ホーム > 國民會館について> 武藤会長「金言」

                     

武藤会長「金言」

2015年12月22日 金言(第41号)
『高速増殖炉「もんじゅ」の漂流』

■序章「原子力規制委員会の異例の勧告を考える」

   11月13日原子力規制委員会(以下規制委員会)は、所管部署の文部科学省に対して、1兆円以上を投じながら20年間ほとんど動かず、現在停止中の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」について、安全管理上の不備が、再三の指摘にも係らず改善されないとして、現在の運転組織原子力研究開発機構(以下原子力機構)は、その運営主体としては不適格として、また文部科学省の対応も適切でないとして、半年以内に「もんじゅ」を安全に運転する能力のある別組織に交替を求める勧告を行った。さらに、仮に代わりの運営主体を見つけるのが、難しい場合は安全上のリスクという観点から「もんじゅ」そのもの有り方を抜本的に見直すとしている。ただ、これは異例ともいえる勧告ではなかろうか。何故なら後ほど詳しく述べるが「もんじゅ」は国の「核燃料サイクル」を担う中核となる特殊な原子炉であるため、移管先を見つけるのは至難の技であるからである。云いかえればこの勧告は事実上の「廃炉勧告」と云ってよい。規制委員会が2012年の発足以来、初めての勧告に踏み切ったのは、ここ数年繰り返されてきた例えば「もんじゅ」でおきた1万点を超す機器の点検漏れをはじめとする杜撰な安全管理について、原子力機構には当事者能力なしと見限った結果であろう。

■第一章「原子力利用における「核燃料サイクル」の重要性」

第1節「中核を担う高速増殖炉」
   それでは「もんじゅ」とは何か、及びこの研究用原子炉の存在の基である「核燃料サイクル」について説明したいと思う。「核燃料サイクル」とは、原子力発電所の原子炉で使用した核燃料からウランとプルトニウムを取り出し、再利用する政策である。資源の乏しい我が国にあっては、資源の有効活用を図るという目的から、半世紀以上前からこの導入に取り組んできた。もう少し詳しく述べると、軽水炉から取り出される核燃料には、「燃えないウラン」であるウラン238とプルトニウムと僅かではあるが核分裂性のあるウラン235など、各種の核分裂生成物が含まれる。このプルトニウムやウラン235を取り出し核燃料として再利用すれば、単に廃棄処分することに比べて多くのエネルギーを産出できるわけである。また、ウランやプルトニウムを取り出すことになるため、放射性物質が減少し、廃棄物の量も減少する。このようにして取り出されたプルトニウム、ウラン混合酸化物をMOX燃料というのであるが、これを使用して消費した量以上の燃料を生み出すことの出来る高速増殖炉の実用化を目指して、最初に創られた高速実験炉「常陽」を経てつくられたのがこの原型炉「もんじゅ」である。
第2節「基本技術の未確立による事故相次ぎ操業停止へ」
   この「もんじゅ」は、効率の高い高速増殖炉として核燃料サイクルの中核施設になる筈であったが、1985年10月に着工以来の、その歴史を繙くとトラブル連続で、未だに運転の目処がたっていないのである。一応着工後1991年5月に試運転を開始し、1994年4月に核分裂が連続して起こる「臨界」に達し、1995年8月に発送電を開始した。ところが同年12月に冷却材であるナトリウム漏洩火災事故を起こしてしまう。「もんじゅ」の冷却材である金属ナトリウムは空気中の酸素に触れると自然に発火するため、取扱いに当たっては細心の注意を要する。それにも拘わらず二次冷却系で温度計の破損により、金属ナトリウムが漏れ、火災が起こる
。事故自体は国際原子力事象の尺度においてレベル1と判断され、致命的なものではなかった。しかし事故への対応の遅れ、当時「もんじゅ」を管轄していた動力炉、核燃料開発事業団(動燃)の事故隠しなどが、表沙汰になり、批判を浴びたのであった。このように中核となる「もんじゅ」の頓挫により核燃料サイクルは停滞を余儀なくされたのであった。
第3節「組織大編成後も続いた事故により操業殆ど出来ず」
   このように動燃の隠ぺい体質が問題化して、1998年10月に核燃料サイクル開発機構が発足さらに、特殊法人改革で核燃機構が核融合などを研究していた日本原子力研究所と統合して常勤職員3700名、予算195
0億円という巨大な日本原子力研究開発機構となった。停滞気味の組織にも原発の運転経験豊富な電力会社や文科省などから優秀な人材を迎え、組織改革も行われ、「もんじゅ」に携わる320名のうち4割は外部から迎え入れた人材であった。このように組織的にも梃入れして、その後 、運転再開のための本体工事が2007年に完了し、2010年5月に2年後の本格運転をめざし約14年ぶりに運転を再開したのであったが、2010年8月運転中に燃料交換装置の部品を炉内に転落させるという事故を起こし、その取り出しに難航し、2012年に稼働の予定であったが、2015年夏の時点で未だに稼働していない。2012年11月約1万点の機器の点検漏れが発覚し、規制委員会は、2013年5月事実上の運転禁止命令を正式に決定した。一方、2014年4月政府はエネルギー基本計画を閣議決定して、「もんじゅ」の存続を決定している。本年9月になって「もんじゅ
」における機器についての重要度分類に間違いがあることがわかり、ついに、規制委員会の文科省に対する原子力機構の交替を促す「勧告」となったのである。

■第二章「エネルギー政策における原子力の重要性認識を」

第1節「高速増殖炉の挫折は許されず」
   さて話は前後するが、問題となっている核燃料サイクルの仕組みを簡単に説明すると次の通りとなる。一つは原子力発電所の軽水炉から出た使用済み核燃料を再処理工場で、まだ使えるウランやプルトニウムを取り出し、前出のウラン、プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工して、再利用する政策であるが、その中核となるのが、高速増殖炉で、これは、ここでMOXを使うことによって消費した以上の核燃料を生み出せるため「夢の原子炉」と云われてきた。勿論原子力先進国は、こぞって、この炉の実用化に取り組んだが、技術的に幾多の困難を伴っていた為、最後まで努力したフランスを最後に日本以外は全ての国が撤退した。もう一つは、プルサーマルといわれる方式で、通常の原子力発電所の軽水炉でMOXを消費する方法であるが、高速増殖炉に比べればプルトニウムの消費が格段に少なく、かつ核燃料の再使用効率も低く、核燃料サイクルが目指す理想を達成することは難しい。政府は、軽水炉で燃料の一部を再利用するプルサーマル方式と高速増殖炉を両輪として、原発で生じたプルトニュウムを燃料として利用することを目指していたのであるが、「もんじゅ」の運転不能から計画は挫絶しつつある。
第2節「原子力の平和利用にブレーキも」
   報道によれば現在国内で貯蔵されている使用済み核燃料は約17000トンという膨大な量となっており、その処理について、政府は頭を悩ましている。加えて、これは重大な問題なのであるが、「もんじゅ」の行方は国際問題に発展しかねないことである。このことに詳しく触れると、日本は世界の原子力利用国の中で、特異で微妙な立場にある。というのは、我が国は、国内で再処理を認められている、唯一の核兵器非保有国である。確かに、日本政府は国際社会に認められるために、平和的な意図を示すために多大な努力を積み重ねてきた。日本は過大なプルトニウムを製造せず、国際的に承認された国際原子力機関(IAEA)のガイドラインを遵守し、その査察措置を文句なしに受け入れてきており、模範的な態度であると評価されている。しかし、今後数年以内に原子力発電所の運転が増え、日本のプルトニウムの保有が再処理を進める事によって急速に増加するであろうという重大な問題がある。もし「もんじゅ」が稼働せず、将来廃炉というようなことになり、日本がプルトニウムを利用するための有力手段を失えば、諸外国より余剰プルトニウムの核兵器への転用を疑われる懸念がある。
第3節「巨額の投資をした核サイクル設備の挫折は許されず」
   我が国が保有するプルトニウムは約47トンでその4分の3は分離処理を請け負った英国とフランスにおかれている。何回もいうようだが、プルサーマルだけではとても処理が追いつかない。日本は、先に述べた様に使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、再処理できる唯一の非核保有国である。そしてこれを認める日米原子力協定が2018年に期限を迎える。「もんじゅ」が稼働出来ないというようなプルトニュウム処理計画が難航すると、米国から再処理する特権が認められなくなり、核燃料サイクルそのものが破たんするおそれがある。現実の問題として、韓国は米国に対し、どうして日本には再処理が認められ、韓国には認められないのかと執拗に迫っている。さて、今回「勧告」を受けた「もんじゅ」の実態をもう少しくわしく調べてみると「もんじゅ」は1995年8月に発送電以降同年の12月のナトリウム漏れ火災事故、2010年8月の燃料交換装置の落下事故、などでこの20年間に発電したのは、日数換算は僅か37日間で、フル運転したことがないので20年間の実績は平均年0.2%である。それに対して費用の方をみると
  •           1、 建設費       5860億円
  •           2、 運転維持費     3987億円
  •           3、 人件費        533億円
  •           4、 固定資産税      412億円
  •           5、 RETF費用     835億円
           (リサイクル機器試験施設 「もんじゅ」の使用済み核燃料を
                 再処理して、プルトニュウムを取り出す施設)
  •           6、 その他          76億円
                          合計            1兆1703億円
           停止中の現在でも年間220億円以上の費用がかかっている。

    ■第三章「原子力行政の中核、原子力規制委員会の資格を問う」

    第1節「権威を振りかざす原子力規制委員会」
       さて、政府は「運営主体変更」「期限は半年間」という最後通牒を規制委員会から突き付けられた訳であるが
    、しかしながら「もんじゅ」は何回も触れているように、この原子炉は冷却材として、空気や水に触れると爆発するおそれのある液体ナトリウムを使用しており、この取り扱いの難しさ故、原子力先進国は、すべて高速増殖炉計画から撤退したのである。ナトリウムを扱った経験を持つのは国内においては現在の原子力機構しかない。それ故に、規制委員会の要求する半年の期限内に技術面や能力面双方を充たす代替機関を見つける事は至難の技といわねばならない。私が、規制委員会に不信感を持つのは、規制委員会の田中委員長と更田委員は、旧原子力委員会の出身、伴委員は旧動燃に所属しており原子力機構にとっては3氏ともOBでいわば「もと身内」である。彼等は「もんじゅ」が火災事故発生後の問題やトラブルに際して、その解決にいろいろと関与してきた筈である。それだけに云い方は悪いが、これは権威を振りかざして解決を迫るやり方で私は強い抵抗感を覚える。 確かに、この20年間の「もんじゅ」の在り方については、全く問題外の状況が続き、何ら問題の解決が計られていない。問題が起こるたびに原子力機構としては、改善を実施してきた筈であるが、本質は変わらなかった。今回の「勧告」は過去の経緯や運営の内容を知る委員達による最後通牒なのであろうが、委員長を始め現在の運営母体原子力機構に代わる機関が、存在しないことを一番熟知している5名の委員達が「半年以内にそれを見つけろ」、「看板の架け替えは許さない」という「勧告」は頭から「廃炉」にすべきと云っているのに等しい。
    第2節「巨額の国費を科学立国の総力で活かすべきである」
       先に述べた様に「もんじゅ」には約1兆2千億円という巨額な国費が投じられている。原子力先進各国が、どうにも手に負えないとして、匙を投げたナトリウム冷却材の取り扱いの解決に、我が国の総力をあげて邁進すべきなのではないか。そこに科学立国としての、我が国の価値があるのではないかと私は強く思う。11月13日に規制委員会の田中委員長から「勧告」を受け取った馳文科相は辞を低くして「今後の取り組みに、助言、指導を頂きたい」と呼びかけたが、その後の記者会見で委員長は「勧告を出して、自ら答えは出せない」と今後新組織の検討に参加する考えのないことを強調した。いわば「失態続きの貴様たち」が自分達で考えろという突き離しである。無責任と私は思う。
    第3節「原子力を否定しようとしている原子力規制委員会」
       大体規制委員会は、原発再稼働についても、なにかと難癖、特に活断層についてことさら大きく言い立て、再稼働を遅らせ国益に反する行為をしてきた。そんなことを考えている時、12月の11日から全国紙に桜井よしこ氏の主宰する「国家基本問題研究所」の「原子力政策を決めるのは政府です。規制委員会ではありません」という意見広告が掲載された。また桜井氏は産経新聞において、同趣旨の寄稿をしている。私も、前に「金言」で述べたことがあるが、現在の規制委員会はかっての民主党菅直人政権の独断と偏見によりつくられた置き土産で、委員会の存在は公正取引委員会と同様「国家行政組織法」の3条機関として設置されたもので、総理大臣の権限が直接及ばない。それだけの権限が与えられているのであるから、委員会に対しては「中立公正」「透明性」が求められる。しかし、実態は日本に原子力発電所は必要ないという方向に持って行こうとしているとしか考えられないのが、規制委員会の実態である。最近の動きでも、日本原電敦賀原発2号機の安全審査でも、一方的に敷地内の破砕帯を活断層として、反対論を頭から門前払いした。これには敦賀市長も公正な議論をするよう規制委員会に申し立てている。今回の「勧告」についても同市長は「規制委員会の適切な指導があれば、このような事態にはならなかったのではないか」、西川福井県知事も「これまでの助言に親切さが欠けていた」といっている。活断層についての審査については、最近東京電力柏崎刈羽4号機の海沿いの堤防近くに活断層ありとして騒いでいるようだ。

    ■終章「特権意識に居座る原子力委員会の正常化を」

      最後になるが、現在の規制委員会は2030年代に原発を全廃しようとする民主党菅政権が考えだしたもので
    あるが、残念ながら国会で承認されたのは自民党政権に戻ってきてからである。結果として今回「もんじゅ」を廃炉にして国の基本的な原子力政策を変えようとしているのが現状である、たとえ3条委員会であっても独断専行は絶対に許されない、政府は、規制委員会が設置法に基づいて正しく機能しているかを検証する義務があると思うが、どうであろう。いずれにしても、原発稼働によるエネルギーは目標である総エネルギーの20%以上は必要である。そのことは、先般パリで行われた気候変動枠組条約(COP21)で日本は、CO2の排出量を30年に13年比26%減という高い目標が課されていることからも是非達成しなければならない。そのためにも我が国は、特権意識にこり固まった現在の規制委員会をまともなものにしなければならない。


                ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年11月17日 金言(第40号)
    『消費税増税における軽減税率導入のおろかさ』

    ■はじめに

       2014年4月1日から消費税は8%となり、実に17年振りに引き上げられた。さらに、2015年10月から2%上昇させ10%となることが法律で定められたのであるが、8%への増税後の経済情勢が思わしくなく、安倍首相は、再増税すれば内閣の看板である「デフレからの脱却」が遠のくとして「景気条項」を削除して、10%への引き上げを2017年4月まで1年半先送りすることにした。そして衆議院を解散して、あらためて同氏に対する信を問うた事は、皆さんご存知の通りである。安倍首相の思惑通り自民党は選挙に大勝して、目下衆議院は盤石の態勢にある。さて、今のところ、景気は流動的で本当に2017年4月に更なる2%の増税を実行することが可能かどうかには疑問の残るところであるが、今回は「景気条項」は付けられておらず、首相も大震災やリーマンショックの再来が無い限り、増税を行うと云っているので10%への増税は実現するであろう。

    ■第一章「軽減税率導入論」

    第1節「軽卒に躍り出た逆進性議論」
       ところで、政府、与党は消費税率10%への引き上げと同時に、生活必需品などの税率を低く抑える軽減税率の導入を図っている。これは低所得者の税負担を緩和することが目的である。特に与党の公明党は、軽減税率の実現を選挙公約に掲げており、大変熱心にこれに取り組んでいる。公明党がしきりに主張するのは、消費税は年収や資産に係らず国民全体に同じ税率がかかるから、収入に占める食料品の支出の割合が高い低所得者ほど税負担が増す「逆進性」が存在するので、これを緩和すべきであると主張しているのである。政府、自民党もこの「逆進性」を否定しているわけではなく、増税で負担が重くなれば、消費が鈍化する怖れがあるため軽減税率を無視しているわけではない。
    第2節「本筋である税と社会保障の一体改革を忘れた議論」
       しかしながら2012年の野田政権における民主党と自民党、公明党による「社会保障と税の一体改革」に関する三党間の合意においては、5%の消費税を段階的に10%に引き上げる一方、消費税率の引き上げに当たっては、「社会保障と税の一体改革」を行うため社会保障制度の改革を総合的かつ集中的に進める事をうたっている。これを要約すると、消費税の引き上げに伴う税収を社会保障改革の為に全額費消することである。消費税を1%引き上げる事により得られる税収は、約2兆7千億円といわれている。という事は、年々高まる社会保障費を、消費税を上げることにより補填して、危機的な国家財政に梃入れしていくことが、税と社会保障の一体改革の本旨と考えるのであるが、如何であろうか。
    第3節「逆進性理論の落とし穴」
    (高所得者ほど恩恵)それにも拘わらず、政府、与党特に公明党の主張を入れた「逆進性」を抑制するための軽減税率の実現を図ろうとしている。すなわち、消費税率10%の時点で食料品の税率を8%に据え置く方向に動いているようである。したがって、これが実現するならば買い物をする人にとっては、税負担が抑えられ、消費も一定のレベルを保つことが出来る事は否定できない。ただ、一方で次のような問題があることについて、案外一般には知られていない。すなわち、軽減税率は低所得者以外にも恩恵が及ぶことである。財務省の試算によると公明党が主張する「酒類を除く飲食料品」の税率を8%に据え置いた場合平均年収176万円の低所得者世帯の軽減額はわずか年8470円に留まるが、一方高級な食材を消費することの多い年収1077万円の高所得世帯は19750円とおよそ低所得世帯の2倍超の恩恵があるとのことである。これでは何のための低減税率かわからないのではないか。このため、制度の具体化を検討している自民党の税制調査会は、このように高所得者への恩恵が大きくなることから対象品目の拡大には慎重である。これに対して公明党は、2014年に税率を3%引き上げた際、消費が落ち込んだ経験から幅広い品目を対象にすべきであると主張している。
    (対象品目の線引きがポイント)食料品などの消費税率を低くする「軽減税率」の最大の問題は、対象品目をどのようにするかという線引きの問題につきる。当然対象が多いと消費税収の目減り額が増加し、少なければ消費者の負担軽減効果が薄くなる。財務省の試算によると、対象品目と軽減税額の関係は次の通りである。
                    対象品目                    税率2%軽減時の税収減の額
               1、全ての食料品          1兆3800億円
           2、上記より酒類を除く       1兆3200億円
               3、酒類、外食を除く        1兆 200億円
           4、酒類、外食、菓子類を除く      9000億円
           5、酒類、外食、菓子類、飲料を除く   8200億円
           6、生鮮食品              3400億円
           7、米、味噌、醤油            400億円
           8、精米                 400億円
    (合理的かつ賢明な線引きが必要)公明党は、酒類を除く全ての飲食料品を対象にすべきと主張しているが、論外な議論であろう。 現在政府、自民党が考えているのは軽減税率導入に伴う税収減の穴を埋めるための財源として考えているのは、消費増税に合わせて社会保障充実として予定していた「総合合算制度」の導入見送りにより4000億円をようやく確保するに止まっている。上記の数字を参照して頂きたいのであるが、この範囲で対象品目を当てはめると「精米」プラス「生鮮食品」だけになってしまう。財務省の試算によると「精米」だけに絞ると線引きは単純明快だが、軽減税率を適用しても年収251万円までの低所得者世帯の負担軽減額はたつたの年290円とのことで、これでは負担軽減の実感は全くといってよいほど感じられないのである。一方「生鮮食品」に適用すると同じケースで負担軽減額は2325円とやや増えるのであるが、問題は先にも述べた様に生鮮食品の線引きと云う誠に厄介な問題が存在している。食品表示法の規定では単品であれば生鮮、2種類以上の組み合わせは加工品になるという難解な規定となっている。したがって「牛や豚のひき肉」は生鮮食品であるが「合いびき肉」は加工食品となる。現在政府、与党は軽減税率の対象を「生鮮食品」プラス「一部の加工食品」で検討しているようだが大変難しいのではないか。

    ■第二章「重要な消費税経理処理方式」

    第1節「インボイス方式が本筋」
       次に大問題となるのは、軽減税率を導入すると2つの税率の商品が混じるため事業者の経理方式が煩雑になることである。すなわち、商品ごとに、どちらの税率を適用するかどうかを区分して納税額を計算する仕組みを規定しないと、正確な納税額を計算出来ないことになる。加えて前々から問題となっている税率の差を悪用して、本来納めるべき消費税を事業者の手元に残して、懐に入れる「益税」や脱税が増加する心配がある。これらを防ぐためには欧州で採用されている納税額を正確に把握でき、不正を防止出来る、具体的には商品ごとの税率や税額を記した明細書であるインボイスの発行を販売業者に義務付ける制度の採用が必要となる。
    第2節「但し時間のかかるインボイス方式の導入」
       しかし、中小零細事業者は、経理システムの変更やコストの増加などを理由に反対している。欧州では、この方式が当り前になっており、先般テレビで見た欧州の小売業者などの実態もITとの組み合わせでそんなに難しいものではないように思われた。要は財務省の指導力の問題と思うが如何であろうか。インボイスの導入には1年半は必要で、消費税が10%となる2017年4月には間に合わないという事であるが、これは主管官庁の財務省がもっと早く研究して、手を打っておくべきではなかったのか。財務省の本音は軽減税率は不要という立場であるから、致し方ないのかもしれない。しかし、現在でも「益税」を懐にしている不正な業者が存在するのであるから、インボイスの問題にもっと真剣に財務省は、取り組むべきかと考える。
    第3節「移行期間中は益税を最小にしつつの便法は致し方なし」
       いずれにしても、インボイスは間に合わないようなので、与党は、インボイスを数年後に導入することで合意し、移行期間は、簡単な方法で間に合わせる考えのようである。具体的には、公明党は、しばらくは現行の請求書を使用して軽減品目に印を付ける方法を提案している。一方自民党は,売り上げの総額から税額を計算する「みなし課税」すなわち、売り上げの軽減税率の対象品目の売り上げ推定から納税額を計算し、事務処理を簡単にする仕組みを含めて、より簡素な方法を主張している。しかしながら、公明党案は通常税率か軽減税率かを区別するのに手間がかかるだけではなく、ミスや不正を見つけにくい。「みなし課税」ではとても正確な納税は難しく、消費税が事業者の手元に残る「益税」が増える心配がある。11月12日の日経の報道によれば、与党は「みなし課税」を認める対象を売上高5000万円以下の事業者とする方向で検討に入ったと報じているが、与党は、この方式では「益税」が残るので出来うる限り対象を絞ると報じているが、これは当然のことであるにもかかわらず反対に対象を拡大すべきという声もあり、このような事は許されるべきではない。「何をか言わんや」である。

    ■第三章「本丸は財政再建にあり」

    第1節「今回の消費増税額の使途」
       以上が2017年4月の消費税2%増税に関する軽減税率導入のあらましである。政府は、先程も触れた様に平成24年に決定した「社会保障と税の一体改革」により消費税増税による増収分全額を医療や年金、介護などの社会保障制度の財源に充足すると規定しており、昨年4月に消費税は5%から8%となり、2017年4月にはさらに2%引き上げられることが決定しており、安倍首相は「景気条項」をはずして正に背水の陣を布いた。昨年と再来年の合計(5%)の消費税増収分約14兆円の使途は全て決まっている。この事は案外国民には徹底していない。念のためその内訳をみると
  •    @ 社会保障の充実                          3.6兆円
  •    A「借金で社会保障を補う」いわゆる「つけ回し」の圧縮       7.3兆円
  •    B 基礎年金の国庫負担充実                      3.2兆円
                                     合計14.1兆円
    第2節「危機的財政状態を忘れる勿れ」
       さて,一方我が国の借金は、周知のとおり先進国では、最悪の1千兆円強である。当然消費税率10%時に、財源の目安がつかないまま軽減税率を導入すれば、財政状態は更に悪化することは必定である。自民党は前々から今回のアベノミクスをふくめて財政再建と経済再生の両方を推進している。したがって、公明党の首唱する軽減税率については安倍首相も財務省も本音のところでは反対であろう。
    第3節「財政再建に反する軽減税率は許されない」
       よしんば、軽減税率が導入されても「社会保障と税の一体改革」の範囲内で財源を捻出すべきであると考えている。具体的には、先に述べた様に医療や介護の低所得者対策「総合合算制度」の新設を見送り、その財源4000億円を軽減税率にあてることが一杯一杯と考えている。当然対象品目を出来うる限り絞るという考えである。これに対して公明党は、より多くの品目を軽減税率の対象とすべきであると、最近やや軟化はしたが、主張している。

    ■終章「私の主張」

    第1節「軽減税率は必要なし」
      今回公明党が声を大にして叫ぶ軽減税率は、今回の消費税増税に当たって必要はないと考えている。その理由は、我が国の消費税は2017年にようやく10%になる。参考までに主要国の消費税標準税率と軽減税率は下記の通りである。
  •   @ イギリス  標準税率17.5%  軽減税率5.0%(光熱費)食料品非課税
  •   A ドイツ       19.0%      7.0%(食料品)
  •   B フランス      19.6%      5.5%(食料品)
                                   2.2%(新聞)
  •   C スウエーデン    25.0%      6.0%(新聞他)
                            12.0%(飲食料品)
  •   D イタリア      20.0%      4.0%(食料品他)
                            10.0%(電気、ガス)
  •   E スペイン        16.0%          4.0%(生活必需品他)
                                     7.0%(食料品)
      以上のような先進国の実態を見ると、国家財政の窮迫状況から考えるならば我が国の現在の8%、2017年での10%という税率は極めて低い税率といえる。このままの情勢が進む限り、消費税の更なる上昇は避けられないであろう。 次回の5%の増税(多分そうなるであろう)の際までに不公正な益税を生む納税方法をインボイス方式に抜本的に変革しておかなければならない。勿論今回の増税において仮に軽減税率がなかったとしても益税の生じる現在の方式は改めなければならない。
    第2節「その代り総合合算制度の導入を」
      私は今回の増税にあたり、軽減税率導入に疑問を持つのは勿論課税の範囲にもよるのであるが、上記のような低所得者層に対する還元が少なく、むしろ高所得者への還元が多いというような軽減税率は実施しないほうが良いと思う。私が日頃から不審に思っているのは、確かに消費税は、低所得者層に対して逆進性を生むことは明らかであるが、消費税そのものについては、高所得者の方が価格の張るものを低所得者層に較べて大量に購入するから、消費税そのものの支払いは多い筈である。そうであるならば逆進性そのものだけを声高に叫ぶのは如何なものであろうか。ましてや、上述のとおり軽減税率を設けても金額において高所得者層が有利になるとしたら、逆進性の解消にはつながらないのではないか。従って低所得者層に対する違った手当を考えるべきなのではないかと思うのである。私は不勉強のためその内容にうといのであるが、今回軽減税率導入のため日の目を見ないのではないかと思われる「消費増税」に合わせて考えられていた「総合合算制度」のような制度こそ逆進性の解消に資するものと考える。
    第3節「公明党は大乗的見地と国家観を」
       最後になるが、公明党は与党である以上もっと大乗的見地から物事を主張すべきではないか。今回「生鮮食品」プラスαで対象が決まった場合わずかな不公平感の解消に止まると思う。弱者の味方を標榜することは大変結構なことであるが、そこには選挙目当ての思惑を感じるのは私だけであろうか。我が国財政の危機的な状況はよくわかっている筈である、目先の策を弄するより今回は「社会保障と税の一体改革」の原点に戻り、軽減税率は次回からにしては如何であろうか。どうしても「軽減税率」にこだわるならば、今回は「精米」だけにして「総合合算制度」を復活させる方が弱者の救済になると思っている。 最後の最後にもう一つ付け加えると、公明党の体質には疑問を呈さざるを得ない。弱者の側に立つ、平和の党などスローガンは大変結構であるが大衆迎合いわゆるポピュリズムに堕しているのではないか。その例がかつての子供手当であり、今回の軽減税率の対象拡大である。これらは国家の現状を直視しないばらまきとしか思えない。公明党が自民党との連立に参加して早15年を経過しており、公明党は与党の居心地の良さをまさに満喫しているのではないかと思う。 しかし、与党であるからにはもっと国家観にたった態度を示してほしい。所詮基本母体が創価学会であるから自由に振る舞えないのでは寂しいではないか。 正直いって自民党も公明党の選挙協力に期待しているのであって、それだけでは、公明党の存在意義は薄いと思う。


                ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年10月21日 金言(第39号)
    『我が国は日本独自の経営を貫け』

    ■はじめに

       ここ数年来、株式会社の経営については、すっかり欧米流、特にアメリカのやり方が正しいものであるという認識がしみついてしまって、肝心の日本的経営の良さがすっかり失われつつあるのではないかと、憂うるものである。そこで、今回はこのテーマを取り上げる事にした。初めに話題を通り越して大問題となっている企業が、ヨーロッパと日本にある。云わずと知れた一つは、フォルクスワーゲン(以下VW)、もう片方は東芝である。

    ■第一章「世界企業フォルクスワーゲンの信用失墜」

    第1節「排気ガス発生を隠ぺいして燃費効率を喧伝した大罪」
       ドイツにおいては、日本、アメリカと違い、取締役会の役割としてその権限を監査役会と執行役会の二つの機関に分けており、しかも監査役会の権限が強いので、我が国とはガバナンスが大きく相違する。さて、今回のVWの不祥事は、排気ガスのデータをコンピューターソフトの操作により誤魔化すという詐欺的な行為である。これはVWが日本の独壇場であるエンジンをモーターと蓄電池で補助するハイブリッド方式の開発で、トヨタ自動車などに大きく遅れをとり、このため、今回の排気ガス不正が発覚するまでは燃費に優れているディーゼル車をエコカーの中心に据える一方、EV(電気自動車)に徐々に移行する戦略をとっていた事に由来する。大体私は、前々からVWは、燃費と二酸化炭素(CO2)の排出が少ないという点では優れているが、窒素酸化物(NOX)の排出の大きいディーゼルに、どうしてこれほどまでに、こだわるのかと思っていた。最近日本のマツダが新たにクリーンディーゼルを開発しているが、今回VWのディーゼルの正体は、まやかしであったことが、青天のもとに暴露されたのであった。
    第2節「大株主創業者一族に働かなかったコーポレートガバナンス」
       VWの経営については、また改めて書くチャンスもあると思うが、この会社は元々ヒットラーの特命を受け「国民車フォルクスワーゲン」を開発したフェルジナンド・ポルシェ博士が創った国策会社であり、ドイツ商法に則った監査役会を頂点とするガバナンスをとっていたが、創業者一族が株式の51%を握り、一般の株主は12%しかいないという特殊な会社で創業者一族の力が強く、その上最近ではポルシェ一族の中で経営を巡る争いがあった。すなわち創業者の孫で女系の傍流ではあるが、フェルジナンド・ピエヒが22年に亘り社長、会長さらに監査役会の会長として君臨し、権勢をふるったが、同じ一族のポルシェ社を率いるウォルフガング・ポルシェとは、VWの経営権を巡り鋭い対立関係にあった。VWの事を長々と書くのは、本旨ではないのでこのくらいにするが、ドイツの誇るコーポレートガバナンスは一体どうなってしまったのか。
    第3節「世界戦略遂行のための組織ぐるみの不祥事」
       日本人と同じく勤勉で研究心の強いドイツにおいて、このような事件が起こるとは誠に由々しき問題である。VWは競争相手のトヨタとは世界市場において棲み分けが進んでおり、余程の失策が無い限り業績は安泰であった。しかしながら考えるに、ハイブリッドにおいて日本勢に大きく遅れをとったことは、VWには大きな衝撃となり、焦りを呼んだのではないか。1100万台のリコールに加えて、これから発生してくる損害賠償や、アメリカの当局からの罰金その他を考えると会社存続の危機にまで発展する可能性すらある。今回の件は、担当部署の判断と公表しているが、先ず間違いなく会社上層部を含めた全社的なものであろう。ドイツの誇る監査機能を含めたシステムは機能しなかった。ガバナンスは地に落ちたといってよい。ドイツ人は日本人と違い自己に自信を持ち過ぎるきらいがある、日本人は、これと反対で欧米の顔色ばかりを窺がう。今回はこれが裏目に出たとは言い過ぎだろうか。

    ■第二章「我が国電機業界を牽引する、技術の東芝の粉飾決算」

    第1節「不適切会計で済む問題か?」
       東芝は、その沿革をたどると、明治8年(1875年)に「からくり人形」で有名な田中儀衛門久重がおこした工場にまで遡る。その後三井財閥の傘下に入り、芝浦製作所となり、日本で最初に白熱電灯を造ったのを手始めに重電、弱電両面において我が国の電機業界を牽引するリーダー会社として一際大きな存在として今日に至っている。近年は、半導体、原子力発電にも力をいれており、文字通り我が国を代表する企業である。しかるに本年に入り不適切会計問題が生じ、誠に上場会社としては、恥ずかしい3月期の決算を発表出来ないという醜態をさらし、三代に亘る社長が退任するという前代未聞の事態となった。この問題については、新聞等において詳しく報道されているので詳細は割愛するが、私にいわせれば、不適切会計などという言葉はおこがましい。何故粉飾決算と云わないのであろうか。これは誰が何と云おうと粉飾決算そのものではなかろうか。
    第2節「委員会設置会社とは何か?」
    (1)2003年4月に株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(商法特例法)が改正され、委員会等設置会社の制度が導入された。これは特例法上の大会社にのみ適用され、当初の会社数は36社にすぎなかった。その後2006年5月に新たに会社法が施行され委員会等設置会社が大きく範囲を広げて規定されたのであった。2003年に最初に委員会設置会社に移行した36社の内訳をみると日立製作所、イオン、オリックス、ソニー、野村ホールディングス等の中に東芝という名前が目につくのである。東芝は、このようにアメリカンナイズされた会社法の中で率先してこれに取り組んだ会社である。参考までに委員会設置会社には、取締役会と執行役がおかれ、取締役会の中に指名委員会、監査委員会及び報酬委員会がおかれるが、一方では監査役(監査役会)は設置されない。ということは、株式を公開している大会社において監査役会を置かない場合は、必然的に委員会設置会社の形態となる。
    (2)さて取締役会の権限は、業務の意思決定に加えて取締役及び執行役による業務執行の監督であるため、この点では従来の取締役会とほとんど変わりない。権限が従来と違う特徴は、取締役は原則として業務の執行は出来ず、それは執行役に委ねられる。但し取締役は執行役を兼ねることができる。そしてこの点が重要なのであるが、アメリカのように取締役会の構成員の過半数を社外取締役とする必要はない。また取締役会には三つの委員会を設置しなければならないが、各委員会は3名以上の取締役で構成され、その過半数は社外取締役でなければならない。三つの委員会の権限の詳細は割愛するが、今回の東芝事件に絡んでは、監査委員会の存在である。監査委員会の権限は、取締役及び執行役の職務が適正かどうかを監査して株主総会に提出する。また会計監査人の選任、解任、不再任を決める。
    (3)この制度の問題点として次の点が前々から指摘されている。すなわち業務執行と意思決定が執行役に集中している上、更に執行役と取締役の兼任が認められているので、業務執行を監視する監査委員会の委員の選定を行う取締役会は、執行役が多数を占めるのが通例であり、我が国の委員会設置会社の制度が、業務の執行と監督が、本当に分離されているのか疑わしく、従来の取締役会から独立した監査役を置く制度に比べて、本当に適切な監査が期待できるのかという批判があった。更に、権限の集中する執行役に対する監督を行う委員会のメンバーの過半数を、社外取締役とすることが、この制度の要となっているのはよいとして、実際には社外取締役は常勤ではないし、アメリカと違い取引先との関係者など執行役からの独立性が疑われるような監査委員会のメンバーもおり、その監査機能の実効性には疑問があるとの指摘もなされていた。
    第3節「監査の形だけを整えるも、その機能不全が粉飾決算誘発へ」
       まさに東芝においては制度の形ばかりを追いかけて、その実情は、監査機能は働かず、内部統制制度はでたらめ、その上会計監査人は一体何をしていたのであろうか。アメリカの制度を唯々表面的に追いかけ、コーポレートガバナンスの優等生面をしていた結果が、今回の不祥事であろう。一方委員会設置会社制度を生煮えのまま会社法に盛り込んだ国や一部商法学者にも責任があると思うが如何であろうか。会社には社風というものがある、従来の東芝のイメージは進取の気風みなぎる積極的な野武士集団といったところで同業他社の中でも勝ち組の会社と云われていた。しかし、今回の不祥事で東芝は「本件については、当社経営トップによる目標達成必達プレッシャー、上司の意向に逆らえない企業体質、経営者における適切な会計処理に向けての意識の欠如などの複合的な要因があいまって、利益のかさ上げのためにカンパニーにおける内部統制、及び単体決算や連結決算に関する内部統制が無効化され、当社会計処理基準が適切に運用されていなかったために発生したものです」と発表している。皆さん、この発表をどう思われるか。馬鹿も休み休みに云ってほしい。私は、こう考える。営利会社の目的は利益の追求である。そのためにも目標が設定され、組織はそれを完遂するために活動するのであって、不正な方法は当然禁じ手である。東芝の発表は自分達のやってきたことをまるで他人事のように言っており、何の反省も感じられない。むしろ利益達成のためならば何をやってもよいとすら受け取れる。翻って考えるならば、東芝は会社として当事者能力が全くありませんと云っているとも思える。これはもう粉飾決算以外の何物でもない。あるメディアで著名な商法学者がこれは当然刑事事件に発展しなければ、従来の事例との平衡上不公平であると論じている。東芝事件は根が深い。ここに至る道筋として、バブル崩壊以来とってきた、余りにもアメリカンスタンダードを追いすぎる国による法改正にこそ問題があると指摘しておきたい。

    ■第三章「国益に反する、我が国企業統治の諸制度について考える」

    第1節「適材不足の社外取締役」
       確かに我が国において社外取締役は少ない。然し、今回金融庁と東京証券取引所が企業のあるべき姿として「コーポレ―ト・ガバナンスコード」(企業統治規範)が発表され、上場企業に対する運用が開始された。目的は日本企業の透明性を高め、グローバルな投資を呼び込み成長に寄与させるということであるが、その中で取締役会の義務として上場会社は独立社外取締役を少なくとも2人以上置くべきであるという項目がある。これは簡単そうに見えて大変なことなのである。社外取締役の対象となるのは他社の企業経営者、学者、弁護士、などであろうが、云うは安く実際には適材を選ぶのは大変難しい。現役の経営者に聞いても、はたして経営にプラスになるか疑問視する人が多い。このことも唯々形式をつくるということで終わってしまうのではないか。企業の経営に携わっていた一人として簡単な問題ではないと思う。(実際に最近選ばれた人を見て余計にそう思うのである)
    第2節「ROE重視の動きあり、然し利害関係者は株主のみにあらず」
       最近何処にいっても自己資本利益率、ROE、ROEである。株主が出資する資本が如何に有効に使用されているかを計る物差しとして、我が国のそれは、欧米に比較してその値が低いというのが一般的な評価であるが、これについて云々する場合、会社は誰のものか、あるいは誰のためのものかという問題に突き当たるのである。会社は誰のものかについて一般的には、会社は「株主」「社員」「顧客」あるいは「地域社会」などまちまちの答えが返ってくる。アメリカ式の考えなら、当然会社は「株主」のものとなろうが、日本の場合それだけでは割り切れないものがあるのではないか。むしろ日本的な考え方に立つならば「株主」のものであると同時に「従業員」「顧客」のウエイトも大きいと考えられる。株主資本に対する利益を極大化すべきであるというROE論は重要な目安には違いないが、企業の価値はそれだけでは測れまい。結論として反論は覚悟の上ではあるが、会社とは、会社に係るすべての人々のものである。ただ。そのウエイトはすべてに同じではない。当然株主への配分も株主を満足させうるものでなければならない。そこにROEの極大化の意義があるのではないか。当然ROEの向上により会社全体の利益が向上するならば、その他の従業員をはじめ会社の関係者は潤うからである。
    第3節「仏作って魂入れずの内部監査制度」
       日本人は、会社においてもあくまで性善説に立つから、また自己抑制が働くから、我が国の会社内における内部監査制度は緩やかなものであった。ところが、ビジネスのグローバル化が進み、また相次ぐ不祥事件の発生から近年企業に対して厳しい目が向けられるようになり、内部監査についてもグローバルスタンダード化が避けられなくなった。日本監査役協会は「監査役監査基準」で監査役と内部監査部門との連携が規定され、会計監査人の監査においても内部監査への容喙が規定されたのである。具体的には、2006年5月に施行された新会社法、2006年6月の金融商品取引法において大会社と上場会社に内部統制を求め、内部監査に密着するようになった。これの具体的な進め方は、会社の各部門に対する綿密な整備を求めていた。私から云わせれば、これはまったく不必要とは云わないが、企業に対して膨大な負担を強いる性悪説に立った無駄な処置であったと思っている。それが証拠に今回の東芝も、おそらく膨大な費用を使用したにちがいないが、まったく用をなさなかったではないか。直近の東洋ゴムの3度にわたる偽装なども内部統制はどうなったのか、会計監査人も制度を創った時は大上段にかまえて、企業に対し細部まで注文を付け、極めて大きな利潤をあげたはずである。しかし、内部統制が働かなかったこれらのケースで、会計監査人は、どれだけの働きをしたのか聞いてみたいものである。内部統制に限らず、欧米流グローバルスタンダードに対応しなければならないとして創られた諸制度が、形ばかりを整備するのにこだわり、文字通り仏作って魂入れずの状況下に放置され、いざという時に機能せず、むしろ従来からの日本式経営の足を引っ張っている現状を憂うるのである。

    ■終章「基本の企業会計制度についても日本独自のよさを守るべきだ」

       企業の会計を律する会計制度については、我が国には1949年に公表された企業会計原則があり、一方アメリカには米国財務会計基準が、またヨーロッパを中心とする国際会計基準がある。グローバル化の進展に伴い日本の会計基準は遅れているとしてアメリカの基準を、あるいは国際会計基準に準拠すべきであるなどの圧力が加わっているように感じられる今日であるが、ただ闇雲にこれに乗っていくのは如何であろうか。日本式の良さも当然あり、現に「のれん代の償却方式」などは日本式の方が優れているなどの声も欧米から聞こえてきており、ここは慎重に対処すべきである。


                ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年9月14日 金言(第38号)
    『安全保障関連法案の採択』

    ■はじめに

      世論調査では、集団的自衛権に関する安保法案への支持が今一つ広がらない中で、与党は安全保障間連法案の成立を今月17日に目標をおいているが、いよいよ法案成立と、それを阻もうとする与野党の攻防は、大詰めを迎えようとしている。

    ■1 「反対のための反対を叫び民主主義の基本ルールを破壊しようとする野党」

      与党の参院平和安全法制特別委員会で採決に踏み切った場合、野党はあらゆる手段を講じ徹底抗戦で存在感を示す考えのようであるが、野党民主党の中ですら、ただ「何でも反対の万年野党に逆戻りすれば、只でさえ政権担当能力に欠けると批判され、国民からそっぽをむかれている民主党への政権交替は、益々遠のくばかりだ」との懸念の声が聞こえてくる。また、維新の中は決して一枚岩と云えず、唯々反対のための反対として、例えば内閣不信任案などには懐疑的な動きさえある。9月13日の新聞報道によれば、野党はあらゆる手段を駆使して参院本会議での成立を阻む考えのようである。具体的には「平和安全法制特別委員長の問責決議案」「議院運営委員長解任決議案」次いで「議長の不信任決議案」「防衛相、外相らの問責決議案」等を相次いで上程して、それらが否決されると最後に「内閣不信任決議案」を上程して、日程が残り少なくなった参院でこの法案の時間切れを狙っているのである。今述べたことは、誠に国会議員のなす業として馬鹿馬鹿しい話ではあるが、ルール上これらの決議案は、一般の決議案より優先するから、どうしても一決議案あたり3時間を要するとのことで、仮に否決されても時間稼ぎが出来るわけで、抵抗姿勢であることを訴える効果がある。野党は、各決議案の趣旨説明に長い時間をかけて、議事進行を遅らせる事を目論んでいるのである。また、本会議での採決については、出席議員の五分の一が要求すれば記名採決にできるので、その場合は議席から投票箱までゆっくり歩く、かって社会党がとった牛歩戦術も考えられるのである。

    ■2 「尖閣を核心的利益とする中国の軍事脅威に全く脳天気な野党」

      私は、現在の東アジアの情勢を考えた時、集団的自衛権を行使するための「安保法制」は間違いなく必要であると考えている。皆さん9月3日に北京の天安門前で繰り広げられた軍事パレードについてどう考えられるか。その内容については、兵器の相当部分が過去に登場したものの改良で、中国側の発表80%以上が新兵器という事について疑問を呈する向きもあるが、中国の軍事力は確実に向上していることは、否定することのできない事実である。最近の新しい情報によると、中国海警局は尖閣諸島への圧力を強めるため、尖閣の対岸、距離にして356kmの浙江省の温州に、新たに1万トン級の大型警備艦6隻が、停泊可能な大型基地を計画しているとの報道がある。そしてすでに1万トンの警備艦を2隻建造中とのニュースもある。この事は、尖閣は中国の核心的利益で、絶対に自己のものとする固い意志が、明白であると考えられるのである。

    ■3 「平和は、憲法9条ではなく日米安保により維持されて来たことが真実である」

    1)「全く見当違いで、戦争法案と叫ぶ愚かさ」
      このような状況の中で唯々憲法9条を死守し、専守防衛に徹する、今回の「安保法制」は「戦争法案」だ、「徴兵制度」も間違いないなどという馬鹿げた理論を展開しているのが、民主党を中心とする野党なのである。前にも触れたが、戦後70年間我が国に平和が保たれてきたのは、あくまで日米安全保障条約が存在していたからである。憲法9条があったから平和が保たれてきたなどというのは、間違いもはなはだしい。野党は、事あるごとに自民党の対米追従、平和の危機をあおりたてる。
    2)「現行安保法をつくった吉田・岸両氏の英断を思い起こそう」
      それでは過去においてどうであったか考えてみたい。吉田茂氏は単独講和を多くの反対を押し切ってなしとげた。これは日本の国際社会への復帰をいち早くはたした。岸信介氏は周囲の強力な反対を押し切って、米国の日本防衛義務のなかった日米安全保障条約の改正に踏み切った。その当時昭和35年安保改定は亡国といわれたのだが、どうだったであろうか。何回も言うようだが、この改定により日本の平和が維持された事は間違いない事実である。至近の例をあげるならば、もうすでに国民が、「ああそんな事があったのか」と思っている「秘密保護法」に対する野党、マスコミの反対は一体何だったのであろうか。今ではこの法律が「知る権利」を犯しているなどとは、どのマスコミも触れなくなってしまっている。この法律の制定により日米間の関係はより円滑なものとなっている。
    3)「集団的自衛権は戦争の抑止力を強化するためのものである」
      要するに、現在の民主党を中心とする野党が「安保法案」を何とか葬ろうとしているのは、世界特に東アジアにおける日本の置かれている状況に、余りにも盲目的になっているために起こっている、おそろしい事ではなかろうか。集団的自衛権の行使は、あくまで戦争を引き起こすためのものではない。アメリカその他の国との協力により戦争を抑止するためのものである事が、どうして理解できないのであろうか。勿論政府の本案に対する衆院における答弁は、歯切れが悪くよくわからない点はあった。しかしながら、参院においては衆院の審議の反省に立ち、それなりの説明を行ってきている。頭から反対のための反対を貫く、世界の状況を理解しようとしない野党の連中には説明しても、らちが明かないのではないか。

    ■終わりに「民主主義のルールに則り即刻可決を」

      すでに参院でも、約100時間の審議を行っており、数の横暴などと云う声は、ここへ来て全くあたらない。民主主義のルールに基づき首相は、信念を持ってこの法案を今週中に可決すべきである。
      もう一つ付け加えるなら、参院が結論を出さない場合は、参院が否決したものとして衆院で再可決する事が出来る60日ルールがある。然しこれは、参院が自らの権利を放棄することであり、参院の存在を自ら否定するものである。


                  ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年8月26日 金言(第37号)
    『オリンピックメイン会場
            国立競技場の怪』

    ■はじめに

      2020年に東京における2回目の国際オリンピック、パラリンピックの開催が決定し、各関連団体においてはそれに向っての準備が、怠りなく進められているところである。ところが、それに関して先般来、大問題が発生してしまった事は、皆さんよく御存じのとおりである。具体的には肝心要のメインスタジアム建て替えについての膨大な建設費用のことである。メインスタジアムの新設は、オリンピック招致のための公約といわれているが、本当に公約であったのかどうかは、はなはだ疑問で、この事は又後ほど触れる。

    ■第一章 「全体経費を考えずデザインが先行したメイン会場建替え計画」

    第1節「国立競技場の歴史と建替え」
      国立競技場は、国立霞が関陸上競技場が正式名称である。不覚にも私はこの稿をおこすまでこれを知らなかった。神宮外苑、国立競技場、青山墓地の一帯は丹波篠山城主青山氏の屋敷跡であった。明治維新後の明治19年にこの敷地の北側に青山練兵場が設けられた。さらに、明治天皇が崩御された後に練兵場が神宮外苑に造られることになり、その一部を用いて1924年(大正13年)に明治神宮外苑競技場が設けられた。この競技場は陸上競技のために広く使われたのであるが、何と言ってもこの競技場が今にいたるまで語り継がれているのは、競技場が第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)に学徒出陣の壮行会の会場となったからである。
     戦後は、連合国軍最高司令部(GHQ)に接収されるが、接収解除後は陸上競技場として復活し、1958年のアジア競技大会の会場となった。アジア大会の開催に当たり大がかりな改修が行われ、国産のアンツーカーを使用したグランドや新しいスタジアムが設けられたのであった。その後1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催されることになり、これに合わせてスタンドが増設され、オリンピックのメインスタジアムとして名目を一新したのであった。そして先日取り壊されるまで日本陸上競技選手権大会の会場となるだけではなく、1968年からサッカー天皇杯の決勝戦が行われるようになり、また1976年からは全国高等学校サッカー選手権大会の会場となった。またラグビーの日本選手権大会が多くの観客を集めたのであった。そして、1991年には世界陸上競技選手権の会場となり華やかな脚光をあびたのであった。
     しかし、この競技場は今となっては走行レーンが8レーンしかないことや、サブトラックが400Mトラックでないということで国際規格を満たしていない。 この事から、今般2020年に行われる東京オリンピック、パラリンピックの主会場として現競技場には問題があるため、これらを含めて新しい競技場が建設されることになった。
    第2節「当初見込みの倍、2520億円となった建替え費用」
      巷間この新スタジアムの建設費用が当初見込んだ1300億円から、本年2月に実際施工するゼネコンの見積もりによると、実に3000億円必要であるとの数字が示され、その後開閉式の屋根の設置を見送り、座席数をも減らしたりして工事費を減額したが、それでも、その価格は文部科学省から2520億円と発表されたため、内閣を揺るがす大問題となった事は既に皆さんご承知の通りである。因みに直近の他国のオリンピック・スタジアムの建設費用について調べてみると、
    (1) 2012年ロンドン、建設費用約600億円で終了後はサッカーイングランドプ レミアムリーグ所属チー
            ムの本拠地となっている。
    (2) 2008年北京、約550億円で形状は「鳥の巣」といわれた複雑な外観で、そ れにしては安価に収まっ         ている。現在は観光拠点。
    (3) 2004年アテネ、約350億円で地元のプロサッカーチームの本拠地として 使用しているが、ギリ         シャ経済の疲弊もあって集客に悩み、現在は廃墟だという ニュースもある。
    (4) 2000年シドニー、約400億円、地元企業に命名権を売却、陸上競技のト ラックは撤去し、現在で         はラグビー、サッカーに使用。
    但し、この価格は当時の為替レートにより、資材価格や労務費も当時のものであるから単純な比較は難しい。それにしても2520億円はべらぼうに高いのではないか。 
    第3節「ザハ・ハディド女史になるデザイン選考の経緯」    
      さて、当初2011年9月文部科学省は建て替え調査費を翌年度の概算要求に計上したが、その際、総工事費を1000億円と見込み盛り込んだのであった。翌2012年国立競技場を運営する日本スポーツ振興センター(JSC)が7月にデザインの公募を開始し、総工費を約1300億円としたのであった。同年11月7日建築家安藤忠雄氏を委員長とする外国人専門家2名を含む9名の審査委員によるデザイン審査委員会が開かれ、イラク出身で現在英国に在住しているザハ・ハディド女史の作品が最優秀賞となり、採用が決まったのであった。デザインは、皆さん新聞等でご覧になりご承知の方も多いと思うが、まるでSF映画に登場するような流線型のよく言えば斬新、悪く言えば奇抜なスタイルでキールアーチという長さ約380Mにも及ぶ2本の鋼鉄材により屋根を支えるという構造で、早い段階から構造設計の専門家からは強度を保てるか疑問視されていた。また神宮の景観とも合わないといわれていた。にも拘わらず、同年11月の有識者会議でザハ氏のデザインが正式に決定したのであった。

    ■第二章 「杜撰な計画が白紙やり直しの事態へ発展」

    第1節「デザイン決定後判明した余りも巨大な規模と建築費」
      2013年9月に2020年のオリンピック、パラリンピックの東京開催が決定したのであるが、この時点で、ザハ氏のデザインで進む場合、総工費は3000億円になるというゼネコンの見通しが発表され、動揺が広がった。最近の報道では、この時点で3000億円どころか3500億円は確実であると云われていたようである。これに対して、11月複合コンベンション施設「幕張メッセ」などの建築で知られる建築界のノーベル賞といわれるプリッカー賞の受賞者で、文字通り「建築界の重鎮」である槇文彦氏から規模縮小の強い要望が文部科学省と東京都に出されていた。話を分かりやすくするために、ザハ氏案で進めつつあった計画が如何に大きな規模かを従来存在していた競技場との比較を示したいと思う。
      国立競技場                  ザハ氏による新競場
      33716平方M      建築面積       78110平方M
      73958         敷地面積      113040
         30M         高さ           70M
      54224名        収容人員       80305名
    この数字からいかに巨大なものかが理解されたと思う。
      さて、話は前後するがここでザハ・ハディド氏とは何者かについて触れておこう。1950年バグダットの出身で英国を中心に活躍している女流建築家であるが、別名アンビルドの女王と云われている。すなわち構造や計画の段階で問題があり、建てられていない建築のことで、女史の特徴はよく言えば斬新、悪く言うならば独善的で当初はあまり認められていなかった。その後完成作品も多く見られており、我が国にも女史の作品は存在している。しかし今回のような大スタジアムは世界のどこにもないのではないか。さて総工費3000億円という金額と槇文彦氏等によるデザイン、工法等を踏まえての規模を縮小すべきであるとのの直言にあわてたJSCは床面積を25%縮小し、総工費を1785億円にまで抑える案を2013年11月26日に発表した。さらに14年5月28日にやり直し基本設計を公表し、総工費を1625億円と試算したと発表した。そして本年1月から国立競技場の解体が始まった。しかし、施工するゼネコンは計画を縮小しても、この奇抜な設計では3000億円はかかるという見通しを示した
    第2節「総経費について考えず、てんこ盛りともいえる規模を決めた有識者会議の無責任さ」
      元々ザハ氏の設計の基本となった新国立競技場の規模をきめたのは、2012年3月に新国立競技場をどのようなものにするかについて検討する国立競技場将来構想有識者会議の決定による。この会議は、元文部次官の佐藤禎一氏をヘッドに森元首相や建築家の安藤氏、芸能関係者の作曲家都倉俊一氏、スポーツ界を代表してサッカー協会の小倉純二氏それに東京都知事を含め14名で構成されていた。議論は将来のサッカーWカップの招致を見込み8万人の規模にすることがスタートラインとなっており、またコンサートが開けるように開閉式の屋根を備えた全天候型スタジアムが要件になり、その他建築、スポーツ、文化の三つの方面から多数の要望がよせられ、具体的には、広大なVIP席やスポーツ振興のための博物館、図書館、娯楽施設、はては商業施設まで設けるというまさにてんこ盛りの様相を呈し、これが全部実現したら延べ面積は旧競技場の6倍ともなる20万平方Mとなり、縮小はしたものの、現競技場の倍の面積になるのが、デザインコンクールの前提であった。このように見てみると、いかにもザハ氏の設計だけに問題があったかのように取沙汰されているが、問題はあくまでJSCの常識を超えた計画にあったと云えよう。しかもその間、有識者会議において総工費の議論は、全くなされていなかったという。それにも拘わらずデザインコンクールの募集要項の最終案では総工費は空欄となっており、これについては建築には全く素人の佐藤氏とJSC理事長の河野一郎氏に一任となり、最終的な募集要項には1300億円となっていた。そして、コンクールではザハ氏の作品が選ばれたのであるが、安藤忠雄委員長はザハ氏案を強く推したようで、その鶴の一声でザハ案に決定した。建設費の高騰に関して安藤氏は「頼まれたのはデザイン案選定まで」と述べているが、巨大なキールアーチ2本により天井を支えるという高度な技術を要する設計案が、1300億円では出来ないことぐらい、専門家の安藤氏にわからない筈はない。選定委員会でザハ氏の作品は、難易度は高いが「可能性に挑戦する日本の技術者が向かっていく意味で有意義である」と手ばなしで本案を薦めたのであるから、デザインのみに限定していたとは逃げ口上と云われても仕方があるまい。大体最近の安藤氏は、過去の栄光に安住してカリスマになり過ぎているように思うがいかがであろうか。下村文科相も3000億円の建築費には驚愕し、開閉式の屋根はオリンピック後に後回し、観客席も15000席を仮設にすると発表したが、それでも総工費は2520億円かかり、完工は2019年5月と発表した。

    第3節「白紙撤回で出直すは当然としても、財源の目途は大丈夫か」
      この2520億円という金額に世論は沸騰し、官邸は報道各社の世論調査でこの計画に80%以上が反対という結果が出ていることに衝撃を受けた。一方内閣支持率も大幅に低下する一因となったのである。7月14日首相は、衆議院における平和安全保障関連法制の採決を翌日に控え,急遽計画の見直しを官房長官に伝え、自民党においては稲田政調会長、河野行革本部長等に見直しを指示した。見直しに当たって懸念される材料は二つあり、一つは白紙撤回の場合ザハ氏がどう出てくるかであったが、最大の課題は2019年に開催が決定しているラグビーWカップの決勝戦が新スタジアムで行われる事を予定しており、Wカップ開催の元締めが森喜朗元首相で、誰が森氏の首に鈴をつけるかであった。これについては、安倍首相が自ら7月17日に森氏の了解を取り付け、ここに従来進められてきた計画は白紙撤回となった。今後は、遠藤五輪相を議長とする関係閣僚会議を設け、整備費の上限や競技場の仕様、設計などを盛り込んだ整備計画を策定し、この計画に基づいて改めて国際コンペティションを実施することになった。デザインのみを審査した2012年のコンペと異なり、今回は設計、施工をも一体とした案を募集する。これにより途中で工事費が増加したり、工期が伸びたりすることを防ごうとするのである。しかしながら、今回どのような見積もりが出てくるかわからないが、正直なところ肝心の新スタジアム建設の財源は未だ目処が立っていないのである。国が国費として確保している財源は392億円で、スポーツ振興くじの売上げ収益109億円、スポーツ振興基金からの拠出金125億円合計626億円が確定しているに過ぎないのである。これに東京都から580億円拠出してもらっても合計約1200億円が現状における限界である。

    ■第三章 「そもそも始めに整合性ある全体構想が検討されたのか」

    第1節「全体経費から見たメインスタジアムの過大な建設費」
      さて、今回白紙となったが、最近まで大真面目に取り上げられていた2520億円が、如何に膨大な金額であったかを説明しよう。というのは、2020年東京オリンピック、パラリンピックの計画書に載せられていた予算は次の通りであるからである。すなわち
    1、 オリンピック、パラリンピック大会の直接予算は3412億円。(これに含まれるものは、競技場の運営
        費、賃借料、人件費、広告宣伝費、選手村の運営費など、なおパラリンピック運営費は159億円)
    2、 オリンピック、パラリンピック大会の間接経費は4887億円。(この中の一番大きな費用は競技場の改
        修、建設費で3092億円である。 但し、これはメインスタジアムだけではなくて、その他の競技場の新
        設、改修全てを含むものである)
    3、 参考までにオリンピック大会の経済効果は3兆円となっている。
    以上の数字はオリンピックへの立候補ファイルに記載されているものであるが、これを見ても如何にメインスタジアム建設への取り組みが杜撰なものであったかがわかるのである。
    第2節「建替えずに大改修の選択肢もありえたのではないか」
      私見を述べるならば、オリンピックメインスタジアムは最近のオリンピック大会の主会場の建設費用から見て余りにも桁外れな方向に行きつつあった。私は、1964年(昭和39年)に東京大会が挙行されたメインスタジアの不備な点(レーンの数、予備トラック、観客席、地震対策)について大改修を行なうという選択肢もあったのではないかと思っている。新スタジアムは公約だと余りにもこだわった結果ではなかろうか。計画が白紙になってみて、取り壊してしまったことは有力な選択肢を自ら絶ってしまったのではなかろうか。前回のオリンピックを御覧になった方はきっと思い出すであろう。戦後復興をなしとげ自信に満ちた日本選手団の入場、そして聖火リレーのアンカーを務め聖火を点火した坂井義則選手の颯爽とした姿を。このような由緒のある競技場を何とか生かす方策は考えられなかったのか。安倍首相をはじめ関係者は新しいスタジアムの建設は、オリンピック開催のための公約であると云っていたが、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は「誘致決定後の変更はありうる。一番の条件は要するに2020年5月までに日本はスタジアムを完成しなければならない」と云っている。

    第3節「日本スポーツ振興センターの機能不全」
      ところで、最後になるが新スタジアムの建設について実に腑に落ちないことがある。新スタジアム建設の窓口になっているのは「日本スポーツ振興センター」(JSC)であるが本来新スタジアム建設の先兵となって働かなければならない同センターは一体何をしていたのか。これをお読み頂いている方々もJSCの実態についてよく御存じないと思うので私なりに調べてみた。JSCは、2003年に日本体育・学校建設センターの業務等を引き継ぐ形で設立された文部科学省管轄の独立行政法人である。設立時には、日本政府から1954億円と云う巨額な出資がなされている。法人設立の目的は、国民の健康増進、国立競技場の運営、スポーツ科学の調査研究、「スポーツ振興籤」(toto)などのスポーツ関連事業などと学校における安全、健康保持の普及などの学校関連事業に二分されている。当然文科省の関連法人であるから役員は文科省と財務省から就任しており、7名の役員中2名は文科省からの天下りである。職員は常勤、非常勤合わせて691名もおり、この中味も天下りが多いようである。「スポーツ振興籤」すなわちサッカーくじの売上は2014年で1108億円もあり、この運営を行っている。そして日本オリンピック委員会(JOC)と連携してナショナルトレーニングセンターや国立スポーツ科学センターの運営、管理をも行っている。一方totoの収益金を原資として28の団体に選手強化費を拠出している。前に戻るが理事長の河野一郎氏は筑波大学教授、JOC理事で2011年に理事長に就任しているが、正直いって今回の新スタジアム建設の経過をみていると窓口の代表としてリーダーシップに欠けているのではないか。2014年5月にJSCが規模を縮小した基本設計案を示したが、その際1625億円でやると発表したにも拘わらず、結果は2520億円に跳ね上がり、結局白紙撤回となってしまったのである。これは全くの醜態としか言いようがなく河野理事長は責任をとるべきである。本来デザイン決定の際に素人集団を交えたデザイン審査委員会などは全く無意味なものであった。白紙撤回後の進め方として、今回はJSCの中に「技術提案等審査委員会」を設けることになり、政府は競技場の性能、工期、コストの上限を示した整備計画を8月中に策定し、9月初めに公募型プロポーザル方式で業者を募る。審査委員会は整備計画を審査、点検することである。そのために今回は建築、構造、環境の専門家7名で構成し、基本方針として周辺地域の環境や景観との調和を図り日本らしさに配慮するとして、前回の轍を踏まないように万全を期するとのことである。

    ■終わりに「官僚の無責任体質が根底にあり」

      私が思うにどうして最初からこのような体制がとれなかったのか。私も経営者のはしくれであったが、プロジェクトを進めるにあたっては、何よりも技術が万全か、コストが十分にペイするに値するか、工期に問題はないかを考慮してきた。特にコストは最重要事項である。今回の新スタジアムの件は、全くの無責任体制で民間の企業ではこんなことでは即座に倒産である。最後になるが、世論の動向により、どうしようもなくなり、安倍首相の手を煩わすとは、関係者は全員責任をとるべきである。ましてや現在我が国のおかれた国家財政が危機的な状況の中で無責任な行動に走った、下村文科相や河野JSC理事長は猛反省してもらいたい。


                  ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年7月27日 金言(第36号)
    『安倍首相に望む』

    ■はじめに

      安全保障関連法案も、いよいよその審議は大詰めも迎えつつあるので、この法案の是非については、稿を改めて論じたいと思っている。そこで、今回は現在政権を担当する安倍内閣にとって、何が一番重要事であるかを考えるならば、安倍氏の目指す憲法改正は別とすると、当然我が国益にとって喫緊の課題は、財政の再建である。以下今回は、この問題について論じたいと思う。

    ■第一章 「我が国財政状態の現状認識」

    第1節「概略すれば」
      さて、我が国の財政再建が叫ばれてから久しいが、その実態については国全体の借金が、国内総生産の2倍になっている程度の事を、観念的に承知しているだけで、大方の国民が、財政の危機について本当にどこまで理解しているかは、疑問である。私は、我が国の情勢について、人に聞かれた時、次のように、先ず簡単に説明している。すなわち、我が国の近年の一般会計の予算総額は90兆円強であり、これをまかなう税収は40〜50兆円強で、収支を合わせるための国債発行の総額が約40兆円で、これが非常な大まかな実態であると。

    第2節「歳出と歳入についての認識」
      もう少し詳しくその中身を分析すると、2013年から2015年までの3年間の国家予算の推移は次の通りである。この数字を基本に以下話を進めたい。
                                2013年度   2014年度   2015年度
    歳出
      一般会計総額   92.6兆円   95.9兆円   96.3兆円
      社会保障費    29.1     30.5     31.5
      公共事業費     5.2      6.0      5.9
      国債費      22.2     23.3     23.4
      地方交付税    16.3     16.1     15.5
      その他      19.6     20.0     19.8
    歳入
     税収        43.1     50.0     54.5
     新規国債発行額   42.9     41.3     36.8
     税外収入       4.0      4.6      4.9

     

    第3節「債務残高についての認識とその考察」    
      上記のように、国の借金は年々増え続けており、国を揺るがす大問題であるにもかかわらず、政府の対応には真剣さが感じられないのである。ところで、本年5月8日に、2014年度末の国の借金の残高が、1053兆3572億円となり、勿論過去最高となったと発表しているが、その内訳は国債が881兆円、銀行などからの借り入れが55兆円、為替介入などに備えて発行する政府短期証券が117兆円であった。昨今の日銀の金融緩和で長期金利が大幅に下落し、国債の利払いが減っており、大きな問題になっていないが、上記の通り15年度の政府予算でも、全体の40%を国債が占めるという先進国の中でも、とりわけ異常な状況にあると云って差し支えない。 国の借金のGDPに対する割合は、215%に及んでおり、これは国運を賭けて戦った日露戦争当時で70%、第一次世界大戦後の1920年頃では20%、第二次世界大戦中の1944年ですら200%であり、1965年頃は5%程度となっていた。今世界的に大問題となっているギリシャの国債残高でさえ2014年で3170億ユーロ、日本円で約49兆円、対GDPの比率は177%で如何に我が国の債務の大きさがわかる。もっともギリシャの場合国債の対外保有率が70%を越えており、我が国ではわずか5%が海外投資家によって保有されているので、比較にはならないが絶対額の大きさは群をぬいている。しかしながら、我が国は世界最大の債権国であり、2013年末の財務省の発表によると日本の対外純資産は325兆70億円と23年連続の「世界一の債権国」である。しかしこの事と財政再建は全くとはいわないが、別問題として考えておくべきであろう。

    閑話休題「国債についての二つの見方」
      どちらにしても、日本の財政問題については、早急に解決すべき問題であるが、これをどうするかについては、いささか余談になるが極端な二つの考え方があるので、それを紹介しておく。一つは、国債は債務なので増税であれ、経費の節減であれ、何としても解消するべきであるという議論である。もう一つの議論は、国債は政府の借金であるが、それを購入した国民の資産でもある。国債は将来の世代に対する借金だといわれるが、将来の世代は現在の世代から相続した国債という資産を保有している。したがって国債の元利返済は将来の政府と国民との間のやり取りにすぎず、国債発行で得た資金は、現在の世代が未来からえたものではない、という考え方である。しかしながら現在のように発行された国債を、国民の預貯金で消化することが、永久に続けられるならこの論も成り立つが我が国の現状からして私は頷くことができない。

    ■第二章 「日本の「財政再建」は、国益そのものである」

      政府は6月30日経済財政運営の方針(いわゆる骨太の方針)戦略、規制改革実施計画を臨時閣議で決定した。計画は、歳出入改革を進めて、経済財政再建の両立を目指すもので、それには労働力不足に対応するための生産性向上をめざす投資を企業にうながしている。骨太の方針、成長戦略、規制改革の骨子は次のとおりである。
    第1節「骨太の方針の甘い前提条件」
      「骨太の方針」は2020年度までの財政健全化政策を盛りこんだ。すなわち公共事業や社会保障費といった政策経費を、税金などの収入でどの程度まかなえるかを示す基礎的財政収支いわゆる「プライマリーバランス」を、20年度には黒字にする目標を改めて示したものである。そして財政再建の進捗を確認するために18年度に中間目標を設定した15年度に予想されるGDP比3.3%の赤字を、1%程度までに改善する。 政府は、2020年のプライマリーバランスの黒字化を、達成するための条件として名目成長率が3%以上で、2017年4月に消費税2%アップ、これに加えて経済再生が良好に推移することを考慮しても、9.4兆円の赤字が残ると2月の時点は発表していた。ところが、その後政府は、7月16日の内閣府によると2020年度の財政赤字の見通しが、景気回復で税収が増え、社会保障などの歳出の伸びも想定以下となるため、毎年3兆円規模で改善するので、黒字化する目標に向け9.4兆円と見込んだ赤字の解消策を探った結果、3兆円削減と公表したのである。 たしかに14年度の税収は、1月の時点で2.2兆円上振れした。この内一時的な要因とみられる分を差し引いた1兆円を、将来にわたる歳入増として考えた。歳出についても、前回よりも2兆円ほど減ると見込んだ。さらに東日本大震災の復興事業のための一般会計からの支出が19年度で終了するので、20年度に約6000億円計上する必要がなくなり、雇用情勢の改善で生活保護費などの伸びが減ることもプラス材料とした。一見もっともらしい数字が並んでいるが、ここ10数年来、何度プライマリーバランスの均衡が叫ばれてきたことか。何時の場合にも、時には大きな外部的要因があったにしても、挫折に次ぐ挫折ではなかったか。今回も素人の私からみても、余りにも前提が甘すぎるのではないか。このままでは、今回も画餅に終わる可能性が極めて高いのではなかろうか。
    第2節「成長戦略のために、増税・歳出削減を抑制することの愚」
      骨太の方針の一番の前提である名目経済成長率3%は、余程の経済好況が持続しない限り達成は難しい。私が、一番不満に思うのは、消費税率の上昇を安倍首相はいち早く封印してしまったことである。確かに今回の10%増税についても、日本経済の足腰は意外にもろく、3%と2%の二回に分けざるをえなかったのは大変残念であり、更なる増税はすぐには困難と思われるが、諸外国との比較においても我が国の消費税は極めて安く、増税の余地を残しておくべきである。小泉内閣は、5年間強続いたが、郵政民営化や社会保障費の伸びを抑えたことは別にして、消費税増税をいち早く封印してしまった。これは選挙対策もあったかもしれないが、増税に異常に反応する日本国民に対する啓蒙を、初めから逃げていたといっても、差し支えない。これは小泉氏の失政と思う。安倍首相も、財政の再建に本格的に取り組むならば、すぐに出来るかどうかは別にして、消費税増税の余地を残しておくべきで、初めから増税は致しませんでは、政治家とは云えないではないか。一方歳出については2020年度の財政健全化計画を巡り、18年度の歳出規模を「中間目標」として示すかどうかが、争点となった。財務省は、18年度の国の一般歳出の目標を示したい、という考えであったが、安倍首相はその額が59兆円台となることから数字が入ると、それが上限となるという理由から、この案を拒否した。一部先に述べたことと重複するが、首相は消費税の更なる上昇を封印し、成長による税の自然増収を期待している。すなわち歳出の抑制より成長に軸足をおく基本方針と思われる。安倍首相は過度な抑制が、景気の腰折れを招く事を避けたいと考えているのではないか。これは先行きの歳出抑制の目標を示すと、それが一人歩きして、景気の浮沈に対応出来なくなる、と考えているように思われる。18年度の中間目標では、首相の意向が強く反映して、プライマリーバランスのGDP比は1%程度への赤字縮小を目指す方針が示され、具体的な一般歳出の目標は見送られた。但し、目標にこだわる財務省と自民党の一部強硬に目標を求める議員の顔を立て、一般歳出の伸びは過去3年間と同じ1.6兆円とする「目安」が盛り込まれたのであった。15年度の一般歳出は57.4兆円であるから3年で1.6兆円なら18年度の一般歳出は59兆円となる。歳出抑制計画のメニューは盛り沢山であるが、その具体化については実際の効果がどれほどあるのか、よくわからないのが現状である。

    第3節「成長のためには、規制改革の促進を」
      また、首相の唱える成長戦略作りは停滞している。日本経済の実力を示す潜在成長率は1%未満である。規制緩和や労働市場改革により、これをかさ上げすることこそが、大幅な税収が期待されるはずである。しかし現状では見通しはついていない。政府は、日本再興戦略と骨太の方針により成長戦略をうち出している。今年の成長戦略として、今後の人口減少をにらみ、働き手の不足が「成長の限界にぶつかる」との危機感を表明し、人口が減少しても高い成長が実現出来るように女性や高齢者の活用など、更にITの活用などにも重点を置いている。しかし、昨年のような法人税減税にまで踏み込んだ戦略に較べ、力不足は歴然としている。日本経済が成長を続けていくためには、働き手を増やし一人ひとりの生産性を上げていかなければならないのであるが、具体策はいずれも小粒としかいいようがない。昨年は、法人税の減税の他に、農協改革など従来業界団体の抵抗が大きい岩盤規制にも切り込んだが、今年は目玉になるような施策にとぼしい。今回の成長戦略は、今までの戦略の焼き直しが多く、規制緩和で民間の活力を刺激するという原点から外れているのではないかという指摘もあり、一層の構造改革が必要なのではないかと考える。

    ■第三章 「財政再建は「成長・歳出削減・増税」政策のポリシーミックスで」

      一部の新聞によれば、首相の頭の中は、来年の参議院議員選挙に勝つことで一杯であり、大型の社会保障改革には消極的で、痛みを伴う改革を本気で望んでいるようには見えないと指摘している。さて、ギリシャの経済財政の問題は、ギリシャ側がようやくEUの意向にそうことになり小康状態となったが、長期債務残高のギリシャのGDP比率は1.8倍強であるが、先進国最低の我が国は2倍強である。そして意外にもギリシャはプライマリーバランスが黒字なのである。 勿論ギリシャと我が国では経済の規模が違う上に、産業競争力は比較にならない。また、日本は債務のほとんどを国内で賄っているので、この点でも比較にはならないのであるが、今後の我が国は、少子高齢化による「2025年問題」を抱えている。この年を境に、団塊の世代が75歳の後期高齢者となるので当然貯蓄率は低下し、個人の金融資産は減少し、それは債務を国内において賄えなくなることである。しかし、先に述べたように、安倍政権は社会保障制度の改革に真剣に取り組んでいるとは言えない。なるほど成長戦略は確かに重要であるが、成長による税収増加をどれだけ頼みにできるのか。打ちだされているその成長政策も中途半端のそしりを免れないように思う。 やはり成長に加え、歳出削減、増税を組み合わせない限り財政再建は難しいのではなかろうか。我々が危機感を持つのは政府、関係省庁、経済諮問会議の中枢である民間議員が、もっと使命感を持って財政再建に取り組んでもらいたいと切に思うからである。世界は日本の財政、金融は事実上日銀による財政ファイナンスとみている。その日銀も2%の物価上昇目標にゆらぎがみえはじめ、腰の定まらない状況になってきている。ここで我々は真剣に財政再建に正面から取り組まない限り、近い将来我が国は抜き差しならぬところに追い込まれるのではないかと危惧するのである。

                    ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年6月15日 金言(第35号)
    『誤った司法判断』

    ■はじめに

      最近、大変気になった司法判断があった。取り上げるのは、原子力発電所の稼働に対する司法の大変不可解な判断である。すなわち、原子力規制委員会の安全審査に合格した原発の再稼働を巡り、二つの相反する司法判断が示されたのであった。

    ■第一章 「福井地裁の原発再稼働を認めない恣意的判決」

    第1節「原子力規制委員会の世界一厳しい審査結果を否定」
      その一つは福井地方裁判所が4月14日に下した判決である。これは関西電力高浜原発3号機、4号機の再稼働を認めないとする仮処分の決定である。皆さんご承知の通り、いったんこの決定が下されると、今後の司法手続きにより決定が覆されない限り、再稼働は不可能ということであるから、その影響するところは極めて大きいのである。高浜原発3、4号機は、原子力規制委員会が本年2月に政府が「世界で最も厳しい」と強調する同委員会の審査に合格し、4期連続赤字に悩む関西電力が、本年11月からの稼働を想定して、地元との同意手続きに入っていたものである。いわば、関電にとっては赤字経営から脱却するための切り札であった。判決は、仮処分決定の理由として、基準地振動(耐震設計の目安)を700ガルと想定しているが、これは原発に到来することが想定できる最大の地震動である。したがって、原発の耐震安全性を確保するための基礎となる数字であり、この基準地振動を超える地震は、あってはならない筈であると裁判所は主張する。しかるに、全国に存在する20か所余りの原発の内4つの発電所において、5回にわたり基準地震動を超えた地震が、2005年以降10年足らずの内に到来している。したがって、本原発においても、当然基準を上回る基準地振動を超えた地震が発生しないという、根拠は全くない。云いかえるならば、基準地振動については「実績のみならず、理論的にも信頼性を失っている」と否定している。当然基準地振動を超える地震が、発生すれば発電所の施設は破損するおそれがあり、最終的には炉心損傷のおそれがある。さらに基準地振動700ガルを下回る地震によってさえ外部電源が断たれて、給水が困難になることは、関電自身も認めている。冷却機能を維持するための安全確保に不可欠な役割を担う設備に最も求められることは、「耐震性」であることは社会的通念ではないか。日本列島においては、全世界の地震の約1割が発生しており、我が国に地震の安全地帯は存在しない。従って、上記で述べた5回にわたる基準地振動を超える地震が高浜を襲う事は否定出来ない。次に、使用済み核燃料を保管しておくための堅固な設備を設けることについて、関電は真剣に取り組んでいない。新規制基準自体についても、それに求められる合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば、深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえる厳格な内容を備えているべきである。しかるに新基準は、上記の通り緩やか過ぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新基準は合理性を欠くものである。従って本件原発の事故によって、住民らに取り返しのつかない損害を及ぼすおそれがある。この結果、判決として原発再稼働差し止めの仮処分の決定がくだされたのである。

    第2節「左派系裁判官による情緒的判断」
      この判決は、大きな反響を呼んだのであるが、この裁判を指揮した樋口英明氏は社民党、共産党を支持する裁判官であることは周知のとおりで、樋口裁判官は2014年5月同じ福井地裁において、関電大飯原発3,4号機の運転を巡る訴訟において、今回と同じく基準地震動を超えた地震の到来は予想され、それによる冷却装置の安全機能喪失、使用済核燃料の危険性、それらに加えて「国富の喪失」と称して「豊かな国土とそこに根を下ろして生活していることこそが国富であり、これを失うことこそが国富の喪失」であると、およそ法律家にあるまじき情緒的な理由をあげ、運転差し止めの判決を下したのであった。
    第3節「専門家の所見を曲解した誤った司法判断」
      さて、福井地裁の仮処分の判決については、原告、被告双方が名古屋高等裁判所金沢支部に控訴したので、その判決待ちとなるが、早期の原発稼働を期待していた関西電力には大きな痛手となっている。話は前後するが、この仮処分判決に対する反響は大きく、反論も湧き上がっている。例えば福井地裁の決定文に発言を引用された入倉京大名誉教授は次のように反論している。「地裁は私の云ったことを曲解している。私は新聞の取材で基準値振動は、計算で出た一番大きな揺れのように思われることがあるが、そうではない。平均からずれた地震はいくらでもあると発言した。地裁は記事の一部だけを引用して、基準地振動は地震の平均像を基礎に定められ、それを超える地震の到来がありうるとした。実際には、基準地振動は原発ごとに考えられる最大の揺れで計算する。計算の基になる式は、平均値で決めるが、過去や将来起こる地震の平均像までを求めるものではない。科学は不確実性を伴うから、基準地振動を超える揺れが絶対にないとは言い切れない。原発は、基準地振動を上回る揺れに耐えられるように設計されているから、基準地振動を超えたからと云って、即重大事故に至るわけではない」と地裁の誤りをついている。

    ■第二章 「原発再稼働についての正しい考察を」

    第1節「再稼働を認めた、正しい鹿児島地裁の判断」
      ところが、8日後の4月22日、鹿児島地方裁判所の前田郁勝裁判長は、九州電力川内原子力発電所1、2号機の運転差し止めを求める仮処分の申請を却下したのであった。裁判長は運転差し止めを求める住民が争点としていた、再稼働に関する新規制基準及び原子力規制委員会による審査には、いずれも不合理な点は認められないとした。すなわち新規制基準については、福島第一原発事故後の最新の科学的知見などに照らして、不合理な点はないとし、九州電力による基準地振動についても、適合とした規制委員会を支持した。また川内に関して議論されている火山の「破局的噴火」の評価についても、火山学者の間で危険性が高まっているとの具体的な指摘は存在していないとして、破局的な噴火の可能性は極めて低いと判断し、地元の自治体の避難計画も合理性と実効性を備えているものと認め、再稼働に反対する住民が行った仮処分の申し立てを退けたのである。さて鹿児島地裁の判決は、原発再稼働を認めたので、問題はないが赤字に苦しむ関西電力高浜の訴訟は、今後どのようになるのかである。福井地裁の判決の行方はどうなるかであるが、昨年5月の大飯3、4号機の再稼働差し止めを認めた判決については、関電が保全異議を申立てたことから、今後福井地裁で樋口裁判長以外の別の裁判長によって再審理される。再稼働差し止めが維持された場合は、名古屋高裁金沢支部に抗告されることになり、その結果によっては最終的には最高裁で争われることになる。一方4月17日関電は高浜原発の再稼働差し止め仮処分決定を不服として、異議と執行停止を福井地裁に申し入れた。これについては、何ヵ月かかるかわからないが、この間結論がでるまでに、仮処分の執行停止が認められれば再稼働は可能となる。異議、執行停止却下の場合、関電は名古屋高裁金沢支部へ抗告の申し立てをすることになる。
    第2節「裁判所に与えられた判断基準の限界」
      ここで考えておかなければならないのは、このような原発をめぐる裁判に裁判所はどこまで立ち入るべきなのであろうか。最高裁判所は、1992年に四国電力伊方原発の原子炉設置許可取り消しを求めた裁判で「裁判所の審理、判断は原子力委員会若しくは原子炉安全審査会の専門技術的な考査及び判断を基にして、被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点からおこなわれるべきである」「現在の科学技術水準に照らし、調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の判断に不合理な点があるとして違法と解すべきである」として住民の訴えを却下した。実際川内における裁判においては、規制基準について「福島第1原発事故の経験を考慮した科学的知見に照らしても、不合理な点はない」と評価し、基準値振動についても妥当性を認め、この最高裁の判例に従い申し立て却下の判決が下されたのであるが、高浜を裁いた福井地裁の決定は、安全性に関して自ら踏み込んで審理し、原子力規制委員会が新しく作った基準の合理性を認めずに、仮処分の判決を下したのである。二つの司法判断が極端に別れた背景には、原発のリスクに対する考え方の相違がある。原発事故の影響の大きさに鑑み、リスクが少しでもあれば許容できないのか、基準を厳格にすることによってリスクを許容できる範囲にまで減らすことができると考えるかの違いである。判断の難しい問題ではあるが、我が国のおかれたエネルギー問題、CO2の問題における極めて難しい立場を考えるならば、原発即廃止などという左翼的な観念論は排除されなければならない。

    第3節「マスコミ各社の論調」
      福井地裁、鹿児島地裁の判決に対する各マスコミの扱いは、まさに正反対である。少しそれを紹介すると、福井地裁判決に朝日は「裁判所の目線は終始、住民に寄り添っており、説得力がある」東京も同じで「普通の人が、普通に感じる不安と願望をくみとってくれた」。一方読売は「合理性を欠く決定といわねばならない」と批判しており、産経は「奇矯感の濃厚な判断」と驚き「今後重大な負の影響をもたらす」と懸念した。私もこの判決は、ユートピアを追い求める特異なイデオロギーに基づく奇妙な判決と思料する。一方、鹿児島地裁の決定について朝日は「安全性の判断を専門家に任せることに疑問を呈し」東京は「規制基準に対する国民の疑問は一層たかまった」と両者とも負け犬の遠吠えとしか思えない論調であった。対して読売は「最高裁判所の判例にそった妥当な司法判断」産経は「極めて当然で理性的な決定」と報じている。

    ■第三章 「あるべき原子力政策とは何か?」

    第1節「望ましい電源ベストミックスとは」
      さて、私も福島の原子力発電所の大事故を思うとき、出来ることなら原発即時廃止が理想とは考えるが、我が国の置かれたエネルギー情勢からみて、そのようなことはおよそ不可能であると考える。茨城県の東海村において、原子力発電は開始されてから、およそ50年、安価にしてCO2の発生量が石炭火力発電の半分でしかも安定的に電力を供給することができる54基の原発は、福島事故が発生するまでは、我が国の発電量の30%をしめていたことはご承知のとおりである。今、原発廃止を声高に叫ぶ民主党は政権の座にあった際、原発の比率を50%にまで高めようとしたのではなかったのか。政府は、6月1日2030年におけるエネルギー政策の基本となる望ましい電源構成(ベストミックス)を固めた。明細は下記のとおりである。
      1.再生エネルギー  22〜24%
                        (内訳)  地熱   1.0〜1.1%
                                  バイオマス    3.7〜4.6%
                                       風力    1.7%
                                       太陽光   7.0%
                                       水力    8.8〜9.2%
      2.原子力        20〜22%
      3.LNG       27%
      4.石炭        26%
      5.石油               3%
      この発表数字で一番問題となるのは、現在全面ストップしている原発の比率を15年後に20〜22%に高める目標である。太陽光や風力などの再生エネルギーで22〜24%の数字を示したが、発電自体が不安定でかつコストも高い。現在再生可能エネルギーは国が買い取っているが、当初の価格設定を誤ったため国民負担は増加の一途をたどるといわれている。一説にはこのままいくと5年後には標準所帯で年額5000円、10年後には1万円の負担となるようである。

    第2節「早急な全面的原発再稼働を、さらに新設、増設も」
      話を原発にもどすと、政府は低コストでCO2を出さない原発こそが、企業や家計負担を抑え、温暖化ガスの大幅削減をになう切り札と考えている。ましてや先日の7カ国サミットにおいて、安倍首相は2030年に我が国の温暖化ガスの排出量を2013年比26%の削減を公約しており、それを果たすためには原発再稼働は至上命令となる。そうは云っても現実は厳しく新設や増設を正面から取り上げない限り15%の稼働も難しいという学者もいる。いずれにしても、20%以上の原発比率の達成のためには既存原発の大半を稼働させなければならない。事故をおこした原発については11基の廃炉がきまっており、また性懲りもなく、活断層による停止を唱える馬鹿な学者が出てきている。また40年を経過した原発をどう取り扱っていくかという問題もある。そういう意味で既存の問題のない原発は、早期に全面的に稼働させ、場合によっては新設、増設も考慮していかねばならない。しかしながら、ここで大問題となるのは使用済み核燃料処理の国家としての真剣な取組みが是が非でも行われなければならない。正直いって原発先進国のアメリカを始めこの問題に具体的な取り組みをおこなっていない。わずかに北欧のフィンランド、スェーデンが動いており、近々フィンランドの処理施設が完成するようである。

    第3節「総合的エネルギー政策の中における原子力政策の確立を」
      さて、最後にあらためて私の原子力発電所についての考え方を開陳しておきたい。資源小国の我が国においては、原子力発電所は、発電量の30%程度は必要である。再生可能エネルギーは、日本という立地からして風力は難しく、太陽光は、不安定しかも高コストで到底根幹となるエネルギーにはなりえない。福島の原発事故は誠に残念であったが、あまり大きな声を出す人はいないが、福島は決して地震のため炉心が崩壊したのではない。あくまで津波による冷却のための二次電源が喪失したために起こったものである。それが証拠に、福島の南に位置する女川原子力発電所は、同じ地震と津波に襲われたが地震に耐えると同時に冷却装置も働き全く問題がなかった。福島ついては、前々から津波対策が甘いこと、外部電源について注意が喚起されていたようであるが、十分な配慮が不足していた。これは原発神話に安住していた東京電力の怠慢による人災といって差し支えない。原発即廃止論者に言いたいことは、現状原発が1基も動いていないのに電気は不足せず、価格についても大幅な値上げもなく、やっているではないかということを直ぐに云うのであるが、実際には家庭用2倍、産業用3倍の価格上昇である。原発なしで、現状やっていけているのは、世界的な原油、ガス余剰と価格の大幅な安値に助けられていることを、忘れているからである。そうはいっても福島の原発メルトダウンにより被害地域に支払われた補償費は、すでに4兆7000億円の巨額なものとなっているので、今後の再稼働については新しい基準に則り、細心の注意をもってあたらなければならないことはいうまでもない。しかしながら、中東情勢は流動的で、いつ紛争が起こるかわからない。一旦石油危機の再来ともなれば、停電、電気料金の大幅値上げは必定である。そうなって初めて原発についての考え方に誤りだったことに気づくのではないか。安倍首相は、G7において温暖化ガスの目標値を約束したが、これとて2013年は原発停止により火力発電が大幅に増加した時期でこれを基準に26%の削減などとは正直いって大変甘い目標であり、すでに各国から非難の声すらあがっている。さらに厳しい目標を掲げざるをえないのではないか。

    ■終わりに

      最後になるが、先にも触れた原発の使用済み核燃料処理については、これこそ安倍首相が先頭に立ち早急に絶対に解決を図らなければならない、何よりも重要な課題であると思う。

    (筆者からのお願い)

      金言は2012年8月から連載を開始して3年になるが、筆者として寂しいのは、最近御意見・御感想などの反応が大変少ないことである。「長い」とか「論旨が一貫していない」とか何でも結構ですから是非ご投稿を賜れば大変嬉しく思います。どうか宜敷く御願いします。

                    ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年5月8日 金言(第34号)
    『普天間基地移転について考える』

    ■はじめに 「19年を経たこの問題の全体図」

      沖縄県の米国普天間基地の名護市辺野古への移転については、一昨年12月、当時の仲井眞知事が基地移転の 計画地辺野古沖合の埋め立てを許可したが、その後、昨年11月に行われた知事選挙において仲井眞氏が落選して、新たに 基地移転反対派の翁長雄志氏が当選した。この政権交代により基地移転反対派の声がにわかに高まってきたのである。内地 に住む我々にとっては、どうしても沖縄の基地移転問題については、どちらかというと無関心とはいわないが、関わり合い が薄くなってしまうのである。正直いってこの基地の移転問題が何故このように難航しているのか説明できる人は少ないの ではないか。そこでこの問題について、まず今までの経過を中心に触れさせていただきたい。さて、沖縄の面積は2281平方kmで我が国の総面積は37.8万平方kmであるから、その比率はわずか0.6%にすぎない。それにも拘わらず沖縄の基地の面積は、在日米軍基地の面積全体の実に74.2%を占めており、これは沖縄本島の18%に相当する。沖縄県、沖縄住民としては、この数字は余りにも大きく本土に比べ不公平で、かつ、これほどの大基地がはたして本当に沖縄に必要なのか、と考えていると思われる。さらに騒音問題を含め沖縄住民の負担は大きく、これについては国全体で解決していかなければならないのであるが、何分安全保障をアメリカに全面的に依存しているわが国としては、中国の脅威が迫る中、早急な解決は難しいのである。

    ■第一章 「10年間かけて積み上げた辺野古への移転案」

    第1節「1996年橋本・クリントンの移転条件付返還合意でスタート」
      さて、1995年(平成7年)に米兵による少女暴行事件が起こり、これを契機として沖縄の米軍基地に反対する運動や普天間基地の返還を要求する運動が盛り上がった。1996年村山富市氏のあとをおそった橋本龍太郎氏は沖縄には特別な思い入れがあった。橋本氏は、1996年2月当時のクリントン大統領と会談し、この席で普天間返還問題を俎上にのせ、その後駐日大使のモンデール氏との間で普天間基地の移転条件付き返還が合意され、普天間返還の道筋が示された。 即ち、「5年から7年後の全面返還を目指す。移転をするための十分な代替え施設を用意する。代替え施設としては、海上ヘリポートへの移設を検討する。」であった。この時点でアメリカ側においては、かならずしも代替え施設を沖縄に置く必要はないとの意見、例えばオーストラリアへの移転案もあったようである。

    第2節「1997年辺野古沖に政府案が決定されるまでの経緯」
    (1)さて日本側としても「沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会」(SACO)をつくり移転先を検討した。その主なものを列挙すると、1996年時点で日本本土への移転先候補としては、一、高知県、北海道苫小牧東などがあり、一、沖縄本島の中では、キャンプシュワブからキャンプハンセンにまたがる森林地帯などが広がる中部の訓練区域嘉手納弾薬庫案。一、さらに嘉手納飛行場統合案があり、この案は、ヘリコプターと固定翼機が並存する中で、共同運航に問題があった。
    (2)これについて橋本首相は、戦闘機パイロット出身の専門家である当時の杉山統合幕僚会議議長に共同運用が可能か検討させたが、陸自のヘリパイロット、空自の戦闘機パイロット、飛行場の管制官を集めて検討した結論は「共同運用可能」 であった。しかし、アメリカ側は次の3点をあげて難色を示した。即ち、一、低速のヘリと高速の戦闘機を同時に管制することは負担が大きい。移設が実行された場合平時においてもヘリ、戦闘機が各60機〜70機が訓練を行う飛行場となる。一、まして有事の場合は当然増援により2〜3倍の機体が集結することになり、嘉手納一か所では不十分となる。一、嘉手納はかねがね騒音が問題となっており、普天間の機体が加わると飛行場周辺の環境は更に劣悪となる。
    (3)1996年5月前記のSACOは、日米で作業班を設けて嘉手納統合案と並行してキャンプハンセン及びキャンプシュワブへの移転を検討することになった。しかし、キャンプハンセン案については地形が平坦でないため工事費用がかさむこと、 森林破壊による土砂の流出、夜間ヘリ訓練による騒音問題、地元の反発が強いことなどから頓挫した。そして考えられたのが米軍の使用水域を活用したキャンプシュワブ沖への移転であった。米軍も嘉手納案が消えるため、この案に積極的となり 橋本首相もこれを支持して、その具体的な方法として海上ヘリポート構想を表明した。そして具体的には杭打ち桟橋方式と2種類のメガフロート方式が提案され、さらに海上の移動が可能な移動海上基地方式も検討されたらしい。ところが、一方 では、キャンプシュワブ沖を埋め立てて滑走路を造る案が浮上してくる。たしかに杭打ち桟橋方式やメガフロート方式では、台風襲来時には風速80メートルにもなる過酷な沖縄の気象条件のもとでは機能しない。メガフロート方式も開発途上の技術 で実施された例も少なく、地元の建設業者にはそれに応えられる力がないので、地元経済に配慮する必要から埋め立てによる方式に傾いていく。1997年1月SACOは、最終報告で海上ヘリポートの建設地に名護市辺野古のキャンプシュワブ地域 を候補地とすることを発表した。同年11月日本政府は、ヘリポート計画の概要を基本的にまとめ地元に提示した。

    第3節「反対運動、条件闘争を経て、2006年辺野古埋め立ての政府具体案決定へ」
    (1)代替施設建設の当該地となった名護市長や議会は当初反対していたが、遅れている沖縄北部地域振興策が提起されるにおよび建設容認に変化していく。一方、基本案の表明に先立つ9月ごろから基地移転反対派による住民投票への動きが活発化し始める。 しかし、本来、国と地元との間を取り持つべき大田県知事の態度は優柔不断で知事としての役割を何らはたさなかった。1997年12月に米軍のヘリポート基地建設を問う名護市の住民投票が行なわれ僅差で反対派が勝利した。しかし、北部振興策を重視 し、これに対して冷淡な大田知事にかねてから不満を持っていた比嘉名護市長は、基地受け入れを決意し、自らの市長辞職と引き換えに基地受け入れを発表する。さらに後任の市長には基地受け入れ賛成派の岸本氏が当選する。1998年2月大田知事は、 基地建設反対を表明するが、日本政府が振興策を凍結したため知事に対する不満が高まり、同年11月の知事選挙では自民党推薦の稲嶺恵一氏が当選した。しかし、稲嶺氏は基地建設に条件として「建設後15年間は軍民共用の空港、その後は民間専用の空港」 を打ち出し、撤去可能なヘリポートではなく県民の財産となる「恒久的な滑走路を持つ空港」としたいと主張した。
    (2)1999年12月「普天間飛行場の移転に係る政府方針」(辺野古沿岸域)が閣議決定され、稲嶺氏の「軍民共用空港」は実現が難しいと判断された。海上ヘリポート案及びメガフロート案については、埋め立てと比較した結果2002年7月辺野古沖西南 リーフ付近を中心とした地域に埋め立て工法により基地を建設することが決定したのであった。続いて、2004年には環境アセスメントの手続きが開始されたのであるが、同年8月に普天間基地所属のCH−53ヘリコプターが、基地に隣接する沖縄国際大学 に墜落するという事件が発生した。幸い夏休み中のため人身事故はなかったが、沖縄全体で普天間基地早期返還要求が高まった。
    (3)2006年4月固定翼機の飛行ルートが住宅地を避け、極力海上のみになるよう滑走路2本をV字型に配置し立地を埋め立てる案が防衛庁長官と名護市長との間で合意され、さらに日米政府間においても合意された。一方稲嶺知事は県をはずす形で国、名護市 が合意したことに反発し、同合意の受け入れを拒否した。稲嶺氏は2期8年の任期中、自己の主張する15年期限や軍民共同等の意見はことごとく日米当局から一顧もされぬまま任期切れとなった。2006年11月の知事選挙では、基地建設容認派が推する 仲井眞弘多氏が当選した。

    ■第二章 「10年間の努力を台無しにした民主党政権」

    第1節「抑止力の重要性を忘れた県外移設の幻想論」
      その後の経緯としては、2008年の県議会選挙においては、辺野古移転反対を公約する議員が過半数を占めたのであるが、民主党への政権交代が実現した2009年の第45回衆議院議員選挙においては、民主党等当時の野党政党の候補者が県外、国外移設 を掲げ、県内全選挙区において辺野古案に反対して当選する。一方辺野古案を容認する自民党、公明党の候補者は全員落選した。
      元来、民主党は2004年から普天間基地の即時使用停止と海兵隊基地の県外分散を主張しており、直近の2008年にも普天間基地即時返還、県外移転、最終的には国外移転を求めていた。2009年の選挙においては、この際民主党として米軍再編や 基地問題を見直すことを公約に掲げ、普天間基地の海外移転を目指す意思を表明し、代表の鳩山由紀夫氏は、7月19日の那覇市における集会において移転先は「最低でも県外」と宣言し、後々の物議の種を植え付けたのであった。選挙の結果は、民主党の圧勝となり民主党、 社民党、国民新党連立による鳩山内閣が9月16日に発足したが、選挙戦の中で民主党や社民党責任者から、普天間基地の現行移設案に対する反対論が繰り返し述べられていたにもかかわらず、肝心の3党政見合意書には、普天間問題は明記されていなかった。何故ならこの時点 で日米関係における一番の課題は、インド洋における給油問題であり、移設問題は最重要課題とは捉えられていなかった。しかし、政権発足後徐々に移設問題の重要性が認識されていった。防衛大臣の北澤俊美氏は最も早く県外移設の困難さを指摘し、すでに9月17日 にその旨発言している。外務大臣の岡田克也氏も当初は県外移設を模索していたが、アメリカ側と交渉を重ねるにつれ、次第に海外移設は難しいという意見に傾き、事実上県外への移設は状況として考えられないと、発言するようになる。与党の社民党、国民新党は、 県内移設案に当初から否定的で県内移設となれば連立離脱をとなえると同時に独自に海外移設を模索し始めた。岡田外相は、嘉手納飛行場との統合案を検討したが、アメリカ、地元双方から拒否された。また鳩山首相は、最低県外への移設を目指すとしていたが「辺野古案も生きている」と県内移設の可能性を否定しなかった。このような情勢の中で沖縄県の失望と不満が大きく高まって行く。
    第2節「国益のみならず、同盟国への信用を失墜させた鳩山首相」
      11月13日に行われた日米首脳会談において、鳩山首相は、オバマ大統領に対して「TRUST ME」と語り2010年12月末までに移設問題の解決を約束した。しかし、鳩山氏は、約束の履行に至るプロセスについてことごとくアメリカ側に背信的な態度をとり続け、 米国政府の失望を買い、すっかり日米関係をこじらせてしまったのであった。鳩山氏は県外移設について「腹案がある」と云い続けたにもかかわらず、自分で設定した目標時期をことごとく反古にしたうえ、肝心の県外移転先も徳之島らしいと思われた時期もあったが この案は、始めから実現不可能なものでいつの間にか消滅した。3月31日鳩山氏は、谷垣自民党総裁との討論の中で「5月末までに必ず政府の考えをまとめ、政府の方針として沖縄をはじめ日本国民に理解を求め、さらにアメリカに対しても理解が得られるようにする」と5月末 までに決着を着けると強調したのであった。5月4日鳩山首相は沖縄を訪問し、仲井眞知事と会見し、日米同盟において抑止力を維持する必要は避けて通れないとして、「選挙前に掲げた全てを県外にというのは現実問題として難しい」として事実上県外全面移転の断念を明らかにした。 さらに5月23日沖縄を訪問した鳩山首相は、仲井眞知事に対し、自公政権時代に合意した辺野古移設についてアメリカ政府と合意文書を交わす方針であることを説明した。これにより自身の掲げた「最低でも県外」という公約は反古となってしまった。仲井眞知事は 辺野古移転の方針について「大変遺憾であり、移転は極めて難しい」と不快感を露わにした。6月2日鳩山氏は、基地問題に関する自らの不手際と自己の資金問題による混乱の責任をとり辞職した。後継首相の菅直人も「普天間基地の移設、返還と一部海兵隊のグアム移転は 5月28日の日米合意に基づき是が非でも実現しなければならない。一方沖縄の負担軽減には全力をあげて取り組んでいかなければならない」という考えを示した。すなわち民主党は米軍基地見直しという従来からの方針を転換したのであった。その後、民主党の菅内閣(2010年6月~2011年9月) 次いで野田内閣(2011年9月〜2012年12月)の期間においては、辺野古移転は具体的な進展はなかった。

    第3節「国益をわきまえない翁長知事の暴言」
      一方2010年11月沖縄県知事選挙が行われ、自民党、公明党、みんなの党が推薦した仲井眞氏が再選された。仲井眞氏は、公約として日米合意の見直しと基地の県外移転を掲げ当選したのであるが、県外への移設に傾いたものの選挙戦の最中に朝鮮半島で武力衝突が起こり、 実現性の薄いものとなってしまった。2012年12月26日に第二次安倍内閣が成立したが、政権として普天間飛行場の辺野古への移転を引き続き進めた。さらに安倍首相は、自民党内(主として沖縄県選出の国会議員)の慎重、反対論を封じた上、12月25日普天間飛行場の県内移設実現にむけ仲井眞知事と会談し、 日米地位協定に関する沖縄県の負担軽減策と沖縄振興予算を示し協力を要請した。これに対し知事は内容を評価し、移転先である名護市辺野古沖の埋め立て申請を同年12月27日に承認した。ところが、2014年11月16日に行われた県知事選挙において3選を目指した仲井眞氏が落選し、辺野古移設反対を公約に掲げた前那覇市長の翁長雄志氏が当選したのであった。以降翁長知事は、仲井眞前知事が承認した辺野古沖埋め立ての作業停止を指示するなど、日本政府と激しく対立していることはご存じのとおりである。4月5日翁長知事 は、菅官房長官と那覇市内で初めて会見し、辺野古移転反対を強行に訴えた。その際官房長官が国としては閣議決定された移転についてただ「粛々」として事を運ぶという言葉尻をとらえ、上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくなどと主張 した。私は「粛々」という言い方に上から目線の高圧的な物は感じないのだが如何であろうか。4月17日首相官邸で安倍首相と翁長知事の初会談が行われた。知事は「選挙において辺野古基地反対という民意が示された。沖縄は自ら基地となる土地を提供したことはない」「新しい基地は 絶対に作らせない」「オバマ大統領に沖縄の民意を伝えてほしい」と迫った。

    ■第三章 「沖縄について考える」

    第1節「現実を見た基地訪問」
      ここまで両者ががっぷりと組み合うと、これを解きほぐすことは大変難しい。
    私は、今回この小論を書くにあたり4月15日から17日にかけ実際に沖縄を訪問し、普天間、辺野古を含む現地を視察してきた。普天間飛行場については、訪問時には訓練は行われておらずオスプレーを含む騒音には出会えなかった。しかし、まさに普天間は住宅密集地のど真ん中に位置し、 誰が見てもこれ程危険な空港はないであろう。一方辺野古であるが、辺野古移転予定地は米軍のキャンプシュワブ基地の沿岸である。基地の正門前には幾つかの青テントが設置されており、デモ隊員が多数屯していたが、そのほとんどが本土からの外来者とのことであった。辺野古の海は美しい。 ここを埋め立てることには、いささか抵抗感を持つのは致しかたあるまい。埋め立て予定地は、現在ボーリング調査が進んでいるが立ち入り禁止のための海上フェンスが設けられている。反対派がしばしばカヌーでこの中に侵入するので、これを排除するため海上保安庁との間で小競り合いが続いている。

    第2節「真相を語った現地新聞支局長」
    (1)さて、現在基地移転問題を巡り沖縄の実情がどうなっているのかを調査するためある大手新聞社の那覇支局を訪ね、支局長にいろいろと話をきかせてもらった。
    説明によると、沖縄の世論は四分六で基地移転反対である。五分五分まで行った事はない。自民党政権の終わりごろにはかなり移転に傾いていたが、民主党の鳩山氏が「最低でも県外」とぶち上げたうえ結局辺野古への移転に帰着し、すっかり沖縄の世論は硬化してしまった。おそらく当時は、 七分三分で移転反対だったろう。鳩山氏は政界引退後立ち上げた「東アジア共同体研究所」の沖縄支部を那覇市内に設け、毎月のように来沖して反対運動に加担しており、まさに国賊といってよい。
    (2)翁長知事は、単なる権力指向者にすぎない。中身はなにもない、まさに空っぽの人である。大体仲井眞前知事の選挙対策委員長を二度にわたり勤め、今度は仲井眞氏からの知事職禅譲を期待していたところ、仲井眞氏が副知事に基地移転賛成論者の元琉球大学教授の高良倉吉氏を任命したため 禅譲はないと考え反旗を翻し、立候補したのである。翁長氏はもともと保守の人で一時は基地移転賛成の急先鋒で自民党県連の幹事長でもあった。仲井眞氏の失敗は、二期目の知事選で接戦を制するため翁長氏の進言を入れ基地移転反対を公約してしまった事である。このため公約違反となり 三選をはたすことが出来なかった。翁長氏は仲井眞氏の決定を覆そうとして策を弄しているが、国は強行突破を図ってきており、仮に法廷闘争に持ちこまれても時間がかかり、その間に埋め立ては進んで行く。翁長氏はもう一つ県知事決裁(河川の付け替え)が残っていることにかけているよう だが、菅官房長官は、当然それに対する策を講じている筈なので、私見として、辺野古移転は進んでいくと思う。
    (3)翁長知事には自らの明確な政策もない。ブレーンにも優秀な人材がいない。仲井眞氏を裏切って県庁に入ったため補佐する局長も二線級で議会での答弁などでも明確さに欠けている。今保守側として一番心配されることは、このまま埋め立て工事が進行して、翁長氏の公約する県内移転阻止が 挫折した場合、翁長氏は公約違反で知事の座を追われることさえ考えられる。しかし、その際自民党側に適当な知事候補が見当たらない。これは仲井眞氏が三選出馬の際から云われていたことで、仲井眞氏は、後継者がいなかったために出馬せざるをえなかったのである。そうなった場合革新系から 先鋭的な左翼候補が出てくるおそれがある。たとえば社会大衆党の女性。これについて官邸は、そこまで考えが及んでいないようである。「移転問題がこのようにこじれているからには、日本政府としての、落としどころはどうなるのか」と質問したところすでに沖縄に対しては振興予算年間3000億円に 及ぶ膨大な予算がつぎこまれているわけであるが、仲井眞知事時代にあった沖縄に鉄軌道(鉄道)を日本国政府の援助のもとに導入する件(実際には膨大な費用を必要とするので実現には問題も多い)なども今後出てくるのではないか。

    第3節「沖縄経済力の中身の正しい考察を」
    (1)以上のように情勢を分析してくれたのであるが、上記においても年間3000億円という数字をあげたがこれをもう少し詳しく考察すると安倍首相は2013年12月当時の仲井眞知事に沖縄振興予算の額を今後7年間にわたり毎年3000億円の規模で計上すると表明した。この時点で 平成14年の振興予算を3460億円とし、15年も3340億円を計上した。同予算は、1998年の4713億円をピークとして減少が続き、2011年には2301億円まで下がった。民主党政権下の12年度には使い道の広い「沖縄振興特別推進交付金」制度を設け2937億円と増加に転じ、 自民党に戻った13年には3001億円と増加した。1972年の本土復帰以来、沖縄振興予算の総額は11兆1500億円にもなる。またこの金額は内閣府の沖縄担当部局管轄の予算に限られる。防衛省や農水省などの他省庁の予算を合算すると、これまでに沖縄に投じられた金額は17兆円にのぼるという報道もある。
    (2)これらは確かに唯一戦場になった、沖縄に対するせめてもの償いの部分が、相当あることは否定しないが、これらの手厚い保護により社会資本の整備が進み、すでに本土並みか、それをしのぐまでになっていることは、あくまでも、本質的には基地の負担に対する見返りである。基地が沖縄からなくなれば 手厚い振興はストップとはいわないが大幅に後退することは否定できない。一方、沖縄県知事公室基地対策課の発表によれば沖縄の基地で働く日本人従業員の数は約9200人となっており、総人口の140万人に比較して決して無視すべき人数ではない。
    (3)さらに、これは大変大きな数字となるが、沖縄の基地は、内地の基地と違い国有地は少なく、大半が個人所有となっている。同じく県当局の発表によれば、例えば嘉手納飛行場の地主は8365名、年間賃貸料246億5600万円、普天間飛行場の地主は2842名、賃貸料63億800万円、キャンプハンセンは2122名、 69億6900万円などが大きなところで、全沖縄の基地地主は3万9000名、賃貸料総額年間900億円である。しかも毎年値上げが繰り返されている。この金額は、沖縄が返還された1972年当時では30億円であったから実に30倍に達している。これらのことを考えるなら 基地が全て撤去されても沖縄の経済は十分にやっていけるというのは幻想にすぎない。 沖縄においては、観光業以外には、これはというような業種は育っていない。何となれば沖縄振興予算の上に胡坐をかいていた結果、県内に建設業者が5000社もひしめきあい、全産業における建設業の割合は8%と全国平均の実に2倍である。一方製造業 は全国平均の三分の一の4%しかない。要するに基地とセットになった多額の補助金による公共事業依存経済なのである。

    ■終わりに  「売国奴には鉄槌を、そして安倍首相の信念こそ」

      さて、中国は日本国政府と沖縄県知事との普天間基地移設を巡る確執に乗じ、外洋進出を阻む障害である沖縄への干渉を強めつつあることは見逃せない重大な問題である。考えの浅い翁長氏は、安易に中国との接触を図り、政府への牽制を図っているつもりかもしれないが、このことは取り返しのつかない事態を招来するであろう。この際、沖縄独立などの考えをぶち上げている向きもあるが、まさに中国の思う壺である。それにしても鳩山由紀夫や孫崎亨など中国に媚を売り、国を売り渡そうとする売国奴には鉄槌を下さなければならないと思うのは私だけではあるまい。前にも述べたが、このようにここまでこじれた政府と沖縄の関係を解きほぐすのは難事であるが、翁長知事が本当に信念の人とは到底思えない。そうかといって沖縄振興予算の増額による解決では芸が無さすぎる。ここは、安倍首相は信念を持って解決して頂きたいと切に思うのである。

                  ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年4月6日 金言(第33号)
    『最高裁判所の「疑問判決」を憂うる』

    ■はじめに「現行民法の法定相続規定の確認」

      少し古い話になるが、2013年9月4日に最高裁が下した婚外子の相続差別は、違憲とする判決は実に納得のいかないものであった。婚外子の相続差別とはどんなものか、ご承知ない方もおられると思うので、その詳細について触れる。 少し長くなるが、民法では相続について第900条において次のように規定している。すなわち同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は左(下記)の規定に従う。
    一 子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は各々二分の一とする。
    二 配偶者及び直系尊属である場合は、配偶者の相続分は、三分の二とし、直径尊属の相続分は、三分の一とす
          る。
    三 配偶者及兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は四分の三とし、兄弟姉妹の相続分は、四分の一
          とする。
    四 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。
      但し、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟
          姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする。

    ■第一章 「現行法定相続規定に対する疑問判決」

    第1節「長年の相続基本原則を覆す違憲判決」
    (1)元来は、以上により相続はなされていたのであるが、最高裁大法廷は2001年7月に死亡した東京都の男性と、同年11月に死亡した男性の遺産分割審判の特別抗告審(いずれも法律婚の妻と内縁関係の女性との間に子供をもうけていた)に対して、この規定は法の下の平等を定めた憲法に違反しており、無効とする決定を下したのであった。しかも裁判官全員一致の判断として、この決定となったのである。大法廷は決定の理由として、我が国の社会には、法律婚が定着していることを認めながら、家族の形態は多様化していると指摘し、「父母が婚姻関係になかったという、子供にとって選択の余地がない理由で不利益を及ぼすことは、許されないという考え方が確立されている」とした。
    (2)この判決については、当時多くの疑問が投げかけられたことを、覚えている方は多いと思うが、私はこの判決は、日本の良き家族制度を破壊する極めて憂慮すべきもの考えている。その理由を申し述べると、先ず、非嫡出子の相続分は、嫡出子の二分の一とした条文は、我が国の大原則である、法律婚制度と非嫡出子の人権を整合させる、当時の立法者の絶妙なバランス感覚より、生まれたものである。感情的にはいろいろな問題があろう。しかし正直言って法律婚制度のもとにおいて、愛人をつくり子供を設ける事は、配偶者に対する裏切り行為で、極端な言い方をするならば、重婚といって差し支えない。夫の財産は夫婦共同で築いたものである、それだからこそ、民法は相続において配偶者の相続分は二分の一と、明確に定めているのではないか。それにもかかわらず夫の死後、非嫡出子が本妻の子供と同額というのでは、配偶者はもとより、嫡出子にとっても到底納得できるものではない。
    (3)確かに、父親の不貞により生まれた非嫡出子には、罪はないのであるが、本妻の子供たちの取得分が、突然出てきた見ず知らずの人たちと、同じ扱いになることは本妻と子供たちの心情を察すると、暗澹とした気持ちになる。ましてや、愛人やその子供の存在がわかっていた場合、本妻の苦悩は、はかりしれないものがあったはずである。「平等」を論じることを、必ずしも否定するものではないが、現在の風潮は「平等」を通り越して「悪平等」が、まかり通りすぎているのではないか。そういう意味で本判決は、悪平等の典型と私は思うが、皆さんはどう思料されるのか、興味がある。
    第2節「家族多様化の流れは、未だ判決の理由にならず」
      次に本件について、実は1995年に同じく大法廷において「合憲」との判決が出ているのである。この時は15名の裁判官の中で10名は合憲、5名は違憲の疑いありであった。今回の判決では、重複するが「現在は社会が変化して、家族の多様化が進む中で、結婚していない両親の子供だけに、不利益をあたえることは許されない」との理由が述べられている。しかし、当判決の対象事案は2001年のもので、わずか6年で違憲となってしまうような、社会情勢に変ったという主張は、全く説得性を欠くといわねばならない。あるマスコミは、(民法の親族と相続を「家族法」というが)この家族法について「法の下の平等」を論ずるのが裁判所の役目かどうか、はなはだ疑問であると指摘している。「社会が変化して、家族の多様化が進んでいる」というならば、国民全体で議論すべきなのではなかろうか。たった15名の裁判官が考える家族観が、そのまま判決となり、それに全国民が従えというのは、いささか乱暴ではないかと思うのであるが、いかがであろうか。
    第3節「諸外国の例に倣うとの理由も、家族法には不適切である」
      もう一つマスコミの論評で、先進国の相続に関する法律では、我が国のような例は殆どないとの声が盛んに聞かれる。しかし日本の法律を諸外国との法律に標準化しなければならい理由は、全くない。その国の法律は、その国を構成する国民が、文化や歴史、風習、宗教などを考えて、つくるべきものだからである。それらは、本来、基本的に相違するものであり、批判されるべきものではない。嫡出子、非嫡出子に関する法律についていうならば、諸外国と我が国では、非嫡出子の数が圧倒的に少ないことを、知っておくべきである。フランスやスウェーデンでは、1970年以降カップル形態の多様化が進み、結婚していないカップルから生まれた非嫡出子の数が増加しており、2003年でスウェーデンは60%、フランスは50%にもなっている。ちなみにアメリカは34%である。一方、我が国は最近上昇傾向にはあるが1980年で0.8%、1995年で1.2%、2003年で1.9%にすぎない。このような背景をよく知らず、先進国で差別的な法律があるのは日本だけなどと、したり顔で報道することはやめてもらいたいものである。先ほどの平等の議論に、若干もどりたいのであるが、本判決の理由の中で「父母の婚姻関係がなかったという、子にとって選択の余地のないとの理由で不利益を及ぼす事は、許されないという考えが確立されている」というならば、少し性質は相違するが「貧富の差」はどうなるのであろうか。これは致し方ないことなのであろうか。今回このような判決が下された結果、婚姻という制度を守って生まれた子と、この制度を守らないで生まれた子は相続においては、同じ人間だから平等という事になり、極めて釈然としないのがあるが、せめて婚姻制度を守っていた正妻の相続分を、増やすという処置を今後考えていくべきではなかろうか。

    ■第二章 「家族法全体への波及を懸念」

    第1節「伝統・文化を否定した、思想的偏向の判決」
      これはあくまで私見であるが、民主党政権下において選ばれた最高裁判事には資質は別にして、思想的に極めて強い偏向があるように思う。唯々平等などを振りかざすだけでは、我が国の伝統、文化を否定した無味乾燥な法律判断になってしまう。今回の判決理由である「社会動向や家族形態の多様化」は極めて根拠が曖昧だ。法律婚と事実婚の法的な格差をなくせば、国民の結婚観や家族観に過ったシグナルを送る事になり、事実婚が増え、家族制度を崩壊に導くであろう。
    第2節「夫婦別姓、待婚期間について年内の最高裁判決を懸念」
      私が一昨年の非嫡出子の相続違憲判決について、なぜこれほど詳しく述べたかであるが、それは極めて重要な問題である「夫婦別姓」「待婚期間」(女性の再婚禁止期間)について、年内に最高裁が判断を下すことになっているからである。 先ず「夫婦別姓」の問題であるが、この制度については1980年代から繰り返し政府内で議論されてきた問題である。民法950条では「夫婦」は「夫又は妻の氏を称する」と規定されており、このため「夫婦」が別々の氏を称することは認められていない。「待婚期間」については、民法733条において「女は、前婚の解消、又は取り消しの日から6個月を経過しなければ再婚することができない」と規定されており、女性だけが離婚後の再婚が6か月間禁止されている。

    ■第三章 「夫婦別姓、待婚期間に係る各論」

    第1節「夫婦別姓制度の考察」
    (1)夫婦別姓制度については、そもそも仕事の場面で旧姓を名乗りたいというところから、はじまったようである。法制審議会(法相の諮問機関)が議論を重ね、1991年に導入の検討を開始し、結婚後も別々の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」を盛り込んだ民法改正要綱を96年に答申した。しかし、当時の与党内で、「家族の一体感を損なう」などの強烈な異論が巻き起こり、その結果法改正は見送られたのであった。2002年にも、原則は夫婦同姓ながら例外的に別姓を認める「例外的夫婦別姓制度」が、試案の形で提案されたが、日の目を見ずに終わり、民主党政権下の2010年にも、1996年の法制審議会の答申を基にした改正案が公表されたが、実現にいたらなかった。
    (2)民法改正の試案として提案されたものは次の6種類に分類される。
    1.原則夫婦別姓
          別姓を原則とするが、同姓も認める。子供の姓は出生時にきめる。
    2.選択的夫婦別姓(1)
          婚姻時に夫婦同姓か別姓かを自由に選択できる。子供の姓は出生時に決めるが、兄弟姉妹の姓を別々にする
          ことを認める。夫婦同姓の場合は兄弟姉妹の姓を別々にすることを認めない。
    3.選択的夫婦別姓(2)
          婚姻時に夫婦同姓か夫婦別姓が自由に選択できるが、子供の姓は婚姻時にきめ、兄弟姉妹の姓を別々にする
          ことを認めない。
    4.例外的夫婦別姓
          夫婦別姓を望むものには、例外的に認めるという案。夫婦同姓を原則とするが、この定めを義務付けること
          もしないので、その定めをしないことも出来る。実質的には自由に夫婦別姓を選択できる。
    5.家裁許可制夫婦別姓
          夫婦同姓を原則として、夫婦別姓は家庭裁判所の許可を得た上で認めるとする案、許可理由を祭祀の継承や
          職業上の理由などに厳格化する。
    6.通称使用公認制
          夫婦同姓を原則とするかわりに、通称使用を法律で認めるという案。
    (3)先にも書いたが、そもそも夫婦別姓が表にでてきたのは、仕事の遂行上結婚前の姓を名乗りたいというところから、始まったのではないか。改姓を届たり、知らせるのは、たしかに不便かもしれないが、これも一時のことである。しかしながら、現在では旧姓を通称として使用できる範囲は、大幅に広がっており、不便は全くといってよいほど、解消されているのではないかと思う。

    第2節「夫婦別姓制度の根幹にある婚姻制度についての考察」
    (1)さて、今回の裁判では夫婦別姓を認めていない民法950条の規定が、個人の自由を過度に制約しており、違憲ではないかという問題である。確かに、法律の制定立法は、国民の最高機関である国会の役割であるが、どうしても議会における法律の制定には、国会における多数派の意思が反映することはやむをえない。しかしながら、多数派の意思が少数派の権利を踏みにじるものであれば、それに対して最高裁判所は違憲の判断をくだすのは当然である。しかし、現行の民法950条の規定、すなわち夫婦が同姓でなければならないということが、少数派の人々の権利をあからさまに侵害しているとは、到底思えない。
    (2)確かに別姓を希望する人々は、婚姻することによって得られる恩恵は、受けられないが、民法は、別姓による法律婚を禁止しているのであって、事実婚を禁止しているわけではない。しかも、現在法律婚と事実婚の間に著しい差異があるのならば、違憲と云う方向も考えられるが、社会保障等においても、事実婚と法律婚の間の差異は少なくなってきているという、現在の社会情勢からみて、少数派の権利を不当に弾圧しているとは考えられない。また民法では、婚姻の際夫婦どちらの姓を名乗ってもよいのであるから女性を差別しているわけではない。大体婚姻制度自体が、国家における制度であって、その制度に国民のすべての考え方を盛り込むなどということは、不可能なのである、云いかえれば現在の社会的慣習にしたがったものであって当然なのである。したがって婚姻制度は、あくまで国家における「制度」であることを肝に銘ずるべきである。婚姻が個人だけのものと考えるならば、夫婦別姓はおろか、同性同士の結婚をも認める、ということになるのではないか。婚姻制度がどのようなものであるべきかは、時代の変遷とともに、いろいろな考えが出てくるのは必然である、それだけにこの問題につては、最高裁判所の判断を仰ぐというのではなく、国家の最高機関である国会で、充分に意見を戦わせて立法を通じて実現していくべきと考える。先の嫡出子非嫡出子の相続の問題についても、もっと早く国会が関与すべきでは、なかったかと思うのである。
    (3)もし夫婦別姓が実現した場合、これは我が国の家族制度の崩壊を導くものであって、日本の良き家族の連帯と文化を破壊する以外の何ものでもない。現在の夫婦同姓制度下での夫婦各人にとって、どれだけの不利益になるか、わからない。一般の世論調査によっても、夫婦別姓賛成はなお少数派である。夫婦別姓制度について何度も訴訟を起こす人たちは特殊なイデオロギーの持ち主ではないか。そこには、究極的に戸籍の廃止を指向する考えが、あるのではないかと思う。我が国以外の制度について詳しく述べる紙面がないが、アジアにおいては、我が国を除き夫婦別姓が多いようであるが、これは女性蔑視の考え方が根本にあり、女性(嫁)を全面的に家族の中に迎え入れない、一つの表れなのである。私は知人の中国人女性から、次のような言葉をもらった「日本の女性は、旦那さんの姓を名乗れて幸せですね」。

    第3節「再婚禁止期間の考察」
      もう一つの女性の再婚禁止期間については、夫婦別姓と同じ1996年の法制審議会の答申の中に、禁止期間を6か月から100日に短縮する制度の改正がもりこまれていたのであるが、夫婦別姓を巡る議論の紛糾のあおりを受け、改正が実現しなかった経緯がある。再婚禁止期間を定めた民法733条は、再婚する女性が妊娠していた場合、生まれてくる子供の父親が離婚前の夫か、再婚後の夫かを明確にする必要があるとの趣旨で設けられたものである。だが禁止期間6か月は、長すぎるとして不要との指摘も根強い。民法は懐胎期間を200日から300日と想定し、婚姻成立の日から200日、婚姻が解消されてから300日以内に生まれた子については、婚姻中に懐胎したものと推定している。この規定から、父性の推定が重なる期間は、最大100日しかない。すなわち、父性推定の重複を防止するため、必要な禁止期間は100日で充分である。

                ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年2月12日 金言(第32号)
    『死刑制度について想う』

    ■第一章 「日本の死刑事情」

    第1節「死刑存続賛成派が8割を占める日本の国民感情」
      最近新聞紙上で死刑制度について二つの注目される記事が載せられていた。一つは、内閣府が発表した2014年に実施の「基本的法制度に関する世論調査」である。これによると死刑制度については、「死刑もやむなし」とする回答80.3%であった。09年の前回調査では、容認の割合が過去最高の85.6%であったからその数字からはかなり低下しているものの80%が死刑容認である。「死刑は廃止すべきである」とする回答は9.7%で前回よりは4%増加している。死刑を容認する回答は過去増え続けていた。具体的には1994年が73.8%、99年が79.3%、04年が81.4%であった。今回の調査で「死刑もやむを得ない」と答えた理由は(複数回答可)「死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちが収まらない」が53.4%で最も多く、次いで「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」52.9%「また同じような犯を犯す危険性がある」47.4%となっている。「死刑は廃止すべきだ」と答えた理由(同)は「裁判にもし誤りがあった場合死刑にすると取り返しがつかない」46.6%が最多で「生かして罪の償いをさせた方がよい」41.6%となっている。今回の調査で初めて,仮釈放のない「終身刑」を導入した場合の死刑の存廃を問うたところ「死刑を廃止しないほうがよい」51.5%とする回答が「廃止するほうがよい」37.7%を大きく上回った。
    第2節「裁判員裁判も死刑については過去の裁判例によるべきとの判決」
      もう一つの記事は。2月5日に報じられた、一審の裁判員裁判の死刑判決を高裁が破棄した強盗殺人事件2件の上告審で、検察側と弁護側双方の上告を棄却したとの報道である。上告棄却により高裁の無期懲役が確定したのであるが、裁判員裁判の死刑判決破棄が確定するのは始めてケ−スである。最高裁は、かねてから控訴審は裁判員裁判の判決を尊重するのが原則としてはいるが、死刑事案については過去の量刑傾向も重要との立場を示しており、今回も「死刑は究極の刑罰で、慎重かつ公平でなくてはならない。過去の裁判例を検討すべきなのは裁判員裁判でも変わらない」とした。裁判員裁判を巡っては「市民感覚」を裁判に反映させることが目的であったから、専門家の裁判官だけで審理する控訴審が裁判員による一審を覆すことが妥当かどうか議論の的になっていたのであるが、上記のように死刑については特に過去の判例を重視して慎重に判断すべきことを司法の姿勢として明確に示した。
    第3節「世界では死刑制度は多数派」
      さて「死刑制度」を刑法の中に持つ国は、先進国ではアメリカと日本のみとよくいわれるが、2012年の国連の人口統計による世界諸国の人口規模ランキング上位10か国のうち8か国(中国、インド、アメリカ、インドネシア、パキスタン、ナイジェリア、バングラデシュ、日本)上位20か国の内13か国に死刑制度があり、死刑制度のある国の人口は、世界規模の人口規模単位では50%以上の多数派となっている。アメリカの場合は相当数の州で死刑は廃止されており、現在死刑制度を保持しているのは32州である。我が国においては死刑制度廃止を進める動きはあるが、上記のような世論調査の結果から見ても存続はやむを得ないと思う。死刑制度を廃止している国の状況をみると、釈放のない終身刑や併合犯罪に刑罰を加算していく制度がみられる。たとえば幾つかの犯罪に刑期を加算していくわけで、アメリカなどでは刑期が250年というのもある。

    ■第二章 「死刑制度の運用状況について」

    第1節「永山事件が死刑の判例基準に」
      さて、日本の死刑制度の現状をみると、我が国の刑法においては内乱罪をはじめとして殺人罪、強盗殺人罪など16の犯罪に死刑が適用されている。そして死刑判決を行う際には、昭和58年に永山則夫連続射殺事件で最高裁が示したいわゆる「永山基準」が死刑を適用する基準の判例になっている。「永山基準」とは犯罪の性質、犯行の動機、犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性)、結果の重大性(特に被害者の数)、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状の9項目を勘案することになっている。よく新聞等に永山基準のことが報じられるが、一体どんな事件だったのか振り返っておこう。この事件は、1949年生まれで北海道網走出身の永山則夫が1968年10月から1969年4月にかけて東京、京都、函館、名古屋で米軍から盗んだ拳銃により4人を射殺した事件であった。1969年4月(19才10か月)東京で逮捕され、1979年東京地裁で死刑の判決を受けたが、1981年の東京高裁の控訴審においては無期懲役に一旦減刑されるが、1990年の最高裁の上告審において死刑判決が確定する。この判決で死刑判決について、上記の基準が示されたのであった。
    第2節「永山基準にも例外あり」
      「永山基準」は絶対的なものではない。個々の事例について複数人を殺害したにもかかわらず死刑にならなかった例もあるし、一人殺害でも死刑判決がでた例もある。しかし、1990年以降は、被害者の人数が1人の場合には死刑になることはそれほど多くなかったが、2000年代以降は被害者が1人でも死刑になるケースがみられる。もう一つ少年法との関係であるが、少年法により18才未満の年齢で犯罪に及んだ少年には死刑を科することは出来ないが、これまでは少年法が適用される20才未満のものについても死刑判決は避けられる傾向にあった。すなわち、永山基準の枠組みでは、誰が考えても死刑以外の選択肢がない場合のみが死刑判決の対象となるという基準であった。
    「例外を認めた光市母子殺人事件における正義実現」
      ところが、近年話題となった光市の母子殺害事件、このあらましは1991年11月山口県光市で当時18才1か月の少年が主婦とその乳児を殺害した事件で2000年3月の一審山口地裁判決は無期懲役、2002年3月の控訴審では広島高裁は検事の控訴を棄却した。被害者の父親でありかつ夫は「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感して」犯罪被害者の会を設立してその幹事となる。さらに犯罪被害者基本法の成立に尽力する。そして裁判の経過中死刑判決を望む旨強く表明し続けた。二審後も犯罪被害者の権利確立のため活動し、裁判に正義を求め続け、ついに2006年最高裁において広島高裁への差し戻し判決を獲得する。差し戻し公判は2000年5月に行われ、2008年4月死刑判決が言い渡された。2012年2月最高裁は差し戻し二審を支持して、被告の上告を棄却、死刑が確定したのであった。この判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかがない」として、犯行時18才であっても「年齢は相応の考慮を払う事情ではあるが、他の基準と総合判断する一事情にすぎない」という新たな判断の枠組みを提示した。このように裁判所は、基準を変えたといってよい。私は裁判所が正義を貫いたと思っている。それと同時に厳罰主義へ進みつつあることも事実であろう。また現状にそぐわない少年法の見直しも狙いがあったのではないか。
    第3節「死刑執行を遅らせている再審請求」
      さて、現在我が国には死刑確定者が本年2月現在129名いる。内、麻原彰晃(松本智津夫)以下オウム関係が11名を占めている。2002年から2013年の12年間の死刑判決確定者は150名でこの間の年平均は12.5名である。2000年の初めまでは年に20名以上の死刑確定者はいなかったが、最近はその数が増加している。死刑判決確定後6か月以内に、法務大臣は執行を命令しなければならない(刑事訴訟法475条2項)が、実際には死刑確定から執行までは数年以上かかるのがほとんどである。これは死刑囚が死刑執行阻止を狙い、再審請求や恩赦を乱発するせいでもある。法的には再審や恩赦を求めている死刑囚の死刑は可能で、過去においては死刑執行の例もあるが、現在では再審請求中の死刑囚に対する刑の執行は可能性がないようである。また犯人が複数存在し、なおかつ共犯者が逮捕されていないか、公判中の場合は、死刑確定者が証人として出廷する可能性があるため執行は行われない。昨年逮捕された長年逃亡していたオウムの容疑者の裁判がこれに該当する。さらに1950年代以降精神異常の疑いがあるまま死刑判決を受けた者や、冤罪を疑われながら死刑判決を受けた者については、執行が避けられる傾向が顕著になった。帝銀事件の平沢貞通はその最たるものである。
    「帝銀事件の冤罪性について」
      少し長くなるが「帝銀事件」とは、1948年(昭和23年)1月東京都豊島区長崎にあった帝国銀行(後の三井住友銀行)椎名町支店で発生した被害者が12名にも及ぶ毒物殺人事件で、後に日本画家平沢貞道が容疑者として逮捕された。何分旧刑事訴訟法の下における取調べで、拷問?による自白が決め手になり平沢が犯人とされたが、毒物に関する知識を全く持ち合わせていない平沢の犯行は無理ではないかともいわれ、真犯人は、旧陸軍関係者という有力な説もあった。1950年(昭和25年)東京地裁で一審死刑、1951年東京高裁で控訴棄却、1955年最高裁が上告棄却し死刑が確定した。その後平沢は再審請求17回、恩赦願い3回を提出したが受け入れられなかった。平沢は逮捕された時56才で死刑が確定したのが63才の時であり、極めて冤罪の可能性が強い事件で、何度か法務大臣の決裁直前までいったことがあったが。死刑執行は引き伸ばされ、そのまま年を重ね、ついには法務当局も彼の獄死を待つようになっていた。長年宮城刑務所に収監されていたが、1987年(昭和62年)八王子の医療刑務所で病死した。95才であったが逮捕されてから実に39年を獄中で過ごした。

    ■第三章 「法に基づいた死刑執行を」

    第1節「遅れる死刑執行」
      死刑廃止を主張する重要な論拠の誤判の可能性、冤罪による死刑執行の可能性は、我が国だけではなく世界各国において指摘されている。何分死刑は国家権力による生命の剥奪であるから、これほど重い刑罰はない。それだけに冤罪のないように国は細心の注意を傾けるべきであるが、そのために再審申請は慎重に扱わなければならない。過去において再審請求で無罪判決となったのは、免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件と昨年再審が決定(無罪になるであろう)の袴田事件である。しかし、再審請求には国はかならずしも積極的ではなく、無罪になったものも、外部からの大きな支えがあったから実現したのではなかろうか。このように近年厳罰化の流れもあって死刑確定者が増えているにもかかわらず死刑執行件数は増えていない。上記の年数にあわせ2002年から2013年までの間に死刑が執行された数は58名である。この間150人の死刑確定者があった、現在の収監者129名である。死刑の執行が先にも述べているように死刑確定者が再審請求を乱発していることも大きい。調べてみると再審請求者は実に58名にも及んでいる。その他再審請求を繰り返す「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝も獄中生活すでに46年を数え、第二の平沢になっているのではないか。
    「特に民主党政権による執行の遅れ」
      死刑執行が遅れている一つの理由は民主党政権である。民主党は2009年9月に政権についたが、法務大臣に就任したのは死刑反対論者の千葉景子氏であったが、千葉氏はなかなか死刑命令にサインしなかった。最後はいやいや2名の執行に同意した。以後首相は鳩山氏から菅氏へかわったが、その内閣の柳田稔、仙石由人、江田五月、続く野田内閣の小川俊夫の各氏はいずれも法務大臣の義務をはたさずこの間約2年死刑の執行は行われなかった。ようやく野田内閣の滝実法相が4人の執行を命令した。 民主党政権は各方面で害毒を流したが、死刑執行の面でも停滞を招いたのである。自民党政権でも死刑命令に署名しない法務大臣が何人かいるが、法治国の我が国法務の最高責任者が「自分の信条に合わない」「宗教上の理由で死刑執行命令は出来ない」とかの理由で署名しないなど心得違いが甚だしすぎる。法務大臣を拝命する以上死刑執行命令に直面することはわかっているわけで、それならば最初から辞退すべきであるし、またそのような人物を大臣に任命した総理大臣の責任は極めて重いものと考える。
    第2節「本来の終身刑に近づいている無期懲役」
      日本の刑法においては、死刑について重い刑罰は無期懲役であるが、死刑と無期懲役では、云うまでもなく天と地ほどの差がある。永山基準等により裁判官は死刑の判決には細心の注意をはらい、事にあたっているのであるが、それでも死刑と無期の間には微妙なものがあろう。最近では裁判員裁判が採用されているため、更に難しさがある。冒頭に述べた裁判員裁判による1審死刑判決が2審控訴審で無期懲役となり、更に上告審で無期懲役が確定した件についてもその内容を新聞報道で知る限りでは、死刑もありえたのではないか。さて無期懲役とは、刑期に終わりの無い刑罰で刑期が本人の死亡するまで一生涯にわたるものであり、有期懲役より重い刑罰である。ちなみに有期懲役の最長期間は30年となっている。さて無期懲役に処せられた者は、最短10年で仮釈放が許可される規定になっているようで、実際過去においては10数年で仮釈放が相当数認められたようである。しかし、仮釈放の運用状況は1990年代から大きく変化してきており、2013年12月末現在刑事施設に在所している期間が30年以上となるものが143名、また2004年から13年までの刑事施設内での死亡者(獄死者)は146名もいる。他の資料によれば仮釈放を許可された者の在所期間の平均は、1980年代では15年〜18年であったものが、1990年代に入り一貫して増え続け、2000年代に入ってからは、25年以上となり2013年では仮釈放の平均は、31年2ケ月となっている。このことは無期懲役刑が終身刑に近づいているといってよい。
    第3節「死刑判決は法治国家として迅速な執行を」
      「死刑制度は廃止すべきである。なんとなれば死刑は残虐な刑罰である、また死刑があるからといって凶悪な犯罪が無くなるわけではない、犯罪者といえども国家に人命を奪う権利はない、誤判をどう考えるのか等々また先進国で死刑制度を保持しているのは、アメリカと日本だけであるから早急に死刑制度を廃止すべきであるという死刑廃止論」が唱えられている。それに代わるものとしては釈放のない終身刑と主張されているが、我が国の現状はどう考えてみても死刑制度廃止など難しいと考える。国民はどう考えているかについては、冒頭に紹介した最近の世論調査の通りであって、国民は死刑制度を是認している。私も不勉強であったが、現状において、いまの無期懲役制度は、事実上終身刑に同体化しているのではないかと考える。一般の風説では真面目に刑期をつとめていれば、比較的短期間で仮釈放の恩典によくすると思われているが、現実には無期懲役刑からの仮釈放は極めて難しいのである。
      最後に死刑執行に対するマスコミの取り扱いであるが、法治国家である我が国が法に則り行う死刑に関し、死刑が執行されるたびに余りにも騒ぎすぎるように私は思う。

                ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2015年1月27日 金言(第31号)
    『自己責任の欠如を憂うる』

    ■「はじめに」

      近頃世上でよく問題になるのは、国民の権利と義務の履き違い、それに加えて自己責任の存在が、余りにもおろそかにされていることではなかろうか。

    ■第一章 「冬山遭難事件の自己責任」

    第1節「冬山を余りに安易に考える風潮」
      特に自己責任の欠如について一例をあげると、正月や5月の連休に毎年かならず引き起こされる、冬山での遭難事件である。私も学生の時は少々山登りにこったことがあったが、12月から3月までの積雪期の山々には、本当に怖くて行けなかった。すでに、15年ほど前に亡くなった私の次弟は、学生時代からその筋では、名の通った岩登りや冬山を得意とする、先鋭的なクライマーであったが、生前、折からブームになりつつあった中高年の登山に大変批判的であった。ベテランの彼からみて、体力のある時期においても、ハ−ドな登山をろくに体力の強化もせず、また装備において、まるで都会の中を散歩するような出で立ちで行う中高年登山は、まさに自殺行為に思っていたのであろう。私の知る範囲でも、最近盛夏の穂高岳に登っただけで、次の冬山シーズンに同じ穂高に行きたいという相談を受け、仰天してとめたことがあった。弟が危惧したとおり、その後の中高年の登山ブームの中で、余りにも山の怖さを知らぬため、数々の遭難事件が起こっていることは、皆様ご承知の通りである。
    第2節「冬山登山に潜む危険の認識不足」
      正直いって、山々の存在する長野県や岐阜県、群馬県、富山県その他地元警察関係者こそ、大変な迷惑をこうむっているのである。このような地元においては、特別な山岳救助のための組織を設けており、調べたことはないが、その費用は莫大な額である。皆さん新聞で遭難の情報を読まれることが、多々あると思うが、最近遭難する人は、中高年者がほとんどで、冬山の経験十分などと書いてあったりするが、はなはだ眉唾である。3000メートル級の冬山の怖さに対処できる有能なリーダは、数少ない。かの有名な冒険家植村直己氏でさえ、海外ではあるが、冬のマッキンレーから帰還できなかった。経験不足、体力不足、装備不十分にもかかわらず、3000メートル級の冬山に登るのは自殺行為に他ならない。夏でも日本アルプスの気温は100メートル登るごとに約1度下がる。そこに雨と風が加われば体温は急激に低下し、霧などによる見通しがつかないことで、道に迷い凍死するのが、夏山の遭難に最も多いパターンである。まして冬山では、風は台風級も珍しくなく、一方雪崩の危険もあるし、尾根においても雪庇を踏み外すおそれもあろう。
    第3節「救助のための危険と高額な費用を考えない無責任な行動」
    (1)経験もなく、冬山に入り悪天候で立ち往生するケースが多いのだが、最近は、幸か不孝か携帯電話のような通信手段があるため彼等は、自力脱出を早々にあきらめ警察や消防にヘリコプターの来援を要請する。一体、ヘリを一回飛ばせばどれだけ費用がいるのかがわかっているのか、更に悪天候のもとでの救助作業がどれだけ危険なのか、考えたことはないのではないか。そのような連中に限って入山する際義務づけられている行動予定を書く、入山カードの未提出者が多いそうである。遭難して入山カードがない場合、捜索の範囲が絞りきれないため、捜索広範囲の文字通りの山狩りとなり、費用もかさむのである。
    (2)もう一つ、つい先日マスコミ報道で驚いたのであるが、最近整備されたゲレンデスキーにあきたらない連中が、わざわざゲレンデの外に出て「バックカントリー」なる滑走をこころみ、雪崩に巻き込まれ、4人が死亡したことであった。バックカントリーすなわち山スキーのことであるが、整備されたゲレンデから外に出れば、ゲレンデとは比較にならない困難さが待ち構えている。最近は道具が進歩して、深い新雪の中でも比較的容易に滑ることが、可能ともいわれているが、それでも新雪の滑走は難しい、それだけではなく、雪山の研究をおろそかにした結果、雪崩について全く油断したためであろう。
    (3)さて遭難事件が発生した場合、その捜索などに要する費用は警察、消防については公の負担であるが、人手の関係で民間の専門家に頼る場合も多々ある。その時は、一人につき一日2万〜3万円の費用がかかる。またヘリの救援を頼むと警察、消防のヘリは無料であるが、何時でも空いているわけではなく、その場合民間のヘリを頼むことになるが、一時間当たり安くて20万円、高ければ50万円以上の費用がかかる。自衛隊の出動はよほどの大事件以外はないようである。このように遭難の処理には莫大な費用がかかるのであるが、自己責任で当然負担すべきものを、すべて支払っていないケースが多いのではないかと思われる。勿論自然の激変などはあろうが、いい加減な登山の結果、地元や関係者に多大な迷惑をかけ、かかった費用についてもいい加減なことですますなど、モラールの低下は目に余るものがある。先に触れたスキー場から逸脱して事故をおこす例が、あまりにも多いとして、長野県の野沢温泉スキー場では、コース外で救助が必要になった場合にはスキー場側が費用を請求する「スキー場安全条例」を定めており、昨シーズンは20人が救助され総額300万円を請求している。いずれにしても、毎年繰り返す安易な登山遭難事故については、自己責任の徹底で対処してもらいたい、と切に思うのである。

    ■第二章 「過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件の自己責任」

    第1節「身代金と殺害のジレンマにある人質事件の本質を知るべし」
    (1)毎年繰り返される登山の自己責任を論じていたところ、中東の「イスラム国」 に日本人二人が拘束され、72時間以内に身代金2億ドルを支払え、支払わない場合は人質を殺すという画像が、インターネットに投稿されるという大ニュースが飛び込んできた。その後一人は殺害され、解放の条件もテロを実行した死刑囚との交換にかわった。日本人が外国で人質に取られる事件は前例があり、可能性はあったが、今回は「イスラム国」を空爆している有志連合に参加していない日本人を狙った目的は何か、日本を、米、英と同列に位置付けることにより、反「イスラム国」の包囲網を、突き崩す狙いが考えられる。
    (2)日本人が事件に巻き込まれるのを防ぐ手段は、非常に限られている。日本政府は渡航禁止区域などを定めてはいるが、国民が危険な国や地域に渡航するのを強制的に止められない。ただ渡航しないよう呼びかけるしかないのである。しかも犯人の要求に応じて何等かの交渉に応じて、身代金を支払うことは、同じく人質を取られている米、英など同盟関係にある国々との状況を、悪化させる可能性がある。しかし、身代金を支払わない限り、人質は殺害されてしまう。どちらにしても、日本はジレンマの中にある。
    (3)欧州の国の中の一部では、人質解放のため身代金を払っている国がある、といわれている。ニューヨークタイムズの資料によれば「イスラム国」はシリアやイラクで様々な国の人を人質にとっているが、その内訳をみるとアメリカ4名(内3名殺害1名拘禁中)、フランス4名(全員解放)、英国3名(内2名殺害、1名拘禁中)、スペイン3名(全員解放)、デンマーク2名(全員解放)、イタリア、ドイツ、ベルギー、スイス、スウェーデン、ペルー6名(全員解放)、ロシア1名(殺害)となっており、歴然とした裏取引の存在が考えられる。
    第2節「イスラム教義から逸脱した狂人集団であることの認識を」
      テロの脅威に国際社会が共同して対処しなければならないことは、当然であるが、相手の「イスラム国」の実態が今までのテロ集団とはかけ離れており、伝統的なテロ対策が通用しないと専門家は論じている。筆者の考えでは「イスラム国」は、イスラム教の教義から逸脱した狂人集団であり、占領地域における過酷な徴税、殺人、誘拐、強姦、奴隷制度の復活まで行っており、このような組織の伸張を許した責任の大部分はアメリカのオバマ政権の弱腰外交にあると思うが、究極のところ、アメリカの地上軍派遣がなければ「イスラム国」は崩壊しないのではないだろうか。
    第3節「自己責任から逸脱した自分本位の行為の無責任さ」
    (1)さて、今回の「イスラム国」人質問題であるが、如何に中東に経験があるからといって渡航が制限されている地域に渡ること自体が自己責任の範疇から逸脱した行為である。フリージャーナリストと称する後藤氏の眞の目的は何か、紛争地域の実態を報道することは、それなりに価値があり「朝日新聞」の喜ぶ国民の 知る権利を満足させるものがあるのかもしれないが、一旗あげたいという見返りを期待しての意図もあったのではないか、そういう意図がなくても自己責任という点から彼の行動は落第である。
    (2)また、もう一人の湯川氏は昨年一度シリアで自由シリア軍に拘束され、幸い釈放されたにもかかわらず再度シリアに渡りこの難にあっている。後藤氏と湯川氏の関係も本当のところよくわからない。何か裏があるような感じがするのだがどうであろうか。いずれにしても、二人の拘束が我が国にどれだけ迷惑をかけているか量りしれないものがある。
    (3)人質の解放ということから、こういう事件があったのを思い出す。1977年9月28日日本赤軍によるバングラデシュダッカ国際空港における日本航空ハイジャック事件である。日本赤軍のメンバー5名がパリ発日本航空472便を経由地ムンバイで乗っ取り、ダッカ空港に着陸させ日本赤軍メンバー及びシンパ9名の釈放と身代金600万ドル(当時のレート1ドル266円で約16億円)を要求した事件で、時の首相福田赳夫は「一人の生命は地球より重い」として身代金の支払いと超法規的措置として獄中メンバー6名を釈放した。(3名は釈放を拒否)この件は、テロに対する弱腰として、今に至るまで極めて評価の低い処置であった。

    ■第三章 「テロに妥協なし、自己責任を」

      最近のハイジャック事件では、特殊部隊により人質の生命を十分に考慮するが、最後には犯人射殺が普通である。欧米のやり方は、あくまでテロには屈しないことが原則で、今月7日フランスにおけるイスラム過激派の風刺雑誌社襲撃犯が、その後人質をとっての立てこもりにおいても4名の犠牲者が出たが、犯人は射殺された。このようなテロに対する断固たる処置こそ、今求められるものである。我が国もあくまでこの原則にのっとり、客観情勢を無視した危険地帯への渡航を排除し、テロには妥協しない姿勢を明確にすべきである。ダッカ事件の処理で日本は世界中に大恥をさらし、相当学習をしたはずである。権利を主張するからには、義務の履行がなされなければならないのであって、それは自己責任をはたすことでもある。

                ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)
  • 武藤会長「金言」

    お問い合わせ

    イベント情報や館内のご利用についてなど、お気軽にお問い合わせください。

    ※メールソフトが開きます

    お問い合わせ