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武藤記念講座(講演会事業)

第1068回武藤記念講座要旨

    2020年1月11日(土)
    於大阪「國民會館 武藤記念ホール」
    前統合統幕長
    河野克俊氏
 『今後の日本の安全保障と自衛隊』


セミナー





はじめに
  自衛隊が発足したのは昭和29年です。今年で65年になります。有難いことに国民の皆様から非常に親しまれ、信頼される組織となりました。内閣府の世論調査では、自衛隊に良い感情を持っておられる人達が93%という数字が出ております。日経新聞社の世論調査では、警察・裁判所・病院も含め最も信頼できる公的機関は、自衛隊がトップです。しかも5割を超えているのは自衛隊だけです。今自衛隊に対する評価が高くなっておりますが、最初からそうではありませんでした。自衛隊は今でも憲法9条の軛(くびき)を引きずっております。

第一章 「存在するけれども動かない自衛隊」の時代
第1節 自衛隊の発足の経過
  昭和20年の敗戦で陸軍・海軍がなくなりました。しかし海上の治安、国内の治安を守ることが必要ですから、先ず昭和23年に海上保安庁が発足いたしました。昭和21年の新憲法では、戦争放棄の9条がありましたので
、海軍にかわり海上保安庁が海上の様々な不法侵入者を取り締まりました。そして海上保安法25条には、憲法9条をクリアするため「この組織は軍隊ではない」と明記されております。しかし当時の海上保安庁は、安全な航路を確保するため瀬戸内海・豊後水道・関門海峡などに敷設された機雷を除去しなければなりません。そこで航路警戒部を設け、旧海軍の人達が機雷処理の作業をやり続けました。安全宣言が出たのは昭和27年のことです。その間78名の方が亡くなっております。この方々の犠牲の上に日本の航路の安全が確保され、経済復興ができたと言っても過言ではありません。この航路警戒部がその後海上警備隊となり海上自衛隊になるという歴史を辿ります。陸上自衛隊は、朝鮮戦争の勃発で米軍が朝鮮半島に動員となり、その穴埋めのため、マッカーサーの指令で警察予備隊が作られ、その後陸上自衛隊になっていくわけです。航空自衛隊は、戦前は海軍の航空隊、
陸軍の航空隊でした。戦後、陸軍あるいは海軍で航空をやっていた人達を中心に、航空自衛隊を編成し、昭和29年の防衛庁発足と同時に陸・海・空がそろったということです。
第2節 憲法9条との関係を問われ続けて来た自衛隊
  自衛隊が発足して以降、ずっと憲法9条との関係を問われ続けました。当時政治的には55年体制と言われました。自民党が与党で、今の社民党につながる日本社会党が野党第一党で「自衛隊違憲論」です。議論をすることも、憲法違反の自衛隊を認めることになると考え、国会内に安全保障委員会を作ることも認めませんでした。国民世論も、それに賛同する意見が今よりずっと強かったと思います。「国益を守るため海外に自衛隊を出す」などということは一内閣、二内閣が吹っ飛ぶくらいの政治的エネルギーが必要だったわけです。したがって自民党は「所得倍増」という経済の方向へ政治を持って行こうとしました。極端に言いますと「自衛隊はそのままにしておけ」という時代が続きました。当時は米ソ冷戦状態で、しかも日本の国力は強くなかったので、アメリカも日本に安全保障上の役割をそれ程期待していなかったという背景もありました。
  自衛隊が発足して65年になりますが、その3分の2の40年ぐらいは「自衛隊は存在するけれども動くことがない。動かさない存在だ」と言う時代が続きました。

第二章 自衛隊の転機
第1節 湾岸危機の勃発
  「自衛隊を動かすのか、それとも動かさないのか」という命題が日本に突き付けられたのは、1990年に勃発した湾岸危機です。自衛隊発足から40数年たった時、この危機が勃発しました。1989年アメリカのブッシ
ュ(父)大統領とソ連のゴルバチョフ書記長の「マルタ会談」が行われ、翌年ベルリンの壁が壊れ、完全に冷戦時代が崩壊し一大転機となりました。アメリカの日系政治学者フランシス・フクヤマ氏は『歴史のおわり』で「冷戦が終わった。世界は安定した平和な時代になる。これで民主主義は不動のものになった。もう戦争はない」と述べましたが、一方で「冷戦が崩壊した故に、宗教・民族・領土という問題が噴出し、地域紛争が勃発するのではないか」という説が出され、現実には1990年、イラクのサダム・フセイン大統領が「隣国のクウェートは元々イラクのものだ。米ソ冷戦の時代は黙っていたが、もう我慢できない」と独立国クウェートに軍事侵攻を行いました。これが「湾岸危機」です。ブッシュ(父)大統領はこれを放置すれば、冷戦後の世の中の秩序は乱れる。これを何とか抑えないといけないと考え、しかしアメリカ一国で行動すれば、ベトナムのようにアメリカが悪者にされる可能性もあるので、多国籍軍を組んで、世界が一致団結して国際法違反を押し返そうと提案し、50数カ国が賛同しました。当然のことながらアメリカの同盟国である日本にも要請がきました。
第2節 イラン・イラク戦争での日本の対応
  湾岸危機の前、1980年から1988年までの約8年間、イラン・イラク戦争がありました。その時もホルムズ海峡は危機的状況に陥る可能性がありました。当時アメリア海軍がこの辺の防衛を担っておりましたが、日本に対し「ホルムズ海峡は6割〜7割が日本関連の船舶が通っている。日本が何かするのが当然ではないか」という命題を突き付けられました。湾岸危機の丁度3年前です。当時の記録によれば、その時中曽根総理は、海上保安庁の巡視船もしくは海上自衛隊の掃海部隊を出そうとしました。ところが官房長官の後藤田正晴さんは「日本人はまだそこまでの覚悟ができていない。これを閣議決定するのであれば、自分は署名しない」と猛烈に反対したとのことです。結局自衛隊の派遣はできず、お金で処理することになったわけです。
第3節 「人的貢献」を問われた日本
  1990年の湾岸危機で、ブッシュ(父)大統領から日本に要請がきました。やはり当初はこの時もお金で処理しようとしたところ「日本はまたお金ですか。中東は日本が一番恩恵を被っているのに、それはないでしょう」と言われます。今回は、日本よりも小さな国々が人を出し、汗を流し、場合によっては血を流すことも厭わず、多国籍軍を結成したわけです。この時「人的貢献」という言葉が言われ出し、戦後の日本の有り方が問われたと思います。当然人的貢献となれば「自衛隊をどうするか」という話に収斂していくわけです。当時自衛隊を一人でも海外に出せば「海外派兵」と言われた時代で、日本中が大騒ぎになりました。先ず「日本は憲法9条があるから、自衛隊は派遣したくない。民間人に行ってもらおう」と言う意見が出ました。しかし「民間人だけで、自衛隊が何もしないというのはおかしい」という議論となり、憲法学者は「危険なところは民間人、安全なところに自衛隊にいってもらおう。安全なところであれば、憲法9条が禁止している武力の行使には至らないだろう」と言われました。しかし「常識的にありえない」と潰れました。次に「国際平和協力隊という別組織を作り、自衛官が退職して参加する。そして湾岸戦争が終われば、また自衛隊に戻る」という案が出されました。しかしそれは誤魔化しであると言われ潰れます。次に「自衛官の身分を、半分は協力隊、半分は自衛官と二つに分け、湾岸に行くときは自衛隊ではないことにしよう」という案がでますが、法律的に難しいということで潰れます。更に「予備自衛官を派遣しよう」と言われました。しかし当時の予備自衛官制度は、退職した人が予備自衛官になるので、平均年齢は60歳代ぐらいです。現実に使えないということになりました。こうして延々と議論をしているうちにタイムアップです。1月20日、シュワルツコフ将軍率いる多国籍軍はイラクを押し返し、1カ月で勝負がつきました。結局、日本は動きませんでした。そして130億ドル(1兆5000億円)という莫大な費用を出すわけです。クウェートは、ワシントンポストに、助けてくれた国々に対する感謝の広告を出します。ところが人的貢献をした国々の名前は出ているのですが、日本の名前はありませんでした。ついに「こんなことを続けていたら日本は孤立する」ということとなり、ようやく湾岸戦争が終わった1991年4月、ペルシャ湾内に敷設されている機雷の掃海作業に、世界一流の掃海技術を誇る自衛隊が派遣され、34個の機雷を処理し、ペルシャ湾の船舶航行の安全に大いに貢献することになるわけです。

第三章 「顔が見える自衛隊」の時代
第1節 自衛隊不信論の払拭
  しかし自衛隊をペルシャ湾へ派遣する時は「反対デモ」でした。海上では女性活動家が掃海艇の前にゴムボートを乗り付けて「アジアの海に日の丸を立てないで」と絶叫していました。またペルシャ湾の掃海の仕事を無事終えて、日本に戻ってくると迎えたのは、再び「戦勝パレードは許さないぞ」という海上デモでした。戦前、旧日本軍が満州に進出したように、自衛隊が海外に展開すると「いつか来た道。明日から軍国主義になる」「一人送ったら蟻地獄の如く何万、何十万、何百万という自衛官が海外に展開し軍国主義になる」「軍靴の足音が聞こえる」と言われました。この時、国民は自衛官に対し不信感を抱いているのだと思いました。自衛隊は行動で示す以外に信用してもらえないと思いました。ところがペルシャ湾の自衛隊派遣以降、国民の自衛隊を見る目は変わってきました。マスコミが大きく報道したこともあり「自衛官の顔」が国民に見えるようになってきたのだと思います。これが転換点となり、「PKO法案」が通ります。これまで自衛隊は、カンボジア、モザンビーク、ルワンダ、東ティモール、最近では南スーダンにまで展開し、国際平和維持活動の実績を積み上げております。
第2節 「阪神淡路大震災」の自衛隊出動
  1995年1月17日5時46分、阪神淡路大震災が起こりました。自衛隊が災害派遣でようやく動けるようになりましたが、まだ過渡期でした。それを象徴するのは、自衛隊が出動したのが昼過ぎだったということです。原則的に、知事、市町村長の要請がなければ自衛隊は営門の外へ出てはいけないことになっております。おそらく自衛隊に出動を求めるのを躊躇したからだと思います。あの時5千数百人の方が亡くなられました。本来は基地の近隣で火事があれば緊急出動することはできるのですが、本格的な災害派遣は自治体の長の要請が前提です。しかしこれを契機に、今は都道府県知事、市町村長の要請がなくても、絶対に自衛隊が必要となれば、出れるようになりました。小さい町が被災しますと、基本的に自治体は機能しないと思わなければなりません。今は自衛隊側でニーズを探し市長さんや知事さんに申し上げて、自発的に支援するスタイルになっています。
第3節 「9.11事件」に対する自衛隊の対応
  1991年から10年経った2001年9月11日、アメリカのワールドトレードセンターのツインタワービルで同時多発テロ事件が起こりました。あの時は「湾岸の轍は踏まない」ということもあり、速やかに自衛隊のインド洋のオペレーションが開始され、足掛け7年間に亘り実施します。その後、陸上自衛隊はイラクに、航空自衛隊はクウェートに展開しました。そのことが、今の海賊対処でソマリア沖に自衛隊を派遣することに繋がっているのです。こうして、昭和の時代は「存在するけれども動かない自衛隊」でしたが、平成の時代は、まさに「動く自衛隊」「オペレーションの自衛隊」になったと思います。自衛官の顔が国民の皆様に見えるようになってきたわけです。2001年から10年経った2011年「3.11東日本大震災」では、10万6000名を超える統合任務部隊を編成し、災害復旧にあたりました。不幸な出来事でしたが、自衛隊は高く評価され、自衛隊に対する親近感が高まりました。しかし東日本大震災は自衛隊の評価を高める上で大きな出来事ではありましたけれども、ペルシャ湾岸の掃海部隊派遣を起点に、これまでの数々のミッションを忠実にこなした積み重ねが、自衛隊への高い評価につながったのだと思います。そして今や自衛隊は様々なオペレーションを行う時代となり、オペレーションも複雑化してきました。2006年からは統合幕僚長の下で、陸、海、空が一緒にオペレーションする統合の時代になりました。今後も更に統合は進化していくことになると思っております。

第四章 日本を取り巻く安全保障環境
第1節 中国の脅威
  日本の脅威は、中・長期的には中国になると思います。中華人民共和国は1949年に建国いたしましたが、軍隊は人民解放軍という中国共産党の軍隊で、歴史的には陸軍が主体でした。そのため日本の自衛隊と直接接する機会はありませんでした。しかし1980年代後半から、中国は海軍力の増強を始めました。経済発展をするためには海を制し、シーレーンを確保することが不可欠の条件となってきたからです。また海洋権益にも気づきはじめました。そうしますと日本の海上自衛隊と海洋で接する機会が出て来るわけで、中国との摩擦は年々激しくなっているのが実情です。ところで中国海軍には第一列島線、第二列島線という考えがあります。第一列島線内は、絶対に自分達がコントロールし、何者も入れない。国土を守るため、海上権益を守るための核心的利益であると考えております。南シナ海をどんどん埋め立て、人工島を作っております。習近平主席はオバマ大統領との首脳会談で「人工島は軍事化しない」と約束しましたが、真っ赤な嘘でした。一方東シナ海でコントロール出来ていないのが、台湾と尖閣です。今はそれに香港を加え、ここを何とかしないことには、中国の戦略は完結しないということです。今海洋進出しようとする中国にとって、台湾、沖縄から与那国、尖閣、奄美そして日本列島は邪魔なわけです。日本が隙を見せると必ずやってきます。今尖閣諸島では、中国の海警という公船が頻繁に領海侵犯しており、海上保安庁と海上自衛隊あるいは航空自衛隊が緊密に協力して、その都度押し返しております。またその近くには中国の軍艦も来ており、海上自衛隊はマンツーマンでずっと見張っております。日本は一歩も引いておりません。次に第三列島線という考えがあります。中国海軍高官がアメリカ太平洋軍トップに「東太平洋はアメリカのコントロール下に、西太平洋は中国のものにしてくれないか」と言いました。習近平主席はオバマ大統領との会談で「太平洋というのは、二つの両国を包み込む広さがある」と言いました。要は太平洋を二分しようということです。この二分するラインが第三列島線であると考えられます。今習近平主席は南太平洋諸国を訪問し、バヌアツに海軍基地を作ろうとし、またキリバスにお金を貸付け借金づけにして、台湾を包囲する戦略を進めております。ここは日本とオーストラリアの間、アメリカとオーストラリアの間に楔を打つこともできる重要な拠点です。気を付けなければなりません。
第2節 振出しに戻った北朝鮮問題
  北朝鮮で一番危機感を持ったのは2017年のことです。北朝鮮が日本海にミサイル を撃ち、更に日本を飛び越えるミサイルを撃ちました。またグアムやハワイにまで届くミサイルを撃ち、西海岸を射程におさめるミサイルも撃ちました。そして2017年11月28日は、単純計算するとワシントンまで届くミサイルを、角度を変えて発射しました。北朝鮮はここまでエスカレーションさせたわけです。トランプ大統領は国連総会で「ちびのロケットマンだ。炎と火に包まれる。破壊してやる」と言いました。金正恩は「この老いぼれ」と言葉による応酬になったわけです。全て北朝鮮が仕掛けているわけです。それにどのように対応するかが北朝鮮問題です。北朝鮮が一線を越えることをすれば、アメリカが本当に軍事オプションに出るのではないかと相当緊張した時期がありました。ところが、金正恩委員長は2018年の新年の辞で、話し合い路線に転換したわけです。アメリカの軍事的プレッシャーに恐怖を感じたからだと思います。2月になると、電撃的な米朝首脳会談がシンガポールで行われました。第一次核危機、第二次核危機の時、アメリカは北朝鮮を信じ「最初に見返りを与え、その後非核化をしてもらう」プロセスを取りました。ところが北朝鮮は、陰に隠れて核開発を行っていたわけです。我々は騙されました。今度は「非核化をすることが最初で、非核化をすれば見返りを与える」プロセスを取ることでとスタートしたはずです。ところが去年12月、金正恩委員長は「12月末までに見返りを持ってきたら、俺たちも何をやるか考えてやる」と攻守逆転してしまうわけです。そこで去年の暮頃からトランプ大統領は「必要であれば、また軍事力を行使する」、エスパー長官は「今夜にでも勝利できる」と言いだしました。北朝鮮は「これはやばいぞ」ということで、年末の朝鮮労働党中央委員会総会では、アメリカが本当に軍事力を行使するかどうか、喧々諤々議論したのだと思います。北朝鮮はアメリカの軍事力行使が一番怖いわけです。今回、イランのソレマイ二司令官が斬首作戦で殺害されました。これを見て、金正恩委員長は相当考えているだろうと想像しております。4日間の総会の要約では「正面突破戦」という言葉が再三出ておりますが、これは「経済制裁を受けても、自力で頑張る」という経済の話です。つまりトランプを怒らすような軍事的強行突破は拙いので、経済封鎖を何とか自力で乗り切ろうということに舵を切ったのではないかと思います。そういう意味では、北朝鮮問題は振り出しに戻った感じがします。
第3節 日韓関係
  韓国軍および軍人に対して最も不信感を募らせたのは、去年10月の「自衛艦旗、降 ろせ事件」です。海上自衛隊が発足した時、自衛艦旗の議論が出ましたが、「旧海軍の旭日旗は、太陽の出ている角度と言い、これ以上のすばらしいデザインはない」という結論になり、当時の吉田総理も「誠に結構である。この旗を見たら日本の船だと世界に知れ渡っている旗だ。一目見て日本の旗だとわかる。良き海軍の伝統を生かして、これからも海国日本の防衛に当たってくれ」と言われ、自衛隊法で自衛艦旗が決められたわけです。今も自衛艦が就役する時は、内閣総理大臣から自衛隊旗が交付され、艦尾に揚げてスタートするわけです。今回、済州島での国際観艦式に参加する直前、突然に韓国から「自衛艦旗を揚げるな」と言われたわけです。自衛隊旗は海上自衛官にとって誇りの旗です。当然受け入れられませんので、国際観艦式の参加は見合わせました。その2か月後に今度は「レーザー照射事件」が起こりました。未だに何故照射を受けたのか理解できません。最初、韓国は「間違ってやった」と言いました。しかし「そんなはずはないでしょう」と根拠を示したところ、今度は「一切やっていない。悪いのは日本だ」と言うわけです。これ以上日韓関係が拗れると、北朝鮮に対し良いメッセージではありませんので、早期に日本側の見解を述べることで処理いたしました。しかし韓国側からは未だに何の説明もありません。また、今はかろうじて継続となったGSOMIA についても、韓国はホワイト国、貿易管理の問題と絡めて「GSOMIAを続けてほしかったら、ホワイト国に戻せ」というわけです。「安全保障上の必要性がなくなったので破棄したい」という説明であれば理解できますが、論理的に矛盾しております。これまで韓国とは歴史問題が出されるたびに、日本側は「同じ土俵に乗らない」「大人の対応」でことを収めるのがベストであると謝り続けて参りました。これで日韓が良い関係になればよいのですが、結果は繰り返しの連続です。そろそろこのやり方は間違っていると結論づけないといけません。「言うべきことは言う」「向こうが土俵に乗って来られないならば、こちらから下りていく」「同じ目線に立つ」「言っていることが間違いなら、間違いだと言う」今はそのような方向に動いております。その結果「文在寅政権の反日は行き過ぎではないか」という意見が韓国からも出てきました。「反日種族主義」という本がベストセラーになりました。これは日本が言うべきことを言いだしたからです。言わなければ韓国の人達は分かりません。韓国から言われ、日本が謝るやり方では、韓国の人達は「やはり日本が悪いのだ」と思います。
第4節 日米安保
  トランプ大統領が昨年6月来日し「日米安保は不公平だ」と言われました。私もその通りだと思います。日本政府の公式見解は「安保条約は、5条で日本が攻められた時にアメリカが助ける。6条で米軍は日本に基地を置いてもよいとなっており、5条と6条でバランスがとれている」ということです。しかしトランプ大統領は「日本が攻撃されればアメリカは全力で応援する。しかしアメリカが攻撃されても日本は何もしない。ソニーのテレビを見ているだけじゃないか」と、5条が不公平であると言っているわけです。日本政府の理屈でも、5条だけでは釣り合ってないわけです。日本が5条と6条のバランス論を言い過ぎますと、5条でアメリカの若い兵隊さんが日本のために血を流すわけですから、6条について今の10倍払えという理屈になる可能性があります。こうなると健全な同盟関係ではありません。今後は5条の双務性について、日本は手当をしていかなければならないと思います。振り返ってみますと、昭和26年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は主権を回復したわけですが、それまでは占領軍が日本に進駐していました。本来主権を回復すれば占領軍は撤退することになります。ところがアメリカの国防総省は、米ソ冷戦の中で、ソ連が力をつけ、中国が共産化する状況で、防共の最前線になる日本から米軍が居れなくなることは困るわけです。したがって、早期の日本の主権回復には賛成しないわけです。ところが吉田総理は「今は軍を持つ力はないが、当然経済復興を成した時に軍隊をもつ」という考えで、 「主権は早く回復したい。しかし外国軍は撤収しないといけなくなるから、日本からアメリカ軍に居てもらうよう要請をすることにしよう」と考えたわけです。池田勇人大蔵大臣をアメリカに遣わし、条約上で進駐軍が日本に居ることを合法化したのが安保条約です。そして岸総理が1960年の安保改定の時、アメリカの日本に対する防衛義務を加え、また米軍が日本の治安を行う条項などを撤廃するなどして、真っ当な改定をしたわけです。しかし基本形は、あくまでも戦勝国と敗戦国の同盟です。日露戦争前に結んだ「日英同盟」とは違うわけです。日英同盟はまさに対等の同盟で、日露戦争が起きると、イギリス海軍はロシアのバルチック艦隊の航海に対し、いたるところで意地悪をして日本を助けます。そしてロシア艦隊がやっと対馬沖にたどり着いた時、東郷元帥から日本海海戦でノックアウトされるわけです。一方第一次世界大戦では、イギリスがドイツのUボートにさんざん虐められます。日本はイギリスを助けるため地中海に第2特務艦隊の駆逐艦10数隻を派遣し、59名の戦死者を出しています。まさにこれが同盟です
。   さて日米安保条約が出来た時は、自衛隊は影も形もありませんでした。しかし今は立派な自衛隊があります。尚且つ相対的にアメリカの国力が落ち、日本の国力は上がってきたわけです。世界情勢も変化し、日本も当然やるべきことをしないといけません。日米同盟が最初の原型のままで良いはずはありません。全て金で処理しようということは卒業している筈です。駐留米軍の経費を払って、それでアメリカに勘弁してもらおうという考え方はおかしいと思います。日本は憲法の制約がありますので、双務性といっても限界があると思いますが、オペレーションの面で日本が努力はしなければならないと思います。2015年、安保法制が通りました。これには二つの重要なことがあります。一つは存立危機事態というのができました。今まで日本が攻撃を受けなければ、日本は武力を行使できませんでしたが、日本が攻撃を受けなくても、日本の国民生活などが根底から崩れる影響があれば行使しても良い、いわゆる限定的な集団的自衛権の行使ができるようになりました。もう一つは、平時の段階からアメリカの要請があれば、自衛隊はアメリカの飛行機、艦船を守ることが出来ることになりました。平時の段階からアメリカの飛行機、艦船を守るということは、現実に今アメリカから目に見えるわけです。「日本が変った」ということで、アメリカから感謝されています。双務性というのは、大上段に降り構えるというよりも、やるべきことをしっかり行うことなのです。

おわりに(憲法について)
  自衛隊は今も憲法9条を引きずっております。55年体制の時代、日本社会党は「自衛隊は憲法違反で議論するのもだめだ。日本は自衛隊を廃止し、非武装中立で行くのだ」と強く主張しておりました。昭和30年、40年代は、自衛隊に対する不信感があった時代です。当時は非武装中立に共感を持った方もおられたと思います。ところが今は国民が自衛隊を評価しています。少なくとも「今すぐ自衛隊をなくせ」という世論はありません。しかし自衛隊は違憲だという政党はあります。そういう人達は今「自衛隊は違憲だ。しかし国民がいらないと言うまでは仕事しろ」と言うわけです。しかしこれは自衛官としては、納得できません。東大の偉い先生は「自衛隊に違憲という烙印を押し続けることによって、自衛隊の行動に歯止めをかける」と言いました。これは立憲主義とは言えません。安倍総理がおっしゃる「憲法に自衛隊明記する」だけでは自衛隊が抱える矛盾を根本的に解決できないと思います。自衛隊を戦力として認めることの方がすっきりすると思います。しかし、自衛隊明記に賛成かどうかと言われれば、私は賛成です。現実の政治勢力の中で、公明党の賛同を得る必要もありますし、3分の2の発議が必要なわけです。そろそろ一定の結論を出し、次のステップへ進むということが現実的だと思っております。少なくとも違憲論に終止符を打つ意義は大きいと思います。

                                                   質疑応答
「質問1」

  自衛隊軍法、軍法会議の設置は、政府内で検討されているのでしょうか

「回答1」

  まだ検討されていないと思います。警察はやっていい事だけを規定するポジティブリスト型、軍隊の権限規定は「原則無制限」で、やってはならないことだけを規定するネガティブリスト型です。今の自衛隊は警察の延長です。法律の作りもそのようなっています。国際的には、警察と軍隊は別のものとして確立されています。自衛隊法を全部廃止して国防軍を新たに作り、軍法会議等々のつくりにしないと変わらないと思います。


「質問2」

  第一列島戦を突破して膨張しようとする中国に対して、米国がどのように対応しようとしているのですか。日本も含めて同盟国なり東南アジア諸国に、具体的に米国から話が来ているのでしょうか。

「回答2」

  アメリカはINFを破棄しました。中国はINF条約に入っていません。中国はアメリカが第一列島線に入る前に撃滅するため、グアムを狙うミサイル、アメリカの空母を狙うミサイルを着々と整備してきています。アメリカ海軍の行動が制約される可能性が出てきたので、中国の中距離ミサイルを抑えるため、アメリカ側もミサイルを持ち、配備するようになるでしょう。


「質問3」

  人民解放軍の精強度と自衛隊の精強度についてお伺いします。

「回答3」

  日本と中国という観点で見ますと、日本は海洋民族で、中国は海洋民族ではありません。そういう面では、海洋における士気は絶対に日本のほうが勝っていると思います。ただ中国は莫大な量を持っているわけです。この差を考慮に入れなければいけません。侮ってはいけないのは量です。


「質問4」

  尖閣諸島に自衛隊が駐屯できるかどうか。

「回答4」

  国民に責任を持っている政治家の判断になると思います。領土に対して日本が淡泊だったのは事実です。竹島、北方領土も同様です。


「質問5」

  日教組教育を受けられた当時の人は、どういう動機で自衛隊に入られたのでしょうか。また現在の自衛隊の応募状況はどうなっていますか。

「回答5」

  私の場合は、父親が海上自衛官だったからです。なお当時、防衛大に入学した人の志望動機は、第一志望校に入れなかったとかが現実的な姿ではないでしょうか。今の世代は、もっと使命感を持って入学していると思います。また自衛隊の応募状況は、定員が充足出来ていないのが実情です。


「質問6」

  海上自衛隊出身ということで、今後どのように装備を充実させていくか。志願者が減っている中で、どうやって組織の規模を維持していくのですか。

「回答6」

  今これだけ自衛隊が評価していただいても、それが募集に直結するかとなると別の話です。海の場合、スマホに関しては、時代に抗す事はできませんので、限度はありますが、一定期間Wi-Fiを認めるとか、あと省力化で少ない人員でやりくりするとか、今後AIとか、人をそう簡単には集められないという前提に立って対応しております。また女性自衛官は全体の6%から10%にするという目標です。さらに自衛隊の定年は早いので定年を延長し、再就職先を確保する等です。もう一歩二歩努力が必要なのが現状です。


「質問7」

  海上自衛隊の潜水艦についてお聞かせください。

「回答7」

  海上自衛隊の潜水艦は当初16隻でしたが、22隻まで増やしております。スターリングエンジンでやっていましたが、今はリチウムイオン電池に変えています。日本は原子力潜水艦を作っておりません。通常型潜水艦では世界ナンバー1と言って良いと思います。なお中国は原子力潜水艦を持っております。


以上は、前統合幕僚長 河野克俊氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです。



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