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武藤会長「金言」

2014年12月25日 金言(第30号)
『日本の農業問題』

■序論「衰退した日本農業の、知らなすぎる諸問題」

(1)我が国の農業が、衰退の一途をたどっているといわれて久しいが、マスコミも思い出したように断片的に取り上げるだけで、本当に国民各位が、どれだけその実情について把握しているかは、極めて疑わしいのである。現状における日本の農業は、さまざまな問題を抱えている。大きな問題が幾つかあるのであるが、一つは農業就業人口である。すなわち、少子化による後継者の不足は深刻で、2013年度の就業者人口は、239万人で内65歳以上の比率は61.8%に達しており、39歳以下の人口はわずか4%にすぎない。その結果平均年齢は66.2歳となっている。農林水産省の統計によれば、今から約30年前の1985年では農業就業者は、543万人、60歳以上は19.5%であった。
(2)次の大きな問題は、農地が減り続けていることである。具体的には、1965年には600万ヘクタールあった農地が2013年には、453万ヘクタールにまで減少している。
(3)農地減少に加え大きな問題となっているのが、耕作放棄地の異常な増加である。耕作放棄地とは、1年以上作物を栽培せず、再び耕作の見込みがない農地をいうのであるが、2010年の統計では39.6万ヘクタールで、放棄地率は10.6%と我が国全体の面積の1%にもなっており、これは埼玉県の面積に等しいのである。耕作放棄地が増えているのは、高齢化と後継者不足が主な原因であるが、決してそれだけではない。米の生産数量を抑える国の減反政策の影響の他、農地の宅地転用への期待などから、農地を相続しても、耕作せずに放置したままの農家が少なくないことも、その理由である。

■第一章 「市場原理を無視した米の強制的減反政策の失敗」

第1節「強制的一律減反とミニマムアクセスによる在庫増の誤算」
  このような農業の情勢に追い込んだ最たる理由は、何と言っても国による米の減反政策にある。この制度は、1970年代から始まり、米の強制的な生産調整を一律減反により行うものであり、我が国の農業の現場に深い爪痕を残して現在に至っている。近年、特に減反が強化された1997年から8年における道筋については、複雑すぎて理解しにくいのであるが、かいつまんで説明すると、1997年〜8年に関税を簡素化するウルグアイラウンドにおいて、米の例外なき関税化を延期する代償として、米の他品目よりも厳しい輸入枠としてミニマムアクセス(最低限輸入義務)を受け入れたのであるが、このミニマムアクセスで輸入した米が売れ行き不振で、在庫が急速に過剰となったため政府は急遽、減反面積目標を、2年間田んぼの総面積267万9000ヘクタールの36%、96万3000ヘクタールにし、この減反を促すため、減反農家に米の値下がりによる減収分の8割を補填するなどの政策がとられてきたのである。ところが政府の意図に反し、ミニマムアクセスによる輸入米が足を引っ張り、在庫は減少しなかった。当然ここに減反施策の限界を露呈してしまったのである。
第2節「そして巨額の税金投入へ」
  このように、農家の「稲作経営安定政策」と「米自給安定対策」が実施されたのであるが、これは端的にいうならば、米あまりには減反拡大、減反による農家の減収には、補償金を支払うものであり、ミニマムアクセス米の在庫拡大の問題が起こった97年、98年の2年間では、5000億円という巨額な税金が投入された。この減反強化には各地の農家、農業協同組合から「日頃食糧自給を唱えながら、無理やりに田んぼをつぶせというのは、従来からの当局の姿勢と矛盾している」という強い反対の声も上がったのであるが、国はこれらを一切無視して減反を強制したのであった。「自主選択での減反」を国は標榜しておきながら、実際には「目の前に人参をぶら下げて食いつかせるという」露骨な農政パターンがこの時出来上がったのではないか。
第3節「市場メカニズムに反する減反の矛盾、ようやく30年で幕へ」
  ところが、関税化を阻止するために作られたミニマムアクセスが、1999年に米の輸入についての関税化を政府決定してしまったため、市場メカニズムの中での強制的な減反政策は、つじつまがあわなくなってしまった。まさにその場しのぎの場あたり的な強制的な減反政策は30年経過して、このまま幕を引くのか、本来の自主的な選択による減反に立ち返るのかについては、農協組織と地方自治体の利害が対立して、この後どうなっていくか、今大きな曲がり角にたっている。そのような中で昨年安倍政権は減反廃止へ舵をきった(後述)。

■第二章 「世界最低の食料自給率と最大の食糧輸入国の現状」

第1節「食料自給率のふたつの定義」
  一方重要な数字として食料自給率がある。2005年の統計によると主要国の「カロリーベ−スによる食料自給率」は、アメリカ123%、ドイツ85%、フランス129%、イタリア70%、オランダ62%、英国69%、カナダ173%、オーストラリア245%、スペイン73%、韓国45%、日本40%(2010年は39%)となっている。カロリーベースとは余りなじみのない用語であるが、これを単独で公表しているのは日本のみで、あとの国の数字は農林水産省の試算である。カロリーベースとは、「国民一人一日当たりの国内生産カロリー÷国民一人一日当たりの供給カロリー」で表すが、国民一人一日当たりの供給カロリーとは、「国産供給カロリー+輸入供給カロリー+ロス廃棄カロリー」の合計である。
  もう一つ生産額をベースとする「総合食料自給率」というものがある。これは、「国内の食料総生産額÷国内で消費する食料の総生産額」で表す。一般にはこの数字が公にされているのだが、よく理由はわからないが、我が国ではカロリーベースがまかりとおっている。
第2節「カロリーベースで40%、総合食料自給率で69%はなぜか?」
  日本は世界最大の食糧輸入国で、いささか古いが2008年の統計では、輸入額約5兆6000億円で、実に世界全体の10%をしめている。自給率はカロリーベースで40%(2010年で39%)と先進国では最低である。しかしながらカロリーベースに基づく自給率には問題が多く、実際の需給を反映していないとの考えが有力で、生産額ベースによる総合食料自給率は69%となっている。
第3節「カロリーベースの自給率が低いのはロス廃棄率が大きいから」
  カロリーベースによる食料自給率で、一番問題となるのは国民一人一日当たりの供給カロリーの中のロス廃棄カロリーで、我が国の場合「スーパーなどの小売店に並びながら」「食卓にのぼりながら」食されることなく廃棄されてしまうものが諸外国にくらべ膨大で、実に年間900万トンにもなっており、単にカロリーベースの自給率が低いということで、悲観することはないのではなかろうか。すなわち食料自給率が本当に低いのかは我が国においては疑問が残るところで、廃棄率が異常に高いのは、過剰品質の追及、外見に重きを置きすぎる品質基準や製造年月日に過敏すぎる消費者の態度などがあげられる。また国際紛争のため食料の輸入が途絶えることがよく心配されているが、重油のような戦略商品と違い、それほどおそれることはないのではないか。

■第三章 「日本農業再生の為の諸施策は如何?」

第1節「大手企業による農業参入の促進」
  そこで、上記のように大きな問題を抱える日本農業を、いかに再生するかについて、いろいろな改革が進められている。その改革の柱となるのが農業への参入促進である。政府は長年にわたり、農家を保護するため、国は企業が農業を手掛けることに厳しい制限を設けてきた。しかし、1990年代以降、企業が農業に参入しやすいように、段階的ではあるが規制を緩和してきた。資金力と経営力を持つ大手企業の参入を促すことで、高齢化や後継者不足により、衰退していっている農業の活性化が狙いであった。具体的には、農地法で定める農地を取得できる農業生産法人への有限会社などの出資が可能になり、2001年には株式会社も許可されるようになった。さらに03年には特定地域に限り、農業生産法人を設立せずに企業が農地を借りられる農地リース方式が導入された。この制度は05年に全国に拡大され、市町村が認める地域で企業が農地を借りられるようになった。09年には農地法が改正され、農地リース方式が全国どこでも可能となり、リース期間も20年から50年に延長された。また農業生産法人への、企業の出資比率も10%以下から上限が50%未満に引き上げられた。このような規制緩和により、農業に参入する企業は着実に増加している。すなわち、改正農地法施行前(03年4月~09年12月)に436の法人参入であったものが、同法施行後(09年12月〜13年6月)では1261法人となった。参入企業は多種多岐にわたっているが、食品関連産業や大手流通グループが目立っている。
第2節「農業生産法人の設立」
  一方相次ぐ企業の農業参入に対応して、複数の農家が、共同して農業生産法人を設立する例も増えている。農地を集約することによって生産性を高め、資金やノウハウを集めて、加工や販路の開拓を目論むものである。すなわち、従来の農協を経由する販売から、独自の販路を自助努力で開拓する試みである。これらの大胆な改革によって、日本の農業が停滞から活力を取り戻すチャンスが到来したと思われる。
第3節「安倍政権の農業改革の課題」
(1)「成長戦略に位置づけられるも、TPPとのジレンマ克服が必要」
  安倍内閣は、農業を成長分野に位置付け、昨年6月に決定した成長戦略では20年の農林水産物輸出額を12年の倍以上の1兆円にするという目標を打ち出した。また、農地の集約推進を施策の柱にすえた。具体的には、都道府県が設立する「農地中間管理機構(農地バンク)」が、零細農地や耕作放棄地を借り上げて集約、整備して農業生産法人や大規模農家に貸し出す制度を検討している。狙いは生産性の向上と競争力を高めることである。このように、安倍政権は農業への企業参入を積極的に促し、意欲的な農家をバックアップしようとしているが、ここで問題となるのが、現在交渉中のTPP交渉の行方である。仮にTPP交渉が妥結して、関税が大幅に引き下げられれば安価な農産物が流入し、国内農業が大打撃を受けるおそれがある、しかし米国との関係その他太平洋を囲む諸国と、あるいは次のアセアン諸国との問題を考えていくならば、早晩TPPの妥結は、日本の国益を考えるならばやむをえない必然となる。一部の反対を乗り越えTPPを締結して、その中で日本の農業の強化、存続を図っていく事こそ政治の使命と考える。
(2)「5年後の減反制度廃止」
  また、安倍政権は13年11月、ついに米の生産調整(減反制度)を2018年に廃止する方針を決定した。減反制度は、米の過剰生産による値崩れを防止するため、国が生産量を制限するもので、前述のとおり1970年に始まり、現在政府が定めた生産量を守った農家には田んぼ10アール(1000平方メートル)あたり年額15000円の補助金を払い、その上、米の市場価格が基準価格を下回った場合には、さらに補助金を支払っている。これらの補助金を段階的に削減、廃止するとしている。減反制度は農家の雇用や収入に寄与してきたことは否定しないが、反面生産量を増やす技術開発や品種改良が進まず、我が国農業の競争力低下の元凶であった。減反制度をなくせば、米つくりをやめる零細農家が増え、農業生産法人や大規模農家への農地集約加速が期待される。
(3)関連するその他の課題
  他にこれら一連の改革にも幾つもの課題をかかえている。
一、例えば農地集約を促す新制度の導入にも、宅地などへの転用を期待する農家が農地保有に固執し、制度が期待通り進まぬ可能性がある。
一、減反制度の廃止についても、主食用の米資産に対する補助金は、段階的になくなるが、飼料用の米などへの転作補助金は逆に増えるため、政府が意図する農地集約は停滞するおそれがある。また減反廃止で米の価格が下がれば、大規模農家の経営が不安定となるジレンマがある。また、一連の農業の規制緩和についても極めて甘いとの指摘がある。
一、一番問題となるのは、現状では企業は農地を直接購入、保有できず、期間限定の農地リース方式しか認められていない点である。これでは企業としては、長期的な経営判断に基づく経営は難しいと思う。企業側は保有の自由化をも求めているが、これは当然の要求である。しかし、現状では検討課題にとどまっている。このような中途半端な改革では、安倍政権の農業再生にたいする取組みが、はたして本気なのか気になるところである。

■終わりに ....改革には有言実行あるのみである

  いずれにしても、安倍政権は農業改革に手をそめたのであるが、農業を取り巻く状況は一筋縄ではいかない。農業は長年にわたる自民党政権を支えてきた大票田である。政治との関わり合いは、農業人口が減少した今日においてもなお密接である。加えて農業協同組合の力は今なお侮れない。安倍政権はこの力をそぎ落とそうとしているが、なお抵抗力は衰えていない。TPP交渉の結果がどうなるかはわからないが、安倍政権は歴代の政権がタブーとしてきた農業改革に着手したのであるから、万難を排し日本の農業の再生に取り組んでほしい。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2014年11月26日 金言(第29号)
『アベノミクスの行方』

■第一章 「わが国財政の現状分析」

第1節「本年(2014年度)歳出・歳入予算の内容について」
(1)本年も、来年度の国家予算を策定する時期となった。その予算を論じる前に、4月に5%から8%となった消費税を背景とした2014年度の予算が、どのようなものであったかを先ず振り返ってみたい。
(2)「歳出は過去最高の96兆円、内社会保障費は30.5%にも」 一般会計の総額(歳出)は過去最高の95.9兆円となっている。(2013年度は92.6兆円)消費税の8%への引き上げにより国民の負担は約5兆円増える一方、安倍政権がどこまで無駄を省き、財政の健全化にどれだけ前向きの姿勢を見せるかが、注目されたのであるが、下記の通り、社会保障費だけではなく公共事業、防衛、農業など各主要項目において軒並み増額となっている。
1、先ず社会保障費は、全くの切り込み不足で前年度4.8%アップの30.5兆円(前年は29.1兆円)と
    約1.4兆円増加し、はじめて30兆円を越えた。社会保障費の内訳の主な項目は
   年金   10.8兆円(2954億円、2.8%増加)
   医療    9.2兆円(2287億円、3.1%増加)
   介護    2.3兆円(1340億円 5.4%増加)
   生活保護  2.9兆円( 607億円、2.1%増加)
2、公共事業費  6.0兆円(7000億円、13.2%増加)
3.地方交付税 16.1兆円(3000億円、1.8%減少)
4、国債費   23.3兆円(1兆1000億円 5%増加)
5、その他   20.0兆円 (4000億円 2%増加)
    内防衛費 4.9兆円(1000億円   2%増加)
  合計    95.9兆円(3兆3000億円 3.6%増加)
(3)「歳入を国債で4割強を賄うことは異常である」
1、新規国債  41.3兆円(1兆6000億円  3.7%減少)
2.年金特殊国債   0  (2兆6000億円 100%減少)
3.税外収入   4.6兆円(6000億円 15%増加)
4.税収           50.0兆円(6兆9000億円 16%増加)
  合計    95.9兆円(3兆3000億円  3.6%増加)
第2節「国債残高増加に未だ歯止めかけられず」
(1)以上のように、実に予算の43%を国債が占めているのである。2014年3月末の国債等の残高(国庫短期証券、国債、財務債の合計)は998兆円に達しており、GDPの200%近くまでに達している。
(2)これは、まさに危機的な状況で、政府はこれに対処するため、本年4月に消費税を3%引き上げ、さらに、明年10月には2%引き上げを行うことを、目論んでいたが7〜9月GDPが年率1.6%下落したことによる経済情勢の悪化に鑑み、デフレ解消への懸念から、2%の引き上げは、2017年4月まで延期となった。
(3)「先ず基礎的財政収支の均衡が財政再建の第一歩」
  当初の考えでは、明年消費税を10%にすることによって2015年には、我が国のGDPに対する政策経費の赤字の割合を半減し、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化することを目指していた。基礎的財政収支(プライマリーバランス)という言葉をよく聞くが、どのようなものか、その場でスラスラと答えられる人は、少ないと思うので敷衍しておくと、これは、医療、介護、年金などの社会保障、公共事業費、防衛費等にかかる政策経費を税収及び税外収入でどれだけ賄えるかを、示す数字である。ちなみに来年10月に2%の消費税引き上げを前提にした政府の試算によると、2015年の基礎的財政収支の赤字は、GDP比3.2%で、半減目標の3.3%を辛うじて達成できるが0.1%の余裕しかない(金額にして7000億円)ことに加えて来年10月の消費税増税が先送りとなったため、財政再建は一段と困難になってきた。
第3節「今回の増税先送りで、遠のく財政再建」
  すなわち、明年の増税先送りにより、2015年は1.5兆円、16年度は4兆円の減収となる。増税先送りは、脱デフレを進め、財政再建の速度を緩める判断であるが、基礎的財政収支は、消費税率を10%に上げても20年度に11億円の赤字が残ることになっており、今回の増税延期により、目標の達成は絶望的になるのではなかろうか。10月31日の日銀黒田総裁による、再度のバズーカといわれる金融緩和により消費も増え、また増税延期により企業業績の向上が図られ、税収増加も期待されるので、15年の目標達成には十分根拠があるという見方もあるが、楽観的すぎなのではないか。

■第二章 「来年(2015年度)歳出・歳入予算について」

第1節「100兆円の大台乗せ、社会保障費割合は本年を上回る」
  さて、話を15年度の予算に戻す。財務省は、9月3日、2015年予算の概算額を公表したが、一般会計は昨年度の予算額95.9兆円を5.8兆円上回る101.7兆円で過去最大規模となっている。この内訳を見ると
         社会保障費    31.7兆円 (31.7 %) 昨年度30.5%
   地方交付税    16.9兆円(16.1 )    16.1
   公共事業費     6.7兆円( 6.0 )         6.0
   国債費      25.8兆円(25.8 )        23.3
   防衛費       5.1兆円( 5.1 )         4.9
   地方創生など成長枠 4. 0兆円
   その他      11. 5兆円
第2節「「概算要求基準」の方針は兎も角、予算膨張の歯止めなし」
  この2015年度予算の概算要求基準は、7月に決まり、各省庁は、その基準に従い予算を必要とする政策や事業を、必要額と共に概算要求を提出した。15年度の基準は「経済成長と財政再建の両立」という方針が示されたが、これは、アベノミクスによる景気の回復を持続させ、かつ多額の借金を抱える国の財政を立て直すことを目的としている。基準の主な内容は
@公共事業など各省庁が自由な判断で増減できる裁量的経費を14年度予算 (14.7兆円)から全額削減。
A公務員の人件費など支出が決まっている経費は14年度の12.6兆円の同額以下。
B年金、医療などの社会保障費は、高齢化の進行に伴う自動的増加分として14年度予算29.3兆円に0.8兆円の増加を認める。
C政府の成長戦略に対応する政策のための、特別枠4兆円を設定する。
Dただし、通常は、予算の歳出総額の上限(シ−リング)を設けるのがルールであるが、14年度予算作成時に、14年4月に消費税率を8%に引き上げるかどうか、決まっていなかったため、上限を設けられなかったが、15年度予算作成時においても、15年10月に10%に引き上げるか、決まっていなかったため、上限は設けられず、2年連続で「予算膨張の歯止め」を欠いた異例の基準設定となった。
第3節「予算の半分を借金でしのぎ続けることを異常事態と認識しない能天気さ」
  ところで、14年度の予算で一般会計の総額は95.9兆円であったが、国の税収は、50兆円強しかなかったため、その穴を埋めるのに新たな国の借金国債の増発でしのいだことは、皆さんご承知の通りである。国の予算の半分を借金で賄うという事実が、過去何年も続くのは全く異常としかいいようがない。さて、ここへもってきて、11月17日に発表された7〜9月のGDP速報値は実質年率1.6%のマイナスとなった。まさに日本経済の停滞は否定できないものとなった。政府は、景気のテコ入れのため補正予算を組むことを意図しているが、仮にその規模が3兆円として、その財源を如何に手当てするのか、最近の企業業績の堅調による税収の増加、予備費の一部を充てたとしても、一方では消費税増税の先延ばしにより、税収は1.5兆円減収となる、それではまた国債に頼るかという、八方ふさがりの状況が、正直な姿であろう。

■第三章 「現下の国家リーダーの最重要課題は財政再建である」

第1節「先ず既得権に守られた社会保障費の牙城を崩すべきだ」
  2015年度予算の概算要求は、実に100兆円を越えたことは先に述べた通りである。当面如何にこの予算を圧縮していくかが課題である。 明年10月の消費税10%(2%増額)は、1年半延期され17年4月実施となった。しかし、見直しが一番問題となる社会保障費の圧縮については、多難な道が待っている。14年度予算の社会保障費29.3兆円は、国債の元本、利息の支払いを除いた歳出の実に40%を占めており、15年の概算要求基準でも、0.8兆円の上乗せが認められているので、この分野での大幅なカットは難しいと手をこまねいているが、医療、年金、介護すべての分野において、省くべき無駄が山積しているにもかかわらず、既得権に守られた牙城を崩すことが出来ずにいるのが、安倍内閣の現状ではないか。むしろ予算の膨張の兆しすらあるのは、誠に遺憾である。増税とセットのはずだった子育て支援に関する社会保障の充実は、どうも15年度から予定どおり実施する方向で走り出しているようで、その財源については、はっきりしていない。日経新聞によれば、15年度のこの金額は、今年度より1.3兆円多い1.8兆円で、最終的には2.8兆円にまで膨らむと報道されている。この財源を如何に手当てするのか「再増税が実施されるまでは赤字国債の増発」という声が上がっているらしいが、国の危機的な財政を真剣に考えるならば、到底承服出来るものではない。
第2節「第三の矢は消費税引上げのためにあったのではなかったのか」
  また、アベノミクスの成長戦略を踏まえた特別枠4兆円についても、衆議院解散、統一地方選挙にからみ、全く経済成長とかけ離れた分野への投入が行われないか心配である。 いずれにしても、我が国の現状は国家存亡の時といっても、まさに過言ではない。中国の脅威という外圧は別にして、第二次安倍内閣誕生以来第一の矢、第二の矢といわれる日銀の二回にわたる金融緩和、積極的な財政政策は曲がりなりにも、成功したかもしれないが、それとて急激な円安は物価の高騰を招き、日銀の国債購入はもう一歩進めば「日銀による財政ファイナンス」と見られても致し方ないのではないか。肝心の第三の矢といわれる成長政策は、これといった決め手にかけており、成果は上がっていない。さる11月21日安倍首相は、消費税の先延ばしについて、国民に信を問うと言って衆議院解散に踏み切ったが、はたして、このテーマが解散の大義とは到底思えない。各新聞が論じているように、本当に消費税の明年2%引き上げを、延期する必要があったのであろうか。10月31日に黒田日銀総裁は、再び大幅な金融緩和を打ち出したが、これは、消費税引き上げの援護射撃ではなかったのか。その後の消費税引き上げ延期により結果として黒田総裁は、安倍首相に梯子をはずされたのではないか。経済の専門家やその他学識経験者に、消費税率の引き上げの可否を問うた結果は、引き上げ可が過半数を占めたと聞いている。むしろ、私は前々から3%と2%の二段階値上げより、一挙に5%引き上げた方がよいのではと、考えていた。その方が悪さ加減を一挙に出し、それに対する対処が十分に図られるのではと、思ったからである。
第3節「先ず身を切る改革を、そして既得権との戦いを」
  衆議院の解散についてであるが、安倍内閣は、この2年間公約の議員の定数是正や議員報酬のカットには、何ら手をつけていない。公務員の給与カットもしかりである。矢張り国民に対する増税を進めるからには、先ず身を切る改革が、あくまで前提になるのではないか。その点、誠に不満と思うのは私だけではあるまい。その他国民の生命と安全を守るための憲法改正問題や、国家の最も基本となる皇室が安定して存続していくための皇室典範の改正にも、安倍首相は何等手をつけていない。今回の解散は、アベノミクス解散といわれるらしいが、本当のところ解散の大義に欠けることは明白で、強いて云えば、大義は政局である。安倍首相は、経済の成長と財政の再建という、誠に難しい事態に直面しているのだが、経済成長においては、進めている第三の矢である経済成長政策を是が非でもやり抜かなければならない。端的にいうならば、それは既得権益との戦いである。言い換えれば、政、官、財の癒着にメスを入れることである。岩盤規制の打破が目標の一つであるが、時間はかかるかもしれないが、ぶれずに進めてほしい。財政の再建において消費税の問題は、先送りになったが、経済の成長を高め、税収アップにつなげることは、もとよりのことであるが、一方、膨張の一途をたどる社会保障費を第一として、国家経費の大胆な圧縮が喫緊の課題である。勿論ここにも既得権益との衝突はあるが、そこは思い切った手を、講じなければならない。

■終章 「財政再建なくしてアベノミクスは失敗の危険性も」

  先日ある大企業経営者が云っていた。即ち「傾いた企業の再建は、自分の経験からいって先ず経費の見直しと大胆縮減である」と。国家経営も企業経営も元となるものは同じである。安倍首相は、外交を始めとして、経済の成長、集団的自衛権、秘密保護法など、短期間に今までの内閣が成し遂げられなかった懸案を、こなしていることは多いに買うところであるが、財政再建については最重点施策として、我が国の将来を見据え、リーダーとして真剣に考え、考えるだけではなく、かならず実行に移してもらいたいと切に思う。そうでなければアベノミクスは失敗の危険さえある。2015年の一般会計予算について論じようとしていたところ、7〜9月GDPの大幅なマイナス、それに伴う消費税の先延ばし、国家財政のさらなる悪化、とどめは年末の衆議院解散選挙となり、結局アベノミクスについてふれさせていただいた。

「閑話休題」
  最後にどうしても一つ腹に据えかねることがある、それは前述の7〜9月GDPがマイナスになることを予測した民間エコノミストが皆無だったことである。日頃専門家ずらして大きな事をいっておきながら、消費税増税後最も重要な7〜9月予測について全員(約40名)尻餅をつくような大空振りとは、全く情けない。それも「在庫の増減」を見落としていたとはど素人といわれても致しかたあるまい。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2014年10月23日 金言(第28号) 『「ダイエー」の消滅と産業再生機構』

■はじめに 「ダイエーの歴史は中内功氏の足跡」

  9月23日の朝刊でスーパーマーケットの雄ダイエーが、明年1月1日をもってイオンの完全子会社となることが報じられた。ダイエーの名前が消滅することは 、我々若い頃からダイエーの名前に親しんできたものにとっては一抹の寂しさを禁じ得ないものがある。ダイエーと云えば戦後の小売業界において「カリスマ」「流通王」といわれた中内功氏に率いられ流通革命をおこした企業であり、彼の強引なまでの手法は 、良きにつけ、悪しきにつけ時代を画したことは間違いない。ダイエーを語る場合中内抜きには考えられないのである。読者の大半の方は、ダイエーの歴史すなわち中内功氏の足跡をよく御存じのことと思うが、この際、この会社の成り立ちすなわち中内功氏について簡単に振りかえってみたい。

■第一章 「我国の消費者志向の流通革命の旗手だった中内氏」

第1節「戦争の飢餓体験が物質的豊かさを追求する原動力に」
  皆さん中内氏の「売上はすべてを癒す」という言葉をご承知と思うが、この言葉こそ中内そのものを表している。彼は、戦後の我が国におけるスーパーマーケットの黎明期からその立ち上げに関与し、近年、我が国が求められた消費者主体型の流通システムを代表するダイエーを中心とする商業施設の普及と拡大に努め、我が国流通革命の旗手として大きく貢献した。彼は、1922年生まれであるから文字通り戦争の中にどっぷりと漬かった世代である。神戸高等商業学校(現兵庫県立大学)を卒業後日本棉花(後のニチメン)に勤めるが翌年応召され、当初は満州、ソ連国境に駐屯したが翌1944年フィリピンへ転属となり、ルソン島のリンガエン湾の守備に赴く、1945年玉砕命令が出され死を覚悟するが当時の司令官山下大将のゲリラ戦への方針転換により、幾多の辛酸をなめ、辛うじて生き延びる。1945年8月米軍に投降して捕虜となるが、11月に奇跡的に生還する。この死線をさまよった戦争体験が、その後の彼の人生観に大きな影響を及ぼすのである。前後するが、彼の父親は、鈴木商店を経て神戸で薬屋を経営していた。その縁で復員後1948年に元町の高架通りに彼も薬屋を開業するが、同時に当時のもうけ口であった闇商売にも手を染めていったようである。その後、次弟の設立したサカエ薬品(株)が大阪につくった医薬品の現金問屋サカエ薬局に勤務したが、1957年9月大阪千林に医薬品や食品を安価で薄利多売する「主婦の店ダイエー薬局」(ダイエー1号店)を開店した。翌年、早くも神戸三宮にチェーン化第1号店(店舗としては2号店)となる三宮店を開店した。中内氏が考えたのは、彼の言葉にあるとおり「人の幸せとは先ず物質的に豊かさをみたすこと」である。これはフィリピンにおける日本軍と米軍との物量の差と飢餓体験から生まれたものである。ここからダイエーの「良い品をどんどん安くより豊かな社会」という企業理念が生まれた。
第2節「豊かさを価格破壊で追及へ」
  中内氏の商法は時代にマッチして急速に拡大していく。彼は「価格決定権をメーカーから消費者に取り返す」、「いくらで売ろうともダイエーの勝手で、メーカーには文句を言わせない」との姿勢を貫き通した。メーカーの協力が得られない場合は「自らは工場を持たないメーカー」として独自のオリジナルブランドすなわちプライベートブランド(PB)の商品開発を推進した。しかし、この事は同時に既存大手メーカーとの軋轢を生むことになった。1964年松下電器産業(現パナソニック)との間で起こったテレビの値引き販売を巡る激しい争いは「ダイエー、松下戦争」として知られ、この争いは松下幸之助氏が亡くなるまで続き、30年戦争といわれた。その他の価格破壊では食品があげられる。ここにも中内の戦争体験が反映している。フィリピンで生死の間を彷徨していた時「もう一回すき焼きを腹一杯食べたい」と思った経験から前記の企業理念が生まれたのであるが、その理念の実現に向け、彼は邁進する。例えば、牛肉についてであるが、当時一般の店では100g当たり100円安くても70円であった。ダイエーはこれを39円という思い切った値段で販売したところ売り切れが続出して、普通なら欠品状況になるところであったが彼は周到な手を打っていた。すなわち生きた牛を買いとっておき、それを枝肉にして、本土復帰前の沖縄には輸入関税がかからないことを利用して、オーストラリア産の子牛を輸入して、これを沖縄で育てて日本国内に輸入するといった独自の手を打っていた。
第3節「創業僅か15年で小売業売上高のトップに、さらに多角化進めた」
  まさに、彼のやり方は時代にマッチして、躍進に次ぐ躍進を重ね1972年には当時の流通業界の王者三越を抜き、小売業売上高の頂上をきわめる。さらに1980年には、我が国初めて小売業界で売上高1兆円を達成する。また次々と多角化を進め、ファミリーレストランのフォルクス、コンビニエンスストアのロ−ソン、百貨店のプランタン銀座などを次々と展開していった。さらにリクルートやユニード、忠実屋などを買収し、1981年には高島屋との提携を目指し、その株式の10.7%を取得したがダイエーによる乗っ取りを警戒した高島屋側の強い意向により白紙撤回を余儀なくされた。

■第二章 「中内ダイエーの20年間の絶頂期と10年間の没落期」

第1節「連結赤字を克服して絶頂期へ」
  1983年には3期連続して連結赤字となり、ヤマハの社長を勤めた河島博氏を招き業績をV字回復させた。1988年初めには南海ホークス球団を買収してプロ野球業界に参入、福岡ダイエーホークスを誕生させ、更に東京ドームをしのぐ福岡ドームを建設する。また、同年4月長年の悲願であった流通科学大学を神戸の学園都市に開学させ、9月には新神戸駅前にホテルや劇場、専門店街が一体となった商業施設新神戸オリエンタルシティを完成させた。さらに、1991年には流通業界を代表して初めて経団連の副会長に就任した。おそらくこの時期が彼の絶頂期ではなかったかと思われる。
「閑話休題」
  私ごとで恐縮であるが、丁度そのころ大和紡績(現ダイワボウホールディングス)の社長に就任したばかりの私は、ダイエー主催のある会合に出席したことがあった。若輩の私は、一納入業者の代表として中内さんにご挨拶させていただいたのであるが、多数の参加者が入れ代わり立ち代わり挨拶に参上する中でのその他一人にすぎない私ではあったが、中内氏の態度は、公平に見て「そこに名刺をおいておけ」といった状況で、大変礼を失しており感じが悪かった。見かねたある生活用品の創業者社長がとりなしてくれたので、やっとお話をさせて頂いたのを覚えている。
第2節「バブル崩壊、消費者の品質志向への変化、ワンマン体制の弊害により凋落の道へ」
  しかし、ワンマン創業者にありがちな事であるが息子達に跡を継がせたいことなどを巡り、中内氏と苦楽を共にしてきた人材や部下などとの関係が微妙となり、多くの優秀な人材が会社を去って行った。そして、これもおきまりのことではあるが、周囲を自分のいう事を聞くイエスマンで固めるなどワンマン体制の弊害が顕著となり、ダイエー凋落の一つの原因となった。1990年代後半となりバブル景気が崩壊すると、地価が暴落し、地価上昇を前提として成り立っていたダイエーの企業モデルは傾きはじめた。店舗の立地が時代に合わなくなり、業績の低迷が始まった。さらに、中内氏自らが力を入れていたアメリカ型ディスカウントストアのハイパーマートが失敗に終わり、さらに、消費者の意識もただ単に「安さ」から「品質」に変化し、家電量販店などの専門店も出現し、ダイエーの領域を侵食するようになった。まさにダイエーは徐々に時代から取り残されていった。
第3節「阪神大震災がさらに追い打ち、遅すぎたが誤りを認めて潔い退任へ」
  1995年1月17日阪神淡路大震災が発生する。中内氏はすぐさま物資を被災地に送るよう手配し、物価の高騰を防ぎ、その安定に貢献したが関西発祥のダイエーは被災地にあった主力店舗が大きな被害を受け、甚大な金銭的損害を被った。このことは、バブル崩壊の中で業績が低迷していたダイエーの凋落に拍車がかかったのである。2001年彼は「時代は変わった」とダイエーを退任した。遅すぎる退任であった。ダイエーのすべての部門において問題が露わになっていた。最後の総会では厳しい質問が続き、大荒れとなったが彼は勇退の言葉として自分の過ちを認めた後、総会がまだ終わっていないにもかわらず降壇してしまうという一幕もあり、一部の株主から「これでは中内さんが余りにも可哀想だ」という声が上がり「拍手で送ろう」という声も出て、再登壇した彼は満場の拍手が鳴りやまぬ中を退場したのであった。その後は、私財を投げ出して創った流通科学大学の運営に専念したが、2004年には、芦屋と田園調布にあった豪邸と所持する全株式を売却し、私財からダイエー関連の資産を一掃し、ダイエーとは完全に決別したのであった。2005年9月19日神戸の病院でその前の月に患った脳梗塞のため意識の戻らないまま83才で死去した。逝去後、芦屋や田園調布の屋敷は、すでに彼の手から離れていた為遺体を戻す自宅がないまま大阪の菩提寺に搬送され、近親者だけの密葬となった。まことに、中内氏らしいすべての責任をとったあとでの潔い最後であった。

■第三章 「産業再生機構の大きな罪」

第1節「自力での再建途上に、産業再生機構の恰好の餌食に」
  中内氏が去った後のダイエーがどうなったかであるが、彼の退陣後、社長に就任したのは高木邦夫氏で、高木氏はダイエー生え抜きの人材であった。以前のダイエー危機に際しても中内氏を助け、復活に貢献した人物であった。その後リクルートの再建に派遣され、見事にその責をはたしたのであるが、再び呼び戻され社長に就任したのであった。高木氏は就任後大車輪の活躍で、債権放棄はあったが、2兆円の有利子負債をわずか1年で1兆円まで減らし、経営そのものについても総合商社の丸紅と提携するなど順調に経営を立て直しつつあった。メインバンクもその成果を認め、あえて不良債権にしなかったが、金融庁には、小泉首相、竹中金融相の主導する金融再生プログラムがあって銀行の不良債権の比率を8.4%から4.2%にまで減らすという大方針が打ち出されており、一方不良債権を買い取り、価値のある経営資源を持ちながら過大な債務を負っている事業者に対して事業の再生を支援することを目標に産業再生機構が設立されていた。金融庁は、ダイエーに対する債権を強制的に再生機構に移すよう働きかけたのである。こうすることによりダイエーに対する銀行の不良債権を公的資金に肩代わりさせ、銀行の不良債権が減るわけである。再生機構の不良債権の買い取り枠は10兆円もあり、ダイエーはかっこうのターゲットであった。2004年に丸紅が貸出債権を買い取り、再建を後押ししていたのである。丸紅がダイエーの再建に本腰を入れていたにもかかわらず、政府は自らの不良債権比率削減目標を達成し、小泉政権の成果を強調したいがためにダイエーの不良債権を再生機構に買い取らせ、ダイエーを再生機構に組み込んだのである。菊池英博氏は「ダイエーは、金融不安を引き起こす状況ではなかったのであるから再生機構が介入する理由は全くなく、ダイエーにまかせておけばよかった」と指摘している。ダイエーは再生機構が介入した過程で店舗不動産を売却して、巨額な有利子負債の返済に充当してきた。その上売却した店舗を借り受けるリースバック方式で営業を継続した結果老朽化した建物に高い賃料を支払い続けている店舗が少なくない。これが収益改善の足を引っ張り続けているのである。
第2節「カネボウに対しての再建手法にも疑問」
  これも目先ばかりを追い求めた再生機構の負の遺産である。大体再生機構の手掛けた物件は表面を糊塗する事に汲々として、結果を取りつくろったケースが多いのである。ダイエーと並んで再生機構のもとで再建に取り組んだカネボウでも、資産で売却できるものは文字どおり片端から処分した。カネボウの場合は最終的には粉飾決算が命取りではあったが、ドル箱の化粧品を持ち、繊維部門でも多くの有力な経営資源があったはずである。それをあそこまで簡単に解体したのが、よかったのかどうかは、はなはだ疑問である。再生機構には、それなりに時代の要請があった事は理解できるが竹中流の余りにもドラスチックな手法は、今回のダイエー消滅に繋がるわけで、本当に産業再生の役割を果たしたのかどうかは多いに疑問を持つところである。それにもかかわらず、当時再生機構の代表をつとめた富山和彦氏が、産業再生機構を成功に導いた企業再生のスペシャリストとしてもてはやされ、未だに各所に大コンサルタントとして登場していることには納得がいかないのである。経営難に陥った弱者を、官を背景に有無を言わさずおこなった産業再生機構の行為は改革、再生の名に全く値しない。企業の再生改革はもっと地道でかつ血のかよったものでなければならない。
第3節「遂にダイエー屋号の消滅の結末へ」
  ダイエーについては、2006年丸紅が44.6%の株式を再生機構から買戻し筆頭株主となるが、翌年イオンが第2位の株主となり、2013年にはイオンの連結子会社となり、イオンの指導のもとに再建に努めてきたのであるが、今回イオンは、来年1月1日付けでダイエーを完全子会社にすると発表した。本年12月26日をもってダイエー株は上場廃止となる。イオンの岡田社長は「ダイエーの屋号はなくなる。しかしダイエーという会社は残る。これからの戦場は電子商取引で、このような場でイオングループが多くのブランドに分かれているのは不利である」「今後ダイエーは首都圏と京阪神の食品を中心とした事業に特化し、グループの中核としてやっていってもらう」と言っている。

■終わりに 「然し、時代を超えて生き続ける中内功氏の経営哲学」

  時代を画した風雲児中内功氏のダイエーの消滅には感慨深いものがあるが、これも一つの時代の流れなのであろう。しかし、中内氏のスーパーマーケットにかけた「よい品をどんどん安くより豊かな社会」という哲学は時代を越えて生き続けると信じている。


            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2014年9月10日 金言(第27号)
『朝日新聞の欺瞞性をつく』

■第一章 「史上最悪の大誤報」

第1節「誤り認めるも、謝罪一言もなく、居直った朝日」
  8月5日、6日の2日間にわたり朝日新聞は、かねてからその報道に問題ありと指摘されていた従軍慰安婦問題について、一部誤りを認めたのであるが、単に一部の誤りを認めただけで謝罪の言葉は一言もなかった。すなわち、その時代には、慰安婦問題の研究は進んでいなかったとか、他の新聞も同じような報道であったなどと極めて軽い言い訳に終始していた。これが760万部の発行部数を誇る自称クォーリテイペーパ−とは思えない態度である。特に「軍の関与のもとに、アジア各地で慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた事が問題の本質である」と従来主張していた強制連行が崩れたために、完全に問題をすり替えたことには、極めて大きな不信感を持つところでる。さらに、8月12日付けの「金言」で取り上げた様に慰安婦の強制連行のもとになった吉田清治発言を、取り消したにもかかわらず「我々は、これからも変わらぬ姿勢で問題を報じていきたい」などとは完全な居直りでまさに「白旗を掲げつつ進軍ラッパ」と揶揄されても仕方がないのではないか。
第2節「卑怯な問題のすり替えで、逃げた朝日」
  前号で詳しく述べているので改めて書かないが、1991年〜2年の吉田による済州島における強制連行の話は事実無根で、詐話師吉田の捏造である事はすでに韓国人女性記者や秦郁彦氏の調査により、また本人の自白を含め完全に否定されているにもかかわらず、朝日新聞は16回も記事にし、その後の自社の調査でも強制連行を証拠立てるものは、なにもなかったのに頬かむりを続け、現在に至ったのである。むしろ、段々と、強制連行説があやふやになってくる上記のように朝日新聞は、女性の尊厳が傷つけられた事に問題有と巧妙にすり替えたのである。
「閑話休題」
  余りこのようなところで、あからさまに書くことではないが軍隊と性の問題は有史以来不可分なものである。近世においても欧州ではナポレオン戦争を含め売春婦が軍公認のもとに軍とともに移動していたし、今次大戦でも英、米、仏、独、伊に日本を含め軍公認の施設が作られていた。これは一般の婦女子を守るためと性病の予防であった。ただ一国ロシアだけは全てが現地調達であった。このためドイツや満州において多数の一般婦女子がロシア兵の被害にあったことは紛れもない事実である。先般、橋下大阪市長が、何処の国でも軍隊にはこの問題がある旨述べ顰蹙をかったが、彼は真実をいささかストレートに云い過ぎたにすぎない。
第3節「公器にあるべき潔さのない朝日の体質、ここに極まれり」
  私が指摘したいのは朝日新聞に公器としての潔さがない点である。誤報や捏造は過去においてもあったが、この従軍慰安婦ほどの誤報は我が国を国際的に貶めた点においてその衝撃度の大きさは他に比較できないものである。この吉田証言の内容が中心となり国連の人権委員会において取り上げられ、「クマスワミ報告」としてまとめられ、間違った「性奴隷」という内容がどれだけ我が国を貶めたかは計り知れないものがある。これほどの売国的な行為について、朝日の今回の検証は一言もふれていない。ただ一部の誤報を認めているに過ぎない。勿論謝罪の言葉は全くない。まさに朝日新聞の体質ここに極まるという感を持つのである。

■第二章 「池上彰氏との論争で問題点は明確に」

第1節「池上氏曰く、事実の前に謙虚たれ」
  このように感じていたところ、更に朝日新聞は、連載中の池上彰氏のコラム「新聞ななめ読み」について本来8月29日に掲載されるべきところ、その内容が気に食わないとして、修正を申し入れ、当然池上氏が同意しなかったため掲載を拒否するという事件が浮上した。結局このコラムは9月4日に掲載されたのであるが、朝日は、掲載と同時に掲載を見合わせたことは適切ではなかったとして、読者と池上氏に謝罪したのであった。池上氏のコラムの内容は、朝日の8月5日と6日付け朝刊の過去の慰安婦報道の記事について「過ちがあったなら訂正するのが当然。でも遅きに失したのではないか。過ちがあれば率直に認めること。でも潔くないのではないか。過ちを訂正するなら謝罪すべきではないか。これが私の率直な感想」「さらに今頃やっとという思いは拭いきれない。「虚偽」と判断した人物の証言を掲載してから32年も経っているからです」。
第2節「吉田証言の裏付検証を故意に22年間も怠った罪の大きさ」
「今回「虚偽」と判断したのは吉田清治の証言である。吉田は自らの体験として、済州島で200人の若い朝鮮人女性を狩り出したと語り、これが1982年9月2日の朝日新聞大阪本社に記事として掲載されました」、「これを今回「読者のみなさまへ」と題し「吉田証言は虚偽と判断し、記事を取り消します、当時嘘の証言を見抜けなかった。済州島を再調査したが裏付けは得られませんでした」「裏付けが出来なければ取り消すは当然の判断です」「ところが、この証言に疑問が呈されたのは22年前のことで、92年に産経新聞が吉田証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。このような記事が出たならば裏付け調査するのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が吉田に会い、裏付けのため関係者の紹介やデータの提供を要請したが、拒まれた。という検証記事を書きます。この時点で証言の信憑性は大きく揺らいだはずです。朝日は何故証言が信用出来なくなったと書かなかったのか、今回の特集では、その点の検証はありません。検証としては不十分です」
第3節「慰安婦と挺身隊との混同の誤りも、言い訳に終始」
  更に「検証記事は「慰安婦」と「挺身隊」との混同についても書いています。「女子挺身隊」は、戦時下で女性を労働力として動員するためのもの。慰安婦とは別物です。91年の朝日記事はこの両者を混同して報じたものだと認めました。これについて「読者のみなさまへ」では、当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも両者の混同がみられたことから、誤用しました。と書いています」ところが「検証記事の本文では、「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないように努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。その時点でどうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません」「今回の検証特集では、他紙の報道にも触れ、吉田証言は他紙も報じた、挺身隊と慰安婦の混同は他紙もしていたと書いています。問題は朝日の報道の過ちです。他社を引き合いに出すのは潔くありません」「今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫びがなければ、試みは台無しです」「朝日の記事が間違っていたからといって、「慰安婦」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちを潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか」

■第三章 「国益を大きく損ねたことに対して未だ収拾策に至らない現状」

第1節「池上氏の正論に対して、遂に詫びた朝日だが」
  池上氏の指摘は私が前回の「金言」で主張したことと大きな差はない。 これに対して朝日新聞は、9月6日付朝刊で池上彰氏の連載記事掲載見合せ 「読者の皆様におわびし、説明します」という記事を掲載した。内容は、池上氏の「新聞ななめ読み」の掲載をいったん見合わせた後9月4日付で掲載したことについて、読者の皆様から本社に対して疑問や批判の声が寄せられている。この掲載見合わせは、多様な言論を大切にする朝日新聞として間違った判断であり、読者の本紙に対する信頼を損なう結果となったことを改めてお詫びし、経過を説明する。今回の「新聞ななめ読み」は8月29日付朝刊に載せる予定で池上氏からは27日に原稿を受け取った。しかし、8月5日、6日付朝刊で慰安婦問題の特集を掲載して以来本社には言論による批判や評価が寄せられる一方で関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いた。このような動きの激化を懸念するあまり、池上氏の原稿に過剰な反応をしてしまった。本社は、8月28日池上氏に「このままの掲載は難しい」と伝え、修正の余地があるかどうかを打診した。池上氏からは「原稿の骨格は変えられない」ということだったので、話し合いの結果予定日の掲載を見合わせる判断をした。その際、池上氏からは「掲載されないのなら朝日新聞との信頼関係が崩れることになり、連載も続ける状況にない」との言葉があった。その後池上氏が海外への取材に出たため、9月4日の帰国後改めて会うことになった。しかし9月1日夜この間の池上氏と本社のやり取りが外部に伝わったのを機に、「不掲載」「論評を封殺」との批判を受けた。本社は池上氏との間で話し合いの途上であったため「連載中止を決めたわけではない」とコメントしたが、読者からは経緯に関する疑問や批判の声が寄せられた。私達は3日、いったん掲載を見合わせた判断は間違いであり、読者の信頼を少しでも取り戻すためには池上氏の原稿を掲載しなければならないと判断し、出張中の同氏の了解を得た。その際、同氏の意向を踏まえ、簡単な経緯を含め双方のコメントを添え、4日付「慰安婦報道検証/訂正、遅きに失したのでは」の見出しで掲載した。池上氏の「新聞ななめ読み」は2007年4月から週1回掲載し、鋭い新聞批評を展開してきた。本紙への厳しい批判、注文も何度となくあったがすべてを掲載してきた。批判や異論を載せてこそ読者の信頼を得られると考えたたからである。今回の過ちを大きな反省として、原点に立ち返り、本紙で多様な言論を大切にしていきたい。
第2節「取消さざるをえなかった言論封殺」
  上記の9月6日付の朝日新聞のお詫びは一体何なのか?先ず、朝日新聞の慰安婦検証に対する池上氏のコメントは全く常識的なものである。検証が極めて甘い、肝心な謝罪がない、これらについては大多数の方々が同じ意見と思う。このことが、朝日として気に食わないのであろう。特に言論による批判、評価とは別に関係者への人権侵害や脅迫的行為、営業妨害が続き、このような動きの激化を懸念するあまり池上氏の原稿に過剰に反応して池上氏に「このままの掲載は難しい」と伝えたとあるが、いい加減にしてほしい。池上氏のようなまともなジャーナリストがそのような申し入れは一蹴するに決まっているではないか。よくぞここまで、言論を封殺する行為を朝日新聞たるものが採れるものだと改めて感心するのである。今回の掲載見合わせと、その後の経過のすべての責任は朝日にある。自らがとった行動から自縄自縛におちいっているのではないか。池上氏の過去の批評で、朝日に対する厳しい批判、注文があったがすべてを掲載した。批判、異論を載せてこそ真のジャーナリズムだといっているのに今回はどうしたのか。掲載見合わせの理由も人権侵害とか、過剰反応とか全く意味不明としか思えない。朝日は権力をふくめて他人に対する攻撃は、率先して行うが自己が攻撃された際には極端に過剰な反応を示す。これは健全なマスコミの姿ではない。前々から云っているように朝日新聞の考えはすべて正しい、したがって朝日の紙上に何を書いても許されるという思い上がりが今回の慰安婦問題検証記事の根底にあるのではないかと思う。
第3節「未だ収まらない連鎖、週刊誌広告事件では、伏字までも使用」
  朝日新聞には余りにも問題が多いので、私も戸惑ってしまうのであるが、ここに週刊誌広告事件という新たな問題が出現した。「週刊新潮、週刊文春」の9月4日号の発売広告を朝日は拒否した。これは、何回も云っているように自社の記事に対する批判を一切受け付けない行為ではなかろうか。誠に大人気ない行為で、大朝日新聞もここまで落ちたのかという感を持つのは私だけではあるまい。更に9月11日号の「週刊新潮、週刊文春」の発売広告を朝日は掲載したのであるが週刊新潮の広告で、朝日を批判した見出しの2か所を黒塗りにしたのである。黒塗りした箇所は「売国」「誤報」であるが、戦前の言論統制の象徴であった「伏字」を思い出した。8月29日付朝日新聞朝刊で、朝日新聞は朝日新聞の名誉と信用を著しく傷つける内容があったとして週刊新潮、週刊文春の編集発行人に対してそれぞれ抗議するとともに、訂正と謝罪を求める抗議文を載せた。
抗議したいのは朝日新聞の慰安婦問題の誤報により国際的に深く傷つけられた日本国と日本国民である。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2014年8月12日 金言(第26号)
『慰安婦問題に関する朝日新聞の悪質な居直り』

■第一章 「朝日新聞の検証特集記事の概要」

はじめに 「捏造はなかったと強弁する朝日新聞」
  8月5日朝日新聞は、朝刊1面28,29面を使い、かねてから問題を指摘されてきていた慰安婦に絡む報道について、改めて朝日新聞の立場を報道した。先ず1面で「慰安婦問題の本質直視を」なる論文を掲載し、慰安婦問題について一部の論壇やネットにおいて「慰安婦問題は朝日新聞の捏造」といういわれのない批判が起きており、これに対して今までの報道を振り返り、読者に対して説明責任を果たすことが、未来へ向けての新たな議論を始める一歩となると考え、翌6日にわたり、2日間の特集を組んだ。
  当新聞は90年代より、当時は研究が進んでいなかった慰安婦問題について少ない資料や当事者の証言をもとに記事を書いてきたのであるが、その報道の一部に事実関係の誤りがあったことがわかった。問題の全体像がわからない段階での誤りであるが、裏付けが不十分であったことを反省するが、似たような誤りは、当時国内の他のメディアや韓国のメディアの記事にもある。
  しかし、これを理由に「慰安婦問題は捏造」とか「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には同意できない。戦時中日本軍兵士の性の相手を強いられた女性がいた事実は、消すことはできない。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのである。過去の歴史を直視して、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれのない暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも、積極的に取り組んでいかなければならないと考えている。隣国と未来志向の安定した関係を築くためには、慰安婦問題は避けて通れない課題の一つである。私達はこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていく積もりである。朝日新聞として次のように読者の疑問に答えるとしている。
第1節「強制連行はなかったが、結果的に強制された状態になったことが問題である」
  朝日新聞は、1991年〜92年吉田清治の韓国済州島における「慰安婦狩り」証言を事例として朝鮮人慰安婦の強制連行を報道した。また92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で、慰安婦は挺身隊という名で勧誘または強制連行されたと表現した。朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通じて次第に明らかになっているが、93年2月に行われた元慰安婦約40人の内19人の聞き取り調査の結果によると「軍人や軍属の暴力」があったと答えたのは4人にすぎない。大半は民間業者の甘い言葉に誘われたり、だまして連れていったりする誘拐との内容であった。慰安婦達は、徴集の形にもかかわらず戦場で軍隊のために自由を奪われ苦行を強いられたのである。
  93年8月に発表された河野洋平官房長官談話は「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものであった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人達の意志に反して行われた」と認めた。日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味での強制連行」は確認されなかったといい、談話では「強制連行ではなく」、戦場の慰安所で自由意思が奪われた「強制性」を問題にした。
  日本治世下の朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、就労詐欺や人身売買などにより多くの女性が集められたという。一方、中国やインドネシアで現地の女性を無理やりに慰安婦としたことを示す供述が、連合国の戦犯裁判などの資料に記録されている。河野談話が発表されて以降、現在の安倍政権を含めて歴代の政権は談話を継承している。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に「強制連行はなかった」として、国の責任は全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた。朝鮮などの各地から慰安婦がどのように集められてきたかについては、今後も研究する必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今もかわっていない。すなわち女性達が本人の意思に反して慰安婦にされた強制性があったということである.
第2節「事実誤認について」
(1)「済州島での連行の真偽は確認できなかったので、記事は取り消す」
  戦争中、韓国の済州島で慰安婦にするため女性に暴力をふるって無理やりに連れ出したとする吉田清治の証言を朝日新聞は82年9月以来16回にわたり記事として取り上げた。90年代初めごろ他社も集会などで証言する吉田を記事として取り上げた。しかし、92年4月の秦郁彦氏による済州島での調査が産経新聞に発表されて以来、吉田の証言に疑問を投げかける者が続出し、「創作」の疑いが濃厚となった。朝日新聞も97年3月特集記事のため吉田に直接接触したが、取材を拒否され、さらに済州島でも取材し、裏付けは得られなかったが、吉田の証言が虚偽だという確証がなかったので「真偽は確認できない」と書き、それ以降朝日は吉田を取り上げていない。一方、2012年11月安倍首相は「朝日新聞の誤報による吉田清治なる詐欺師のような男が作った本がまるで事実かのように日本中を伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。本年4月〜5月済州島で70歳〜90歳代の計40人に話を聞いたが強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかった。朝日新聞としては済州島における慰安婦の強制連行は虚偽と判断し、記事を取り消しとした。
(2)「強制連行を示す資料はないが、軍の監督関与文書はある」
  1992年1月11日朝日は朝刊1面で「慰安所軍関与を示す資料」なる記事を載せた。これは防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が戦時中慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことや現地部隊に慰安所を設置するよう命じたことを示す文書があったという内容であった。90年以降慰安婦問題については、国会で何度も質問されたが政府は「全く状況がつかめない」と答弁し、関与を認めていなかった。当時の加藤紘一官房長官はこの報道により「かっての日本軍が関与していたことは否定できない」と表明し、5日後に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領との首脳会談で何度も謝罪する憂き目をみた。韓国側からは91年12月以降慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に処置を講じるのが望ましいと伝えられており、政府は検討を始めていた。 軍関与を示す文書の存在は、1月7日に政府に伝わっていたようであるが,秦郁彦氏はその著書でこの報道を「奇襲」「不意打ち」と指摘している。情報を入手してから発表まで2週間以上寝かされていたと推定している。一部新聞もこの報道が発端となり日韓両国の外交問題となったと報じている。しかし、朝日は記事の掲載は記者が詳しい情報を入手してから5日後だったといっている。92年1月11日付け朝日新聞記事に関し短文の用語解説で慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万人とも20万人ともいわれている」としており「挺身隊」と「慰安婦」を混同したとの批判を受けている。
(3)「挺身隊を慰安婦と混同したことは認めるが、研究不足だった」
  朝日新聞が、1990年代初に書いた朝鮮半島出身の慰安婦についての記事の中で、慰安婦が「女子挺身隊」という名で戦場に動員されたという表現がある。今では慰安婦と女子挺身隊とは別だということは明らかであるが、朝日はなぜ間違ったのか「女子挺身隊」とは戦時下の日本内地や朝鮮、台湾で女性を労働力として動員するために組織された「女子勤労挺身隊」を指す。朝鮮では終戦までに国民学校や高等女学校らが多くて約4000名内地の軍需工場などに動員されたとされる。目的は労働力の確保であり、将兵の性の相手となった慰安婦とは別である。だが、慰安婦問題がクローズアップされた91年4月当時朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次大戦の直前から「女子挺身隊」などの名前で前線に動員され、慰安所で売春させられていた」「太平洋戦争に入ると主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万人ともいわれている」と書くなど両者を混同している。原因は研究の乏しさにあった。当時慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起しが十分ではなかった。朝日新聞は国内で働いた日本人の元挺身隊の記事を取り上げたことはあったが、朝鮮半島の挺身隊についての研究が不足していた。挺身隊員が組織的に慰安婦にされた事例は確認されていないが、日本の統治権力への不信から両者を同一視し、おそれる風潮が戦時期からひろがっていたという見方もある。92年宮沢首相訪韓直前、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の少女が挺身隊に動員されたという学籍簿がみつかったとする記事を配信したため「小学生まで日本人は慰安婦にするのか」と誤解され、対日感情が悪化した。朝日新聞は、93年以降両者を混同しないよう努めてきた。
第3節「元慰安婦証言は、親類関係を利用せず、又隠ぺい、ねじ曲げもない」
  元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアより早く報道した。これに対して元慰安婦の裁判を支援する、韓国人の義母との関係を利用して記事をつくり、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘がある。この記事は、91年8月11日朝日新聞大阪版の社会面トップに出た元朝鮮人従軍慰安婦が戦後半世紀重い口を開いたという記事である。これは元慰安婦の一人が初めて自身の体験を「韓国挺身隊問題対策協議会」(逓対協)に証言し、その録音テープを10日に聞いたと報じたのである。批判する側の主な論点は元慰安婦の裁判を支援する団体の幹部である義母から、便宜を図ってもらった。元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いた点である。植村氏によると8月の記事が掲載される約半年前「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部の娘と結婚した。取材の経緯については「挺対協」から元慰安婦の証言を聞いた。韓国へは当時の朝日ソウル支局長からの連絡で出向き、義母からの情報の提供はなかったと話す。植村氏は「戦後補償問題」の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つであり、義母等を利する目的で報道したことはない。元慰安婦は、その後裁判の原告となるため、植村氏の義母が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、8月の記事で「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本人軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」などと記したことを巡り、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事にせず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いたことに批判がある。慰安婦と挺身隊との混同は前項でも触れたとおりで、植村氏も誤用した。元慰安婦の金学順さんが「14歳から3年間キーセン学校にかよった」ことを明らかにしたのは91年8月14日の北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際であった。キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設である。韓国での研究によると学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。しかし中には生活に困り売春行為をするキーセンもいる。91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について植村氏は「証言テープの中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「意図的に触れなかったわけではない」と説明し、その後の各紙の報道で把握したという。 その後金さんは同年12月6日日本政府を相手に提訴したが、その中ではキーセン学校にかよったと記している。植村氏は提訴後の91年12月25日朝日朝刊大阪版の記事で金さんが慰安婦となった経緯やその後の労苦を詳しく報じたが、キーセンのくだりには触れていない。これについて植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方がないというわけではない」と考えたと説明「そもそも金さんは騙されて慰安婦にされたと語っていた」といっている。朝日は云う「植村氏の記事は意図的な捻じ曲げではない。91年8月の取材はソウル支局長からの情報提供によるもので、義母との特別な関係によるものではない。」と。

■第二章 「朝日新聞の検証特集記事を糺す」

「総括」謝罪なき居直りの反省文 
  先ず、何故この時期に一見反省をよそおいながら謝罪の一言もないこのような記事を掲載したかである。まさか記念すべき90回を数える全国高等学校野球大会のまえに禊をすまそうとしたわけではあるまい。産経新聞8月8日で次のような記事が出ていた。5月19日北九州市で朝日新聞西部本社のOB会が開かれ、その席上あるOBから列席していた木村伊量社長に対し「「慰安婦と女子挺身隊」との混同と吉田清治の嘘の2点については訂正、削除して、朝日の名ではっきり示してほしい。それを何としてもやるべきではないか」との発言があり、社長も「詳しいことは言えないが、いずれ検証したい」と応じたという。これは、朝日新聞社内でも自社の慰安婦報道に問題があることが認識されていたことを物語っている。これが今回の2回にわたる特集となったのであるが、一部の取り消しと反省はあったが謝罪の言葉はどこにも見あたらない。次に1面の杉浦直之編集担当の論文についてであるが、朝日は、従来軍が関与した朝鮮人慰安婦強制連行を声高に主張していたのではなかったか。それが強制連行説の核心であった吉田清治の証言が、あやしくなってきた過程でも、かたくなに明確に強制連行を否定してこなかった。今回吉田証言の裏付けが不十分で反省を表明したが、謝罪は全くない。その上、似たような誤りは当時の国内メディアや韓国のメディアの記事にも見られたと一種の居直りさえしている。それなのに論文は「軍の関与のもとにアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられたことが、問題の本質だという」。これは完全に強制連行からのすり替えである。さらに「私達はこれからも変わらぬ姿勢でこの問題を報じ続けて行きます」と宣言したのは根本的な路線は、何も変えませんよという主旨で、これでは何のための検証かわからない。この態度を産経新聞紙上で藤岡信勝氏は「白旗掲げつつ進軍ラッパ」と揶揄している。
第1節「強制連行の事実がなかったことの、他の問題へすり替えの卑劣さ」
  朝日は、1991年〜2年 に吉田清治の韓国済州島における「慰安婦狩り」証言を事例として朝鮮人慰安婦の強制連行を報道した。また、92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で慰安婦を挺身隊という名で勧誘又は強制連行したと報じた。吉田清治の「慰安婦狩り」の証言については、彼が1983年に刊行した「私の戦争犯罪」に疑問を持った秦郁彦氏が1992年3月に長時間にわたり彼と会い、さらに済州島まで出向いて現地の関係者を当たった結果、すべてが虚偽であることが判明している。その後、強制連行説の雲行きが怪しくなってくると朝日はだんだんとトーンを弱め、むしろ「強制連行の有無より軍の関与により慰安所が作られ、そこで女性の自由が奪われ、尊厳が損なわれと」いう風に問題をずらしていっている。今回の特集でも「軍などが組織的に人さらいのように連行したことを示す資料は見つかっていない」といいながら「インドネシアや中国で兵士が現地の女性を無理矢理に連行して、慰安婦にした事を示す記述が戦犯裁判の資料に記録されている」といっている。これは冤罪の多い戦犯記録を持ち出し、なお日本軍、官憲による組織的な強制連行が、あたかもあったような操作を行っているといわれても仕方がないのではないか。
第2節「意図的な事実誤認について」
(1)「済州島強制連行の虚偽証言へ率直に謝罪を」
  吉田清治の証言を錦の御旗に朝日は実に16回にわたり慰安婦強制連行記事を掲載し、これにより慰安婦問題は国際化し、日韓関係を今にいたるまで損なってきた。朝日のこの行為は決して許されるものではない。32年経過してからの単なる記事の取り消しだけですむものでは絶対ない。何故率直に謝罪しないのか。吉田証言については何度も検証する機会はあった。1997年に朝日自体で特集を組んだ時も、いい加減な調査ですまし、吉田証言は虚偽だということが定着しているにもかかわらず、取り消しができなかった。この怠慢は、厳しく糾弾されても仕方がないのではないか。
(2)「軍の監督関与文書を不意打ちに使用」
  これは、日本軍が慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことを内容とする文書であるが、たしかに1992年の日韓首脳会談の前に公表されることはお互いに面白くない結果であった。ところが、これは、秦郁彦氏が指摘するようにニュースを発表の2週間前に掴んでいたのに、会談5日前に朝日が発表したのはまさに「不意打ち」「奇襲」そのもので如何に弁解しようと朝日新聞による国益を阻害する行為であった。
(3)「挺身隊と慰安婦を混同したことに対する責任転嫁も卑怯である」
  「挺身隊」と慰安婦の混同について朝日は内地で働いた元女子挺身隊員のことを報道しているのであるから、少しだけ研究すればこのような間違いが生じるはずがない。それにもかかわらず混同の原因は、当時の研究の乏しさと逃げている。まさに責任転嫁としか思えない。朝日新聞の混同報道によって韓国内の批判が過熱したのである。日韓関係を悪化させたという認識は5日の特集においても全くない。
第3節「元慰安婦の重大な事実隠ぺいによる証言にも謝罪を」
  この植村氏の記事は、慰安婦問題に大きな火をつけたことは確かである。「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと語った上、キーセンであった事実を隠している。このような記事を公にしたことについて、記事を取り消すか訂正し、謝罪すべきである。親類関係を取材に利用していないと主張するが、疑問とするところ大である。朝日は「意図的な事実のねじ曲げはなかった」と非を認めなかった。ここに朝日の身内に甘い体質が露呈されていると思うのは私だけであろうか。

■第三章 自己正当化と自己免責に陥っている朝日新聞

  朝日新聞の特集を読んで全体として感じたことは、自己正当化と自己免責に朝日はおちいっているのではないかという事である。
  自己正当化については、朝日新聞が過去において何回も触れてきたのであるが、朝日こそ我が国ジャーナリズムのリーダーである。朝日の記者は選ばれたもので何を書いても許される。具体的には過去において日本共産党幹部伊藤律氏との架空会見。南京大虐殺事件誤報、歴史教科書につての大誤報、珊瑚落書き事件等はいずれも誤った選民意識から、自己を正当化したところから生まれたものと思う。言い換えればすべて朝日新聞の思い上がりから生まれたものではなかろうか。この慰安婦報道問題もしかりである。
  次に自己免責であるが、すでに触れたように当時の研究が進んでいなかったとか、他社も同じことを記事にしていたとか、云いかえれば責任転嫁が多すぎるのである。これでは、到底社会の木鐸にはほど遠いのではないか。今回の検証でも詳しく書かないが、わざわざ新聞社に「吉田清治」「女子挺身隊」「強制連行」について現時点での認識について質問状を出している。馬鹿も休み休みにしてほしい。他社の報道がどうあれ、朝日新聞が真実を報道してきたかどうかが、問題で間違いがあれば反省し、取り消すか潔く謝罪するのが、日本を代表する大朝日新聞のとるべき道であろう。最後に朝日の検証全体を読んで、改めて全体の文章の格調のなさに正直失望した。国語能力をもつと磨いてほしいと思う。記者ではないが先輩夏目漱石につながる伝統はどうなったのか。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年7月14日 金言(第25号)
『集団的自衛権閣議決定についての五大新聞の社説に思う』

7月1日に安倍首相は、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更について閣議決定を行い、いよいよ我が国の防衛態勢は新しい局面に入った。翌7月2日の五大紙は各社の社説において、一様に集団的自衛権行使の容認の是非について論じている。しかし、余りにも容認、否定の主張に落差が大きいのは、当然予想していた事ではあるが、驚かされるのである。今回は、各社の基本的主張である社説を取り上げ、これに対する私の考え方を述べたいと思う。

T.朝日新聞の7月2日付社説要約

集団的自衛権の容認「この暴挙を超えて」(大見出し)

A:戦後我が国が70年近くかけて築いてきた民主主義をこうもあっさり踏みにじれるものか。
B:法治国家としてとるべき憲法改正の手続きを省き、結論ありきの内輪の議論で押し切った事実は目を被うばかりだ。
C:確かに欧米の識者からは「東アジアで抑止力を高めるためには集団的自衛権を認めた方がよい」「PKOで、他国軍を助けられないとは信じられない」と云う声が聞こえてくる。しかし日本国には9条がある。戦争への反省から自らの軍備にはめてきたタガである。占領政策に由来するとはいえ、欧米の軍事常識からすれば、不合理な制約とうつるであろう。
D:自衛隊がPKOなどで海外に出て行くようになり、国際社会との折り合いが付けにくくなっているのは、事実である。しかし、それでも日本は9条を維持してきたのは「不戦の国」への自らの誓いであり、アジアの国々をはじめ、国際社会への宣言であるからだ。「改めるべきだ」との声はあっても、それは多数にはなっていない。
E:9条と安全保障の現実との溝がもはや放置することが出来ないというならば、国民の合意を造ったうえで埋めていく。これが政治の役割だ。その手続きは、憲法96条に明記されている。
F:今日の閣議決定は、明らかに「行使はできない」と云ってきたことを「できる」ことにするというならば、白を黒と言いくるめる「解釈改憲」である。
G:憲法の基本原理である平和主義の根幹を一握りの政治家で曲げてしまってよいのか。
H:自民党の憲法改革案には「公益及び公の秩序」が人権を制約することがあると書いてあるが、個人の権利より、国益が優先されることに懸念を持つ多くの学者や法律家がいる。
I: 極端な解釈変更が許されるならば、基本的人権すら有名無実となる。ということは個人の多様な価値観を認め権力を縛る憲法は、その本質を失う。
J:今回の安全保障政策の見直しや外交が現実に即したものとは云えない。日本が先ず警戒しなければならないのは、核やミサイル開発に注力する北朝鮮の脅威である。朝鮮半島有事を想定した米軍との連携は必要だとしても、有事を防ぐには、韓国や中国との協調は欠かせない。集団的自衛権は、尖閣諸島周辺の緊張には直接関係しない。むしろ、海上保安庁の権限を強めることが先決との声が自衛隊内部にあるのに、その議論はなされていない。
K: 集団的自衛権の行使とは、他国の武力攻撃に対して自衛隊が「自衛」隊でなくなることである。自衛隊は日本を守るために存在する。海外で武力は行使しない。そんな「日本の常識」を覆すにたる議論が十分になされたとは云えない。自衛隊員を、海外での殺し、殺されるという状況に送り込む覚悟が政治家にも國民にもできているとは思えない。それは密室での与党協議ではなく国会でのオープンな議論と専門家による十分な論争、更には国民投票での了承を得ることが絶対に必要である。安倍政権はそれを逃げた。首相は記者会見で「国民の命を守るべき責任がある」と強調したが、責任があるからといって憲法を実質的に変えていいという理由にはならない。
L: 閣議決定されたからといって自衛隊法をはじめ関連法の改正や新法の制定がない限り、自衛隊に新たな任務を課することはできない。今後議論は国会の場に移る。この政権の暴挙を、跳ね返すことができるか、野党ばかりではなく國民の異議申し立てや、メデイアを含めた、日本の民主主義そのものが、いまここに問われている。

『上記朝日新聞社説に対する反論』

  • 1.朝日の社説を読んで私が感じたことは、客観的な視野を欠き、情緒にたより過ぎた内容である。7月2日、朝日は、1面において、この7月1日こそ「専守防衛」に徹してきた、日本が直接攻撃されなくても他国の戦争に加わることができる国に大きく転換した日となったという記事を掲載し、安倍内閣を真っ向から攻撃した。この社説も最後は大上段に振りかぶり「日本の民主主義そのものが、いまここに問われている」とまるで演説のような口調で、記事をしめくくっている。
  • 2.朝日は、9条9条とまるで九官鳥のように唱え続ける。9条の存在により、戦後日本の平和が保たれてきたという考え方だと思うが、その考え方が100%間違いとは思わないが、それだけで平和が保たれてきたわけではない。米ソ冷戦のはざまで防衛はアメリカにたより、軽武装の自衛隊を保持するだけで、経済成長に集中できた幸運に恵まれたのが我が国である。
  • 3.大体9条を純粋に考えるならば、第1項の戦争放棄はよいとしても、第2項は、戦力は保持しない、交戦権は認めないとなっている。しからば自衛隊は戦力ではないのかということであるが、自衛隊は憲法違反の立派な戦力であろう。憲法9条は、第2次大戦の結果、米国が日本を二度と立ち直らせないよう仕組んだ方策の一つであるが、結果は冷戦に対する予測が甘かったアメリカにとっての大誤算となったのである。そして、1950年の朝鮮戦争勃発によりあわてふためいて日本につくらせたのが警察予備隊、現在の自衛隊である。その後日本政府は、苦労に苦労を重ねて、本来違憲の軍隊である自衛隊を、何とか自衛権は本来的な国家の権利であるとして、合憲として今日までもたせてきたのである。朝日は、集団的自衛権行使は違憲というが、一番根本となる自衛隊こそ違憲なのではないか。ここは憲法改正こそが王道であろう。
  • 4.我が国には、個別的自衛権はあるが集団的自衛権は、保有しているが使用できないという誠に不可解な解釈のまま今日に至っているのであって、本来的には自衛権に個別も集団の区別などないと私は思っている。ましてや国家、国民の平和と安全を守っていくために、国は格段の努力を傾けなければならない。今日本を取り巻く東アジアの状況はどうなっているか、核ミサイル開発を推進する北朝鮮、軍備の大拡張に邁進する中国は我が国を脅かす2大脅威である。外交で全てを解決できるなどといっているのは、余りにも平和ボケといって差し支えない。外交を有利に展開するには、少なくとも集団的自衛権行使という裏付けが必要と思うが、いかがであろうか。
  • 5.今こそ一国平和主義の幻想をすて、抑止力向上のため集団的自衛権行使を容認しなければならない。もし中国に侵略された場合どうなるのか考えたことがあるのか。チベット、ウイグルその他少数民族がどのような状況にあるのか、朝日は考えたことがあるのか。かって、朝日は軍国日本に迎合し、日本を亡国へと導いた、現在の朝日新聞の目的がどこにあるのか知らないが、いつか来た道への道案内だけはご免こうむりたいと思う。

U.毎日新聞の7月2日付社説要約

歯止めは国民がかける(大見出し)

A: 集団的自衛権を行使可能にする、憲法解釈の変更が閣議決定された。行使の条件には「明白な危険」と並び「我が国の存立」ということが強調されている。これは、いか様にも解釈できる。例えば、イラクなどにおける中東情勢の混乱も、日米同盟の威信低下や国際秩序のゆらぎが「我が国の存立」にかかわると、時の政府が考えるかもしれない。「国の存立」が自在に解釈され、その名の下に他国への参加を正当化してはならない。「自存自衛」を叫んで同盟国との約束から参戦して滅んだ大正(第一次大戦)昭和(大東亜戦争)の過ちをくりかえしてはならない。
B:先の敗戦は、国際的な孤立の果てであり、今は日米同盟の基盤がある。孤立を避け 「米国に見捨てられないため」に集団的自衛権を行使すると政府は説明してきた。しか しそれは米国の要請に応じることで「国の存立」を全うするという道につながる。日本 を普通の国」にするのではなく、米国の安全と日本の安全を密接不可分なものにする 「特別な関係」の国にすることを意味する。イラク戦争を支持した反省も、総括もない まま、単に「米国に見捨てられないため」に集団的自衛権を行使するという日本の政治 に米国の間違った戦争とは一線を画する自制をのぞむことは困難である。そのためにこ そシビリアンコントロール(文民統制)の本来の在り方を、考え直す必要があるのでは ないか。
C:文民統制こそ軍の暴走を、防ぐために政治や行政の優位を定めた近代国家の原則で ある。しかし、政治そのものもしばしば暴走する、我が国の場合、それに自制を課して きたのが憲法9条の縛りであった。縛りが外れたシビリアンコントロールは、単なる政 治家、官僚の統制にすぎない。
D:閣議決定で行使を容認したのは、国民の権利としての集団的自衛権であって政治家 や官僚の権利ではない。歯止めをかけるのも国民だ。私達の民主主義がためされるのはこれらである。

『上記毎日新聞社説に対する反論』

1.毎日の社説の中身は朝日と変らない。すなわち憲法9条の縛りがあったからこそシビリアンコントロールが保たれ、日本は戦争に巻き込まれなかった。もしそれがなくなれば、政治の暴走を止めるものは、なくなってしまうと云っている。
2.憲法9条は、朝日のところで申し上げた様に、2項はつぎはぎの憲法解釈でかろうじて存在しているもので、当然変更してあたりまえのものである。それを金科玉条として、拠り所としていることは間違っている。
3.毎日の社説で問題なのは、これも朝日と同じなのであるが、東アジアにおける我が国を取り巻く困難な情勢を、わかっておりながらそれについて触れていないことだ。例えば中国の尖閣諸島に対するあからさまな力による干渉をなんと考えるのか。
4.政治の暴走、権力の暴走と云うが、1960年安保改定騒ぎ以来の左翼にかたよったマスコミの暴走をいったいどう考えるのか。
5.国力の弱まった米国は、今後益々日本との関係を強めていこうとするであろう。一方的な「見捨てられない関係」とか「特別な関係」の時代は終わったと思う。米国との良好な関係を維持しつつ、今こそ憲法の改正を行い「普通の国」への道を進むべきと思っている。
6.最後に、歯止めをかけるのは「国民」であるというが、マスコミは今後いかなる責任をはたしていくつもりなのか。

V.読売新聞の7月2日付社説要約

抑止力向上へ意義深い「容認」
日米防衛指針に適切に反映せよ(大見出し)

A:政府が集団的自衛権の行使を限定的に容認する新しい政府見解を閣議決定したことは、日本が米国などの国際社会との連携を強化して、日本の平和と安全を確たるものとするうえで、画期的な意義を持つ。
B:行使容認に前向きな自民党と、慎重な公明党の立場は当初へだたりがあったが合意したことを歓迎する。
C:政府見解は密接な関係にある国が攻撃され、日本国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、必要最小限度の実力行使が許容されるとした。集団的自衛権は「保有するが行使できない」とされてきた。それが行使容認に転じたことは、長年の安全保障上の課題を克服したことにおいて、画期的なものである。
D:今回の政府見解には明記されていないが、米艦防護、機雷除去、ミサイル防衛など政府の集団的自衛権を適用すべきとする8つの事例すべてに対応できるとされる。また、国連決議による集団的自衛権に基づく掃海などを可能にする余地を残したことも評価できる。行使の範囲を狭めすぎると自衛隊の活動が制約され、せっかくの憲法解釈の意義が損なわれてしまう。
E:今回の新解釈は、1972年の政府見解の根幹を踏襲し、過去の解釈との論理的な整合性を維持しており、合理的な範囲内の変更である。本来は憲法改正すべき内容なのに解釈変更で対応する「解釈改憲」とは本質的に異なる。むしろ、国会対策上などの理由で過度に抑制的であった従来の憲法解釈を、より適正化したものといえる。
F:今回の解釈変更は内閣の持つ公権的解釈権に基づく。国会は今後関連法案の審議や自衛権発動時の承認という形で関与する。司法も違憲立法審議権を有する。いずれも、憲法に云う三権分立に沿った対応であり「立憲主義に反する」との批判は理解しがたい。
G:「戦争への道を開く」といった左翼、リベラル勢力による情緒的な扇動も見当違いである。自国の防衛と無関係な他の国を守るわけではない。イラク戦争のような例は完全に排除されている。
H:政府見解では、自衛隊の国際平和協力活動も拡充した。すなわち憲法の禁じる「武力行使」との一体化の対象を「戦闘現場における活動」などに限定した。「駆けつけ警護」や任務遂行目的の武器使用も可能としている。また、自衛隊による他国部隊への補給、輸送、医療支援でより実効性のある活動が期待できよう。
I:武装集団による離島占拠などのグレーゾーン事態の対処では、自衛隊の海上警備行動などの手続きを迅速化することになった。さらに、平時から有事へ「切れ目のない活動」を行うため自衛隊の領域警備任務などを付与することも検討してはどうか。
J:政府与党は、秋の臨時国会から自衛隊法、武力攻撃事態法の改正など関連法の整備に着手する。これについては様々な事態に対応できる仕組みにすることが大切である。PKOに限定せず、自衛隊の海外派遣全体に関する恒久法を制定することも検討に値しよう。
K:年末に日米両政府は、日米防衛協力指針(ガイドライン)を改定する予定であるが、集団的自衛権の容認や「武力行使との一体化」の見直しを指針に反映しなければならない。
L:自衛隊の対米支援を拡大する一方、離島など日本防衛への米軍の関与を強め、双方向で防衛協力を深化させたい。新たな指針による有事の計画策定や共同訓練を重ねることが日米同盟を強化して、抑止力を高めていく。安倍首相は今後国会の閉会中審査の機会を利用して、行使容認の意義を説明して、国民の理解を広げる努力を尽くすべきである。

『上記の読売新聞社説に対する感想、意見』

1.朝日、毎日の社説を読んで、今更ながら、自国の存立を危うくする論調を、こうも無神経に展開することに強い抵抗感を持ったのだが、読売の論調は極めて正鵠を射ており、納得できる。
2.さて、最近の集団的自衛権容認に関する内容の説明は、朝日、毎日、東京などは先ず反対という考えが前のめりとなっており、一般大衆には理解できていないのが実情ではなかろうか。秘密保護法の報道もしかりである。
3.その点この社説では、この社説そのもので実にわかりやすく、今回の集団的自衛権容認の経過を述べており、その上で今回の政府見解では明記されていない米艦保護、機雷除去、ミサイル防衛など8つの事例すべてに対応できるとしている。更に国連決議に基づく掃海などを可能にする余地を残したことを評価している。
4.そして、行使の範囲を狭めすぎると自衛隊の活動が制約され、せっかくの憲法解釈の意義が損なわれると指摘している。今回、公明党は出来うる限り行使の範囲を狭めようと強力に主張した。今後もこれらの件については、確かに、十分な意見の一致をみておらず、蒸し返されるおそれがある。
5.大体与党の公明党に問題があるのは、政界進出の際「政教分離」を標榜したにもかかわらず、実際には創価学会の力が未だに大きく、本当に「政教分離」となっていない点が問題だ。「政教分離」が最も必要な分野こそ国防、安全保障である。それなのに公明党は「平和の党」と称して学会の宗教心(おいのり)を基に集団的自衛権行使の軍事的抑止力についてブレーキをかけ続けており、これでは連立を維持することはできない。自公の連立には問題が多過ぎる。
6、また「戦争への道を開く」という左翼、リベラル勢力による主張を扇動、批判し、さらに、PKOに限定せず自衛隊の海外派遣全体に対する恒久法の制定にも言及している。そして年末に改定する日米防衛協力指針(ガイドライン)には集団的自衛権の容認や「武力行使との一体化」の見直しを指針に反映すべきであると指摘している。
7.最後に、今回の「閣議決定」は早急過ぎたのではないか、との批判もある。国民の大半は正直にいって、この内容を十分には把握していないと思う。ましてや朝日、毎日などの的外れの扇情的な例えば「戦争ができる国」「民主主義の崩壊」「徴兵制度の復活」などの記事に惑わされているきらいがあるので、安倍首相は国民に直接語りかけたりして十分な理解を得るべきと思う。

W.産経新聞の7月2日付社説要約

「助け合えぬ国」に決別を
日米指針と法整備へ対応急げ(大見出し)

A:戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいた。
B:今回の集団的自衛家の容認閣議決定は、日米同盟の絆を強め、抑止力が十分働くようにするものである。それにより、日本の平和と安全を確保する決意を示したものである。自民党は長期政権を担いながら、やり残してきた懸案を解決した。この意義は極めて大きい。
C:安倍首相が行使容認を政権の重要課題と位置付け、大きく前進させた手腕は高く評 価される。閣議決定は自国が攻撃を受けていなくても、他国への攻撃を実力で阻止する 集団的自衛権の行使を容認するための条件を定めた。さらに有事に至らない「グレー ゾーン」への対応、他国軍への後方支援の拡大を含む安全保障法制を目指す方針もう たった。
D:安倍首相が説明するように、今回の改革でも日本が湾岸戦争やイラク戦争に参加す ることはない。しかし、自衛隊が国外での武器使用や戦闘に直面する可能性はある。こ れは、どの国でも負うリスクである。積極的平和主義の下で、日本の平和構築に取り組 もうとする観点からも、避けては通れない行使容認を「戦争への道」と結びつける反対 意見が多いが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり。抑止力が働かない 現状を放置することはできない。仲間の国と助け合う体制をとって抑止力を高めること こそ、平和の確保に重要である。行使容認への国民の理解は不十分であり、政府与党 は引き続き、その意義と必要性を丁寧に説明することが求められる。
E:重要なことは、今回の閣議決定に基づき自衛隊の活動範囲や武器使用権限などを定 めるなど、新たな安全保障法制の具体化を実現することだ。関連法の整備は、解釈変更 を肉付けし、具体化するために欠かせない。政府は、集団的自衛権への国民の理解を高 めるためにも関連法の提出をできるだけ早め、成立を目指してほしい。また付け加える ならば合意の際に付けられた条件、制限が過剰になって自衛隊の手足を縛り、その活動 を損なうものであってはならない。
F:憲法解釈の変更という行使容認の方法について「憲法改正を避けた」と云う批判も ある。しかし、国家が当然に保有している自衛権について従来解釈を曖昧にしてきたことが問題なのであり、それを正すのは当然である。
G:同時に、今日解釈を変えたからといって、憲法改正の核心である9条改正の必要性 が減じることはいささかもない。自衛権とともに国を守る軍について、憲法上明確に位 置けておくべきである。
H:今回の改革を日米両政府は、年末に改定する日米防衛協力の指針(ガイドライン) に映させるという課題がある。朝鮮半島有事への備えに加え、南西諸島防衛など、中国にも処できる内容にどれだけ変えられるかが焦点となる。
I:考えていかなければならないのは、日本が生き残っていく上で必要な安全保障とは 何か。アジア太平洋地域の安定を含め、日本は国際平和をどう実現していくべきなの か。政治家も国民も共に考え、日本がより主体性をもって判断すべき時代を迎えてい る。
  

『上記の産経新聞社説に対する感想、意見』

1.日頃、産経新聞の論調こそ我が国を導く指針と思っているが、今回の集団的自衛権行使に関する解釈変更閣議決定について、社説は見出しから「積極的平和への大転換」と安倍政権の基本政策すなわち抑止力の強化、我が国の平和と安全確保と云う政策を全面的に後押しする内容で首相の決断を擁護している。
2.自民党政権は、長期にわたり政権を担当していたにもかかわらず、集団的自衛権を含め憲法改正問題には惰眠をむさぼり続けていた。ようやく長年にわたる懸案を大きく前進させた安倍首相の手腕を高く評価するものである。
3.閣議決定は、自国が攻撃を受けなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使を認め、さらに有事に至らない「グレーゾーン」への対応や他国軍への後方支援の拡大を含む安全保障法制を目指す方針をうたったが、尖閣諸島のおかれた現状を考えると、まさに遅きに失したきらいさえある。
4.首相は今回の改革において日本は湾岸戦争やイラク戦争には参加することはないと説明しているが、今後海外に展開した自衛隊が武器使用や戦闘に直面することもあるとしており、これは当然のことと考える。
5.日本は今までが余りにもリスクを負わない一国平和主義に埋没した異常な状態だったのだ。平和のためには、それなりのリスク、コストは必要ではないか。読売新聞に対する感想のところで述べたが、今回の改革については、見方によれば、先を急ぎ過ぎたきらいがあるのかもしれない。朝日をはじめとするとする左翼マスコミは、ここを先途に理由のない攻撃を安倍首相に浴びせているが、ここは、十分に国民にもう一度わかりやすく丁寧に説明すべきではないか、筆者は不幸にして知らないのだが、NHKのテレビで首相がこの件に関し首相が率先国民に説明し、理解を求めることは難しいのだろうか。米国大統領ルーズベルトは1933年からラジオではあったが「炉辺談話」として国民に直接語りかけ国民の信頼と団結を獲得した。
6.もう一つ今回の与党合意の中で付けられた条件、制約は今後できるだけはずしていく必要がある。そうでなければ折角の解釈変更の中で自衛隊の活動を縛ることになるからである。そういう意味で今後自公連立が日本のためになるのかどうかは疑問である。
7.最後に社説に述べられているように、我々が目指すのは憲法改正であり、今回の解釈変更はそれに至る一里塚にすぎない。。

X.日本経済新聞の7月2日付社説要約

「助け合いで安全保障をかためる道へ」(大見出し)

A:大国の力関係が変わる時、紛争を封じ込めてきた重石が外れ、世界の安定が揺らぎやすくなる。平和を保つため日本に何ができるか、問い直す時にきている。
B:安倍政権は従来禁じられてきた集団的自衛権の行使を可能にした。戦後の日本の安全保障政策を大きく変える決定である。
C:「海外の戦争に日本も巻き込まれかねない」と云った不安も一部からは聞かれるが、しかし日本、アジアの安定を守り、戦争を防いでいく上で今回の決定は適切で ある。国際環境が大きく変わり、今の体制では域内の秩序が保ちきれなくなっているか らだ。自国が攻撃されなければ、一切武力を行使しない。親しい国が攻撃され、助けを 求めてきても応戦しない。我々はこの路線を貫いてきた。これで平和を享受できたの は、同盟国である米国が突出した経済力と軍事力を持ち「世界の警察」を任じてきたか らである。
D:日本の役割は基地を提供し、後方支援にとどまっていた。しかし現状は中国をはじ め、他の新興国が台頭し、米国の影響力は弱まり、世界の警察官の役割を担えなくなっ ている。
E:経済力では主要7か国の世界のGDPに占める割合は2000年の66%から 2013年には47%となり、軍事力では、中国の軍拡は急ピッチで東シナ海、南シナ海での米国優位は崩れようとしている。米中の国防費は2030年には逆転するとの説もある。その辺を読んで中国軍のアジア海域での活動は活発化している。北朝鮮の核、ミサイル開発も米国の威信の衰えと無縁ではあるまい。
F:であるから、米国の衰えをカバーするため他国はその役割を補っていかなければならない。具体的には、米国の同盟国である日本は友好国である韓国、オーストラリア、アセアンなどの諸国と手を携えてアジア太平洋地域に安全保障のネットを築き中国と向き合っていかなければならない。
G:日本は米国とこの構想を進め、他国と助け合い、平和を支える道を歩む時である。そのためには、集団的自衛権を行使できるようにしておく必要がある。世界の現状をみると今や一国平和主義は幻想である。
H:だからといって、安倍政権はここまで急いで集団的自衛権の行使容認に関して閣議決定をする必要はなかった。
I:政府は行使の条件として「国民の生命、自由、幸福追及の権利が根底から覆される明白な危険がある時」と定めたが、慎重派の公明党との妥協を急ぐあまり「過度に制約のある内容」になってしまったとの批判もある。
J:さらに実際の行使に当たり「何をどこまで認めるか」といった事例ごとの議論はほとんど深まらなかった。これでは有権者の理解は得られないばかりか不安も広がりかねない。公明党の難色により先送りされた、国連の集団安全保障への対応についても検討を急ぐべきである。政府与党は、近く行使の具体的手順や歯止めを定める法律の整備に取り掛かる。肝心なことは、抽象論ではなく具体的な事実を明示して、一般の有権者ともわかりやすく熟議を重ねてほしい。
K:この問題は10年20年先の我が国の行方を左右するテーマだ。政権が交代するたびに路線が変わるようなことがあってはならない。その上で強調したいのは、他国との対立を外交で解決することの大切さである。集団的自衛権の行使に至らないよう努力することこそ肝心である。

『上記の日経新聞社説に対する感想、意見』

1. 実はこの評を書く前にある評論家が日経の社説について「唯一、日本経済新聞の扱いはクールだ。特段に社としての賛否を明確にすることなく、事実だけを伝えるにとどめている」と評していたので正直余り期待していなかった。しかし本稿をおこすために再読したところ評は全く的外れであることがわかった。
2. 同社の考え方はストレートに伝わってくるし、今回の閣議決定の問題点の指摘もわかりやすい。
3.先に述べた4社の社説と比較して、(朝日、毎日は問題外だが)遜色ない。
4.閣議決定を急ぐあまり、公明党を意識し過ぎて妥協して制約の多い点を指摘している点、「何をどこまでみとめるか」など曖昧な点は指摘のとおりである。公明党は、与党の居心地のよさをまさに満喫しているが、与党の一翼を担うからには、口先だけの平和ではなく我が国の真の独立と平和を守るため、「学会」の意見に振り回されるのではなく、もっと真剣に取り組んで欲しい。
5.また、この問題は10年先20年先の日本の行方を決める重要な問題で、政権交代により簡単に変わる問題ではないとの指摘は全くそのとおりである。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年6月16日 金言(第24号)
『原子力発電所再稼働判決について』

■T『はじめに』
私は、かねてから原発の再稼働を、早急に進めるべきであるという観点から、何回か論を進めさせて頂いたのであるが、ここ直近数週間の間に大変重要なニュースが飛び込んできたので、またかとお思いの方も多いかと思うが、あえてこれについて触れさせて頂きたい。5月21日関西電力の大飯原子力発電所3.4号機の再稼働は危険なものであるとして、福井県の住民など189名が、運転差し止めを求めた訴訟に対して福井地裁は判決を下した。判決は住民の主張を全面的に認め、運転差し止めを認めたものであった。これは、誠に奇怪極まりない判決と云わねばならない。マスコミは、この判決内容を大々的に報じているが、新聞によっては、その解説にかなり左翼的な偏向したバイアスをかけているものもあるので、私は、改めて判決要旨全文を読み返してみて、どの点がおかしいのか指摘したいと思う。

■ U『主文要約』
「主文は、大飯原発から250km圏内に居住する166名の原告に対して、大飯原発3.4号機の原子炉を運転してはならない。その理由は? 」
1、ひとたび深刻な事故が発生すれば、人命、身体、そしてその生活基盤に重大な影響を及ぼす事業においては、当然な社会的要請として、被害の大きさ程度に応じた、安全性と信頼性が求められる。そして、個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に由来するものである。この人格権は憲法上の権利であり、すべての法分野において最高の価値を持つものである。この事が本件訴訟においても基本的な指針である。
2、福島原発事故の際、当時の原子力委員会の委員長は、250km圏内に居住する住民に避難勧告する可能性を検討した。チェルノブイリの住民の避難区域の規模からして妥当と判断される。
3、原子力発電所の稼働は、法的には電気を生み出すための一手段である。これは憲法で保障される経済活動の自由に属するものであるが、憲法上は、人格権より劣位におかれるものである。福島における原子力発電所の事故は、大きな自然災害、戦争以外で、これほど大きな災害をもたらすものはない。かような危険をはらむ経済活動は原発以外には見当たらず、その存在自体が憲法上容認できないとするならば、極論に過ぎるとしても、少なくとも、かような事態を招く具体的な危険性が万に一つでもあれば、その差し止めが認められるのは当然である。
4、確かに、新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば、社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質や、もたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差し止めの可否を、裁判所において判断することは困難を極める。しかし、被害の大きさが判明している場合には、技術の実施にあたって、その危険の本質と被害の大きさに応じた安全性がいかに保たれているかを判断すればよいのであって、原子力発電の技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分明らかになっている。本件訴訟においては、大飯原子力発電所において、かような事故を招く具体性が万が一でもあるかが判断の対象とされるべきであり、福島の過酷な事故の後において、裁判所は、この判断を避けることは出来ない。この考え方は上記のように人格権が、我が国の法制上なによりも優先されるところから導きだされるもので、原子炉規制法をはじめとする行政法規に左右されるものではない。改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関する問題の内、幾つかを電力会社の裁量に委ねたとしても、それについても裁判所の判断が及ぶべきである。また新規制基準の対象となっている事項に関しても、それへの適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなくて、上記の理に基づく裁判所の判断が及ぶべきである。
5、原子力発電所においては、地震により施設の損傷をきたした場合速やかに運転を停止し、停止後も電気による冷却水により核燃料を冷やし続け、万が一、異常が起きた時は、放射性物質が外部に漏れないようにしなければならない。端的にいうならば、この止め、冷やす、閉じ込めるという3つが揃って初めて原子力発電所の安全性が保たれるのである。福島の場合止める事には成功したが、冷やす事が出来なかったために放射性物質が外部に放出されてしまった。また、核燃料は、堅固な構造を持つ原子炉格納容器に収められているが、本件原発には、地震の際冷やすという機能と閉じ込めるという構造に次のような欠陥がある。
6、原子力発電所は、地震による緊急停止後の冷却機能について、外部からの交流電源によって水を循環させるという基本的なシステムになっている。しかるに、1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この事は、被告である電力会社も自認しているところである。一方、我が国の地震学会において、このような規模の地震の発生を一度も予知出来ていない。地震は、その性質上その発生については過去のデータにたよらざるを得ない、その発生頻度もかならずしも高いものではない。また利用できるデータも近時のものに限られる。したがって、大飯原発には、1260ガルを超える地震が到来しないとの確実な科学的根拠に基づく想定は不可能である。むしろ、既往最大の地震は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、この地震は、大飯でも発生する可能性のある内陸地殻地震であり、若狭地方も、活断層が多数存在する地域であるから1260ガルを超える地震が大飯に到来する危険がある。
7、大飯における基準地振動は700ガルであるが、関西電力は、700ガルを超える地震については、それが到来した場合の事象を想定し、その対策をイベントツリーという対策マニュアルにまとめているので、これに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、大事故のおそれはないと主張するが、この対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながるあらゆる事象を余すことなく取り上げる事、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じる事、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施出来るという3つが揃わなければならない。
8、被告は、大飯原発の周辺の活断層を調査した結果、地震学の理論上導き出される最大の数値は700ガルであり、700ガルを超える地震の到来することはまず考えられないと主張するが、理論上の数値計算の正当性確実性を論じるより、現に全国で20個所にも満たない原発の内4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が、平成17年以降10年足らずの間に到来しているという事実を重視すべきである。本件原発の地震想定が基本的には、上記4つの原発におけると同様、過去における地震の調査と活断層の調査分析という手法に基づきなされており、本件原発の地震想定が、信頼に値するものではない。
9、被告は、先の5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし余裕度があり、たとえ、基準地振動が到来しても、直ちに安全上重要な施設に損傷の危険性は生じないと主張している。これについては、確かに余裕度のある設計がなされていることは認めるが、このように設計がなされていたにしても、基準地震度を超えれば設備の安全は確保できない。基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは絶対的なものではない。従って、たとえ、過去において、原発施設が基準地振動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は今後、基準地振動を超える地震が大飯に到来しても施設が損傷しないという根拠となるものではない。
10、本件原発において、基準地振動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主供給ポンプが破損、主給水が断たれるおそれがあると認められる。被告は、主給水ポンプは、安全上重要な設備ではないから基準地振動に対する安全性の確認は行っていないと主張するが、安全確保に不可欠な設備であり、耐震性を求められのは当然で被告の主張は理解に苦しむところである。
11、原子力発電所において、核燃料部分は、堅固な構造を持つ原子炉格納容器の中に存するが、使用済み核燃料は、使用済み核燃料プールとよばれる水槽内におかれている。仮に使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れた時、これが原子力発電所敷地外部に放出される事を防御する堅固な設備は存在しない。被告は、使用済み核燃料は、通常40度以下に保たれた水により冠水状態で保管されているので、冠水状態を保てばよいだけだから堅固な施設は不要というが、使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば冠水状態を保てなくなるのであり、福島の経験からも、使用済み核燃料も原子炉容器の中の炉心部分と同様に外部からの不足の事態にそなえ堅固な施設により防御を固めるべきである。
12、以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を、放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に関わる安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑念が残るにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに、初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。
13、他方、被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高低の問題等を並べて論じるような議論に加ったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して、国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことが出来なくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。また、被告は、原子力発電所の稼働がCO2排出削減に資するもので、環境面で優れていると主張するが、原子力発電所でひとたび深刻な事故が発生した場合の環境汚染は、すさまじいものであって、福島原発事故が有史以来最大の公害、環境汚染であることを考えると、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

■V『私の反論』
皆さん上記の判決文を読まれてどう思われたであろうか。私は、いささか逐条的になり恐縮であるが、判決に次の通り反論したいと思う。

■第一章 個人の人格権を最高の価値とする、為にする判決である
人格権は憲法によって保障された最高の権利と思うが、判決に云うように全ての法律分野で無条件に、何よりもこれが最高の価値を持つのかどうか、法律学者でない私にはわからない。ただ裁判官はこの権利を大上段に振りかざし過ぎていないか。

■第二章 判決根拠があいまい・独善的・非科学的である
第1節「なぜ250km圏内は避難か?その根拠は何か?」
判決主文250km圏内に居住する166名の原告となっているが、福島原発事故に際して、当時の原子力委員長が250km圏内の居住者の避難を検討したことがあったかもしれないが、実施されたのは30〜40qの圏内居住者の避難である。またチェルノブイリの事故は炉心溶融によるメルトダウンであり、福島とは比較にならない。250kmなる数字を妥当とするのは適切ではない。
第2節「万が一の事故も許さないことを目的とする独善的判決」
原子力発電所の事故を大きな自然災害及び戦争と並列にするのは如何なものか。後にも述べるが、危険性が万に一つにでもあれば差し止めの対象となるというが、これも大変疑問に感じるところである。完全無欠な科学技術など存在しない。飛行機でも自動車でも万が一の事故はおこる。新しい科学技術の実施については、先ず「福島のような具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象となるべきで、この判断には必ずしも高度な専門技術的な知識,知見は(例えば原発の新規制基準など)が絶対的なものではなくて、裁判所は関与判断できる」と判決にはうたっている。しかし科学者ですら数々の誤りをおかす。過去において大きな災害があったからといって、それを盾に取り、ただただ人格権を尊び一方的な法律判断を下すのは有害である。
第3節「専門家の意見を排除した非科学的判決」
「科学的な知識」は必要である。原子力規制委員会の議論とは別に、司法が、独立した判断を下すことを否定しないが、原子力工学の専門家阪大名誉教授の宮崎慶次氏は、次のように指摘する。「かりそめにもそのような判断を下すのであれば、もう少し勉強すべきである。例えば大飯原発は加圧水型で福島第一原発は沸騰水型で大飯の型は外部からの冷却が比較的容易である。また格納容器は福島の10倍もあり、福島で起こった水素爆発の可能性は低い、このような基本的なことを一つ一つ確認し、リスクがどれほどあるのか科学的な議論をする必要がある。判決にいう「万が一」が通るなら日本中いや世界中の原発はすべてダメ」ということになる。「判決は無見識、無定見、無謀といわざるをえない。むしろこのような判決が通るなら司法の威信は崩壊するのではないか」といっている。また、元原子力委員会委員長の藤家洋一氏は「現在福島の事故の教訓から原子力規制委員会による再稼働の安全審査を世界で最も厳しいレベルで行っている。その結論が出る前に、基準地振動を超える地震の発生や冷却機能の確保等について専門家でない裁判官が独自に判断することに違和感を覚える」と語っている。また、「今回の訴訟が始まってからわずか1年半のスピード判決に問題がある」と話す識者もいる。「2006年に出た北陸電力志賀原発の差し止め訴訟では提訴から7年かかった。裁判が長期化するのは問題であるが、科学的に多くの問題を抱えた本件訴訟の場合1審4〜5年、2審2〜3年程度をかけなければならないのではないか、今回は拙速といわれても仕方がないのではないか」ともいわれている。何故急いだかについては、現在原子力規制委員会による再稼働の審査が進んでおり、鹿児島の川内原発が早ければ今秋再稼働の見込みであり、そうした動きに一石を投じ、再稼働を遅らせようとする狙いがあるのではないかといわれている。

■第三章 つまりは恣意的・情緒的・イデオロギー加担判決である
第1節「安全の基本原理である重層的耐震設計を無視する恣意的判決」
判決においては、基準地振動を超える大地震の到来を懸念して独自の見解を展開しているが、過去昭和38年東海村での原子力発電開始以来我が国においては地震によって原発が破壊された事実はない。判決では過去10年間に4か所の発電所で5つの想定を超える地震があったと指摘しているが、いずれも原発の1次系(原子炉の防護を行う保護系統)に致命的な損傷は起きていない。これは、原発の配管や機器の設計が十分な余裕を持っているからである。原子炉1次系に関する炭素鋼やステンレス鋼の配管や機器は極めて強靭で設計強度の何倍もの荷重をかけても破損しない。しかるに判決では、加速度が少しでも超えると破損すると決めつけている。圧力容器の配管をガラス製と勘違いしている。福島の事故は、地震ではなくて津波により非常用炉心冷却系が十分に作動しなかったため起こった事故である。北海道大学の奈良橋直教授は「大飯においては、福島の事故に鑑み止水ドアや防潮壁が設置され、強靭な耐久性を有している。判決は、このことを完全に無視している。そして、これは重要なことであるが、原子力発電所の防護体制では、重層的かつ多様な防護体制がとられている。これは「深層防護」というもので、4段階にわかれている、詳細は専門的なので割愛するが、これは軍事用語であるが故に敵に負けないための多様で重層的な戦略である。本来的には、たとえ鉄壁な守りがあったとしても、それを否定する「前段否定」という考え方である。十分な耐震設計が施されていても、それがあえて壊れると仮定して次段の重層的な対策をとるのである」したがって、この判決は、この設計に無知であり、事実誤認としている。
第2節「国家・国民全体の利益を考えない情緒的判決」
最後にこの判決でいろいろと議論が交わされている「国富論」についてである。判決では、原発の停止によって生じた燃料費の高騰による国富の流失、喪失について、そのような論を、この場で論じるのはもってのほかと云い切っている。すなわち「たとえ原発停止によって多額の貿易赤字が発生してもこれを国富の流出、喪失というべきではなく、豊かな国土とそれに国民が根をおろして生活していることこそが国富であり、これを取り戻すことが出来なくなることが国富の喪失である」と云っている。さらに「原子力発電所の稼働がCO2の排出削減に資するなど環境面においてすぐれているなどの主張は原発事故による環境汚染」を考えれば、全く筋違いもはなはだしく、許しがたい論である」と云いきっている。
第3節「偏向的イデオロギーに加担した判決」
これは全く一方的なイデオロギーに加担した暴論としか思えない。国民が豊かな文化的生活を送るためには安価で安定した電力の供給が必要なのではないか。裁判官の理論は国民に「縄文時代、弥生時代」に帰れといっている青臭い世間知らずの書生論と思う。もう一ついくら下級審の判決とはいえ、本判決は情緒に流され過ぎており、判決文自体余りにも格調さに欠けていると思うのだが、どうであろう。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年5月13日 金言(第23号)
『朝日新聞の世論調査を嗤(わら)う』

■はじめに 「集団的自衛権に関する世論調査について」
先に集団的自衛権について述べさせて頂いたが、その際、是非付け加えておきたい事があった。然し余りに長くなるので割愛したのであったが、後で考えるとこの事は大変重要なのであえてペンをとった次第である。それは4月7日付で朝日新聞に掲載された集団的自衛権を含む世論調査の事である。各マスコミとも世論調査を定期的に実施しているのであるが、今回の調査には驚いた。

■第一章 世論調査に悪乗りする朝日新聞
第1節「いつも左に振れる朝日の調査」
朝日の調査は毎回産経、読売などと比較して極端に左(リベラル?)に振れるのであるが、今回もまたかとその思いを強くした。最近の集団的自衛権の憲法解釈変更容認について、否定的なマスコミが多いのであるが、特に朝日、毎日などは毎日のように容認反対を打ち出しているので今回の朝日の世論調査もかなり左に振れている事が予想された。
第2節「調査結果は案の定だった」
即ち次のような結果だった。
1. 集団的自衛権が行使できない立場維持63%
2. 憲法9条は変更しない方がよい82%
3. 非核3原則は維持すべきだ82%
4. 武器輸出の拡大に反対77%
5. 今の憲法を変える必要はない50%
第3節「大新聞を絶対視する一般読者に便乗している朝日」
他のマスコミの世論調査においても以前よりやや集団的自衛権行使容認は減ってはいるが、産経、読売と朝日の間では相当なギャップがある。 大体世論調査とは、あくまで非常に狭い範囲から集めるものである。一般の読者は、それを知らないから大新聞の調査だからと絶対視するきらいがあるので、そこは十分に注意する必要がある。

■第二章 「世論調査」の問題点についてよく知ろう
第1節「RDD方式とは」
従来の朝日の調査方法は悪名高い「RDD方式」(Random Digit Dialing…..乱数番号法)であるが、それはコンピューターでの乱数計算をもとに電話番号を発生させて、電話をかけ、応答した相手に質問を行うもので、固定電話を対象に行うものである。この方式は、個別に直接面接して聞き取りをするわけではなく、アルバイトが、電話の前でつくられたリストをもとに機械的に電話をしてマニュアル通りの質問を繰り返して集計するだけであるから、当然専門の調査員による面接方法に比べ時間と人件費は節約できるが、不備な点も多くなるのである。
第2節「RDD方式の重大な欠点を避けるため郵送調査へ」
具体的にいうと、RDD方式は固定電話を所有している家庭に限られているため、最近の若い人のように携帯電話などの移動式電話しか持たない人は、調査対象から外れてしまうという重大な問題がある。また調査時間と時間帯によっては、例えば平日の昼間に固定電話で対応できる人は、専業主婦などに限られるという重大な欠陥がある。最近これらのことがやかましく指摘されるようになり、朝日新聞も全国の有権者から3000人を選び、郵送で調査を実施している。
第3節「然し郵送調査により大量質問による誘導尋問がやりやすくなった」
今回の調査はこの方法によっているが、この方法も万全ではないと云われている。特に朝日の調査は50問と云う大量の質問を提示しているが、よくよく質問を読んでみると、朝日新聞が意図する結論へ誘導している質問が多いのではと疑われるのである。その結果が先に述べた五つの結論であるが、これも一つの見方なので、それはそれとしておこう。

■第三章 国外にまで世論調査の害悪を振りまいて国益を害する朝日新聞 
第1節「日本と同じ調査を韓国・中国で実施する吃驚仰天」
しかし、私が吃驚仰天したのは、今回の調査は国内だけではなく韓国、中国に対してそれぞれ米国、中国の調査会社に委託して、日本国内と同じ質問を面接方式で行っていることである。対象者はそれぞれ1000名である。相対立している国の中で、しかも、韓国はさておき、中国は言論統制が厳しく行われている一党独裁の国家である、そんなところでまともな答えが返ってくる訳がないではないか。
第2節「そして中国・韓国の思う壺の調査結果」
集計の結果は次の通りとなった。
1. 平和国家日本の姿に対して、戦後の日本が、平和国家の道を歩んできたと見る人は、日本では93%に達するのに、中国は36%、韓国は19%
2. 今後日本は平和国家の道を歩むかとの問いに、日本は74%、中国21%、韓国は14%
3. 中、韓両国は自衛隊の海外活動について「戦闘以外の分野での活動」の賛成は中国10%、韓国33%
4. 安倍首相の進める集団的自衛権の行使容認についても、中国95%、韓国85%が「行使できない立場を維持する方がよい」と答えている。
5. 靖国神社が、どんな存在かという質問には中国77%、韓国73%が軍国主義の象徴としているが、日本では64%が戦死者を追悼する場所としている。
6. 中国の大国化は、アジアの平和と安定にプラスかマイナスかの問いに、日本はマイナス70%、中国はプラス86%、韓国はマイナス57%であった。
第3節「誘導された世論調査の結果について、敵対する中国・韓国に同意を求め国益を損なう売国的行為は許されない」
さて、国内の世論調査は対象者が3000名だそうだが、3000名と云う数で、本当に国民の真の考え方の波を捉えられるのかどうかには疑問がある。それに私の周囲を見渡しても、これだけ各マスコミが調査を実施しているにもかかわらず、対象となった人は皆無である。私だけではなく、多くの人がそう云っている。世論調査の謎である。最後に、朝日新聞が、国内で、世論調査の名を借りて朝日新聞的な考え方へ国民を露骨に誘導することはやめて欲しいと思う。また、わざわざ敵対する中国や韓国で世論調査を実施して、その結果を大々的にわざわざ紙上で報道して日本の国益を損なうことは売国的な行為と思うが如何なものであろうか。

終わりに 問われる安倍首相を含めた政府の国民への丁寧な啓蒙
そして私は朝日新聞の世論調査が正しいとは思っていないが、一方安倍首相を含めて政府は、もっと直接国民に集団的自衛権の行使容認について何故それが現下の東アジアの情勢のもとで必要なのかわかりやすく語りかけていかなければならい。その点私は政府の姿勢は極めて不十分だと思っている。一般大衆はかならずしも国際情勢を熟知しているわけではない。新聞の影響力は以前ほどないかも知れないが、テレビの左傾コメンテーターは毎日したり顔で、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更は、海外への歯止めのきかない派兵を許すものであるとか、戦争に巻き込まれるなど根拠不明のことを叫んで国民を惑わしている。この際政府は十分な広報活動に力を入れ国民の啓蒙に専心努力しなければならない。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年5月1日 金言(第22号)
『憲法解釈の変更により集団的自衛権容認を』

■はじめに 「保有できるが行使できない集団的自衛権解釈の怪」
集団的自衛権なる言葉が、云い出されてから本当に久しい。皆さん良くご承知のこととは思うが、国家の自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つがあると考えられている。個別的自衛権とは、自国が他国から攻撃されたり、あるいは侵略されたりした時に自国を守る権利であり、我が国の歴代内閣は個別的自衛権の保有は認めるが、集団的自衛権は、憲法第9条にてらして保有するが、行使できないとの憲法解釈が定着している。しかし、本当にそうなのであろうか。集団的自衛権行使反対の考えは、憲法第9条は必要最小限度の自衛権の行使しか認めていないから個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権は不可ということなのであろう。

■第一章 東アジアの軍事情勢下における抑止力強化は焦眉の急
第1節「現行平和憲法下、軍隊である自衛隊を保有する矛盾が露呈」
しかし、ちょっと待ってほしい。憲法第9条は「戦争の放棄」「戦力の不所持」「交戦権の否認」の三つからなっているが「自ら戦争をしかけない」事はわかるが「個別的自衛」は国際法上認められている権利であるし、問題は自衛隊こそ立派な軍隊であり、ここに、大きなまやかしがあるのではなかろうか。そもそも、この第9条は、後進国であった日本の目覚ましい躍進に手を焼いた欧米諸国が、日本の敗戦をチャンスととらえ、日本が二度と立ち上がれないように平和憲法なるものを押し付けたものであった。ところが戦後ソビエト・ロシアの勢力が急拡大し、冷戦が始まり、朝鮮では、あからさまな侵略が開始された事にアメリカは愕然として、あわてて日本に憲法と矛盾する自衛隊なるものを、創設させたのであった。私から云わせれば、日本を叩きすぎたルーズベルト米国大統領の世界政策の大失敗であった。もう一つ云わせて頂くと第二次大戦中に国共合作下の中国を全面的に応援した事も、今となっては同大統領の一大過誤であった。
第2節「先ず憲法解釈を変更し、次には憲法改正を」
そうであるならば、憲法を改正して、自衛のための軍隊を公然と保持する事こそ矛盾をなくする道なのである。しかるに憲法改正を党是として発足した自民党であったが、その後どっぷりと現状に甘んじて、党是の実行をうやむやにして現在に至っている。最近ようやく憲法改正の気運が盛り上がってきたのは事実であるが、2年や3年で改正が進むとは思えないのが現状であろう。そこで安倍首相は、先ず憲法改正の手続きを定めた憲法第96条を改正して憲法改正をやりやすくした上で、第9条を含む改正を目論んだのであるが、96条の改正について反対の声が噴出したため、当面は改正を見送り、集団的自衛権行使が、出来るようにすることを優先したのである。これには、今まで集団的自衛権行使を認めてこなかった内閣の憲法解釈を変える必要がある。
第3節「当然自衛権の範疇に入る双務的集団的自衛権」
結論から言うと、我が国を取り巻く東アジアの情勢は極めて深刻な状況にある。私は、我が国にとって集団的自衛権の行使は必要なものと考える。そもそも自衛権は自衛権であり、同盟関係を結んでいる以上個別とか集団とかの区別がある筈がない。我々は自分の国を守ることは勿論同盟国に協力する事は、当然ではないか。朝日新聞などが騒いでいるのは、祖国の自衛権をしばり、自衛隊の活動を制限しようとしているのではなかろうか。また「集団的自衛権の行使」という言葉に「何時でも戦争できるし、武力行使ができる」という馬鹿げた印象を植え付けているのが、朝日をはじめとする左翼マスコミである。何回も言うようだが、我が国を取り巻く東アジアの情勢は、軍備を急拡張し、太平洋への進出を図る中国、核開発に走る北朝鮮など極めて厳しいものがある。

■第二章 傾聴に値するアーサー・ウォルドロン教授の衝撃的論文
さて、3月7日の日経新聞の「経済教室」の欄に注目すべき論文が掲載された。一般にはあまりこの論文の重要性に言及したものはないのであるが、さすがに桜井よしこ氏は、数日後の週刊新潮と産経新聞においてその重要性を取り上げていた。論文は、ペンシルベニア大学のアーサー・ウォルドロン教授によるもので、日米中関係について、我が国の米国との同盟過信は禁物という指摘である。もう少し詳しくその内容について触れると
第1節「太平洋への確かな出口を核心的利益とする中国の長期的戦略」
(1)中国は軍事大国化しつつあり、領土拡張のため、その力を行使する意欲を露骨に示している。
(2)日本は国家安全保障上二つの重要な問題に直面している。その一つは、中国の尖閣諸島の領有権主張である。中国が同諸島を奪取して軍隊を駐留させることが出来れば、周辺海域を軍事的に支配して、海軍を容易に沖縄と宮古島の間の広い海域を航行出来るようになる。このような能力を中国海軍が持てば、沖縄本島から与那国島にいたる列島の日本支配を無効に出来ないまでも、極めて大きな脅威となる。
(3)中国が、宮古島の北方海域に焦点を合わせているのは太平洋への確実な出口を求めているためだが、最近頻繁に行われている中国海軍の演習は、尖閣諸島またはそれ以上を奪取するための「短期決戦」に備えているものであると米国太平洋艦隊情報部は指摘している。
(4) 同時に、中国は電撃作戦によってベトナム、フィリピンなどから島嶼を奪取しようとしている。
(5) 日本は、この脅威に対して二つのことを実施しようとしている。先ず中国による日本領土奪取に備え自衛隊の能力を緩やかながら増強している。二番目は同盟国である米国に日本が不足している軍事力を提供することを期待している。
第2節「米国は中国重視に転換、日米同盟が有効性保てるのはあと10年か」
(6)しかし残念ながら米国は日本との間で安全保障条約を締結しており、これまではこの条約を完全に順守してきたにもかかわらず、ワシントンでは日本より中国の方が重要であると考える勢力が台頭してきている。
(7)日中間に武力衝突が起こった場合、米国政府が日本を本気で支援するより、中国との妥協を迫り、尖閣諸島の領有権を放棄するよう日本に促すのではないかが懸念される。その一つの証拠として米国が安倍首相の靖国神社参拝を一方的に非難し、国家が後押しする中国における反日デモについて一言も触れていない事などが挙げられよう。
(8)これらの事から導き出される結論は明白である。日本は米国の行動にかかわらず自らの領土を自らの手で守れるように、今すぐ軍事力を持つ必要がある。
(9)現在中国に脅かされている日本やその他のアシア諸国の領土は当面は確保出来ると思われるが、その有効性をどれだけ保てるかについて、私はおそらく10年間とみている。
(10)中国は、その間に軍備の増強を続け、いずれ相手の防衛力を圧倒する力を持つ事は明白である。と同時に米国の軍事力は着実に弱まっていく。
(11)今でさえ、米国は一度にせいぜい一つの戦争を遂行する能力しかない。そうであるならば、例えば米国が中東との戦争に巻き込まれている時に中国が日本その他を軍事侵攻したとしたら、米国の支援はほとんど期待できないのではないか。
第3節「日本は最小限度の核抑止力を含む包括的軍事力を有するべきだ」
(12)中国は10年後大量の通常兵器と核兵器を保有することになるであろう。第二 次大戦後、米国の同盟国であるその他のアジア諸国は、最終的な安全保障を米国の軍事力と抑止力に頼ってきた。これは米国が核の報復を受ける可能性がある時には、核兵器を他国のために使用することを意味する。
(13)私はこうした約束は守られないとみている。米本土に対する核攻撃以外の理由 で、核兵器を使用する米国大統領はいないであろう。
(14)米国の最も古い同盟国で、かつ米国のことを知っている英国やフランスもこの 考え方に立っている。いずれも核攻撃を受けた際米国が守ってくれるとは考えていない。
 英国は、核弾頭ミサイルを搭載する原子力潜水艦を3隻保有しており、内1隻は常時 海中を潜航して、英国を攻撃する敵に壊滅的な打撃を与える態勢をとっている。フランスも同様な軍事力を持ち、この抑止力によって、他国から攻撃を受けないことを担保しているのである。
(15)確かに、日本のミサイル迎撃システムはおそらく世界最先端をいくが、これは 核攻撃の阻止には不十分である。英国やフランスに匹敵する安全保障体制はできていない。
(16)日本は、大規模な通常兵器と核兵器を開発している敵対的な中国に対して、ど のように対処していかなければならないか。
(17)その問題に対する答えは明白である。
中国は脅威であり、米国が抑止力を提供するというのは神話である。日本が安全を守りたいのであれば、ミサイル防衛システムだけでは不十分である。英国、フランスその他の国が保有するような最小限度の核抑止力を含む包括的かつ独立した軍事力を開発すべきである。
 以上がアメリカ人の書いた衝撃的な現実である。

■第三章 自分の国は自分で守る「抑止的軍事力」の補完的位置づけとしての集団的自衛権
第1節「早急なる「憲法解釈変更」を」
これから考えて、集団的自衛権の容認などは当然早急に行われるべき事である。今回オバマ大統領の来日において、安全保障条約第5条の尖閣諸島への適用が米国政府の確約事項となった。さらに安倍首相の集団的自衛権に関する憲法解釈変更について、米国大統領は歓迎支持を表明したので、これについては早急に憲法解釈変更を行い、集団的自衛権の行使が速やかに行われるようにしなければならない。
第2節「「一国平和主義」の幻想は捨てるべき」
集団的自衛権に関する憲法解釈変更について反対を標榜するマスコミでいちばんよく云われるのは「集団的自衛権の行使をいったん認めてしまうと対外的な緊張が高まり、海外での自衛隊の活動範囲が際限なく拡がり、憲法第9条の平和主義の理念から逸脱してしまうのではないか」と云う考えであるが、この考えは極めて狭い一国平和主義の最たるものと思う。
第3節「「積極的平和主義」のためにこそ必要な集団的自衛権」
先に掲げた論文の通り中国の経済的、軍事的な台頭は著しいものがあり、日本をはじめ国際社会を取り巻く安全保障の環境は様変わりとなっている。安倍首相は、日本の平和と国益を守るために国際協調主義に基づく「積極的平和主義」を基本理念に掲げた。すなわち積極的に国際社会の平和と安全に寄与することが、本旨である。このためには集団的自衛権行使は必要欠くべからざるものなのである。左傾マスコミは歯止めがきかなくなるとしきりに云うが、これは政府の政策判断や関係する諸法律、国会承認によって歯止めをかけ、限定的行使を打ち出せば解決出来る問題である。

終わりに 「秘密保護法」と表裏一体の集団的自衛権
最後に一言いわせてもらうならば、与党の公明党が集団的自衛権行使に反対している態度である。先般来問題となっている秘密保護法の制定に公明党は賛成した。考えてみるならば、この秘密保護法と集団的自衛権行使は表裏一体のものではなかろうか。片方には賛成、他方に反対とは前々から云われる公明党の鵺(ヌエ)的な性格が感じられ釈然としないものがある。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年4月2日 金言(第21号)
あえて今一度原発再稼動の問題を問う

■はじめに
3月は当館創立者の没後80年に当たり、講演、原稿執筆に追われ「金言」が大変遅くなりました。言い訳ではないが、消費税も上がり社会保障の問題が一段とクローズアップされているので、この問題に取り組むべく準備していたが、余りにも問題が大きいので、それについては、次回以降に回し、今回は未だに遅々としていっこうに進まない、原発の再稼働の問題をあえて取り上げることにした。

■第一章 民主党政権の公約を覆す「新エネルギー計画」出される。
第1節「原発即廃止の意見の広がりの中で」
2月25日政府は原子力発電を引き続き重要な電源と位置付ける長期的なエネルギー計画案を公表した。これは、民主党政権が掲げた原発を段階的に全面廃止するという公約を覆すものである。すなわち、福島第一原発の事故発生以来我が国では、原発の即廃止を含めて継続使用に反対する意見が広がっている。そして現在日本にある原発48基の内17基については、原発事故発生後導入された厳しい新基準に基づいて、原子力規制委員会が再稼働申請を審査中であることは衆知の通りである。

第2節「原発を重要なベースロード電源にするとの決定」
さて、新エネルギー計画は今後20年間の我が国のエネルギーを如何に供給していくかを示すものであるが、この案では原発を「重要なベースロード電源」と位置付けて、火力発電や水力発電と並ぶ重要な電源としている。但し、原発の割合は示されず、その必要とする規模については、今後十分に見極めるとしている。実際事故発生以前の原発割合は30%で、政府は50%を目指していたが、当面は安全上の理由からその数字は断念した。

第3節「原発の存続の根源的理由は明快である、事は急ぐべし」
安倍首相としては、原発の全面的な廃止は、巨額な廃炉費用と償却費がかさむこと、更には電気料金の大幅な引き上げが必要なことから原発存続は不可欠と考えている。原発政策は、2月9日の東京都知事選においても即原発廃止の細川、小泉陣営と将来の廃止はありうるが当面は存続させるという舛添氏が争い決着がついている。叉今回の計画では、再生可能エネルギーを一段と推進する方針が打ち出されているが、実際問題として再生可能エネルギーが発電量に占める割合は水力発電を別にするとわずか2〜3%に過ぎない。将来の問題としては再生可能エネルギーを重視していかなければならないが、当面は火力、原子力がその根幹になるのは自明の理である。政府は3月中にエネルギー基本計画を閣議決定に持ち込む予定であったが、与党内でも再生可能エネルギーの数値目標の決定について公明党から異論が出て、更に核燃料サイクルの主役である高速増殖炉「もんじゅ」の存続を巡る議論も重なり、4月以降の閣議決定にずれこむ見通しである。

■第二章 原発再稼動反対へは、具体論で警鐘を
第1節「理想論・観念論に流されやすい一般国民」
原発再稼働については、なお世論では根強い反対意見がある。私はこの件については、今まで何回も述べてきたが、一般国民は理想論、観念論に流されやすいのである。確かに即原発廃止は安全性、核のゴミ処理の問題からみて将来においては、そうあるべきものと思うが、現実問題としては再生可能エネルギーが戦力になるのは相当遠い先の夢物語であるし、火力発電には、割高で地球温暖化にマイナスの重油、LNGを使用しなければならない。また、石炭の価格も高騰し、火力発電のコストは急激に上昇し電気料金の再値上げは避けられない。実際電気料金は、標準家庭で2011年と14年を比較すると月額6375円から7476円となっており、世界最高水準である。参考までにLNGの輸入金額は、2010年7000万トン、3.5兆円、13年8750万トン、7.1兆円となっており元来得意としてきた電気部門などの衰退や、燃料以外の輸入の増加、為替の円安などを考慮しても赤字の元凶が、燃料費の増加にあることは間違いない。一方、火力発電の現有設備自体原発が稼働していないため老朽設備を含めフル運転しており、このままの状況が続くと由々しき事態の到来が予想される。

第2節「国民へは抽象論でなく具体論で訴えを」
エネルギー基本計画について、政府はもっと原発の再稼働がなぜ必要なのか国民に対して訴えなければならなのではないか。すなわち、再生可能エネルギーをもっと積極的に導入すべきとの声を多く聞くが、1基の原発発電量をメガソーラで賄うためには、東京都の戸建住宅のほぼすべてに太陽光パネルを設置する必要がある。また、陸上風力なら現在国内に導入されている設備の1.2倍が必要で、しかも風力の適地は限られている。洋上風力も有望という声もあるが、送電のためには膨大なコストがかかる。これだけをとっても、再生可能エネルギーが主役になるなどは机上の空論であることが明白である。

第3節「かつ長期的視野、経済全般から国益ベースでの啓蒙を」
次に原発再稼働を、政府が志向している事自体は全く正しいのに、長期的な原発の在り方についてあいまいな態度をとり続けていることは問題と思う。もっとはっきりと、現状においては原発の再稼働が最も国益に合致している事を国民に啓蒙すべきである。更に、原発再稼働が日本経済にとって如何に重要な問題であるかを、経済全般の観点から論じなければならない。国際収支の問題なども、もっと詳しくわかりやすく説明する必要がある。

■第三章 元凶は「原子力規制委員会」である。
第1節「原発再稼動反対論の横行では、停電常態化と料金高騰の地獄へ!」
現状においては国民の省エネルギー対策が進み、電力需要は2011年1月838億キロワット時が14年1月では804億キロワット時となっており、あえて原発再稼働は不要と云う考え方が横行しているが、とんでもない事である。原発ゼロでも何とかなっているのは、先にも触れた様に老朽化した火力発電にむち打って高い燃料を使いながらやっと発電量を確保しているに過ぎない。早晩このような状況は破綻するであろう。そうなった場合停電は常態化し、料金は更なる高騰となる。こうなった時、原発再稼働反対者はいったいどうするのか。

第2節「つまりは大停電を経験しなければ目が覚めないのか!」
極言かもしれないが、首都圏における大停電などを経験しなければ私はこれらの観念論者の目は覚めないであろうと思う。さて原子力規制委員会の田中委員長は昨年7月再稼働審査の開始に当たって「半年程度で結論を出したい」と語ったが審査は大幅に長引き、規制委員会のいわばさじ加減に電力会社は翻弄される状況が続いている。3月5日の関西電力との会合でも島崎委員長代理は「地震動の解析が不十分」と更なるプレッシャーをかけている。電力会社の担当者は「どこまで何をやればいいのかわからない」と云っている。北海道電力を例にとると、昨年7月に泊原発3号機の審査について「緊急時原子炉冷却装置」に予備配管がないという致命的問題が、通告されたのは実に審査開始後半年以上過ぎてからであった。配管工事は、数か月では終わらない。このため本年6月に再稼働を予定していた泊原発の運転は絶望的となった。この結果どうなったか、4月1日付け日経新聞一面トップ記事の通り、北電の債務超過を回避するため日本政策投資銀行は資本支援を行う事になったのである。また、関電の場合でも断層の場所が深いとか浅いとかで、全くらちが明かないのである。行きつ戻りつの審査はいい加減にして欲しいと電力会社は感じている。

第3節「先ずは民主党の置き土産である三条委員会の廃止を!」
規制委員会にも言い分があるのはわかるが、先ず安倍首相は独立性の高い3条委員会として、現状ではどこの官庁も手出しができないこの民主党の置き土産である規制委員会を何とかしないと原発の再稼働は遅々として進まず、毎日100億円の国富が燃料費として失われていく状況が続き、国益を損なっていくのである。皆さんは原子力規制員会の委員の面々が如何に尊大に、まるで電力会社を被告人のように扱っているかをご存知であろうか。田中委員長は自信がなく自主性に欠け、とても組織を束ねていける人物ではない。島崎委員長代理は、地震学者であるが、偏狭で弱い者いじめにしか見えない態度を電力会社にとり続けている。首相の英断に期待するところ大なるものがある。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年2月19日 金言(第20号)
『時代遅れの武器輸出三原則』

■第一章「武器輸出三原則」の辿った歴史
第1節「当初確立された時の武器輸出三原則」
戦後、我が国をおおう呪縛は幾つかあるが、未だその緩和が叫ばれながら、遅々として進まないのが武器輸出三原則である。この武器輸出三原則について、かならずしも十分に認識されていない方が多いと思うので、これについて簡単に触れると、この原則が確立したのは、昭和42年(1967年)当時の首相佐藤栄作氏の衆議院決算委員会における答弁によるもので、輸出貿易管理令における「武器輸出禁止規定」について@共産圏国家A国連決議により武器等の輸出が禁止されている国B国際紛争の当事国又はそのおそれのある国、地域に対する「武器」の輸出を認めないとした。ただ佐藤首相は「武器輸出を目的とした製造は行わないが、輸出貿易管理令の運用上差し支えないものについては、輸出することが出来るとし全く武器輸出を禁止したものではなかった。

第2節「同原則の強化の時代へ」
ところが、昭和51年(1976年)当時の首相三木武夫氏は佐藤首相の三原則に幾つかの項目を加えたのであった。即ち、@三原則対象地域については「武器」の輸出を一切認めない。A同地域以外の地域については憲法及外国為替、外国貿易管理法の精神に則り「武器」輸出を慎むものとする。B武器製造関連設備の輸出については「武器」に準じて取り扱うものとする。また、武器輸出三原則における「武器」の定義を軍隊が使用するものであって、かつ直接戦闘に使用されるものとした。さらに「本来的に火器などを搭載して、直接人を殺傷又は武力闘争の手段として、物の破壊を行う護衛艦、戦闘機、戦車など」としている。 ただ、武器輸出三原則によって武器の輸出は事実上禁止されているが、この事を直接規定した法律は存在しない。しかし、外国為替貿易法、輸出貿易管理令によって輸出許可品目名は規定されている。 三木首相が追加した項目では「武器輸出の禁止を慎む」との表現で「武器輸出の禁止」「一切しない」という表現はなかったので、この「慎む」とは国際紛争を助長させない場合は「慎む必要はない」という合意もなされていた。然し、その後の鈴木内閣の通産大臣であった田中六助氏が「原則として武器輸出は不可」と国会答弁して現在にいたっている。  そもそも三木氏の「慎む」田中氏の「輸出不可」は世界の現状からかけ離れたものである。三木氏はリベラルを旗印にしていたので、独自色を出したかったのであろうが、今となっては大変な禍根を残しているのではなかろうか。

第3節「時代遅れとなり、同原則の強化緩和の時代へ」
ところが、1983年(昭和58年)中曽根内閣の時に発表された「対米武器技術供与についての内閣官房長官談話」(アメリカ規定という)以降アメリカへの武器技術供与は例外とされ、武器輸出が認められている。また、それ以外でもテロ、海賊対策の場合は例外とされている。更に、平成17年(2005年)小泉内閣の時、アメリカの弾道ミサイル防衛システムの共同開発、生産については三原則の対象外となった。 ところが時代は変わり、あの鳩山内閣において当時の北沢防衛大臣は、武器輸出三原則の見直しを公然と要求し、「新防衛大綱」に反映されるかにみえたが、後任の菅直人前首相の腰砕けにより、先送りとなってしまった。しかし、野田前首相は三原則の緩和に就任当初から意欲を見せ「国際共同開発、共同生産への参加と人道目的装備品供与」を解禁するという官房長官談話を発表した。

■第二章「武器輸出三原則からの離陸こそ」
第1節「安倍首相が根本的見直しへ着手」
現安倍首相は、三原則の撤廃を含めて抜本的な見直しに着手している。大体武器輸出三原則は世界を取り巻く現状に照らして全く矛盾に満ちたものと云えよう。武器輸出三原則により原則輸出禁止であったにも拘わらず上記のアメリカ規定を含めて例外が増えているのはご承知のとおりである。すなわち、日本から技術供与が行われているアメリカはイラク戦争、アフガン戦争など「国際紛争当事国」であり、三原則は有名無実化している、その意味で三原則を根本から見直さなければならない時期にきているのである。アメリカとの技術協力以外でも、例外的にインドネシアに対して攻撃的な武器を装備していない事を理由に巡視艇が輸出された例もある。 最近新聞紙上を賑わせたのが韓国軍への弾薬供与である。これはPKOで南スーダンに派遣されている自衛隊が、同じく活動中の韓国軍の弾薬欠乏に対して、緊急避難的に弾薬を無償供与した件である。例によって、この行為は「武器輸出三原則」に違反すると反日的マスコミは大げさに取り上げた事を覚えておられる方も多いのではないか。

第2節「世界の流れである武器共同開発」
次に武器の国際共同開発の問題である。世界の大勢は開発費用のかかる武器の開発については、共同開発の方向に移行している。日本国内の防衛産業について触れると、自衛隊の装備の大半は国内開発、あるいはライセンス生産で、まかなう事になっているが、三原則により輸出は出来ない上、アメリカ以外との国際共同開発は、行われていないため生産量は限られている。当然価格的に高いものとなっている。世界で軍需産業を持つ国はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、イタリア、韓国、中国、カナダなどがあるが、日本の防衛、軍需産業は三原則によって世界の兵器開発とは隔絶されているので、この点全面的な輸出禁止は見直し、国益に沿った方向で検討していくべきである。

第3節「武器共同開発は国防という国益の為である」
冷戦終了後、防衛予算は減少する一方で、優秀な技術を保持しながら、生産量の減少で資金的に弱体化した中小企業の中には、生産体制を維持出来なくなり、撤退を余儀なくされるものが後をたたない。このように撤退による技術、生産基盤の喪失は我が国防衛力そのものを揺るがすおそれがある。アメリカの有力紙ウオールストリートジャーナルは「自国防衛産業の利益を粉砕する日本政府」と報道している。確かに殺傷力のある「武器輸出」はそれにより多数の人命を奪い、傷つけることは確かである。しかしながら、もし我が国が武器の輸出をしないなら、それにかわるものが、完全な平和が維持されない限り、上記のいずれかの国より輸出されるのである。 国際社会における国と国との関わり合いは、エゴイズムとエゴイズムとのぶつかり合いで、きれいごとごとでは済まされないことは自明の理である。我が国の国益を守るためには、ただ、「のほほん」と平和主義に徹して武器の輸出は行いませんで、済むものとは到底思えない。この事は憲法の前文や9条にいう平和主義の夢物語と全く相通じるものがある。

■第三章「自力開発への展望を」
第1節「次期戦闘機(FX)F35A導入の検証」
先ほどから、開発に莫大な費用を要する主要な武器は、国際共同開発の方向にあるとお話したが、一番卑近な問題として、次期戦闘機(FX)F35Aについてふれておこう。私は専門家でないので間違っているならばご指摘いただきたいと思うが、1970年から80年代にかけて主力戦闘機として導入されたF4EJファントムに代る新鋭機として、当初政府は最新鋭ステルス戦闘機F22ラプターの導入を目論んだが、F22は、約200機で生産中止となったため2011年FXには、F35Aを採用することに決定し、導入契約を結び,42機を手当することになったが、開発の遅れから配備計画が大幅に遅れる懸念が出てきている。 同機の主開発国はアメリカであるが、他にイギリス、オランダ、イタリア、カナダ、トルコ、オーストラリア、ノルーウエー、デンマークの諸国が共同開発国に名を連ねている。日本はこの共同開発に参加すべきであったが、武器輸出三原則に抵触するおそれがあるなどの国内問題から参加していない。したがって、当初はライセンス生産が出来るかどうかの懸念すらあったが、2013年安倍内閣はF35Aについては武器輸出三原則の例外とすることを明らかにしたため、三菱重工、IHI、三菱電機がライセンス生産に参画出来ることになった。

第2節「軍事費にも、経済性の追及が必要である」
問題は価格で、当初の計画から大幅に開発が遅れたため、開発費がかさみ、価格も大幅にアップしている。最近の報道によると42機の内最初に納入される2機については、機体価格が1機当たり140億円にもなっている。当初より共同開発計画に参画していれば、この価格はもっと違ったものとなったであろう。ここにも武器輸出三原則の影が及んでいる。日本政府も小刻みな手当より、まとめての導入をはかる方が機体価格を抑えられるとして、2014年から5年間の中期防衛整備計画では28機の導入を前倒しで図っている。

第3節「国際開発参加からさらに自主開発へのステップを」
いずれにしても今後の問題としては、積極的な国際開発への参加、あるいはそれに加えて当初国内開発を意図しながら、アメリカの横やりで共同開発になってしまったF2支援戦闘機に次ぐ、日本独自の戦闘機自主開発を大変困難なことではあるが、将来是非進めていくべきではないか。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)                                   

2014年2月4日 金言(第19号)
『二人のゾンビ小泉氏と細川氏』

■序章「「都知事選の椿事」
前職の猪瀬直樹知事の5000万円受領不祥事による辞任に伴う東京都知事選挙は、1月23日に公示された。選挙は2月9日に 行われる。候補届出者は16名にも及んでいるが、その中で一人特に目を引く人物がいる。第79代内閣総理大臣(1993〜1 994)の細川護煕氏である。今回彼は無所属で立候補し、しかも彼を全面バックアップするのが第87~89代総理大臣小泉純 一郎氏である。公約は原子力発電所の即時停止である。すでに首相をやめてから20年にもなる細川氏が、突然何故このような挙 に出たのか全くわからない。最近は陶芸家を気取り、細川氏のちょっとした茶碗に何十万円もの値段がついており、すっかり晴耕 雨読の生活を送っていたと思いきや、突然このように表舞台を目指してきたのには、矢張り、彼は俗物であったという思いを新た にするのである。かねがね多少焼物を勉強している小生から見て、彼の作る焼物は勿論アマチュアの作品であるが、俗気の抜けな い一種の衒いがあると感じていた。 その衒いが何処から来るのか、矢張り彼はもう一度表舞台に立ちたいという鬱屈とした気持 ちが焼物に反映していたのであろう。

■第一章「首相になるまでの細川氏の政治経歴」
第1節「熊本藩主後裔、33歳で参議院議員、45歳で熊本県知事へ」
最近表舞台に立つ機会のない細川氏の事を、ほとんどの人が思い出せないと思うので、簡単に氏の略歴に触れておこう。細川家は 、戦国大名細川忠興の後裔で明治までは熊本藩主であった。氏は、昭和13年生まれで上智大学卒業後朝日新聞社の記者を経て1 971年から2期参議院議員を務めたあと、熊本県知事を1983年から1991年まで2期務める。

第2節「53歳で、日本新党を率い中央政界へ本格進出」
知事辞任後は日本新党を結成してその代表に就任し、1992年参議院議員として中央政界に復帰する。さらに、1993年7月 の衆議院議員総選挙に参議院議員から鞍替え出馬して初当選をはたす。この選挙で、与党自民党は過半数を割り、野党第一党の社 会党が70議席と大幅に議席を減らす一方、自民党を離党した小沢一郎氏が実権を握る羽田派が結成した新生党、同じく武村正義 氏らの新党さきがけが100議席余りを獲得し、日本新党は35席を獲得した。新生党は素早く社会党、公明党、民社党、社会民 主連合、民主改革連合との各党派と連立政権を樹立することで合意、一方日本新党とさきがけは統一会派を結成して自民、非自民 双方に政治改革の実現を条件とする連立交渉に入った。

第3節「日本新党結党2年後55歳にして、小沢氏の画策もあり内閣総理大臣へ」
最終的には「細川首相」を提示した非自民側に凱歌があがり、細川を首班とする新政権が発足したのであった。これは新生党幹事 の小沢一郎氏の画策で、細川が政界再編成、新党運動の先駆者であり、かつ、彼のレッテル旧熊本藩主細川家の直系、また何よりも 元首相近衛文麿公爵の孫という重みが政治理念、政策手法いずれもバラバラな8党会派をまとめていくためには必要であると判断 したからであった。こうして、政治改革を最大の使命として掲げる細川連立内閣が誕生したのであるが、なかなか8党派からなる 体制をまとめていく事は、困難が予想され「8頭立ての馬車」とか「ガラス細工の連立」などと評された。

■第ニ章「細川内閣の顛末」
第1節「天の運だった自民党長期政権の崩壊」
すこし戻るが、当時の世論は、自民党長期政権下での政治腐敗、政、官、業の癒着や、金がかかり過ぎ政権交替が難しい選挙シス テムに対する不満が高まっていた。自民党も金がかからず政権交替を容易にする選挙制度や政治資金規正強化などの政治改革に取 り組んでいたのであるが、党内の守旧派と後の新生党やさきがけにつながる改革派に分れ、激しい対立を繰り返していた。結局改 革を実現できなかった宮沢内閣は内閣不信任案を突き付けられ、新生党、さきがけの離脱により衆議院で過半数を割り、総辞職の やむなきに至った。

第2節「混迷の政局下、政治改革四法成立実現は、彼の唯一の功績」
この後政治改革実現を一致点として発足した細川内閣であったが、選挙制度の改革には数々の利害がからみ、衆議院の小選挙区比 例代表制については、一致点を見出せず、一度は廃案となるが、最終的には小選挙区300名、比例代表(全国11ブロック) 200名、企業団体献金1団体50万円までとする妥協案が成立し、1994年改正公職選挙法及び改正資金改正法、政党助成法 などの政治改革4法が5年以上の年月を経てようやく成立した。この政治改革実現が細川内閣の唯一の実績となった。

第3節「性急な福祉税構想と佐川急便疑惑で、高転びの短命内閣へ」
政治改革法がまがりなりにも成立し、高い内閣支持率をそのまま維持した細川氏は、小沢一郎氏と当時大蔵事務次官であった斉藤次 郎氏にそそのかされ、消費税を福祉目的税に改め税率を3%から7%とする国民福祉税構想を突然発表する。これは、十分に関係 先に根回しが行われずに発表されたもので、与野党から反対の声が湧き起こり、白紙撤回に追い込まれたのであった。国民福祉税 発表の際、記者からその税率アップの根拠を聞かれた細川氏は「腰だめだ」と答え記者達を唖然とさせた事をよく覚えている。彼 の定見の無さを如実に表している。次いで、自民党は細川氏の佐川急便グループからの借入金問題を徹底的に追求し、明確な答え を出せない細川にいらだった野党は、予算審議拒否に打って出たため政権は立ち往生して、1994年(平成6年)4月25日に 総辞職した。わずか8か月の短命内閣であった。

■第三章「元首相細川・小泉連合は蓋しゾンビ連合」
第1節「細川は“新聞の見出し的”との父親の人物評」
このように細川氏は、非自民党内閣への転換を果たした功績はあったが、彼が首相になったのは、当時新生党の代表であった小沢 一郎氏の力によるところが大きい。小沢は、かつて自民党の総裁に海部俊樹氏を担ぎ首相としたが、その際「神輿に乗るのは軽い ほど良い」と云ったとか。細川も同様に判断し首相に担いだのであろう。大体、細川は1969年の衆議院総選挙に初めて立候補 し落選するのであるが、その際、父親の細川護貞氏は「そんなヤクザな道に入るのなら、家とは縁を切ってくれ、金を含めて今後 一切面倒はみない」と勘当を言い渡したといわれている。さらに父親は「彼は新聞の見出し的だと申しましょうか、表面だけ見て、 あとは感性で判断する傾向が強い」と云っていたそうで、要するに政治家としては、格好の良い見出しだけで、中味は空っぽとい うことで護貞氏は、彼の事をよく客観的に見ていたと思う。もう一つ彼についての評を書くと、かつて細川が政界に入ってまもな く石原慎太郎氏の指導を受けていたが、石原は、細川のことを「演説は全く下手で、草稿を書いてやった」さらに、演説会でたま には最初にやらせてくれとの事でやらせてみると「前回自分が演説したものと寸部違わぬもので、冗談までそっくりであった」即 ち、記憶力は抜群だが、全く自己の意見のない味のうすい人物なのであろう。今回小泉純一郎氏の尻馬に乗って、突然原発即時廃 止を旗印に、東京都知事選に名乗りをあげたのであるが、かっての首相として余りにもなさけない。政権を投げ出していった人、 しかも内閣総辞職の原因が佐川急便からの1億円の闇献金でこれに対する説明も十分になされていない事を考えると彼に表舞台に 再登場する資格があるとは思えない。細川の祖父の元首相近衛文麿氏は、一時は救世主のようにもてはやされ、期待された存在で あったが、軍部の圧力を跳ね返す事が出来ず、優柔不断な醜態をさらし、我が国を滅亡の淵に追い込んだ張本人の一人である。近 衛は上辺だけの人間で、細川はその資質を受け継いでいるのではないか。
第2節「細川元首相に悪乗りした小泉元首相」
私は、小泉純一郎氏が昨年の夏ごろから急に原発即廃止を声高に唱え出したので、おかしいなあと思っていたが、結果として、今 回の東京都知事選に細川氏を担ぎ出す布石になった事は誠に遺憾に思っている。小泉が首相を務めていたのは最近の事なので、簡 単に彼の事を触れておく。1942年まれであるから、まだ72才である。2001年4月の自民党総裁選で、予想に反し最大派 閥の橋本龍太郎氏を破り当選した。当時の政界は閉塞状態に陥っており、小泉は、これを打破するため大衆が渇望していた格好の 人物であった。彼の政権は、2001年4月26日から同6年9月26日まで続くのであるが、実際のところ彼の功績については 未だ総括されていない。5年半に及ぶ小泉政権の功績といえば北朝鮮を2回にわたり訪問して拉致被害者問題を前進させた事、米 国ブッシュ大統領と良好な関係を築き自衛隊の初の海外派兵を実現した事、そして郵政民営化を実現させた事、靖国神社参拝を行 った事などであるが、看板の「聖域なき構造改革」は不良債権の処理、財政改革と非効率な公共事業削減が主な内容であったが、 効率追求に重きをおいた結果、社会格差を生んだ事は否定できなのではないか。また需要不足によるデフレも小泉時代に端を発し ているのではないか。また就任時から消費税の値上げを封印し、財政再建には十分寄与していなかった。一方エネルギー政策にお いては、資源燃料確保戦略を強化して安定供給を確保し、また安全確保を大前提として原子力の推進(原子力を基幹電源とする) がうたわれており、原発廃止とは云っていない。このような背景を持つ小泉氏が、細川氏を神輿に祭り上げ、原発即廃止の1点を 掲げ東京都知事選挙に乗りだしたのである。
第3節「元首相二人で的外れの公約を掲げる都知事選挙」
国政選挙において、エネルギー政策の是非が戦われるのは納得出来るが、いかに電力の大消費地である東京都知事の選挙も所詮地 方選挙に過ぎない。これを選挙の一番の争点とすることは全く行き過ぎではなかろうか?エネルギー政策は国政における最重要課 題であるから、もしそれをやりたいのなら小泉氏も細川氏も、もう一度国政に復帰するのが筋であろう。今東京都では、少子高齢 者対策が喫緊の課題であって、具体的には「介護施設の整備、充実」「託児所などの待機児童問題の改善」その他「物価の安定や 食品の安全など都民生活の防衛」「直下型地震への防衛対策」の4本が手をつけなければならない大きな柱となっている。当然こ れら都民の生活に直結した課題が、争点になるべきなのに、小泉人気をバックに原発即廃止の1点を訴える細川氏は的外れではな いかと思う。二人のゾンビの再登場には、正直いって胸が悪くなる。最後にもう一つ先にも触れた「佐川急便1億円借入れ問題」 であるが、これが8か月の短命内閣に終わった原因であった。先般前知事の猪瀬氏が徳洲会から5000万円受領して、それにつ いて十分な説明が出来なかったため知事を辞職したのであるが、細川氏は20年前ではあるが1億円の闇献金を受け、その使途が 十分説明されぬままで総辞職せざるをえなかった。いやしくも、元首相が東京都知事選に出馬するならば、遡ってこの借入問題を クリヤーにしない限り選挙に出る資格はないと思うが、如何であろうか。
■終章 「原発問題は優れて国政問題である」
最後に、1月27日に発表された平成25年の国の貿易赤字は11.4兆円と過去最大を記録した。これは原子力発電所の停止に よる火力発電用燃料即ち液化天然ガスや原油などのエネルギー関連の輸入が激増し、加えてドルに対して約2割円安になったこと が原因である。これらの合計は3.8兆円にもなっている。このように貿易立国の屋台骨を揺るがすような現状で当面原発即停止 などとは夢物語にすぎない。小泉氏は原発再稼働に伴う 核のゴミ処理が問題というが、過去からのゴミが積みあがっていること はご承知のはずである。それは過去からの(自分もタッチした)エネルギー政策のつけである。もう一つ付け加えるならば、原発 停止による二酸化炭素増加の問題をどうするのか。国際社会において日本はいい加減だという声があがってくるのではなかろうか。

            ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

武藤会長「金言」

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