ホーム > 國民會館について> 武藤会長「金言」

                     

武藤会長「金言」

2018年11月30日 金言(第76号)
『困った隣国 韓国』

■はじめに

  私は、大学の国際法の講義で先ず習ったのは「国際法」は国内法に優先するという一大原則であった。しかし、そのような事には全くおかまいなしの国が隣の韓国である。

■第一章「日韓請求権問題」

第1節「元徴用工への賠償支払い判決」
  10月30日、我が国による朝鮮半島統治時代に「強制労働させられた」として元徴用工(この言葉にも問題がある。それについては後述する。)の韓国人4人による新日鉄住金(旧新日本製鉄)に対する損害賠償訴訟の差し戻し上告審において、韓国の最高裁は、同社に賠償を命じる2審判決を支持し、同社の上告を棄却して原告に対してその請求通り、4億ウォン(約4千万円)の賠償支払を命じる確定判決を出した。日本政府はかねてから日本と韓国間の請求権問題については、1965年に両国の国交正常化のために結ばれた「日韓請求権協定」で解決済みとのスタンスをとっており、同社も同様の主張を行ったが、最高裁は原告の個人請求権は協定では消滅していないとの判断を示したのであった。
第2節「日韓請求権協定の内容」
  この「日韓請求権協定」を改めて詳述すると、この協定は1965年に結ばれた「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が正式の名称で、略称が「韓国との請求権、経済協力協定」とも云われているもので、両国の国交正常化のための「日韓基本条約と共に締結された。この中で日本は、韓国に無償で3億ドル、有償で2億ドル、合計5億ドルの経済支援を行うことで両国及び国民間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。さらに、韓国側が公開した協定締結交渉当時の外交文書によれば、個人に対する補償義務は日本政府にはなく、韓国政府が負うと確認されている。しかし、韓国の大法院(最高裁判所)は一方的に2012年「強制徴用は反人道的な不法行為であり協定の対象外」とする判断を示していた。しかしながらこの協定の主旨は、経済支援により上記の通り請求権の問題は完全に解決されたのであって、戦時中に生じた事由に基づく請求権はいかなる主張もできないのである。そしてこの協定に関する紛争が生じた時は、外交経路により解決するものとし、解決出来ない場合は第三国を交えた仲裁委員会に付託することが取り決められている。又韓国政府は、この条約内容を長らく国民には明らかにしていなかったが、2009年に徴用工の未払い賃金等もこれに含まれると公式に表明している。但し請求権の具体的な内容が明記されていないため、韓国政府は「解決された」対象に旧日本軍の慰安婦や在韓の原爆の被害者は含まれていないとの立場をとっている。
第3節「財産請求権の個人補償問題」
  一方この日韓間の財産請求権の個人補償の問題については複雑な点があり、1992年日本の外務省当局は「請求権の放棄という意味は外交保護権の放棄である。したがって個人の当事者が裁判所に提訴することまで否定するものではない」とし、「訴えた場合には訴訟の認否については裁判所が判断する」と国会で答弁している。この条約により日本国内では、これに対する措置法が設けられ、これにより請求の根拠となる韓国国民の財産権は国内法上では消滅した。以来日本の裁判所で争われた旧日本製鉄の訴訟では一審から最高裁まで、いずれも原告の敗訴となっている。しかし、2009年韓国人の個別補償はあくまで韓国政府に求めるべきであることが、韓国民に明らかにされているのであるから、日本政府を相手とする韓国内の訴訟提起は勿論、これに対する韓国司法の態度は明らかに間違っているといわねばならない。韓国政府も基本的には個人への補償義務は韓国政府にあることを認めているにもかかわらず、国内の反日感情に配慮して、このとこをはっきりと国民に伝えていなかった。このような中で前述の通り2012年に韓国の大法院(最高裁判所)が外交的な取り決めとは反対の「個人が賠償を請求する権利は消滅していない」という判断を示したため、正直韓国政府は狼狽したに違いない。しかし、今回の裁判ではこの判断に基づいた原告である韓国人を勝訴とした。

■第二章「国民情緒で揺らぐ韓国政府」

第1節「「徴用工」呼称の混同」
  ここで、徴用工の呼称は不適切なので、一言触れておこう。政府は、戦時中に朝鮮半島から日本に動員された労働者の呼び方を「旧朝鮮半島出身労働者」に統一した。これまでは「旧民間人徴用工」と呼んでいた。しかし、今回10月30日の判決を契機に変更した。韓国は、強制労働のため連れてこられた労働者というニュアンスで「徴用工」という表現を使用するが、彼等が日本に来た経緯はさまざまである。日経新聞の記事によると1939年のから45年まで日本の工場や鉱山に動員された朝鮮半島出身の労働者の内、「国民徴用令」に基づいて徴用されたのは44年の9月からであった。それ以前は民間企業による募集や、行政による「官による斡旋」であった。新日鉄住金と争った原告は、実は4人とも募集に応じたもので、政府は自ら進んで渡航した労働者も多かったとみており、決して強制的に連れてきたものではない。政府はこれまで募集、官斡旋、徴用を区別せずに旧民間徴用工と呼んできた。政府、与党内で「強制ではない労働者まで徴用工と呼ぶのはおかしい」との声が出ていた。これは当然のことである。今回の判決を受けて募集に応じた労働者をあたかも強制労働に従事させられた徴用工で一括りにするのは、根本的に間違っている。先に述べたように「国民徴用令」に基づいて徴用されたのはわずか1年余りで、強制労働という事実は皆無とはいわないが、ほとんどそのような事実はない。いずれの場合も賃金は支払われていたのである。
第2節「世界遺産「軍艦島」へのクレーム」
  読者は長崎県長崎市の沖合にある端島(はしま)通称軍艦島の事を知っておられると思う。この島は明治時代から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えたが、1974年(昭和49年)に閉山となり、現在は無人島となっている。2015年にこの島は「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼・造船・石炭産業」を構成遺産として世界遺産に登録されたのであるが、ここでも朝鮮人が働いていた。「軍艦島を世界遺産にする会」の理事長の言によれば、「観光客から朝鮮人労働者の強制労働の有無について質問があるが、そのような事実はないと説明している」「そのような事がなかった証拠として元島民の証言による朝鮮人専用の遊郭の存在をあげている」仮に強制労働をさせていたのなら朝鮮人のための遊郭などある筈がないのではないか。もし奴隷のように朝鮮人を働かせていたのなら、働けるだけ働かせて後に強制収容所に収監していたと思うがどうであろうか。大体イコモス(国際記念物遺跡会議)が軍艦島を世界遺産に登録するよう勧告した際には、韓国政府や市民団体から猛烈な反対があった。理由は朝鮮人に対する強制労働であったが、価値そのものでない部分で世界遺産登録にクレームがつく事は前代未聞の出来事で、韓国の程度の低さが話題になったのである。韓国の市民団体はこのクレームの際全く事実と異なる虚実をふりまき、それは、我が国を貶める記述のオンパレードと云ってよい。事例を挙げると、労働者は鉄格子の中に閉じ込められたとか、逃走した人々には凄惨なリンチを加えたとか。しかし元島民の証言によると一切そのような事実はなかったと否定されている。
第3節「「和解、癒し財団」の解散」
  今回の韓国の暴挙に付け加えて最近次の事があった。一つは書くと長くなるが、2015年に国際社会が注視する中で日韓両国外相が発表した慰安婦問題で、両者が合意した「最終的かつ不可逆的な解決」をひっくり返した事である。これによって日本が韓国に提供した10億円が空中に迷うことになっているのは御承知の事と思う。事実最近の日経新聞の報道によると、2015年に日韓政府の合意に基づき韓国政府が設置した「和解、癒し財団」を解散する方針を決定した。韓国側によると日本政府にその旨伝達しており、一方日本側は合意の履行を求めている。この結果今述べた10億円の扱いや解散の理由次第では、元徴用工訴訟で生じた日韓のきしみは一段と大きくなる可能性がある。韓国側の説明によると、解散の時期は政治的な判断もあるため未だ流動的である。財団は日本が拠出した10億円を原資にして、元慰安婦や遺族に現金を支給する事業に携わっている。ところが韓国政府はこの7月に自国の政府予算で同額10億円の支出を決定しており、元慰安婦の支援団体が財団の解散を要求し、財団も事実上活動を中止せざるを得ない状況となっている。文大統領は「合意の破棄や再交渉は求めない」と言っているが、合意の柱であった財団の廃止によって合意の形骸化が進む事は間違いないと思われる。
第4節「「法治国家と思えない文在寅政権」
  次に、あらためて現在の文在寅政権は典型的な左翼革命政権であることを、我々は肝に銘じておかなければならない。文大統領はおよそ民主主義国家では考えられない教育、軍、司法、外交すべてにおいて容共的な姿勢をとっている。その上彼は法的に追い込まれると、二言目には「国民の情緒にそぐわない」という言葉を唱え、およそ法治国家のトップとは思えないのである。今回の強制労働の問題しかり、慰安婦問題の横紙破りしかりであるが、それに加えて10月11日に行われた国際観艦式において、我が海上自衛隊に旭日旗を掲げないように要求する一方自らは国際的取り決めを破り、かつて豊臣秀吉軍を破った李舜臣の旗を掲揚したのであった。

■第三章「今後の日韓関係」

第1節「日本の朝刊各紙は一致して大法院判決を非難」
  さて今回の韓国の称する「徴用工の問題」に対する大法院(最高裁)の判決の翌日、10月31日の日本の朝刊の反応はまことに珍しく、各紙一致してこの判決を激しく非難したのであった。具体的に述べると、あの反日的な朝日新聞が「解決済み」をひっくり返す。毎日新聞も「文政権迫られる対応」、読売新聞「日韓協定に対する賠償命令」、産経新聞「国民感情優先、国際条約破る」。普段は大体二つに割れて対立する各紙がまさに「韓国批判」に歩調を合わせたのである。こと程左様に今回の「徴用工判決」は国際常識を無視したものであったからである。
第2節「今後の日本政府の対応」
  さて、この無茶苦茶な判決に対して政府は、仮に韓国政府が賠償金の肩代わりを行う立法措置などを取らない限り、国際司法裁判所(ICJ)への提訴を行う方針を固めた模様である。すでにご承知かと思うがICJで裁判を開始するには、原則として紛争当事国の同意が必要である。手続きには、一つは相手国の同意のもとに共同付託する。二つ目は単独で提訴して、その上相手国の同意を得るということであるが、おそらく韓国からの同意を得ることは難しいから、単独提訴に踏み切る事になるのではないか。その場合でも韓国の同意は得られないと思われるので、裁判自体が成立しない可能性が高い。しかしこの場合韓国には同意しない理由を説明する義務が発生するため、政府は「韓国の異常性を世界に知らしめるチャンス」と判断していると思う。いったいどのような説明をするのか見物ではないか。政府は、今回の判決だけではなく、2015年の慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した日韓合意に対する不履行など、度を越した韓国の常識を超えた国際法を無視する不誠実な態度について、国際社会に訴える好機とする考えでいるのではなかろうか。余談とはなるが竹島の問題なども一方的な李承晩ラインによる領土の詐取であり、これに対しても韓国はICJへの提訴に応じていないのである。
第3節「韓国側は日本との関係悪化を懸念」
  一方韓国側でも本判決について愛国的なものとして肯定する評価がある一方、日本との関係悪化への懸念は強い。そして現実にICJへの日本側からの提訴は想定していると思われるが、これを韓国として受け入れる可能性は極めて低い。しかし韓国としても恐れているのは矢張り「国際社会での韓国の印象悪化」であろう。韓国側でも「感情的な外交は国際社会で韓国を孤立させる。国際社会は日本側につく」「政権交代ごとに韓国は約束を破るという批判を受ける理由を、国際社会に与えてしまった」といった反省の気分が芽生えている。判決への日本側の批判が想像以上だったことに文大統領も内心あわてているのではなかろうか。安倍首相が国会で「あらゆる選択肢を視野に入れ毅然として対応していく」と発言したことに対し、韓国からは正面から何の反論もない。韓国は、問題解決は二国間で知恵を絞って解決するなどと云っているようであるが、自分で播いた種は自分で刈り取ってもらわなければならないのは自明である。文在寅大統領は2017年5月、朴槿恵前大統領失脚後の選挙で第19代大統領となったが、不正腐敗を清算しようとする「積弊清算」を旗印として大統領選に打って出て、各種世論調査で70〜80%という高い支持率を就任100日の時点まで続けていたが、最近北朝鮮、アメリカを仲介するという彼独自の外交も進展を見せず、かげりが生じており、経済的にも韓国の利益の源泉である財閥との関係もかならずしも良好ではない。加えて同盟国であるアメリカとの関係も、38度線付近で北朝鮮を利する行動に走っているためアメリカは警戒の度合いを高めている。これに加え日本との関係も慰安婦問題の蒸し返し、さらには今回の徴用工判決などが重なり、大統領は急激に支持率を下げており最高83%あったものが現在では50%にまで落ち込んでいる。また本年4月には朴槿恵前大統領に実刑の判決があったが、加えて李明博前々大統領が収賄容疑で逮捕されたのであるが、まことに大統領経験者が同じような末路を辿るということは誠に異常なことで、韓国は先進国?の姿をなしていないことを如実に物語っているのではなかろうか。

■おわりに

  我々はこのような韓国、さらには核とミサイルを持つ北朝鮮、何事についても手段を選ばず周辺の諸国と軋轢を起して世界一を目指す独裁国中国と、四面楚歌の状況にある事をあらためて肝に銘じておかなければならないと思うのである。
                                                                                                                      以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2018年10月24日 金言(第75号)
『新潮45の廃刊に思う』

■第一章「新潮45の廃刊の背景」

第1節「編集方針の変遷」
  名門出版社の新潮社の月刊誌 新潮45について先般来8月号所載の、自民党衆議院議員杉田水脈氏の論文「LGBT支援の度が過ぎる」が問題となった事は皆様よくご承知の事と思う。杉田論文を論じる前にそれが掲載された「新潮45」についてはやや「文藝春秋」などとは違う雑誌であるので先ずこの雑誌がどのようなものであるかに触れておこう。
  この雑誌は1982年4月に5月号として創刊されたもので、創刊時の名称は「新潮45+(プラス)」で、当初は45歳以上の中高年以上を対象に、主として生き甲斐と健康情報を核として文化人が寄稿していた。雑誌は、中高年以上が対象のため活字を大きくして読みやすいことを売物にしていた。その後保守、反人権路線にカラーを変えていったが、その後は「週刊新潮」と同じく事件ものを扱うようになった。続いて2001年から2008年にかけて30代から40代の女性を対象にして犯罪、事件、芸能、スポーツ、セレブ等を材料にした巻頭特集に力を入れるようになり、特に岩井志麻子や中村うさぎらの人気女性作家のきわどい作品を連載するようになり「平成のカストリ誌」との異名をとるようになり、男性の読者が離れていった。当然発行部数は減る結果となった。その後月刊誌の休刊が続く中で「文藝春秋」をライバル誌に見立て、本来の新潮ジャーナリズム路線への回帰を強く打ち出し、女性を対象としたいわゆるセックス記事と事件簿シリーズを打ち切ったのであった。2015年に入り「ノンフィクションに傾倒する全開作戦」を宣言して新たな展開をはかった。2016年に編集長が変わると雑誌のスタンスは、明確に右傾化する。
第2節「「LGBT」権利拡張に疑問を呈する寄稿文」
  これからが本題であるが、2018年の8月号に杉田水脈氏が「LGBTへの支援が度を過ぎる」なる論文を寄稿した。この中で杉田氏は「同性のカップルには生産性がないので、彼ら彼女らのために税金を使うべきではない。」という趣旨の主張を展開して「LGBT」の権利を拡張する動きに、疑問を呈し、この論旨は各方面に大きな波紋を投げかけたのであった。因みに「LGBT」については、最近の読者はそれが何であるかご承知の事と思うが念のため、この言葉についてその意味を述べておくと、これは「Lesbian」(レズビアン・女性同性愛者)、「Gay」(ゲイ・男性同性愛者)、「Bisexual」(バイセクシャル・両性愛者)、「Transgender」(トランスジェンダー・出生時に診断された性と自認する性の不一致)の頭文字をとったものである。云い換えればセクシャル・マイノリティー(性的少数者)の一部の人々を指した総称である。元々欧米ではよく使用されていた言葉であるが、米国での差別撤廃や法的権利獲得などを求めて別々に活動していたレズビアンやゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人々が1990年代に大問題となったエイズ禍を契機に、連帯して自らをLGBTと呼ぶようになったと云われている。日本においても、このLGBTに対する取り扱いは非常に慎重なものとなっているのは事実である。電通の2015年調査によると、サンプル20才から59才までの男女7万人を調査したところ、LGBTに該当する人の割合は7.6%となっている。
第3節「行政・企業の「LGBT」取組の実情」
  さて、このような状況に鑑み性的少数者の権利を守り、当事者が生活しやすい環境を整えるための行政や企業の取り組みが進められている。同性カップルに結婚に相当する関係を認める同性パートナーシップ制度が、2015年に東京の渋谷区で条例が施行されて以降、東京の世田谷区、那覇市、札幌市にも導入された事は周知の事実である。教育の現場でもLGBT生徒へのきめ細かな配慮をすべきであると、文部科学省が都道府県の教育委員会に通達を出している。さらに一部の企業でも性的指向や性自認による差別を禁じる社内規定の整備などが進められていると聞いている。

■第二章「寄稿文の内容」

第1節「「生きづらさ」を全て社会制度に結び付ける」
  そこで杉田氏の論文について今一度詳しく見てみよう。「LGBT支援の度が過ぎる」の内容は次の通りである。即ち「この1年間(7月3日現在)でLGBTがマスコミでどれ程報道されたか調べると、朝日新聞で260件、読売新聞で159件、毎日新聞が300件、産経新聞で73件もある。我が国ではそもそも同性愛の人達に「非国民だ」という風潮はありません。一方キリスト教社会やイスラム教国家では同性愛が禁止されてきたので白い目で見られてきた。時には迫害を受け命にかかわることすらありました。それに比べて日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありません。むしろ寛容な社会だったことが窺えます。日本のマスメディアは欧米がこうしているから日本も見習うべきだという論調が目立つのですが、そもそも欧米と日本では社会構造が違うのです。LGBTの当事者から聞いた話によれば、生きづらさという観点から云えば、社会的な差別云々よりも自分たちの親が理解してくれない事の方がつらいと言います。親は自分たちの子供が自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。したがって、子供が同性愛者だと分かるとすごいショックを受ける。これは制度を変えることでどうにかなるものではありません。LGBTの両親が彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが生きづらさに関わっています。そこさえクリアできればLGBTの方々にとって日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはずです。
第2節「LGBT支援は度を過ぎる」
  「生きづらさ」を行政が解決することを悪いとはいいません。しかし行政が動くということは税金を使うということです。例えば子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策にお金を使うという大義名分があります。しかしLGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない。つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気取り政策になると勘違いしてしまうのです。ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすること自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一障害」なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのはつらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させていくのか、それは政治家としても考えていいのかもしれません。一方LGBは性的嗜好の話です。私は中高一貫校の女子校で、まわりに男性がいませんでした。女子校では同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象となります。ただそれは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して普通に結婚していました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで「これ(同性愛)でいいのだ」と不幸な人を増やすことにつながりかねません。
第3節「「LGBT」報道は社会の混乱を助長する」
  朝日新聞で「高校生の1割が性的少数者」という記事がありました。(3月17日付大阪夕刊)これは三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。クエスチョニング(=性的指向が定まっていない人)が214人いて、あわせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくるのです。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。最近の報道でよく目にするのは学校の制服問題です。例えば「多様性、選べる制服」(3月25日付大阪朝日)は多様な性に対応するためにLGBT向けに自由な制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着ることはいいこと」として報道されています。ではトイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことなのでしょうか。実際にオバマ政権では2016年に「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が心の性“に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。トランプ政権になってこの通達は撤回されました。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたらLやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら世の中は大混乱です。最近はLGBTに加えてQとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もう訳がわかりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると云いますし、SNSのフェイスブック、アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。多様性を受け入れて様々な性的指向を認めよということになると同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません。現実に海外ではそういう人達が出てきています。どんどん例外を認めてあげようとするなら、もう歯止めが利かなくなります。「LGBT」を取り上げる報道はこうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。」以上が杉田氏の論文であるがこの論文は与野党の政治家、LGBTの当事者や識者など、様々の立場の人々から批判を受けた。7月の下旬には自民党の本部前で彼女の議員辞職を求める大規模なデモが行われた。これに対して自民党も8月に党から「杉田氏に今後十分に注意するように指導した。」と釈明している。然し杉田氏は自らのツイッターで自己の主張への批判に反論していたが、その後殺害予告が届いたことを理由に関連ツイートを削除し、その後新しい投稿をしていない。

■第三章「寄稿文の評価」

第1節「言葉狩りのターゲットとなった論文」
  私のこの論文についての考えは、杉田論文は極めて真っ当なものと考える。杉田氏は世の中男と女の二つの性でどうしていけないのでしょうかと云っているが、誠に同感である。男女の結びつきの意義は子孫を残すことが先ず第一である事は大半の人は否定しないであろう。子孫が残せない事はその言葉がふさわしいかどうかは受け取り方であるが、「生産性がない」という表現はまさにその通りである。それが誤読されまさに言葉狩りのターゲットになったのである。その発端は「新潮45」10月号によれば同8月号発売日7月18日の2日後7月20日に、立憲民主党参議院議員尾辻かな子氏のツイッター「子供を持たない持てない人間は生産性がないと、人の生き方に『生産性』という言葉を使って評価することは公人のすべき事ではない。『生産性』という言葉は削除願いたい。」これがきっかけとなってネットが炎上したのであった。「新潮45」10月号で「そんなにおかしいか杉田水脈論文」という特集を掲載しているが、その中で教育研究家の藤岡信勝氏は「そもそも尾辻氏の発言は杉田論文の誤読である。杉田氏は『子供を持たない、持てない人間は生産性がない』などとはどこにも書いていない。杉田氏は『子供を持たない、持てない人間』一般の事など論じていない。子供の有無は個々の人にとっては偶然であったり、意図的選択の結果であったりするだろうが、いずれにしてもその人たちの『生き方』の評価など杉田氏はしていないのである。杉田氏が書いたのは@税金という公的資金を投入するかどうかという社会的決定の中でA公的資金を少子化対策費の枠で支出するかどうかの妥当性に関して判断する基準としてBLGBTの人たちについて彼らは子供を作らない。つまり『生産性がない』と位置付けられていると云っているだけである。国会議員たる尾辻氏の国語読解能力の欠如が今回の問題の根源であると私は思う。」同じく文藝評論家の小川榮太郎氏は「この問題が騒がれ出してから論文を読んだのであるが、どこが問題なのか先入観なしには一読しただけではわからなかった。読んだ後ネットで調べてみると文中の『生産性』という言葉が論(あげつら)われているのだという。」
第2節「弱者利権に一石を投じた論文」
  「杉田氏は概して弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力、そしてそれらに連動して強化されてきた弱者利権、そしてそれらがしばしば外国の日本侵食工作につながってきた深刻な害毒と戦ってきた人である。」「弱者を盾にして人を黙らせるという風潮に対して政治家も言論人も非常に憶病になっている」「その中で今迄黙らされてきたテーマに果敢に発言するには蛮勇がいる。そういう意味で杉田氏の存在は貴重である」 さらに小川氏は「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」というタイトルで「LGBTの問題などは国家や政治が反応すべき問題ではない。文学的な、つまり個人的、人生的な主観である」と述べている。さらに「レズやゲイは全くの性的嗜好である。同性愛者は知的にも美的にも優れた感性の持ち主に多い、オスカーワイルドは同性愛者として投獄されたが、アンドレ・ジイド、トーマス・マン、我が三島由紀夫などの大芸術家は歓楽も名誉をきわめている。同性愛に厳しく対処してきたキリスト教社会でさえ20世紀前半,既にそうなっている。何を今更騒ぎ立てるのか」「LGBTという概念の本音のゴールは、性的嗜好への白眼視を取り除く事ではないのであろう。結婚という社会的合意と権利の獲得なのであって、他の性的嗜好とちがうのはその点である。即ち目指すは同性婚であって、これはもう論外であって私は頭ごなしに否定するところである。」「政治は個人の「生きづらさ」「直面する困難」という「主観」を救えない。いや救ってはならないのである。政治の役割は生命、財産、安全など人生の前提となる[条件]を不当な暴力から守ることで、私的な領域を救うのは、個人の努力とその延長にある共同体の道徳、知恵であり、其れこそが「人生そのもの」なのである。」
第3節「何故、常識的な論文で追い込まれるのか」
  その他5人の論者が同特集に寄稿しているが概ね杉田論文側に立っている。今述べたように杉田氏は「子供を持たない,持てない人達は「生産性」がないなどとは論じていないのである。自民党が杉田氏に注意を促したとのことであるが執行部はこの論文を詳しく読んでいないのではないか。どこかのマスコミに記載されていたが、子供のない安倍首相は多分子供のないことを非難されたのだとの思いが遺憾の意を表したと出ていたが、首相自体がこの論文の意味を良く咀嚼していないことが明白である。
  同性婚の問題には法律的に明らかにしなければならない問題が多々ある。まず日本国憲法第24条で結婚は両性の合意により決まるとなっているからこれは頭から改憲の必要があるし、これだけ科学が進歩した今日同性婚者に何らかの形で子供が生まれればその具体的な法律効果はどうなるのであろうか。加えて事実婚的な同性婚に多額の税金をつぎ込むなど私はどこか狂っているとしか思えないのである。最後にこの杉田水脈論文が契機となり「新潮45」は休刊(事実上の廃刊)に追い込まれた。「文芸春秋」の左傾化が著しい今、日常識的な保守論議を展開するこの廃刊は極めて残念なことである。

                                                                                                                      以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2018年9月28日 金言(第74号)
『偏向マスコミを斬る』

■はじめに

  いささか古い話で恐縮であるが、8月4日の第1048回武藤記念講座において、講師の門田隆将氏は「日本のマスコミはどこまで堕ちるのか」と題し、最近特にひどくなっている朝日新聞の論調に対する批判を中心に講演された。その中でとりわけ7月29日付の朝日新聞の社説について批判を展開されたのであった。私はその時点でこの社説を読んでいなかったので、急遽この社説を読んで、あまりのひどさに驚いたのである。

■第一章「朝日新聞の偏向した“社説”」

第1節「危機を煽る社説」
  この論旨をまとめると次のようになる。社説の題名は「わたしたちの現在地、深まる危機に目を凝らす」である。
  本文は「うその答弁に文書の改ざん、言いのがれ、開き直り、民主主義を成り立たせる最低限度のルールも倫理もない。異常な国会の幕を閉じて1週間になる。豪雨被害、そして酷暑に人々の関心は移り、不都合な諸々をこのままなかったことにしてしまおうという為政者の思惑が少しずつ、しかも着実に世の中を覆っていく。私たちの日本社会は今、危うく、きわどい地点にさしかかっているのではないか。」と、例によって朝日の常套的な進め方である。
第2節「安倍総理と官僚の関係をヒトラーとナチスの所業に比喩」
  そして次に、「忠誠が生み出す罪悪」と題して先般公開された映画「ゲッペルスと私」の主人公、第二次大戦でユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッペルスの秘書、103才のブルンヒルデ・ポムゼルに触れ、彼女の言葉「私は言われたことを忠実にやった。」を取り上げ、「彼女が担った役割はナチスの犯罪のごく末端にすぎない。『私には罪はない。』たしかに自分もその一人ではあったが、皆が同じく加担したのである。しかしそうした小さな悪の集積が大きなうねりとなり、当時のドイツを破滅させたのだという。ナチス親衛隊の元中佐でユダヤ人を強制収容所等に送り込む実務責任者であったアドルフ・アイヒマンにも同じ事が云える。戦後逃亡して1960年に逮捕された彼は裁判において、自分は上司の命令と当時の法、即ちヒトラー総統の意思に忠実に従ったにすぎない。それ故自分には罪があるとは感じていないと述べた。大きな流れの中で一人一人の罪悪感は薄まり、上に立つ者の意を踏まえた無責任の構造が『悪』を行うことへの抵抗をなくしていく。
  さて、ナチスの所業と安易に対比することは出来ないが、森友問題でこの国の官僚が見せた態度に相通じるものがある。『文書の廃棄や改ざんの方向性を決定づけた』とされる理財局長の下、多くの財務相職員がおよそ公務員にあるまじき行為に手を染めた。そもそも優秀な官僚のはずである局長は、改ざんに走る前に何故基本的な事実関係すら確認せずに『記録はない』と虚偽の国会答弁をしたのか。この根本的な疑問に財務省の調査報告書は答えていない。はっきりしているのは『私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める』と安倍首相が国会で発言した直後から、廃棄と改ざんが始まったということである。
  もう一つ獣医学部の新設をめぐって学園理事長と首相が面会していた旨の記載が愛媛県の文書に残っていた。本当ならばこれまでの首相の答弁は根底から崩れる。学園の事務局長が『私が県に誤った情報を伝えていた』と言い出した。面会がないとしたら、前後の事実のつじつまが合わなくなるのにお構いなしである。
第3節「日本の民主主義はむしばまれつつあると主張」
  ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の世界では、歴史は常に支配者の都合で書き換えられる。反抗した主人公は捕えられ、『党』があらゆる記録や、個人の記憶まで管理するのだとたたき込まれる。首相の周辺で起きていることは、この約70年前に書かれた逆ユートピア小説に重なる。黒を白と言いくるめる。国会を愚弄して反対意見にまじめに向き合わない。権利や自由を縛る法律を力ずくで制定し、憲法を軽んずる。そんなことを続けても内閣支持率は底堅い。不満はあるが、経済はそこそこうまく回っているようだし、何よりとって代わる適任者が思い浮かばない。モリカケ問題が日々の生活に直接悪い影響を及ぼしているわけでもない。そんなところが理由だろうか。だが、民主主義は適正な手続きと真摯な議論の交換があってはじめて成立する。その土台がいま、むしばまれつつある。
  危機の兆候を見逃したり、たいしたことはあるまいと思ったりしているうちに、抜き差しならぬ事態に立ち至る。歴史が警告するところだ。そうさせないために何をすればいいか。政治への関心を失わず、様々なルートや機会を通じて社会とかかわり続ける。あきらめずに行動し、多様な価値観が並び立つ世界を維持する。それらを積み重ねることが、くらしを守る盾になるであろう。なんだか息苦しい。そう感じたときには、もう空気が切れかかっているかもしれないのだ。」以上が朝日の社説全文である。

■第二章「朝日新聞“社説”に対する反論」

第1節「日本社会をナチスと重ね合わせるのは論理の飛躍」
  確かに先の国会は問題の多いものであったことを否定するものではない。朝日のいうように官僚のうその答弁、文書の改ざんはあってはならない事である。しかし、今日本の社会が危うく朝日のいうようなことで、きわどい地点にさしかかっているとは私は思わない。外においては日本を取り巻く北朝鮮、中国、ロシアによる核を含めての圧力、同盟国アメリカの逆走。内にあっては人口減少に伴って発生する諸問題、社会保障の問題、累積する国の借金等について、我が国が極めて難しい局面にあるのは事実であるが、現在の政治に多少の行き過ぎはあっても、彼等のいうように我日本が現在民主主義の危機に直面しているとは決して思わない。 彼等が、ナチスの犯罪と森友問題に関する我が国の官僚の所業を重ね合わせることは、ナンセンスな論理の飛躍であろう。左翼のジャーナリストは後にも触れるが、しばしばジョージ・オーウェルの小説「1984年」を持ち出す。朝日の社説に書かれているように「1984年」は今から70年前に書かれた風刺小説で、内容は朝日のすきな現在の中国にぴったりと当てはまる。日本の状況が「1984年」とは、認識違いがひどすぎる。
第2節「野党の議論の拒否こそが民主主義の土台を壊す」
  朝日は現況を「黒を白と云いくるめる」とか「国会を愚弄し反対意見に向き合わない。権利や自由を縛る法律を力ずくで制定し憲法を軽んじる」などと指摘するが、それなら野党の対応がまともかどうか、よく考えるべきであろう。世界の状勢をよく咀嚼せず、ただ反対の為の反対を繰り返しているのが野党である。今国会では審議拒否が続いたが、全く民主主義を踏みにじるものである。「民主主義は適正な手続きと真摯な議論の交換があってはじめて成立する」と論じているが、その土台をこわしているのは野党であろう。確かに「国民が危険の兆候を見逃たり、たいしたことになるまいと思っているうちに抜き差しならぬ事態に立ち至る」という考え方を否定するものではないが、朝日の云う「そうさせないために何をすればよいか」云々については考え方としてはそうかも知れないが、国民を導いてやるという朝日臭がにおい、いい加減にしてほしい。さらに結びの「なんだか息苦しい云々」は朝日の常套句で、我々は日本を取りまく重大な諸問題で息苦しく感じるが、朝日の云うような意味では少しも息苦しくない。最後の「もう空気が切れかかっているかもしれない」とは云い過ぎであるし、この社説の題目「深まる危機に目を凝らす」などとは誠にピントが狂っているとしか思えない。

■第三章「毎日新聞の偏向した“特集記事”」

第1節「「平和安全法制」が日本を戦争に巻き込むと指摘」
  朝日の社説批判はこのくらいにして、次にこのところ朝日より、ある意味でもっと左傾化がはなはだしい毎日新聞を取り上げたいと思う。取り上げるのは、8月17日付夕刊、特集ワイドである。毎日はここで「この国はどこへ行こうとしているのか 平成最後の夏に」と題して憲法9条を維持しながらどのような安全保障政策が可能かについて、ジャーナリストの前田哲男氏の論を取り上げている。
  前田氏は、壊滅した日本社会党(現在の社民党)の安全保障問題に関するブレーンで、日本とアメリカの軍事戦略に対して平和主義を唱え反対しているのであるが、今回はその彼を訪ね左翼偏向の考え方をふりまいている。 前田氏は、昭和13年(1938年)の生まれで私と同世代であるが、戦争中の記憶が私ほど鮮明とは思えない。先ずここでも、先のジョージ・オーウェルの「1984年」が登場する。前田氏は語る。
  「今はまさに『1984年』の世界に似てきた。生きている内にこんな時代が到来するとは夢にも思っていなかった。まさに悪夢である。オーウェルの書いた世界は独裁者によって支配された憎悪に満ちた監視社会であるが、翻って現代の日本は、安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する安全保障法制を『平和安全法制』と呼ぶ。これはブラックユーモアではないか。憲法で禁止されているのに米国の戦争に参加できる仕組をつくった。
  私は『戦争法』と呼んでいる。自衛隊は南スーダンPKO活動において派遣部隊の日報に『戦闘』が起きたと書いてあるのに、日報は残っていないとされ、稲田防衛相は国会答弁において『衝突』と云い換えた。『武器や関連技術の輸出を禁止する武器輸出三原則』は『防衛装備三原則』に書き換えられ、武器輸出に道を開いた。捜査機関の乱用が懸念される『共謀罪』は『テロ等準備罪』と名を変えて組織犯罪処罰法を改正され、さらに『カジノ法』は『統合型リゾート(IR)実施法』として成立した。加えて財務省の決裁文書改ざん問題など政府の国民をあざむく行為は枚挙にいとまがない。
  日本人は敗戦を終戦と言い。占領軍を進駐軍と呼び、戦後ずっと別の言葉に置き換えて現実を粉飾することに慣れてきた。非核三原則を掲げながら、米国の核の傘に依存してきたのは『二重思考』が浸透しているからである。
  そして次に前田氏の追想が続く。
  「自分は敗戦の年、国民学校の1年生で福岡県戸畑市に住んでいた。場所は米軍の爆撃目標であった八幡製鉄所から数キロの地点であった。8月9日に長崎に原爆が投下されたが、第一の目標は戸畑市のすぐ隣、小倉であった事を後で知る。曇っていたため視界不良で目標は長崎に変更されていた。もしあの日、小倉上空が晴れていたら私の一家は確実に被爆していたであろう。自分は大きな運命にもてあそばれて生きていると感じました」
  前田氏は22歳で長崎放送記者となる。ここでは原爆の被爆者や佐世保への米原子力空母エンタープライズの寄港などを取材。フリーとなってからも「核と人間」「日米安保と自衛隊」をテーマに、武力によらない安全保障をどう構築すべきかを追求してきた。
  「安倍首相を含めて日本人の多くが戦争を知らない世代になったが、そのためリアルに憲法に向き合えない人が多い。しかし同盟国である米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などの当事者であり続けてきた。安保法制を考える上で、この現実を直視しなければならない。」
  朝鮮戦争が勃発して1950年(昭和25年)前田氏は11歳で小倉に移り住んでいた。ここは九州全域の占領行政を司る米国第24師団が駐屯していた。そして真っ先に朝鮮の前線へ投入されていた。小倉駅には米軍の兵士を乗せた特別列車がひっきりなしに到着し、門司港から半島に送り出されるのを目の当たりにしている。
  「駅のプラットホームにカービン銃を抱いてうずくまっている、黒人兵の暗い表情は忘れられない。」この戦争による米兵の死者は三万人超。
  「憲法9条がなければ多くの日本人が戦争に駆り出された筈である。」
第2節「憲法前文の世界観で安全保障政策の転換を提案」
  安保法制を巡っては、全国各地の裁判所に違憲訴訟が起こされている。前田氏は今春原告側弁護団からの要請を受けて、東京地裁に陳述書を提出した。この中で安倍政権を次の通り指弾する。
  「Jアラート(全国瞬時警報システム)による北朝鮮の弾道ミサイル落下を想定した『避難勧告』で、政府はそれがもたらす大損害について具体的な事実を何一つ明示することなく『頑丈な建物や地下道への避難』『地面に伏せ頭部を守る』などと呼びかけ、国民の恐怖心をあおり立てました。そのような世界観のもとに、防衛費は6年連続前年度超の増勢にいたったのです。私の自負は、社会生活の全てが憲法前文と9条に照らされてあったこと、それにより戦争に加担することもなしに家族と暮らし、執筆活動に従事できた満足感があります。何とかそれを貫徹して後の世代に残したい。それが今破壊されようとしているのは見るに堪えられない」
  「敗戦から73年を経過した今、この国では衆参両院の改憲勢力は、憲法改正の発議が可能な3分の2を超えている。安倍首相はさる8月12日、地元の山口県下関市で『自民党としては自民党の憲法改正案を次の国会に提出できるよう、とりまとめを加速すべきだ』と述べている。9月の自民党総裁選で安倍氏は三選が確実であるが、そうなった際この先に何が待っているのであろうか。自民党政調会が5月29日にまとめた『提言』を実行に移していくでしょう。その提言の内容とは『多次元横断(クロスドメイン)防衛構想』と云われるもので、これは集団的自衛権を実行するプランで、具体的には防衛費のGDP比2%達成を目指し、敵基地攻撃にも使える『多用途運用母艦』を導入し、これにステルス戦闘機F35Bを搭載する事を検討している。まさに憲法を抹殺するような新しい安保体制の全面展開である。これがまとめられたのは『5月』であることに注目する。4月27日に行われた『南北首脳会談』の後で、米朝首脳会談(6月12日)の前で朝鮮半島の緊張が大きく緩和しているにもかかわらず、このような提言がまとめられた事は不可解である。客観的に情勢を認識せずに真珠湾攻撃に突き進んだ東条英機内閣と共通するものがある。」
  前田氏は2011年に著した「自衛隊のジレンマ」で憲法の精神を生かして欧州連合(EU)型の安全保障に転換するように提案している。
  「冷戦終結後加盟28ヶ国は共通の安全保障体制を築いた。これにより加盟国の兵力はドイツ軍が48万人から18万人、フランスが45万人から20万人、英国が30万人から15万人に減らしている。EUが立脚している主柱は日本国憲法が掲げる『諸国民の公正と信頼』に由来する世界観です。一方我が国では兵力は25万人で、冷戦期とほとんど変化なく、戦車の保有台数は690台と英独仏の3倍もある。このような現実を知ることから、日本の安全保障政策を変えていくべき。」と指摘する。
  前田氏は云う。「『戦後レジームからの脱却』をスローガンとする安倍首相は、憲法9条の価値観に否定的である。戦後世代は現行憲法の下で生まれ、教育を受け、社会生活を営んできた事を忘れてはならない。この憲法価値観を選ぶのか、安倍首相が考える世界を選ぶのか。有権者は究極的な選択を迫られている。」

■第四章「毎日新聞“特集記事”に対する反論」

第1節「世界情勢の変化や地政学的な脅威を無視した主張」
  ここまで一方的な左翼寄りの論旨を展開するジャーナリストを特集する事には問題があると私は思う。前田氏は私より1歳年下であるから、彼の生きて来た時代は私と全く重なるのであるが、根本的に拠って立つスタンスが違うと思う。それは先ず現行の日本国憲法とは何かという点であろう。前田氏の論はあく迄憲法9条こそが戦後の我々を守ってきた。9条があるからこそ日本は戦争に巻き込まれることはなかった。
  しかしながら日本を取りまく現状は厳しいものがある。前田氏は「冷戦終結後EU各国は兵力を減らした。その裏付けになっているのが、日本国憲法が掲げる『諸国民の公正と信義』に由来する世界観である」と云うが、また、我が国は戦力を減らしていないと指摘するが、我が国のおかれた地政学的な要素を全く無視した論議である。くどくどとは云わないが、我が国の隣国は中国、ロシア、北朝鮮であり、欧州にはこのような無法国家とはロシアを除き接していない。いうなればロシアのみがEUの脅威である。それにもかかわらず最近のロシアの対外膨張姿勢から兵力の見直しの機運もあるやと聞く。
第2節「一国平和主義では許されない日本」
  前田氏は集団的自衛権を否定しているが、それなら同盟国とどのようにして同盟を維持していくのか教えてほしい。
  クロスドメインを問題にするが、当然我々は集団的自衛権を行使していかなければならない。究極的には憲法9条を改正して普通の国になる事である。また現行憲法の前文は全くのナンセンスなものと考える。「諸国民の公正と信義」だけでは国を守ることは出来ない。
  戦後日本は9条を隠れ蓑にして経済発展にのみ力を尽くし、自分の国は自分で守るという気概を失ってしまった。その結果が米国の核の傘の下に安住して一国平和主義を満喫してきたのではないか。しかしこれはイラク戦争において化けの皮をはがされたのではなかったか。

■おわりに

  最後にもう一度云うが、日本は憲法9条を改正して普通の国になることである。自分の国は自分で守るという当たり前の事が出来ないなら我が国の将来は暗い。アメリカはアメリカ第一主義に傾いており、それだけに我々が取る道は自ずと明白である。自国を守る事の出来ない末路がどんなものか、観念論をただただ展開する人達は考えたことはあるのか。中国の支配下にある蒙古、チベット、ウイグルの現状を見ればよくわかる事である。

                                                                                                                      以上
  皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                               ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

2018年8月24日 金言(第73号)
『水道法の改正について』

■はじめに

  第196回通常国会は延長に延長を重ね、7月22日にようやく閉幕した。通常国会は1月22日に召集され、実に32日延長され、会期の総日数は182日となったのであるが、この間政府が新たに提案した法案は65本であったが、うち60本が成立した。法案の成立率は92.3%で、昨年の95.5%を下回ったのであった。幸い政府が最重要法案として位置付けた働き方改革関連法は、曲がりなりにも成立した。これにより一部の専門職を規制から外す「脱時間給制度」が創設された。しかしながら国会審議の過程で厚生労働省の調査データの不備が明らかになり、同法案に目玉として盛り込んでいた裁量労働制の業務拡大が削除された事は、首相にとっては誠に残念であったのではなかろうか。しかし、今国会を通じて野党は「森友学園」「加計学園」を巡る問題や、公文書の書き換えなどについて執拗に攻撃し、その極め付きは立憲民主党の枝野代表による、2時間43分にも及ぶ内閣不信任案決議のための長演説であった。野党は政府の提案する重要法案について、ただ反対するのみで、まともな対案すら用意することが出来ず、その結果が上記の枝野氏の演説に見られる議事妨害かとも思われる抵抗であった。このためカジノを含む総合型リゾート法及び、成人の年齢を20歳から18歳に引き下げる改正民法も衆議院で十分な審議がつくされないまま成立してしまった。問題の多い水道法の改正は、参議院でストップとなり未成立に終わった。それ以外でも規制を一部凍結して、人工知能(AI)やドローンなどの新しい次世代技術の実用化を目指す法案は先送りとなり、洋上風力発電への企業参入を促す法案は積み残しになった。このように、全面的に野党のみに非があるわけではないが、ほとんどがモリカケなどに関する国会としてまともに論議すべきではない問題が、再三野党より蒸し返された結果、冒頭に述べたように32日間も会期が長引いたのであった。
  私が思うに、現在我が国を取り巻いている状況に思いをはせた時、このような問題で只々審議を遅らせたり、廃案に追い込もうという野党の態度は、国会議員としての責務の放棄と思うのだが如何なものであろうか。

■第一章「「水道法改正」上程に至る背景」

第1節「大阪北部地震で一気に審議入り「水道法改正法案」」
  さて、本日の本題は、衆議院で事の重大さがわかっていない与党議員の推進により可決したが、参議院で時間切れのため審議が持ち越された「水道法の改正」の問題である。この法案は次期国会で再び審議されることになるが、大変大きな問題をはらむものである。以下にこの「水道法の改正」について述べたい。
  7月5日に衆議院本会議で可決された水道法改正法案(一方参議院ではこの成立は見送りとなった)は、水道事業の民営化を推進することを内容とするが、そもそも「働き方改革関連法案」の可決に積極的であった状勢に押され、今国会では審議予定すら立っていなかったのであるが、6月18日に発生した大阪北部地震により、21万人に「老朽化した水道」による被害が及び息を吹きかえし、水道法改正法案が一気に審議入りしたのであった。ご存知の方も多いと思うが市町村などの水道事業は、人口減による収入減により赤字体質のところが多いのは事実で、このため老朽化した水道管の更新が遅れていた。今回の地震でもこれが一挙に表面化されたのは事実であろう。そしてこの老朽化した水道管の更新をする事が出来ない水道事業者の赤字問題が、この法改正の裏にあることは疑いようのない事実である。そしてその解決策として出てくるのが、この改正案にある水道事業に民間業者の参入を認めることである。これは水道管老朽化対策を推進するという名目で、市町村などが経営する原則を維持しながら民間企業に運営権を売却出来る仕組み(コンセッション方式)を盛り込んだのが、今回の改正の目玉である。付言すると、老朽化した水道管の更新が遅れていることは事実で、厚生労働省によると耐用年数40年を越えた水道管の割合は2016年末で全国平均14.8%、更新率はたったの0.75%で、仮に全てを更新するには今のペースなら実に130年かかることになる。
第2節「コンセッション方式の概要」
  さて、このコンセッション方式についてもう少し詳しく説明すると、この方式は、高速道路、空港、上下水道などの料金を徴収する公共施設などについて、施設の所有権を発注者(公的機関、国や市町村)に残したまま、運営を特別目的会社として設立される民間事業者が、目的とする施設の運営を行うスキームをいうのである。この特別目的会社は「SPC」と呼ばれているが、SPCは公共施設から利用料金を直接授受し、運営費用を回収する「独立採算型」により事業を推進する。この方式によれば当然SPCは収入と費用に対して責任を持ち、かつある程度自由に経営を行うことになる。例えば利用者の数を増やすことにより収入の増加を図ったり、経営の効率化により運営費用を削減するといった事により事業の利益率の向上を図ることが可能となる。しかし、独立採算をうたう「SPC」である以上、最終的な利益追求が図られることは当然の事である。その考え方が行き過ぎた結果、ほとんど報道されていない事実であるが、この水道事業民営化においては海外においてかなりの失敗例が見受けられており、中にはとんでもない状況下にあるコンセッションもある。
第3節「与党が心配する水道事業の崩壊」
  与党が、このコンセッション方式にこだわるのは、現在の水道事業が先に述べたように今後益々見込まれる老朽化、人口減少による料金収入の減少、今回の地震によるような水道管の破損、水道職員の減少、老朽化の更新率停滞などであり、今のままでは我が国の水道が円滑に運営されてきた基礎そのものが崩される。このままでは、日本の水道業は成り立たなくなる。従って水道法を改正せずこのまま維持するならば、今迄通りの自治体による運営は、早晩崩壊を免れえず、大幅な値上げを余儀なくされると指摘する識者もいる。

■第二章「「水道法改正案」の概要と問題点」

第1節「改定案の概要」
  今回の水道法改正案のポイントをあらためて書くと
  • @広域連携の推進
    (地方公共団体同士の広域連携を推進する)
  • A官民連携の推進
    (水道事業の運営を民間に任せることが可能になる)
  • さて政府の云うように、今回の改正が自治体や公的機関が担っている水道事業について先程来述べているので重複するが、水需要の減少、施設の老朽化などの山積する問題を解決するため水道事業の基礎を固め、よりそれを強化するため、より多くの市町村による広域連携を図るということについては誰もが賛成することである。しかし、議論を呼んでいるのは「官民連携の推進」という項目である。これは、水道施設の所有権を公的機関に残したまま、その運営権を民間事業に売却出来る。すなわち「コンセッション方式」の導入を支持しているものである。コンセッションとは、「譲歩」「授与された権利」を意味しており、転じて例えば、国などが森林や鉱山の所有権を持ったまま伐採や、採掘の権利を民間に売却する仕組みを指すのである。水道事業のコンセッションについて厚生労働省は、次の通り説明している。すなわち「水道事業の経営は全国的に厳しいものがあるが、一方では水道管の更新などの施設の更新は避けては通れない。この方式については、全ての自治体に求めるわけではなく、民間活力の導入で効果が出そうなところに導入を促す」と云っている。
    第2節「水道コンセッションの実態」
      しかしこれに対して多くの関係者から次のような反論が出ている。すなわち「なる程施設の老朽化などの課題は、厚生労働省の指摘どおりであるが、しかし改正案については肝心なところが抜けている。これはコンセッションを実施して民間に運営が移った時、料金の値上げをどうチェックするかということである。議会の関与のあり方とか、どのようにチェックをするかという重要な点は全て自治体に丸投げされている。しかし、水道コンセッションの実態をよく調べてみると、数々の失敗例が見られるのである。よく大失敗の例として取り上げられるのが、南米のボリビアのケースである。具体的に云うとボリビアが世界銀行から融資を受けた際、銀行は融資の条件として同国第三の都市、コチャバンバの水道民営化を要求。1999年に水道事業が、米国の企業、ベクテル社に売却されると水道料金は一挙に倍以上に高騰したのであった。これに耐えかねた住民たちは大規模なデモを起こして激しく抵抗し、軍隊が出動する騒ぎとなり、200人近い死傷者が出るに至った。当時コチャバンバ市民の平均月収は100ドル程度で、ベクテル社が一気に月20ドルに迄引き上げた結果であった。結局ベクテルは撤退し公営に戻ったが、ベクテルは違約金と賠償金を要求する禿鷹ぶりであった。
      もう一つ失敗例として紹介されているのはフィリピンのマニラ市である。ここも1997年に水道事業を民営化したが、ボリビアと同じベクテル社が参入した結果、水道料金は4〜5倍になった。更に低所得者の水道使用は禁じられ、料金以外にも水質の問題が発生して住民が再公営化を求める運動を起こし、今も裁判を通じた闘争が続いている。このように一度民営化すると、公営に戻すことは大変難しい。
    第3節「世界の潮流は「再公営化」」
      日本の水道民営化について拓殖大学教授の関良基氏は、「日本の水道民営化政策は周回遅れのトップランナーとも云うべき立場で、官民挙げてトンチンカンなお祭り騒ぎを繰り広げている」と痛烈に批判する。毎日新聞の記事によると、関教授は「社会的共通資源である大切な水」に関して「水道民営化の悪夢を論じている。」と、手厳しい。関教授の分析によると先ほど紹介した発展途上国だけではなくて、欧米でも再公営化の流れは明らかである。すなわち1984年に民営化されたパリでは、翌年から約25年間のインフレ率が約70%に対して水道料金は265%アップとなり、結局再公営化された。また、2013年までに住民投票の結果再公営化されたベルリンでは、事業会社から買い戻すため、12億ユーロ(約1,500億円)の巨額を要した。1980年代に水道民営化の先頭を切り、先見性があるともてはやされたサッチャー政権であったが、現状においては世論調査で60〜70%の市民が再国営化を望んでいるという。英国に本部をおく調査機関の2015年の報告によると、水道の再公営化は2000年〜2015年の間に世界37国の235ヶ所にのぼると報告している。

    ■第三章「新自由主義による規制緩和への警鐘」

    第1節「水道インフラの特殊性」
      途上国、先進国の双方でこのように民営化がうまくいかないことについて、関教授は電気とは異なる水道インフラの特殊性を指摘している。すなわち「電気は一つの送電網を複数の電力会社が利用している。ところが水道管は水を流し過ぎると破裂する恐れがあり、必然的に一社が独占する形にならざるを得ない」従って料金やサービスに関する競争原理は働かず、民営化のメリットはないというのである。それでは国や自治体が運営権を持つ業者に対する監視を強化すればよいのではないかとの反論が出るが、関教授は英国の「失敗例」をもとに次のように説明する。すなわち水道民営化後の公共性を担保するために、英国では水質監視、料金監視、苦情受け付け、の三機関を設置したのであったが、運営業者は帳簿上の赤字を膨らませて収益はタックスヘイブン(租税回避地)に隠した。こうして水道管更新など設備投資を逃れたのであった。この結果水道料金は3倍になり、一方水道管の老朽化による漏水も増大したという。このような状態から考えると「利潤を追求するのは民間企業の論理であるから、独占による無競争ということは、企業は利益を膨らませるため帳簿を改竄し、役所はそれを見破ろうとして人手をかける。双方にコストがかかり、最終的なコストは納税者の負担となる。」これが民営化の当然の実態であるから最初から水道事業では儲けようとは考えない自治体こそが、事業の継続者であるべきではなかろうか。
    第2節「水道事業の安易な民営化は危険」
      ところが2013年4月安倍首相が議長を務める「産業競争力会議」で配布された資料には「上下水道のコンセッションに係る制度運用体制の構築」なる文言があり、これにタッチしたのは同会議の民間議員でかつ小泉内閣で経済財政担当であった悪名高い竹中平蔵氏で、彼はかねてから「国や地方などの公的部門がインフラの運営権を売却する」ことを提案している。世界の趨勢において水道事業の民営化には疑問符がつけられているにもかかわらず、麻生副首相は2013年4月19日「戦略国際問題研究所」で講演し、質疑応答で「水道事業はすべて民営化します」と大見えを切ったのであった。22日閉会の国会で水道法改正は幸い参議院を通過できず継続審議となったが、成立した改正PFI法(民間資金等の整備等の促進に関する法律)においては、水道事業にコンセッション方式を導入する自治体には、地方債の利息に関して特例措置を設けるなど「民営化後押し」の方向があからさまに打ち出されている。前出の関教授は安倍政権の一方的な規制緩和による新自由主義を批判し、国の財産や公営企業を安易に外国企業に渡すことに反対している。そして具体的に「フィリピンの森林はコンセッションで荒廃してしまいました。日本の水道にも同様の危険がせまっている」と警鐘を鳴らしている。
    第3節「我が国は公営水道を守り抜くべし」
      最後に関教授は水道事業の理想的なあり方について次のように述べている。「再公営化されたパリでは議員の他、環境NPO、消費者、水道局の労働者、水道に関係する業者などそれぞれの代表者が水道局理事会のメンバーとして運営に当たる仕組みが出来ており、料金も下がった。日本もこれまでのような「官営」ではなく社会的共通資本という意味の「公営」の水道を考えるべきであろう」よく考えるべき含蓄を含んだ言葉である。
      付言すると、我が国のように水道を含めて水に恵まれている国は、世界中で皆無といってよい。家庭の水道は勿論の事、ホテルや公営機関の水道水はそのまま飲むことが出来る。日本人はそれに余りにも安住しているのではないか。したがって現在の公営水道のシステムは、是が非でも守り抜かなければならないと強く思うのである。
      一方水に関する濾過装置や濾過の技術も日本は飛び抜けた存在であり、我が国はこれを世界中に広めていかなければならない。そうとなれば日本国内の水ビジネを解放しなければ、日本の得意技を世界に発展させることは出来ないと主張する識者たちがいる。しかしこの考えは全く間違っている。世界にはフランスのスエズ、ヴェオリア、英国のテムズ・ウォーターの水ビジネスを司る巨大な資本力を持つ三つの会社があり、彼等は虎視眈々と我が国の水に関するビジネスへの参入を狙っている。コンセッションにより仮に一つ水道事業を彼等に開放すれば、それを契機にあらゆる水関連ビジネスに彼等が参入してくることは目に見えている。

                                                                                                                          以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年7月30日 金言(第72号)
    『新エネルギー基本計画の最大問題点―プルトニウムの処理―』

    ■第一章「新エネルギー基本計画の概要」

    第1節「主力電源の構成内容」
      先般7月3日に新しいエネルギー基本計画が閣議決定された。
    これは、我々消費者や企業にとって不可欠なエネルギーの将来像を示すものであって、政策の基本となるものである。この基本計画では、原子力を引き続き活用していくことを方針として示す一方今迄位置付けが曖昧であった再生可能エネルギーを「主力電源」として初めて認め、その導入の促進を掲げている。エネルギーを取り巻く状勢は、2011年の東京電力福島第一原子力発電所の大事故以来、原子力政策についての国民の批判は大変厳しくなっている。今回の計画ではそういう世論を踏まえた上でなお、原発の再稼働を推進する図式をあらためて明確にしている。
      今回示された電源構成は
                        2010年(震災前)      2016年(前回発表・現状)      2030年
    火力                       64%                        83%                              56%
    原子力                    26%                          2%                            20〜22%
    再生エネルギー        10%                        15%                            22〜24%
    となっており、火力を削減し、再生エネルギーを増加させるという基本方針は貫いているが、原子力については20〜22%という現状に比して大きな数値を打ち出している。この数字を完遂しようとするならば、原子力発電所の新増設は避けて通ることの出来ない状況と考えるが、政府はこの点については一切触れていない。因みに現状では、稼働可能な原発は30基あるが、稼働しているのはわずか9基にすぎない。今後大きく伸ばしていくとしている再生エネルギーも、それを普及させていく道は、極めて険しいものがある。
    第2節「再生エネルギーの課題」
      この再生エネルギーに関しては、現在固定価格買い取り制度(FIT)のもと、消費者が月々の電力料金で「賦課金」を負担して、再生エネルギーの導入を支援しているのであるが、その実態を、はっきりと認識している国民は少ないのではないか。皆さんが毎月の電気料金の領収書をよく見てみると、2012年7月から「再エネ発電賦課金等」という項目がある。これは何かというと「再生可能エネルギーで発電された電気を電力会社が買い取るために消費者が負担する料金」である。何故このような負担が発生するかというと、再生可能エネルギーで発電された電気(太陽光、水力、バイオマス、地熱)は国が定めている割高な料金で、電力会社が一定の期間買い取ることを義務付けられているためで、電力会社はその負担を消費者に割り当て負担を求めているからである。その金額は、平成29年5月から平成30年4月まではkWh当り2.64円にもなっている。しかしながら、この再生エネルギーも普及させていくための道は厳しいものがある。先にも述べたように、そもそも再生エネルギーは、固定価格買い取り制度のもと、消費者の負担により成り立っているのであるが、そのコストは年々増加しており、このコストを如何に抑えながら再生エネルギーを増やしていくかが大きな課題である。さらに、再生エネルギーは天候や時間帯によって出力が変動するという宿命的な弱点がある。従って高性能な蓄電池などの新技術の開発が是が非でも必要となってくる。再生エネルギーの中では先ず太陽光が先行したが、風力が次の手段として有力である。しかし、狭い国土で風力の設備を増やしていくには当然限界があるので、これから考えていかねばならないのは洋上風力発電で、政府もそれを支援する方向にある。
    第3節「火力発電の課題」
      御承知のように2011年の大地震による津波のため、原発の稼働が相次いで停止したため、我が国では、現在火力発電への依存度が高まっている。一方海外からは温暖化ガスを多く排出する火力発電、特に石炭による発電には強い風当たりがある。今回の計画では、温暖化ガスの排出量を抑えた高稼働率のガス発電の導入を指向しているが、当然コストの問題もあり、すべての火力発電を、その方向に向かわせることは困難である。
    第4節「原子力発電の課題」
      そうとなれば、今回の基本計画では原子力発電を20〜22%に設定したのは、方向としては一応妥当性があると思う。したがって政府は、原発を温存していくために原発の新増設の是非に当然踏み込むべきであった。この焦点となるべき所に政府は触れなかった。将来も原発を活用する事をうたっている以上、次世代の原発の在り方をもっと積極的に議論すべきと考える。我が国のエネルギー自給率は、原発の稼働が減ったため、震災前の20%から8%にまで低下し、世界の中でも底辺に位置している。そういう意味で今回の計画は、将来のエネルギー供給を、如何に安定させるかを、明確に打ち出すべきところであったにも拘わらず、極めて抽象的な結果に終わっているのは誠に残念である。「原発で2割」と唱えるなら、はっきりとそれに至る道筋を示すべきであった。

    ■第二章「原子力発電の諸問題」

    第1節「プルトニウムの「保有量の削減」」
      しかし、原発の問題には、一方に立ちはだかる大問題がある。今回政府は、「エネルギー基本計画」の中で原子力発電所の使用済みの核燃料から出るプルトニウムについて「保有量の削減」に取り組むことを初めて明記した。我が国は核兵器非保有国の中で唯一国、使用済核燃料の処理を認められている。この核燃料サイクル政策の根拠となっているのが「日米原子力協定」であるが、この協定は、日本と米国の間で1988年に締結され、30年後に当たる今年が期限であったが7月17日に、お互いに破棄や再交渉について提起しなかったために自動延長となった。但し、米国は、日本に対して協定の延長に当たり我が国が現在保有しているプルトニウムの削減を強く求めてきたのであったが、日本では、今のところ消費のメドは、全く立っていない。延長された協定は日、米のいずれかが6ケ月前に通告すれば終了出来ることになっているため、仮に今後削減が進まない場合、日米間の摩擦の火種になりかねない。
    第2節「高速増殖炉計画の挫折」
      日本が掲げる核燃料サイクルとは、使用済み核燃料からプルトニウムやウランを取り出して再処理し、再び原発の燃料として使用することを内容としている。もう少し詳しく書くとこのサイクルは次の通りとなる。すなわち原子炉の中に核分裂を起こすウラン235と、核分裂しないウラン238を入れて運転すると、ウランの燃えかすとプルトニウムに変化する。プルトニウムは、実は自然界には存在しない人工の放射性元素で、この元素は核分裂を起こすため、原子力発電の燃料となる一方核兵器の原料となる。従ってこれを取り出して再利用に供すればウランを半永久的に有効利用できる。プルトニウムは、まさに資源の少ない我が国にとって、貴重なエネルギー源といえる。プルトニウムは核分裂を起こすので、核分裂を起こさないウラン238を一緒に原子炉に入れると、プルトニウムから飛び出した中性子がウラン238に吸収されて、ウラン238がプルトニウムに変身する。この仕組みを利用したのが高速増殖炉で、ここでは燃料として投入したプルトニウムより多いプルトニウムが出現する。したがって資源的価値が極めて高く、高速増殖炉にかけられた期待は大きかった。しかし、期待の高速増殖炉「もんじゅ」は冷却材に取り扱いの極めて難しいナトリウムを使用するため、何回も事故を起こし、この計画は「もんじゅ」の廃炉が決定し、あえなく挫折した。
    第3節「中止している使用済核燃料の再処理」
      現在使用済核燃料の処理については全くメドが立っていない。日本は、非核三原則を従来からとっており、国際社会に誤解を与えないよう余剰プルトニウムを保有しないことにしており、使用済核燃料の処理についてはイギリス、フランスに船で輸送して処理を委託して、プルトニウムを取り出してもらっていたが、1995年から契約が変更となり、日本で使用済み核燃料の再処理を行うことになった。国内では東海村の再処理工場で分別を行っていたが、1997年に爆発事故が起こり分別作業は中止のままとなっている。

    ■第三章「プルトニウムの利用促進」

    第1節「プルサーマル計画」
      さて、話は前後するがプルトニウムを利用する方法としては、前述の高速増殖炉を使う方法と、現在存在している原子力発電所を使う方法がある。高速増殖炉は、プルトニウムを消化するためには効率が高いが、前述のとおり「もんじゅ」の廃炉決定により実用化のメドは全くといってよい程立っていない。従ってプルトニウムの処理については、今ある原子力発電所の設備をそのまま使用するのが現実的な方法であり、この方法を「プルサーマル」といっている。具体的には、原子力発電所で一度使用した使用済核燃料を再処理して取り出したプルトニウムにてウランと混合し、MOX(モックス)燃料としてすでにある原子力発電所(軽水炉)で使用する。MOX燃料は、外国で製造してもらい日本に運び込む。普通の原子力発電所では、燃料にウランを使用するが、プルサーマルは、プルトニウムも使用する計画である。しかし、このプルサーマルを中止した国も多い。何故ならプルトニウムは毒性が強く扱いにくいこともあるが、プルトニウムは、そもそも核兵器の材料であるため「核兵器をつくる」のではと疑われるからである。MOX燃料はプルトニウが4~9%、ウラン238が91~96%であるが、海外では、高速増殖炉への取り組みはほとんどなく、プルサーマルが主流である。しかしプルサーマルの場合プルトニウムの割合が低くなってしまう。たしかに「日米原子力協定」は石油などの天然資源に乏しい我が国が使用済核燃料を再利用出来れば、準国産のエネルギーを確保する事が出来るとして、米国側に熱望して生まれたものである。先にも述べたように再処理が出来るのは非核保有国では日本だけである。日本に対抗意識を燃やす韓国では、米国に対して日本と同様に再処理する権限をしきりに求めているが、実現していない。
    第2節「大幅に増加したプルトニウム在庫」
      しかし、東日本大震災による東京電力福島原子力発電所の大事故で状況は一変した。それまで20~30%の発電比率を占めていた国内の原発が一斉に止まり、英仏に再処理を委託して生まれたプルトニウムを燃料として消費することが出来なくなり、在庫は大幅に増加した。そのプルトニウムの量は、約47トンにもなっており、これは原発6千発分にも相当する。日米協定の主旨からして利用目的のないプルトニウムを保有することは、本筋から大きくはずれている。我が国としてはこの協定の主旨に沿い、プルトニウムの減少に前向きに取り組むべきではあるが、何分高速増殖炉はご破算となり、これに代わり減少を図っていくための手段であるプルサーマルも、削減効果という点で極めて弱体としかいいようがない。例えば120万キロワット級の大型原発でも、1基が1年間に消費する量は0.4トンにすぎない。原子力委員会の発表によると、2016年に関西電力高浜原発3,4号機においての実績では約1トン弱しか消費出来なかった。今後、現在稼働の原発は9基であるが、これが計画通り16~18基の稼働にこぎつけても約47トンのプルトニウムを減少させることは至難の業である。新聞にも報道されたことがあるが、大震災以前に着工されプルサーマル発電を前提にした青森県の大間発電所は、対岸の函館市から横やりが入り、建設は遅々として進んでいない。仮にこの大間発電所が動いたとしても年間の消費量は1.1トンにしかならない。更に悲観的材料としては、日本原燃が青森県において完成を目指す使用済核燃料再処理施設が稼働すれば、使用済核燃料から抽出されるプルトニウムが増加してしまう。政府は、再処理する量をプルサーマルの実施に必要なだけに限定する方針と聞くが、はたして目論見通りにいくであろうか。
    第3節「プルトニウム削減は喫緊の課題」
      私もこの論を草する迄存じなかったのであるが、日本が保有する約47トンのプルトニウムの内、約37トンは使用済核燃料の再処理を委託している英国とフランスにある。アメリカはこの国外在庫も問題視しており、日本政府内では英仏に譲渡する案も浮上しているようであるが、今後の交渉による事になる。以上述べたようにプルトニウムの問題解決は、我が国が避けて通る事の出来ない喫緊の問題である。しかし、現実は頼みの「もんじゅ」は挫折し、プルサーマルの対象となる原発の新設、再稼働は遅々として進まず、大幅にプルトニウムを減らす切り札がない事を政府も認めている。政府は、此度のエネルギー基本計画においてもプルトニウムの削減を盛り込み「国際社会に対して丁寧な説明をしていく」と述べているが、削減の実効性が伴わなければ米国が協定の見直しを迫ってきた場合、我々はプルトニウムの再利用を柱とした、日本の核燃料サイクルの根本的な見直しまで迫られてくるのではないかという危惧を持つものである。
      当面我が国として対処すべきは、いろいろと反対論が多いのであるが原子力規制委員会のお墨付きの出た原発を出来るだけ早期に稼働させることではないか。小泉元首相や細川元首相が原発廃止論を頻りに打ち出しているが、私はこのような観念論に基づく考え方は国の存在を誤るものと考えている。
                                                                                                                                   以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年6月30日 金言(第71号)
    『日本版司法取引』

    ■第一章「刑事訴訟法の改正」

    第1節「法改正の目的」
      去る5月24日に可決成立した刑事訴訟法等の一部を改正する法律、すなわち改正刑事訴訟法が6月1日から施行された。今回の改正が主眼としているのは、企業犯罪の摘発を目的とする日本版「司法取引」の規定が新たに設けられたことである。この制度は、容疑者や被告が他人の犯罪を明らかにすることにより、検察官が起訴を見送ったり求刑を軽くしたり出来る制度である。一方この「司法取引」の新設と並んで取調べの録音、録画の導入による可視化が取り入れられた。
      今回は「司法取引」について触れていく事が目的であるが、この可視化という事も極めて重要な事項である。従来から云われているのであるが、我が国の刑事手続は、検察、警察による過酷な取り調べによる自白を重視する点に問題があると云われてきたのは御承知のとおりであり、それにより多くの冤罪事件が発生したことも事実である。可視化を進めることによって違法な自白強要が有ったかどうかが一目瞭然になると云われており、これにより適正にして公正な刑事手続きを確保する一方、これまで立件や立証が困難であった汚職、詐欺、横領や独禁法違反等の企業犯罪の捜査の効率化を図るため、先に述べた司法取引の規定が新設され、さらに組織的な窃盗、詐欺やその他児童ポルノ事件などの摘発を目的とした、通信傍受の拡充もなされることになった。
    第2節「法改正の概要」
      もう少し詳しく概要を述べると、
  • 1.取調の可視化
        裁判員裁判の対象となる重大な事件において警察及び検察は逮捕、拘留されている被疑者の取調べを行う時は
      、その全過程を録音、録画することが義務付けられた。更に公判の段階で被告人の供述の任意性が争点になった
      場合には、取調べを録音、録画した記録媒体の証拠調べを請求しなければならない事になった。従来は、任意性
      が争われた場合には通常取調べを行った捜査官の証人尋問が行われていたが可視化により、より明確な立証が可
      能となったのである。
  • 2.司法取引(合意制度)の導入
        一定の薬物銃器犯罪あるいは経済犯罪を条件に検察官が被疑者、被告人と取引きすることが可能となった。被
      疑者及び被告人が他人の犯罪事実を明らかにするために供述や証言等をする代わりに、検察官が不起訴や求刑の
      軽減等の合意を行うことが出来る。これは裁判所で自己に不利益な証言を行う代わりに裁判所の決定で免責する
      ことが可能となる。
  • 3.通信傍受の拡大
        法改正以前は、薬物、銃器犯罪に限定されていた通信傍受の対象事件に、殺人、誘拐、詐欺、窃盗、児童ポル
      ノ事件が追加された。但し、これはあらかじめ役割の分担が決まっていて、これに基づき行動する人の結合体に
      よりことが行われると疑うに足る状況を要件として通信の傍受を行うことができると規定されている。まわりく
      どい云い方であるが、これは要するに昨今増加の一途をたどっている振り込め詐欺等を念頭においている。
  • 4.司法取引(合意制度)
        さて、今回の改正の目玉は何といっても司法取引(合意制度)にある。これをもう少し詳しく見てみると、改
      正刑事訴訟法350条の2項によると、@特定の財政経済犯罪及び薬物銃器犯罪において、A被疑者、被告人が共
      犯者等「他人の刑事事件」に関してB取調べの供述、公判等で証言、証拠の提出等を行いC検察官がその行動の
      見返りに被告人、被疑者に対して不起訴、公訴取消、特定の訴因、罪状の加減、略式即決手続きに対する等の合
      意をすることが出来ることになった。この合意をするに当っては、この合意をするに当ってそれにより得られる
      情報、証拠の重要性、犯罪への関連性あるいは犯罪の重要性等を考慮して必要性を判断することになる。また、
      この合意をするためには、かならず弁護人の同意が必要となった。(350条3,1項)そして対象となる特定の犯
      罪とは、汚職や横領等の刑法犯(350条の2,2項1号)組織犯罪処罪法違反(同2号)に加え租税法、独占禁止
      法(独禁法)、金融商品取引法(金商法)が挙げられている。

  • ■第二章「司法取引制度の特長」

    第1節「アメリカの司法取引制度との違い」
      この「司法取引」制度が、アメリカの「司法取引制度」すなわち端的に云うならば自分の犯罪を認める代わりに刑を軽くしてもらうのとどう異なっているかについては@特定の犯罪に限定していることA他人の刑事事件と関連性があること(他人の犯罪を明らかにすること)B協議合意の過程に弁護人の立会いが義務付けられていることである。
      一方企業犯罪や組織犯罪においては、首謀者や背後にある関係者の関与状況を含め、事実の解明を図る必要がある。そのためには末端の実行者など組織の内部から供述を得る必要がある。司法取引とはこれを可能にするものなのである。従ってこの取引として想定されるのは、企業犯罪や組織犯罪において末端の犯罪の減免を約束し、組織上層部の犯罪について証言を求めるケースが多いと思われる。
    第2節「個人責任より社会正義を優先」
      しかしながら「司法取引」制度は特定犯罪に関する他人の刑事事件について検察官による証拠収集に被疑者、被告人が協力した場合、その見返りとして刑事責任の減免を受けることである。検察官に他人の刑事事件を供述して自己の刑事責任を減免してもらうという主旨については、従来から日本人が有している道徳観とは相容れないものがあるのではないか。云い換えるならば一般国民の正義感とは相反する点があると思う。これは、言葉は悪いが小物に対して餌を与えることにより、大物を釣り上げようとするものではないか。しかし、このような事が許される背景は、あくまで個人の責任よりも悪を懲らしめるという社会責任が優先するという考え方によるものであろう。
    第3節「独禁法のリーニエンシー制度」
      読者の皆さんには独禁法の談合事件でいち早く公取委員会にその事実を通報した者は、免責されるという制度が導入されている事をご存知と思う。これは企業が公正取引委員会に談合などの不正を申告すると課徴金の減免が受けられる「リーニエンシー制度」というもので、これについては法務担当者の間である程度定着している。このリーニエンシー制度は企業側がルール通りに手続きをすれば公取委員会が成立を認めている。この事は独禁法違反などの企業犯罪は捜査、立証が困難で内部の精通者による協力が重要だということであろう。最近の独禁法に関連する事件の最たるものは、JR東海によるリニア中央新幹線の関連工事を巡る不正受注事件である。この事件は東京地検の特捜部によりスーパーゼネコン4社が摘発されたもので、特捜部は、公取委員会と共同で総工費9兆円に昇るプロジェクト全体を検証すると伝えられている。この事件は大手ゼネコン4社即ち大林組、大成建設、鹿島、清水建設が、JR東海が発注した工事22件の内15件をほぼ均等に受注したもので、更に、その他7件においても受注調整が明らかになっている。本件に関しては4社の内大林組が公取委に対して共謀を認めたと報じられた。公取委の課徴金制度では違反を自己申告すれば金額が減免されることになっている。余談ではあるが、世界で初めてのリニア工事は未だにどこの建設会社も経験した事のない工事の上、山岳地帯を走るトンネル掘削を含む難工事であり、この工事を円滑に行える業者はスーパーゼネコンに限定されるから、このように法に厳格にの
    っとり事を進めた場合工事が出来なくなるのではないかと心配する向きがあるのも事実である。

    ■第三章「司法取引制度導入のポイント」

    第1節「内部関係者の捜査協力が重要」
      さて、前に戻って今回の司法取引制度の導入は、まさに先に述べたように捜査、立証が困難なため内部の関係者による協力が重要であるという観点に立つものである。この制度は自己の犯罪事実ではなく、「他人の刑事事件」に関して捜査協力を行う事がポイントで、企業犯罪にとって「他人」には他社の他に自社の取締役等の役員や従業員等が含まれる。談合事件の場合は競合他社によって抜け駆けされる危険を考えておけばよいのであるが、司法取引においては役員の一部や従業員によって捜査機関にリークされるという事実が発生する事が予想される。もし、これらの企業犯罪に疑いがかけられた場合、これまでも企業は一体となって対応する検討を行ってきたが、この制度の導入によりさらに企業内部での対応が重要になってくるのではないか。すなわち企業としての対応が定まらないうちに一部の従業員からリークされ捜査が入るという事態をも想定して対応する必要が生じてくるからである。しかし、一方で独禁法の通報制度が拡充されたと見て会社と捜査に協力して免責を得るということも出来るようになる。
    第2節「司法取引の対象となる犯罪」
      さて、先にも若干触れたが今回の「司法取引」の対象となる犯罪は、刑法と組織犯罪処罰法が規定している一部の犯罪の他、脱税や談合などの「財政経済犯罪」である。新聞報道によると贈収賄事件で起訴された人員は2006年には220人いたが、2016年には61人と、大幅に減少しており、密室で巧妙に行われている犯行の摘発が難しい。今回の法改正が摘発の大きな武器になることが期待されている。
    第3節「司法取引制度の懸念事項」
      一方、制度において懸念されているのが「無実の人の巻き込み」で、これを回避するため先にも述べたように弁護士が協議に立ち会って取引(合意)に同意すること、虚偽の供述や偽造証拠の提出には5年以下の懲役といった防止策も同意されている。しかしながら、取引を合意した内容は公判で明らかにされ、裁判官によっても吟味されるし、又捜査機関も当然客観的な証拠で裏付けした上慎重に協議するであろうが、それでもなお「巻き込みの危険性」は残るのではないかと心配する向きもある。もう一つ、この制度は捜査機関にとってはたしかに新しい武器にはなるが、反対にこれはもろ刃の剣ではないか。取引が常に行われるようになると、取り調べで「取引を約束してくれないと何も供述しない」との姿勢で臨んでくる容疑者や被告が増える可能性すらある。このような状勢から検察幹部も基本はあくまで従来の捜査であり、新しい制度をひんぱんに使うことについては慎重に臨む模様である。 最後に一つ触れておきたいのは、本件に関し法改正施行以前にはマスコミもよく取り上げて批判していたにも拘わらずこの一か月全くこの問題を取り上げなくなったのには私としては多いに不満とするところである。
                                                                                                                                   以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年5月29日 金言(第70号)
    『放送法の改正に物申す』

    ■はじめに

      最近あまり見かけなくなったが、4月16日に政府の規制改革推進会議(議長・大田弘子政策研究大学院大学教授)は、放送制度のあり方について、初めて具体的な検討課題を示した。実は、今年に入ってから番組の「政治的公平」等を定めた放送法第4条の撤廃が水面下で検討されてきたが、具体的に明示されることはなかった。しかし、このところ政権では不祥事が続出して逆風に晒される中、表立っての議論を差し控えざるを得なかったのであるが、推進会議は6月3日を目途に最終答申を取りまとめる予定である。被害を被ると考えている民間放送では、警戒の念を強めているところである。

    ■第一章「放送法の見直し」

    第1節「放送法第4条の撤廃」
      そもそも3月の末頃から安倍首相の肝入りで放送法の規制改革の議論が本格化したのであったが、その前から1月の首相の施政方針演説や、政府の「未来投資会議」で立て続けに政府は、放送法の大胆な見直しを宣言していた。しかし、この時点ではまだ目指す方向が具体的に現れてはいなかった。しかし、3月に入って首相が日本テレビの社長と会見したこの席上、首相は放送法第4条の撤廃を示唆した模様である。
    第2節「放送法第4条の内容」
      ここで、放送法第4条とは何かを振り返っておきたい。一般にはなじみが薄いが、そもそも放送法第4条は、次の通りとなっている。すなわち放送事業者は、国内放送及び国外放送(以下「国内放送等」という)の放送番組の編集に当たっては、次の各号に定めるところによらなければならないとなっている。
  • 1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
  • 2.政治的に公平であること。
  • 3.報道は事実を曲げないですること。
  • 4.意見が対立している問題については出来るだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
  • 第3節「放送法第4条を巡る争い」
      実はこの法律が法的規範(法律上の義務を生じるルール)なのか、そうではなく、倫理規定(単なる道徳上の努力義務しか生じないルール)なのかについては長年にわたって争いになっている。従来から為政者の側は、前者だと云っており、放送や憲法学会の通説は後者だと主張している。何故法的規範か倫理規定かが問題視されるのかと云えば総理大臣が、放送局に電波法の電波停止や放送法の業務停止を命じることができるのは放送会社が「法律違反」した場合であるとの規定があり、もし放送法第4条の規定が倫理規定なら放送会社に法的な義務を負わせるものではないので、法的な義務違反は生じない。しかしながらこの放送法第4条は政府の側からは法的義務を負うものとして、政治が放送に介入する口実になってきたのは事実である。

    ■第二章「放送制度改革の概要」

    第1節「政府の目論見」
      従って、第4条を撤廃して「政治的に公平であること」がなくなれば、放送業界においては「政治からの介入」から解放されるから、この改正を放送業界は受け入れると考えたふしがある。そのような事を踏まえて、安倍首相をはじめとする政府が乗り出したのが、放送制度改革である。今年2月「国民の共有財産」である電波を有効利用するため、「周波数の割り当て方法や、放送事業のあり方の大胆な見直しが必要」と強調し、その後に改革に向けた協議が本格化したのであった。これは端的に云うならば放送と通信の垣根を取りはずすことである。
    第2節「制度改革への反応」
      これに対して民放各社は、「民放事業者が不要だと云っているに等しく容認できない。強く反対したい。」などと反発を強めていた。放送の所管者である野田総務相も「放送法第4条がなくなれば、公序良俗を害するような番組や、事実に基づかない報道が増加する可能性がある」と述べており、政府内にも慎重な声がある。前述の規制改革推進委員会は、改革案を取りまとめ、6月にも安倍首相に答申することになっている。早ければ今秋の臨時国会に法案を提出して、2020年以降に施行する方針と聞いている。

    ■第三章「改革案の問題点」

    第1節「損なわれる放送の信頼性」
      一応建前はこのような道筋になっているが、実際に政府が検討する改革案の内容は、先ず放送番組の「政治的公平」などを定める放送法を撤廃してテレビやラジオなどの放送事業と、インターネットなどの通信事業で異なっている規制を一本化する。これは放送分野への新規参入を促進することを目的とするものであるが、政治的に偏った番組が放送されることが懸念される。放送法第4条は先に述べたように放送業者に番組作りの原則として・政治的公平・公序良俗・正確な報道・多角的な論点の提示、の4項目を求めているが、改革案はこれに加えて娯楽や教養など番組内容のバランスを保つ「番組調和原則」、放送会社への外資の出資比率を制限する「外資規制」などの規制を撤廃するとうたっている。この結果、放送事業に通信事業者と同様に番組内容に関する基準が無くなることになる。さらに報道番組の制作などのソフト事業と、放送設備の管理などのハード事業の分離を徹底する。一方NHKについては規制を維持して、公共報道の役割をはたす事を重視して、民放とはっきりと区別する。又、NHKには番組のネット常時同時配信を認める。しかし、通信(インターネット)と放送の融合は世界的な流れかもしれないが、規制のレベルを自由にするということが、放送の信頼性を損ねると思うのであるがどうであろうか。私が考えるに、首相の考えは現在の放送はNHKを含めて余りにも偏向しており、それに制限を加える意図があると思われる。また、現在の放送法4条は、誰が何と云おうと倫理規定ではなく法的規範である。従って放送法4条に定められている規定は、放送業者は必ず守るべきものと考える。
    第2節「ないがしろにされる放送の公共性」
      それでは規制推進会議がどのような議論をしているかであるが、要するにインターネット動画配信サービスが急速に普及して、若者を中心に急速に「テレビ離れ」が進む中、通信と放送を巡る環境が激変している事に鑑み、首相周辺が考えている原案では、ネットと放送の規制を一本化して新規参入を促すことが狙いとされている。首相の本音は、民放を対象に4条以外の放送特有の法規制を全廃して上述のようにネットと放送の規制を一本化することにあり、もしその通りになるならば、「NHKを除く放送は基本的に不要になる」としていたため、民放側は強く反発しているのである。このような改革案については与党を含めて種々の反対論がある。民間放送は、当然「産業振興の一面だけで放送のあり方を議論して国民の知る権利に応える公共的な役割をないがしろにするこのような政策は、国民、視聴者の利益にならない」と猛反対している。「仮に4条が撤廃されネット業者が参入した場合、極端な番組やフェイク(偽)ニュースの横行のおそれがある。」「一定の倫理規範がある放送では表に出なかったが、公共性のない言説が、巷にあふれる危険性がある」などの主張が述べられている。仮に4条が、放送局が自主的に守るべき倫理規定だったとしても(私はそうは思わないが)「番組の一定の質を保つ土台」になってきたと、民放幹部は述べている。一方放送と通信が融合する時代に合わせた規制改革は、放送業界にビジネスチャンスをもたらすとの考えもある。しかし、公共性が問われる放送、通信やネットと同様のビジネス基盤で捉えることには疑問の声が強い。現実問題として、米国では、かつて放送局に対して、賛否両論がある問題の報道については双方を公平に扱うことを求めたフェアネスドクトリン(公平原則)が存在したが、1987年に撤廃されたのである。その結果、その後いろいろな弊害が生じており、最近ではトランプ大統領の応援団的放送局まで現れる始末で、反省の機運がある事も事実である。
    第3節「危惧される公平性や安全保障上の問題」
      さて、放送制度の改革をめぐっては先にもふれたが政府内では放送法4条の撤廃のほか、放送局への外資出資規制や、番組を制作するソフト部門と放送設備を管理するハード部門の分離を徹底する案が検討されていた。これについても「公平性を欠いたり、公序良俗を害する番組の増加」を懸念する識者の声が大きい。これらの事を云いかえると「公平性」を有している現在の放送局は不要と官邸は思っているのではないか。すなわち社会的責任に基づいた報道が喪失することにつながる。首相には政治が放送局に干渉力を強めてメディアのコントロールをターゲットにしているといわれても仕方があるまい。このほか電波の利用権を競争入札にかける「電波オークション」の導入も検討されている模様である。政権に「恭順」の姿勢を示す事業者にのみ電波を差し上げましょうとの考えが見え見えではないか。これは一見自由競争のように見えるが、オークションへの参加者は政府が恣意的に決められるから、政府の意に沿う業者のみが選ばれるからである。放送設備を管理するハード事業者と番組を制作するソフト事業者の分離の徹底も、多大な経費がかかる放送設備を持たないネット事業者などが、制作に参入しやすくするのが目的である。しかし現状のテレビ局のようなハードとソフトの一体化した事業者でないと緊急時の連携に混乱が生じ「速報ができずに被害者の避難や生命に危険が及ぶ」との強い反対論がある。又、前に戻るが放送局への外資規制の廃止が盛り込まれているのは大問題である。放送法の規定では海外資本による国内の報道機関の支配を防ぐため、外資の出資比率を20%未満に制限しているが、当然政府、自民党内からも、もし規制を撤廃すれば中国企業などからの出資が増え、安全保障上の問題に発展するとの危惧の念が出ている。首相の考える改革案はNHKだけに現行制度を維持し、番組のネット常時同時配信も認める考えであり、民放からは「国会での予算承認など政権が影響力を行使しやすいNHKは保護する一方、民放を事実上解体する案である」と非難が高まっている。
    第4節「民放の更なる弱体化を招く危険」
      もう一つ政権の改革の背景にあるのは、世界規模で進む通信と放送の融合という大きな流れと、日本のコンテンツ産業に対する危機感であると思う。お聞き及びと思うが、アメリカにおいてはネットフリックスなどの動画がどんどん成長する中で、日本の放送局での伸びはわずかである。それだけに今後我が国の放送コンテンツ産業は成長余地が大きく、日本の強みとして海外にも売り込みたいとの政府の意気込みが感じられる。そのためハードとコンテンツ制作のソフトの分離を強化して、コンテンツの競争原理を導入して、その強化を図る事が政府の意図なのであろう。さて、現在のラジオ、テレビについて読者はどう考えているか。なるほどNHKには左傾化した番組も多く最近は少しましになったが、朝日新聞をしのぐ問題番組がある。しかし、そうは云っても番組の根幹は、問題はあるがしっかりとしている。それに引き替え民放はどうであろうか。私事ながら民放で見る番組は私にとって野球放送などスポーツ番組と、一部の放送以外見るべきものはない。毎日放送されるバラエティー番組の程度の低さには辟易するところである。そんなところに放送法第4条が撤廃されるとどうなるか、「通信と放送の融合」のキャッチフレーズのもとに、民放は驚くような陳腐、醜悪なものとなるであろう。放送法第3条は放送内容に対する外部からの介入を禁じているのであるが、放送法の規制レベルに合わせた時どうなるか、ネットに合わせて規制を比較的自由にした場合、権力が放送内容に対して介入してくる危険があるのではないか。

    ■おわりに

      今回安倍首相は放送法の改正にいささか前のめりになり過ぎていると思うのは私だけではあるまい。複数の識者の間では今回の改革方針は、憲法改正をテレビに邪魔されないためで、安倍首相の牽制ではないかとの観測も出ている。アメリカにおける失敗例もあるのであるから、この問題についてはもう少し慎重に進めてほしいと強く望むものである。6月に出てくる規制改革推進会議がどのような案を出してくるかが大いに注目させるところである。
                                                                                                                                   以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年4月27日 金言(第69号)
    『国家にとって何が一番大切なのか』

    ■はじめに

      最近の国会の姿について私は大変残念に思っている。何故なら国会は国権の最高機関であり、国民にとって現在一番大切な事を論議する場所にもかかわらず、昨年来からの森友学園の問題に始まり同問題に関する財務省の公文書改ざん、値引きの正当性、さらに学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画に関する「首相案件」の疑惑、そして存在を否定していたイラク派遣部隊の日報が発見された事など、これらを材料に野党は重要法案の審議を放り出して、予算委員会はただただ安倍首相の責任追及にうつつを抜かしている。一方朝日新聞をはじめとするマスコミはこれを材料に倒閣運動の片棒をかついでいるのはどう見ても異常としか思えない。私が思うにこれらの行動は全く民主主義のはき違えとしか思えない。

    ■第一章「毎日新聞コラム「風知草」の紹介」

    第1節「正念場の日本外交」
      さて、毎日新聞に月数回、山田孝男氏の「風知草」というコラムがあって、私は毎号楽しみにしている。この欄は左傾の朝日新聞に追随する毎日新聞の論調にしては可成りまともなものである。その4月2日の号で概略次のように述べているので紹介の上、論評を加えたい。
      いわく「麻生財務大臣がTPPの問題より森友の方が重大だと考える日本の新聞のレベルを批判しているが、この考えは国際関係が激しく揺れ動く中、その中にあって特異な意見だとは思わない。ただその言い方が軽口なら不信感を広げ、世論の分裂が対外交渉力をそぐ。そこに気がついていない鈍感さに危惧の念を持つ。森友疑惑が再燃した今日、世界の状勢を見るならば、まさに国際鳴動の春である。日本中が注目した国会喚問の陰で、中朝が電撃的に首脳会談に進み、また韓国と北朝鮮の会談も近々行われる。さらにアメリカと北朝鮮との直接会談も実現の運びとなった。御承知のように韓国は中朝に寄り、米国の孤立化と不安定化は進む。我が国を取り巻く諸国はロシアを含めて核保有国ばかりである。北朝鮮は表向き「非核化」を言うが、実は核を手離さない三枚舌であることは周知の通りである。東アジアには「冷戦後」の常識を超える歴史の大波が押し寄せている事は間違いない。その意味で今は日本外交にとって正念場であり森友どころではないという声が出ても決しておかしくない。
    第2節「国内世論を巻き込んだ外交が重要」
      しかし、その反面外交は国内世論と懸け離れては成り立つものではない。外交論の権威モーゲンソーは、「純粋な国内問題はもはや存在していない」とすでに半世紀前に断じている。まして今日の情報化、グローバル化時代においては、同じくモーゲンソーの「他国にわかりやすい、ある国の国内の失敗はその国の力を減少させる」が、現在の日本に当てはまる。独裁国家なら暴力や脅迫により政権批判をつぶすが、民主主義の日本政府は対話と説得により批判に向き合わなければならない。
    第3節「森友疑惑は「官僚のゴマスリと国会軽視」」
      森友疑惑は昨年来、国有地の賃貸・売却に関し、不正、情実があったかが問われ続けたが、なお未解明なものがあるものの、国会論戦や報道を通じてどうやら政治家や役人にワイロが渡ったわけでないようだという心証が形成された。その結果昨年秋の総選挙で自民党が大勝した背景の一端だと考えられる。然し、疑惑が再燃した今度の論点は公文書の改ざんである。議論を通じて見えてきたものは、官邸主導体制に巣くう官僚のゴマスリと国会軽視であった。国会は国民の代表の集まりである。首相は国会が決める。その首相が内閣を組織する。その内閣を支える官僚が国会を欺いた。憲法に忠実であるべき官僚が何故国民主権を軽んじたのか?そこが先般行われた国会証人喚問の焦点だった。財務省理財局長だった証人は訴追の恐れを盾に核心の証言を避けたが、状況から推測しえるシナリオは、
  • @証人が改ざんを指示
  • A部下が証人の意図を忖度して改ざんし、証人が追認した
  • とする見方である。
      「首相官邸」の要請で改ざんした可能性もゼロではないが、そこは証人が偽証罪に問われるリスクを承知して否定している。検察が捜査中であるが改ざんによる具体的な被害の立証は難しく、訴追は微妙とささやかれている
    。それでも捜査資料などにより真相は見えてくるであろう。野党は首相夫人の証人喚問を求め、与党は拒否して攻防はゲーム化し、国会論戦は不毛極まる。首相の側から首相夫人の説明機会を工夫することを改めて提案する
    。たかが森友ではない。

    ■第二章「「風知草」に対する論評」

    第1節「内閣人事局が誕生した背景」
      以上が「風知草」の内容であるが、筆者の結論は上に書いたように「たかが森友ではない」である。そうであろうか?たしかに次から次へと出てくる、無いと云われていた公文書の出現や、官僚の隠蔽や忖度は目に余るものであるが、何故官僚がこのような状態におちいったのかに言及すると、これは2014年に誕生した内閣人事局に源がある。従来各省の事務次官を頂点とする一般職国家公務員(いわゆる事務方)の人事については事務方の独立性と非政治性に配慮して政治家が介入する事は控えられてきた。しかし各省の人事が全て事務方に牛耳られては政治家は官僚の言いなりになってしまい、又縦割り行政の弊害も大きくなってしまうので、各省の幹部人事については、内閣総理大臣を中心とする内閣が一括して行い、政治主導による行政運営を目指す構想がはかられ、
  • @幹部職員人事の一元管理
  • A全政府的観点に立った国家公務員人事の推進
  • B行政機関の機構や定員管理
  • などを目的に内閣人事局が生まれたのであった。
    第2節「内閣人事局の弊害」
      人事局は幹部600名の人事を決める。しかしながら一つの考え方としては妥当なものであったかもしれないが、このように内閣の人事に及ぼす影響が強くなると、どうしても官僚の目は必要以上に内閣に向くことになってしまう。このような弊害の発生について予想されていたところであるが、今回の文書の改ざん、忖度はこれが如実に現れたものと云える。たしかにこの財務省の改ざんに加えて存在しないはずのイラク派遣陸上自衛隊日報の出現、厚生労働省の「是正勧告」発言など官僚組織のゆるみは目に余るものである。
    第3節「野党とマスコミの偏向した世論形成を危惧」
      従ってこれらの真相究明には十分に力をつくすべき事はいうまでもない。森友の問題については大体次のように論じられている。「財務省の中で森友学園に対する国有地払い下げ問題に関する決裁文書が書き換えられた。財務官僚と云えばエリート中のエリートであり、そのような集団に属する人達が事を運ぶには慎重にも慎重を期する筈である。とすればここに強力な政治的な圧力がかかったのではないか。それだけの権力を持つものは官邸か財務大臣しかいない。それにもかかわらず前理財局長の佐川宣寿一人に責任を負わせ幕引きをはかろうとしている」といったところが野党の主張であり、こういった筋書きによりテレビのワイドショーや報道番組を含めたメディアの大半が動いている。一般大衆は頭からこれを信じ込んで、世論はその方向に誘導されつつある。しかし現在確かなことは、財務省の内部文書に改ざんを加えたことだけが明白な事実であり、佐川前理財局長ははっきりと官邸の関与を否定しており、現在検察がこの森友問題を捜査している。新聞の情報によると何も出てきていない模様である。しかし官邸が森友学園に関与したり文書の書き換えを指示したりという有力な証拠が出るならば、当然徹底的追及がなされるべきであろう。現時点でははっきりとした証拠が明らかになっていないにもかかわらず、野党は財務省も官邸も「真相」をひた隠しにしていると主張しており、多くのメディアが同調して間違ったとは云わないが、偏向された世論が形成されているのではないかと危惧するものである。然しここが怖いところで、連日テレビに映し出される予算委員会の審議や、新聞その他マスコミにより安倍内閣は間違っているというイメージが形成され、一気に内閣の支持率低下という現実が突きつけられている。

    ■第三章「国会は国家の諸問題を大いに議論すべし」

    第1節「我々を取り巻く状況はまさに国難」
      我々が残念に思うのは、そうだからと云って内外に存在する我が国の諸問題についてほったらかしにして国会の予算委員会において連日この問題にうつつをぬかすのはいい加減にしてほしい。我々を取り巻く状況はまさに国難と云ってよいと思う。中国は北朝鮮とよりを戻したが、先にもふれたように東アジアの我々に関係の深い中国、北朝鮮、ロシアはいずれも核保有国である。それに対する備えは余りにもおそまつなのではないか。核攻撃に対する我が国の備えは全てアメリカ軍頼みであり、仮に核攻撃があった場合、どのように対処するのか、例えば大都市を中心にしての防護シェルターや避難訓練など全くゼロと云ってよい。またシリアで見られた北朝鮮がかんでいると云われる化学兵器対策などが論じられた事は皆無であろう。トランプ大統領は中国をはじめとする諸国に鉄、アルミに対し輸入制限に出た。更に中国に対しては知的財産保護のための関税賦課を強化することを実行しようとしている。アメリカは本来11月の議会選挙を意識して、これの関税強化策を打ち出しているのであるがすでにTPPを離脱している。米国は日本との間の二国間交渉を内々にサウンドしてきており、このように我が国が直面する現実は誠に厳しいものがある。
    第2節「国難に対案を出せない野党」
      安倍首相のとってきたアベノミクスを中心とする諸施策についてはいろいろと問題もある。しかし安倍首相はこれらの難問にまがりなりにも手を打ってきており、その論点に対して野党は全く対案を打ち出していない点にこそ、大きな問題がある。その結果が安倍一強などといわれている所以であるが、これこそ野党にとっては誠に恥ずかしい事なのではないか。森友・加計問題に加えて先にも少しふれたが陸上自衛隊のイラク派遣部隊の日報が見つかった問題を受け、更に財務次官のセクハラ疑惑が持ち上がり国会は更に停滞して、通常国における重要法案に影響が及びつつある。働き方などの改革を通じて生産性を高める重要な法案の審議が進んでいない。野党の追及する「自衛隊日報」問題など私に云わせれば軍事機密に属するもので公開に値するものではない。野党は自衛隊派遣そのものが誤りであったと蒸し返したいのであろうが、小泉内閣によるイラク派遣が国際社会における我が国の信用回復にどれほど寄与したかよく考えるべきであろう。現状の審議の停滞から考えて政府の意図する「働き方改革法案」については6月20日の会期終了までの成立はあやぶまれるところである。その他の重要法案として日本が主導した環太平洋経済連携協定(TPP)参加11ヶ国で署名した、新協定「TPP11」の国内手続きが遅れてしまう可能性があり、もしそうなれば折角の日本外交の成果を台無しにしてしまう。
    第3節「野党に望む」
      たしかに不祥事の真相究明に対する取り組みは与野党の責務に違いない。そうだからといって国会本来の任務である重要法案の審議を横においての昨今の状況は
    、国会議員の責務の放棄と考える。特に野党はもう少し節度を持って全てに対処すべきであろう。野党には憲法問題一つを取っても対案はおろか、確固とした考えすらないと思うのは私だけではあるまい。

    ■おわりに

      私は、腹の虫がおさまらないのは他にも無責任発言を繰り返し、安倍首相をにくにくしげに糾弾する野党議員はいるが、中でも辻元清美立憲民主党国会対策委員長の態度は許せない。忘れっぽい大衆はもう覚えていないと思うが、彼女は2003年に秘書給与詐欺容疑で逮捕され2004年に懲役2年執行猶予5年の実刑判決を受けたれっきとした前科を持っている。彼女にしてみれば選挙で禊ぎを受けたと云いたいのであろうが、過去において公金の詐欺を行った人物であることを我々は再確認しておくべきであろう。
                                                                                                                                   以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年3月29日 金言(第68号)
    『仮想通貨は必要か』

    ■第一章「後を絶たない仮想通貨を巡るトラブル」

    第1節「コインチェック不正流失事件」
      去る1月27日の朝刊を見た人は皆、このニュースに驚いたのではないか。
      このニュースとは、仮想通貨「NEM」約580億円分が仮想通貨取引所の大手、コインチェックから流出した事件である。コインチェック社は、我が国最大のビットコイン取引高を誇る仮想通貨取引所で、ビットコイン以外の多種類の仮想通貨を扱っており、その売買、信用取引、入出金、送金、決済を行っている。NEMの顧客資産をプールしていた口座は、常時インターネットから見る事の出来る、いわゆるホットウォレットの状態にあったため、外部からのクラッキング、即ちコンピューターネットワークに繋がれたシステムに侵入したり、コンピューターシステムを破壊、改竄するなど、コンピューターシステムを不正に利用する行為により、巨額のNEMが外部に流出したのであった。聞くところによると、外部からのクラッキングだけではなく、内部犯行を含めて潜在的脅威があるため、多重署名の鍵を複数人に分けて持つなどの対策がとられているのが普通であるが、今回はそのような対策はとられていなかった。しかし、何にもまして上記のようなホットウォレットの状態にあった事が一番の問題であろう。コインチェックの責任者は、記者会見において、当社は約450億円にも及ぶ現預金を保有しており、被害を弁済しても債務超過にはならないと発表したが、2012年設立と社歴の浅い会社がこのような巨額の現金を保有している事は、仮想通貨の取り扱いが如何に莫大な利益を生むか、ということが考えられ、これは我々にはうかがい知れない謎である。
    第2節「マウントゴックス事件」
      さて、もう一つ、今回の不祥事の前に2014年に、当時ビットコイン最大の取引量を誇ったマウントゴックス社が倒産したのを覚えておられるであろうか。当社はマルク・カルプレスCEOが長年にわたり自己の利益を図るため窃盗行為を繰り返し、約75万ビットコインを損失させ、破産に至った事件であった。この時私も初めてビットコインを含めて、仮想通貨について関心が及んだのであった。今回の事件が発生する前、仮想通貨、主としてビットコインが異常な値上がりを示し、国民も大いに仮想通貨への関心が高まっていた矢先のコインチェック事件であった。我々は一部を除き、おそらく仮想通貨について詳しく知る人は少ないと思っている。そこで今回は、この仮想通貨について調べてみたい。その前に、現在我々が使用している貨幣(通貨)の成り立ちについて頭に入れておきたい。

    ■第二章「貨幣の歴史的変遷」

    第1節「等価交換の時代」
      先ず有史以前貨幣などは存在していなかった。人間は「物々交換」により経済行為を行っていた。「物々交換」が成立する大前提は「等価交換」である。しかし「物々交換」は全く不自由極まりないもので、やがて「物品貨幣」時代へと移行していく。そこでは「毛皮」「稲」「宝貝」などが原始通貨として使用される。これらは物品であっても貨幣として持つべき重要な三つの機能(交換手段、価値の貯蔵手段、価値の尺度)を備えているため、「物品貨幣」の時代が貨幣経済の始まりと云われている。そして次に来るのが「金属貨幣(金貨、銀貨、銅貨)」の時代であり、「毛皮」や「貝貨」に代わり、金や銀が貨幣として使用されるようになった。金や銀は、それ自体が価値を持つものであり、そのため金貨や銀貨でモノを買う行為はれっきとした「物々交換(等価交換)」であった。
    第2節「紙幣の登場」
      しかし、金貨、銀貨などの金属貨幣は重量があるため、持ち運びなどを含め問題があり、それに代わって次に現れたのが紙幣であった。しかし、紙切れに過ぎない紙幣が何故交換手段として使用が可能であったかであるが、これは発行された紙幣には金、銀との兌換性があり、云いかえれば紙幣は金、銀の代替物で、その紙幣を発行者(国)に持ち込むと何時でも金、銀との交換が保証されていたからである。しかしこれら金、銀の裏付けがある「兌換紙幣」の発行額は当然金、銀の保有量が限界となっていた。しかし、時代が進んで経済活動がさらに活発になると紙幣の必要量が金、銀の保有量を大きく上回ってくるようになる。そこで登場したのが金、銀との交換保証なしに発行される「不換紙幣」である。しかし金や銀の裏付けのない紙幣を受け取る方は不安でしかたがない。これを強制的に執行したのが、当然絶対的権力を持つ君主などであった。
    第3節「金ドル本位制の成立」
      それでは現在各国の通貨当局や中央銀行が発行している紙幣について考察すると、第二次大戦後であるが、いわゆるアメリカ主導による「ブレトンウッズ体制」の下で米国は、米ドルと金との交換を保証するとともに、各国は自国通貨の平価を維持する(対ドルでの国定相場を守る。例えば1ドル=360円)義務を負っていた。これが同体制のもとにおける「金ドル本位制」であり、この本質は米ドルも各国通貨も兌換紙幣であったということである。
    第4節「変動相場への移行」
      ところが1971年8月、当時のニクソン大統領によって発表された米ドルと金の交換保証の停止宣言、いわゆる「ニクソンショック」により米ドルも各国通貨も全ての金とのリンクが絶ち切られてしまうと同時に殆どの先進国通貨は、対ドルでの固定相場を放棄して変動相場に移行し、今日では我が国を含む殆どの国で不換紙幣制度となっている。何故米国が金とのリンクを絶ち切ったかであるが、1970年代初頭の米国はベトナム戦争の影響で財政赤字が拡大し、大幅な輸入超過で貿易赤字が大きく膨らみ、ドルが大量に流出した結果、ドル本位制による金とドルとの交換に応じられなくなった結果である。これは、ドルの切り下げをねらったドル防衛策であり、これによってブレトンウッズ体制は一気に崩壊したのであった。そして殆どの先進国通貨は、対ドルでの固定相場が成り立たなくなり、変動相場制に移行したまま今日に至っている。云い換えれば、今日我が国を含む大多数の国の通貨は金との交換保証のない不換紙幣となっているのである。国際的には変動相場を安定させるため、いろいろな手段が講じられているのは御承知の通りである。先進7か国によるG7、あるいは拡大されたG20では、国際的に通貨価値の安定のため各国の財務相会議、中央銀行総裁会議が数多く開催されており、またIMF(国際通貨基金)などの国際機関が目を光らせている。

    ■第三章「仮想通貨と通常通貨の関係」

    第1節「不換紙幣が信頼される拠り所」
      さて、不換紙幣である貨幣を国民は何故安心して使用しているのか。それは法律により「強制通用力」が円紙幣、硬貨に付与されているからである。具体的に云うと紙幣(銀行券)の場合、日本銀行法第46条2項により「日本銀行が発行する銀行券は、法貨として無制限に通用する」と規定しており、硬貨についても「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の第7条で「貨幣は額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する」と規定している。
      ところで、実際に世の中に出回っている通貨の量、すなわち「現金通貨」は100兆円程度であるのに対して「預金通貨」は、普通当座預金だけでも約600兆円あると云われている。それでは国民が現金だけではなくて、預金通貨を含めて多額の通貨を保有している事に我々国民が何等不安を覚えないのは何故か。それは上述の通りに法律により法貨として無制限に通用する保証が与えられているだけではなく、国民が我が国の社会全体のシステムに絶対的な信頼をおいているからである。我々は、現金であれ預金であれ日本円である限り、当局を含むあらゆるシステムが、日本円の価値を守っていると信じている。しかし、この信頼が乏しくなると、国民は、自らが保有する貨幣(現金、預金)を海外に持ち出して他国の通貨と変換しようとするかもしれない。この事が実際に起こっているのは中国で、中国政府は中国人が人民元を、海外に持ち出す事を厳密に規制している。以上貨幣の歴史を振り返ってみたが、最近話題となっているビットコインなどの仮想通貨について論じてみたい。
    第2節「仮想通貨とは何か」
      近年になって、アメリカ、欧州の財務当局は「仮想通貨」について定義を公にしているが、一方我が国では、2016年(2017年施行)に制定された「改正資金決済法」で次の3つの要件が定められた。
  • @法定通貨または通貨建資産ではないこと。
  • A不特定多数への代金の支払に使用出来る、かつ法定通貨と交換出来ること。
  • B電子情報処理組織を用いて移転することが出来るもの
  •   あらためて、仮想通貨を定義すると、これは電子的に転送され格納される特定の形をした通貨であり、紙幣、コインなどの物理通貨とは根本的に異なる。仮想通貨を入手する場合は、取引所に口座を開設して法定通貨(通常の通貨)と交換を行う。通常通貨は国家(中央銀行)によって価格を保証されているが、当然国家(中央銀行)の経済政策によって価値の変動リスクをかかえている。一方仮想通貨は利用者による仮想通貨そのものへの信用によってのみ価値が保証されているので、価値の変動を形成するのは利用者自身ということになる。現在の日本では給与の支払いや税金などの公的な支出は、日本円のみに限られているので、必要に応じて仮想通貨の保有者は日本円に変換する必要がある。仮想通貨の取引所については先述の改正で必ず金融庁への登録が必要になった。仮想通貨には、日本円や米ドル、ユーロなどの法定通貨が取引される手形交換所はない。しかし登録仮想通貨変換所は存在している。決済記録に関する義務の規定はないが、ブロックチェーン技術により衆人環視で誰でも自由に閲覧が可能である。
    第3節「ブロックチェーンの仕組みと問題点」
      ブロックチェーンとは、金融取引などの記録をコンピューターのネットワーク上で管理する技術の一つで、インターネット上の複数のコンピューターで取引の記録を共有し、検証し合いながら正しい記録を鎖(チェーン)のようにつないで蓄積する仕組みで「分散型台帳」とも云われている。
    さて、ブロックチェーンについては未発達のところもあり、次のような問題点が指摘されている。
  • @利用者に対する価値の保証がない。
  • A取引記録の改竄が行われやすい。
  • B闇市場を生みやすい。
  • C課税の逃げ道になる。
  • D資金洗浄に利用されやすい。
  • Eいわゆる「セミナー商法」による投資詐欺を起こしやすい。
  • F取引所の管理体制の甘さ―今回のコインチェックの例―
  • G電力の無駄問題(採掘《暗号解読》マイニングには莫大な電力を要する)
  •   仮想通貨、特にビットコインについては昨年買いまくられ異常な暴騰を演じたが、本年に入りその反動が出て暴落している。昨年12月の日次取引は40億ドル(約4,500億円)であったが、本年2月中旬には四分の一の10億ドルにまで減少した。価格も昨年12月には1ビットコイン19,784ドル迄上昇したが、コインチェック事件も下落に拍車をかけ、2月には一時6,000ドル迄下落した。まさにビットコインは博打の場所となり、仮想通貨を本当に本来の目的のため利用しているのは全体の10%もないのではないか。
      このようにビットコインの大幅な下落により更に「NEM」の巨額流出事件も重なり、まさに「夢の通貨」として仮想通貨をもてはやしていたイメージがくずれたと云ってよい。一般の人々にはブロックチェーンなるシステムが理解出来ないところにこのような不祥事が重なり「仮想通貨が本当に通貨の未来を変えるのだろうか」と疑問を持つ人々が増えているのではないか。

    ■第四章「仮想通貨は通貨の未来を変えるのか」

    第1節「ビットコインの問題点」
      そもそも仮想通貨は、法定通貨である米ドルや円を脅かすような通貨になりうるのであろうか?通貨には先程来述べてきた三つの機能(通貨の三大機能)
  • @一般的変換手段(モノやサービスを取得する機能)
  • A価値の尺度(モノやサービスの価値を客観的に表す機能)
  • B価値の保蔵手段(将来に備えて価値を蓄えておく機能)
  • がなければならない。この機能についてビットコインを例にとって考察すると@とAはお金としての機能であるが、ビットコインを交換手段(お金)として保有する人はごくまれではないか。正直なところ、ビットコインは乱高下を繰り返し到底安定した交換手段には適さない。したがって殆どお金としては使用されず「投機用の資産」となっている。云うならばその性格は通貨ではなく資産へと変質しているのである。まさに「仮想通貨」から「仮想資産」となっている。ブロックチェーンの処理能力は遅く、交換手段の任に現在では耐えられないという指摘もある。Bの「価値の保蔵手段」についてもご承知のような変動率の高さから到底将来に向っての価値を保存できるものとは思えない。ビットコインは銀行券のように発行体が価値を維持する仕組みが備わっているわけでもない。更に仮想通貨を保有していても株式や債券と異なり、利子や配当が取れるわけでもない。現在業界で本流となっている理論では、金融資産の価値は、それが将来生み出すキャッシュフローを現在価値に置きなおしたものと等しいとされている。この観点からみるとビットコインは、配当や利子がなく保有していても何のキャッシュフローも生み出さない。将来ゼロのキャッシュフローを現在価値に置きなおしても、これはもうゼロの価値しかない。国際決済銀行(BIS)の報告書では「仮想通貨の本源的な価値はゼロである」としている。
    第2節「世界の中央銀行の動向」
      このようにビットコインに代表される仮想通貨に対して懐疑的な見方が強まっている一方、矢張りこのブロックチェーン技術を無視する事は出来ないとして世界の中央銀行自体がこの技術を使った「デジタル通貨」を発行しようとする動きが強まっている。ビットコインは、公的な裏付けはないが、中央銀行が発行、運営するとなると各国の通貨単位とイコールになり当然現金とは1:1の交換となり、ビットコインのように現金との交換レートが乱高下する事はない。各国中央銀行は相当研究を進めているようであるが、この中央銀行デジタル通貨が普及すると中銀がデジタル通貨を国民に直接発行して決済をさせるということになり、ここに「銀行の中抜き」が問題となる。従って中銀デジタル通貨が表舞台に登場するには時間がかかるのではないか。3月21日に開催されたG20財務相、中央銀行総裁会議でもこの仮想通貨問題が取り上げられ、仮想通貨による脱税やマネーロンダリング、利用者保護など問題点が列挙され討議されている。現状においては各国の仮想通貨に対する取り扱いはまちまちである。中国は業者の営業拠点を閉鎖し、米国は州ごとに規制、証券取引委員会は「無登録なら違法」としている。EUは本人確認の義務化の上、新たな規制を考慮中である。又韓国も本人確認の厳格化を進めている。日本の状況は先に述べたように取引所の登録制が導入された。
    第3節「国が統括するデジタル通貨に注目」
      いずれにしても仮想通貨は今迄述べてきたように大きな問題をかかえており、現状では実用性はなく、投機の対象でしかない。この情勢についてはもっと当局もマスコミも詳しく国民に提示していくべきと考える。しかしブロックチェーン技術は今後益々進歩していくであろうから、将来国(中央銀行)が統括するデジタル通貨が本流となってくる事は十分に考えられる。

                                           以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年2月20日 金言(第67号)
    『南シナ海を巡る中国の脅威』

    ■第一章「中国の領土拡張の野望」

    第1節「南海諸島と海域の領有権を主張」
      南シナ海に対する中国の野望は前々回に書いた「一帯一路」と並んで自国の領土拡張にある。
      さて、先ず問題となっている南シナ海とはどの地域を指すのかについて触れると、この海域は、東南アジアの赤道から北緯23度付近の中国沿岸まで広がっている熱帯、亜熱帯の海域で、文章で書いてもわかりづらいと思うが、南西部のマレーシアの東方付近には大陸棚が広く発達しており、水深は200m以下と浅い海である。一方東部の海は深く、フィリピン、特にルソン島の北西の沖にはマニラ海溝(最深部は5,000m)がある。
      太平洋は台湾島、フィリピン諸島及びカリマンタン島(ボルネオ)などで区切られており、バシー海峡などの限られた海峡で結ばれているに過ぎない。海域内における最大の島は、海南島であるが、地図を見てわかるようにサンゴ礁を含めて中小の島嶼が多い。
      また中国が「南海諸島」と呼び領有権をしきりに主張している南沙諸島(スプラトリー諸島)、中沙諸島(スカボロー礁他)、西沙諸島(パラセル諸島)、東沙諸島(プラタス諸島)があり、この他にナトゥナ諸島などの島々がある。
    これらの島々は約200以上にも及んでいるが、大部分は南沙諸島にある。
      この島々の存在する海域は実に810km2から900km2にも及び、海南島を除き最大の島が、太平島(イトゥアバ)であるが、長さが1.3km、高さ3.8mにすぎないのである。実は戦前、戦時期の1939年(昭和14年)に日本はこの島を占拠していた。現在は台湾が実効支配している。

    九段線




    第2節「勝手に「九段線」なる境界線を設定」
      もう一つ特徴のある島がフィリピンのパラワン島で、この島はパラワン海溝を挟んでリード堆と呼ばれる長さ約100kmの海山があり、面積は8.87km2と、世界最大の環礁である。現状は水深20mと海中にあるが、7000年前までは島であった。この島も戦時中日本が占領し、長島と名付け保有していた。この場所も埋め立ては十分可能で、次に中国が触手をのばしてくる危険がある。しかし、日本の敗戦に伴い日本はこの領有権を放棄している。その後中国(中華民国より中華人民共和国)は東南アジア諸国の本土領海線のギリギリまでを自国が管轄するという「九段線」なる境界線を勝手に設けたのであった。しかし、この境界線の意味がどこにあるのか不明なところがある。というのは中国政府の、この「九段線」の解釈が島嶼の帰属を指すのか、単なる歴史的な権利の範囲、あるいは歴史的な水域を表しているのか不明で、中国政府は、公式にその意味を発表していないからである。しかし、島々の面積は最大でも約0.5km2しかないが、当然排他的経済水域(EEZ)や大陸棚の漁業資源や石油、天然ガス資源を当て込み、更には安全保障に寄与するとも考慮して中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが、島の全部又は一部の主権を主張しているのが現状である。
    第3節「次々と実効支配を進める中国」
      現在実効支配という観点からブルネイを除く5か国が入り乱れて複数の岩礁や砂州を実行支配しており、その多くには軍隊などが常駐している。 2017年現在ではベトナムが22か所、フィリピンが8か所、中国が7か所、マレーシアが5か所、台湾が1か所実効支配している。しかし、この中で目立つのが九段線なる線引きを行ったうえ、大規模な埋め立て、浚渫を行い、軍事施設を大規模につくり、またサンゴ礁などの自然環境を取り返しのつかない形で破壊している中国の進め方については国際的に非難が集中している。又、中国海南島の南にある西沙諸島(パラセル諸島)は、元々ベトナムが実効支配していたが、1970年代に中国はベトナムからこれを奪い、南シナ海支配の戦略拠点として、ここに2,600mという本格的な滑走路を有する空港を完成させた。その一方、中国はベトナムの支配する南沙諸島(スプラトリー諸島)にも侵攻し、六つの岩礁、珊瑚礁を手中に収めている。更に中国はフィリピンとも事をかまえ、同国が実効支配していたミスチーフ礁を占領し、ここに軍事施設を建設した。 2007年に入ると中国の活動は更に活発化し、中国は中沙諸島だけではなく南沙、西沙の両諸島を含む領域に海南省に属する新たな行政区である「三沙市」を設け、中国の意思を明確化した。また2010年には中国政府はアメリカの国務副長官スタインバーク氏が訪中した際、中国政府は南シナ海を「自国の主権及び領土保全に関連した「核心的利害」地域と見なしているとの立場を公式に表明している。

    ■第二章「アセアン諸国の動向」

    第1節「関係諸国は平和的解決を模索」
      このように、南シナ海の島嶼を巡っては各国の利害がぶつかり合い、関係諸国(アセアン)もなんとか平和的に解決すべく、法的な拘束力のある「南シナ海行動規範」をつくるべく努力を重ねてきたが、中国の一方的な行動により未だ成果が上がっていないのである。例をあげると2014年6月にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議において中国側の代表である王人民解放軍副参謀総長は、南シナ海の島々は2000年以上前の漢の時代から中国が発見して管理してきたと発言し、会場の失笑を買った。
    第2節「「九段線」に対する仲裁裁判所の判断」
      さて、南シナ海のほぼ全域に主権や権益が及ぶとして九段線なるものを設けてゴリ押しの主張を行う中国に対してフィリピンが、2013年に国連海洋法条約違反などを確認するように申し立てた仲裁裁判に対して、オランダのバーグの仲裁裁判所は、2016年7月12日、中国の主張する「九段線」については「資源について中国が主張する歴史的権利には法的根拠はない」とする判決を下した。云うならば南シナ海の人工島で実行支配を進める中国の行動について国際法上「NO」が突き付けられたわけで、まさに中国の「全面敗訴」である。
      判決についてもう少し詳しく説明すると、中国は「九段線」の内側の海域で管轄権を有していると主張し、これは1994年に発効した「国際海洋条約」以前からの「歴史的権利」であるとしたが、中国と南シナ海の岩礁について領有権を争ってきたフィリピンが、上述の2013年に「中国の主張は国際海洋条約に違反しており無効」として仲裁裁判を申し立てていたことに対する判決で、中国の主張する「九段線」の「歴史的権利」について「南シナ海で中国が独占的な管理を行ってきたという証拠ではない」と断じて中国の主張を退けたのである。
      中国は一方的な「九段線」の主張の背景に前述のように南沙諸島(スプラトリー諸島)の七つの岩礁を埋め立て人工島をつくり、そこに滑走路などの施設を設け、軍事拠点化を進めているとして批判されてきた。
      判決により造成を続けることは「国連海洋法条約違反」とされるが、中国は判決は無効として、どこ吹く風で軍事拠点化を進めている。判決では七つの岩礁は、排他的経済水域「EEZ」を設定できる「島」ではなく「岩」か「低潮高地」と認定した。これにより周辺海域での資源開発において中国はイニシアティブを取れなくなった。仲裁判決には上訴が認められず、法的拘束力はあるが判決の強制執行手段は残念ながらない。このため現状では中国の動きを阻止できないが、判決を無視することで国際的な批判にさらされることは必定で、今後の中国の出方が注目される。また、フィリピンがこの判決を盾に強行突破姿勢を貫くと、偶発的な衝突につながりかねず、今後が注目される。
    第3節「閑話(鄭和の大遠征)」
      余談ではあるが、中国が南シナ海はすでに2000年前、漢の時代から中国の支配下にあったなどと国際会議の場で主張して失笑を買ったことは前にも触れたが、私は、明の永楽帝の時代に皇帝の命令により1405年から1433年の間、七次に亘って南シナ海、インド洋、スリランカ、ペルシャ湾、アフリカ迄大航海を行い、明への朝貢を積極的なさしめるよう大活躍した鄭和の大遠征にその起源を求める方が、よっぽど説得力があると思うのであるがどうであろうか。鄭和の遠征のスケールの大きさに比較すると、現在の中国海軍の跋扈は余りにもスケールが小さすぎると思うからである。

    第4節「完全に主導権を握った中国と日本への影響」
      さて、中国政府が南シナ海で密かに更なる建設や埋め立てを進めていることが、最近の米国の衛星写真から判明している。アメリカの外交筋や軍事関係者は、この海域で中国はより強硬に領有権を主張すると分析している。ロイター通信が確認した衛星写真によると、中国はベトナムと領有権を争う西沙(パラセル)諸島の北島と趙述(ツリー)島で施設の開発を進めていることが明らかになっている。最近これらの領有権問題を巡る緊張は、ニュースになっていないが、実際には中国は依然として緊張を醸成しつつあり、具体的には中国は、今後数カ月以内に南沙(スプラトリー)諸島の飛行場に戦闘機を初配備するのではないかと予想する専門家がいる一方、この地域を担当する軍事関係者は、中国はすでに新しく建設した施設を利用して海軍や沿岸警備隊の派遣範囲を東南アジアの広範な海域に拡大しているという指摘もある。インド洋からマラッカ海峡を経て南シナ海から我が国に至る通商路は我々の死命を左右する重要な経路である。
      南シナ海における中国の領有権の主張と軍事拠点化については、東南アジア諸国連合(アセアン)に於いても2012年頃からたびたび論じられるようになったが、アセアン10か国の内でも中国の影響を強く受けているラオス、カンボジアなどもあり、この中国の傍若無人な態度にアセアン首脳会議においては2014年5月には「深刻な懸念」、11月には「引き続き懸念」、2015年4月には「深刻な懸念共有」、9月には「引き続き深刻な懸念」11月「懸念共有」、という共同声明を発表していたが、2016年9月には「引き続き深刻な懸念」2017年4月には「一部首脳の懸念に留意」と後退し、2017年8月に中国アセアン南シナ海「行動規範」の枠組みが承認されると11月の会議においては「懸念」の文言が消えてしまった。この内アセアンの南シナ海における紛争防止の行動規範の枠組みについては2017年8月、中国が議論を主導して、法的拘束力について明記せず、中国による軍事拠点化を抑える効果を見込みにくい内容としたものである。中国は、南シナ海問題は当事者間で合意したとして、南シナ海問題に終止符を打つことを狙ったもので、完全に中国に主導権を奪われたといってよい。中国はこの合意を盾に取り、当事国以外の米国、日本の干渉を排除しようとしている。2017年の会議の議長国はフィリピンであり、同国は2016年7月に中国の南シナ海領有という主張を退けた国際司法裁判所に対する提訴国である。しかしその後、登場したドゥテルテ大統領は中国側に変身し、今回も「南シナ海問題をアセアン会合で大きな問題としない」と、一歩引いたためアセアン全体が中国側の主張に偏ってしまったきらいがある。

    ■第三章「アメリカの対応」

    第1節「オバマ政権の弱腰と不手際」
      ここまで南シナ海における中国の作戦が進んでしまったのは、アメリカのオバマ大統領の弱腰と不手際によると考えられる。アメリカの人工衛星は早くから中国の人工島、飛行場の建設等を察知していたことは間違いない。それにもかかわらず、これに対する作戦はお粗末すぎたのではないか。元々アメリカには海洋における国際慣習法上の「航行自由原則」、これは軍艦を含んだいかなる船舶と云えども、他国の領海内では慣習上認められた制限は受けるものの、その他のあらゆる公海を自由に航行することができるというものである。
      これはアメリカの国益を維持するための大原則で仮想敵国だけではなく、友好国や同盟国であっても、軍事デモンストレーションを実施して「航行自由の原則」を尊重せよというメッセージを与え続けている。(FONOPと称する) 2014年に中国が人工島を築きつつあった際、アメリカ政府内ではFONOPを実施して中国を牽制すべきであるとの主張があったようである。
      しかし、これらの島々はアメリカ以外の国々の紛争地域であったためここに直接介入はできないので、アメリカ海軍は、この人工島付近に繰り返し軍艦を派遣してFONOPを実施すべきであるという声が高かった。しかし、中国に融和的であったオバマ政権にとって、南シナ海でFONOPを実施することは論外であった。
      人工島に懸念を感じたフィリピン政府はアメリカに警鐘を鳴らし続けたが、オバマ政府は無視し、1年経過すると7つの環礁(ミスチーフ他)が人工島化されつつある事態となってしまった。やがて2015年秋にはミスチーフ礁他3つの人工島に大型の滑走路が出現したのであった。この段階で初めてオバマ政権は事態の重大さに気づき、2015年10月、中国の実効支配しているミスチーフ礁の12海里以内にイージス駆逐艦を派遣したのであった。その後も時折2016年1月、5月、10月にFONOPが実施されたにすぎない。アメリカの南シナ海における対抗はすでに手遅れであるとまでささやかれている。
    第2節「トランプ政権の巻き返しと日本の役割」
      対中強硬派のトランプ政権においてFONOPが期待されたが北朝鮮問題があり、今の所2017年5月、続いて7月にイージス艦が派遣され、また7月には爆撃機2機が南シナ海上空を飛行した。このように現状では南シナ海の覇権は完全に中国に握られているといえる。要するに島々の埋め立て飛行場の建設により、アメリカの空母打撃群の近接を防御しようとする中国の作戦は成功しつつある。これに対してアメリカがどう巻き返すか、又通商路が危険にさらされる日本の役割がどうなるのかよく考えてみる必要がある。
      なお、トランプ大統領は2018年1月20日スカボロー礁の12海里以内にイージス駆逐艦1隻を派遣した。

                                                                                                                                 以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    2018年1月25日 金言(第66号)
    『高校歴史教科書用語についての提言を批判する』

    ■第一章「高大連携歴史教育研究会の提案」

    第1節「研究会が新たな歴史用語を発表」
      高等学校や大学の教員でつくる高大連携歴史教育研究会なる組織があり、この組織は、平成2年に高校、大学の教員達の呼びかけにより作られたもので、現在の暗記を中心とした歴史の授業から、歴史的な思考力の育成や歴史そのものを学ぶ楽しさを実感出来るような授業への転換を目指している。生徒達が議論する活動を重視した次期学習指導要綱を踏まえて、教科書本文に載せ、更に入試においても知識として問う基礎用語として、日本史1664語と世界史1643語を選択して、新たに「歴史用語精選案」を昨年12月15日に発表した。
    第2節「内容は現行歴史用語の半減」
      精選案においては、現行の約3500語からほぼ半減する程度に迄絞られたのである。この案を発表した研究会によると、高校の日本史と世界史の主な教科書に収録されている用語は現在3500語から3800語となっており、現状においては、大学の入学試験で教科書に記載されていない用語が出題されるたびに、次の教科書が改訂される時点で追加される形で増加していくため現状の数字は実に1950年代の3倍近くになっている。
    第3節「教科書編集に強い影響をもつ研究会」
      今回示された高校歴史用語精選案を発表した研究会には、高校歴史教科書の執筆者や編集協力者20人以上が呼びかけ人として参加しており、関係する高校歴史教科書は発行会社6社が名を連ねており、これは全発行会社7社であるのでほとんど全部が網羅されている。それだけに精選案は教科書の編集に一定以上の強い影響力を持つものといって差し支えない。

    ■第二章「次期学習指導要綱に反する今回の提言」

    第1節「研究会が精選した主な歴史用語とその問題点」
      産経新聞の記事によると研究会の精選した(新しく追加したもの、あるいは省略したもの)の主な用語は下記の通りである。
    1.今迄記載されていない用語で新たに追加されたもの
  • @厩戸王(聖徳太子)。飛鳥時代当時の中国隋に対し対等な日本の存在を知らしめた、いわば日本という国の柱   を作った聖徳太子が不掲載であったとは驚きである。しかも今回掲載するに当たっても何故堂々と聖徳太子と   しないのか疑問である。
  • A足利尊氏。弟の足利直義の記載はある。尊氏と並んでなるほど直義の存在は大きかったが、尊氏がいなければ   室町幕府は開かれず室町時代は始まらない。
  • B西郷隆盛。明治維新の最大の功労者で無かったとは訳がわからない。今年のNHKの大河ドラマ主人公が西郷な   のであわてて迎合したのであろうか。
  • C関ケ原の戦い。徳川家康が覇権を確立した天下分け目の戦いが不掲載とは驚きである。
  • Dニュートン。万有引力の発見者というだけではなく、彼は科学者として同時代における抜きんでた存在であっ   た。片手落ちもはなはだしい。
  • E南京大虐殺、従軍慰安婦。中学の教科書からも消えていたものが突然復活 してきた。云うまでもなく両事項と   も真実とは程遠い捏造である。後に詳しく述べるが、高大連携歴史教育研究会のメンバーの大半は自虐史観を信   奉する左翼分子である。このような連中からならこのような提案があってもおかしくない。
  • 2.現行の教科書から掲載が外された用語
  • @蘇我馬子。良い悪い、好き嫌いは別にして飛鳥時代を代表する大政治家である。彼を外すと後の大化の改新も   語れないし、聖徳太子、推古天皇との関係をどう説明するのか。
  • A楠木正成。足利尊氏が復活して孤軍奮闘した北朝の中心が何故省かれるのか。
  • B上杉謙信、武田信玄。両将を外してどうやって戦国時代を語るのか。川中島の戦いはどうなるのか、上杉、武   田ともに天下を取った可能性は十分にあった。
  • C坂本龍馬。司馬遼太郎により彼は若干美化されたきらいがないでもないが、彼の存在がなかったら明治の新時   代の到来が、列国の干渉を排して、このように早く訪れることはなかった。龍馬を除外するなど近代史を否定す   るものである。
  • D桶狭間の戦い。尾張の弱小大名織田信長が、戦国大名の雄駿河の今川義元を桶狭間(田楽狭間ともいう)に奇   襲をかけ、一瞬の隙をついて義元を討ち取った戦国時代における画期的な戦いで、信長はその後天下布武へと進   んでいった。このような画期的な戦いを外すなどこれは歴史の否定と考えるが如何であろうか。
  • Eクレオパトラ。彼女の鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていたであろうと云われている傾国の美女であるが   、ローマが帝国となるきっかけとなったことについては、彼女の存在なしでは考えられない。
  • Fガリレオ・ガリレイ。コペルニクスの地動説を更に発展させ、天体観測に望遠鏡を取り入れ,太陽の黒点を発   見するなどその他数々の画期的な発見を行なった。
  • 第2節「教師の役割は何か」
      これらの歴史的重要事項が外されたのは、この研究会が教科書の用語を減らすことによって先に述べたように暗記中心の歴史学習から歴史的な思考力の育成を図ることを主眼点とし、また約4000語の学習を生徒に徹底することは難しいと主張している。しかし、私見ではあるが歴史の面白さは多数の登場人物を通じて、その歴史的背景を理解していくことにあると思う。登場人物が多すぎてとても生徒に教えられないなどとは歴史教師として失格である。例えが適切かどうかわからないが[地理]を教えるのに地名が多すぎて授業が出来ないと云っているのと同じではないか。
    第3節「研究会は左翼思想に偏向」
      この研究会メンバーの経歴を調べてみるとその思想的な方向がよくわかる。会長の油井大三郎東京大学名誉教授はアメリカ現代史の専門家らしいが、典型的な岩波書店「世界」派の学者で朝鮮戦争は北朝鮮による侵略戦争ではなく、北朝鮮による解放戦争であったと主張。最近の安倍内閣における集団的自衛権が可能という憲法解釈変更にも反対している。彼の左翼的言動については枚挙にいとまがないが、彼は徹底的な反米左翼主義者である。彼は現在の歴史教科書の基礎用語は多すぎると主張している反面「従軍慰安婦」「南京大虐殺」等の採用を進めており用語の選定基準に恣意性があると問題視されている。油井氏はかって「未完の占領改革」なる本を書き、この中で、
  • @天皇制の廃止
  • A共産主義中国への服従
  • Bアジア諸国への謝罪と賠償
  • という改革が未完なので,これ等を進めるべきであると主張した。これらの考え   は、そのままコミンテルンの主張である。従来教育界の反日勢力の本尊は日教組といわれてきたが油井氏のよう   な純反日勢力の本尊が大学内に鎮座していて高校教育の反日を扇動、支配していることは明らかである。
    このとんでもない左翼の会長のもとに5名の副会長がいる。すなわち
  • @ 磯谷正行(愛知県立岡崎高校教頭)
  • A 勝山元照(神戸大学附属中等教育学校副校長) この両者は教育最前線にいる実務家で目立った左翼的言動。行   動は調べた範囲ではないが、それだけに油井会長べったりと想像する。
  • B 君島和彦(東京学芸大学名誉教授)
  •   この人は有名な家永教科書裁判の原告側証人の主要メンバーで731部隊について証言した保守派の秦郁彦氏を   こき下ろした過去がありこの件で世間から猛烈な顰蹙をかった。また2008年には中学生向け新学習要領解説   書で竹島が日本固有の領土と書き込まれた部分を削除して韓国の領土として韓国との関係を復活させるべきであ   るというコラムを朝日新聞に寄稿して、その功かどうかしらないが翌2009年にソウル大学の歴史教育科の正   教授におさまった。誠に売国奴的行為ではないか。その他の副会長は
  • C 小浜正子。1953年生まれで日大教授、ジェンダー史の研究家であるが当然思想的には左と思われる。
  • D 桃木至朗。1955年生まれ、大阪大学教授でベトナム中近世史を中心と する東南アジア及びアジア史の研究   家で大阪大学歴史教育研究会の代表、思想的には詳しくわからないが、岩波書店から何冊かの書籍を発行してい   るのでおよそ想像がつく。
  • このメンバーから推し量るならば研究会の運営についてのイニシアチブは 油井会長が握っていることは明白である。油井氏は、先にも述べたように全くの朝日新聞寄りの左翼思想の人物であり、その下の副会長もいずれも左翼思想の持ち主かそのシンパであることは明白である。

    ■第三章「充実すべき日本の歴史教育」

    第1節「研究会の短絡的な見解」
      さて、いささか前に戻るが、今回の研究会の主張を改めて述べると、こうである。すなわち大学入試で歴史の細かい用語の出題が成されて高校の授業が暗記中心となっているのは問題であるとして「とにかく用語が多すぎるので先に述べたように用語を3500語程度から約半分に減らすべきである」という主張である。そうだからといって上杉謙信や武田信玄、坂本龍馬まで除く一方歴史的に未だ真相が明らかになっていない南京虐殺事件や朝日新聞の捏造から端を発した韓国の慰安婦などが新しく掲載するのは全く矛盾したやり方ではないだろうか。彼らの主張によれば高校の授業時間数を考えた時、きちんと教えられる用語は2000語と主張しており、このため歴史の流れを理解するためにはこの程度で十分だという見解である。
    第2節「研究会見解に対する反論」
      私は、歴史の面白さは歴史に登場する数々の登場人物にあると思っている。幾つか例をあげることが可能であるが、ある意味で歴史とは、ある時代に現れた天才によってその多くがつくられたのではないかと思っている。
      世界史を繙くとギリシャアテネの英雄テミストクレス、哲学者ソクラテス、プラトン、アリストテレスその弟子アレクサンドル大王、次のローマの時代に入るとローマ勃興期におけるポエニ戦役でのカルタゴの英雄ハンニバル、それに対抗してローマの礎を築いたスキピオ、そしてジュリアス・シーザー、そのあとを継いでローマ帝国を造ったオクタビアヌス、キリスト教を国教としてローマ帝国の全盛期を到来させたコンスタンチン大帝、そしてキリスト教に連なる政治、経済、文化に関係する人物など、また中世に入ると西ローマ帝国滅亡後神聖ローマ帝国に君臨したカール大帝、そしてルネッサンス時代に現れた優れた政治家、芸術家などを語らずして歴史を理解できないと思っている。また近世に入るとフランス革命の中からナポレオンが登場し良い悪いは別にして歴史を彩ったのであった。
      このように、その時代に現れた多士済々の人物を学ぶことにより、初めて歴史そのものを理解することができるのではなかろうか。
      一方、日本の歴史についても同様である。大体聖徳太子が従来何故教科書に記載がないことが全くおかしい。これは聖徳太子が、中国の隋に対し小野妹子を遣わし「日出ずるところの天子日没するところの天子に書を呈する」として日本国の存在を明らかにし、その名を、隋国に鳴り響かせた事実を現在の共産中国は快く思っていないことを慮ったからであるが、その太子をわざわざ間違いではないが、中国が聖徳太子の名前を嫌うため中国に遜って厩戸王にしたのではないのかと疑いを持つところである。自虐史観の最たるものである。その他詳細に見ないとわからないが、私から見るならば今回外すといわれている蘇我馬子、楠木正成、上杉謙信、武田信玄、坂本龍馬、桶狭間の戦い、クレオパトラ、ガリレオについて私は反対である。私が思うにこの程度のことを知っているのは日本人としての常識の範囲であり、この程度のことを生徒に教えられないのは教師の不勉強いや文科省の無能力さにあると思う。むしろ研究会の考えによれば大学入試のたびに新しい用語が出題され,そのたび翌年からの教科書において用語を増やしてきた結果が現状の3400語から3800語で、これを半減して困るのは受験生となる生徒ではなかろうか。今後入試のたびに新しく出るものを加えていくのであろうか。深く調べていないので、何ともいえないがこのような処置は「ゆとり教育」の残骸といえる。
      今回訳のわからない、しかし教科書編集に大きな影響力を持つ研究会がどのような意図を持ちこのような考えを発表したかは私には理解できないと同時にこのような考え方により新たな教科書が出来るならば我が国の将来に大きな危惧を持つものである。
    第3節「日本の歴史にもっと深く取り組むべし」
      最後に今回のテーマと直接大きな関係はないが、今の一部社会人を含めて学生は日本の歴史について余りにも無知である。これはいろいろと理由はある。特に現代史の部分は時間切れになっていることもあるが、教える教師も私から見れば極めて勉強不足ではないかと考えている。例えば日本の歴史を学ぶ時、私は日本神話につてもっと深く取り組むべきと思う。神話なんて事実じゃないよと一蹴する人もいるが、日本神話は古事記、日本書紀に記載されており、戦後これらは天皇家の正当性を裏付けるためのでたらめなもので古事記の作者太安万侶は存在しなかったと言いふらされていた。ところが1979年奈良市の茶畑から彼の墓が発見され正確な没年を記した墓誌が出土し、彼の存在は証明された。日本神話について書くと長くなるので、これにつては別の機会に譲りたい。

                                                                                                                                 以上
      皆様の忌憚のない御感想、御意見をお待ちしております。

                                                   ( 本稿は武藤治太会長の書下ろしです。)

    武藤会長「金言」

    お問い合わせ

    イベント情報や館内のご利用についてなど、お気軽にお問い合わせください。

    ※メールソフトが開きます

    お問い合わせ