軍学者です。乃木希典も山鹿素行の直系の弟子です。この素行はあらゆる学問を収めた大変な碩学でしたが「日本こそが真の文明だ」という結論を出します。日本書紀を解釈した『中朝事実』は、「日本こそが本当の中心の王朝で、人の在り方として日本が中心だ」と書いています。そして近代でこれを復刊したのが乃木希典です。彼は日露戦争の旅順攻略の軍神と称され、その後学習院の院長として幼い頃の昭和天皇の先生となります。明治天皇の崩御で殉死する数日前、幼い昭和天皇に大きくなったら是非お読みくださいと『中朝事実』を遺言で渡します。昭和天皇には乃木希典を通じてこの血脈が流れているわけです。
  江戸の豊かさ、広さ、ユニークさは流派で固まらないところです。朱子学だけする人、陽明学だけする人はいません。皆自分で古典に体当たりし、師匠を自分で探し、そして影響を受けながら独自に学問をアレンジしていった。朱子学、陽明学以外に藤樹学、仁斎の古義学、徂徠の古文辞学、宣長の国学、石田梅岩の心学。あるいは二宮尊徳の農民の報徳思想。こういうものが士農工商それぞれ自由にハーモニーしていくわけです。
第4節 もののあわれ
  国学から古典回帰が始まります。万葉集や源氏物語が本格的に研究されたのは国学を通じてです。王朝の歌集である古今集、日本最古の和歌集である万葉集、そして幽玄な新古今集と日本人が三つの素晴らしい歌集を持っていることは大変幸いなことです。万葉仮名で書かれた万葉集を我々が読める形で復旧してくれたのは国学です。古事記は本居宣長が解読するまでは誰も読めませんでした。源氏物語を小説として尊重する伝統も本居宣長からです。「源氏物語は、人の心で最も真実で最も大切な“もののあわれ”を描いたのだ」と宣長は云いました。仏教や儒教は道を説きますが、これをやり過ぎると人生がつまらないものになります。江戸時代の面白いところは「色恋をしている人間の“もののあわれ”が深いのだ」という思想が出てくるところです。儒教や武士道は人格を練りましょう、人間不退転、不動心でなければならないという教えです。ところが宣長は、人間はどんな偉そうなことをいっても情において弱い脆いものである。日本人は古来この弱い心を歌にのせて言葉に表すことで情を整えるという道を磨いてきた。仁義礼智とか、志に死ぬと強がりを云うよりも、情の弱さや迷いを認めた上でそれを歌や物語にする。これが実は日本人が古代見出した真理である。そして源氏物語は人情の自然、人間が自然に抱く情というものを説いた小説なのだと云うわけです。仏教や儒教が入って来て人間本来の素直さをだめにしてしまったと云うのが宣長の日本論です。彼の大和魂は”もののあわれ“です。吉田松陰の大和魂とは完全に正反対です。こういう宣長の文芸論は、ヨーロッパのロマン派の文芸理論とほとんど一緒です。日本は文芸理論においても思想においても自前でそういう思想に到達していた。富国強兵という表面的な輸入ではなく、自前で精神文化を深く耕していたところに、ヨーロッパ近代が入ったから、独自の豊かな近代が出来たということです。

おわりに
  今、江戸思想が現代人に全く読まれてないことは大変残念なことです。“何故、明治が成功したのか”そして“今何故、我々は自分達の道をなかなか見いだせずにいるのか”の最大のヒントが実はこの江戸思想にあると思っています。実に色々な思想家の議論が自由に行われていた。道徳や武士道があり、人の情を描いた歌や物語があった。今日はお話できませんでしたが、実は科学思想も非常に発達していました。そういう思想の力が全部あって明治の奇跡の70年を作ったわけです。我々も、もう一度自分達を本当に強くしてきた思想を己のものにしなおし未来を創っていかなければなりません。今の日本に大切な事は、思想の営みとエリート層のモラルハザードをどう防いでいくかということではないでしょうか。

質疑応答
「質問1」

  司馬遼太郎さんが「日本は儒教一本の国でなかったから、中国と違って近代化に成功した」と述べていたと記憶していますが如何でしょうか。

「回答1」

  司馬さんが云ったのは、儒教ではなく朱子学です。中国、朝鮮半島は科挙制度を作り、朱子学を丸暗記しないと高級官僚になれなかったわけです。つまり朱子学を批判すると出世ができないわけです。そういう中国、朝鮮半島のあり方が、結局今に至るまで上手く近代化を生かせてないのです。日本の場合は、幕府が朱子学を官学としたのに、多くの藩や民間が朱子学の批判をして、幅広い儒学が生まれたわけです。そして自分の学問をオリジナルにやれたわけです。儒教が入りながら、非常に自由であったと理解してください。


「質問2」

  日本が、「ハルノート」や「ポツダム宣言」から離れた歴史観を持つことは、降伏条件に違反すると云う人がいますが、先生のお考えを伺いたい。

「回答2」

  歴史観として、東京裁判史観は早晩変わっていくと思います。ポツダム宣言自体はサンフランシスコ条約により法的有効性は失われております。またハルノートも我々を拘束するものではありません。ポツダム宣言を利用して、日本を第二次世界大戦の敗戦国の状態に置いておきたいという策略で、今後も気を付けていかなければなりません。中国、北朝鮮、ロシアは皆同じ立場です。アメリカも日本の保守派の歴史観が余り強く出てくると困るわけです。今日米関係を色々な次元で分断することが狙われております。そういうことを考えながら安倍総理は、政治的にどういう歴史観までであれば過去を振り向かないで済むかを考え、全部を前向きな方向、未来に向けて話を持って行こうとしています。


「質問3」

  道徳の話を子供たちに教える時、何か良いヒントはないでしょうか。

「回答3」

  日本人の場合、国家国民の道徳は、一つの教科書あるいは一つのテキストで教えることは非常に難しい。これがキリスト教圏やイスラム教圏では、バイブルがあり、道徳の基本が一冊に全部あるという社会との違いです。日本の場合はいろんな人物が出ました。聖徳太子から始まり、昭和まで膨大な偉人がおります。この偉人伝をいろんな形で親しんでいくことを、日本人は古来からやってきました。しかし戦争に負けて日本の過去を全部否定された時、コアとなる道徳の一冊のテキストがないわけです。テキストが多くあり過ぎる弱さです。今お薦めするとすれば、例えば中学校の上級あるいは高校では新渡戸稲造の『武士道』が大変良いテキストになります。また皇国史観的な本ではありますが、平泉澄の『少年日本史』は、日本武尊命からから始まって幕末までの日本の先人の物語で、小学生、中学生に読ませるのにとても良いと思います。読んでいると切々たる名文で、全然難しい言葉を遣っていないのでよくわかります。参考にしてください


「質問4」

  教育勅語についてどのようにお考えでしょうか。

「回答4」

  教育勅語は素晴らしい内容でコアになるものです。しかしこれは短い標語です。これだけで何かが蘇えるというものではありません。これからの教育は日本が歴史上培ってきた様々な思想や文学の豊かさを大事にすることが重要です。教育勅語を復活させるとなれば、大変な抵抗があるでしょう。政治的な騒動になり、国際社会との軋轢になる。むしろ、文学や人物伝を重視してゆく方が私は宜しいという考えです。


以上は、文藝評論家 小川榮太郎氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです。



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