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武藤会長「金言」

2017年10月23日 金言(第63号)
『経営者の値打ち』



■はじめに

  今回の金言には、実は別の題材を用意して執筆にとりかかっていたのであるが、たまたま10月15日(日)の日本経済新聞朝刊のコラム「春秋」に当館創立者、武藤山治のことが書かれていたので今回は標記の題で書かせて頂くことにした。
  最近の日付であるから既読の方も多いと思うが、念のためその記事を引用させて頂きたいと思う。

■第一章「戦前の日本を代表する経営者 武藤山治」

第1節「風通しのよい組織を目指し自ら行動した山治」
  「今はクラシエホールディングスと名を変えたカネボウの育ての親と云えば、戦前の代表的な経営者の一人でもある武藤山治だ。家族主義的経営で知られ、社員の福利厚生の改善に力を入れた。明治36年、現場の声を聞くために設けたのが「注意箱」という制度だった。雇い主に自由な提案や注意ができるようにとの思いから、この名前がある。各工場の出入り口に箱を置いて、待遇についての意見など遠慮なく紙に書いて入れてほしいと従業員に呼びかけた。工場では管理者と現場のつなぎ役として「意見疎通委員」を任命して、働く人たちの不満や要望をじかに吸い上げてもいたという。武藤が今の労務管理を知ったらびっくりするだろう。不満や将来への不安を抱える社員を人工知能(AI)が見つけ始めているからである。メールの文面、出勤時刻の微妙な変化、さらには社員の笑顔の細部の様子などが判断材料になる。辞めそうな社員を把握し、相談に乗る仕事は明治の昔と比べて様変わりしつつある。とはいえ、日ごろからの良好な上下のコミュニケーションが大事なことは社内の階層意識が強いままだと注意箱が使われないと考えた。そこで提案のある者は、直接自分に申し出よと機会があるごとに話をした。風通しの良い組織を目指し、経営者自らが行動したことは評価されてよい。」
  付言すると、武藤はこの提案については実名を書く事を要求し、匿名を許さなかった。公明正大で透明なものとしたかったのであろう。
第2節「山治が最も重視した人間尊重の労務管理と家族的経営」
  武藤は会社の経営をしていくために重要な要素は三つあるといっている。一つは労務管理、続いて生産、販売である。彼が一番力を入れていたのは労務管理であるが、具体的には人間尊重と家族的経営である。それは職工の優遇と福利厚生施設の充実をはかったことである。例えば工場内での学校、託児所、娯楽施設、さらには病院、また結核患者のための保養所まで設置した。そして共済組合、さらに上記の注意箱による提案制度、また社内報などをつくったが、これらは現在の会社ではどこにでもあるものであるが、全部鐘紡が日本で最初に遣り出したものである。山治が従業員に対してどのように気配りしたかの例を一つ挙げておこう。
  山治は全工場に回章を回してその意思の徹底を図るが、その一つに次のようなものがある。「従業員が憩うベンチは、夏は木陰に、冬は陽だまりに必ず移動させよ。」
  ここまで神経を使う経営者は他には存在しなかったのではなかろうか。もう一つエピソードを加えておく、紡績会社の大手各社では毎月結核患者の統計を出していた。常時結核患者が一番多かった会社は鐘紡であった。意外に思うが、これには理由がある。鐘紡以外の各社は結核に罹患すると即時退社させていた。しかし、鐘紡では患者を高砂の保養所に入れ治るまで面倒を見ていたから統計上患者の数が一番多かったのである。
  一方生産においては最新鋭の機械を金に糸目をつけず導入し、テーラーシステムを取り入れるなど、工場管理を徹底して、高品質の糸をつくり出した。更に販売では、当時どこの会社もやっていなかった新聞に宣伝広告を載せるなど、画期的な販売を行った。
第3節「鐘紡を世界一の紡績会社に育てた山治」
  本年は、きしくも山治の生誕150年目に当たる。私はこれを機会に「武藤山治の先見性と彼をめぐる群像」なる一本を上梓した。彼の生涯については、こちらの方を読んで頂ければよくわかるので、是非お読み頂ければ幸いである。重複するところがあるが、彼の生涯においては三つの戦いがあった。一つが鐘紡を再建して文字通り日本一の会社としたことで、その経営は日本的経営の始祖と云われるものであった。二つ目は自らの政党、国民同志会を率いて政界進出し、透明な政治,政官民の癒着を断ち切るなどの理想の実現を図るが必ずしも十分な成果をはたし得なかった。三つ目は恩師、福澤諭吉の創設した「時事新報」の再建に取り組み、その途上志半ばで凶弾に倒れ劇的な一生を終えたことであるが、三つの戦いの内、一番重要な戦いは何といっても鐘紡を日本一、いや世界一の紡績会社に育て上げ、「鐘紡の武藤か、武藤の鐘紡か」と云われた事であった。

■第二章「鐘紡の盛衰にみる経営者の資質」

第1節「鐘紡の倒産と解体」
  しかし、この鐘紡も山治以降の経営者に人を得ることが出来ず、特に武藤絲治社長をクーデターにより追放し、昭和43年に社長となった伊藤淳二は、その後会長になったが、鐘紡が消滅した平成7年直前まで事実上の院政を続け、恣意的な経営をほしいままにしたため、鐘紡の経営は加速度的に傾き、ついに倒産したのであった。そして現在旧鐘紡の流れをくむ会社としては花王(株)の完全子会社である(株)カネボウ化粧品、化粧品以外の事業を引き継いだクラシエホールディングス(株)、ホールディングス傘下のトイレタリー部門を引き継いだクラシエホームプロダクト(株)、食品部門を引き継いだクラシエフーズ(株)、製薬部門を引き継いだクラシエ製薬(株)、カネボウの創業事業である繊維部門をカネボウ繊維とカネボウ合繊からセーレン(株)が買収して出来たKBセーレン(株)などがある。
  しかし倒産前にカネボウを支えていた化粧品部門がカネボウという商標と共に花王に移ったため、他の部門ではカネボウの商標が使用できなくなり、武藤山治の栄光は見る影もなくなったといってよい。
第2節「全社一丸となって会社再生に取組むクラシエの健闘」
  しかしながら先般「クラシエ10年の歩み」なる本を頂戴した。この本は2007年の新生クラシエ誕生以来、今日までの10年間の歴史を綴った小社史であるが、クラシエはスタートに当たり当初は産業再生機構と三つの投資会社、そして名古屋の白髪染めメーカー、ホーユー(株)がスポンサーとなり財務基盤を支えたが、その後ホーユーがスポンサーとなり現在に至っている。クラシエが目指したのは、一日も早く世間並みの普通の会社になることであった。倒産する前のカネボウは世にもまれな特異な会社であった。クラシエのその考え方は極めて真面目でその意気やよしである。そしてホームプロダクト、薬品、食品の3事業の収益向上に向け、積極的に取り組んだ。この結果比較的短時間で「普通の会社」に立ち戻ることが出来たのである。しかし客観的に見て、ホームプロダクトは競争会社が多数存在し、薬品、特に漢方薬はツムラに次ぐ2番手であり、食品にいたってはこれはという特色がない中でよく2007年発足時売上高745億円、営業利益9億円を、2016年売上高914億円、営業利益54億円にまで向上させた社員一同の努力には、全く頭の下がる思いである。旧カネボウに現在のクラシエの普通の会社になるという会社一丸となっての方向付けがあれば倒産の憂き目を見なかったであろう。これは矢張り経営を引っ張るリーダーの問題である。

■第三章「経営者の値打ち」

第1節「最近の製造業の不祥事は、経営者の資質に問題あり」
  さて同じ10月15日の日経一面トップ記事「日本の製造業に綻び」が出ているとして日産自動車の無資格検査、さらに神戸製鋼所のデータの改ざん常態化を取り上げ、世界をリードした日本の製造業のゆるみを論じていた。神戸製鋼所のアルミ生産の技術は業界のトップを走る技術であると云われており、そのユーザーは世界中に点在する。しかし世界的な鉄鋼の余剰生産や原料高、さらには建設機械事業の無理な拡販がたたって、大きな損失を計上し、神鋼の業績は2017年3月期には2期連続の最終赤字となった。そこで神鋼のトップは自動車の軽量化に伴い、需要が増加したアルミの大増産により赤字をカバーしようとしたのである。しかし大増産をするからには工場の負担を減らす環境整備が必要であったにもかかわらず、その面での手当は行われず、ただ「つくれ、つくれ」の生産増強の号令が鳴り響いたのである。しかも納期厳守というプレッシャーが現場を追いつめていったのではなかろうか。その結果経営陣と現場の信頼関係は失われ、疲弊した現場はデータの改ざんに走ったのが実態であった。しかしその後の報道では、改ざんは今日此頃行われたのではなく、10年、いや20年、10月18日の報道では40年前からとなっており、まさに神鋼の体質はメーカーの本質を逸脱し腐りきっていたと云える。神戸製鋼所は有名な鈴木商店がつくった会社の一つである。鈴木商店の事実上の経営者、金子直吉は政治と癒着して利益を手にする典型的な政商であり、武藤山治とは相容れない立場であったが、今回の神鋼の件についてはさすがの彼もびっくりしているのではないか。政商、政商と金子は非難されるが彼の描いた世界はまさに大きな商売の世界であった。データをごまかすなど全く金子直吉の主義に反するものである。今日の神鋼の件も行きつくところは経営者の資質の問題であろう。
第2節「『天命』の復刊は言語道断な行為」
  さて、話は飛ぶが冒頭の武藤山治の事と関係してくるのであるが、私は9月12日の日経を除く全国紙に掲載された、カネボウを崩壊させた伊藤淳二がかつて出版した「天命」なる本の復刻版の広告を見て正直びっくりしたのである。先に倒産したカネボウの化粧品を除く部門を苦心惨憺して普通の会社に再生したクラシエの事を取り上げたが、そのような事はおかまいなしにカネボウ倒産の一番の元凶たる伊藤淳二がとくとくとして毒にも薬にもならぬ著書を再版するなどまさに許される行為ではない。しかもその広告の内容をそのまま記すと「山崎豊子が生前『天命』を読んで『お兄ちゃま』と呼び『生まれ変わったらお嫁さんになりたい』と慕った異色の経営者、伊藤淳二95才」「彼が去ったカネボウは解体され」「彼が去った旧日本航空は破産した」「昭和63年『天命』が出版されるやたちまちベストセラーとなった。前出版社の廃業で絶版となったが当社より待望久しい『天命』の復刊なる」以上が広告の全文である。

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第3節「カネボウが崩壊し解体されたのは全て経営者の責任」
  全くこの本の内容にふれずに批判してはまずいと思い昔著者から送られた本が本箱の隅に眠っていたので、少し目を通してみた。実は昭和60年の日本経済新聞の夕刊「明日への話題」に伊藤が執筆していたものが冒頭の「天命」と思われるが、連載当時からの感想は、これはひどい。全く論語を論じるが実践を伴わない人の文章と思っていた。俗にいう「論語読みの論語知らず」である。今読み返してみてあらためてそう思う。概略して云うと、伊藤の云っている事は全部きれい事である。言行不一致といってよい。いろいろあるがカネボウの事情をよく知る私にとって一番腑に落ちなかったのは、「私は武藤社長に邂逅してひたすら仕え、時に面を冒し後継者に選ばれた。それも天命であったか。」という項である。クーデターで武藤を追い落とし、彼に対する後々の処遇が言語を絶する程冷たかったか、私はよく知っている。実は叔父絲治が亡くなる十日程前に私と弟は叔父に会っている。勿論彼が私達に愚痴をこぼしたわけではないが、その淋しそうな姿を思い出す。それは立派な後継者を作って引退した社長の姿ではなかった。さて、少し前にさかのぼって今回の広告文に触れておきたい。「彼が去ったカネボウは解体され」「彼の去った旧日本航空は破産した」には大いに異議がある。カネボウが解体されたのは伊藤淳二の長年にわたる独裁の結果であり、具体的には無策な経営にある。武藤山治の作った日本一の会社、山治の後、津田信吾が軍国主義に迎合しておかしな方向に進んでいったが、なお当時の鐘紡は約30工場をかかえる大会社であった。これが倒産の憂き目にあったのは只々伊藤の三大合繊、特にアクリル、ポリエステルに対する採算を度外視した投資である。先にクラシエが普通の会社を目指したとあるが、これはカネボウを反面教師としたもので如何にカネボウが特異な会社であったかの裏返しである。カネボウは最後には粉飾決算で息の根を止められたのであるが、これらはすべて伊藤淳二に責任がある。

■おわりに

  次に日航の件についてはよく存じ上げないが、クーデター事件がたたり関西財界では見向きもされなかった伊藤が中央に進出して自己の名誉欲を満たしたのが、彼の会長就任である。就任期間は短かったが労務の専門家として組合対策を如何にうまく処理するかを期待されながら彼は何もすることは出来なかった。日航会長に就任するためにかなりの政界工作を行ったのではないかと云われている。カネボウ、日航とも彼が去ったから消滅したのではない。特にカネボウが消滅したのは伊藤淳二の責任である。彼は今95才だそうだが、彼の独善、放漫経営のためどれだけの社員が路頭に迷ったのか考えたことがあるのか。温情主義経営を貫徹した武藤山治にあの世に行ってどのような云い訳をするのであろうか。

                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年9月29日 金言(第62号)
『捏造国家韓国(白を黒と言い募る異常な国)』



■はじめに

  今北東アジアは、まさに風雲急を告げている。日本を取り巻く状勢、特に北朝鮮は、今月に入り、6回目の核実験を行うと共に、ICBMを含むミサイルの発射は、2月以来実に15回に及んでいる。これに対して日、韓、米は、共同して事に当たらなければならないのであるが、このような緊急状況にありながら、韓国の我が国に対する態度は、我々の意識を超えているとしか考えられないのである。朴前大統領の失脚により5月に誕生した文在寅大統領は、廬武鉉元大統領の側近で、極左といってよい思想の持ち主である。選挙中から、日本の慰安婦問題合意について異論を唱え、日本との再交渉を求めており、その他戦時中の韓国人「徴用工」問題、あるいは竹島問題を蒸し返してきており、何時までたっても我が国は、韓国との悪しき因縁を払拭できないのである。どうして日韓関係がこじれるのかを考察すると、矢張り1915年から30年間にわたる韓国を日本が統治した事に対する恨み、つらみに行きつくのではなかろうか。そこで先ず、この歴史をひもとき、日本の韓国統治から考えて行きたいのである。

■第一章「日本による韓国統治の考察」

第1節「日露戦争から韓国併合への歴史」
  日露戦争は、1904年2月から1905年9月迄、日本とロシアが争った戦争であるが、欧米の予想を見事に裏切り
、我が国は大国ロシアを破ったのであった。この日露戦争の最中1904年、日本は韓国(大韓帝国)との間で第一次日韓協約を結び、韓国政府の中に日本から財政外交顧問を送り込み、さらに1905年には第二次日韓協約を結び、韓国を保護国化したのであった。具体的には、韓国が外国と自由に条約を締結できないようにした。いわゆる外交権の剥奪である。韓国皇帝高宗は、これに対して、ハーグ事件といわれる抵抗を示したが、英国、アメリカが、ロシアを牽制するため日本側につき、又アメリカはフィリピンの植民地化に日本の賛意を得るためもあり、1907年第三次日韓協約へと進んでいく。この結果、日本は韓国の内政権迄握ってしまう。その後1909年初代韓国統監を務めた伊藤博文が、満州のハルピンで暗殺された事を契機に翌1910年、日本は韓国に対して韓国併合条約を結ばせ、韓国を併合する。しかし、我が国(当時大日本帝国)は、第二世界次大戦(太平洋戦争)における連合国に対する、1945年8月15日の敗戦により、韓国に対する実効支配を失う。その後、ポツダム宣言の受け入れにより同年9月2日、日本の朝鮮半島領有は終了する。ところがその後、朝鮮半島は北緯38度線を境に南部はアメリカ軍、北部はソビエト連邦軍が占領することになり、南部には李承晩を首班とする大韓民国が建国され、北部にはソ連のバックアップにより金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国が建国された。
第2節「朝鮮半島を巡る清国との対立」
  そもそも日露戦争により、朝鮮における日本の朝鮮併合については先に述べた通りであるが、もう少しその内情を明らかにしておく必要がある。何故なら、なるほど日本は朝鮮併合をはたすが、これはただ日本が領土拡張のため推し進めてきたわけではない。その点是非はっきりさせておかなければならない。現在の韓国では只々日本の併合が問題視されているが、これは近視眼的な見方である。それは極東におけるロシアの南下政策に端を発しているからである。ロシア帝国は、極東において不凍港を求めて南進を続け、清国(中国)とは有名なアイグン条約により満州をロシアに割譲させた。日本とは樺太や、ロシア軍艦の対馬占領事件などにより、対立が激化していた。さて、当時の朝鮮は李氏朝鮮により統治されていたが、清朝中国に取り込まれた冊封体制の下にあり、実情は鎖国状態にあった。ロシアはこれに干渉していた。一方明治政府も開国を迫っていたが、李氏朝鮮は日本の行為を、侵略的意図をもった内政干渉とみなし、反発を強めていた。一方清国は、あくまで朝鮮は冊封体制下にある中国の属国であると主張しており、朝鮮に介入する日本との間で関係が悪化していく。このような状勢が続いていた時、朝鮮内部で悪政と外圧を排除しようとする東学党による農民反乱事件がおこる。この事件を朝鮮は自ら解決出来なかったため、清国に救援を求める。清国はあく迄朝鮮は属国であるとして派兵を断行する。一方日本は朝鮮の独立に不安を覚え、邦人を守るという名目で朝鮮半島に出兵する。日本は朝鮮における清国が勢力を拡大することに不安を感じ、出兵と同時に本当に朝鮮は独立国なのかどうかという確認を行い、日本は朝鮮の独立のための五ケ条の改革案を提案した。改革案は受け入れられ、甲午改革が実行された。
第3節「日清戦争の勝利と三国干渉への反発」
  しかし、反乱がおさまった後も、改革勢力からの要望があるとして、日本軍は駐留を続けた。一方清国軍も駐留を続行したため、両軍は1894年(明治27年)激突し、ここに日清戦争が勃発する。明治維新以来近代化されていた日本軍は、近代化には程遠かった清国軍を終始圧倒し、戦局を優位に進め、朝鮮半島及び、中国本土の遼東半島などを占領した。一方黄海において日本海軍は、清国海軍に大打撃を与えたため清国は制海権を失った。この結果、清国は日本との講和を余儀なくされ1895年(明治28年)下関条約が締結され、清国は完全に日本の軍門に下った。日本はこの条約により清国と朝鮮との宗属関係を排除し、清国の朝鮮半島における影響力を完全に駆逐した。また日本はこの条約によって、朝鮮における勢力を確固とした他、遼東半島、台湾、澎湖諸島などを獲得し、さらに清国は賠償金2億テール(1テールは銀37.3g。銀746万sに相当する)を支払うことになる。これに後述の三国干渉の代償が加わり合計で銀857.9万s、これは現在価値銀1s12万円として、約1兆294億円にもなる。当時の日本の国家予算は年間8,000万円である。しかし、当時のヨーロッパ列強はこの日本の清国に対する強硬な態度に強い衝撃を受け、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国は下関条約によって清国から日本に割譲されることになった遼東半島を、清国に返却するよう1895年4月に勧告したのであった。これが有名な三国干渉といわれるもので、日本は英・米・伊の協力で何とかこの勧告の撤回を図るが最終的に英米が中立を表明したため、この勧告を受け入れたのであった。しかし、日本は清国との間で遼東半島を返却する代わりにその代償として、3,000万両(4,500万円)を支払うよう条約を結ぶ。しかし、この三国の干渉には日本国民は激しく反発した。特にその後遼東半島の旅順、大連の租借に成功したロシアに対し、敵愾心が燃え上がり、後の日露戦争を引き起こす引き金となった。その後の日韓併合については冒頭に述べた通りである。

■第二章「第二次大戦後の韓国」

第1節「朝鮮戦争」
  第二次大戦の後、韓国は独立をはたすが、昭和25年(1950年)6月に北朝鮮軍が突然38度線を越え、韓国に進入した。この戦争により実に300万人の人命が失われたのであるが、力のなかった韓国軍に代わり米軍を主体とした国連軍が韓国側に立って戦争に参加した。一方中国が北朝鮮を支援したため戦況は一進一退を続けたが、決定打がないまま戦争は昭和28年(1953年)7月に終結した。
第2節「李承晩ラインで日韓国交回復が難航」
  このような状況の中で日本と韓国が国交を樹立していったが、これは大変な難問題であった。先ず日本は国交以外にも韓国と交渉しなければならない事項があった。それは日本と韓国間の境界線についてである。日本と韓国の国境は戦後、占領軍最高司令官のマッカーサーによって海上に敷かれたマッカーサーラインと呼ばれるものであった。ところが1952年に韓国の李承晩大統領がこの線よりなお日本に近い部分の水域にまで「李承晩ライン」と呼ばれる境界線を一方的に敷き、勝手にこのラインを越えた日本の漁船は、マッカーサーラインより日本側にいても韓国により拿捕されるようになり、乗組員が裁判にかけられたり、やがては韓国軍により銃撃され死亡する事件も出てしまう。この為日本政府は韓国と話し合い、問題解決を図ろうとして日韓会談が開始される運びとなったが、会談は、難航してなかなか妥協点を見つけることが出来なかった。付け加えると、今しばしば問題となる竹島もこの李ラインが起こした産物である。
第3節「日韓基本条約成立で奇跡的な経済成長」
  しかし、会談が始まって実に約10年を経過して、事態が急進展したのであった。このきっかけは、1961年5月に起こった朴正煕少将によるクーデターであった。朴氏は李承晩による失政により世界の最貧国であった韓国を立て直すため、日本との関係改善に動き出す。彼の意図は、韓国の近代化の為には経済開発の資金を日本から得ること、更に朝鮮戦争が再び起こった時のために日本との関係を良好なものにしておかなければならないと考えた。朴氏の登場と共に1951年から始まって難航していた交渉はようやく両国の改善に向かって動きだし、1965年6月22日に「日韓基本条約」が締結された。この条約により、戦後日本と韓国に間で正式な外交関係が樹立された。この条約のポイントは何と云っても「日本から韓国への莫大な資金協力」が決められたことである。具体的には無償3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドル、合計8億ドルを日本は支払った。貨幣価値を現在に換算すると、1兆800億円という巨額なもので、これは当時の韓国の国家予算の2.3倍に相当するもので、この資金を基に韓国は漢江(ハンガン)の奇跡と呼ばれる経済成長を成しとげたのであった。この経済協力に相対するものとして「韓国の日本に対する一切の請求権の放棄」が決められ、この条約は成立したのであった。

■第三章「蒸し返される三つの問題」

第1節「従軍慰安婦問題」
  このような両国が取り決めた背景があるにもかかわらず、韓国と日本の間には今尚、解決されたはずなのに、韓国側の一方的な主張の蒸し返しにより三つの問題が横たわっている。一つは従軍慰安婦問題である。広辞苑には「従軍慰安婦」とは「日中戦争、太平洋戦争期に日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性、多くは韓国人女性」と記載されていた。しかし、これには日本の識者から誤ったイデオロギーによる史実と異なる記述であり、このような記載は事実と違うという主張がなされたため、その後広辞苑も後半部は「植民地、占領地出身の女性も多く含まれていた」と記述しているが、何より日本軍が直接慰安婦を管轄していたというような決定的な誤解を与えたのは、1982年9月に朝日新聞が報道した吉田清治なる人物のが昭和18年に、朝鮮済州島において2000人にも及ぶ韓国人女性を拉致して慰安婦にしたという全くのデタラメな報道が大きな役割をはたしている。この事実は、デマであったにもかかわらず、朝日はこの捏造にこだわり、一昨年32年振りに誤報を認めたが、未だに謝罪していない。この朝日の態度が事実にない慰安婦なるものを独り歩きさせ、日韓関係を抜き差しならぬものにしてしまった事は間違いない。その後韓国は、しつこくこの問題にこだわり続けている。最近では在韓日本大使館前に慰安婦像をおいたり、最近の合意形成後、取り除くとの約束も履行されていない。釜山にも同じ像を建立した。又、アメリカの地方都市などにもその建設を進めていると聞く。最近はソウル市内を運行するバスの座席にも慰安婦像が座っている。しかし、前朴大統領の政権下の2015年12月、日韓外相会談において、日本軍の慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決するために両国政府間で合意が形成され、日本は10億円供出しているのであるが、本年5月に就任した文在寅大統領は「2015年の合意は国と国との取り決めであるが、私は情緒的に納得できない。」と云っている。いやしくも国家間の合意を「情緒的」に納得できないなどとは先進国と称している大統領の言葉とは思えない。更に文政権下ではこの「最終的かつ不可逆的な解決を盛った日韓慰安婦合意」の検証が進んでおり、報告がまとまる来年以降に日本に何らかの対応を求めてくる公算が大きい。韓国は、一方的に戦争中の慰安婦について言い募っているが、「ライダイハン」という言葉を皆さんご存知か。「ライダイハン」とは韓国がベトナムに派兵した兵士とベトナム人女性との間に生まれた子供で、韓国軍撤退、その後のベトナム共和国崩壊により取り残された子供の事である。その数については諸説があり正確な数は不明であるが、最大3万人とも云われている。原因については韓国軍兵士による強姦、兵士や民間人が妻と子供を捨てて無責任にも帰国したとする現地婚、あるいはベトナム人女子は美人が多いので、強制的に慰安婦(非管理売春)にされた、など諸説がある。これに加えて韓国兵によるベトナム民間人の虐殺問題があり、これについては長らくタブー視されていた。しかし、1999年この事実が韓国のマスコミの一部で報道されたが、これはその後報道したマスコミに元兵士が攻撃を加えるなど大問題となり、韓国の恥を内外にさらした。韓国政府もライダイハンの救済に動き、客観的に立証出来る場合は、韓国国籍の付与を検討したりしている。いずれにしてもこのような問題を引き起こして全く無責任にも長年にわたり放置してきた韓国に、日本の従軍?慰安婦問題を一方的に取り上げる資格などないと思うが如何であろうか。
第2節「徴用工問題」
  次に取り上げるのは「徴用工」問題である。この問題は、戦後の国交正常化交渉の主要議題の一つであった。「徴用工」とは、日中戦争で深刻化した労働力の不足を補うため、日本政府は国家総動員法と国民徴用令によって民間人を軍需工場や炭鉱などに動員した。戦火の拡大によって当時日本領であった朝鮮半島にも及んだのである。徴用された人員は公式な記録は残っていないが、研究者の調査では70万人とも80万人とも云われているが多すぎると思う。これについては、国交回復の際結ばれた請求権協定の第2条1項において「日韓両国と国民の財産、権利及び利益、並びに請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」と明記されている。実際韓国政府は、日本政府が拠出した経済協力資金の運用に関する法律を制定し徴用で死亡した人に対して一人当たり30万ウォンを支給している。しかし、この請求権問題については協定で何が解決し、何が未解決なのか論争が続いていて1990年代に元徴用工やその家族から日本政府や企業に損害賠償を求める裁判が次々と提起された。しかし、2007年4月、日本の最高裁判所は「完全かつ最終的に解決済み」と判断を下した。一方韓国においては廬武鉉大統領の時代に何が解決されあるいは何が未解決なのか詳しく検証したのであったが、その際存在が知られていなかった慰安婦、韓国人原爆被爆者については請求権協定では解決されていないと、結論付けたが、元徴用工については韓国でも救済のために立法措置がとられているとして「解決済み」と判断され、韓国の政府、裁判所もこの立場を踏襲してきた。ところが2012年、韓国の最高裁判所による判決により、この問題が再浮上したのであった。すなわち請求権協定によりこの問題は解決済みであり、被害者個人の損害賠償を求めることは出来ないとされてきた判決を取り消し、裁判をやり直すように高等裁判所に差し戻したのであった。理由は「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地?支配に直結した不法行為による損害賠償請求権は、請求権協定によっても消滅しない。」ということであるが、全く感情的、恣意的な納得出来ないものである。この判決以来韓国国内では、日本企業に損害賠償を命じる判決が続出したのであった。確かに日本で動員され働かされた人々の労働条件が、劣悪であったことは事実である。しかし、かならずしも全部が全部そうであったわけではない。櫻井よしこ氏は、ダイヤモンドのオピニオンNo.1195で、先ず徴用工は、悪名高い韓国映画「軍艦島」(全て虚構)に描かれているような強制労働ではない。そもそもこの徴用工問題に火をつけたのは反日日本人達で、この人達による戦後補償問題が世の中に出てくる前に徴用工自身が出版した鄭 忠海氏の「朝鮮人徴用工の手記」によれば、彼自身の経験から当時の徴用工に対する扱いは常識的なもので、ひどい扱いを受けたとは書かれていない。さらに櫻井氏は我が国の人口統計から見て、朝鮮から渡日した人々の多くが出稼ぎ移住であったと指摘している。実際終戦当時、国内の事業現場で働いていた朝鮮人は約32万3000人、軍人軍属が約11万3000人、計約43万6000人である。他方、終戦時の在日朝鮮人は、約200万人であるから朝鮮人口の8割が戦時動員でなく自らの意思により渡日した出稼ぎ移住であったことは明白で、前述の徴用工70万〜80万人などという数字は、確たる裏付けのないものである。もう一つ、櫻井氏は、同志社大学の太田修教授の研究から請求権交渉の際、日本政府は朝鮮人徴用工一人一人に対して援護措置を考えていたのに、韓国側は「国内問題としてあくまで処理する。個々の労働者への支払いは、我が国自身で行う」と主張したため日本は当時の手持外貨が15億ドルしかなかったのに、その内から5億ドルを支払ったとしている。さて、韓国の最高裁判所がいついかなる最終判断を下すかであるが、もし最終的に原告の主張が認められ日本企業に損害賠償の支払いが認められると、1965年の請求権協定で決着した問題がすべてご破算となり、日韓関係を揺るがす大問題となるであろう。特に日本企業の韓国での活動が不能になるというような深刻な影響が出てくると思われる。この5月に就任した文在寅大統領は、8月17日「両国間の合意は、個人の権利を侵害出来ない。徴用された個人が相手会社に持っている民事上の権利はそのまま残っているとするのが最高裁の判決である。政府はこの立場で歴史問題に臨んでいる。」と述べたが、まさに韓国政府の方針転換といえる。これは、文大統領も当時の大統領秘書官として加わっていた2005年に首相主宰の官民協同の委員会が「強制労働に従事した徴用工に関しては、日本から受け取った3億ドルの資金により包括的に勘案されているとみなければならない。」との明記は、どうなったのであろうか?しかし8月27日文大統領は安倍首相からの懸念に対し前言をひるがえし、韓国政府は、この問題は解決しているとの立場は変わっていないと一転「踏襲」を宣言した。このように双方の外交努力によって解決し、封印された問題を再び蒸し返す韓国の態度は、両国の関係において何一つプラスにならないであろう。北朝鮮の核実験、ミサイル発射で朝鮮半島の状勢は風雲急を告げている。今ほど日本と韓国の緊密な連携が求められる時はないのではないか。それにもかかわらず韓国の政府司法当局は感情に流されがちな世論に迎合することは、北朝鮮の思うつぼではないか。両国が積み重ねてきた努力を間違った方向に持っていこうとしている韓国には正直うんざりするのである。
第3節「竹島問題」
  最後に、竹島の問題にふれておこう。竹島については、先に述べたように李承晩が敷いた李ライン設定時に韓国が実効支配している。しかし、竹島が我が国の領土であることは江戸時代の後半から我が国の漁民がアシカやアワビ漁のため竹島と行き来していた事実は否定しようがない。1900年代初頭隠岐の島民からアシカ漁の基地として、竹島を安定的なものとしてほしいとの要望が高まり、1905年(明治38年)閣議決定により島根県に編入し、領有を確認したのであった。その後我が国の主権行使に他国から抗議を受けたことはなかった。すなわち我が国の領有権は、国際法上確立していたのである。第二次世界大戦後、韓国は、竹島をサンフランシスコ平和条約における日本の放棄すべき地域にすることをアメリカに働きかけるが、アメリカはそれを拒否し、同条約発効後米空軍の訓練地域としたいと我が国に申し入れていた。このことからも、竹島が我が国の領土であると認められていた事は明白である。しかし、前述のとおり1952年(昭和27年)李承晩は、竹島を国際法上何等根拠がないにもかかわらず、一方的に韓国領とし、実効支配しているのである。我が国は韓国にこの問題を国際司法裁判所に提訴することを3回も提案してきたが、裁判に至れば敗訴することがわかっているため韓国はこれに応じず現在に至っている。韓国の主張する竹島は竹島ではなく、実際は鬱陵島であることは明白である。

                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年8月28日 金言(第61号)
『教育の無償化』



■はじめに

  ここ数カ月、教育の無償化論議が活発に展開されている。 5月には、安倍首相が大学等の高等教育の無償化を目指す考えを表明する一方、小泉進次郎衆議院議員をはじめとする自民党の若手議員有志が、幼児教育の無償化を進めるため「こども保険」の創設を提起し、議論に一石を投じた。
  さらに、政府は、この安倍首相の意向に対して「高等教育無償化」の基本方針を12月に策定する方針を固め、その財源等具体的裏付けなどの検討に入った。
  安倍首相はこの高等教育の無償化に熱心で、いささか前のめりになっている感を私は持つのであるが如何であろうか。

■第一章「世代間の不公平の是正」

第1節「積極的な教育投資により税の再配分」
  小学校入学前の未就学児童を対象に、保育園や幼稚園にかかる費用を実質無償化しようとする取り組みには基本的に賛成である。
  何となれば最近よく議論されている対象に、政府の支出する金額の世代間の不公平性とういう事がしばしば出てくるからである。
  ある統計によると、ゼロ歳から12歳までの子供に対する1年間の政府の支出合計は150万円、これに対して80歳以上の高齢者には年間300万円以上が支出されている。これはどういう事かと云うと、高齢者に対する医療や介護の支出が増加した結果、子供の教育のため十分に費用をかける事が出来ないという現実がそこにあるわけである。しかし世代間の不公平は、人口構成の変化によるものだけではない。ある世論調査によると、人々が「税金を優先的に投入すべき」と考える分野のトップは「医療、介護」で、さらに「年金」が2位、「教育」は、それらに比較して下位となっている。さらに「教育」の中でも義務教育が、一番優先順位が高く、高等教育は低くなっている。
  このことは多くの人々は「教育」は国が行うものではなく、親が負担すべきものと考えていると云ってよいと思われる。しかし、現代の日本において、子供の6人に1人が相対的貧困状態にある。相対的貧困の意味は、家計における可処分所得が中央値の半分を下回る状態を云うのであるが、我が国の中央値は約250万円であるから、所得が125万円以下の家計で暮らす子供達を指す。このように貧困の裾野が広がりつつある状況の中で、教育費の負担は、あくまで家計の責任であると云い切ってしまうと「貧困の世代間連鎖」が生じ、格差がますます拡大してしまう事が懸念される。世代間の不平等を是正することに加えて、教育により積極的に再配分の機能を果していくことこそ望まれることではないであろうか。その意味で、教育への投資こそ必要なのではないかと思う。
第2節「教育投資にも効率性が重要」
  しかしながら、問題は教育の何に投資をするかである。残念ながら今迄の教育政策は、科学的な手法で教育政策の効果の測定が実施されてこなかった。当然天文学的な財政赤字を抱える日本において、教育と云えども当然限られた財源を、より効果的に使用する事は最重要事項である。そこで考えられるのは、教育の無償化や子育て世代への現金給付などの政策をどう進めるかではなかろうか。今世上で教育への投資において対立している軸は、「高等教育」と「就学前教育」のどちらを優先するかという事である。
  安倍首相は「高等教育」の無償化に相当前のめりになっているようであるが、現状においてはたして「高等教育」特に大学無償化については疑問を持つものである。現在公立、私立高校の全日制の生徒に対しては、国から就学支給額が月額9,900円、年額118,800円支払われている。またそれに加えて私立高校の授業料は高いため、各都道府県に無償、あるいは授業料軽減のための補助制度があるが、内容の詳細は、各都道府県によって相違する。
第3節「憲法に定める教育」
  ところで皆さんは憲法第26条についてご存知であろうか。
第26条は「すべて国民は法律の定めるところによりその能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」「すべて国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」と規定されている。この条文では「法律の定めるところにより」と規定されているから義務教育の内容を変更したり、義務教育に準ずる教育を無償とすることは可能である。現に、2010年に民主党政権は公立高校の授業料を無償化した。
  しかし、これを更に進めて大学等の高等教育までを無償化することについてはこの憲法条文の変更なしに進めてよいのか疑問ではないのか。また、第26条ではあくまで「その能力に応じて」と謳っているのであるから、十把一絡げに全ての子女の能力をかえりみず、大学等高等教育無償化などとはナンセンスもはなはだしい。

■第二章「高等教育の無償化」

第1節「我が国の大学の実情と課題」
  一方、現在の我が国の大学がどうなっているのか、よく考えてみる必要があるのではないか?日本の平成28年度の大学(四年制)の数は、国立86校、公立91校、私立600校、合計777校で、これは、アメリカ2600校に次ぐ規模である。因みに韓国は407校、ドイツ307校、英国は167校、フランスは94校で、国によって学校制度が異なるため単純比較は出来ないが、数だけみるなら世界のトップクラスと云える。
  一方記録のある1954年度の大学進学率はわずか7.9%であったが、2010年度には50.9%と、2人に1人が進学する時代となった。しかし、この数字は際立って高いものではない。韓国は71%、米国は64%となっており、OECD各国の平均が56%であるから、今後共、進学率は増えることが予想される。
  新聞紙上に英国の教育専門誌の発表する大学ランキングが発表されるが、この比較検討において客観性には疑問があるものの、大学ランキング上位には米国や英国、さらにはアジアの新興国が顔を並べており、日本の大学の地位は今のところ低位にある。我が国の大学の状況を見てみると、まさに有名大学への入学については極めて難しいが、残念ながら大学を卒業することは理科系と一部の文系を除き、簡単といってよい。要するに難関を突破して大学に入学しさえすれば、特に文科系は特別な司法官を目指すといったコースを除くと簡単なのである。米国の大学入学は、日本と比較して楽かもしれないが、日々膨大な課題を与えられ、卒業するには大変な努力を要する。日本も入学してからのあり方についてもっと難しくして学力の向上に努めなければ益々大学の質は低下するであろう。
  ここへもってきて、大学教育無償化が進めばどうなるのか。益々学生は物事を安易に考えるようになり、大学の質は低下するであろう。『文芸春秋』8月号で、中室牧子氏が指摘されているように、安倍氏は「経済的理由によって進学を断念せざることはあってはならない」と述べているが、成程教育の機会均等の重要性はその通りであるが、現在大学、短大への進学率が55%を超えていると考えた時、当然この中には子供の教育費を十分に手当出来る保護者もいるわけで、そのような中でどうして一律の「無償化」を実現する必要があるのであろうか。無償化により更に生活レベルの格差が拡大するおそれがあるのではないか。むしろ一律の無償化ではなく、経済的な理由により進学出来ない家庭に重点的に支援を行うことこそ格差の縮小につながるのではないかと指摘されているが、その通りと思う。
第2節「問題のある教育国債」
  それでは、具体的な方法についてであるが、私は今、安倍政権が考えているような「教育国債」を発行して無償化を推進するなどもっての外と考えている。即ち、大学授業料の無償化を進めた場合試算によれば、3.7兆円という巨額を必要とする。これを、新規に国債を発行してまかなうなど、後世にツケを回すばらまき以外の何物でもない。そこで政府が考えたのは、現状財政難の我が国では、その費用の捻出は、増税や歳出削減では難しいので出世払いの教育国債の発行と云い出したのである。出世払いとは、大学卒業後、一定の収入を得たら授業料を出世払いで返済する制度である。確かに出世払いにすれば赤字国債ですべてをまかなう事に比べれば国の負担は少なくなる。政府はオーストラリアで行われている「高等教育拠出制度」を参考に制度設計を考えている。同制度は、成績優秀者の授業料を優先的に免除する。学生は、納税者番号を登録して卒業後に所得が一定水準を超えた年に返済を始める。これは源泉徴収により対処するので結果として財政の負担を抑える事が出来る。進学率の向上や大学の収入増など、副次的な効果があるといわれており、日本政府はそこに目をつけたわけである。安倍氏は、この制度なら国が全額を負担するわけではない「一時的肩代わり」であると大変乗り気になっている。しかし、日本の大学の授業料は前述の通り年間3兆円を超す巨額なものであり、この内どの程度を無償化の対象にするかは今後の設計次第であるが、どちらにしても、一部の資金は戻ってくるが兆円単位の国債を発行しなければなるまい。そもそも我が国では短大を含めての大学進学率は前述のとおり高い水準にある。これ以上巨額をかけて大学教育の無償化を進める必要はあるのであろうか?「投資に見合う効果は期待できない」との指摘もあり、私も賛成である。皆さん、現在は名前を日本学生支援機構と変えているが2004年迄日本育英会として奨学金事業を行っていた事実をご存知のことと思う。この内容の詳細については省かせて頂くが、大学卒業後、この奨学金資金の返済が滞っており、その額は実に7,000億円の巨額なものとなっている事は余り知られていない。人間誰でも安きに流れるのは当然であるが、私の身の回りにいるそうそうたる人達が、返済可能にもかかわらず返済しないで涼しい顔をしているのを知っている。私が心配するのは「大学授業料の出世払」もこの二の舞になる可能性は十分にある。以上述べてきたところから私は単なる大学、高等教育の無償化には反対である。
第3節「給付型奨学金の充実」
  文科省は今年度からはじめて返済不要の給付型奨学金の給付を開始したが、この制度は、低所得世帯の学生でも高校の推薦があれば奨学金を受け取れる仕組みであるが、このような奨学金制度こそもっと手厚くして経済的困難により進学を諦める子供を減らしていくことこそ考えていかなければならないと思う。先に述べたように巨額な無償化資金を投入する前に先ず給付型奨学金によってどの程度大学進学率が上昇し、卒業後の就業や収入にどのように影響があるのかを見極めてから無償化を進めても遅くないのではないか。因みに給付型奨学金給付のない先中進国は、チリ、韓国、日本の三ヶ国のみである。

■第三章「就学前教育の無償化」

第1節「自民党若手グループが打ち出した「こども保険」」
  もう一つ先にも述べたように教育に対する投資における対立軸として「高等教育」と「就学前」のどちらを優先するかという問題である。自民党の小泉進次郎氏を中心とする若手グループ「2020年以降の経済財政構造小委員会」はこの3月に「こども保険」の実施を打ち出したが、これが今議論百出の大問題となっている。「こども保険」とは、小学校入学前の未就学児を対象に、保育園や幼稚園に掛かる費用を実質的に無償化しようとする取り組みである。国と地方を合わせた無償化に要する費用について昨年内閣府は、およそ1.2兆円と試算している。これについて今激しい論争が巻き起こっているのは1.2兆円にも上るその費用の財源確保と実質無償化のための道筋である。具体的にどうするかというと、企業と勤労者から徴収する社会保険料率をそれぞれ0.1%から0.5%上乗せして、これを財源として現行の児童手当5,000円に月額5,000円〜25,000円を増額し支給するという案であるが、これについては学識経験者を始め、各方面から反対の集中砲火を浴びている。
第2節「「こども保険」に対する反対意見」
  何故この案に反対するのか、一つ目は年金保険料という形で、負担の多くを働く現役世代に求めた点である。そもそも「こども保険」の出発点は少子高齢化が進む現状の中で高齢者を優遇する現在の社会保障支出を見直し、子育て世代への支援を拡充して、社会全体で子どもを支える仕組みを模索した結果であった。それだけに「皆で支えると言いながら、何故高齢者にも負担を求めないのか」という声が各所で噴出したのであった。
  二つ目のポイントは消費税を財源に充当することを避けた点である。消費増税は政治家にとっては大きな壁といってよい、悩ましい問題である。この大きな壁から「逃げるな」という批判が上がっているのである。これに対して「こども保険」の推進役である小泉氏は「社会保険と税の一体改革により、消費税率を10%に引き上げが決まった時、子育てのための予算は7,000億円で、この使い道は決まっており、すでに先食いしているのが現状だ」と反論する。事実5%の増税の内、未だに2%を上げられない状況はご承知の通りである。このような状況で11%以上に引き上げるなど現実性に欠いている。
  三つ目の批判は児童手当を一律に上乗せすることに対する批判である。 例えば年金保険料率を0.1%引き上げた場合は、一律月5,000円、0.5%引き上げた場合は月25,000円を上乗せすることになる。これはいわゆる「現物給付」となるから受け取った人はその恩恵を明確に認識出来る反面、これを飲食代や遊興費に使用してしまう可能性を否定できない。そもそもこの「こども保険」のアイデアが出て来たきっかけは、所得の低い高齢者に対する3万円の臨時給付であったが、バラマキとしてその名前を止めている。「こども保険」も同じ批判を受ける可能性が十分にある。このように「こども保険」にはいろいろな反対意見がある。しかし、これについては、自民党の経営財政運営の基本方針(いわゆる骨太の方針)に議論が移っており、これを論じる特命委員会で年内に結論が出ることになっている。
第3節「拠出金のあり方」
  現在「こども保険」については若手議員の原案から上記の特命委員会が検討しているのであるが、その中間取りまとめによると全世代の子育て支援の財源として@税、A社会保険料、B拠出金、が検討材料としてあがっている。@とAはよくわかるとして問題はBの拠出金である。目下自民党の内部では、拠出金がスポットライトを浴びているようである。
  この拠出金については、一般の人々はその姿がよく見えにくいのであるが、拠出金とは、「子ども、子育て拠出金」の事である。そして実は企業がその拠出金の全額を負担している。御承知のように厚生年金保険料は従業員と企業が折半して支払っている。これに加えて上記の名称の拠出金を企業が支払っている。この負担割合は、従業員の標準報酬月額の0.23%で、この10年の間に0.1%も引き上げられている。政治行政にとって新たな財源をつくる時には「取りやすいところから取る」というのが勝手な原則であり、「子ども保険」の財源についても自民党の幹部はここに狙いを定めている節がある。前にも書いたように拠出金で個人のふところは痛まないため無関心であるが、経営サイドにおいて拠出金の額が上がれば会社の負担は増加し、周り回って従業員のベースアップにも影響を及ぼしていくことは必定である。その意味で「こども保険」の財源を、厚生年金保険料を引き上げて現役世代のみにしわ寄せするのに加えて拠出金に頼るのでは従来からの構図と全く同一といってよい。社会全体で子どもを支え、社会保障の受益と負担の不均衡を是正するという理念を国は掲げているはずである。そうであるならば、高齢者も負担する介護保険料や健康保険料にも「拠出金」という形で上乗せして負担するのが本来のあるべき姿と考えるが如何であろうか?最近小泉進次郎氏が経団連に対して会社経営者は年金を辞退するよう申し入れ、経営者の中から賛同者が現れているようだが当然の事である。

■おわりに

  このように教育無償化については、安倍総理を中心に高等教育の無償化を推進する考えがある一方若手議員からは幼児教育の無償化が提案され、そのために「こども保険」の創設が提案されたことを紹介した。今教育への投資に関して対立する軸は何回も触れるが「高等教育と就学前教育(幼児教育)のどちらを優先させるかという事である。これについては先述したように日本における大学の現状その他の事情を考える時、矢張り少子化対策ともなる就学前教育(幼児教育)を先行させるべきであろう。

                                                                                                                             以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2017年7月28日 金言(第60号)
『北朝鮮のミサイル開発と我が国の政治』



■第一章「脅威が高まるミサイル開発」

第1節「ICBM発射実験が遂に成功」
  北朝鮮は7月4日午前9時に、6月8日以来控えていたミサイルを発射した。
本年11回目のミサイル発射であるが、ロフテッド軌道により高度2800km以上に達して約930km飛行し、日本海の排他的経済水域(EEZ)に到達、落下した。北朝鮮は、これをすぐさま国営の中央テレビを通じて大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験に成功、と発表したのであった。
  これに先立ち米太平洋軍司令本部は中距離弾道ミサイルと報じていた。
7月5日、アメリカ政府は同弾道ミサイルについて北朝鮮が発表したとおり、ICBMであったことを確認した。米政府は普通角度で発射した場合同ミサイルは米国のアラスカ州に迄到達出来る可能性があると見ている。
  米国の識者によれば、もし北朝鮮の報道が正確であれば、標準的な軌道で最大射程距離は約6,700kmとしている。この場合アラスカ州は射程に入るが、他のハワイ州を含む全米と49州には到達出来ない。更にミサイルが再突入する際の耐熱性などの技術を北朝鮮が保持しているかは不明であると論じている。しかし、北朝鮮が米国を攻撃する能力を身に付けるなど、トランプ大統領は「そんな事は出来ない」とごく最近迄述べているが、専門家の見立てでは、それは5年かそれよりも早い時期になるかもしれないと指摘している。
第2節「ミサイルの開発阻止は手詰まり状態」
  トランプ大統領は、北朝鮮が経済的に最も依存している中国に圧力をかけ、北朝鮮の核及びミサイル開発を止めるべきであると何度も中国に繰り返し要請してきたが、今のところはかばかしい進展は見られない。日本政府もミサイルの発射のたびに厳重な抗議を行っているが、他に有効な手段をとれないまま推移しており、誠にはがゆい状況が続いている。大体国際法の観点から排他的経済水域へのミサイル着水は、武力攻撃と見なせるのではないか。しかし、我が国は専守防衛が国是で敵基地を攻撃するための手段を持つことは許されていない。北朝鮮が核爆弾を保有している事はほぼ確実であり、我が国に向けられているスカッドなどの中距離ミサイルへの核搭載は十分可能なのではないか、加えて北朝鮮にはサリンなどの化学兵器や細菌兵器も存在しており、我々に対する脅威は半端なものではない。北朝鮮は、種々の性能を持ったミサイルを約1,000発保有していると考えられている。
第3節「金王朝体制維持にミサイル開発は不可欠」
  北朝鮮のミサイル開発は、1960年〜70年代に射程120kmのトクサと云われる近距離ロケット砲から始まり80年〜90年代には短、中距離弾道ミサイルの開発へと進んだ。現在は、さらに射程の長い弾道ミサイルの研究開発に進んでおり、この最新の結果が、今回の長距離大陸間弾道ミサイルである。新聞紙上ではよく、聞きなれない北朝鮮のミサイルについて報道されるが、この際わかりやすく整理しておくと、おおむね次の通りである。
  • @ ノドン      射程1,300km−日本、沖縄
  • A テポドン1号   射程2,000km−日本、沖縄、中国
  • B ムスダン     射程4,000km−グアム島、米軍基地
  • C テポドン2号   射程8,000km−米ハワイ、米本土
  • であるが、今回発射されたミサイルは、射程は、前記の通り6,700kmであと一歩で米国本土に到達するので、彼等が公言していたICBMの完成は、あながち否定されるべきものではなかった。我々が日頃聞くところによると、北朝鮮の人民は都会である平壌(ピョンヤン)は別として、地方は食糧不足にあえぎ、人民の疲弊はその極限に達し、脱北者が増加しているのはご存知の通りである。それにもかかわらず核及びミサイルの開発に彼等が狂奔するのは、金王朝体制維持のためには、この道しか存在しないからである。
      北朝鮮のミサイルは、ついにICBMの段階に迄達したようであるが、どのように彼等はこの段階にまで達したのか研究しておく必要がある。

    ■第二章「ミサイル開発の発展経緯」

    第1節「短距離ミサイル」
      北朝鮮の近代的ミサイル開発は、そもそも旧ソ連製の「スカッド」を1976年にエジプトから初めて入手したことに始まると云われている。そして1984年に、このスカッドを基に国産の短距離ミサイル「火星」を完成した。
      これらのミサイルの目標は韓国で、朝鮮戦争は、依然休戦状態にある事はご承知の通りである。このミサイルの射程は300km〜500kmと云われており、通常弾頭の他に生物、化学弾頭あるいは核弾頭を搭載出来ると考えられており、大きな脅威となっている。
    第2節「準中距離ミサイル」
      北朝鮮は、続いて1980年代の末に中距離の開発に乗り出し、射程約1,000qのノドンを完成した。さらに、より強力なエンジンの開発に努め、2016年時点の分析では、ノドンが韓国全土と日本の大半を射程に収めていると断定されている。また、2010年に公開された改良型ノドンは、射程が1,600kmまでに達したとされ、これが事実なら沖縄の米軍基地まで届くことになる。
    第3節「中距離ミサイル」
      北朝鮮は数年前から中距離ミサイル「ムスダン」の開発を開始し、2016年には数回にわたり発射実験を行った。ムスダンの射程距離は2,500kmとも3,200kmとも云われているが、一説には最大4,000kmという説もある。ムスダンは射程を短く想定しても、ゆうに韓国全土や日本への攻撃が可能である。
      また、積載する弾頭の重さによってはグアム島の米軍基地も射程に入る。
    なお、昨年8日「北極星2号」と称する中長距離弾道弾を潜水艦から発射したが、実態は明らかになっていない。
    第4節「大陸間弾道ミサイル」
      北朝鮮の窮極的な目標は、北米に届くいわゆる大陸間弾道ミサイルの完成である。昨年9月新型のエンジンの燃焼実験が行われ、本年11月には大陸間弾道ミサイルの開発が「最終段階」にあると宣言していたが、ついに今回7月4日に発射したものがこれに該当するものではないかと思われる。
      しかし、これに核弾頭を搭載して北米を攻撃するには、まだ可成りの時間を要すると考えられる。

    ■第三章「我が国を取り巻く現状で真剣に取り組むべきこと」

    第1節「米軍の消耗化作戦の狙い」
      アメリカは、挑発の続いていた北朝鮮に対して、軍事行動を含めて「あらゆる選択肢がテーブルの上にある」とトランプ大統領や政府高官は繰り返した。
    これは北朝鮮への先制攻撃を辞さないという決意表明であるが、北朝鮮の越えてはならない一線、レッドゾーンは、当然一つは6回目の核実験、もう一つはアメリカ本国を窺う長距離弾道ミサイルの実験と見られていたのであるが、今の所アメリカが武力攻撃に打って出る気配はない。
      2月12日に日、米の首脳が会談した際、北朝鮮が弾道ミサイルの発射実験を行ってから実に5月29日迄にミサイルが日本の排他的経済水域に落下するまで彼等は9回ものミサイル発射を繰り返した。
      これに対して、アメリカは、4月初旬から5月末にかけて前例のない二つの空母打撃群を日本海に派遣した。この狙いは勿論北朝鮮に対する威嚇、牽制にあるのであるが、文芸春秋の最新号で、麻生久氏によると次のような米軍の狙いが明らかにされていた。
      すなわち、この作戦はしたたかで、「北朝鮮人民軍空軍が米航母艦載機に対抗するための領空防衛と空母打撃群の位置の把握に躍起となっていた。このため作戦機を何度も飛ばしたが、空母群の艦載機が自由に互いに味方艦艇が確認できない40平方マイル(104平方キロ)もの広大な指定海域を飛び回り、その上航母群とそっくりの音響を発するシミュレータを搭載する艦艇を航母群とは全く違う海域をゆっくりと航行させたため、北朝鮮空軍は全く盲目状態となり、上記のように徒に索敵機を飛ばした結果貴重な燃料をドブに捨てる結果となった、又一方グアムからは爆撃機を平壌方向に飛ばし、休戦ラインに近づくと、その直前に折り返し帰投したので、そのたびに北朝鮮空軍はスクランブルで対抗せざるを得なかったため、燃料の無駄遣いに拍車をかけた。」
      この作戦により今や北朝鮮空軍の保存する燃料の備蓄量は20万トン以下に落ちたのではないかと米軍当局は見ている。この量は日本の主要空港で離着陸する航空機が一日で消費する量の半分以下とのことである。何故アメリカがこのような消耗化作戦をとるかには理由がある。即ち、アメリカが北朝鮮攻撃を決断するには二つの大きな障害がある。一つは核兵器を保有する国家との全面戦争にはアメリカのみならず韓国、日本に悲劇的な結果をもたらす。そして何よりも北朝鮮という国家及び人民をこの世から抹殺してしまうからである。
      現実的な大問題は休戦ライン周辺には約8,000門の野戦砲が配置されており、これらはソウルへの直接攻撃が可能で1分間に実に1200発発射できる。ということは、攻撃が開始されると最初の一時間で72,000発の砲弾がソウルを襲うことになり、彼等が日頃云っているようにソウルを「火の海と化す」は必定である。その上これらの野戦砲は頑丈なシェルターにより守られており、射撃の時にしか姿を現さないので、これを航空戦力と誘導弾により撃滅するまでにソウルは壊滅してしまうのである。
    第2節「危機感の欠如したお粗末な政治」
      このような大きなジレンマをかかえた状況が我が国を取り巻く現状である。
      私は4月26日付の「金言」第57号「今そこにある危機」で触れた事について今回改めて駄目を押す意味でこの文章を書いた。
      先に述べたように北朝鮮はICBMの発射実験まで踏み切った。
    我が国一国だけでこれに対処するのは極めて問題があるのは十分理解するところであるが、レッドラインを越えた北朝鮮に対し、我が国の政治は余りにもお粗末なのではないかと痛感してあえてこの筆を取った次第である。
      このところ国会では共謀罪を含む「テロ等準備罪」の審議が行われ、自民党は国民に対して重要なコンセンサスを得るための説明をしないまま、法務委員会の採決をとばして参議院本会議で可決した。7月2日の東京都議会選挙においては小池百合子都知事率いる「都民ファーストの会」に惨敗した。安部首相は小池氏の動きに手を拱いていたわけではなかったが、結果として、自民党は過去最低の議員数という深い傷を負ったのであった。
      今更言ってもいたし方ないが、都知事選挙に党の反対を押し切って立候補した小池氏に対し、その力を過少評価して、現状を見あやまったのは安倍氏のおごりに他ならない。彼が真の政治家ならもう少し対立候補を含めて考えるべきであったと私は思っている。むしろ小池氏を擁立すべきであった。
      「テロ等準備罪」の取り扱いについても首相は丁寧な説明を行うと繰り返し言っていたにもかかわらず、この結着では国民は納得する筈がない。案の定くすぶっていた加計学園に対する獣医学部認可にからみ、菅官房長官の文部科学省に残存していた文書に対する「怪文書発言」、稲田防衛大臣の東京都議選挙にからむ失言が重なり都議選は大敗に終わったのであった。国民は馬鹿ではない。最近の首相の看板政策アベノミクスもはかばかしい成果を挙げられない所に持ってきて、米国、ECは、いよいよ金融政策の転換に取りかかりつつある。
      我が国は、この点においてもただ金融緩和に頼るのみで、とてもとても出口対策に取りかかれる状況にはない。まさに一周遅れの状況である。幸い景気は一定の水準を保っているのが救いであるが、日銀の約束した消費者物価2%アップには程遠い。この為税収は2017年には16年に比較して伸びは期待できず、また最近政府の発表した2020年迄にプライマリーバランスを均衡させるといういわば国際公約も3%成長、消費税2%増税などの大甘の前提に立っても8.2兆円の赤字が残ることが予想され、到底実現は不可能となってきた。
      税収を増やして財政を再建する事は正しい道筋であるが、実際には支出を抑える事も当然大前提である筈であるが、社会保障費の増加に歯止めがかからないので首相は難しい舵とりを強いられる。
    第3節「政治家は国策を論ずべし」
      さて首相は悲願の憲法改正を2020年迄に実行しようとしているが、これは、憲法9条の1項、2項をそのままにして3項に自衛隊の存在を書き入れようとするものであるが、東京都知事選の惨敗で政治基盤は揺らいでおり、党内からも政権維持へ野党の態勢が整わない早期の衆議院解散総選挙を求める声が上がっており、改憲は首相の前のめりの意図とは反対に難しくなっているのではないかと思われる。いずれにしても、外に北朝鮮問題、内に憲法改正を始めとする難問の山積と、まさに内憂外患が我が国の現状である。
      それにもかかわらず野党は森友問題、加計問題、大臣の失言追及など国策をどうするかについて関係のない問題にうつつを抜かし、閉会中審議の予算委員会では枝葉末節の問題に深入りしていこうとする。私は決して加計問題などを否定するものではないが首相はもっと早くこの問題を国民に分かりやすく、誤解されないように説明しておくべきであったと強く感じている。しかし、一方野党も正直北朝鮮のミサイル問題は、我が国にとって国難といってよいほどの大問題であることに気がついていないのか、さらにトランプ米大統領は、日米安保に適切に対応するかどうか疑問さえあるにも拘わらず、現在取っている態度は、恥ずかしいとしか言いようがない。
      現在我が国は、ミサイルが発射された敵基地へ即座に反撃することは許されていないが、この問題は早晩議論の対象に当然なってくるであろう。このような問題にこそ野党も真剣に取り組むべきだと思うが皆さんどうお考えであろうか。

                                                                                                                                 以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2017年6月30日 金言(第59号)
    『カルタゴの故事に我々はどう倣うか』



    ■序「カルタゴの滅亡は今の我が国に酷似」

      皆さんは、世界史の学習の中で紀元前(以下BC)3世紀にローマと覇を争い三次にわたるポエニ戦役の結果、滅亡したカルタゴの事をご存知の方は多いと思う。
      特に、第二次ポエニ戦役の中でローマを後一歩まで追いつめたハンニバルについては、塩野七生氏がローマ人の物語の一編「ハンニバル戦記」として詳しく書いており、お読みの方も多いと思う。何故今頃カルタゴの事を書くかというと、軍備を他国に委ねた結果滅亡した商業国家カルタゴが、現在の我々日本に酷似しているからである。

    ■第一章「カルタゴの創生」

    第1節「カルタゴはフェニキア人により建国」
      カルタゴはフェニキア人が建国した海洋商業国家である。フェニキア人について語ると、彼等は元々エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる、現在のレバノン地域に居住していた民族で、次第にこれらの文明の影響を受けて文明化し、BC15世紀頃から都市国家を創るようになった。そしてBC12世紀頃から盛んに海上交易を行い、北アフリカからイベリア半島に迄進出して、地中海全域をまたにかけて活躍し、各地に植民都市を建設した。カルタゴは、BC9世紀、伝説によれば、テュロスの王女エリッサによって建設された都市ということになっている。テュロスとはツールとも云うが、フェニキア古代都市で地中海の東岸にあり、元来は島であった。現在はレバノンの一都であるが、元々はフェニキア人による一都市に過ぎなかったのである。その後フェニキアの都市国家間の覇権を握り、国外にも植民地を建設した。彼等は、レバノン杉を使用した船を操り航海術にすぐれ、工芸や染料生産などの技術を持ち、地中海で覇を唱えた。カルタゴは、彼等の最も有名な植民地である。フェニキア人はどこから来たかについては、彼等はヘブライ人に近くユダヤから来たとの説も有力である。
    第2節「生存と繁栄を海洋に求めたフェニキア人」
      彼等は前出の通り今日のレバノン、パレスチナにあたる細長い海岸地域に進出していたのであるが、陸上では、周囲に強敵がひしめきあっていた為、その生存と繁栄の道を専ら海洋に求めたのである。テュロスの町は海岸から数百メートルの島にあったが、その町が長年に亘り攻略されなかったのは、彼らが多くの船を持っていたおかげである。BC14世紀にクレタ島のクノッソスが滅亡し、その艦隊の脅威がなくなると彼等は更に西方に進入した。テュロスには、アラビアの香辛料、バルト海の琥珀、ユダヤの食糧、エジプトのリネン、キプロスの銅などの有力商品が集結し、さらに西方スペイン方面にまで活動範囲が広がった。
    第3節「交易の中継基地として発展したカルタゴ」
      そうなると当然フェニキアとスペインの間に、中継基地が必要になったことは理のあるところである。この頃の船は、悪天候に弱い細身の櫓船で、航海術も幼稚なものであったから夜間の航行は難しく、めったに岸から離れることはなかった。当然海を渡るためには、沿岸沿いに船を進めるか島伝いに進むしか方法はなかった。従って、レバノンからスペインに向うためにはヨーロッパの沿岸伝いか、北アフリカ沿岸を行くかであったが、比較的直線で距離の短い後者の方が好まれた。又競争相手(ギリシア人)の海洋国の海賊が出没する率もアフリカ沿岸の方が少なかった。アフリカ大陸の北辺を手さぐりで進むうちに、彼等は東方からの勢力も、民族移動の波も未だ及んでいない広大な海岸地帯を見出したのであった。
      ここは、荒涼たる砂漠が陸からの敵の接近を阻み、海岸には断崖絶壁と、良港はほとんどなく海からの接近が難しい地域でもあった。フェニキア人達はこの地に中継基地をつくることを思いつく。しかし、ここは不毛の海岸地帯で寄港地をつくる場所は限られていた。即ち原住民の農耕地の余地があり、又港が必要であった。これらの条件を満たすことの出来る、極限られた地域に設けられた中継地だけが、植民地へと発展していったのである。中でも特に秀でた地域が現在の北方チュニジアである。
    長靴といわれるイタリア半島のつま先に最も近いこの地方は、地味は肥沃で気候も穏やかであったから、早くから航海者の関心が集まっていた。そして、タルシン(スペイン)とレバノンの丁度中間点に当たる、チュニス湾こそ最も船乗り達にとって都合のよい場所であった。
      難点は、東西貿易の関所ともいうべきシチリア海峡が目と鼻の先にある点で、これが将来不吉なものとなったのである。(ローマとの対立)彼等は、この地に幾つかの植民都市を設けたが、その中でもカルタゴは、典型的フェニキア人好みの土地で、実際母国テュロスと極めて類似していた。この都市の誕生年度は第一回オリンピアードの38年前、即ちBC814年と伝えているが、確かな証拠はない。歴史上カルタゴが登場してくるのは更に1世紀後である。この頃のカルタゴの繁栄は歴史に記述されているが、中でも当時のペルシア王がエジプト遠征後、自己の王冠の宝石を取得するためカルタゴに遠征軍を送ったという記録がある。しかし、この軍隊はリビア砂漠に入り消息を絶った。全滅したのであろう。新しい町カルタゴが発展する一方、古いフェニキアは衰退していった。
      テュロスは、カルタゴが母国を援助出来るほど強大になる前に、アッシリアやバビロニアの軍隊に蹂躙され、カルタゴは母国の難民を救うだけではなく、自身が力を付けてきたギリシア等の海洋民族から自らを守らなければならない立場となる。フェニキアの植民地は、各地で危険にさらされていた。ギリシア人はフェニキア人と同じくらい航海術に優れ、商売の競争に敗れると即座に海賊となり攻撃をしてくる手ごわい相手であった。このためフェニキア植民地は次々と消えていき、ついにチュニジア地方だけが残ったのであった。BC5世紀初頭よりカルタゴはこの地域の商業の中心となり、それはポエニ戦役でローマに敗れる迄続いた。カルタゴは、この地方のフェニキア人の古代都市や古代リビアの諸部族を征服し、現在のモロッコからエジプトに至る北アフリカ沿岸を支配下におさめた。一方地中海ではサルディニア島、マルタ島、バレアレス諸島を支配し、イベリア半島にも植民都市を建設した。この後、カルタゴは自分の玄関先にあたるシチリア(シチリア島)を巡りギリシア人勢力と長期間にわたり抗争を繰り返す事になる。

    地図




    ■第二章「シチリア島を巡りギリシアと大紛争」

    第1節「カルタゴはシチリア戦争で敗北」
      シチリア島は位置的にも又大きさからいっても大変重要で、BC6世紀頃からギリシアの植民都市が多数つくられていた。カルタゴは他国を圧する強力な海軍力を有していたが、カルタゴのシチリア進出と覇権の拡大は、シチリアを含め地中海の中央部で確固たる勢力を持っていた、ギリシアとの対立を増大させていった。当然シチリアの領有権を巡り絶え間ない係争が起こる。具体的にはBC480年、ギリシア植民都市シラクサがシチリア全土を統一しようとしたことから、カルタゴとの間に大きな紛争が起こる。しかし、カルタゴから送られた大規模な遠征軍は悪天候に見舞われるという不運もあり、シラクサに大敗してしまう。
    第2節「共和制移行で国力急回復」
      この敗北により大損害を受けたカルタゴは、弱体化し、政体も貴族制から共和制に移行せざるを得なくなる。しかし共和制による効果的な改革の結果カルタゴの国力は急回復し、旧来のチュニジア地方はもとより北アフリカ沿岸に新たに植民都市を建設した。更に、サハラ砂漠を越えてアフリカ奥地に迄浸透し、モロッコやセネガルに迄版図を拡大した。
      国力の回復に伴い再度シチリアへの進出を図り、BC409年シラクサを攻めるが、ギリシア側も頑強に抵抗したためカルタゴは勢力を回復出来なかった。シチリア島はカルタゴにとって生命線であったから、カルタゴはこの地に固執し続けた。以後60年以上にわたり、この島でのカルタゴとギリシアの競いは続いたが、カルタゴは劣勢でBC340年に島の南西の隅にまで追いつめられた。BC315年シラクサが、カルタゴの重要拠点アクラガスを攻めるが、カルタゴは反撃してシラクサを包囲した。
    第3節「シチリア島にローマの勢力が進出」
      この頃からローマの力が強くなってきた。ギリシアは南イタリアに植民都市を持っていたが、ローマの力が強まり、ギリシア勢力を南イタリアから駆逐する。そしてギリシア植民都市ターラントを占領することによりローマは、イタリア全土を支配することになる。その結果、西地中海における政治勢力の均衡に変化が現れ始め、シチリア島におけるギリシアの拠点が明らかに減少する一方ローマの強大化、領土拡大の野望が顕著となり、ローマとカルタゴが直接対決する事が必要となってきた。直接引き金になったのは、BC288年シラクサ王が死去すると内乱が起こり、そこにカルタゴが関与してシラクサと共同して反乱分子を鎮圧することになる。その結果反乱軍の拠点、イタリア半島に近いメッシーナをカルタゴ軍が制圧したため、ここに守備隊が常在するとともに、港にはカルタゴ艦隊が停泊することになった。これはローマにとって極めて大きな脅威であった。
      ここにローマはカルタゴと開戦する決意を固め、ローマ軍はメッシーナのカルタゴ軍を攻撃したことにより、以後約1世紀に及ぶ3次にわたるポエニ戦役の幕が、切って落とされたのであった。

    ■第三章「地中海の覇権を賭けたカルタゴとローマの戦い」

    第1節「第一次ポエニ戦役(BC264年〜BC241年)」
      この戦いは、シチリア島を巡る一連の戦争と海戦がそのハイライトである。
      この戦いは、先にも書いたようにシラクサの内戦に起因しているが、これに乗じて介入したカルタゴ軍が、イタリア半島と目と鼻の先にあるメッシーナを攻略した事により、ローマが危機感を持ち始まった戦争である。その経過は海戦では当初不利であったローマが、新しい接舷戦闘方式(コルビー)を編み出し、カルタゴ海軍を圧倒するようになり、陸戦では一進一退を重ねたのであったが、最終的には、ローマ艦隊がアエテガス沖海戦(BC241年)で完勝し、シチリアにおけるカルタゴ軍は補給路を遮断され降伏せざるを得なくなる。
      こうしてカルタゴはシチリア島を放棄せざるを得なかった。シチリアの争いは終わったが、両国共まさに国家財政は疲弊して、カルタゴはシチリアという北方の足がかりを失った。国庫は空になった上、和平条約では3200タレント(1タレント銀26kg)という賠償金をローマに20年年賦で支払うことになった。長い戦いの果てにカルタゴが敗北した。原因は将軍の能力ではなく、ローマ及びイタリア軍の徴兵兵士層の厚さであった。カルタゴはローマがいわば国民兵であったのに対し自国民の軍隊を持たなかった。すべて他国民の傭兵に頼っていたのであった。
    第2節「第二次ポエニ戦役(BC218年〜BC202年)」
      この戦いは、ハンニバル戦争とも云われるが塩野七生氏の「ハンニバル戦記」に詳しく述べられているので細部には触れない。ハンニバルの父親ハミルカス・バルカ将軍は第一次ポエニ戦争でシチリアにおいて、ローマ軍を後一歩まで追いつめた勇将であったが、早くからイベリア半島(スペイン)においてカルタゴの植民都市の経営に尽力していた。
      息子のハンニバルは父親の遺志を継ぎスペイン植民地の経営を行い、イベリア半島を制圧し、諸新部族をまとめ軍隊を養成していた。
      ハンニバルは先ずイベリア半島を制圧し、ローマと同盟していたサグントゥムを陥落させ、ここに第二次ポエニ戦役が始まる。ハンニバルは5万の兵と戦象37頭を従え、ピレネー山脈を越えてガリア(フランス)に入り、更にアルプス山脈を越えてイタリアに進軍する。約2000年後ナポレオンが越えたのと同じ道である。そしてイタリア半島各地でローマ軍を撃破し、BC216年半島中部のアドリア海に面したカンナエ(カンネー)でローマ軍に完勝して、ローマ落城もあとわずかと思われたが、彼は、敵地での補給に不安を抱えていた為、直接ローマ攻略には向かわず、イタリアの諸都市をローマから切り崩す作戦に出た。敗北に危機を感じたローマは以後「持久戦法」を探り、平野における会戦を避け持久戦に徹し、ハンニバルのローマへの進軍を許さず以後約15年に亘り一進一退の膠着状態が続く。カルタゴ本国はハンニバルの懸念どおり彼との連携補給を充分に手当てしなかった。
      その間に、ローマには若き英雄スキピオが登場した。彼はこの膠着状態の隙を突き、ハンニバルの根拠地であるイベリア半島の攻略に成功する。勢いに乗ったローマ軍は北アフリカへ逆侵攻し、カルタゴ軍を破る。カルタゴはこの敗戦に狼狽し、イタリアで戦っていたハンニバルを本国に召還してしまう。その後BC202年スキピオとハンニバルの両将は、カルタゴ近郊のザマで激突する。戦いはスキピオの勝利に終わり第二次ポエニ戦役はカルタゴの敗北に終わる。休戦条件は極めて厳しいものであった。保有できる船舶はわずか10隻となり賠償金は1万タラント(50年賦)の巨額となった。その上一番カルタゴにとって打撃となったのはアフリカ以外での戦争をかたく禁じられた事で、さらにアフリカ内の戦争についてもローマの許可が必要となった。もはや主権国家とは云いがたい状況で、西隣にはヌミディアという遊牧民族の国家が存在し、その王マシニッサはかねてからカルタゴの領土に野心をいだいていた。これを防衛するためにいちいちローマに許可を求めなければならない。ローマが必ず許可するとは限らない。後年この事がカルタゴの命取りとなったのである。ハンニバルはカルタゴの習慣からは異例であったが罰せられることはなかった。彼はこの過酷な和平条約の必要性を説いたのである。そこに軍人だけではなく政治家としての真骨頂がある。ハンニバルはしばらく軍の総司令官に止まるがBC200年ローマの要求によりその地位をしりぞく。
      ハンニバルは軍をしりぞくが行政長官として徹底的改革を企てる。
      しかし、カルタゴ貴族階級は腐敗していた。ハンニバルに反対する貴族階級は、ローマの貴族階級と手を結びハンニバルの中傷を繰り返し、ついに彼を亡命せざるを得ない立場に追い込む。ローマは亡命した彼を最後まで追いつめBC183年、182年とも云われるが、小アジアのピチュニアでハンニバルは自裁して果てる。
    第3節「第三次ポエニ戦役(BC149年〜BC146年)」
      BC191年カルタゴは賠償金の残額を一度に支払いたいと申し出る。先の敗戦からわずか10年である。ハンニバルの改革に加え財政状況がよくなったのは、軍備を持つことをローマから禁じられたためである。警戒したローマは賠償の全額支払いを許可しなかった。出来るだけ長くカルタゴに従属感を持たせておくことが狙いであった。
      食糧を中心とする貿易が再び活発となり、社会の管理状況も安定してきた。問題はヌミディア王マシニッサの存在である。彼は遊牧民の王にもかかわらずすぐれた政治家であった。豊かなカルタゴを手中におさめ遊牧民の生活を安定させることを終始考えていた。マシニッサがカルタゴ領に侵入して領土を奪い取っても、何時も腰をかがめてローマに調停を頼むしかなかった。だがローマはその問題を真剣に解決しようとしなかった。
      大体ヌミディア寄りの判定を下し、カルタゴはじり貧状況に追い込まれていった。
      BC160年頃からカルタゴの忍耐も限界に近づいて行ったのである。そしてこの事をローマに直接訴える。しかし、これは裏目に出る。当時ローマ元老院の最長老として君臨していた大カトーは、直接カルタゴを視察してカルタゴの再建と繁盛ぶりに激し、憎しみを持つのである。彼は、元老院をカルタゴ滅亡へ動くよう画策する。BC151―150年マシニッサとカルタゴは衝突し、今回カルタゴは自ら2万5千人の兵士を動員し、ヌミディアの国境を越える。この状況を見てローマは、カルタゴに宣戦布告する。カルタゴはローマに許しを乞うが、ローマは無条件降伏なら受け入れると宣告し、元老院議員の子息300人を人質に出すこと、カルタゴ市内にある武器を一切差し出せと命じ、実行する。更に最終条件を突きつける。即ちローマは、カルタゴ市の全面的破壊を決定したので、市民は全員城内から立ち退くべしと。当然これをカルタゴは拒否し、ローマ軍は、カルタゴ城内に攻撃を加える。
      カルタゴは、まさに全員玉砕を念頭に急遽新しく武器をつくり、徹底抗戦したのであった。
      ローマ軍は相手をみくびり短期間で占領出来ると考えていたが、カルタゴ側は必死に応戦した。しかし食糧も武器も底をつき、ついにBC146年落城した。市内の建造物は、すべて破壊され住民のほとんどは殺されるか奴隷とされた。ローマ人のカルタゴへの敵意はすさまじく、破壊した後の土地をすべて塩で埋め尽くし不毛の土地にしようと試みたのであった。この戦争の結果ローマは地中海を完全に制覇して以後世界帝国へと歩んでいく。

    ■第四章「カルタゴの故事は日本の教訓」

    第1節「カルタゴの滅亡は今の日本に酷似」
      長々と古代の商業国家カルタゴの興亡を物語ったが、この事実は現代の我々日本に多くの示唆と教訓を与えてくれる。カルタゴは古代の国家であるから当然現代の日本とは違うが、その滅亡については驚く程、太平洋戦争に敗れた我が国と類似している。又敗れた原因もそうであるし、現在の日本は、古代のカルタゴの轍を踏まないかと懸念するのである。我が国は、明年、明治維新150周年を迎える。即ち1867年我々は長い封建体制からの眠りから目覚め、近代国家への道を目指す。具体的には西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進する。以後わずか30年で日清戦争、続いて10年後に日露戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太へと領土を拡大する。強国への道を歩む日本は、アメリカ海軍に匹敵する海軍力を保持し、太平洋をはさんでアメリカと対峙する。太平洋国家を自負するアメリカは、実は中国の権益に大きな野心を持っていた。日本が朝鮮に隣接する地域に、傀儡国家満州国をつくったためアメリカを大いに刺激した。更に日本は、中国との戦争へ深入りしためアメリカ大統領ルーズベルトはこれを叩こうと狙っていた。日本は、ルーズベルトの策略にはまり、1941年我が連合艦隊はハワイの真珠湾を奇襲して太平洋戦争が始まる。一方日本は資源の獲得を目指して南進し、マレー半島からシンガポールへ進み、これを陥落させ、英国軍を極東から一掃する。更にフィリピン、インドシナ、インドネシアをも攻略し、フランス、オランダの勢力をも駆逐した。しかし1942年半ば頃から生産力、技術力に勝るアメリカは反攻に移り、ミッドウェー海戦以降日本はガナルカダル、硫黄島、沖縄と敗退を続け、ついに広島と長崎に原爆が投下されポツダム宣言を受諾し、1945年8月日本は無条件降伏にいたった。
      日本列島以外の領土は返還され、アメリカが決めた現在の平和憲法(?)により戦争の放棄と戦力の不所持が決められた。しかし1950年6月、戦後激しくなった米ソ対決の中から、突然北朝鮮軍が韓国に侵入して朝鮮戦争が起こり、あわてたアメリカは日本の再軍備を決めたが、しかし自ら作った平和憲法が足かせになり正規軍ではない現在の自衛隊が誕生したのであった。
    第2節「我が国を取り巻く安全保障環境に鈍感な政府と国民」
      戦後日本は、天皇主権の国から主権在民の民主主義国家となったが、今尚この憲法の存在は我が国に複雑な問題を投げかけている。日本人の持って生まれた才能は、勤勉さと物作りに秀でていることである。まさに焼野原から立ち上がった日本人は只ひたすら一生懸命働く事で豊かになろうとした。海外からエコノミックアニマルとか、トランジスタの行商人などと陰口を叩かれたが、まさに奇跡の経済復興を遂げ、10%を超す経済成長をとげ、GDPはアメリカに次ぐ世界第2位までになる。これには裏があり、勿論日本人の努力はあるが、何分アメリカの核の傘に入り軍事費がかからない、一方アメリカはソ連との冷戦に多額の国費を使わざるを得なかった結果である。ところが1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わると、世界の情勢が複雑化し、一時はアメリカ一局と云われた時期もあったが、我が国を取り巻く情勢は極めて厳しいものとなっている。即ち2016年当時のオバマアメリカ大統領は、アメリカは世界の警察官ではないと宣言したが、我々の周囲を見渡すと北にはロシアの存在が大きく横たわり、また中国は、東シナ海、南シナ海において理不尽とも云える自らの権益を主張し、他国を圧迫している。2017年の中国の国防予算は実に1兆元(16兆5千億円)に達していてその中味について具体的な額は発表されていないので、実際はこれを大きく上回る可能性がある。特に我が国において、東シナ海における我が国の領土である尖閣諸島に対する執拗な干渉は目に余るものがある。又、南シナ海における中国の内海化を目指す動きは、極めて重大な問題である。このように東アジアを中心にしての我が国を取り巻く状況に対する政府、国民の反応の鈍感さ加減は如何なものか。一昨年ようやく我が国の集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法が成立したが、全く遅きに失したと云えるであろう。もしこれが成立していなければ、今回の北朝鮮の核開発、ミサイルの発射などの挑発にもただ手を拱いていたのではないか。
      しかしながら、本年就任したトランプ大統領は、一応安倍首相との間で尖閣は日米安保条約の第5条に該当していると明言したが、一番新しい5月26日のG7における会談ではこの問題について明言を避けている。又、NATOにおけるアメリカの立場についても最近では消極的で費用負担の問題さえ提起している。
    第3節「自国は自国で守る信念で行動すべし」
      戦後70年、我々は今述べたように戦いに敗れたにもかかわらず軍備に費用をかけることなくエコノミックアニマルとしてふるまい、冷戦の中で漁夫の利を得てきた結果現在の繁栄があることは誰も否定しないであろう。極言するならば日米安保条約があったればこその我が国の今日がある。云い過ぎかもしれないがアメリカを傭兵として活用してきたと極言する考え方すらある。
      私が思うにカルタゴは、ローマを甘く見て平和ボケの中で亡びた。現在の日本について私は平和ボケとしか考えられない。それは周囲を見渡せばわかることで、今後同盟国アメリカに全面的に頼っていくことなど、夢にも考えてはいけない。平和憲法死守などと反対する人も多いがカルタゴの故事にならい、早急に憲法を改正して、場合によっては核武装をも含めて自国は自分の手で守るという信念を持って行動すべきであろう。今英国はEUからの離脱で揺れているが、英国が世界に確固たる存在として認められているのは、戦略原子力潜水艦を保持しており、十分な自衛力、報復力を持つ存在である事にあるのを忘れてはなるまい。

                                                                                                                                 以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2017年5月22日 金言(第58号)
    『テロ等準備罪(共謀罪)と治安維持法』



    ■「組織犯罪未然防止による安全な国民生活のために」

      今国会も終盤を迎え、現在与野党一番の対決材料となっているのは、共謀罪、正式には「テロ等準備罪法案」である。これには前段があって、すでに存在する「組織犯罪法」に「組織的な犯罪の共謀罪」を付け加える法案が過去2005年(平成17年)と2009年(平成22年)に衆議院に提出されたがいずれも廃案となったいきさつがある。そして、この度2017年の第193回国会に「組織犯罪処罰法」の改正案として、あらためて上程されているのである。これが一般に云われているところの「共謀罪」、公称「テロ等準備罪」なのであるが、これを巡り前述の通りに与野党が激突しているのである。この法律がどういうものかというと要するに昨今「イスラム国」などによる組織的テロが頻発し、さらに先日は、ロシアでもテロが発生している。これに対応するための法律がこの「共謀罪法案」なのであるが、民進党や共産党は例によって、この法案に対して真っ向から反対している。この法律はあく迄「テロを未然に防ぐためにテロを準備、計画した人を逮捕するための」法律なのである。我が国でもかつて1995年(平成7年)に前代未聞の地下鉄サリン事件が起きており、法の制定が遅すぎたきらいすらある。

    ■第一章「法制定の目的」

    第1節「国際的組織犯罪防止のための国内法整備」
      この法案の詳細についてであるが、我が国の刑法においては、未遂罪はあく迄「犯罪の実行に着手」することが構成要件となっており、共同正犯(共謀共同正犯)も同じく「犯罪を実行する」ことが構成要件となっているため、組織的かつ重大な犯罪が仮に計画段階で発覚しても、内乱陰謀(刑法78条)などの個別要件に該当しない限り処罰することも出来ない。従って強制捜査も不可能である。ところが2000年(平成12年)11月に国連の総会において、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約、一般にはパレルモ条約と云われている)が締結され我が国においても2003年(平成15年)、国会は承認している。しかし条約締結に先立って国内で必要な手続きがある。具体的には重大な犯罪の共謀、マネーロンダリング、司法妨害などを犯罪とすることを条約は締結国に義務付けたため、この条約の義務を履行し、この条約を締結するための国内法を整備しなければならないのである。そのため刑法の一部を改正して組織的な犯罪などについて共謀罪を創設するための提案がなされたのがそもそもの発端であった。
    第2節「思想信条の自由を制限するものにあらず」
      法案の提出について詳しくは省くが、2004年(平成16年)2月に最初の政府案が示されたが野党は反対し、以来今回で3度、若干の修正を加え、法案として提出されたのであるが、その都度「思想処罰の悪法」「戦前回帰」「治安維持法の再来」など、猛烈な反対が出て日の目を見なかった。このように我が国の対応がもたついている内に、あの北朝鮮を含む187ヶ国、地域がパレルモ条約を締結してしまい、未締結は、日本、イラン、南スーダンなど11ヶ国というのが現状である。他の主要国は締結済でG7の中で我が国のみが、かやの外にあり、参加の遅れのため麻薬取引や人身売買など国際組織犯罪に関する情報の提供や、捜査連携が滞っているのが現状であり、先進国の中で我が国一国のみが未締結とあってG7や国連安保理事会において我が国は白い目で見られている。これでは我が国として全く肩身が狭いので3月に「共謀」の定義を狭めた新法案を国会に提出して、5月のイタリアサミットを控え早期成立を目指している。
    第3節「即ち構成要件は犯罪を犯す意図ある準備行為」
      さて、本年3月21日に政府があらためて提出した法案の中身は次の通りである。なお、野党は未だにこの法律のことを共謀罪法案と呼んで反対を展開しているが、あく迄これは、「テロ等準備罪法案」である。政府案の全文についてはネットでも見ることが出来るので割愛させていただくが、この法律の構成要件の主体は
    @犯罪を目的にした組織においてかつ命令する人間が明確で、又何度にもわたって犯罪を犯したことのある組織
      であること。
    Aその組織が犯罪を計画し、そして組織の中で犯罪を計画した人間の内、一人でもその犯罪の準備
     (例・資金調達、物質調達、現場視察など)を行った人たちは全員罰せられる。
      これに対して野党、民進党、共産党はこの法案に対して真っ向から反対してる。確かに先にも述べたように我が国の刑法では未遂罪は「犯罪の実行に着手する」こと又共同正犯(共謀共同正犯)も「犯罪の実行」が構成要件であるから、組織的かつ重大な犯罪が例え計画段階で発覚しても、内乱陰謀などの個別の要件に該当しない限り処罰出来ず、当然強制捜査も出来ない。しかし片方にパレルモ条約があり、この為に国内法の改定を目指すに至っているのである。

    ■第二章「法整備の背景にあるもの」

    第1節「テロ防止には準備段階での取り締まりが不可欠」
      何故テロ等準備罪が必要になるのかと云えば、矢張り我が国の治安については長年良かったとはいえ世界的にはテロの脅威は増しており、ご承知のようにこの一年間だけでもアジア国で十数件のテロが発生している。このようなテロ犯罪を準備段階で取り締まる法律が必要である事は云うまでもない。まして2020年には東京でオリンピック、パラリンピックが開催されることになっており、それに備えるためにもこの法律は必要であろう。日本は安全、という神話はもうすでに例のオウム真理教の事件で崩壊している。
    第2節「観念的平和論による野党の反対のための反対論を排す」
      それにもかかわらず民進党や、共産党の主張は犯罪に係わっていない人を巻き込むおそれがあると主張し、反対を続けている。彼らが云うのには、犯罪を立証するのは供述である。単に共謀したという供述だけで捜査対象になるとの危険を云い続けている。一方提案する政府側にも問題がある。主管大臣の金田勝年氏のお粗末極まりない答弁が続いており、政府が失点を重ねているのも事実である。しかしながら野党の観念的にして硬直的な態度は問題外ではなかろうか。私が思うに戦後数々の与野党対立のあった60年安保、70年安保しかり日米ガイドラインの見直しやPKO法や有事法制、最近で云えば特定秘密保護法、そして集団的自衛権の見直し、又今回のテロ等準備罪についても朝日、毎日などの左翼マスコミ、そして野党はこのような法律が成立したならば「日本は戦争をする国になる」と云い続けているが、実際には全くそうでなかったのではないか。日本がいつ「暗黒社会」になったか。今北朝鮮の核とミサイルの脅威がひしひしと感じられるようになり、尖閣諸島には毎日のように中国艦船が押し寄せている。この現実を野党やマスコミは感じないのが不思議で仕方がない。
    第3節「重大組織犯罪に絞った限定的容認への国民理解の議論を」
      先日は北朝鮮牽制のため米国空母が日本海に送られたのであるが、その補給のための米艦護衛のため海上自衛隊のヘリ空母「いずも」が随伴した。ようやく我が国もそこ迄きたかと思い胸が熱くなったのである。もし米空母カール・ビンソンへの補給艦の援護すら出来なければ湾岸戦争の二の舞であったろう。さて毎日新聞に「風知草」というコラムがある。このコラムは毎日にしては中立的で、私も納得するところが多いのであるが、先日このように共謀罪について記している。すなわち今回の共謀罪については、国際協調として決まったパレルモ条約のためのものではあるが、矢張り治安立法は薄気味悪い。先にも述べたように日本の刑法では一部の例外を除き、「犯罪の実行に着手」しない限り未遂罪は成立しない。今回の組織犯罪、処罰法改正で市民社会が一気に窮屈になるのか。あくまで重大組織犯罪に的を絞った例外捜査の「限定的容認」と云えるのか。その具体的解明が国会の論議に期待されているのである。しかしまともな質問もあるのだが、実際には法相の不手際ばかりがクローズアップされ、それしか見ない国民には理解不能の展開となっている。私も全く同感である。

    ■第三章「テロ世界的拡散の歴史的視点からの理解こそ」

    第1節「法律全体像の分かりやすい説明で国民に安心を」
      更にもう一つ本当に問題となっているのが、本当に国内法に手を付けなければ条約締結が出来ないのかという考えが片方にある事である。これについては、外務省と法務省が国際法(条約法に関するウィーン条約)に則して他国の法律専門家の批判に耐えるかどうかを検討し、新法が必要であるとの結論に達し民主党政権下でも同じであった。現在の民進党は、それを蒸し返して現在の国内法だけで条約締結は可能であるからこの法律は必要なしと云っているのは矛盾もはなはだしい。このあたりをクリアするために国会で納得の行くよう審議されるべきところ、外務省と法務省の連携が十分でないところに持ってきて与党の国会対策が絡み、政府の答弁に矛盾が出て野党は「市民社会を破壊する策謀の証拠」という批判を展開している。この批判は的外れであるが、この法律の全体像を説明しきれない法務大臣を更迭すべきと云う論もあながちおかしいとは思えない。テレビのニュースなどではこの法相の無様な様子だけを拡大し、放送するものだから、国民はこの法律の本質について理解不能となっているのが正直なところではないか。
    第2節「与党野党の主張をまとめれば」
      この法律に関しての与野党の端的な主張をまとめると次のようになる。即ち与党の賛成の主旨は、国際組織犯罪防止条約を一刻も早く批准し、海外のテロ情報を収集し、我が国の安全安心を達成しなければならない。そのためにこの法律の早期成立を今国会で成し遂げなければならない。
      一方野党の反対の主旨はこの法律は「国家が市民社会に介入する境界線を大きく引き下げる」また「警察の活動領域が大きく拡大し、警察が個人の権利の侵害の高い捜査手法を求める可能性を否定することができない」
      与野党の考え方は平行線をたどるが、野党の考え方はとにかく、前に述べたように「戦争をする国になる」という60年安保から最近の特定秘密保護法、集団的自衛権の見直しにつながる観念的平和主義論の継続ではないかと思うのである。この考え方をある雑誌では「戦争をする国になるなる詐欺」と云っている。
    第3節「歴史を巻き戻す治安維持法の復活はありえない」
      最後に昨今の与野党の激突する法案の審議で必ず野党から「戦前回帰」「治安維持法」再来なる事が叫ばれるのであるが、余りにも再三再四この法律の事が云われるので、この治安維持法について触れておきたい。治安維持法は1925年(大正14年)に制定された。すなわち1920年(大正9年)頃から政府はロシア革命による共産主義思想の移入拡大を脅威に感じ幾つかの治安維持に関する法律を制定していたが、1925年(大正14年)1月のソビエト連邦との国交樹立により共産主義革命運動の激化が懸念された結果、この法律が出来たのであった。
      この法律は「国体を変革し、又は私有財産を否認することを目的として結社を組織し又は事を知ってこれに加入したものは10年以下の懲役又は禁固に処する」ことを内容としていた。続いて1928年(昭和3年)にこれに改正が加えられ、構成要件を「国体変革」と「私有財産制度の否認」に分離し、前者に対しては死刑、無期を含む厳罰化が進められた。又、「結社の目的遂行の為の行為をなしたる者には2年以上の有期刑に処するという項目が加わった。更に1941年(昭和16年)5月に改正された。
      これによると「国体の変革」結社を支持する結社、「組織を準備することを目的」とする結社(準備結社)などを禁止する規定を創設したことで、これにより官憲により準備行為を行ったと判断されれば検挙されるため、事実上誰でも犯罪者にできるようになった。また、その後取締対象が拡大され、宗教団体(例えば大本教)、学術研究会、芸術団体も摘発の対象となった。そして終戦後1945年(昭和20年)10月にGHQの命令によりこの法律は廃止された。当初この法律はロシア革命後に国際的に急速に高まった国際共産主義運動を牽制することに目的があったが、その後の同法の強化の過程で、多くの活動家や運動家が抑圧され粛清された。有名なプロレタリア文学作家小林多喜二が取り調べ中拷問により死亡したのは有名である。しかし、意外にもこの治安維持法の下で日本内地において死刑判決を受けた人物はいない。この法の下で1925年(大正14年)から1945年(昭和20年)までに7万人が逮捕されうち7千人が訴追された。成程量刑こそ表向きは軽くても拷問や虐待で落命した者は多数存在する。日本共産党の発表によると194名が取調中に拷問、私刑により死亡、更に1503名が獄中で病死したとされている。又、外地では内地の基準より厳しく、朝鮮では45名もが死刑となっている。さて、治安維持法は戦前、戦時中の我が国の恥部ともいうべきものであるが、絶対主義的天皇制維持には欠くべからざるものであつたのであろう。そしてこの法律はあくまで旧帝国憲法のもとで実施されたもので、現在の人権が保障された憲法の下でそのような法律が復活することはない。共産党も民進党も事あるごとに、治安維持法と比較して宣伝つとめるが、極端な比較はやめてほしいものである。

                                                                                                                                 以上
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                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2017年4月26日 金言(第57号)
    『今そこにある危機』



    ■序「森友学園騒動は枝葉末節の問題」

      本年度の通常国会は1月20日に召集され、6月18日迄の150日間の期間が定められ、会期が進んでいる。本国会は「補正予算」「来年度予算及び関連法案」さらに前々から廃案が続いていた「共謀罪」の要件を変えた「テロ等組織犯罪準備罪」を新設する法案などが主たる審議事項となっている。ところが「補正予算」や「来年度予算」については成立したのであったが、現在進められている状況について考えると全く寒心に耐えないのである。何故なら2月9日に朝日新聞によるスクープとされる森友学園の問題が未だに国会で再三再四論議され、他の重要案件の審議に支障をきたしていることは異様としか思えない。
      森友学園の問題は、マスコミで十分報道されているので、詳しくは述べないが、要するに幼稚園経営者の籠池泰典氏が小学校の経営進出を思い立ち、その為に国有地の払い下げを受け、本年4月の開校を目指していたが、その土地の払い下げ価格が鑑定価格9億5,600万円のところ「土中にゴミ(産廃?)」が埋まっているとして、その処理費8億円を差し引いた1億3,400万円で払い下げられた事に対する疑問、あるいは安値払い下げについての国会議員の口利きがあったのではないか、加えて補助金不正受給などの疑惑、それに極め付けは安倍首相夫人昭恵氏の関与、100万円の寄付などがあったという籠池氏の証言なども飛び出し、ついに3月23日衆参両院で同氏の証人喚問が行われたのは記憶に新しいところである。証言の内容を事細かく説明する時間はないが、結論から言えば真相は全く藪の中としか云いようがない。只言えることは首相夫人たる昭恵氏の余りにも事をわきまえない行動、例えば小学校の名誉校長に擬せられたり、わざわざ講演を行ったりしたうかつな行動が、疑惑を呼んだことは間違いない。
      しかしながら、ここで私が云いたいのは、確かにこの森友問題は重要な問題であるが、これによって国家全体が揺らぐような問題ではない。現在安倍首相の地位は絶対で死角となる問題はほとんどない。安倍一強と云われる由縁であろう。野党は、この問題ぐらいしか攻めどころがないのはわかるが、現在の北東アジアにおける我が国が置かれている危機について、もっと積極的に論じることこそ国会議員の務めではないかと考える。今国家の存亡が問われている状況を冷静に見守り、行動する事こそ国会議員の義務である。

    ■第一章「北朝鮮から仕掛けられる全面戦争勃発の危機」

    第1節「日本へ向けられたミサイル発射実験は米国への牽制」
      現在の世界情勢を見ると問題が山積している。特に北東アジアにおいては北朝鮮が核開発(小型の核弾頭開発)と長距離ミサイル(ICBM)の完成へと着々と歩を進めており、これこそ我々にとっての最大の脅威である。すでに承知されていることではあるが、北朝鮮は1月6日に4回目の核実験を行い、2月7日に「光明星3号」と称する長距離弾道ミサイルの発射実験を強行した。核燃料の小型化も進んでいるとみられ、ミサイルの射程距離も伸びているわけで、おそらく米国本土をとらえるICBMの完成は時間の問題となってきた。又、北朝鮮は潜水艦からの発射ミサイルSLBMの実験にも成功している。
      前に戻るが、本年2月11日に安倍首相とトランプ大統領の会談がフロリダで行われたのであるが、その翌12日、北朝鮮は中距離弾道ミサイル、ムスダンを発射、続いて3月1日から行われた米韓軍事演習に向って3月16日スカッドERと思われる弾道ミサイルを4発日本海へ向けて発射した。スカッドERなら射程は1,000qと云われ、日本列島全域が攻撃にさらされることになる。
      更に4月5日、折から行われた米中会談を目指して中距離弾道ミサイル、北極星2号を発射したことは記憶に新しい。このように、アメリカが動くたびに北朝鮮がまるで嫌がらせのように米軍を駐留させている日本に向けてミサイルを発射するのは、アメリカへの牽制が目的である事は云うまでもない。
    第2節「それに対して米国はすべての選択肢をテーブルの上に」
      前から云われていることは、金正恩朝鮮労働党委員長の本音は、核保有によりアメリカと取引して、北朝鮮の現体制維持を確約させるということである。オバマ前大統領は北朝鮮との対話を無視し、いわゆる「戦略的忍耐」の政策を原則として、北朝鮮政策を進めてきたが結果としては全くの失敗に終わり、北朝鮮の核開発、ミサイル開発を促進させてしまったのは事実である。ついでながら対中国政策においても南シナ海に中国の勢力をはびこらせたのも同様にオバマ氏の責任であろう。
      さて、トランプ大統領は今年1月の就任以降、核ミサイルの挑発を続ける北朝鮮の対応について「すべての選択肢がテーブルの上にある」と繰り返し言及している。米国は北朝鮮に影響力を持つ中国に圧力をかけて北朝鮮に対する経済制裁の実効性を高めようとしており、これが基本方針ではあるが、一方「軍事行動」の可能性を排除していない。米国としては軍事行動を含め、あらゆる選択肢を俎上に載せているわけであるが、これはあく迄外交を動かすための手段であって、米国の本気度を示すのが狙いである。しかし「外交が機能しないなら軍事行動もありうる」という方針が示している。先日の米中首脳会談でも北朝鮮に圧力をかけるよう中国に経済関係で譲歩しながらも中国の行動を促している。しかし、もし中国の行動がはかばかしくない場合、米国一国で解決すると云っている。米中会議の当日、シリアに対しトマホークミサイルを50数発も打ち込んだのは、米国の本気度を示したものである。
    第3節「挑発的姿勢の北朝鮮との一触即発のリスク」
      一般論としては、今回アメリカは原子力空母、カールビンソンを中心とする空母打撃群をわざわざシンガポールから北上させ、北朝鮮の目と鼻の先にまで近接させたのは「これ以上の挑発行為は破滅行為である」と警告しているのであろう。しかしながら、トランプ氏がならず者といっている金正恩である。北朝鮮は以前から徹底的に「他国の武力には屈しない」という基本姿勢であり、今回のような自国を破滅させうるに違いない大戦団が接近している現状でもなお、「我々は核戦争をおそれない」という好戦的な態度を続けている。一方アメリカも本当に北朝鮮(ICBM、核)が脅威となる前にこの際叩いておきたいと思っているのではないか。ましてやこの20年間の歴代大統領の甘さがこの事態を招いている事をトランプ氏は批判しているのであるから、もし北朝鮮が手を出せば本格的な軍事行動に移ることは、否定できないと思われる。

    ■第二章「そこにある危機とは何か」

    第1節「進化続ける北朝鮮の核ミサイル」
      追い込まれた「ならず者」が、何を仕出かすかわからない。彼等が核弾頭付のミサイルを保有していて、アメリカの同盟国で未だ核を持たず報復手段のない我が国に攻撃を加えるおそれも皆無ではなかろう。北朝鮮が、軍事行動を取れば韓国、日本の損害は甚大なものとなろう。韓国の首都ソウルは38°線からわずか56kmしか離れていないから長距離火砲の餌食となり、文字通り兼ねてから彼等が云っている通りソウルは火の海と化すであろう。
    第2節「大量の化学・細菌兵器の地中深く分散された保有」
      又、北朝鮮には核ばかりが注目されているが、化学兵器、細菌兵器も大量に保有しているのでこの面からも人的な大損害が心配される。もしアメリカが北朝鮮に対して軍事行動に踏み切れば、我国と韓国にミサイルが飛来する可能性は大であるからアメリカとして容易には攻撃できないことは確かである。北朝鮮は核施設、核爆弾、を地中深く貯蔵しており、またミサイル発射台も地中に隠しており、しかもその場所は各地に分散している。アメリカもこれを正確に割り出し、ピンポイント攻撃することは可成り難しい。しかも北朝鮮は可動式ミサイル発射台を備え、これの所在を掴む事は難事と云われている。
    第3節「多数ミサイルによる同時攻撃への迎撃態勢の欠如」
      もし北朝鮮がミサイルを発射した場合日本に渡来するまでわずか10分程度と云われている。それに対し我が国はこれらの攻撃を防ぐためにSM3、PAC3など迎撃ミサイルを配備しているが、はたして高確率でミサイルを捕捉、殲滅出来るかわからない。ましてや一度に多数のミサイル攻撃を受けた場合、その効果はあてに出来ない。今韓国に配備が決定し、韓国、中国の間で紛争となっているより高度でミサイルを迎撃出来るサードシステム(THAAD)を我が国に早急に取り入れなければならない。

    ■第三章「国民全員参加の国防体制の構築を」

    第1節「何よりも平和ボケの国会審議からの脱却を」
      北朝鮮に対して、我国は現在このような危機的状況にあるにもかかわらず政府の対応は全く何もしていないのと同じなのではないか。私が主張するのは国会において、また政府がとる行動において、まさに「平和ボケ」と云われてもしかたがない質問議論を行っていることに危機感を持つものである。確かに「森友問題」もうやむやにしてよいものではないが、当面北朝鮮の核ミサイル問題こそ国家の存亡に係る最も重要な問題である。一方国会においては「共謀罪」をめぐって審議が重ねられているが、この法案についても野党は「秘密保護法」の時と同じくこの法案が通れば治安維持法の再来とか、民主主義の危機とか主張して、廃案への徹底抗戦を叫んでいるが全く「今そこにある危機」が何であるか理解していないことには正直いって呆れるばかりである。北朝鮮の危機、さらに南シナ海における中国の無法な跋扈に只手をこまねいているだけの状況が続いていることに、もっと真剣に取り組むべきである。特に東シナ海においては、尖閣列島だけではなく沖縄本島に対する中国の圧迫が続いていること、又北方領土がロシアから戻ってくることは困難な状況など我が国が対外的におかれ地位は極めて難しい。
    第2節「的確な緊急情報伝達システムを」
      前に戻るが緊迫した北朝鮮問題に如何に対処するか、この目の前の危機を国会で真剣に議論しているとは私には到底思えない。北朝鮮の緊迫した情勢に我が国の金融市場に大きな影響を及ぼしている。仮に今回戦争状況にならなくともこの地政学的リスクは今後共継続することは必至である。そのために我が国としてどんな備えが必要か、先ず国民全員に対する的確な情勢伝達がなされなければならない。なるほど2004年に「国民保護法」が制定され、武力攻撃事態等において国民の生命、身体及び財産を保護し、国民生活等に及ぼす影響を最小にするための国、地方公共団体等の責務、避難救護、武力攻撃災害への対処等の規定がつくられているが、今回の事態に対し、具体的に国民への周知がなされているとは思えない。内閣官房には国民保護ポータルサイトが設けられているが、その事を承知しうる国民はほとんどいないのではないか、又ネット時代でもなお高齢者の中ではフォローできない人も多数あり政府は更なる努力を傾けるべきである。
    第3節「避難訓練・シェルター、さらにTHAADと敵基地攻撃能力を」
      次に、有事に対する備えであるが具体的には訓練、設備、一番大事なのは国防であるが、内閣府のサイトによると政府は弾道ミサイルを想定した避難訓練を各都道府県で実施しているが、その規模は小さく国民の大多数はそんなものが行われている事を知らないのではないか。設備面においても核攻撃が行われた時に国民を収容する施設(シェルター)や救護体制が確保されているかどうか疑問である。又、在外邦人(韓国には5万人いると云われている)を保護する体制も確立していない。最後に安全保障、国防、軍事に関する研究と教育の徹底である。これらについては長年日本ではタブー視されていたきらいがあり、長年にわたる呪縛を解き放って今こそ国防についてあらゆる手をつくすべきである。
      政府は今こそ自衛の為に相手側からミサイルが発射された場合、その基地を攻撃することができるかを真剣に論議すべきであろう。枝葉末節とは云わないが「森友問題」や成立して当然の「共謀罪」の審議も大切であるが「今そこにある危機」のためTHAADミサイルの早期導入を始め、イージス艦の更なる建造などこの際国防を高めていく事こそが内閣、国会の喫緊の務めである。

                                                                                                                                 以上
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                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2017年3月29日 金言(第56号)
    『名門東芝の脱線転覆』



    ■第一章「倒産寸前の危機へ」

    第1節「突然の7千億円の巨額損失」
      去る3月14日の、各紙経済面を見た読者は驚いたのではないか。 何故なら東芝は、同14日に予定していた2016年4月から12月迄の4半期決算の発表を再び延期するとなった事である。東芝はさかのぼる2月14日に予定していた同4半期決算を最大1カ月間の延期を申請したと発表していた。この理由はアメリカに於ける原発事業につき巨額の損失を計上する見通しとなった原発建設会社の買収の過程で、米原発子会社ウェスチングハウス(以下WH)の経営者が米法律事務所に対して「不適切なプレッシャー」をかけた疑いがあり、精査が必要になったためという。具体的にはあくまで東芝の説明であるが原発建設会社CB&Iストーン&ウエブスター社(以下S&W社)をWHが買収する際、取得価格の経理手続きに「内部統制の不備」があった事を示唆する内部告発があったためといわれている。このため、これらの調査が進められているのだが、これには1カ月程度の期間が必要とされ、決算発表の遅れは避けられないということで、14日の発表は1カ月延期されたのであった。誠にガバナンスの存在を通り越して経営不在の状態と云って差し支えない。日経紙などのメディアの報道では、東芝の損失は「最大7000億円」と報じられている。東芝は、前記のS&W社の買収によるのれん代(買収による損失)は105億円と発表していた。普通に考えるなら、これが7000億円の損失になるのが常識では考えられないが、そこには東芝経営陣の思わぬ見込み違いがあったやに聞いている。この件については、1ヶ月後に決算が発表出来るのか今のところ流動的な面があるが、今後の推移を見守りたいと思う。其の後決算発表は延期された。
    第2節「2年前も不正会計処理で1500億円の損失」
      さて、東芝に対して2015年2月、証券取引等監視委員会は、東芝の会計処理に関して疑問があると判断し、報告命令を出している。これに対して同年5月に東芝は、同委員会に対して2014年3月迄の3年間に営業利益のかさ上げ額が500億円あると明らかにした。これについて、当初社内の態度は極めて楽観的で「技術的な問題である」とか「会計は見方によって違う」などとまるで他人事のような態度で真剣味が感じられなかった。ところが7月20日に、その後設置された第三者委員会が、「利益の水増しなどが経営判断として行われたものである」「いくつかの案件では経営トップらが見かけ上の利益のかさ上げを目論んでいた」と、まさに「組織ぐるみの不正」を指摘する報告書を提出したため、蜂の巣をつつくような騒ぎとなったのである。 2010年3月期から2014年3月期の決算を調査した第三者委員会の報告によると、不正な処理に関係する範囲は、2008年4月〜2014年12月にまで広がっていた。そして水増しの額は、税引き前利益で1518億円に迄及んでいると断定し、第三者委員会の委員長であった上田廣一氏は「日本を代表する大会社がこんなことを組織的にやっていたのかと強い衝撃を受けた」「これは会社の内部統制、役員職員の意識の欠如が原因である」と指摘した。
    第3節「日本を代表する総合電機会社の歴史」
      東芝こそ、からくり人形で有名な田中儀右衛門久重が、1875年(明治8年)銀座に創設した電信機会社に源を発し、その後芝浦に田中製造所をつくり、さらにその後、三井財閥の傘下に入って、芝浦製作所となったのだが、日本最初に白熱電燈を手がけた東京白熱電燈球製造会社(後の東京電気)と1939年(昭和14年)に合併して東京芝浦電気となり、その後戦争など幾度も困難に直面したが、石坂泰三、土光敏夫氏などの各経営者を輩出して、その都度それを克服し乗り越え、重電、弱電を含む総合電機会社として我が国を代表する企業となっていた。又、日本経団連の会長に二度も就任し、副会長にも何度も就いている。そして東京電力、新日本製鉄住金と並び、経団連銘柄企業と呼ばれ正に、名実ともに日本を代表する大会社といって差し支えない。

    ■第二章「事業戦略の誤りを隠蔽した不正経理」

    第1節「不公正経営はなぜ行われたか」
      ところが東京電力は、福島第一原発の事故を通じて社会に多大な迷惑をかけ、その存在すら疑われるような行動を再三にわたりとっている。今回の東芝の会計処理問題も東電と東芝は同じ体質であることを世に歴然として表しているのではないか?
      2016年7月21日に東芝は2008年4月から2014年12月の約7年間にトップを務めていた西田厚聰、佐々木則夫、田中久雄の三人の社長を含む八人の取締役が引責辞任することを発表した。7月20日に公表された第三者委員会の報告では次の三項目が指摘されたのであった。
      先ず第一項目は、先に述べたように税引き前利益の6年間に亘る1518億円の水増しである。
      第二項目は、不正経理の原因を「経営トップの関与」「過大な目標値」「逆らえない企業風土」「会計知識の欠如」「会計監査人に対する事実隠蔽」「人事ローテーションの固定化」「内部統制(内部通報の不備)」などが指摘されており、これらから考えられるのは、多くの事業部門において長期間にわたって過大売上を進め、経費を過少評価して計上していたことを指摘している。
      第三項目は再発防止のため対策を幾つか具体的に挙げて提案しているが、読み方によっては、どうしてこんな事が、となる噴飯ものの記載が見られる、実体はそれ程ひどかったのであろう。先ず直接的な原因の除去として、不適切な会計処理に関与した経営陣の責任認識と意識の改革となっており、このような事は経営者として当たり前の事であろう。
    第2節「形だけだった「委員会設置会社」のガバナンス」
      東芝は、委員会設置会社の第一号として時代の先端を切ってきた会社とは思えない。委員会設置会社とは、2003年4月に施行された商法特例法改正により導入された制度であるが、アメリカ流にならって会社ガバナンス強化をうたったものである。2015年5月に現在の形となったのであるが、概要は指名委員会、監査委員会及び、報酬委員会の三つが必ず設置されることになっており、各委員会を構成する取締役の過半数は社外取締役である事が定められている。勿論従来通り取締役会は存在するが、その権限は業務意思決定と、個々の取締役及び執行役による職務執行を監督するものである。
      アメリカとは違い、取締役会の過半数を社外取締役とする必要はない。余談になるが2001年、2002年の商法改正で導入され、現在は複数の社外取締役を置くことになっている。しかし、この制度はアメリカ流に盲従した制度の典型で、私から云わせれば百害とは云えぬが、本当に我が国においてコーポレートガバナンスの強化になっているのか疑わしい。委員会設置会社の数もその後増加していないように聞いている。さて、東芝は率先してこの制度を採用した会社で、当時まだ現役であった私には、さすが天下の東芝だと大変まぶしく感じたのを覚えている。
      前に戻って、第三者委員会の改善策は次いで「企業の実力に即した予算の策定」と「チャレンジ」の廃止をうたっているが、これについても今更としか云いようがない。次いで「企業風土の改革」となっているが、これはさすがに難しい問題である。しかしこのような風土になってしまったのは、高々この20年であろう。企業経営の原点に立ち帰って進めるしか方法はあるまい。「会計処理全般の見直しと厳格な運用」我が国を代表する企業に対する提言としては寂寥感さえ感じるところである。
    第3節「不公正経営とは「粉飾決算」である」
      第三者委員会の提言を見てつくづく思うのは、「企業は人なり」である。東芝のトップが見すえていたのは、只々堅実に会社の業績を上げるのではなく表面的に何が何でも見栄えの良い成績を上げ、自分達は次の高みを狙っていくという全くガバナンス不在の会社関係者を置き去りにした考えであった。一般に世間はこの東芝の状況を不公正経営と呼んでいるが、どうして「粉飾」と云わないのか。日頃やかましいマスコミも「粉飾」とどうしてはっきり指摘しないのか。我が国を代表する経団連銘柄に対する誤った敬意としか思えない。ライブドアの堀江社長は粉飾で有罪になったが、その金額はたったの53億円である。又、長年に亘って監査してきた新日本監査法人の責任は極めて大きいものがある。監査法人は内部統制についてこれでもか、これでもかとやかましかったが一体何をしていたのか。

    ■第三章「事業戦略の誤り」

    第1節「原子力ビジネスへの巨額の過大投資」
      最近やや落ち着きを取り戻し、医療機械部門をキャノンに譲渡するなど選択と集中に力を注ぎ財務体質の改善に取り組んでいるようにみられていたが、最近ここにきて大問題が発生した。すなわち、綱川智社長は昨年12月末に記者会見して、突然先に述べたような米国の原子力事業で「数千億円規模」の損失が発生する可能性を発表したのである。その後先月の発表においてはその額の見通しは実に7000億円を超えるものとなった。東芝は西田厚聰元社長の在任中世界的にCO2削減の声が高まる中で、さらにエネルギー需給の逼迫で原子力発電の世界的な再評価が高まり「原子力ルネッサンス」と呼ばれたように、原子力ビジネスの市場規模は米国を始めとして各国が原発増設に大きく動いたため膨れ上がっていた。東芝は、この流れに乗るべく原子力ビジネスの拡大を意図していたところ、当時英国の核燃料公社の傘下にあったWHが身売りされることになった。この時点で東芝が手がけていた原発は、国内の17基のみで、これは沸騰水型と云われる型式のもので、WHの手がける加圧水型原発がどちらかというと、主力になりつつあったのが現状であった。
      東芝としては約100基の実績のあるWHを手中に収めることは、世界の原発設備容量のおよそ3割が自社製ということになり、まさに世界首位の座を占めることになるので、この入札にのぞんだのであった。とろこがこの入札には有力なコンペチターが現れ、入札競争は熾烈を極めたのであった。競合相手はWHと提携関係にあった三菱重工業であった。私などは長い付き合いで気心のわかった三菱重工業こそWHに最適であると思ったが、東芝の獲得意欲は強く、入札が3回4回と続くうち当初は東芝として「2000億円」くらいが妥当と思っていたのがみるみるつり上がり、ついに買収額は約6000億円に迄膨張したのであった。
      当時の交渉担当幹部自身が、これではとうてい「投資の回収は無理」と懸念を伝えても、前のめりとなった西田社長は強気一点張りで、高値の買収に踏み切ったのであった。西田氏が強気の買収方針を貫いた所以は、当時の通商産業省が原発推進に積極的で、メーカーと電力会社が協力して原発を売り込む、いわゆる「パッケージ型インフラ輸出」を進めこれを成長戦略の一環としたこともその理由である。東芝の傘下に入ったWHは2007年以降、中国や米国から10基の原発を次々と受注して、原発事業は順調に拡大していくように見えたが、好事魔多し、2011年3月の大震災による東京電力福島第一原発の事故で、環境は一変する。
    第2節 「事業環境激変への不適応」
      我が国を含め、世界中で安全規制が強化され、「脱原発の機運」が高まった。それでも東芝では、西田の後を継いだ佐々木則夫社長の代になっても原発を推進する方針を堅持して、むしろ西田時代より高い目標を設定して原発推進を改めようとしなかった。
      その間各トップは「チャレンジ」と称して達成が難しい損益の改善を各部署に求め、利益を水増しする粉飾会計を拡大した。このような中で原発を見直すという機会を失っていったのである。経済産業省も依然として「原発輸出推進」の旗をかかげたままで「世界の安全技術を日本として集大成する」と称して輸出を推進したのであった。
      しかし現実は東芝の思惑とは反対の方向に動く。米国のサウステキサスプロジェクトは凍結され、受注していた東芝は撤退に備え、2015年3月期迄に実に727億円の損失計上を余儀なくされた。又、日本の原発を採用する筈であったベトナムも昨年導入を撤回した。ここへきてついに東芝は海外の原子力事業からの撤退を決めたのであった。そして今回のWHがらみの7000億円の損失計上である。
    第3節「迫る債務超過」
      この東芝の経営危機の主たる要因はWHによる米国における原発事業である。建設工事の大幅遅延の他、原子力建設サービス会社の買収や、のれん代などの減損が7000億円超の損失計上となるが、今後の工期の遅れでWHの損失は膨らむ可能性があり、同社を切り離すことが喫緊の課題であった。しかしWHが手がける原発プロジェクトには米政府が2億ドル(約9500億円)の保証をつけており、この点がどうなるのか懸念材料である。そのため、破産法の適用なども順調には進まないのではないかと危惧されている。
      WHの高すぎる買収額は福島の事故後の原発事業の停滞と相まって、東芝の財務体質を大きくむしばんでいる。2016年の3月期はWHの資産価値の見直しで約2500億円の損失計上であったが、2017年3月期には上記の7000億円の損失により1500億円の債務超過におちいると予想されている。

    ■終章「予断を許さない「主力事業売却による大リストラ」」

      不正(粉飾)会計問題が発覚した2015年春以降、成長分野の医療機器子会社や、歴史のある白物家電会社を相次いで売却し、その総額は2年間で1兆円を超えており、今後虎の子の半導体メモリー会社を分社して、その株式を売却する方針と伝えられているが、その詳細は二転三転して明確な方針が打ち出されていない。又、最上の目論見どおりに高値で売却できるかどうか大変疑問視されるところである。それより東芝は、今一つ大きな壁が立ちはだかっている。
      不適切会計の発覚で、2015年9月に「特設注意市場銘柄」と指定された東芝は、昨年12月に再審査が必要とされ指定期を延長されている。もし東証から内部管理体制についてお墨付きが得られなければ上場廃止になる。東芝は15日に東証に内部管理体制確認書を再提出したが、この審査は新規上場に次ぐ厳しいものである。一方東芝は2016年4〜12月期の決算発表を2月14日に予定していたところ、3月14日に延期していたが、更にこれを4月11日に再延期して、益々混迷の度合いを強めている。
      「内部管理体制確認書」の審査に直接再延期は関係ないが、企業規模が大きく、何度も決算を延期してきた東芝の場合、審査には半年以上かかるとの見方がある。株式市場では「上場廃止の可能性がある」との懸念の声すらある。さて前々から予想がくすぶっていたが、本27日の日経朝刊トップ、東芝米国子会社WHが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請する方針であることが26日に判明したと報道した。破産法申請後の有力な支援先候補は韓国電力公社グループである。

    ■最後に「企業はトップの在り方次第」

      東芝の問題は複雑で、今ここで私も十分咀嚼していない点が多い。結論として云えるのは、企業はトップの在り方次第ということであろう。前に戻るがいくら最も新しい管理体制を設けてもトップの意識が公正を欠き恣意的なら、どんな組織も空転してしまうので東芝はその典型であり、これと同一のものは数年前に倒産した伊藤淳二氏の鐘紡ではなかろうか。
      
                                                                                                                                 以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2017年2月17日 金言(第55号)
    『社会保障費をどうするのか』

    ■「平成28年度の財政規模は100兆円大台に」

      総額2,133億円からなる平成28年度第3次補正予算がようやく1月31日に成立した。これは災害対策、テロ対策、弾道ミサイルに対する備えの為のものであるが、税収が減ったため、平成21年1月以来となる赤字国債を1兆7,000億円も発行した。今回何故このような支出をしなければならないのかという、厳しい指摘があったことは事実である。付言すると、第3次補正予算等支出総額は上記の通り2,133億円であるが、内閣が当初補正予算として提示したのは6,226億円であり、低金利で国債の利払費が減ったことで歳出を4,164億円取りやめたため、この数字におさまった。しかし、28年度の三度の補正予算を含む歳出総額は、事業規模28兆円の経済対策などにより合計で、実に「100.2兆円」となった。国民のほとんどが、歳出がこのような100兆円を上回る数字になった事は知らないのではないかと思われる。

    ■第一章「平成29年度予算案を読む」

    第1節「一般会計予算案規模は過去最大に」
      補正予算の与野党攻防を経て、いよいよ平成29年度の予算審議が始まるが、その予算案の概要は次のとおりである。一般会計の総額は「97兆4,547億円」と前年を0.8%上回る過去最大の規模である。内訳は次の通りである。尚( )内の数字は前年比増減額%である。
       歳入
      1.税収     57兆7,120億円(0.2)
      2.税外収入     5兆3,729億円(14.7)
      3.新規国債   34兆3,698億円(△0.2)
      歳出
      1.政策経費    73兆9,262億円(1.1)
            内訳
             @社会保障費         32兆4,735億円(1.6)
             A地方交付税交付金  15兆5,671億円(1.9)
             B公共事業          5兆9,763億円(0.0)
      2.国債費     23兆5,285億円(△0.4)
      ( )内の数字は、前年比増減額%
    第2節「「経済再生と財政健全化の両立」の実現可能性に疑問符 」
      その自画自賛によると、今世間で問題となっている女性の社会進出のために保育士の待遇を充実させる。あるいは研究開発費の増額、高齢化により増加する社会保障費の伸びを5,000億円と目標の範囲内に止める。又、問題となる新規国債の発行額は、0.2%とわずかであるが減少する。
      一方税収については甘い見立てではないかと思う。すなわち、平成28年度は円高による企業収益の悪化予想により、先に述べたように1.7兆円も減収となる。平成29年度は、トランプ新大統領への政策期待による円安によるV字型回復を見込んでいるが、今後トランプ大統領がいかなる政策を打ち出すかは不明なので、一本調子で税収が増えるかどうか想定は難しい。マイナス金利と国債金利を0%にする日銀の政策により、国債を保持する投資家に支払う国債金利を1.1%に下げ、5,000億円を節約できたのであるが、もしこれがなければ、借金はふくらんでいたであろう。
      一方社会保障費のうち、所得の高い70歳以上の高額療養費の負担上限額を上げたり、価格の高い薬剤の価格を下げたりして社会保障費の上昇を押さえたりする目先の宿題は、どうにかクリアしたが、問題はこれからで、その道筋はついていないのではないか。
    第3節「重大な岐路に立つ安倍首相の財政健全化改革」
      すなわち皆さんよくご承知と思うが、ベビーブーム世代が一斉に75歳を迎える2020年代以降の、厖大な支出の増額に対する根本的な手立ては、今のところ何等施されていないのである。私だけではなく、事情のよくわかった国民が大変不満に思っているのは、安倍首相は4年前にアベノミクスを掲げ、異次元緩和による円安、株高により企業や消費者のデフレ心理を変えたのは確かである。さらに法人税率の引き下げ、企業ガバナンスの強化も進めた。又一方で、海外からの訪日客を呼び込むための規制緩和も進んだ。しかし、ここが大事なところであるが、安倍首相は将来の財政や、福祉の安定に関する痛みを伴う改革からは常に逃げ腰なのではないかと思われる。
      具体的には、2019年の10月に再延期された消費税の増額実現は本当に可能なのか。一方、あれ程公約していた2020年度における、税収と税外収入で国債を除くすべての政策経費支出を賄うという、プライマリーバランスの均衡は、税収に目鼻がつかなくなって来たため、絶望的になって来ている。今に始まったことではないが、我が国は、まさにある意味で、存亡の危機にある。金融緩和頼みにはもう限界が来ており、我々がここで安倍氏に求めるのは、構造改革である。2017年度の予算案を見ても、政策に使う経費の55%は社会保障費なのである。今後更に高齢化は進み、一段と社会保障費は増加する。一方では格差の是正や技術改新への投資には、今後益々ウェイトをかけていかなければなるまい。
      安倍政権がどういう方向を進むべきか、は明らかである。すなわち「社会保障の改革」こそ、最大のポイントである。家計や企業が消費や投資に向かわないのは、この問題に手をつけない事に対する将来への不安があるからである。今こそ安倍政権は、勿論野党やその他の勢力を巻き込み広い視野に立った次世代の安心を考え、構造改革を進めるべきである。にもかかわらず安倍政権は、社会保障費抑制のための改革に消極的である。例えば、後期高齢者の保険料軽減措置を縮小する案が浮上しているが、高齢者の反発を恐れ、議員の動きは停滞しているが、これこそシルバー民主主義の典型と言わねばならない。現在の政治の一番の問題点は、問題から逃げることにあるのではないかと指摘する人は多い。

    ■第二章「社会保障費の中で突出する「医療費」と「介護費」」

    第1節「薬剤費が国防費を超える驚き」
      社会保障費の中で突出して多額な国民医療費について国民の大半は、その実態にそれ程詳しいとは思えないので、その内容について触れると、国民医療費とは1年間に支出される我が国の医療のための総費用である。これは公費負担を含んだ保険給付費、生活保護などの公費が負担する医療費、それに窓口での自己負担経費を足したものである。国民医療費の直近の総額を並べてみると、以下(  )内は総額前年比
      平成24年度 39兆2,117億円
      平成25年度 40兆610億円(2.1%)
      平成26年度 40兆8,071億円(1.8%)
      平成27年度 41兆4,627億円(1.6%)
      となっており、2%程度着実に増加している。厚生労働省の直近の発表によれば、平成26年度の国民医療費の総額は、前出の通り40兆8,071億円であるが、前年度に続き8年連続して過去最高であった。発表では、高齢化や医療技術の進化がその要因といっているが、合理化の余地はないのか?この額は、国民一人当たりでは321,100円(2%増加)で65歳未満では179,600円であったのに対し、65歳以上では720,400円となっている。診療種類別の内訳を示すと、
      入院             15兆2,641億円(37.4%)
      入院外          13兆9,865億円(34.3%)
      薬局調剤         7兆2,846億円(17.9%)
      歯科               2兆7,900億円(6.8%)
      その他            1兆4,819億円(3.6%)
    であり、財源別にその内訳をみると
      保険料          19兆8,740億円(48.7%)
      公費             15兆8,525億円(38.8%)
      患者自己負担     4兆7,792億円(11.7%)
    となる。
      上記について考察すると、薬局調剤費(薬剤費)が7兆円を超えており、この数字には驚かされる。何となれば我が国の国防費は、やっと5兆円を超えたばかりなのであるからその数字の突出は異常である。今後医療品の開発が進めば、更に高価な薬品も例えば最近話題になったオプジーボのような薬が現れるからこの数字は今後増加するであろう。厚生労働省は、躍起になって特許切れとなったいわゆる「ジェネリック薬品」の使用を推進しているが、現状では目立った効果は現れていない。国民が知らない事でもう一つ残薬(飲み残しの薬)についてである。国民の高齢化に伴い処方される薬の種類、量が増えると共に処方されながら使用されずに放置されているいわゆる残薬が目立って来ている。日本経済新聞の報道によれば、直近では残薬の金額は年間500億円になるとされている。ここにも当然もっと対策を講じる必要がある。
    第2節「年間1兆円の自然増に対して消費税アップは不可欠」
      高齢化、医療の高額化、更に景気の停滞などによって自動的に社会保障費は増え続けているわけであるが、2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、人口を占める65歳以上の割合が30.3%、75歳以上の割合は実に18.1%にもなる。当然国はこれに伴う社会保障費の自然増の割合を抑制しようと考えているが、このまま何の策も打たずに手を拱いていると、年間1兆円も増加すると言われている。現に、2017年度の予算で自然増を厚生労働省は6,400億円と見積もったが、政府は2016年〜2018年度の自然増を1.5兆円に抑える目標を掲げており、2017年度は1,400億円圧縮して5,000億円に抑える方針を打ち出している。社会保障給付費の伸びについて同じく日経は次の通り予想している。
      2012年度 総額109兆円
      内訳 その他    12兆円
                  介護      8兆円
                  医療  35兆円
                  年金  54兆円
      2025年度 総額149兆円
      内訳 その他    15兆円
                  介護  20兆円(2.3倍)
                  医療  54兆円(1.5倍)
                  年金  60兆円(1.1倍)
      このようにしてみると、医療と介護が社会保障給付費の元凶である事がよくわかる。政府は上記のとおり自然増6,400億の内、1,000億円を医療費で、400億円を介護保険制度の改革で圧縮を実現しようとしているが、消費税を大幅に上げない限り、今のままでは対処出来ない。そこで、政府は大筋として、余力があると見られる高齢者に一定の負担を求める考えを打ち出している。
    注釈「高齢者の負担増について」
       負担拡大の具体策は、毎月の医療費負担の上限を定めた「高額医療制度」と75歳以上が加入する「後期高齢者
      医療制度」の保険料の軽減措置の見直しが対象となる。具体的には、
      1)前者の高額医療費は、70歳以上を対象とする外来の負担を軽くする制度を段階的に廃止する。現在は入院費
         より低くなっており、仮にこの制度を完全に廃止すると年収370万円以上の現役並みの所得者の負担は、現在
         の4.4万円から8万円以上になる。一定の収入のある「一般所得者」の場合、1.2万円から5万7千円となる。
      2)後者の75歳以上の高齢者の保険料については「元被扶養者」とされる専業主婦らと夫の年金収入が153万円
         から211万円の人への軽減措置を段階的に廃止する。
      3)その他、 65歳以上の比較的症状の軽い入院患者には、一日当たり現在320円の光熱費を370円に引き上げる
         。紹介状の無いまま大病院を受診した場合、初診料で5,000円以上の追加料金を取る範囲を拡大する。全国健
         康保険協会(協会けんぽ)に対する補助金を削減する。超高価な抗がん剤の公定価格を半減して国費を180億
         円圧縮する。
    第3節「介護保険支払い急増には自己負担増による歯止めを」
      さて、介護保険もこのまま推移すると2025年には20兆円と2012年の8兆円の2.3倍になることは先にも述べたとおりで財務省もこの点については真剣に捉えている。すなわち、厚生労働省は費用の膨張に対応して収入の高い大企業の会社員が負担する介護保険料を増やす。年収に連動して保険料を増減する「総報酬制」を本年8月から4年間かけて導入する。完全実施した場合には年収が456万円なら一人当たりの保険料は月額727円増える。高齢者にも収入に応じた負担を求める。65歳以上の高齢者で現役並みに所得がある人を対象に2018年8月から自己負担を3割に引き上げる。2017年の国会に65歳から70歳の自己負担を原則2割にアップすることを考え、通常国会に提出することになっている。又75歳以上の高齢者も負担を早急に2割とすることを進めている。現行の制度では一般に年齢が高くなる程所得が減少する事情に鑑み、高齢者ほど公費の負担を手厚くしている。政府は今回の改革で高齢者でも経済的負担能力のある人には負担を求めていく方針を明確に打ち出している。ただ、改革案に賛成者がある一方、日本医師会は、高齢者というだけでも弱い立場であり、それに負担をかけるのは反対であると論じており、政府与党内でも選挙がらみでシルバー民主主義を懸念する議員達の中には反対意見もあり、どこまで実現するのかは不透明である。

    ■第三章「年金改革について」

    第1節「マクロ経済スライドの見直し」
      最後に、年金であるが、年金支給額を抑える主旨を盛り込んだ改正国民年金法が与党の手により昨年12月14日に成立した。今回の改正案については、その主旨が現役世代の取得できる年金水準を低下させないための法改正であるが、野党は「年金カット法案」であると食い下がり、混乱したのであった。その支給抑制案をみると、二段構えになっており、先ず2018年4月に年金支給額の伸びを、賃金や物価の上昇により抑える「マクロ経済スライド」を見直すことになった。賃金や物価が低迷する景気の後退局面では支給額の抑制を凍結した場合、物価が上昇した時点で複数年度をまとめて引き下げられるようにする。これまでマクロスライドは物価が下がった時には実施できなかったため、過去においてはたった一度しか実施できなかった。このため支給額は、一度しか減らしていない。
    第2節 「マクロスライドを実際に実行することの重要性」
      覚えておられる方も多いと思うが、2004年に「100年安心」と大見得を切って鳴り物入りでマクロスライドを導入したが、もらえる年金額が現役世代の所得のどれくらいかを示す所得代替率を2004年度59%であったものを50%に迄下げることを決めていた。ところがデフレが続き、物価が上昇しなかったため所得代替率は一時60%に迄上昇してしまったのであった。今回先送りしてまとめて後で年金額を引き下げることにしたため、年金額上昇の一応の歯止めになるが、実際にたまったツケをどこまで一度に請求出来るのか、実施段階では揉めるのではないか。さて、毎年の年金支給額は物価及び現役世代の賃金の変動によって決定される。これまでは賃金が物価より下がった場合、年金額を据え置いたり、物価に合わせたりして見直してきた。2021年度からは賃金が物価より下がった場合、賃金に合わせて年金を改定することになった。このため物価が上がっても賃金が下がれば年金額は下がる。すなわち、賃金が安定的に上昇することがなければ名目上の年金は下がる。今年金を受け取っている高齢者にとっては、大変厳しい局面となる。民進党などの野党が「年金カット法案」などと言っているのはこの点である。
    第3節「持続性確保こそが最大の課題」
      ただ若者世代の立場に立ち年金の持続性を考えるならば、以上述べたように年金水準を徐々に下げていく事で将来の年金水準を維持していこうという方向は正しいと思う。もし支給額の抑制が頓挫した場合、虎の子の積立金が尽きたり、将来もらえる年金の額が大きく減ったりすることが現実になるからである。識者の意見によると年金制度はマクロスライドを毎年実施しないと維持できない状況に追い込まれており、今回の改正でも不十分と云っている。

    ■終章

      以上述べてきた社会保障費の問題について慶應義塾塾長の清家篤氏は、昨年6月日経新聞に次のように寄稿しているので紹介しておきたい。尚マクロ経済スライドについてはその後変更になっている。
    「超高齢化社会の社会保障は財政的持続可能性が基本命題」
      戦後70年間の高齢化は世界に類を見ないものである。65歳以上高齢者は、70年前は人口の5%未満(人口20人に1人)の割合であったが、現在は26%で4人に1人以上の割合である。高齢化のスピードは実に我が国が人口の7%から2倍の14%になるまで24年間であったが、日本より先に高齢化が進んだ欧州、例えばフランスは、同じことに114年を要している。もう一つ重要なことは、高齢者の中で比較的若い65歳から74歳と75歳以上の比率が終戦直後は3対1であったが、現在では1対1である。そして、団塊の世代が75歳以上になる2025年には75歳以上のより年を取った者の比率がより若い層の実に1.5倍になる。このような超高齢化時代において年金、医療介護などの社会保障給付は急増していく。そのための財政的持続の可能性が問われるようになった。
    「医療と介護は、労働力人口増加の諸施策、及び給付と負担の見直しを」
      勿論この高齢化をもたらした長寿化は間違いなく戦後日本の実現した成果であるが、これに貢献した社会保障制度の存在は大きい。この世界に冠たる社会保障制度を確実に次世代に迄残していくため、我々の世代でしっかりとした改革を進めていかなければならない。一つは少子化に歯止めをかけることである。子どもを欲しいと思っている人達の出産、子育てを難しくしている長時間労働を是正すると同時に社会保障給付の中で子育て支援の給付を高めることが不可欠である。更に大切なことは高齢者の就労促進により社会保障制度の支え手である労働力人口を確保することである。又、高齢者だけではなく、女性の労働力率を高める必要がある。次に重要なことは社会保障の給付と負担の見直しが不可欠である。特に医療と介護は今後増加する75歳以上のより高齢者の増加や医療、介護の質的な向上による単価の上昇により給付の総額が高齢者人口の増加率を上回るペースで増加することが予想される。そのためには医師、看護師、介護福祉士などを十分に確保し、その協力を仰がなければならない。
    「年金は65歳以上でも働ける社会の実現、及び非正規労働者の正規雇用を」
      これに対して年金改革は決して簡単ではないが、上記の問題に比較して進めやすいと思っている。何故なら、これは比較的単純な構造の問題だからである。すなわち、給付の総額は一人当たりの給付額と年金受給者の積として確定しており、伸び率も年金受給者の増加率と同じ程度にとどまる。実際その給付の国内総生産比率は経済が順調に成長し、マクロ経済スライドが実現すると2012年度の11%から2025年度には約10%に微減すると予測している。
      年金の問題は保険料や税を合算して、年金を給付するという基本的には金銭だけの問題であり、年金受給開始年齢や保険料、給付額といった歳入と歳出の枠組みを変えることによって実現できる。実際厚生年金の受給開始年齢は男性についてはすでに定額部分は 65歳に引き上げられており、報酬部分もその方向に進みつつある。又、 保険料の上限は、厚生年金は18.3%(労使折半)国民年金は16,900円と定められており、その範囲内で給付が賄えるように給付の伸びを物価の伸び以下に抑えるマクロ経済スライド制が導入されている。この枠組みにより公的年金制度の財政的な維持可能性は確保されていると言ってよい。マクロ経済スライドは年金の実質的給付額を引き下げることにより制度の持続可能性を高めることを意味している。
      年金生活者にとっては、年金を受け取り始めてから年が経つにつれて実質購買力が低下する。これを回避するためにはマクロ経済スライドにより年金の実質価値が下がってもなお、十分な生活水準を維持できる程度の当初の受給額(裁定額)を確保しておく必要がある。その為には年金受給開始年齢を繰り上げる必要がある。現在65歳がその時期となっているが、65歳以上になっても(65歳〜74歳)働き続けられる社会を目指していかなければならない。もう一つ、雇用者の老後を年金給付で支えるという点では雇用者のための年金である厚生年金の適用拡大が残された大きな問題である。非正規雇用者は雇用者の三分の一を超えているのが現状であるが、これらは厚生年金の適用外となっている。非正規雇用者を正規として雇用すると、厚生年金保険料を拠出しなければならないのでそれを避けるため非正規の雇用者が増えており、雇用者は全員原則として厚生年金に加入する方向で改革すべきである。

                                                                                                                                 以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2017年1月30日 金言(第54号)
    『老醜の小沢一郎』

    ■はじめに

    (1)「国民連合政権を目指す野党共闘」
      去る15日、日本共産党の第27回大会が3年振りに開催され、同日のテレビや16日の朝刊でその内容が報道されている。前回の大会では「自共対決の始まり」が論じられ、その後民進党を含め共産党との共闘を打ち出す政党が現れ、今回の大会はある意味で、歴史的な意義を持つ事になるのではと予想されていた。即ち、共産党創設95年の歴史始まって以来、民進党、自由党、社民党の幹部が出席し、反自民の野党共闘を目指す大会となったからである。志位和夫委員長は延々と従来「共産党を除く」という題目が取り払われ、次の総選挙における4野党共闘を果たし、安倍政権を打倒して、将来の国民連合政権の樹立を声高にいささか上気して叫んでいたが、これは現実離れしていると私は強く思ったのである。
    (2)「共闘の正体は暴力革命と天皇制廃止を目指す共産党との野合」
      今回民進党を代表して出席した安住代表代行は「違いをことさら強調するのではなくて大局観に立って一致点を見出していく」と挨拶したが、これはまさに野合としか見えない共産党とどのように一致点を見出していけるのか不思議で仕方がない。私は先に金言48号で昨年7月10日の第24回参議院選挙における民進党の惨敗の大きな原因として自民党の提案する政策に何等反対の提言をすることなく、只々共産党を含む他の3党との共闘を進める事にあると指摘したのであるが、彼等は、何等これに対して反省していないのではないか?
      現に民進党の共産党との共闘については、最大の後ろ盾である連合が共産党との共闘について神津里季生会長自ら昨年末に次期衆議院における野党共闘のあり方について、共産党とは「目指す国家像が違う」として連携を明確に否定している。具体的には「自衛隊を否定する」共産党とは一緒に戦えない。「原発については何が何でも即時廃棄では、将来の原発廃止はそれとして現状においては極論である」としている。
      私は、共産党の正体についてかつて詳しく書かせて頂いたが、なお充分に理解していない向きがあるのでこの際念を押しておくと、先ず綱領の第一にうたっているのは天皇制の廃止と暴力革命である。御承知の方も多いと思うが戦前の日本共産党は、コミンテルンの支配下にあったが、目指すはプロレタリア独裁による暴力革命であった。戦後もこの路線を踏襲し活動したが1949年(昭和24年)にGHQから非合法化され、当時の幹部徳田球一他の大多数の幹部が公職を追放され、その後武装闘争を放棄したが、依然天皇制廃止のためのブルジョア革命、次いで社会主義革命を目指しており、一般には余り知られていないが、ほとんど該当対象のない破壊活動防止法(破防法)の調査対象である。
    (3)「仕掛け人は小沢一郎」
      このような共産党と手を組むという事を本気で民進党が考えているなら民進党の将来はない。ここで注目すべきは自由党共同代表の小沢一郎氏が出席して、野党共闘についての決意を述べたことである。マスコミの一部では小沢一郎こそが野党4党のキーマンなどとはやす向きもあり、小沢については、もういい加減にしてほしいと万人が考えているのではないか。
      それより以前2015年(平成27年)に安保法制を巡り、日本共産党が民主党(現在の民進党)、生活の党(現在の自由党)社民党などと会合し「戦争法廃止の国民連合政府」を目指して次の総選挙において選挙協力を行う方針を打ち出した事は、すでに御承知の通りであるが、従来各小選挙区にかならず1人の候補者を立てていた共産党が野党統一候補を立てれば支持すると、「党是」を捨てた大転換に踏み切らせたのは他でもない小沢一郎であった。
      この延長で総選挙が近い将来行われることが予想されている。この共産党大会で更に駄目を押すように、かつての自民党のプリンス、保守主義の権現の小沢一郎がしゃしゃり出てくることに、また余りの変節ぶりに違和感を持つ人は私だけではあるまい。そこで、今回は一般の方々はあまり知らないこの小沢一郎なる大変不思議な人物について以下少々述べたいと思う。

    ■本論 小沢一郎論

    ■第一章「与党自民党の嫡流として」

    第1節「若くして自民党の主流を歩む」
      小沢一郎なる政治家の名前が知られるようになってから久しいものがある。彼は純然たる二世議員で吉田茂元首相の側近でもあった小沢佐重喜氏の長男として1942年(昭和17年)に生まれている。慶應義塾大学経済学部を経て弁護士を目指し日本大学の大学院で法律を学ぶが1968年(昭和43年)当時、岩手県選出の衆議院議員であった父佐重喜氏が急死したため、その後をおそい1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員選挙に立候補し27才の若さで初当選を果たしたのであった。余談ではあるが、小沢と私は同窓である。しかし学年が違うので彼の事は全く知らなかった。橋本龍太郎元首相とは科は違ったが同学年であったため見知っていた。その後社会人になってからも仕事の上で若干の繋がりがあった。しかし小沢については面識がない。
      彼は学生時代そんなに目立った存在ではなかったというが、若くして政界に進出してからの活躍は目覚ましいものがあった。少し長くなるが小沢の政界入りから今日までの軌跡を見てみよう。その上で彼の本当の姿を明らかにしたい。前述のように父の急死に伴い総選挙に出馬した小沢であったが、この選挙を差配したのが当時自民党幹事長であった田中角栄であった。小沢は、佐藤栄作の派閥を引き継いだ田中の周山会に属し、田中の薫陶を受ける。当時派内の若手議員の世話をしていたのが後に実力者となるが当時は中堅議員であった金丸信であり、小沢は金丸の世話を受け、後々まで師弟関係が続く。
      若手議員として実力を蓄えた小沢は1982年(昭和57年)自民党の総務局長に就任するが、1983年(昭和58年)の第13回参議院選挙において立候補者の割り振りについて水際立った采配を振るい、当時の中曽根首相に絶賛された。その後衆議院議院運営委員会長に就任し、1985年(昭和60年)第2次中曽根内閣に自治大臣として入閣する。43歳であったが初当選から16年を経ており必ずしも早い入閣ではなかった。
    第2節 竹下派時代「47歳にして自民党幹事長として剛腕を発揮」
      ところがロッキード事件で野に下ったが、依然田中派(木曜クラブ)を率いて君臨していた田中角栄に対し、反旗を翻した竹下登、金丸信と共に「創生会」を結成して2年後の1987年(昭和62年)に田中派から独立させ、名実共に竹下派の結成の中核となり、先輩の小渕恵三や橋本龍太郎らと七奉行の一人に数えられ、竹下の総裁の就任に奔走したのであった。そして同年竹下内閣が発足すると内閣官房副長官となり、消費税の導入など困難な国会運営を切りまわし、事実上の国会対策委員長の役割をはたしたのであった。その後のリクルート事件に連座して竹下内閣が瓦解して宇野宗佑内閣が誕生した際にも、小沢はアメリカとの電気通信協議で縦横に腕をふるい、注目されたのであった。
      宇野内閣が短期で終わった後、竹下派の意向で誕生した海部俊樹内閣において、小沢は、47才の若さで自民党の幹事長に就任する。海部内閣はいわば、竹下、金丸の傀儡政権と云って間違いないが、小沢は、衆参議院のねじれの状態の中で公明党とのパイプを活かし鮮やかな国会運営を行い、注目されたのである。一方、前出のリクルート事件の後、苦戦を予想された1990年(平成2年)の第39回衆議院選挙において、自由主義の体制の維持を叫び、経団連より100億円にも及ぶ資金を集め、この選挙に勝利したのであった。この年は記憶にある方々も多いと思うが、8月に湾岸戦争が勃発した年でもあった。今の小沢からは考えられないのであるが、彼はペルシャ湾に自衛隊を派遣することを考え、ハト派の海部首相を押えて、野党の反対により実現はしなかったが法案を提出した。この法案は後にこれが基になり国連の平和維持活動等に対する協力に関するいわゆるPKO協力法が成立した事を知っている人はもう少なくなっている。
      その後、1991年(平成3年)の東京都知事選に元NHKの磯村尚徳を擁立したが、現職の鈴木俊一に大差で破れた責任を取り、幹事長を辞任する。その後経世会の会長代行となり、以後会長の金丸信とオーナーの竹下登の三人による派閥のリードが続く事になるが、次第に金丸は小沢に傾き会長を小沢に譲ろうとしたため、再登板を狙っていた竹下との間にすきま風が吹き始める。このような中で小沢は狭心症となり、長期の入院を余儀なくされる。同年、海部首相は自己の立場を強化しようと考え、解散を強行しようとするが、党内の強力な反対に遭い、首相を辞任せざるを得なくなる。金丸は、この機会に小沢に総裁選の出馬を促すが、49才という若さと病気を理由にこれを固辞したのである。後から考えるなら小沢は千載一遇のチャンスを逃した。小沢の辞退により、経世会から出馬する考えがない事を見極め、次期首相として宮沢喜一、三塚博、渡辺美智雄の三氏が名乗りを上げたが、投票となるならば経世会の支持を取り付けなければならなかった。このため小沢がこの三氏の誰を推するかにつき品定めをすることにより、この三氏を小沢の個人事務所に呼び付け面談した傲慢な振る舞いが、物議をかもした事は記憶に新しい。
    第3節「日本改造計画で構想雄大な国家ビジョンを示す」
      結局竹下派の支持を得た宮沢が総理となり1991年(平成3年)11月に宮沢内閣が発足した。
      ところが1992年(平成4年)2月に東京佐川急便事件がおこり、金丸は派閥会長と議員を辞職せざるを得なくなった。小沢はここで金丸の後継会長に羽田孜を推するが、竹下は小渕恵三を推したため、小沢はこれをこころよしとせず、羽田、渡部恒三、奥田敬和らと共に派閥を脱退し小沢派を立ち上げ、ここに竹下派経世会は分裂する。こうした中で小沢は5月に「日本改造計画」を上梓する。その内容は軍事を含む積極的な国際貢献、新自由主義を標榜する経済改革、二大政党可能な政治制度改革など1990年(平成2年)以降の政治課題を先取りしたもので小沢がただ者ではない事を表している。

    ■第二章「自民党一党長期政権を打破し、非自民連立政権を主導」

    第1節 新生党を結成「非自民の細川、羽田内閣支えるも村山内閣成立で野党へ」
      1993年(平成5年)6月に宮沢内閣の不信任案が可決され、宮沢首相は衆議院を解散した。同年、武村正義が自民党を離党して「新党さきがけ」を旗揚げした。これに呼応する形で羽田、小沢派の議員は離党し6月23日に「新生党」を結成した。党首には羽田がつき、小沢は党代表幹事に就任する。7月18日に行われた第40回衆議院選挙で自民党が過半数を割り、新生党、新党さきがけ、細川護煕を党首とする日本新党が躍進した。そして、8月9日に8党派の連立により細川内閣が成立したのであった。
      この政権では内閣とは別に「連立与党代表者会議」がつくられ、小沢は公明党の市川雄一と組み主導権の確立を目指し、官邸主導の政治を指向したため、官房長官の武村と激しく対立することになる。1994年(平成6年)細川は突然消費税に替わる国民福祉税構想を発表し、充分な説明をする事ができなかったため撤回せざるを得なくなった。その後小沢と武村の争いは熾烈となり、細川はそれに嫌気して突然辞意を表明した。細川退任の後連立与党は、羽田を後継の首相とする事に同意する。ところが社会党などを排除したため羽田内閣のバックは少数与党ということになり、4月に発足した内閣は野党からの内閣不信任案に抗することが出来ず、6月25日内閣総辞職となり羽田内閣はわずか64日の短命に終わったのであった。
      小沢は羽田の後継としてかつて自民党の幹事長として行を共にした海部俊樹を担ぎ出そうとしたが、自民党が内閣首班に社会党の村山富市を指名することに賛成したため海部は村山に破れ、小沢は政治家人生において初めて野党の立場に転落した。このような小沢の手法について、責任を問う声もあったが次のステップには小沢の剛腕が期待されたため大きな動きはなかった。
    第2節 新進党時代「共産党除く野党を結集し二大政党目指すも公明党が離脱して挫折」
      1994年(平成6年)9月 本共産党を除く野党各党187人により新進党が発足し、海部が党首に、小沢が幹事長に就任した。1995年(平成7年)7月に第17回参議院選挙が行われ、同党は改選議員を19名から46名へと大幅に増やしたが、ここで細川、羽田と小沢の対立が激化し、小沢は党首選挙に自ら立候補し、羽田を破り党首となった。1996年(平成8年)10月に第41回衆議院選挙が行われたが前述のしこりが党内には残り、又、小沢が公明党を優遇し過ぎたこともあり、結果として議席を4議席減らした。総選挙後、突然党内における小沢への反発が広がり、離党者が続出した。12月に小沢は党首に再選されるが、この頃から公明党が古巣へ戻って行き、又民社党グループも離れて行くという状態となり、新進党は混乱に陥った。
    第3節 自由党時代「野党共闘目指すも挫折、自民党との連立は果たすも、新しい保守党構想はならず」
      1998年(平成10年)小沢は自由党を結成し、党首に就任した。しかし当初100名の議員が集まることを目論んでいたが、結局54名しか集まらなかった。しかし同年7月の第16回参議院選挙においては苦戦の予想を跳ね返し、比例では514万票をも集め、この頃から反自民、野党共闘を考えるようになった。野党共闘で総理を押すことに傾き、民主党の菅直人を推薦し、参議院ではそれに成功したが、衆議院では小渕恵三が引き続き総理の指名を受けたため小沢の目論見はついえたのであった。参議院で曲りなりにも菅の指名が成功し、今後の野党共闘を進めていくことには絶好のチャンス到来であったが、菅は金融再生法を巡り自民党と妥協したため野党共闘は腰くだけとなった。
      そこで小沢は方向を転換、今度は自民党に接近していく。すなわち自民党との連立を考えたのである。詳しくは省くが、小沢は相当な広告宣伝費をつぎ込み、国民にアピールし、ついに1998年(平成10年)11月に自民党との連立を果たし、5年振りに与党に復帰する。連立後小沢は、党首討論制設置や副大臣制など自己の考えを自民党に飲ませたのであるが、特記すべきは同年発行の文藝春秋9月号に「日本国憲法改正試案」を発表している。今の小沢とは別人のようである。
      その後、1999年(平成11年)に公明党が政権入りして自民公明両党により参院の過半数を押さえることになったため自由党の地位は当然低下を余儀なくされた。その中で小沢は自、自両党を解散して新しい保守党をつくる事を推進するが、小沢の復党にはアレルギーが強く、この考えは挫折してしまう。その最中2000年(平成12年)3月に小渕首相が突然逝去する。一方自由党では、小沢を支持する連立離脱派と連立残留派に分裂し、連立残留派は保守党を結成する。その際政党助成金を巡り、小沢の強引なやり方は小沢自身の評価を落とした。その後、2001年(平成13年)7月の第19回参議院選挙で小沢の自由党は大きく票を減らし小沢の時代は去ったと云われたのである。

    ■第三章 民主党時代「政権の座を再度窺う」

    第1節「自由党を民主党と合併させ、民主党代表代行、さらに代表に」
      前述の参議院選挙の結果から小沢は当時民主党の代表であった鳩山由紀夫からの民主、自由合併打診に応じたが、一部民主党の反対により、一度は、合併は頓挫するが、その後小沢が民主党の現状体制を受け入れるなどしたため2003年(平成15年)9月に自由党と民主党は合併し、新たな民主党としてスタートした。その際小沢は一兵卒として頑張ると宣言し、無役となるが、同年11月に行われた第43回衆議院選挙で議席を40席も増やし、彼は代表代行にカムバックする。
      この頃から小沢は左派(例えば旧社会党の横路孝弘)に接近し、従来の保守とは違う動きを取り始める。この後、2004年(平成16年)に年金未納問題が起こり、代表の菅は辞任し、後任の代表に小沢が内定するが彼にも年金の未納が発覚し、代表就任を辞退する。結局、岡田克也が代表となるが2005年(平成18年)の第44回衆議院選挙で小泉自民党に惨敗し、現有議席を60近く減らしてしまった。この結果、岡田は引責辞任し、前原誠司が代表に就任するが、2006年(平成18年)3月に前原も偽メール事件の責任を取って辞任した。
      この後4月に代表選挙が行われ、小沢は菅を破り代表に選出された。そして菅を代表代行、鳩山を幹事長とするトロイカ方式をしいたのであった。そして党の根本路線を「対案路線」から「対立軸路線」へと与党との対決を表に打ち出す。然しその後小沢は臨時党大会において無競争で代表に再選されるのであるが、一方既往の狭心症が再発して約1ヶ月間入院する。翌2007年(平成19年)は地方議会の選挙の年であったが、自民党以下の各党が後退するのを尻目に民主党は3割も議席を伸ばした。更に7月に行われた第21回参議院選挙において民主党は60議席を獲得して参議院第一党となり共産党を含む野党全体で過半数を得た。いわゆるねじれ国会の出現である。
    第2節 「権力の二重構造問題と政治資金問題あり、鳩山首相と共に幹事長を引責辞任へ」
      このような背景をたてに小沢は、11月に期限が切れるテロ対策特別法に関してアフガン戦争の国際的正当性を論じ、賛成出来ないとして海上自衛隊の派遣中止を訴え、体調を崩した当時の安倍首相を退陣に追い込み、テロ特別措置法の延長を阻止した。そして参議院において小沢は、首相に指名されるが、衆議院の優位により福田康夫が首相となった。ところが2008年(平成20年)9月小沢は三度代表に選出されるが、西松建設事件に秘書が絡んでいた責任をとり、2009年(平成21年)4月に辞任し後任の選挙では鳩山由紀夫を支持する。同9月の第45回衆議院選挙において民主党は政権交代を果たし首相となった鳩山は、小沢を幹事長に推薦する。
      しかし、強引な小沢は鳩山の主張する「政策認定の内閣への一元化」に反して彼独自の権力を行使したため「権力の二重構造」となり、政策面に対する小沢の影響が大きくなった。ところが2010年(平成22年)1月、政治資金規正法違反容疑で秘書が逮捕、起訴され、小沢にもその嫌疑が及んだがからくも不起訴となった。一方首相の鳩山は沖縄問題を始め数々の不手際を重ね、首相の資質を疑われるところに迄追い込まれていた。小沢は自分の進退をこのような局面の鳩山と協議したのであったが、辞意を表した鳩山から幹事長を辞任するよう促され、6月に両者共職を退いたのであった。
    第3節「菅氏との代表選に敗れたのち、民主党離党、今や自由党の国会議員は6名へ」
      鳩山、小沢体制の後をついだ菅直人は「脱小沢」路線を推進したが、政権取得後の初めての大型選挙2010年(平成22年)の第22回参議院選挙において民主党は現有議席を大きく割り込み敗北を喫した。そして9月に代表選挙が行われ、菅は続投に意欲を見せたが、小沢に近い議員グループは菅の参議院選挙敗退の責任を追求し、小沢の擁立を企て小沢も再立候補を表明し、当初は小沢が有利に事は運んだが、菅も強烈に巻き返し菅が、再選を果たす。
      一方過去の献金疑惑で一度は不起訴になった小沢は、2010年(平成22年)10月検察審議会によって強制起訴されることになる。これを受けて民主党の常任幹事会は小沢を党員資格停止処分とする。このため小沢は代表選の立候補資格及び、投票権を失う事になる。その後2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋地震が発生した際、首相の菅の際立った不手際に端を発し、菅に対する国民の不信感は頂点に達し、菅は退陣を余儀なくされたのであった。そして後任には小沢の反対する野田佳彦が選出されたのである。
      2012年(平成24年)3月小沢の不正献金事件は無罪となったのであるが、当時閣議決定された消費税増税法案に小沢は反対して衆議院本会議で反対投票を行う。そして彼に同調する議員50人と共に7月、民主党に対する離党届を提出する。これに対して民主党の常任理事会は小沢を含む37人の議員を除籍処分としたのであった。2012年(平成24年)7月、小沢と小沢グループは新党「国民の生活が第一」を結党し、その代表に就任する。
      しかし、以後小沢は文字通りジリ貧の道を今日迄たどっている。生活の党は、日本未来の党と合併してその名前を称したが、2012年(平成24年)11月の第46回衆議院選挙では一挙に61議席から9議席にまで大幅に減少した。2013年(平成25年)の参議院選挙では小沢に代わって代表となった森裕子他全員が落選した。更に2014年(平成26年)12月の第47回衆議院選挙では生活の党として政党の要件まで失ってしまった。わずかに無所属の山本太郎なる馬鹿者を入党させ、かろうじて「生活の党と山本太郎となかまたち」として政党要件と交付金の受給の要件をみたしているが、今般自由党の名称を変えたのであった。

    ■結語(小沢一郎とは何者か)

      以上小沢の今日に至る軌跡をある程度詳しく述べたが、小沢とはこんな人だったのかと思う方が多いのではないかと思う。彼についての私の考えは次の通りである。

    一、政治家としては抜群のセンスを持っているが、手法は人を人とも思わぬ強引なものである。最近の彼の行動
          から彼の真の政治理念がわからない。政治的な裏の駆け引きには優れているがあくまで自己中心的である。
          田中、竹下に鍛えられたため政治は金の力にあると固く信じている。
    二、彼の構想は雄大であるため、決して弁舌はさわやかなわけではないが、若い議員を一度は引きつける。しか
         し彼に心酔していた議員達もほとんど全部彼に見切りを付け離れていっている。名前はあげないが多くの人
         達が彼から離れて行っている。
    三、これらのことから彼は矢張り戦後保守政治の生んだ仇花と私は思う。結局最終的には人間的な魅力に欠けて
          いるのである。彼ほどの政治的才能に恵まれているならば、人を引き付ける魅力さえあれば戦後を代表する
          名宰相になったと思われるのでその点残念でしかたがない。

                                                                                                                          (敬称略)以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    武藤会長「金言」

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