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武藤会長「金言」

2017年5月22日 金言(第58号)
『テロ等準備罪(共謀罪)と治安維持法』



■「組織犯罪未然防止による安全な国民生活のために」

  今国会も終盤を迎え、現在与野党一番の対決材料となっているのは、共謀罪、正式には「テロ等準備罪法案」である。これには前段があって、すでに存在する「組織犯罪法」に「組織的な犯罪の共謀罪」を付け加える法案が過去2005年(平成17年)と2009年(平成22年)に衆議院に提出されたがいずれも廃案となったいきさつがある。そして、この度2017年の第193回国会に「組織犯罪処罰法」の改正案として、あらためて上程されているのである。これが一般に云われているところの「共謀罪」、公称「テロ等準備罪」なのであるが、これを巡り前述の通りに与野党が激突しているのである。この法律がどういうものかというと要するに昨今「イスラム国」などによる組織的テロが頻発し、さらに先日は、ロシアでもテロが発生している。これに対応するための法律がこの「共謀罪法案」なのであるが、民進党や共産党は例によって、この法案に対して真っ向から反対している。この法律はあく迄「テロを未然に防ぐためにテロを準備、計画した人を逮捕するための」法律なのである。我が国でもかつて1995年(平成7年)に前代未聞の地下鉄サリン事件が起きており、法の制定が遅すぎたきらいすらある。

■第一章「法制定の目的」

第1節「国際的組織犯罪防止のための国内法整備」
  この法案の詳細についてであるが、我が国の刑法においては、未遂罪はあく迄「犯罪の実行に着手」することが構成要件となっており、共同正犯(共謀共同正犯)も同じく「犯罪を実行する」ことが構成要件となっているため、組織的かつ重大な犯罪が仮に計画段階で発覚しても、内乱陰謀(刑法78条)などの個別要件に該当しない限り処罰することも出来ない。従って強制捜査も不可能である。ところが2000年(平成12年)11月に国連の総会において、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約、一般にはパレルモ条約と云われている)が締結され我が国においても2003年(平成15年)、国会は承認している。しかし条約締結に先立って国内で必要な手続きがある。具体的には重大な犯罪の共謀、マネーロンダリング、司法妨害などを犯罪とすることを条約は締結国に義務付けたため、この条約の義務を履行し、この条約を締結するための国内法を整備しなければならないのである。そのため刑法の一部を改正して組織的な犯罪などについて共謀罪を創設するための提案がなされたのがそもそもの発端であった。
第2節「思想信条の自由を制限するものにあらず」
  法案の提出について詳しくは省くが、2004年(平成16年)2月に最初の政府案が示されたが野党は反対し、以来今回で3度、若干の修正を加え、法案として提出されたのであるが、その都度「思想処罰の悪法」「戦前回帰」「治安維持法の再来」など、猛烈な反対が出て日の目を見なかった。このように我が国の対応がもたついている内に、あの北朝鮮を含む187ヶ国、地域がパレルモ条約を締結してしまい、未締結は、日本、イラン、南スーダンなど11ヶ国というのが現状である。他の主要国は締結済でG7の中で我が国のみが、かやの外にあり、参加の遅れのため麻薬取引や人身売買など国際組織犯罪に関する情報の提供や、捜査連携が滞っているのが現状であり、先進国の中で我が国一国のみが未締結とあってG7や国連安保理事会において我が国は白い目で見られている。これでは我が国として全く肩身が狭いので3月に「共謀」の定義を狭めた新法案を国会に提出して、5月のイタリアサミットを控え早期成立を目指している。
第3節「即ち構成要件は犯罪を犯す意図ある準備行為」
  さて、本年3月21日に政府があらためて提出した法案の中身は次の通りである。なお、野党は未だにこの法律のことを共謀罪法案と呼んで反対を展開しているが、あく迄これは、「テロ等準備罪法案」である。政府案の全文についてはネットでも見ることが出来るので割愛させていただくが、この法律の構成要件の主体は
@犯罪を目的にした組織においてかつ命令する人間が明確で、又何度にもわたって犯罪を犯したことのある組織
  であること。
Aその組織が犯罪を計画し、そして組織の中で犯罪を計画した人間の内、一人でもその犯罪の準備
 (例・資金調達、物質調達、現場視察など)を行った人たちは全員罰せられる。
  これに対して野党、民進党、共産党はこの法案に対して真っ向から反対してる。確かに先にも述べたように我が国の刑法では未遂罪は「犯罪の実行に着手する」こと又共同正犯(共謀共同正犯)も「犯罪の実行」が構成要件であるから、組織的かつ重大な犯罪が例え計画段階で発覚しても、内乱陰謀などの個別の要件に該当しない限り処罰出来ず、当然強制捜査も出来ない。しかし片方にパレルモ条約があり、この為に国内法の改定を目指すに至っているのである。

■第二章「法整備の背景にあるもの」

第1節「テロ防止には準備段階での取り締まりが不可欠」
  何故テロ等準備罪が必要になるのかと云えば、矢張り我が国の治安については長年良かったとはいえ世界的にはテロの脅威は増しており、ご承知のようにこの一年間だけでもアジア国で十数件のテロが発生している。このようなテロ犯罪を準備段階で取り締まる法律が必要である事は云うまでもない。まして2020年には東京でオリンピック、パラリンピックが開催されることになっており、それに備えるためにもこの法律は必要であろう。日本は安全、という神話はもうすでに例のオウム真理教の事件で崩壊している。
第2節「観念的平和論による野党の反対のための反対論を排す」
  それにもかかわらず民進党や、共産党の主張は犯罪に係わっていない人を巻き込むおそれがあると主張し、反対を続けている。彼らが云うのには、犯罪を立証するのは供述である。単に共謀したという供述だけで捜査対象になるとの危険を云い続けている。一方提案する政府側にも問題がある。主管大臣の金田勝年氏のお粗末極まりない答弁が続いており、政府が失点を重ねているのも事実である。しかしながら野党の観念的にして硬直的な態度は問題外ではなかろうか。私が思うに戦後数々の与野党対立のあった60年安保、70年安保しかり日米ガイドラインの見直しやPKO法や有事法制、最近で云えば特定秘密保護法、そして集団的自衛権の見直し、又今回のテロ等準備罪についても朝日、毎日などの左翼マスコミ、そして野党はこのような法律が成立したならば「日本は戦争をする国になる」と云い続けているが、実際には全くそうでなかったのではないか。日本がいつ「暗黒社会」になったか。今北朝鮮の核とミサイルの脅威がひしひしと感じられるようになり、尖閣諸島には毎日のように中国艦船が押し寄せている。この現実を野党やマスコミは感じないのが不思議で仕方がない。
第3節「重大組織犯罪に絞った限定的容認への国民理解の議論を」
  先日は北朝鮮牽制のため米国空母が日本海に送られたのであるが、その補給のための米艦護衛のため海上自衛隊のヘリ空母「いずも」が随伴した。ようやく我が国もそこ迄きたかと思い胸が熱くなったのである。もし米空母カール・ビンソンへの補給艦の援護すら出来なければ湾岸戦争の二の舞であったろう。さて毎日新聞に「風知草」というコラムがある。このコラムは毎日にしては中立的で、私も納得するところが多いのであるが、先日このように共謀罪について記している。すなわち今回の共謀罪については、国際協調として決まったパレルモ条約のためのものではあるが、矢張り治安立法は薄気味悪い。先にも述べたように日本の刑法では一部の例外を除き、「犯罪の実行に着手」しない限り未遂罪は成立しない。今回の組織犯罪、処罰法改正で市民社会が一気に窮屈になるのか。あくまで重大組織犯罪に的を絞った例外捜査の「限定的容認」と云えるのか。その具体的解明が国会の論議に期待されているのである。しかしまともな質問もあるのだが、実際には法相の不手際ばかりがクローズアップされ、それしか見ない国民には理解不能の展開となっている。私も全く同感である。

■第三章「テロ世界的拡散の歴史的視点からの理解こそ」

第1節「法律全体像の分かりやすい説明で国民に安心を」
  更にもう一つ本当に問題となっているのが、本当に国内法に手を付けなければ条約締結が出来ないのかという考えが片方にある事である。これについては、外務省と法務省が国際法(条約法に関するウィーン条約)に則して他国の法律専門家の批判に耐えるかどうかを検討し、新法が必要であるとの結論に達し民主党政権下でも同じであった。現在の民進党は、それを蒸し返して現在の国内法だけで条約締結は可能であるからこの法律は必要なしと云っているのは矛盾もはなはだしい。このあたりをクリアするために国会で納得の行くよう審議されるべきところ、外務省と法務省の連携が十分でないところに持ってきて与党の国会対策が絡み、政府の答弁に矛盾が出て野党は「市民社会を破壊する策謀の証拠」という批判を展開している。この批判は的外れであるが、この法律の全体像を説明しきれない法務大臣を更迭すべきと云う論もあながちおかしいとは思えない。テレビのニュースなどではこの法相の無様な様子だけを拡大し、放送するものだから、国民はこの法律の本質について理解不能となっているのが正直なところではないか。
第2節「与党野党の主張をまとめれば」
  この法律に関しての与野党の端的な主張をまとめると次のようになる。即ち与党の賛成の主旨は、国際組織犯罪防止条約を一刻も早く批准し、海外のテロ情報を収集し、我が国の安全安心を達成しなければならない。そのためにこの法律の早期成立を今国会で成し遂げなければならない。
  一方野党の反対の主旨はこの法律は「国家が市民社会に介入する境界線を大きく引き下げる」また「警察の活動領域が大きく拡大し、警察が個人の権利の侵害の高い捜査手法を求める可能性を否定することができない」
  与野党の考え方は平行線をたどるが、野党の考え方はとにかく、前に述べたように「戦争をする国になる」という60年安保から最近の特定秘密保護法、集団的自衛権の見直しにつながる観念的平和主義論の継続ではないかと思うのである。この考え方をある雑誌では「戦争をする国になるなる詐欺」と云っている。
第3節「歴史を巻き戻す治安維持法の復活はありえない」
  最後に昨今の与野党の激突する法案の審議で必ず野党から「戦前回帰」「治安維持法」再来なる事が叫ばれるのであるが、余りにも再三再四この法律の事が云われるので、この治安維持法について触れておきたい。治安維持法は1925年(大正14年)に制定された。すなわち1920年(大正9年)頃から政府はロシア革命による共産主義思想の移入拡大を脅威に感じ幾つかの治安維持に関する法律を制定していたが、1925年(大正14年)1月のソビエト連邦との国交樹立により共産主義革命運動の激化が懸念された結果、この法律が出来たのであった。
  この法律は「国体を変革し、又は私有財産を否認することを目的として結社を組織し又は事を知ってこれに加入したものは10年以下の懲役又は禁固に処する」ことを内容としていた。続いて1928年(昭和3年)にこれに改正が加えられ、構成要件を「国体変革」と「私有財産制度の否認」に分離し、前者に対しては死刑、無期を含む厳罰化が進められた。又、「結社の目的遂行の為の行為をなしたる者には2年以上の有期刑に処するという項目が加わった。更に1941年(昭和16年)5月に改正された。
  これによると「国体の変革」結社を支持する結社、「組織を準備することを目的」とする結社(準備結社)などを禁止する規定を創設したことで、これにより官憲により準備行為を行ったと判断されれば検挙されるため、事実上誰でも犯罪者にできるようになった。また、その後取締対象が拡大され、宗教団体(例えば大本教)、学術研究会、芸術団体も摘発の対象となった。そして終戦後1945年(昭和20年)10月にGHQの命令によりこの法律は廃止された。当初この法律はロシア革命後に国際的に急速に高まった国際共産主義運動を牽制することに目的があったが、その後の同法の強化の過程で、多くの活動家や運動家が抑圧され粛清された。有名なプロレタリア文学作家小林多喜二が取り調べ中拷問により死亡したのは有名である。しかし、意外にもこの治安維持法の下で日本内地において死刑判決を受けた人物はいない。この法の下で1925年(大正14年)から1945年(昭和20年)までに7万人が逮捕されうち7千人が訴追された。成程量刑こそ表向きは軽くても拷問や虐待で落命した者は多数存在する。日本共産党の発表によると194名が取調中に拷問、私刑により死亡、更に1503名が獄中で病死したとされている。又、外地では内地の基準より厳しく、朝鮮では45名もが死刑となっている。さて、治安維持法は戦前、戦時中の我が国の恥部ともいうべきものであるが、絶対主義的天皇制維持には欠くべからざるものであつたのであろう。そしてこの法律はあくまで旧帝国憲法のもとで実施されたもので、現在の人権が保障された憲法の下でそのような法律が復活することはない。共産党も民進党も事あるごとに、治安維持法と比較して宣伝つとめるが、極端な比較はやめてほしいものである。

                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年4月26日 金言(第57号)
『今そこにある危機』



■序「森友学園騒動は枝葉末節の問題」

  本年度の通常国会は1月20日に召集され、6月18日迄の150日間の期間が定められ、会期が進んでいる。本国会は「補正予算」「来年度予算及び関連法案」さらに前々から廃案が続いていた「共謀罪」の要件を変えた「テロ等組織犯罪準備罪」を新設する法案などが主たる審議事項となっている。ところが「補正予算」や「来年度予算」については成立したのであったが、現在進められている状況について考えると全く寒心に耐えないのである。何故なら2月9日に朝日新聞によるスクープとされる森友学園の問題が未だに国会で再三再四論議され、他の重要案件の審議に支障をきたしていることは異様としか思えない。
  森友学園の問題は、マスコミで十分報道されているので、詳しくは述べないが、要するに幼稚園経営者の籠池泰典氏が小学校の経営進出を思い立ち、その為に国有地の払い下げを受け、本年4月の開校を目指していたが、その土地の払い下げ価格が鑑定価格9億5,600万円のところ「土中にゴミ(産廃?)」が埋まっているとして、その処理費8億円を差し引いた1億3,400万円で払い下げられた事に対する疑問、あるいは安値払い下げについての国会議員の口利きがあったのではないか、加えて補助金不正受給などの疑惑、それに極め付けは安倍首相夫人昭恵氏の関与、100万円の寄付などがあったという籠池氏の証言なども飛び出し、ついに3月23日衆参両院で同氏の証人喚問が行われたのは記憶に新しいところである。証言の内容を事細かく説明する時間はないが、結論から言えば真相は全く藪の中としか云いようがない。只言えることは首相夫人たる昭恵氏の余りにも事をわきまえない行動、例えば小学校の名誉校長に擬せられたり、わざわざ講演を行ったりしたうかつな行動が、疑惑を呼んだことは間違いない。
  しかしながら、ここで私が云いたいのは、確かにこの森友問題は重要な問題であるが、これによって国家全体が揺らぐような問題ではない。現在安倍首相の地位は絶対で死角となる問題はほとんどない。安倍一強と云われる由縁であろう。野党は、この問題ぐらいしか攻めどころがないのはわかるが、現在の北東アジアにおける我が国が置かれている危機について、もっと積極的に論じることこそ国会議員の務めではないかと考える。今国家の存亡が問われている状況を冷静に見守り、行動する事こそ国会議員の義務である。

■第一章「北朝鮮から仕掛けられる全面戦争勃発の危機」

第1節「日本へ向けられたミサイル発射実験は米国への牽制」
  現在の世界情勢を見ると問題が山積している。特に北東アジアにおいては北朝鮮が核開発(小型の核弾頭開発)と長距離ミサイル(ICBM)の完成へと着々と歩を進めており、これこそ我々にとっての最大の脅威である。すでに承知されていることではあるが、北朝鮮は1月6日に4回目の核実験を行い、2月7日に「光明星3号」と称する長距離弾道ミサイルの発射実験を強行した。核燃料の小型化も進んでいるとみられ、ミサイルの射程距離も伸びているわけで、おそらく米国本土をとらえるICBMの完成は時間の問題となってきた。又、北朝鮮は潜水艦からの発射ミサイルSLBMの実験にも成功している。
  前に戻るが、本年2月11日に安倍首相とトランプ大統領の会談がフロリダで行われたのであるが、その翌12日、北朝鮮は中距離弾道ミサイル、ムスダンを発射、続いて3月1日から行われた米韓軍事演習に向って3月16日スカッドERと思われる弾道ミサイルを4発日本海へ向けて発射した。スカッドERなら射程は1,000qと云われ、日本列島全域が攻撃にさらされることになる。
  更に4月5日、折から行われた米中会談を目指して中距離弾道ミサイル、北極星2号を発射したことは記憶に新しい。このように、アメリカが動くたびに北朝鮮がまるで嫌がらせのように米軍を駐留させている日本に向けてミサイルを発射するのは、アメリカへの牽制が目的である事は云うまでもない。
第2節「それに対して米国はすべての選択肢をテーブルの上に」
  前から云われていることは、金正恩朝鮮労働党委員長の本音は、核保有によりアメリカと取引して、北朝鮮の現体制維持を確約させるということである。オバマ前大統領は北朝鮮との対話を無視し、いわゆる「戦略的忍耐」の政策を原則として、北朝鮮政策を進めてきたが結果としては全くの失敗に終わり、北朝鮮の核開発、ミサイル開発を促進させてしまったのは事実である。ついでながら対中国政策においても南シナ海に中国の勢力をはびこらせたのも同様にオバマ氏の責任であろう。
  さて、トランプ大統領は今年1月の就任以降、核ミサイルの挑発を続ける北朝鮮の対応について「すべての選択肢がテーブルの上にある」と繰り返し言及している。米国は北朝鮮に影響力を持つ中国に圧力をかけて北朝鮮に対する経済制裁の実効性を高めようとしており、これが基本方針ではあるが、一方「軍事行動」の可能性を排除していない。米国としては軍事行動を含め、あらゆる選択肢を俎上に載せているわけであるが、これはあく迄外交を動かすための手段であって、米国の本気度を示すのが狙いである。しかし「外交が機能しないなら軍事行動もありうる」という方針が示している。先日の米中首脳会談でも北朝鮮に圧力をかけるよう中国に経済関係で譲歩しながらも中国の行動を促している。しかし、もし中国の行動がはかばかしくない場合、米国一国で解決すると云っている。米中会議の当日、シリアに対しトマホークミサイルを50数発も打ち込んだのは、米国の本気度を示したものである。
第3節「挑発的姿勢の北朝鮮との一触即発のリスク」
  一般論としては、今回アメリカは原子力空母、カールビンソンを中心とする空母打撃群をわざわざシンガポールから北上させ、北朝鮮の目と鼻の先にまで近接させたのは「これ以上の挑発行為は破滅行為である」と警告しているのであろう。しかしながら、トランプ氏がならず者といっている金正恩である。北朝鮮は以前から徹底的に「他国の武力には屈しない」という基本姿勢であり、今回のような自国を破滅させうるに違いない大戦団が接近している現状でもなお、「我々は核戦争をおそれない」という好戦的な態度を続けている。一方アメリカも本当に北朝鮮(ICBM、核)が脅威となる前にこの際叩いておきたいと思っているのではないか。ましてやこの20年間の歴代大統領の甘さがこの事態を招いている事をトランプ氏は批判しているのであるから、もし北朝鮮が手を出せば本格的な軍事行動に移ることは、否定できないと思われる。

■第二章「そこにある危機とは何か」

第1節「進化続ける北朝鮮の核ミサイル」
  追い込まれた「ならず者」が、何を仕出かすかわからない。彼等が核弾頭付のミサイルを保有していて、アメリカの同盟国で未だ核を持たず報復手段のない我が国に攻撃を加えるおそれも皆無ではなかろう。北朝鮮が、軍事行動を取れば韓国、日本の損害は甚大なものとなろう。韓国の首都ソウルは38°線からわずか56kmしか離れていないから長距離火砲の餌食となり、文字通り兼ねてから彼等が云っている通りソウルは火の海と化すであろう。
第2節「大量の化学・細菌兵器の地中深く分散された保有」
  又、北朝鮮には核ばかりが注目されているが、化学兵器、細菌兵器も大量に保有しているのでこの面からも人的な大損害が心配される。もしアメリカが北朝鮮に対して軍事行動に踏み切れば、我国と韓国にミサイルが飛来する可能性は大であるからアメリカとして容易には攻撃できないことは確かである。北朝鮮は核施設、核爆弾、を地中深く貯蔵しており、またミサイル発射台も地中に隠しており、しかもその場所は各地に分散している。アメリカもこれを正確に割り出し、ピンポイント攻撃することは可成り難しい。しかも北朝鮮は可動式ミサイル発射台を備え、これの所在を掴む事は難事と云われている。
第3節「多数ミサイルによる同時攻撃への迎撃態勢の欠如」
  もし北朝鮮がミサイルを発射した場合日本に渡来するまでわずか10分程度と云われている。それに対し我が国はこれらの攻撃を防ぐためにSM3、PAC3など迎撃ミサイルを配備しているが、はたして高確率でミサイルを捕捉、殲滅出来るかわからない。ましてや一度に多数のミサイル攻撃を受けた場合、その効果はあてに出来ない。今韓国に配備が決定し、韓国、中国の間で紛争となっているより高度でミサイルを迎撃出来るサードシステム(THAAD)を我が国に早急に取り入れなければならない。

■第三章「国民全員参加の国防体制の構築を」

第1節「何よりも平和ボケの国会審議からの脱却を」
  北朝鮮に対して、我国は現在このような危機的状況にあるにもかかわらず政府の対応は全く何もしていないのと同じなのではないか。私が主張するのは国会において、また政府がとる行動において、まさに「平和ボケ」と云われてもしかたがない質問議論を行っていることに危機感を持つものである。確かに「森友問題」もうやむやにしてよいものではないが、当面北朝鮮の核ミサイル問題こそ国家の存亡に係る最も重要な問題である。一方国会においては「共謀罪」をめぐって審議が重ねられているが、この法案についても野党は「秘密保護法」の時と同じくこの法案が通れば治安維持法の再来とか、民主主義の危機とか主張して、廃案への徹底抗戦を叫んでいるが全く「今そこにある危機」が何であるか理解していないことには正直いって呆れるばかりである。北朝鮮の危機、さらに南シナ海における中国の無法な跋扈に只手をこまねいているだけの状況が続いていることに、もっと真剣に取り組むべきである。特に東シナ海においては、尖閣列島だけではなく沖縄本島に対する中国の圧迫が続いていること、又北方領土がロシアから戻ってくることは困難な状況など我が国が対外的におかれ地位は極めて難しい。
第2節「的確な緊急情報伝達システムを」
  前に戻るが緊迫した北朝鮮問題に如何に対処するか、この目の前の危機を国会で真剣に議論しているとは私には到底思えない。北朝鮮の緊迫した情勢に我が国の金融市場に大きな影響を及ぼしている。仮に今回戦争状況にならなくともこの地政学的リスクは今後共継続することは必至である。そのために我が国としてどんな備えが必要か、先ず国民全員に対する的確な情勢伝達がなされなければならない。なるほど2004年に「国民保護法」が制定され、武力攻撃事態等において国民の生命、身体及び財産を保護し、国民生活等に及ぼす影響を最小にするための国、地方公共団体等の責務、避難救護、武力攻撃災害への対処等の規定がつくられているが、今回の事態に対し、具体的に国民への周知がなされているとは思えない。内閣官房には国民保護ポータルサイトが設けられているが、その事を承知しうる国民はほとんどいないのではないか、又ネット時代でもなお高齢者の中ではフォローできない人も多数あり政府は更なる努力を傾けるべきである。
第3節「避難訓練・シェルター、さらにTHAADと敵基地攻撃能力を」
  次に、有事に対する備えであるが具体的には訓練、設備、一番大事なのは国防であるが、内閣府のサイトによると政府は弾道ミサイルを想定した避難訓練を各都道府県で実施しているが、その規模は小さく国民の大多数はそんなものが行われている事を知らないのではないか。設備面においても核攻撃が行われた時に国民を収容する施設(シェルター)や救護体制が確保されているかどうか疑問である。又、在外邦人(韓国には5万人いると云われている)を保護する体制も確立していない。最後に安全保障、国防、軍事に関する研究と教育の徹底である。これらについては長年日本ではタブー視されていたきらいがあり、長年にわたる呪縛を解き放って今こそ国防についてあらゆる手をつくすべきである。
  政府は今こそ自衛の為に相手側からミサイルが発射された場合、その基地を攻撃することができるかを真剣に論議すべきであろう。枝葉末節とは云わないが「森友問題」や成立して当然の「共謀罪」の審議も大切であるが「今そこにある危機」のためTHAADミサイルの早期導入を始め、イージス艦の更なる建造などこの際国防を高めていく事こそが内閣、国会の喫緊の務めである。

                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年3月29日 金言(第56号)
『名門東芝の脱線転覆』



■第一章「倒産寸前の危機へ」

第1節「突然の7千億円の巨額損失」
  去る3月14日の、各紙経済面を見た読者は驚いたのではないか。 何故なら東芝は、同14日に予定していた2016年4月から12月迄の4半期決算の発表を再び延期するとなった事である。東芝はさかのぼる2月14日に予定していた同4半期決算を最大1カ月間の延期を申請したと発表していた。この理由はアメリカに於ける原発事業につき巨額の損失を計上する見通しとなった原発建設会社の買収の過程で、米原発子会社ウェスチングハウス(以下WH)の経営者が米法律事務所に対して「不適切なプレッシャー」をかけた疑いがあり、精査が必要になったためという。具体的にはあくまで東芝の説明であるが原発建設会社CB&Iストーン&ウエブスター社(以下S&W社)をWHが買収する際、取得価格の経理手続きに「内部統制の不備」があった事を示唆する内部告発があったためといわれている。このため、これらの調査が進められているのだが、これには1カ月程度の期間が必要とされ、決算発表の遅れは避けられないということで、14日の発表は1カ月延期されたのであった。誠にガバナンスの存在を通り越して経営不在の状態と云って差し支えない。日経紙などのメディアの報道では、東芝の損失は「最大7000億円」と報じられている。東芝は、前記のS&W社の買収によるのれん代(買収による損失)は105億円と発表していた。普通に考えるなら、これが7000億円の損失になるのが常識では考えられないが、そこには東芝経営陣の思わぬ見込み違いがあったやに聞いている。この件については、1ヶ月後に決算が発表出来るのか今のところ流動的な面があるが、今後の推移を見守りたいと思う。其の後決算発表は延期された。
第2節「2年前も不正会計処理で1500億円の損失」
  さて、東芝に対して2015年2月、証券取引等監視委員会は、東芝の会計処理に関して疑問があると判断し、報告命令を出している。これに対して同年5月に東芝は、同委員会に対して2014年3月迄の3年間に営業利益のかさ上げ額が500億円あると明らかにした。これについて、当初社内の態度は極めて楽観的で「技術的な問題である」とか「会計は見方によって違う」などとまるで他人事のような態度で真剣味が感じられなかった。ところが7月20日に、その後設置された第三者委員会が、「利益の水増しなどが経営判断として行われたものである」「いくつかの案件では経営トップらが見かけ上の利益のかさ上げを目論んでいた」と、まさに「組織ぐるみの不正」を指摘する報告書を提出したため、蜂の巣をつつくような騒ぎとなったのである。 2010年3月期から2014年3月期の決算を調査した第三者委員会の報告によると、不正な処理に関係する範囲は、2008年4月〜2014年12月にまで広がっていた。そして水増しの額は、税引き前利益で1518億円に迄及んでいると断定し、第三者委員会の委員長であった上田廣一氏は「日本を代表する大会社がこんなことを組織的にやっていたのかと強い衝撃を受けた」「これは会社の内部統制、役員職員の意識の欠如が原因である」と指摘した。
第3節「日本を代表する総合電機会社の歴史」
  東芝こそ、からくり人形で有名な田中儀右衛門久重が、1875年(明治8年)銀座に創設した電信機会社に源を発し、その後芝浦に田中製造所をつくり、さらにその後、三井財閥の傘下に入って、芝浦製作所となったのだが、日本最初に白熱電燈を手がけた東京白熱電燈球製造会社(後の東京電気)と1939年(昭和14年)に合併して東京芝浦電気となり、その後戦争など幾度も困難に直面したが、石坂泰三、土光敏夫氏などの各経営者を輩出して、その都度それを克服し乗り越え、重電、弱電を含む総合電機会社として我が国を代表する企業となっていた。又、日本経団連の会長に二度も就任し、副会長にも何度も就いている。そして東京電力、新日本製鉄住金と並び、経団連銘柄企業と呼ばれ正に、名実ともに日本を代表する大会社といって差し支えない。

■第二章「事業戦略の誤りを隠蔽した不正経理」

第1節「不公正経営はなぜ行われたか」
  ところが東京電力は、福島第一原発の事故を通じて社会に多大な迷惑をかけ、その存在すら疑われるような行動を再三にわたりとっている。今回の東芝の会計処理問題も東電と東芝は同じ体質であることを世に歴然として表しているのではないか?
  2016年7月21日に東芝は2008年4月から2014年12月の約7年間にトップを務めていた西田厚聰、佐々木則夫、田中久雄の三人の社長を含む八人の取締役が引責辞任することを発表した。7月20日に公表された第三者委員会の報告では次の三項目が指摘されたのであった。
  先ず第一項目は、先に述べたように税引き前利益の6年間に亘る1518億円の水増しである。
  第二項目は、不正経理の原因を「経営トップの関与」「過大な目標値」「逆らえない企業風土」「会計知識の欠如」「会計監査人に対する事実隠蔽」「人事ローテーションの固定化」「内部統制(内部通報の不備)」などが指摘されており、これらから考えられるのは、多くの事業部門において長期間にわたって過大売上を進め、経費を過少評価して計上していたことを指摘している。
  第三項目は再発防止のため対策を幾つか具体的に挙げて提案しているが、読み方によっては、どうしてこんな事が、となる噴飯ものの記載が見られる、実体はそれ程ひどかったのであろう。先ず直接的な原因の除去として、不適切な会計処理に関与した経営陣の責任認識と意識の改革となっており、このような事は経営者として当たり前の事であろう。
第2節「形だけだった「委員会設置会社」のガバナンス」
  東芝は、委員会設置会社の第一号として時代の先端を切ってきた会社とは思えない。委員会設置会社とは、2003年4月に施行された商法特例法改正により導入された制度であるが、アメリカ流にならって会社ガバナンス強化をうたったものである。2015年5月に現在の形となったのであるが、概要は指名委員会、監査委員会及び、報酬委員会の三つが必ず設置されることになっており、各委員会を構成する取締役の過半数は社外取締役である事が定められている。勿論従来通り取締役会は存在するが、その権限は業務意思決定と、個々の取締役及び執行役による職務執行を監督するものである。
  アメリカとは違い、取締役会の過半数を社外取締役とする必要はない。余談になるが2001年、2002年の商法改正で導入され、現在は複数の社外取締役を置くことになっている。しかし、この制度はアメリカ流に盲従した制度の典型で、私から云わせれば百害とは云えぬが、本当に我が国においてコーポレートガバナンスの強化になっているのか疑わしい。委員会設置会社の数もその後増加していないように聞いている。さて、東芝は率先してこの制度を採用した会社で、当時まだ現役であった私には、さすが天下の東芝だと大変まぶしく感じたのを覚えている。
  前に戻って、第三者委員会の改善策は次いで「企業の実力に即した予算の策定」と「チャレンジ」の廃止をうたっているが、これについても今更としか云いようがない。次いで「企業風土の改革」となっているが、これはさすがに難しい問題である。しかしこのような風土になってしまったのは、高々この20年であろう。企業経営の原点に立ち帰って進めるしか方法はあるまい。「会計処理全般の見直しと厳格な運用」我が国を代表する企業に対する提言としては寂寥感さえ感じるところである。
第3節「不公正経営とは「粉飾決算」である」
  第三者委員会の提言を見てつくづく思うのは、「企業は人なり」である。東芝のトップが見すえていたのは、只々堅実に会社の業績を上げるのではなく表面的に何が何でも見栄えの良い成績を上げ、自分達は次の高みを狙っていくという全くガバナンス不在の会社関係者を置き去りにした考えであった。一般に世間はこの東芝の状況を不公正経営と呼んでいるが、どうして「粉飾」と云わないのか。日頃やかましいマスコミも「粉飾」とどうしてはっきり指摘しないのか。我が国を代表する経団連銘柄に対する誤った敬意としか思えない。ライブドアの堀江社長は粉飾で有罪になったが、その金額はたったの53億円である。又、長年に亘って監査してきた新日本監査法人の責任は極めて大きいものがある。監査法人は内部統制についてこれでもか、これでもかとやかましかったが一体何をしていたのか。

■第三章「事業戦略の誤り」

第1節「原子力ビジネスへの巨額の過大投資」
  最近やや落ち着きを取り戻し、医療機械部門をキャノンに譲渡するなど選択と集中に力を注ぎ財務体質の改善に取り組んでいるようにみられていたが、最近ここにきて大問題が発生した。すなわち、綱川智社長は昨年12月末に記者会見して、突然先に述べたような米国の原子力事業で「数千億円規模」の損失が発生する可能性を発表したのである。その後先月の発表においてはその額の見通しは実に7000億円を超えるものとなった。東芝は西田厚聰元社長の在任中世界的にCO2削減の声が高まる中で、さらにエネルギー需給の逼迫で原子力発電の世界的な再評価が高まり「原子力ルネッサンス」と呼ばれたように、原子力ビジネスの市場規模は米国を始めとして各国が原発増設に大きく動いたため膨れ上がっていた。東芝は、この流れに乗るべく原子力ビジネスの拡大を意図していたところ、当時英国の核燃料公社の傘下にあったWHが身売りされることになった。この時点で東芝が手がけていた原発は、国内の17基のみで、これは沸騰水型と云われる型式のもので、WHの手がける加圧水型原発がどちらかというと、主力になりつつあったのが現状であった。
  東芝としては約100基の実績のあるWHを手中に収めることは、世界の原発設備容量のおよそ3割が自社製ということになり、まさに世界首位の座を占めることになるので、この入札にのぞんだのであった。とろこがこの入札には有力なコンペチターが現れ、入札競争は熾烈を極めたのであった。競合相手はWHと提携関係にあった三菱重工業であった。私などは長い付き合いで気心のわかった三菱重工業こそWHに最適であると思ったが、東芝の獲得意欲は強く、入札が3回4回と続くうち当初は東芝として「2000億円」くらいが妥当と思っていたのがみるみるつり上がり、ついに買収額は約6000億円に迄膨張したのであった。
  当時の交渉担当幹部自身が、これではとうてい「投資の回収は無理」と懸念を伝えても、前のめりとなった西田社長は強気一点張りで、高値の買収に踏み切ったのであった。西田氏が強気の買収方針を貫いた所以は、当時の通商産業省が原発推進に積極的で、メーカーと電力会社が協力して原発を売り込む、いわゆる「パッケージ型インフラ輸出」を進めこれを成長戦略の一環としたこともその理由である。東芝の傘下に入ったWHは2007年以降、中国や米国から10基の原発を次々と受注して、原発事業は順調に拡大していくように見えたが、好事魔多し、2011年3月の大震災による東京電力福島第一原発の事故で、環境は一変する。
第2節 「事業環境激変への不適応」
  我が国を含め、世界中で安全規制が強化され、「脱原発の機運」が高まった。それでも東芝では、西田の後を継いだ佐々木則夫社長の代になっても原発を推進する方針を堅持して、むしろ西田時代より高い目標を設定して原発推進を改めようとしなかった。
  その間各トップは「チャレンジ」と称して達成が難しい損益の改善を各部署に求め、利益を水増しする粉飾会計を拡大した。このような中で原発を見直すという機会を失っていったのである。経済産業省も依然として「原発輸出推進」の旗をかかげたままで「世界の安全技術を日本として集大成する」と称して輸出を推進したのであった。
  しかし現実は東芝の思惑とは反対の方向に動く。米国のサウステキサスプロジェクトは凍結され、受注していた東芝は撤退に備え、2015年3月期迄に実に727億円の損失計上を余儀なくされた。又、日本の原発を採用する筈であったベトナムも昨年導入を撤回した。ここへきてついに東芝は海外の原子力事業からの撤退を決めたのであった。そして今回のWHがらみの7000億円の損失計上である。
第3節「迫る債務超過」
  この東芝の経営危機の主たる要因はWHによる米国における原発事業である。建設工事の大幅遅延の他、原子力建設サービス会社の買収や、のれん代などの減損が7000億円超の損失計上となるが、今後の工期の遅れでWHの損失は膨らむ可能性があり、同社を切り離すことが喫緊の課題であった。しかしWHが手がける原発プロジェクトには米政府が2億ドル(約9500億円)の保証をつけており、この点がどうなるのか懸念材料である。そのため、破産法の適用なども順調には進まないのではないかと危惧されている。
  WHの高すぎる買収額は福島の事故後の原発事業の停滞と相まって、東芝の財務体質を大きくむしばんでいる。2016年の3月期はWHの資産価値の見直しで約2500億円の損失計上であったが、2017年3月期には上記の7000億円の損失により1500億円の債務超過におちいると予想されている。

■終章「予断を許さない「主力事業売却による大リストラ」」

  不正(粉飾)会計問題が発覚した2015年春以降、成長分野の医療機器子会社や、歴史のある白物家電会社を相次いで売却し、その総額は2年間で1兆円を超えており、今後虎の子の半導体メモリー会社を分社して、その株式を売却する方針と伝えられているが、その詳細は二転三転して明確な方針が打ち出されていない。又、最上の目論見どおりに高値で売却できるかどうか大変疑問視されるところである。それより東芝は、今一つ大きな壁が立ちはだかっている。
  不適切会計の発覚で、2015年9月に「特設注意市場銘柄」と指定された東芝は、昨年12月に再審査が必要とされ指定期を延長されている。もし東証から内部管理体制についてお墨付きが得られなければ上場廃止になる。東芝は15日に東証に内部管理体制確認書を再提出したが、この審査は新規上場に次ぐ厳しいものである。一方東芝は2016年4〜12月期の決算発表を2月14日に予定していたところ、3月14日に延期していたが、更にこれを4月11日に再延期して、益々混迷の度合いを強めている。
  「内部管理体制確認書」の審査に直接再延期は関係ないが、企業規模が大きく、何度も決算を延期してきた東芝の場合、審査には半年以上かかるとの見方がある。株式市場では「上場廃止の可能性がある」との懸念の声すらある。さて前々から予想がくすぶっていたが、本27日の日経朝刊トップ、東芝米国子会社WHが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請する方針であることが26日に判明したと報道した。破産法申請後の有力な支援先候補は韓国電力公社グループである。

■最後に「企業はトップの在り方次第」

  東芝の問題は複雑で、今ここで私も十分咀嚼していない点が多い。結論として云えるのは、企業はトップの在り方次第ということであろう。前に戻るがいくら最も新しい管理体制を設けてもトップの意識が公正を欠き恣意的なら、どんな組織も空転してしまうので東芝はその典型であり、これと同一のものは数年前に倒産した伊藤淳二氏の鐘紡ではなかろうか。
  
                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年2月17日 金言(第55号)
『社会保障費をどうするのか』

■「平成28年度の財政規模は100兆円大台に」

  総額2,133億円からなる平成28年度第3次補正予算がようやく1月31日に成立した。これは災害対策、テロ対策、弾道ミサイルに対する備えの為のものであるが、税収が減ったため、平成21年1月以来となる赤字国債を1兆7,000億円も発行した。今回何故このような支出をしなければならないのかという、厳しい指摘があったことは事実である。付言すると、第3次補正予算等支出総額は上記の通り2,133億円であるが、内閣が当初補正予算として提示したのは6,226億円であり、低金利で国債の利払費が減ったことで歳出を4,164億円取りやめたため、この数字におさまった。しかし、28年度の三度の補正予算を含む歳出総額は、事業規模28兆円の経済対策などにより合計で、実に「100.2兆円」となった。国民のほとんどが、歳出がこのような100兆円を上回る数字になった事は知らないのではないかと思われる。

■第一章「平成29年度予算案を読む」

第1節「一般会計予算案規模は過去最大に」
  補正予算の与野党攻防を経て、いよいよ平成29年度の予算審議が始まるが、その予算案の概要は次のとおりである。一般会計の総額は「97兆4,547億円」と前年を0.8%上回る過去最大の規模である。内訳は次の通りである。尚( )内の数字は前年比増減額%である。
   歳入
  1.税収     57兆7,120億円(0.2)
  2.税外収入     5兆3,729億円(14.7)
  3.新規国債   34兆3,698億円(△0.2)
  歳出
  1.政策経費    73兆9,262億円(1.1)
        内訳
         @社会保障費         32兆4,735億円(1.6)
         A地方交付税交付金  15兆5,671億円(1.9)
         B公共事業          5兆9,763億円(0.0)
  2.国債費     23兆5,285億円(△0.4)
  ( )内の数字は、前年比増減額%
第2節「「経済再生と財政健全化の両立」の実現可能性に疑問符 」
  その自画自賛によると、今世間で問題となっている女性の社会進出のために保育士の待遇を充実させる。あるいは研究開発費の増額、高齢化により増加する社会保障費の伸びを5,000億円と目標の範囲内に止める。又、問題となる新規国債の発行額は、0.2%とわずかであるが減少する。
  一方税収については甘い見立てではないかと思う。すなわち、平成28年度は円高による企業収益の悪化予想により、先に述べたように1.7兆円も減収となる。平成29年度は、トランプ新大統領への政策期待による円安によるV字型回復を見込んでいるが、今後トランプ大統領がいかなる政策を打ち出すかは不明なので、一本調子で税収が増えるかどうか想定は難しい。マイナス金利と国債金利を0%にする日銀の政策により、国債を保持する投資家に支払う国債金利を1.1%に下げ、5,000億円を節約できたのであるが、もしこれがなければ、借金はふくらんでいたであろう。
  一方社会保障費のうち、所得の高い70歳以上の高額療養費の負担上限額を上げたり、価格の高い薬剤の価格を下げたりして社会保障費の上昇を押さえたりする目先の宿題は、どうにかクリアしたが、問題はこれからで、その道筋はついていないのではないか。
第3節「重大な岐路に立つ安倍首相の財政健全化改革」
  すなわち皆さんよくご承知と思うが、ベビーブーム世代が一斉に75歳を迎える2020年代以降の、厖大な支出の増額に対する根本的な手立ては、今のところ何等施されていないのである。私だけではなく、事情のよくわかった国民が大変不満に思っているのは、安倍首相は4年前にアベノミクスを掲げ、異次元緩和による円安、株高により企業や消費者のデフレ心理を変えたのは確かである。さらに法人税率の引き下げ、企業ガバナンスの強化も進めた。又一方で、海外からの訪日客を呼び込むための規制緩和も進んだ。しかし、ここが大事なところであるが、安倍首相は将来の財政や、福祉の安定に関する痛みを伴う改革からは常に逃げ腰なのではないかと思われる。
  具体的には、2019年の10月に再延期された消費税の増額実現は本当に可能なのか。一方、あれ程公約していた2020年度における、税収と税外収入で国債を除くすべての政策経費支出を賄うという、プライマリーバランスの均衡は、税収に目鼻がつかなくなって来たため、絶望的になって来ている。今に始まったことではないが、我が国は、まさにある意味で、存亡の危機にある。金融緩和頼みにはもう限界が来ており、我々がここで安倍氏に求めるのは、構造改革である。2017年度の予算案を見ても、政策に使う経費の55%は社会保障費なのである。今後更に高齢化は進み、一段と社会保障費は増加する。一方では格差の是正や技術改新への投資には、今後益々ウェイトをかけていかなければなるまい。
  安倍政権がどういう方向を進むべきか、は明らかである。すなわち「社会保障の改革」こそ、最大のポイントである。家計や企業が消費や投資に向かわないのは、この問題に手をつけない事に対する将来への不安があるからである。今こそ安倍政権は、勿論野党やその他の勢力を巻き込み広い視野に立った次世代の安心を考え、構造改革を進めるべきである。にもかかわらず安倍政権は、社会保障費抑制のための改革に消極的である。例えば、後期高齢者の保険料軽減措置を縮小する案が浮上しているが、高齢者の反発を恐れ、議員の動きは停滞しているが、これこそシルバー民主主義の典型と言わねばならない。現在の政治の一番の問題点は、問題から逃げることにあるのではないかと指摘する人は多い。

■第二章「社会保障費の中で突出する「医療費」と「介護費」」

第1節「薬剤費が国防費を超える驚き」
  社会保障費の中で突出して多額な国民医療費について国民の大半は、その実態にそれ程詳しいとは思えないので、その内容について触れると、国民医療費とは1年間に支出される我が国の医療のための総費用である。これは公費負担を含んだ保険給付費、生活保護などの公費が負担する医療費、それに窓口での自己負担経費を足したものである。国民医療費の直近の総額を並べてみると、以下(  )内は総額前年比
  平成24年度 39兆2,117億円
  平成25年度 40兆610億円(2.1%)
  平成26年度 40兆8,071億円(1.8%)
  平成27年度 41兆4,627億円(1.6%)
  となっており、2%程度着実に増加している。厚生労働省の直近の発表によれば、平成26年度の国民医療費の総額は、前出の通り40兆8,071億円であるが、前年度に続き8年連続して過去最高であった。発表では、高齢化や医療技術の進化がその要因といっているが、合理化の余地はないのか?この額は、国民一人当たりでは321,100円(2%増加)で65歳未満では179,600円であったのに対し、65歳以上では720,400円となっている。診療種類別の内訳を示すと、
  入院             15兆2,641億円(37.4%)
  入院外          13兆9,865億円(34.3%)
  薬局調剤         7兆2,846億円(17.9%)
  歯科               2兆7,900億円(6.8%)
  その他            1兆4,819億円(3.6%)
であり、財源別にその内訳をみると
  保険料          19兆8,740億円(48.7%)
  公費             15兆8,525億円(38.8%)
  患者自己負担     4兆7,792億円(11.7%)
となる。
  上記について考察すると、薬局調剤費(薬剤費)が7兆円を超えており、この数字には驚かされる。何となれば我が国の国防費は、やっと5兆円を超えたばかりなのであるからその数字の突出は異常である。今後医療品の開発が進めば、更に高価な薬品も例えば最近話題になったオプジーボのような薬が現れるからこの数字は今後増加するであろう。厚生労働省は、躍起になって特許切れとなったいわゆる「ジェネリック薬品」の使用を推進しているが、現状では目立った効果は現れていない。国民が知らない事でもう一つ残薬(飲み残しの薬)についてである。国民の高齢化に伴い処方される薬の種類、量が増えると共に処方されながら使用されずに放置されているいわゆる残薬が目立って来ている。日本経済新聞の報道によれば、直近では残薬の金額は年間500億円になるとされている。ここにも当然もっと対策を講じる必要がある。
第2節「年間1兆円の自然増に対して消費税アップは不可欠」
  高齢化、医療の高額化、更に景気の停滞などによって自動的に社会保障費は増え続けているわけであるが、2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、人口を占める65歳以上の割合が30.3%、75歳以上の割合は実に18.1%にもなる。当然国はこれに伴う社会保障費の自然増の割合を抑制しようと考えているが、このまま何の策も打たずに手を拱いていると、年間1兆円も増加すると言われている。現に、2017年度の予算で自然増を厚生労働省は6,400億円と見積もったが、政府は2016年〜2018年度の自然増を1.5兆円に抑える目標を掲げており、2017年度は1,400億円圧縮して5,000億円に抑える方針を打ち出している。社会保障給付費の伸びについて同じく日経は次の通り予想している。
  2012年度 総額109兆円
  内訳 その他    12兆円
              介護      8兆円
              医療  35兆円
              年金  54兆円
  2025年度 総額149兆円
  内訳 その他    15兆円
              介護  20兆円(2.3倍)
              医療  54兆円(1.5倍)
              年金  60兆円(1.1倍)
  このようにしてみると、医療と介護が社会保障給付費の元凶である事がよくわかる。政府は上記のとおり自然増6,400億の内、1,000億円を医療費で、400億円を介護保険制度の改革で圧縮を実現しようとしているが、消費税を大幅に上げない限り、今のままでは対処出来ない。そこで、政府は大筋として、余力があると見られる高齢者に一定の負担を求める考えを打ち出している。
注釈「高齢者の負担増について」
   負担拡大の具体策は、毎月の医療費負担の上限を定めた「高額医療制度」と75歳以上が加入する「後期高齢者
  医療制度」の保険料の軽減措置の見直しが対象となる。具体的には、
  1)前者の高額医療費は、70歳以上を対象とする外来の負担を軽くする制度を段階的に廃止する。現在は入院費
     より低くなっており、仮にこの制度を完全に廃止すると年収370万円以上の現役並みの所得者の負担は、現在
     の4.4万円から8万円以上になる。一定の収入のある「一般所得者」の場合、1.2万円から5万7千円となる。
  2)後者の75歳以上の高齢者の保険料については「元被扶養者」とされる専業主婦らと夫の年金収入が153万円
     から211万円の人への軽減措置を段階的に廃止する。
  3)その他、 65歳以上の比較的症状の軽い入院患者には、一日当たり現在320円の光熱費を370円に引き上げる
     。紹介状の無いまま大病院を受診した場合、初診料で5,000円以上の追加料金を取る範囲を拡大する。全国健
     康保険協会(協会けんぽ)に対する補助金を削減する。超高価な抗がん剤の公定価格を半減して国費を180億
     円圧縮する。
第3節「介護保険支払い急増には自己負担増による歯止めを」
  さて、介護保険もこのまま推移すると2025年には20兆円と2012年の8兆円の2.3倍になることは先にも述べたとおりで財務省もこの点については真剣に捉えている。すなわち、厚生労働省は費用の膨張に対応して収入の高い大企業の会社員が負担する介護保険料を増やす。年収に連動して保険料を増減する「総報酬制」を本年8月から4年間かけて導入する。完全実施した場合には年収が456万円なら一人当たりの保険料は月額727円増える。高齢者にも収入に応じた負担を求める。65歳以上の高齢者で現役並みに所得がある人を対象に2018年8月から自己負担を3割に引き上げる。2017年の国会に65歳から70歳の自己負担を原則2割にアップすることを考え、通常国会に提出することになっている。又75歳以上の高齢者も負担を早急に2割とすることを進めている。現行の制度では一般に年齢が高くなる程所得が減少する事情に鑑み、高齢者ほど公費の負担を手厚くしている。政府は今回の改革で高齢者でも経済的負担能力のある人には負担を求めていく方針を明確に打ち出している。ただ、改革案に賛成者がある一方、日本医師会は、高齢者というだけでも弱い立場であり、それに負担をかけるのは反対であると論じており、政府与党内でも選挙がらみでシルバー民主主義を懸念する議員達の中には反対意見もあり、どこまで実現するのかは不透明である。

■第三章「年金改革について」

第1節「マクロ経済スライドの見直し」
  最後に、年金であるが、年金支給額を抑える主旨を盛り込んだ改正国民年金法が与党の手により昨年12月14日に成立した。今回の改正案については、その主旨が現役世代の取得できる年金水準を低下させないための法改正であるが、野党は「年金カット法案」であると食い下がり、混乱したのであった。その支給抑制案をみると、二段構えになっており、先ず2018年4月に年金支給額の伸びを、賃金や物価の上昇により抑える「マクロ経済スライド」を見直すことになった。賃金や物価が低迷する景気の後退局面では支給額の抑制を凍結した場合、物価が上昇した時点で複数年度をまとめて引き下げられるようにする。これまでマクロスライドは物価が下がった時には実施できなかったため、過去においてはたった一度しか実施できなかった。このため支給額は、一度しか減らしていない。
第2節 「マクロスライドを実際に実行することの重要性」
  覚えておられる方も多いと思うが、2004年に「100年安心」と大見得を切って鳴り物入りでマクロスライドを導入したが、もらえる年金額が現役世代の所得のどれくらいかを示す所得代替率を2004年度59%であったものを50%に迄下げることを決めていた。ところがデフレが続き、物価が上昇しなかったため所得代替率は一時60%に迄上昇してしまったのであった。今回先送りしてまとめて後で年金額を引き下げることにしたため、年金額上昇の一応の歯止めになるが、実際にたまったツケをどこまで一度に請求出来るのか、実施段階では揉めるのではないか。さて、毎年の年金支給額は物価及び現役世代の賃金の変動によって決定される。これまでは賃金が物価より下がった場合、年金額を据え置いたり、物価に合わせたりして見直してきた。2021年度からは賃金が物価より下がった場合、賃金に合わせて年金を改定することになった。このため物価が上がっても賃金が下がれば年金額は下がる。すなわち、賃金が安定的に上昇することがなければ名目上の年金は下がる。今年金を受け取っている高齢者にとっては、大変厳しい局面となる。民進党などの野党が「年金カット法案」などと言っているのはこの点である。
第3節「持続性確保こそが最大の課題」
  ただ若者世代の立場に立ち年金の持続性を考えるならば、以上述べたように年金水準を徐々に下げていく事で将来の年金水準を維持していこうという方向は正しいと思う。もし支給額の抑制が頓挫した場合、虎の子の積立金が尽きたり、将来もらえる年金の額が大きく減ったりすることが現実になるからである。識者の意見によると年金制度はマクロスライドを毎年実施しないと維持できない状況に追い込まれており、今回の改正でも不十分と云っている。

■終章

  以上述べてきた社会保障費の問題について慶應義塾塾長の清家篤氏は、昨年6月日経新聞に次のように寄稿しているので紹介しておきたい。尚マクロ経済スライドについてはその後変更になっている。
「超高齢化社会の社会保障は財政的持続可能性が基本命題」
  戦後70年間の高齢化は世界に類を見ないものである。65歳以上高齢者は、70年前は人口の5%未満(人口20人に1人)の割合であったが、現在は26%で4人に1人以上の割合である。高齢化のスピードは実に我が国が人口の7%から2倍の14%になるまで24年間であったが、日本より先に高齢化が進んだ欧州、例えばフランスは、同じことに114年を要している。もう一つ重要なことは、高齢者の中で比較的若い65歳から74歳と75歳以上の比率が終戦直後は3対1であったが、現在では1対1である。そして、団塊の世代が75歳以上になる2025年には75歳以上のより年を取った者の比率がより若い層の実に1.5倍になる。このような超高齢化時代において年金、医療介護などの社会保障給付は急増していく。そのための財政的持続の可能性が問われるようになった。
「医療と介護は、労働力人口増加の諸施策、及び給付と負担の見直しを」
  勿論この高齢化をもたらした長寿化は間違いなく戦後日本の実現した成果であるが、これに貢献した社会保障制度の存在は大きい。この世界に冠たる社会保障制度を確実に次世代に迄残していくため、我々の世代でしっかりとした改革を進めていかなければならない。一つは少子化に歯止めをかけることである。子どもを欲しいと思っている人達の出産、子育てを難しくしている長時間労働を是正すると同時に社会保障給付の中で子育て支援の給付を高めることが不可欠である。更に大切なことは高齢者の就労促進により社会保障制度の支え手である労働力人口を確保することである。又、高齢者だけではなく、女性の労働力率を高める必要がある。次に重要なことは社会保障の給付と負担の見直しが不可欠である。特に医療と介護は今後増加する75歳以上のより高齢者の増加や医療、介護の質的な向上による単価の上昇により給付の総額が高齢者人口の増加率を上回るペースで増加することが予想される。そのためには医師、看護師、介護福祉士などを十分に確保し、その協力を仰がなければならない。
「年金は65歳以上でも働ける社会の実現、及び非正規労働者の正規雇用を」
  これに対して年金改革は決して簡単ではないが、上記の問題に比較して進めやすいと思っている。何故なら、これは比較的単純な構造の問題だからである。すなわち、給付の総額は一人当たりの給付額と年金受給者の積として確定しており、伸び率も年金受給者の増加率と同じ程度にとどまる。実際その給付の国内総生産比率は経済が順調に成長し、マクロ経済スライドが実現すると2012年度の11%から2025年度には約10%に微減すると予測している。
  年金の問題は保険料や税を合算して、年金を給付するという基本的には金銭だけの問題であり、年金受給開始年齢や保険料、給付額といった歳入と歳出の枠組みを変えることによって実現できる。実際厚生年金の受給開始年齢は男性についてはすでに定額部分は 65歳に引き上げられており、報酬部分もその方向に進みつつある。又、 保険料の上限は、厚生年金は18.3%(労使折半)国民年金は16,900円と定められており、その範囲内で給付が賄えるように給付の伸びを物価の伸び以下に抑えるマクロ経済スライド制が導入されている。この枠組みにより公的年金制度の財政的な維持可能性は確保されていると言ってよい。マクロ経済スライドは年金の実質的給付額を引き下げることにより制度の持続可能性を高めることを意味している。
  年金生活者にとっては、年金を受け取り始めてから年が経つにつれて実質購買力が低下する。これを回避するためにはマクロ経済スライドにより年金の実質価値が下がってもなお、十分な生活水準を維持できる程度の当初の受給額(裁定額)を確保しておく必要がある。その為には年金受給開始年齢を繰り上げる必要がある。現在65歳がその時期となっているが、65歳以上になっても(65歳〜74歳)働き続けられる社会を目指していかなければならない。もう一つ、雇用者の老後を年金給付で支えるという点では雇用者のための年金である厚生年金の適用拡大が残された大きな問題である。非正規雇用者は雇用者の三分の一を超えているのが現状であるが、これらは厚生年金の適用外となっている。非正規雇用者を正規として雇用すると、厚生年金保険料を拠出しなければならないのでそれを避けるため非正規の雇用者が増えており、雇用者は全員原則として厚生年金に加入する方向で改革すべきである。

                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年1月30日 金言(第54号)
『老醜の小沢一郎』

■はじめに

(1)「国民連合政権を目指す野党共闘」
  去る15日、日本共産党の第27回大会が3年振りに開催され、同日のテレビや16日の朝刊でその内容が報道されている。前回の大会では「自共対決の始まり」が論じられ、その後民進党を含め共産党との共闘を打ち出す政党が現れ、今回の大会はある意味で、歴史的な意義を持つ事になるのではと予想されていた。即ち、共産党創設95年の歴史始まって以来、民進党、自由党、社民党の幹部が出席し、反自民の野党共闘を目指す大会となったからである。志位和夫委員長は延々と従来「共産党を除く」という題目が取り払われ、次の総選挙における4野党共闘を果たし、安倍政権を打倒して、将来の国民連合政権の樹立を声高にいささか上気して叫んでいたが、これは現実離れしていると私は強く思ったのである。
(2)「共闘の正体は暴力革命と天皇制廃止を目指す共産党との野合」
  今回民進党を代表して出席した安住代表代行は「違いをことさら強調するのではなくて大局観に立って一致点を見出していく」と挨拶したが、これはまさに野合としか見えない共産党とどのように一致点を見出していけるのか不思議で仕方がない。私は先に金言48号で昨年7月10日の第24回参議院選挙における民進党の惨敗の大きな原因として自民党の提案する政策に何等反対の提言をすることなく、只々共産党を含む他の3党との共闘を進める事にあると指摘したのであるが、彼等は、何等これに対して反省していないのではないか?
  現に民進党の共産党との共闘については、最大の後ろ盾である連合が共産党との共闘について神津里季生会長自ら昨年末に次期衆議院における野党共闘のあり方について、共産党とは「目指す国家像が違う」として連携を明確に否定している。具体的には「自衛隊を否定する」共産党とは一緒に戦えない。「原発については何が何でも即時廃棄では、将来の原発廃止はそれとして現状においては極論である」としている。
  私は、共産党の正体についてかつて詳しく書かせて頂いたが、なお充分に理解していない向きがあるのでこの際念を押しておくと、先ず綱領の第一にうたっているのは天皇制の廃止と暴力革命である。御承知の方も多いと思うが戦前の日本共産党は、コミンテルンの支配下にあったが、目指すはプロレタリア独裁による暴力革命であった。戦後もこの路線を踏襲し活動したが1949年(昭和24年)にGHQから非合法化され、当時の幹部徳田球一他の大多数の幹部が公職を追放され、その後武装闘争を放棄したが、依然天皇制廃止のためのブルジョア革命、次いで社会主義革命を目指しており、一般には余り知られていないが、ほとんど該当対象のない破壊活動防止法(破防法)の調査対象である。
(3)「仕掛け人は小沢一郎」
  このような共産党と手を組むという事を本気で民進党が考えているなら民進党の将来はない。ここで注目すべきは自由党共同代表の小沢一郎氏が出席して、野党共闘についての決意を述べたことである。マスコミの一部では小沢一郎こそが野党4党のキーマンなどとはやす向きもあり、小沢については、もういい加減にしてほしいと万人が考えているのではないか。
  それより以前2015年(平成27年)に安保法制を巡り、日本共産党が民主党(現在の民進党)、生活の党(現在の自由党)社民党などと会合し「戦争法廃止の国民連合政府」を目指して次の総選挙において選挙協力を行う方針を打ち出した事は、すでに御承知の通りであるが、従来各小選挙区にかならず1人の候補者を立てていた共産党が野党統一候補を立てれば支持すると、「党是」を捨てた大転換に踏み切らせたのは他でもない小沢一郎であった。
  この延長で総選挙が近い将来行われることが予想されている。この共産党大会で更に駄目を押すように、かつての自民党のプリンス、保守主義の権現の小沢一郎がしゃしゃり出てくることに、また余りの変節ぶりに違和感を持つ人は私だけではあるまい。そこで、今回は一般の方々はあまり知らないこの小沢一郎なる大変不思議な人物について以下少々述べたいと思う。

■本論 小沢一郎論

■第一章「与党自民党の嫡流として」

第1節「若くして自民党の主流を歩む」
  小沢一郎なる政治家の名前が知られるようになってから久しいものがある。彼は純然たる二世議員で吉田茂元首相の側近でもあった小沢佐重喜氏の長男として1942年(昭和17年)に生まれている。慶應義塾大学経済学部を経て弁護士を目指し日本大学の大学院で法律を学ぶが1968年(昭和43年)当時、岩手県選出の衆議院議員であった父佐重喜氏が急死したため、その後をおそい1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員選挙に立候補し27才の若さで初当選を果たしたのであった。余談ではあるが、小沢と私は同窓である。しかし学年が違うので彼の事は全く知らなかった。橋本龍太郎元首相とは科は違ったが同学年であったため見知っていた。その後社会人になってからも仕事の上で若干の繋がりがあった。しかし小沢については面識がない。
  彼は学生時代そんなに目立った存在ではなかったというが、若くして政界に進出してからの活躍は目覚ましいものがあった。少し長くなるが小沢の政界入りから今日までの軌跡を見てみよう。その上で彼の本当の姿を明らかにしたい。前述のように父の急死に伴い総選挙に出馬した小沢であったが、この選挙を差配したのが当時自民党幹事長であった田中角栄であった。小沢は、佐藤栄作の派閥を引き継いだ田中の周山会に属し、田中の薫陶を受ける。当時派内の若手議員の世話をしていたのが後に実力者となるが当時は中堅議員であった金丸信であり、小沢は金丸の世話を受け、後々まで師弟関係が続く。
  若手議員として実力を蓄えた小沢は1982年(昭和57年)自民党の総務局長に就任するが、1983年(昭和58年)の第13回参議院選挙において立候補者の割り振りについて水際立った采配を振るい、当時の中曽根首相に絶賛された。その後衆議院議院運営委員会長に就任し、1985年(昭和60年)第2次中曽根内閣に自治大臣として入閣する。43歳であったが初当選から16年を経ており必ずしも早い入閣ではなかった。
第2節 竹下派時代「47歳にして自民党幹事長として剛腕を発揮」
  ところがロッキード事件で野に下ったが、依然田中派(木曜クラブ)を率いて君臨していた田中角栄に対し、反旗を翻した竹下登、金丸信と共に「創生会」を結成して2年後の1987年(昭和62年)に田中派から独立させ、名実共に竹下派の結成の中核となり、先輩の小渕恵三や橋本龍太郎らと七奉行の一人に数えられ、竹下の総裁の就任に奔走したのであった。そして同年竹下内閣が発足すると内閣官房副長官となり、消費税の導入など困難な国会運営を切りまわし、事実上の国会対策委員長の役割をはたしたのであった。その後のリクルート事件に連座して竹下内閣が瓦解して宇野宗佑内閣が誕生した際にも、小沢はアメリカとの電気通信協議で縦横に腕をふるい、注目されたのであった。
  宇野内閣が短期で終わった後、竹下派の意向で誕生した海部俊樹内閣において、小沢は、47才の若さで自民党の幹事長に就任する。海部内閣はいわば、竹下、金丸の傀儡政権と云って間違いないが、小沢は、衆参議院のねじれの状態の中で公明党とのパイプを活かし鮮やかな国会運営を行い、注目されたのである。一方、前出のリクルート事件の後、苦戦を予想された1990年(平成2年)の第39回衆議院選挙において、自由主義の体制の維持を叫び、経団連より100億円にも及ぶ資金を集め、この選挙に勝利したのであった。この年は記憶にある方々も多いと思うが、8月に湾岸戦争が勃発した年でもあった。今の小沢からは考えられないのであるが、彼はペルシャ湾に自衛隊を派遣することを考え、ハト派の海部首相を押えて、野党の反対により実現はしなかったが法案を提出した。この法案は後にこれが基になり国連の平和維持活動等に対する協力に関するいわゆるPKO協力法が成立した事を知っている人はもう少なくなっている。
  その後、1991年(平成3年)の東京都知事選に元NHKの磯村尚徳を擁立したが、現職の鈴木俊一に大差で破れた責任を取り、幹事長を辞任する。その後経世会の会長代行となり、以後会長の金丸信とオーナーの竹下登の三人による派閥のリードが続く事になるが、次第に金丸は小沢に傾き会長を小沢に譲ろうとしたため、再登板を狙っていた竹下との間にすきま風が吹き始める。このような中で小沢は狭心症となり、長期の入院を余儀なくされる。同年、海部首相は自己の立場を強化しようと考え、解散を強行しようとするが、党内の強力な反対に遭い、首相を辞任せざるを得なくなる。金丸は、この機会に小沢に総裁選の出馬を促すが、49才という若さと病気を理由にこれを固辞したのである。後から考えるなら小沢は千載一遇のチャンスを逃した。小沢の辞退により、経世会から出馬する考えがない事を見極め、次期首相として宮沢喜一、三塚博、渡辺美智雄の三氏が名乗りを上げたが、投票となるならば経世会の支持を取り付けなければならなかった。このため小沢がこの三氏の誰を推するかにつき品定めをすることにより、この三氏を小沢の個人事務所に呼び付け面談した傲慢な振る舞いが、物議をかもした事は記憶に新しい。
第3節「日本改造計画で構想雄大な国家ビジョンを示す」
  結局竹下派の支持を得た宮沢が総理となり1991年(平成3年)11月に宮沢内閣が発足した。
  ところが1992年(平成4年)2月に東京佐川急便事件がおこり、金丸は派閥会長と議員を辞職せざるを得なくなった。小沢はここで金丸の後継会長に羽田孜を推するが、竹下は小渕恵三を推したため、小沢はこれをこころよしとせず、羽田、渡部恒三、奥田敬和らと共に派閥を脱退し小沢派を立ち上げ、ここに竹下派経世会は分裂する。こうした中で小沢は5月に「日本改造計画」を上梓する。その内容は軍事を含む積極的な国際貢献、新自由主義を標榜する経済改革、二大政党可能な政治制度改革など1990年(平成2年)以降の政治課題を先取りしたもので小沢がただ者ではない事を表している。

■第二章「自民党一党長期政権を打破し、非自民連立政権を主導」

第1節 新生党を結成「非自民の細川、羽田内閣支えるも村山内閣成立で野党へ」
  1993年(平成5年)6月に宮沢内閣の不信任案が可決され、宮沢首相は衆議院を解散した。同年、武村正義が自民党を離党して「新党さきがけ」を旗揚げした。これに呼応する形で羽田、小沢派の議員は離党し6月23日に「新生党」を結成した。党首には羽田がつき、小沢は党代表幹事に就任する。7月18日に行われた第40回衆議院選挙で自民党が過半数を割り、新生党、新党さきがけ、細川護煕を党首とする日本新党が躍進した。そして、8月9日に8党派の連立により細川内閣が成立したのであった。
  この政権では内閣とは別に「連立与党代表者会議」がつくられ、小沢は公明党の市川雄一と組み主導権の確立を目指し、官邸主導の政治を指向したため、官房長官の武村と激しく対立することになる。1994年(平成6年)細川は突然消費税に替わる国民福祉税構想を発表し、充分な説明をする事ができなかったため撤回せざるを得なくなった。その後小沢と武村の争いは熾烈となり、細川はそれに嫌気して突然辞意を表明した。細川退任の後連立与党は、羽田を後継の首相とする事に同意する。ところが社会党などを排除したため羽田内閣のバックは少数与党ということになり、4月に発足した内閣は野党からの内閣不信任案に抗することが出来ず、6月25日内閣総辞職となり羽田内閣はわずか64日の短命に終わったのであった。
  小沢は羽田の後継としてかつて自民党の幹事長として行を共にした海部俊樹を担ぎ出そうとしたが、自民党が内閣首班に社会党の村山富市を指名することに賛成したため海部は村山に破れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に転落した。このような小沢の手法について、責任を問う声もあったが次のステップには小沢の剛腕が期待されたため大きな動きはなかった。
第2節 新進党時代「共産党除く野党を結集し二大政党目指すも公明党が離脱して挫折」
  1994年(平成6年)9月 本共産党を除く野党各党187人により新進党が発足し、海部が党首に、小沢が幹事長に就任した。1995年(平成7年)7月に第17回参議院選挙が行われ、同党は改選議員を19名から46名へと大幅に増やしたが、ここで細川、羽田と小沢の対立が激化し、小沢は党首選挙に自ら立候補し、羽田を破り党首となった。1996年(平成8年)10月に第41回衆議院選挙が行われたが前述のしこりが党内には残り、又、小沢が公明党を優遇し過ぎたこともあり、結果として議席を4議席減らした。総選挙後、突然党内における小沢への反発が広がり、離党者が続出した。12月に小沢は党首に再選されるが、この頃から公明党が古巣へ戻って行き、又民社党グループも離れて行くという状態となり、新進党は混乱に陥った。
第3節 自由党時代「野党共闘目指すも挫折、自民党との連立は果たすも、新しい保守党構想はならず」
  1998年(平成10年)小沢は自由党を結成し、党首に就任した。しかし当初100名の議員が集まることを目論んでいたが、結局54名しか集まらなかった。しかし同年7月の第16回参議院選挙においては苦戦の予想を跳ね返し、比例では514万票をも集め、この頃から反自民、野党共闘を考えるようになった。野党共闘で総理を押すことに傾き、民主党の菅直人を推薦し、参議院ではそれに成功したが、衆議院では小渕恵三が引き続き総理の指名を受けたため小沢の目論見はついえたのであった。参議院で曲りなりにも菅の指名が成功し、今後の野党共闘を進めていくことには絶好のチャンス到来であったが、菅は金融再生法を巡り自民党と妥協したため野党共闘は腰くだけとなった。
  そこで小沢は方向を転換、今度は自民党に接近していく。すなわち自民党との連立を考えたのである。詳しくは省くが、小沢は相当な広告宣伝費をつぎ込み、国民にアピールし、ついに1998年(平成10年)11月に自民党との連立を果たし、5年振りに与党に復帰する。連立後小沢は、党首討論制設置や副大臣制など自己の考えを自民党に飲ませたのであるが、特記すべきは同年発行の文藝春秋9月号に「日本国憲法改正試案」を発表している。今の小沢とは別人のようである。
  その後、1999年(平成11年)に公明党が政権入りして自民公明両党により参院の過半数を押さえることになったため自由党の地位は当然低下を余儀なくされた。その中で小沢は自、自両党を解散して新しい保守党をつくる事を推進するが、小沢の復党にはアレルギーが強く、この考えは挫折してしまう。その最中2000年(平成12年)3月に小渕首相が突然逝去する。一方自由党では、小沢を支持する連立離脱派と連立残留派に分裂し、連立残留派は保守党を結成する。その際政党助成金を巡り、小沢の強引なやり方は小沢自身の評価を落とした。その後、2001年(平成13年)7月の第19回参議院選挙で小沢の自由党は大きく票を減らし小沢の時代は去ったと云われたのである。

■第三章 民主党時代「政権の座を再度窺う」

第1節「自由党を民主党と合併させ、民主党代表代行、さらに代表に」
  前述の参議院選挙の結果から小沢は当時民主党の代表であった鳩山由紀夫からの民主、自由合併打診に応じたが、一部民主党の反対により、一度は、合併は頓挫するが、その後小沢が民主党の現状体制を受け入れるなどしたため2003年(平成15年)9月に自由党と民主党は合併し、新たな民主党としてスタートした。その際小沢は一兵卒として頑張ると宣言し、無役となるが、同年11月に行われた第43回衆議院選挙で議席を40席も増やし、彼は代表代行にカムバックする。
  この頃から小沢は左派(例えば旧社会党の横路孝弘)に接近し、従来の保守とは違う動きを取り始める。この後、2004年(平成16年)に年金未納問題が起こり、代表の菅は辞任し、後任の代表に小沢が内定するが彼にも年金の未納が発覚し、代表就任を辞退する。結局、岡田克也が代表となるが2005年(平成18年)の第44回衆議院選挙で小泉自民党に惨敗し、現有議席を60近く減らしてしまった。この結果、岡田は引責辞任し、前原誠司が代表に就任するが、2006年(平成18年)3月に前原も偽メール事件の責任を取って辞任した。
  この後4月に代表選挙が行われ、小沢は菅を破り代表に選出された。そして菅を代表代行、鳩山を幹事長とするトロイカ方式をしいたのであった。そして党の根本路線を「対案路線」から「対立軸路線」へと与党との対決を表に打ち出す。然しその後小沢は臨時党大会において無競争で代表に再選されるのであるが、一方既往の狭心症が再発して約1ヶ月間入院する。翌2007年(平成19年)は地方議会の選挙の年であったが、自民党以下の各党が後退するのを尻目に民主党は3割も議席を伸ばした。更に7月に行われた第21回参議院選挙において民主党は60議席を獲得して参議院第一党となり共産党を含む野党全体で過半数を得た。いわゆるねじれ国会の出現である。
第2節 「権力の二重構造問題と政治資金問題あり、鳩山首相と共に幹事長を引責辞任へ」
  このような背景をたてに小沢は、11月に期限が切れるテロ対策特別法に関してアフガン戦争の国際的正当性を論じ、賛成出来ないとして海上自衛隊の派遣中止を訴え、体調を崩した当時の安倍首相を退陣に追い込み、テロ特別措置法の延長を阻止した。そして参議院において小沢は、首相に指名されるが、衆議院の優位により福田康夫が首相となった。ところが2008年(平成20年)9月小沢は三度代表に選出されるが、西松建設事件に秘書が絡んでいた責任をとり、2009年(平成21年)4月に辞任し後任の選挙では鳩山由紀夫を支持する。同9月の第45回衆議院選挙において民主党は政権交代を果たし首相となった鳩山は、小沢を幹事長に推薦する。
  しかし、強引な小沢は鳩山の主張する「政策認定の内閣への一元化」に反して彼独自の権力を行使したため「権力の二重構造」となり、政策面に対する小沢の影響が大きくなった。ところが2010年(平成22年)1月、政治資金規正法違反容疑で秘書が逮捕、起訴され、小沢にもその嫌疑が及んだがからくも不起訴となった。一方首相の鳩山は沖縄問題を始め数々の不手際を重ね、首相の資質を疑われるところに迄追い込まれていた。小沢は自分の進退をこのような局面の鳩山と協議したのであったが、辞意を表した鳩山から幹事長を辞任するよう促され、6月に両者共職を退いたのであった。
第3節「菅氏との代表選に敗れたのち、民主党離党、今や自由党の国会議員は6名へ」
  鳩山、小沢体制の後をついだ菅直人は「脱小沢」路線を推進したが、政権取得後の初めての大型選挙2010年(平成22年)の第22回参議院選挙において民主党は現有議席を大きく割り込み敗北を喫した。そして9月に代表選挙が行われ、菅は続投に意欲を見せたが、小沢に近い議員グループは菅の参議院選挙敗退の責任を追求し、小沢の擁立を企て小沢も再立候補を表明し、当初は小沢が有利に事は運んだが、菅も強烈に巻き返し菅が、再選を果たす。
  一方過去の献金疑惑で一度は不起訴になった小沢は、2010年(平成22年)10月検察審議会によって強制起訴されることになる。これを受けて民主党の常任幹事会は小沢を党員資格停止処分とする。このため小沢は代表選の立候補資格及び、投票権を失う事になる。その後2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋地震が発生した際、首相の菅の際立った不手際に端を発し、菅に対する国民の不信感は頂点に達し、菅は退陣を余儀なくされたのであった。そして後任には小沢の反対する野田佳彦が選出されたのである。
  2012年(平成24年)3月小沢の不正献金事件は無罪となったのであるが、当時閣議決定された消費税増税法案に小沢は反対して衆議院本会議で反対投票を行う。そして彼に同調する議員50人と共に7月、民主党に対する離党届を提出する。これに対して民主党の常任理事会は小沢を含む37人の議員を除籍処分としたのであった。2012年(平成24年)7月、小沢と小沢グループは新党「国民の生活が第一」を結党し、その代表に就任する。
  しかし、以後小沢は文字通りジリ貧の道を今日迄たどっている。生活の党は、日本未来の党と合併してその名前を称したが、2012年(平成24年)11月の第46回衆議院選挙では一挙に61議席から9議席にまで大幅に減少した。2013年(平成25年)の参議院選挙では小沢に代わって代表となった森裕子他全員が落選した。更に2014年(平成26年)12月の第47回衆議院選挙では生活の党として政党の要件まで失ってしまった。わずかに無所属の山本太郎なる馬鹿者を入党させ、かろうじて「生活の党と山本太郎となかまたち」として政党要件と交付金の受給の要件をみたしているが、今般自由党の名称を変えたのであった。

■結語(小沢一郎とは何者か)

  以上小沢の今日に至る軌跡をある程度詳しく述べたが、小沢とはこんな人だったのかと思う方が多いのではないかと思う。彼についての私の考えは次の通りである。

一、政治家としては抜群のセンスを持っているが、手法は人を人とも思わぬ強引なものである。最近の彼の行動
      から彼の真の政治理念がわからない。政治的な裏の駆け引きには優れているがあくまで自己中心的である。
      田中、竹下に鍛えられたため政治は金の力にあると固く信じている。
二、彼の構想は雄大であるため、決して弁舌はさわやかなわけではないが、若い議員を一度は引きつける。しか
     し彼に心酔していた議員達もほとんど全部彼に見切りを付け離れていっている。名前はあげないが多くの人
     達が彼から離れて行っている。
三、これらのことから彼は矢張り戦後保守政治の生んだ仇花と私は思う。結局最終的には人間的な魅力に欠けて
      いるのである。彼ほどの政治的才能に恵まれているならば、人を引き付ける魅力さえあれば戦後を代表する
      名宰相になったと思われるのでその点残念でしかたがない。

                                                                                                                      (敬称略)以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

武藤会長「金言」

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