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武藤記念講座(講演会事業)

第1063回武藤記念講座要旨

    2019年9月14日(土)
    於大阪「國民會館 武藤記念ホール」
    評論家・拓殖大学大学院客員教授
    江崎 道朗氏
 『アメリカでの歴史見直しとトランプ政権』


セミナー





はじめに
  今年11月でベルリンの壁崩壊30年が経ちますが、今ヨーロッパでは凄い勢いで歴史の見直しが起こっています。ソ連の人権弾圧を告発する戦争博物館が各国で建てられ、再びソ連共産党の亡霊が甦らないように、共産主義の罪悪を語り継ぐということが行われています。日本では、ソ連は第二次世界大戦の戦勝国で、日本を極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁いた正義の国と捉えられていますが、ヨーロッパでは全く違います。80年前の1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まります。その直前の8月23日に、スターリンとヒトラーは「独ソ不可侵条約」を結びポーランド侵略の密約を交わし、ソ連はバルト三国、フィンランドに侵攻します。国際連盟はソ連を侵略国家として除名するわけです。ところがその後ヒトラーがバルバロッサ作戦でソ連へ侵攻し、スターリンはイギリスのチャーチルと手を組みます。アメリカのルーズヴェルトも呼応し、3国が同盟国となり、その結果としてソ連が戦勝国になったわけです。
  日独伊三国軍事同盟を結んだ日本はナチスと同罪であるという議論をする人がいますが、ポーランドやハンガリーで日本がナチスと同罪であるという議論はほとんどありません。イギリスとアメリカはソ連と同盟国でしたが、スターリンの罪悪に責任を負うことはありません。ヨーロッパではナチスドイツとソ連のスターリンが第二次世界大戦を引き起こし、その後60年にわたり東欧諸国をソ連共産党の支配下に置き、人権を弾圧してきたと思っています。第二次世界大戦を「ナチスドイツとソ連という二つの全体主義国家から自由と民主主義を守る戦いである」と捉えています。
  しかし日本ではソ連共産党が如何に酷いものであったかということが全く紹介されておらず、非常に偏った物の見方となっております。日本の近現代史は全体像が欠落しており、もう少し広い視野で見る必要があります。

第一章 第二次世界大戦でのアメリカの対日政策
第1節 一枚岩ではなかったアメリカ
  日本は先の大戦でアメリカと戦いましたが、アメリカの対日政策は一枚岩ではありませんでした。日本を弱くした方がアジアは平和になると考える「Weak Japan(弱い日本)派」と、アジアで紛争が多いのはソ連が引き起こしており、ソ連の防波堤として日本の行動を理解すべきであると考える「Strong Japan(強い日本)派」の対立がありました。
  民主党のルーズヴェルト大統領は「Weak Japan派」であり、共和党のフーバー大統領やロバート・タクト上院議員は「Strong Japan派」でした。しかし日本では、アメリカがWeak Japan派の一枚岩であると誤解している人が多かった。アメリカは共和党と民主党で政策が全く違うのですが、その違いを分かっていませんでした。また日本のマスコミも、アメリカは日本を潰そうとしていると決めつけ、アメリカは怪しからんと言い続けていました。しかしアメリカの庶民はほとんどが「Strong Japan派」でした。日本を強くした方がアジアは平和になり、子供達を戦争に送らなくて済むと考えていたからです。したがって共和党のフーバー大統領の時代は、日本とアメリカとの関係は物凄く良かったわけです。
第2節 対日圧迫外交を進めたルーズヴェルト大統領
  1929年「暗黒の木曜日事件」でアメリカの株価が大暴落し、急速なデフレとなります。ところがフーバー共和党政権は緊縮財政を行ったため世界恐慌を悪化させます。1919年と比べGDPは45%減少し、株価は80%以上下落しました。工業生産は3分の1に下落し失業率が25%となり1200万人が失業したわけです。社会保障制度もなく共和党政権は信頼を失います。そこで経済立て直しのため民主党のルーズヴェルト政権が出来るわけです。ルーズヴェルト大統領は「ニューディール」を提案し、社会主義政策を進めます。労働者の失業保険を作り、公共事業を行う。ソ連と国交を樹立し、農作物を大量にソ連に輸出することで経済の立て直しを図りました。 ルーズヴェルトはソ連と手を結んで日本を弱くする「Weak Japan派」でした。例えば、シナ事変が起きたわずか3カ月後、ちょうど日本が中国と一生懸命に和平交渉を行っている最中に、「アジアで戦争が起こっているのは日本のせいだ」と隔離演説を行うわけです。その後も彼の対日圧迫外交で経済的に日本を追いつめた結果、日米戦争となってしまうわけです
第3節 日本の戦後体制を作った「ニューディール連合」
  ルーズヴェルト民主党政権は社会主義政策を推進しました。労働組合を強化し、組合員数が150万人から950万人に増えていきます。またマイノリティーや女性への優遇措置を採り、官僚・学者・マスコミに対する優遇政策を通じて巨大な利権集団を作ります。この民主党を支える盤石な選挙マシーンを「ニューディール連合(New Deal coalition)」と言います。このグループが第二次世界大戦中から戦後一貫してアメリカの政治を牛耳ることになります。
  占領軍として日本に来たのもこのニューディーラーたちで、日本で社会主義政策を行いました。戦後体制からの脱却、現行憲法体制からの脱却と言われていますが、この体制を作ったのが「ニューディール連合」の人達なのです。このグループは今なおアメリカで隠然たる力を持っています。
  さて第二次世界大戦の末期、1945年2月に、ルーズヴェルト、チャーチル、スターリンがヤルタ会談で「ソ連が日本との戦争に参戦する代償として、満州と千島をソ連領として容認する」という密約を交わします。ちなみにルーズヴェルトとチャーチルが唱えた1941年の大西洋憲章では「戦争による領土変更は認めない」と言っており、明らかに憲章違反の密約です。
  ポーランドやバルト三国の軍事博物館に行きますと「ルーズヴェルトとチャーチルがスターリンと手を組んだ結果、第二次世界大戦後、ソ連の併合の下で苦しまざるを得なかった。ルーズヴェルトとチャーチルの裏切りであった」という趣旨の展示があります。したがって東京裁判史観は大西洋憲章に違反しているわけです。
  第二次世界大戦後、アメリカの共和党は「日本が酷いと言うが、現実に侵略しているのはソ連じゃないか」と、トルーマン民主党政権を徹底的に追及するわけですが、それに対し「俺たちのやったことは正しい。日本は邪悪な軍国主義国家で、ナチスドイツと同じくらい酷い国だから仕方ないだろう」と開き直り、世論対策や国際的な宣伝のために行ったのが東京裁判だったという側面もあるのです。

第二章 アメリカの近現代史の見直し
第1節 占領政策に影響を与えた第一次見直し
  1946年6月、東京裁判の最中に、中国大陸で国共内戦が勃発します。ルーズヴェルト民主党政権は、「日本をやっつければアジアは平和になる」と言っていましたが、日本を弱くしてもアジアで戦争が勃発したわけです。
  またヨーロッパではソ連がバルト三国、ポーランド、ハンガリー、チェコ、ルーマニア、東ドイツと次々と支配下において人権弾圧を始めました。そこでアメリカのロイヤル陸軍長官は「日本を極東における全体主義(共産主義)に対する防壁にする」と演説をします。朝鮮半島は韓国と北朝鮮に分割され、アジアで共産主義の脅威と戦うためには、日本を味方にするしかないと言い始めたのが1948年のことです。そして翌1949年10月1日には中国共産党が国共内戦に勝利し、中華人民共和国が成立します。そういう状況下で「国際軍事裁判はこれ以上行わない」と決定されるわけです。
  さらに1950年6月には朝鮮戦争が勃発します。日本で武器・弾薬の生産をしなければ戦争が戦えません。アメリカは「Weak Japan(弱い日本)政策」から転換を行ったわけです。これまで軍人や保守派の人達は、軍国主義者、右翼といわれ公職追放されていたわけですが、今度は逆に共産党の関係者が徹底的に公職から排除され、軍需産業の復活と警察予備隊の創設がおこなわれます。現行憲法第9条で「陸海軍その他の戦力はこれを保持しない」と書いておりますが、「その他の戦力」とは英語でother war potentialと書き「軍需産業」という意味です。この段階でGHQやアメリカは憲法9条を破棄させたということが歴史的事実です。
  日本を弱くしたらソ連と中国共産党が出てきた。そこで日本を弱くするのは止めようという占領政策の見直しが行われたわけですが、その背後には第一次の近現代史見直しがありました。
  1946年、共和党を代表するロバート・タフト上院議員が「民主党がヤルタで、ポツダムで、ロシアに迎合する政策を推進し、その結果、東欧とアジア全体にわたる多くの国家と何百万人という人々の自由を犠牲にした」と演説します。第二次世界大戦で悪いのはルーズヴェルトとスターリンで日本ではないということです。
  その2年後に『タイム・マガジン』のウィテカー・チェンバース記者が「ルーズヴェルト大統領の側近としてヤルタ会談に参加した国務省高官のアルジャー・ヒスはソ連のスパイだった」と爆弾発言を行います。アルジャー・ヒスはアメリカ代表として国際連合を作った人間です。この告発を契機に1948年から1950年代にかけて共和党のジョン・マッカーシー上院議員は連邦議会で共産党員、共産党シンパの政治家・官僚・学者たちの政治責任を徹底的に追及し、また特別委員会が徹底的な調査を行いました。実は戦時中FBI(アメリカ連邦捜査局)はアメリカ高官達の電話を盗聴し、アルジャー・ヒスやハーバード・ノーマンがソ連のスパイであることはほぼ分かっていたのですが、盗聴記録は裁判の証拠として使えないというルールがあり、その結果立証できず、追及は立ち消えになってしまいました。
第2節 各国の情報公開で始まった第二次見直し
  終戦から50年が経ち、1995年から第二次の近現代史の見直しが始まりました。アメリカには情報機関や警察機関の国家機密文書に関して原則30年で情報公開するというルールがあります。政府の秘密活動が適切であったかどうかを検証するという民主主義のルールです。
  そして1995年、ソ連崩壊の4年後にアメリカ国家安全保障局は「ヴァノナ文書」を公開しました。1943年にアメリカ陸軍が始めたソ連本国とアメリカにいたソ連のスパイたちの暗号を傍受・解読した文書で、約5千ページあります。また同じようにソ連邦が解体した後、ロシアの現代資料保存センターは、旧ソ連時代のコミンテルン秘密工作文書を一時的に全部オープンしました。日本は2001年に国立公文書館の中にアジア歴史資料センターが出来て、国が保存している戦前の外務省や軍の関係資料を全部公開しました。
第3節 「ヴェノナ文書」で判明した事実
  アメリカの歴史学者達は、解読された電文と当時の背景を地道に突き合わせ、その結果、第二次世界大戦時、同盟国ソ連が百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込み、ルーズヴェルト政権はソ連の工作の影響を受けていたことが判明いたしました。マッカシー上院議員の追及がほぼ正しかったことが明らかになりました。
  ルーズヴェルト政権で財務次官補の要職にあったハリー・ホワイトは「Jurist(ジュリスト)」「Richard(リチャード)」というコードネームを持つソ連のスパイであることが判明しました。彼はハル・ノートの原案を作った人です。更にアメリカの原爆プロジェクト「マンハッタン計画」をソ連が事前に把握していたことも判明しました。ソ連は広島に原爆が投下されることを事前に把握していたから、原爆投下直後に日本に宣戦布告を行い、千島や北方領土を奪う暴挙ができたわけです。
  ヴェノナ文書の公開でアメリカにおけるコミンテルン工作の全容が明らかになりつつあるのです。またヴェノナ文書よりも詳しく、ソ連のスパイがルーズヴェルト政権に入り込んでいることを分析したレポートがあります。日本の内務省や外務省の機密報告書です。日本政府は戦前からアメリカ外部にソ連のスパイが入り込み、アメリカ政府を裏から操っているという問題意識を持ち、徹底してアメリカ内部の調査を行っていました。戦前、日本のインテリジェンスは極めて優秀でした。

第三章 ソ連による対米工作の実態
第1節 「アメリカ共産党」の創設
  ロシア革命を行ったレーニンは、今から100年前の1919年に世界の共産化をめざしてコミンテルンを作っています。彼は「世界共産主義革命を起こすためには、世界中に共産主義の理解者を増やしたところで共産革命は起こらない。資本主義同士を戦争させ、お互い殺し合って、半狂乱の状態の中で一気に権力を奪うやり方が良い」という敗戦革命論を唱え、1920年の演説でこう演説しています。
  「共産主義政策の実践的課題は、日米の敵意を利用して、彼らを互いにいがみ合わせることである。そこに新しい情勢が生まれる。二つの帝国主義国、日本とアメリカをとってみるなら、両者は戦おうと望んでおり、世界制覇を目指して、略奪する権利を目指して戦うだろう。我々共産主義者は、他方の国に対抗して一方の国を利用しなければならない」
  今でも共産党にとってはアメリカと資本主義に対し敵意を煽ることが一番重要となっております。
  1919年、コミンテルンは、アメリカが対日戦争を引き起こすための内部浸透工作を行うため、アメリカ支部としてアメリカ共産党を作ります。
第2節 「アメリカ中国人民友の会」の設立
  アメリカは第一次世界大戦後、ヨーロッパへの輸出が増大し好景気が続いておりました。ところが1929年に世界恐慌が起こり、1931年には満州事変が勃発します。ソ連・コミンテルンは、日本と戦う中国を支援し、対日経済制裁を起こすよう各国の共産党に指示します。1933年に、ルーズヴェルト民主党政権のもとで、米ソが国交樹立します。
  アメリカ共産党は、日本の侵略に抵抗する中国人民の闘いを支援する世論を形成してアメリカの力で日本を押さえつけるべく「アメリカ中国人民友の会」を作ります。そして『ネイション』編集長のM・スチュアートや『チャイナ・トゥデイ』の編集長F・ジャッフェが中心となり、キリスト教の善意のあるお婆さんやお母さんに対し「日本の軍国主義で、中国の女子供達が殺されている。可哀そうな中国の人達を助けるため御飯一杯分の寄付をして下さい」とキャンペーン活動を始めます。彼らは「ヴェノナ文書」でソ連のスパイであることが判明しました。米中友好の機関誌の編集者で、共産党員とは何の関係もない顔をしながら反日を誘導していったわけです。
  1933年、ドイツでヒトラー政権が成立すると、1935年の第7回コミンテルン大会で、ソ連は日独と戦うためにアメリカ、イギリスの資本家や社会主義者とも手を組んで、広範な人民統一戦線を構築するよう指示を出します。ドイツや日本と敵対するどんな人間とでも手を組んで構わないということで、一気に共産党のシンパが増えていくことになります。
第3節 「太平洋問題調査会」の乗っ取り工作
  アメリカ国務省は当時、アジア各国の情報の調査分析を太平洋問題調査会(IPR)というシンクタンクに頼っていました。このIPRをアメリカ共産党の関係者たちが乗っ取ります。実はIPRの日本支部では新渡戸稲造先生など真面目なメンバーが参加していました。
  ところがIPRアメリカ本部中枢の事務総長エドワード・カーターや、機関紙『パシフィック・アフェアーズ』の編集者オーエン・ラティモア、事務総長秘書フレデリック・ヴァンダービルド・フィールド、研究員ハーバート・ノーマンなどはいずれもソ連のスパイや協力者でした。要はアメリカ国務省の対アジア政策のブレーンがソ連のスパイだったわけです。このIPRは1939年以降「日本は専制的な軍国主義国家だから戦争を起こすのだ」という対日観で次々とアジア政策を提案し、日本の中国侵略批判のブックレットを刊行、反日パンフレットを軍や政府に大量に供給します。
  またアメリカ軍の宣伝映画『汝の敵を知れ』では、日本軍が南京大虐殺を行ったと批判されているのですが、そうした映画シナリオをつくったのもIPRでした。そういう形でコミンテルンの内部浸透工作が行われたわけです。
  当時FBIは「エドワード・カーター率いるIPRはソ連のスパイが入り込んで危ない」というレポートを大統領に提出するのですが、悉く握り潰されてしまいます。アメリカの中枢部が共産党に乗っ取られているようなものでした。
第4節 反日宣伝の国民運動の展開
  1937年に盧溝橋事件が起こるとその僅か4ケ月後に全米24州109支部、会員数400万人を持つ「反戦・反ファシズム・アメリカ連盟」が「アメリカ平和民主主義連盟」に名前を変更し、日本の中国侵略反対のデモや対日武器禁輸を国会に請願して活動を開始します。そこに加入しているのは労働組合やキリスト教団体で、事務局はアメリカ共産党です。
  そして実働部隊の「中国支援評議会」を作ります。名誉会長にルーズヴェルト大統領のお母さん、常任理事にマーシャル陸軍参謀総長夫人を担ぎ出し、ソ連共産党のスパイであるフィリップ・ジャッフェ、冀朝鼎が常任理事、ミルドレッド・プライス女史が事務局長となります。表向きはルーズヴェルト大統領のお母さんや陸軍参謀総長夫人が出ており、裏で運営しているのが共産党です。アメリカ国民は騙されたわけです。
  1938年、シナ事変の翌年に「日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会」ができ、労働組合とキリスト教団体が中心になって大規模な反日キャンペーンが全米で行われます。名誉会長は満州事変の不承認演説をしたヘンリー・スティムソン。理事にはロックフェラー財団のロジャー・グリーン(元在漢口アメリカ総領事)のほかに、実は中国国民党宣伝部からお金をもらっていたフランク・プライス(在中宣教師)やアール・リーフ(元UP中国特派員)、そしてコミンテルンのスパイであるM・スチュアート(『ネーション』編集員)、フィリップ・ジャッフェ(『アメラシア』編集員)、T・A・ビッソン(外交政策協会研究員)が加わっていました。中国国民党、コミンテルンのスパイ、キリスト教会、アメリカ軍の幹部が組んで反日キャンペーンを行う。その事務局は共産党で、裏で操るというやり口は見事なものです。
第5節 反日統一戦線の完成
  先ず共産党を作り、シンクタンクを牛耳り、反日国民運動を全米で繰り広げる。そして日米和平交渉をやっている最中の1941年3月、ルーズヴェルト大統領はラフリン・カリー大統領補佐官を中国の蒋介石政権に派遣し対中軍事援助の協議を行います。そして4月にカリー補佐官は、日本を中国大陸から約500機の戦闘機や爆撃機で空爆するJB355計画を立案します。ルーズヴェルト大統領は7月23日、その計画を承認するわけです。真珠湾攻撃の約半年前に大統領が日本を爆撃する計画にゴーサインを出します。7月26日、財務省通貨調査局長ハリー・デクスター・ホワイトの提案で、在米日本資産が凍結され、日本の金融資産は無価値になり、日本は実質的に破産に追い込まれます。そして12月、日米戦争が勃発するわけです。
  12月9日に中国共産党は日米戦争の勃発で「太平洋反日統一戦線」が完成したとの声明を出します。見事に日本を追い込んで反日戦線をアメリカと共に作ることが出来たということです。なおラフリン・カリー、ハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイでした。ホワイトは対日最後通告となったハル・ノートの原案を作成し、東條内閣を対米戦争へと追い込んだことでも有名な人物です。「アメリカを使って日本を叩き潰す」というソ連コミンテルンの戦略が21年後に現実になるわけです。

第四章 最近のアメリカの動向
第1節 戦争は複合要因である
  戦争は一つの原因で動くことはなく複合要因です。イギリスのチャーチル政権はドイツに攻められ、何としてもアメリカを戦争に巻き込みたかった。そのため日米が戦うように工作を行った。
  中国国民党政権の蒋介石はルーズヴェルトに日本と戦争をするよう一生懸命に働きかけていた。
  ソ連のコミンテルン工作だけで戦争になったということではありません。近衛内閣、東條内閣はアメリカの反日宣伝や反日世論の高まりを見て、対米政策を誤った。日本の新聞は「アメリカは怪しからん」と煽り立てる。外務省は「アメリカの反日宣伝はコミンテルンの謀略で、挑発に乗るような愚かなことをするな」というレポートを近衛内閣に何度も出しますが全部握り潰されます。戦前のインテリジェンスは相当優れていましたが、政治家がそれを活用する能力、見識に欠けていたわけです。マスコミも日本の愛国者もコミンテルンの謀略に引っ掛かってしまったわけです。そういうことの反省をする必要があります。
  先の大東亜戦争は侵略戦争とは思っておりませんが、当時の日本政府の政策判断のミスをきちんと見直すことは大事です。歴史とは是々非々で、全部正しい、全部間違っているということはありません。何故判断が間違ったのかということを一つ一つ丁寧に見ていくということが大事で、一つの要因だけで見るという愚かなことをしてはいけないということです。
第2節 スターリン工作史観の登場
  ヴェノナ文書が出た結果、アメリカでは「第二次世界大戦で問題なのはソ連の工作ではないのか。またその工作に引っ掛かったルーズヴェルト民主党政権の責任も追及すべきだ」ということが議論になっており、それに関する本が次々出ております。その代表的な本がインテリジェンスの専門家であるスタントン・エヴァンズとハーバート・ロマースタインが書いた『スターリンの秘密のエージェント』です。
  ここでは「ソ連による政治工作は、ソ連が我々の同盟国であり、反共防護措置が事実上存在していなかった第二次世界大戦中最も顕著であった。これはゾッとするほどタイミングが良かった。親ソ派の陰謀がアメリカの参戦に決定的役割を果たしたのだから。この意味で注目すべきなのは、真珠湾攻撃に先立って共産主義者と親ソ派が行った複雑な作戦である」と日米戦争の背後にスターリンの工作があったということを詳しく述べております。
  要はアメリカの歴史観はかなり変わってきているのです。
  例えば、「リメンバー・パールハーバー」を例にその変遷を説明しましょう。
  1941年当時は、日本軍による卑劣なだまし討ちでした。ところが、戦争が終わり、1948年にチャールズ・ビーアドが『ルーズヴェルトの責任』という本で「ルーズヴェルトは日本の攻撃を知っていたのに、わざと見逃して日本に攻撃をさせた」と述べております。
  1991年12月、ハワイのアリゾナ記念館で行われた「Pearl Harbor(パールハーバー)50年式典」に「attack」という言葉を入れるかどうかで問題になりました。「attack」とは、日本が仕掛けた意味合いがありますが、歴史的な事実を見ると、日本が一方的に悪いというのはフェアではないということで「attack」は外されました。
  そして近年では、アリゾナ記念館のビジターセンサーの入口にはこう記されています。
  「<迫りくる危機>アジアで対立が起きつつある。旧世界の秩序が変わりつつある。アメリカ合衆国と日本という二つの新興大国が、世界を舞台に主導的役割を取ろうと台頭してくる。両国とも国益を推進しようとする。両国ともに戦争を避けることを望んでいる。両国が一連の行動をとり、それが真珠湾でぶつかることになる」
  今や日本が一方的に戦争を仕掛けたという議論はなくなり、様々な背景があって戦争になった。日本を一方的に批判するような展示は変えるべきだというのが、アメリカ国立公園局、歴史学者達、アメリカ軍三者の協議で決まったと聞いております。
第3節 共産主義との戦いを宣言したトランプ政権
  今アメリカやヨーロッパでは「共産主義やスターリンが如何に酷かったか」ということが議論されています。
  2017年11月7日のロシア革命百年の記念日に、トランプ大統領はホワイトハウスで「アメリカ政府はこの日を共産主義の犠牲者を追悼する国民的記念日にします」と声明文を出しました。日本のメディアは全く報道しませんでしたが、「今日、私たちは亡くなった方々のことを偲び、今も共産主義の下で苦しむ全ての人々に思いを寄せます」と述べております。共産主義の下で苦しむ全ての人々とは、中国と北朝鮮のことです。トランプ政権は米中貿易戦争も含め、中国に対して厳しい政策をやっております。ヨーロッパでの共産主義の責任を追及する議論、アメリカでのルーズヴェルトとスターリンの責任を追及する議論、この二つの大きな流れの中で、トランプ大統領は動いているのです。

おわりに
  歴史的な背景を理解することは、今の政治とこれからの国際政治を見る上で絶対必要な枠組みです。歴史認識を広い視野で見ていかなければなりませんし、今世界の国々がどのように近現代史の見直しを行っているのか、理解する事が絶対必要です。歴史は決して過去の話ではありません。これから日本がどうして行くのかを考える上で、改めてアメリカ、ヨーロッパの歴史の見直しの問題とトランプ政権の動向を見ていただければ有難いと思います。

質疑応答
「質問1」

  1938年のミュンヘン会談でイギリスのチェンバレンが宥和政策を採ったため、ヒトラーが急遽独ソ不可侵条約を締結し、第二次世界大戦を引き起こしたと習いましたが如何でしょうか。

「回答1」

  チェンバレンの宥和外交は、ナチスドイツに踏みにじられ、彼自身も本国で非難され、その結果ポーランドを守ることに政策転換したわけです。彼はポーランドにドイツとの宥和を働きかけるつもりでしたが、肝心のポーランドが勘違いしてしまった。第二次世界大戦を生んだのは、短期的にはポーランドの思わぬ行状とイギリスの誤算です。背景には第一次世界大戦の戦後処理でドイツに対して行き過ぎたことが原因でしょう。


「質問2」

  ソ連(コミンテルン)はルーズヴェルトを利用したのでしょうか。

「回答2」

  ルーズヴェルトの背景にコミンテルンがあったかもしれませんが、未だ明確な証拠はありません。はっきりしているのはスターリンもヒトラーも東欧の支配をしようと戦争を欲していたということです。


「質問3」

  トランプは本気で中国を潰す気でしょうか。貿易戦争は妥協しそうですが。

「回答3」

  今のアメリカに、軍事的に中国を潰す能力はありません。経済的にはグローバルなサプライチェーンができている中で、直ちに中国を外すことも困難です。軍事的にアメリカは世界的なスーパーパワーですが、アメリカは六方面軍あって、アジア・太平洋はその6分の1にすぎません。単純計算すると、アメリカがアジア太平洋方面につぎ込んでいる防衛費が18兆円です。対する中国はアジア太平洋に特化しており防衛費が35兆円です。日本が5兆3千億ですから、軍事バランスでいうと、中国の方が有利です。よって今アメリカのトランプ政権は先ず中国の経済力を削ぐことで、中国の軍事力を削ぐことに力をいれています。


「質問4」

  日本には軍事博物館がありますか。

「回答4」

  靖國神社遊就館、江田島、鹿屋航空基地資料館ほか沢山あります。


「質問5」

  インテリジェンスについて、どんな勉強をしたらよろしいでしょうか。

「回答5」

  「インテリジェンス・ヒストリー」という歴史的な背景を含めた国際政治における秘密工作がどれだけ国際政治に影響を与えたかを研究をする学問があります。中西輝政先生の邦訳『ヴェノナ』(扶桑社)や拙著『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社新書)などを読まれることをお薦めします。


「質問6」

  「中国は自壊自滅する。理由は共産党一国主義がどれだけ持つか、軍隊が力を持ち過ぎ、農民との格差社会、チベット問題、内部分裂、反乱が生じて中国が危ない」という意見に対しての先生の見解を伺いたい。

「回答6」

  その話は20年前から言われていますが、実際はどうなっていますか。安全保障、インテリジェンスに携わる人間としては、常に最悪を想定して、最悪に備えなければなりません。楽観論に立って敵を侮ったり、敵の工作に対する準備を怠ったりすることは、自分の国の敗北を意味します。実務をやっている私の立場では、楽観論では日本の平和は守れないと思います。


以上は、評論家・拓殖大学大学院客員教授 江崎道朗氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです。



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