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武藤記念講座(講演会事業)

第1057回武藤記念講座要旨

    2019年4月6日(土)
    於大阪「武藤記念ホール」
    元国税庁長官   
    濱本英輔氏

 『租税国家の将来』  

セミナー





第一章 租税国家の成立
第1節 部族社会
  地球には学名がつけられているだけで180万種の生物がいるが、本当に全部で何種の生物がい るかは誰も知らないといわれている。それら多くの種が競争や共生といった相互作用を続けた結果、現在見られるような群集が生き残った。中でもヒトは、他の種を圧倒する強力な群集を構成してきたが、それは何故か。それについてはヒトが強い好奇心と社会性を有し、互いの協力作業を通じ、共同体の中に公共財を蓄積して、これを使い合う互酬的な特別な性格を遺伝子に備えているからだといった説明がされている。共同体が公共需要を満たすためには、共同体のメンバーが、いわばシステマティックに対応する必要があり、そのやり方を進化させた公共財政のようなものも、あるいはヒトのくらしと同じ位古い歴史をもつのではなかろうか。
第2節 封建社会
  近代の租税制度の核になる部分については、中世封建時代以降を対象にこれを説明する文献に接する機会が多かったが、その要点をお話すると、もともと中世の領邦においては領主が領民の暮らしを守る一方で、領民から地代を徴収し、領主の日常的な支出はその領地からの地代を中心とする収入で賄われていた。租税の一般的徴収は行われておらず、せいぜい時代を先取りしていた都市国家において例外的な動きが認められるにすぎなかった。ヒトの生活の仕方乃至文化は、集団ごとに異なり、集団の内と外が区別されて、内部の結束が強まるほど自身の生活は快適なものとなり、同時にその強さがヨソ者との間で生ずるトラブルの解決を有利に導いたのではなかろうか。宗教や 法も、そのための手段として利用されるようになる。ただし、ここで対外的闘争の為には自らの経常的収入では賄い切れない軍事費を必要とする。領主のうちいわば最有力な領主が対外的闘争に勝ち、領域を広めるに従い、領邦の内部において、実は対抗勢力でもある仲間の貴族や僧侶そして最終的には領民にも、外敵を退けるのに必要な多額の軍事費を頭を下げて懇願せざるをえなくなるのであるが、貴族や僧侶や領民としても迫り来る自らの危機を前にして、この「共同の国難」(シュムペーター)に対処せざるをえず、当初はあくまでも租税としてではなく、いわば具体的見返りを値切めできぬままに、領主への贈与の形で支出を決断した。斯くして貴族、僧侶、領民の代表者によってつくられる身分制議会の承認は次第に頻度を増し、結果的に言うなれば最有力領主が国王として主権というものを確立していく、その一方で他の領主たちは没落していった。このようにして1648年のウエストファリア条約を境に、領主たちの封建地代や贈与は、主権国家の王の徴収する中央集権的租税に形をかえていったのである。
第3節 国家社会
  古来からヒトの社会生活にも順位階層がつきものであった。支配階層は一般に税負担をまぬがれる例で、封建的貴族に列せられたものは非課税扱いとされたが、こうした課税上の不平等が市民の反発を招き市民革命へとつながり、1688年の名誉革命によって「代表なきところ課税なし」という租税法律主義の大原則が確立する。斯くして近代的租税国家がその姿を現したのである。その国家は、かつて国王の保有していた財産権を市民の手に収奪され、自ら財貨を稼ぎ出す手段を失って無産国家となった。その上で軍事費を調達するために当時の英国は租税収入に加えてオランダで進展していた金融技術を大胆に導入し、将来の税収を担保に借り入れを行い、財政と金融とをいわば一体的に運用する術を身につけたのである。このようにして形成された国家財政の骨組みは、基本的に今日まで続いている。蓋し皮肉なことに一つのとらえ方として近代国家の初発は「共同の困難」すなわち戦争による財政需要にあったということである。すなわち軍事的財政需要が主体となって近代国家の成立を促し、それに乗っかる形で今度は政治活動を通じ、次の財政需要を国家の方から拡大していくという経過を辿っていったようにみえる。爾来、租税制度は時代の有力な起動力の役割を果たした。そして世界大戦をはさむ幾多の経済活動の変遷を通りぬけ、今日IT革命といった新しい変革の時代に踏み込もうとしているのである。

第二章 現代租税国家の問題
第1節 国家歳入の確保
  そこで租税制度にかかる現代の問題を例示してみたい。まず租税収入確保の困難がある。各国は法人の投資を誘致するため法人税率の引き下げ競争を演じている。(注1)投資拡大が税収確保につながると期待されたが、ねらい通りにことが進んでいるかどうかむずかしいところでもあり、OECDはこの自縄自縛の打ち止めを画策している。課税逃れのための節税ソフトが市場で販売され、米国の一流企業等もこれを活用しているといわれる。また国境を越えた直接のコンテンツ取引が電子商取引の形で増加しているが、実はこれらに対する適確な課税方法が今のところまだ見つかっていない。
第2節 国債発行の限界
  税収の上がらない各国は国債発行に走る。これまでのところ日本の国債は、殆ど日本人が保有し、国債発行自体はスムースに進んでいるが、国民の貯蓄と国債発行残高の差つまり国債発行の余裕枠は縮小をつづけ、いずれ限界が来れば外国人向けにこれを売却せざるをえなくなる。そうなると金利が上がり、市場は不安定化し、国債利払費の予算計上が苦しくなるといった問題にぶつかる。過去の歴史からこういった事態を回避するため、議会は法律により一部例外を除き安易な国債の発行を禁止しているが、1965年(昭和40年度)以降「どうか今年限りお許し願いたい」とことわりながら、毎年、例外法を通してきた。それが最近は「さしあたり5年間は御勘弁下さい」と称して、規律をゆるめている状況にある。ここには制度の変更に映し出される人間の実像のようなものが感じられ、心配が増しているというのが偽ざるところである。
第3節 国家歳出の抑制
  税収の不振を国家歳出の抑制によってカバーすることも当然考えられるべきであるが、かつて戦争をきっかけに拡大した財源を前に、国家は福祉政策に手をのばす決断をした。これを削ることはひとたび福祉を享受した人達の人命あるいは人生設計自体に影響するため容易なことではない。ただ福祉国家構想は、産業革命以降の資本主義経済から生まれた法人所得税、個人所得税の巨大な税収による歴史の偶然ではないかとする見解もきかれるところで、今後の展開についてなお注視を怠ることは許されないと考えられる。

第三章 租税国家の将来
第1節 将来の租税
  租税国家の将来についてどう考えればよいか。一つの見方として、1997年5月31日のロンドン・エコノミスト誌の記事を紹介しておきたい。それはこのままいくと、将来は不動産税、賃金所得税、必需品に対する消費税しか残らない可能性があるとするもので、これらは要するに逃げ出すことの出来ない課税対象を列記しているかのようにみえる。
第2節 国家の退却
  税収に期待出来ないとなれば最終的には、国家自身が、その手がける仕事から退却する以外にはなかろうと想像する論者もいる。具体的にその第一は、プライベート・セクターへの依存である。軍隊や裁判制度なども国の手を離れる可能性があるとする。この論者のイメージを辿っていくと、話はやや、荒唐無稽で比喩的なものに立ち入ることになるが、政府自体も私的政府的なものになりうるとして、例えとして鎌倉幕府の成立をあげる。(注2)租税制度も私的税制乃至賃料の世界へ、また法律制度も私的法制として北条泰時の御成敗式目が広く各地に普及した事例があげられる。さらには既に近時話題にのぼっている私的通貨の活用などの例が加わるのである。
第3節 弱者保護の問題
  ただし、如何にしても私的制度によって代替し難い事業として弱者 対策が残る。資本主義は格差を生む。資本主義と市場経済とは互いに重なりあう部分があるが、市場経済を論ずる経済学者は格差問題を市場経済の需給均衡に至る合理的メカニズムの枠の外に位置づけ、その解決を政治問題として、平等を基本理念とし、多数決をセオリーとする民主主義にゆだねているようにみえる。この段階でわれわれは再び形をかえた「共同の困難」にぶつかる。上述のシュムペーターの「共同の困難」は外敵への対応の問題であったが、今回はヒトの内心の問題、つまり給付の最大化と負担の最小化という認識のギャップが生み出す矛盾の問題とぶつかることになる。ヒトの集団的生存能力をもってこの問題を如何に克服できるかが問われるのである。
第4節 IT時代の税制
  上述の問題への対処の仕方として、IT技術の進展に望みを託する考え方もある。すなわち技術論として例えばマイナンバーやAIの普及による足元の税務、会計実務の合理化から始まり、いずれ広く経済活動の効率化、社会制度の改革につながって、財政収支の改善に帰結しないものかとする論法である。ただこの点に関連して、少なくとも現段階のIT技術から旧来の税制にかわる新しい税制を画きうる状況には至っていない。電子商取引に対するデジタル課税論も、今日の段階では未だ国際的合意までに距離を残しているのではないか。より本質的な問題もある。責任能力の問題である。ばらばらで大量の、しかもリアリティの異なる情報の渦に見舞われる中で、例えば、ヒトの商品・サービスの選択を始めとするさまざまの意思決定についてAIが利用されるようになっても、どこまでの対応が可能か不確定である。仮にこうした事態が進めばやや大袈裟に云えば、何と云うかヒトの人格の主軸が揺らぐとでも云うのか、責任能力を手掛かりとして構築されている、例えば租税制度も含めて、刑法や民法をはじめとする現代社会のあらゆる約束ごとは今のままでは遵守に難をきたすことにはならないであろうか。やや脇道にそれるが、哲学者などの中には本来意思決定に際し自己の自由意志とおぼしきものには自己以外の外部要因が多分にからみ合っていて、これに対する責任追求は容易な問題ではないとする見解もあるが、ITの論議をきっかけにそうした論議に踏み込むと、現実にどうやって社会秩序を構成していけばよいのかという問題につかまりかねない。ここで大切なことは、後述するとおり、多元的なものを、必要な限度において互いに理解し合える実学的な論議に集約し、結着を追求していくことではないかと考えるが、現実には多分にそうした最終的に未完結の課題の中で、何とか生きていかねばならない状況に堪える必要があるのかも知れない。改めて申すまでもないことながら、ITにより数学などの記号を駆使し抽象的思考で、確率的にものごとの因果関係を解明し、集団的協力作業を通じて租税制度などを工夫するとしても、ヒトの判断のベースには理性のあずかり知らぬもの、つまり情動の働きが存在する。従って問題はヒトの集団的合意が科学技術の変化のスピードに追いついていけるかということにかかっ てくるように思われる。

第四章 おわりに
第1節 わが国憲法と税制
  従来の租税制度を具体的に見直そうとすれば、以上のほかにもなお種々の未整理の問題が待ちかまえているような気がするが、それではこのような財政や租税制度の問題に関して、わが国憲法はどのような定めを置いているのか。財政や税制が国会の専権事項とされているのは、司法が裁判所にゆだねられているのと同様憲法の定めによる。国家が憲法の定める役割を果たす必要があることについては異論はなかろう。国家が国民の集合体である以上、そこに問題が生じた場合その結果を甘受するのは最終的に主権者たる国民ということにならざるを得ない。つまり、憲法の定める財政民主主義から問題は国民の自己責任に帰結される。ここには重い問題が横たわっているのである。
第2節 福澤諭吉の言葉
  偶然の機会に同郷の旧友にあて小学の教授本として記した初篇につぎ足しして書かれた「学問のすすめ」の中に、福澤は租税の納付について「国を護るための入用を払うは固よりその職分なれば、この入用を出すにつき決して不平の顔色を見わすべからず」とし、「道理において出すべき筈のみならず、これを出して安きものを買うべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきなり」と記している。税を支払ってさまざまの公共サービスを手にすることができれば、国民に損はないと論ずるのである。「学問のすすめ」は独立のすすめを説くものであり、先ず一身の独立を謀り、もって眞の一国の独立を果たすことは、往時同様今でも国家の最重要課題であろうが、蓋し先述の「共同の困難」を解く鍵も実はこの独立自尊の中にあるのかも知れない。ここで学問とは、いわゆる「実学」であるが、自然科学・人文科学を通じ、所謂観念論などではなく、見識品格にすぐれて、実際に生かすことができ、かつ、時代の進展にあわせた高いレベルに国民を先導するものでなければならないといった口笏が自然と伝わってくる。果して今日学問と呼ばれるものは、どれだけ世間にとどく強い論議と言葉をもって福澤の指摘に答えているのであろうか。ここのところを想い返してみていただきたいと思う。福澤も文明をさらに深く掘り下げそれを詳しく追及するのは「これこそ他日後進の学者に任ずるのみ」と記している。上述との関連で「民情一新」を読むと、福澤はかつて、西洋の蒸気・電信・郵便・印刷などの発達を目にし、あたかも今日を予言するかの如く「午前大阪に製したる菓子は、午後東京の茶席に用い」などといった具合にそれらの進歩に楽観的確信をもって記述をすすめてきたにも拘らず、本小論においては、一転して「かかるテクノロジーの発展につき今日の西洋諸国は正に狼狽して方向に迷う者なり」「芋虫の事情を説いて、胡蝶に告げるものあり 誰がこれに耳を傾ける者あらんや」と釘をさしている。「民情一新」は未完の書とされているが、その性格上、私には未完で然るべきもののように思われる。そして「民情一新」は、IT革命を経験する今日の事態にもそのままあてはまるところが指摘されているように思われる。ITの発達を契機に、租税制度の問題を含め社会制度や思想に及ぶ変革に踏み込んで、まさに学問をすすめる時は至ったと感ぜられる。なお、「民情一新」の如き、いわば時事論において大切なことはやはりその基底にある原理論の存在であり、本小論を通じて上滑りでない時事論というものの意味を学びとっておくことも今日の情報化時代の要諦と考えられる。
  近代国家は、租税法律主義、財政民主主義の基本的枠組みの上に租税国家として登場したが、租税国家をめぐる環境は今日大きな変革の波の中にある。今日お話する時間がなかったが、税の理念を含めた税をめぐる課題は、広く社会の隅々の論議につながっている。そして例えば「公平」「国際化」その他制度の根幹にふれる調整の論議は、政治問題として、待ったなしの国民的合意形成を必要としているのである。「文明論の概略」において福澤は、政治はいわば文明の函数の如きものと説き、文明論とは人の精神発達の議論であるとしつつ、ただし精神発達といっても一人の精神発達ではなく「天下衆人の精神発達を一体に集めて、其の一体を論ずるもの」であると緒言冒頭に明記している。はじめに申し上げたとおり、ヒトが集団的社会の力によってここまでやって来たそのことは福澤の念頭にもあり、「元来人類は相交るを以って其の性とす」として、要するに他者とのコミュニケーションとその間の調整が天下衆人の精神発達すなわち文明発達の前提だと説き、「世間相交わり、人民相触れ、其の交際愈広く、その法愈整ふに従い、人情愈和し、知識愈開く可し」と記している。今日この大阪において、國民會館の皆様の御活動に、往時の気配の香りを感じ、あわせて福澤精神の生々しい承継のお姿に接することが叶い、大変嬉しく存ずる次第である。
                                                       以上

[注 釈]
      (注1)法人税率の減税競争
                                    日            仏            独            米            英
                  2013年  37.00%    33.33%    29.55%    40.75%    21.00%
                  2018年  29.74%    33.33%    29.83%    27.98%    19.00%
                  2020年            28.00%                                 17.00%
                  2022年            25.00%

      (注2)鎌倉幕府の成立
               (中里 実 東大教授/M・ラムザイヤー ハーバード・ロースクール教授 共著より)
               ・ 大化の改新・律令国家成立(班田収授法 良民男子一律2反)
               ・ 租税特別措置(貴族免税、三世一身法・墾田永年私財法)
               ・ 荘園領主・武士団の成長(開墾地の貴族・社寺への寄進、武士団の形成)
               ・ 鎌倉幕府の成立(武士団連合、日本のマグナカルタ)

[参 考] 
                長谷川眞理子  「世界は美しく不思議に満ちている」(青土社)
                シュムペーター 「租税国家の危機」(木村元一、小谷義次訳 岩波文庫)
                中里 実  「財政と金融の法的構造」(有斐閣)
                福澤諭吉 「学問のすゝめ」(岩波文庫)
                福澤諭吉 「民情一新」(小泉信三解題 常松書店)
                福澤諭吉 「文明論之概略」(岩波文庫)

以上は、元国税庁長官 濱本英輔氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです。



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