ホーム > 武藤記念講座(講演会事業)慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授
    田中浩一郎氏 「先行きが案じられる中東情勢と米国などの対応」

武藤記念講座(講演会事業)

第1082回武藤記念講座要旨

    2021年10月23日(土)
    於大阪「國民會館 武藤記念ホール」
    慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授
    田中浩一郎氏
 「先行きが案じられる中東情勢と米国などの対応」


セミナー





第一章 米バイデン政権の中東政策
第1節 不安定な中東
   中東はこの20年間、対テロ戦争を経験したり、アラブの春という政治社会運動が起きたりして安定していません。アメリカはジョージ・W・ブッシュ政権期から中東への関与を少なくしていこうとする流れがあります。ところが2001年「9.11同時テロ事件」で、アメリカはアフガニスタンを攻撃し、併せてイラク戦争に乗り出しました。これはアメリカの本来の流れとは違います。トランプ前政権は極端な中東政策に乗り出し、大きく揺れ動きましたが、バイデン政権は中東との関わり合いを再構築すると考えられてきました。しかしあまり変わらないと徐々に見えつつあります。そうした中で今年の夏にアフガニスタンの政変が起きました。2001年のアメリカの軍事介入で、当時のタリバン政権が駆逐され、アフガニスタンの国家再建という壮大なプロジェクトが始まりました。しかしこの20年来のプロジェクトは、ここで失敗したように見えます。トランプ政権期、国連安保理常任理事国5カ国にドイツを加えた6カ国が、イランと合意していた「イラン核合意」をアメリカは一方的に破棄しました。それ以降アメリカとイランは没交渉状態で、イランが再び核活動を活発化する状況にあります。バイデン政権はそのことでトランプ政権の在り方を批判していましたので、当然修正が図られると思われていました。しかし言うほど簡単には動いていない状態で、このままでは再びイランを巡る危機が再発する状況です。それ以外にもサウジアラビア、イスラエル、トルコなどの主要国がそれぞれの関心のもとに動いています
。実は中東、北アフリカ、中央アジアの広い地域で、現在紛争を抱えているか、内戦状態にあるか、あるいは治安情勢が非常に悪い状況が進行しています。また東地中海では天然ガス田が発見され、この権益を巡り関係国の対立や競争も生じています。今までになかった問題が新たに出てきており、中東は不安定な様相です。
第2節 不安定の背景にあるもの
   中東を不安定にする国家間の軍事衝突や戦争の背景には、非国家主体を通じた代理戦争も見られるようになりました。シリアやイエメンの内戦は、非国家主体である武装勢力、民兵のような人達のグループがお互いに抗争を続けていて、その背後にはそれぞれの支援国があり、代理戦争となっています。2003年のイラク戦争後、イラク国内では民族間の争いや宗派間の対立があり、簡単に収束させられない状態でした。現状のアフガニスタンに起こっている政変は、これから宗派間や民族間の対立に発展することも大いにあり得ると思います。そしてテロリズムです。テロは世界各国で起きていますが、とりわけアルカイダが20年前に「9.11事件」を起こしたこともあり、中東とイスラム主義がテロリズムと同じ括りで扱われてきました。そしてイラク戦争後や今のアフガニスタンで起こっているテロは、他国の戦闘員が入って行うというパターンです。2014年6月にイラクとシリアの間に出現したイスラム国(ISIL)には、ヨーロッパ、アメリカ、南アジアなどから多数の戦闘員が入ってきていたことは有名な話です。一方、中東はエネルギーの産出という観点から見ると、我々東アジアにいる人間にとって決して無視出来ない地域です。さらに中東には、東アジアにエネルギーを輸送する際のチョークポイント(戦略的に重要な海洋水路)があります。封鎖による危機が取り沙汰されるホルムズ海峡は有名ですが、そこに限らずアラビア半島西南のバーブルマンデブ海峡、シナイ半島のスエズ運河、さらに黒海から地中海に抜けるボスポラス海峡とダーダネルス海峡もチョークポイントです。また中東ではありませんが、マラッカ海峡はエネルギー輸送を考えると極めて重要ですし、南シナ海一帯もチョークポイントになりつつあります。
第3節 バイデン政権の中東政策
   トランプ前政権はアメリカ外交の原理原則を無視しましたが、バイデン新政権は「アメリカ外交の復活」を宣言しました。しかしトランプ政権以前の伝統的な外交姿勢に立ち返ったのかというと、そうでもないといえます
。アメリカの伝統的な中東政策は、第一がイスラエルの安全保障を守るということです。第二に国際市場への石油の安定供給を保証するということです。またそれに関係してアラブの同盟国の安定を図るということがありました。ところがアメリカは2019年から純エネルギー輸出国になりました。つまり石油の国際市場の安定供給に敏感になる必然性が著しく低下してきたということです。今年2月、バイデン政権は外交方針演説を行い「ロシア、中国との対決姿勢をとる。それはアメリカ単独ではなく、同盟国と共に当たる」と協調主義を打ち出し、またグローバル・イシュー(地球規模の問題)として、気候変動問題や新型コロナウィルスへの対応などを言いました。しかし中東に関しては「イエメンの内戦終結に向けて国連の努力を支持します」、「サウジアラビアに無尽蔵に売却してきたアメリカの最新兵器の売却を止めますが、イランの脅威からサウジアラビアを守るための支援は続けます」との言質を与えています。しかしバイデン政権はアフガニスタンの政変の時も「支援を継続する」と言ったものの、結局何もしませんでした。また特に中東に関して、イスラエルに対する言及がないのは異例です。イラン核合意についても何も言っていません。ただし人事についてはオバマ政権期にイランと交渉を重ねたベテランを配置していますので「イラン核合意」を元に戻す努力はするだろうと予見出来ます。その後、国家安全保障戦略のガイドライン暫定版(INSSG)が出ましたが、中東関係はアフガニスタンとイランの二カ国のみで、イランについては核合意には触れず、イランの脅威をアメリカの伝統的見方でそのまま書いています。アフガニスタンについては最長の戦争を終結させるということでした。つまりバイデン政権はトランプ前政権の敷いたレールをそのまま踏襲しているようにも見えます。

第二章 急展開したアフガニスタン情勢
第1節 タリバンとの和平合意をアメリカ自らが結ぶ
   去年2月19日、トランプ政権はカタールの首都ドーハでタリバンと和平合意を結びました。タリバンは非国家主体の武装勢力です。超大国であるアメリカが国家でもないタリバンと条件付きであっても、合意を結ぶということは普通ありえません。タリバンはアメリカと対等の立場にあると自信を深めることになり、その結果が今の状態です。本来タリバンの和平交渉の相手はアフガニスタン政府です。タリバンは「政府はアメリカの傀儡政権であり、彼らと交渉することは何の意味もない」と拒絶し、結局アメリカはアフガニスタン政府を脇に置き、自らタリバンとの間で合意を作りました。その内容は「アメリカ軍は14か月以内に撤退する。ただしアフガニスタン政府とタリバンは恒久停戦の交渉で合意を作り上げ、そのもとで撤退が完全に行われる」という条件付きでした。この撤退期限が今年5月1日でしたが、アフガニスタン政府との合意は実現しませんでした。これを引き継いだバイデン政権は、日程を8月末に先送りし、一方的に撤退してしまいました。タリバンは2001年から「お尋ね者」です。タリバンが約束を果たさない中で、アメリカ軍が撤退することは、当然タリバンの追い風になります。さらに追い打ちをかけるように今年3月、ブリンケン国務長官がアフガニスタン政府関係者に対して「アフガニスタン政府が一体となってタリバンとの合意を作り上げることができないなら、他の条件が整っていない場合でも5月1日までに米軍を引き上げることもあり得る」という書簡を出し、アフガニスタン政府に最後通牒をつきつけたわけです。これで追い風を受けたタリバンによる大攻勢が始まりました。タリバンはまずイランあるいは中央アジア諸国との間の国境地点を押さえて補給路を断ち、次々と町や州都を制圧、最後に8月15日、首都カブールが陥落しました。
第2節 国家再建プロジェクト失敗の原因
   2001年の「9.11事件」後、アメリカ軍はアフガニスタンへの攻撃を始めます。そして11月の終わりにはタリバンはカンダハールを失い、事実上崩壊します。12月5日、20年に亘る内戦に終止符が打たれ、新しい政治体制をつくるための「ボン合意書」が作られ、翌2002年1月には東京で国際復興支援会議が開かれ
、民主主義をアフガニスタンに広めるという壮大な計画の第一歩が始まりました。ところが2002年の夏、アメリカは民意を裏切る行為を行います。アフガニスタンの国家元首に想定外の人物が選ばれそうになったため、アメリカは各部族や有力者を脅し、力で民意を封殺する動きに出て、大いなる失望を生んでしまいました。またアメリカ軍は当初タリバンやアルカイダのような武装勢力を掃討し歓迎されていました。ところが掃討過程で一般市民が被害を受け、巻き添えで殺されます。またアフガニスタン人の内紛にアメリカ軍が駒のように利用されることも起こりました。例えば水利権を巡る村と村の対立は、何世代にも亘り続いているわけですが、相手を懲らしめるため「あの村の連中はタリバンだ」と吹聴して回る。アメリカ軍はよく調査もせず爆弾を落とすということが続き、アメリカ軍に対する敵意、敵対心が醸成されていきました。またイギリス軍が2006年の段階で地場のタリバンと停戦に合意したため、その地域のタリバンが盛り返したという事例もありました。いろいろ紆余曲折があり、ダメ押しになったのが、トランプ政権の下でのタリバンとの合意です。アメリカ軍の撤退が急速に進む中で、タリバンが大きく勢力を拡大し、カブールが陥落したということです。その時バイデン大統領は「アメリカはアフガニスタンの国家再建には関わっていない」「これは本来自分達の責任ではない」と言いますが、大嘘です。アメリカ軍のアフガニスタンにおけるミッションは、一つは「9.11事件」に対するテロ組織の撲滅です。これは2011年5月1日、隣国のパキスタンでウサマ・ビン・ラディンを殺害して、一区切りつきました。もう一つのミッションがアフガニスタンの国家再建です。このことはジョージ・W・ブッシュ大統領からオバマ政権へしっかり受け継がれています。オバマ政権がアメリカ軍を増派した時「特殊部隊は武装勢力を急襲して敵の勢力を排除する。復興を終えた後アフガン側に移譲する」というミッションが加わりました。しかし振り返ると、結局大きく失敗しました。その要因としては、まずアフガニスタンに人材がいなかったということです。当時の人口が2,700万人、今は4,000万人くらいですが、識字率が低く、行政などを動かす人がいませんでした。1980年代はソ連と戦い、90年代はずっと内戦でした。学校教育を受けた人が圧倒的に少なく、また婦女子に対する教育もタリバン政権の元で禁じられていました。次に内戦時代からの不和です。些細な争いや揉め事がいろいろあります。それから汚職が問題です。皆やりたい放題になっています。最後は国軍が逃げてしまう。政権を守るという決意が本当にあったのかということです。一方国際社会にも大きな問題がありました。アフガニスタンの人々がどのような人で、社会がどのように成り立っているかよく分かっていなかった。復興支援も声だけです。何十億ドルと集まりますが、根詰まりを起こして、その通り支給されません。さらにアフガニスタン問題を自分の選挙で有利に使おうというケースもありました。ジョージ・W・ブッシュが再選を目指した2004年のアメリカ大統領選挙は典型です。ブッシュ政権はアフガニスタンをサクセスストーリーにしました。既に調整や再確認の必要な事象が現れていましたが、「アフガニスタンで不都合が起きているはずはない」と手だてを講じていれば修正できたことも、そのまま放置されてしまいました。短期的目的のためにタリバンと安易な合意を作り、結局タリバンに美味しい所を全部持っていかれてしまったように見えます。
第3節 今のアフガニスタンの実情
   私は今のタリバンを「タリバン2021」と呼び、これまでのタリバンと区別しています。しかし本質的には変わっていません。アフガニスタンから外国軍を追い出し、イスラム法に基づき国家を再興することを目指しています。原理的にはイスラムの預言者ムハンマドが活動していた7世紀前半の時代に戻そうということです。対外的には国連の議席を得て、国際社会で認知してもらうことを目指しています。タリバンは国連安保理決議で1999年から制裁を受けており、その解除を狙っていますが、上手くいっていません。一方で国家の再建や4,000万人近くいるアフガニスタン人への関心はあまり高くありません。基本的に自分達がやるというよりは、外国にやってもらえばよいと思っています。人々を支配するのはわれわれ、施しを与えるのはあなた達(国際社会)の責任だと思っています。しかし最近は、テレビのニュースショーで、タリバンが女性キャスターと一緒に映っています。90年代は「テレビは個人崇拝や偶像崇拝に繋がる」と否定してきましたので、大きな驚きです
。またスマートフォンを手に取って写したり、遊園地で遊んだり、余興に高じる姿を見せて、これまでと違いがあると訴えています。かつて彼らは世直しを果せば、自分達は神学校に戻り一生懸命勉強する。女性はイスラムに則って保護する対象であり、少年兵を使うことはない。アルカイダのウサマ・ビン・ラディンは客人であり
、客人の庇護はイスラムに基づいて行うのだと言っています。タリバン2001がシャリーアの下で「女性のあらゆる権利を保障する。外国軍の協力者や前政権の公務員への恩赦を実施する。アフガニスタンがテロ組織に使われて他国を攻撃するようなことはさせない。自由なメディアを尊重する」と言っていますが、既にメディアの弾圧が始まっており、言行不一致は時間と共に明らかになるでしょう。政権ができて二か月半なので、統治体制が整わず、末端まで通達が伝わらないと言われていますが、タリバンは幾つもの武装集団の集合体であり、全体の統制力が本当にあるのかが問われています。またシャリーアですが、イスラム法の解釈が皆同じ物差とは保障されていません。例えばアフガニスタンの中央部から南部にかけては、小学校6年生までの女子は学校に通っていますが、それより上の者は許されていません。一方北部では12年生(高校生)まで学校に通うことが許されています。このように地域ごとに相当な幅があります。今タリバンは、アフガニスタン王制時代の憲法を復活させる議論を始めていまして、強い集権制を作り上げようとしています。王制ですから大統領を選ぶという考え方もありません。タリバンに都合のよいころだけを摘んでいくということです。
第4節 国際社会に与える影響
   現在、日本は協力してくれたアフガン人を助けることに集中しています。しかし退避できた人は氷山の一角です。20年の間、日本の外務省、JICA(国際協力機構)およびコンサルとして入った日本企業などに関わったアフガン人とその家族は「万人」を超えています。彼らを全員救えるのか。日本に連れてきて難民認定出来るのか。「万人」の受け入れは簡単な話ではありません。またこれまでG7が中心となり、タリバンに誤ったメッセージが伝わらないよう、政権の承認は抜け駆けしないよう、統一した基準で対応を調整しています。アフガニスタン政府には2002年の東京復興支援会議から開発支援を行い、最近では国家予算の半分を支援してきました。しかしアフガニスタン政府がタリバンに継承されますと制裁で支援金が凍結されてしまいます。今アフガニスタン国内ではお金がなく大変な問題になっています。冬が近づき間違いなく大きな被害が生じます。国連安保理の常任理事国5カ国が拒否権を行使しないという条件が揃わないと、制裁は解除出来ません。今支援と制裁が両立しないというジレンマがあります。緊急人道支援は制裁の対象から外れていますが、制裁があると実際は動けません。制裁を強めて、タリバンに言うことを聞かせるという考え方もありますが、アフガニスタンは既に集団的懲罰を受けているのに等しい環境にあります。一方で国際社会や国連常任理事国は必ずしも同じ方向を向いているとはいえません。タリバンに対し中国とロシアは非常に融和的です。中国とロシアが中央アジアの国々をまとめた「上海協力機構」(SCO)がありますが、最近アフガニスタン北隣のタジキスタンでサミットが行われ、アフガニスタン問題が大きな議題となりました。SCOは中央アジアにテロが蔓延しないよう防波堤としての機能があり、インドとパキスタンが呉越同舟で加わっている珍しい機構です。今回ここにアフガニスタン西の隣国イランが正式に加盟を認められました。国際社会はアフガニスタン政府にこれまで毎年40〜50億ドルの経済協力をしてきましたが、タリバンは今同じことを期待しています。問題はアフガニスタン政府に対する経済協力の供与は無条件ではありません。良い統治をするため目標を掲げ、それを達成する対価として無償供与が行われます。これまでの政府は人権問題や統治のあり方について国際社会の要求に答えるようにやってきました。しかしタリバンは同様の条件や基準を全く受け入れようとしません。アフガニスタンの代表権のある政府といわれてもこれまでのような支援をするわけにはいきません。正当な政権を名乗る以上は「しっかり憲法を作って統治を行う。治安を維持する。国民に対して医療を提供する。教育の機会を与える。食料の保障を行う。雇用の機会を作る」などを実行することが必要です。またアフガニスタンは、国連憲章や世界人権宣言、さらに女性に対する差別禁止条約も含め、様々な国際条約を批准しています。それらを無視した状態でタリバン政権下のアフガニスタンを国際社会の一員として認めることは出来ません。また別の観点から我々に影響を及ぼす問題があります。「グレートゲーム(中央アジアを巡る戦略的抗争)」です。8月15日までカブールにあったイスラム共和国の政権は、パキスタンと険悪な状態にありました。反対にインドとは極めて良好な状態でした。一方インドとパキスタンは1947年からずっと敵対関係にあります。インドと中国も対立関係にあります。アフガニスタンの政権がタリバンに変わると、パキスタン、アフガニスタン、インドの間を巡る関係が変わります。パキスタンとアフガニスタンが接近し、アフガニスタンとインドの関係が悪化します。これまでパキスタンはアフガニスタンとインドの両側から挟まれ、パキスタンを支援してきた中国にとっても非常に不都合でした。インドはイランを経由し、アフガニスタンを通じて中央アジア進出の足がかりを得ていましたが、これが使えなくなります。中国とパキスタンは挟み撃ち状態からの解放になります。アメリカ軍はこれまでアフガニスタンに基地を持っていて、パキスタンに極めて不利で、中国にとっても好ましくない状況でしたが、これがなくなりました。アメリカの撤退とタリバンの席巻で、中国やパキスタンが全面的に有利になったというわけではありませんが、少なくともFOIP(自由で開かれたインド太平洋)やQUADの関係からいうと、南アジアあるいは西アジアに近いインドの立場は著しく悪化したということになります。

第三章 「イラン核合意再生に向けた交渉の展開
第1節 核合意の再交渉は厳しい状況
   イランの核合意は、核拡散防止の観点から一番合理的で、現実的で、効果がありました。トランプ政権はこれを破棄しましたが、バイデン新政権はこれを「再び元に戻すことができるのか」また「本当に戻す意欲があるのか」ということが問われています。まず「元に戻す」ということはかなり厳しい状況です。アメリカは「イランが合意事項を全部守れれば戻る」と言っていますが、イランは「出て行ったのはアメリカだから、アメリカが戻ってくれば、イランは全部合意を守る」と言っており、どちらが第一歩を踏み出すかということです。「戻す意欲」については、イランが核に対応しても、弾道ミサイルの開発、域内での影響力拡大の動き、国内の人権抑圧については何ら対処していないという批判があり、これらを含めた新しい合意を作ることが核合意の再生交渉の肝だと考える人達がいます。そうなると次元の違う話が入ってくるので、かなり揉めることになります。アメリカは議会の手前もあり、より良い合意、より強い合意を作ろうとする立場です。一方イランは今年6月、大統領選挙でライースィーという法学者が大統領になりましたが、新聞などでは対米強硬派と書いています。イランには大統領、国会議長、司法長官の三権の長の上に最高指導者という法学者がおり、この人が全権を持っているように見えます。この最高指導者のガイドラインにライースィーは極めて忠実です。それは今の最高指導者が82歳で、その有力な後継者候補の一人に入っているからです。最高指導者に歯向かったり、不評を買ったりすれば後継者になる芽が薄れていきます。結局、核合意の再生交渉に関するイランの立場は、最高指導者のガイドラインに出来るだけ忠実にしようとします。これまでの大統領は対応が違っており、最高指導者のガイドラインを尊重しつつも、微妙に言葉を選び2015年の核合意を作り上げました。しかし今度はそのような細やかなことを対外的にするつもりは全くありません。イラン側は原則論を踏み外すことはないと思われますので、イランの譲歩を期待することは相当難しい状況です。
第2節 近隣国との関係強化にシフトするイラン
   イランは前大統領の時は国連外交や西側との接点、特にアメリカ、ヨーロッパ、日本を大事にしていました。もちろんロシアや中国も大事にするマルチ外交をしていました。しかし今度の政権はアフガニスタンやイラクなど周辺地域との関係を優先させるように変わってきました。核合意の再生を諦めてしまえば近隣国との関係が重要で、今イランは近隣国外交にシフトしています。しかし近隣の反イラン派から見ると、イランが周辺を浸食してきていると見え、摩擦が増加します。アメリカは「イランがまた地域に触手を伸ばしている」と不信感を再生することになります。アメリカには核合意再生のためにはロシア、E3(英独仏の三か国)、イスラエルと連携を取った方が良いという考えがあります。確かに単独行動をとるよりも多国間で協調を図っていく方がイランに対し圧力になります。特に目立つのがイスラエルの動きです。アメリカの交渉チームはロブ・マリー特使の下に元オバマ政権期の駐イスラエルアメリカ大使のシャピーロがいて、極めてイスラエルに配慮し、イスラエルの意見を取りこんだ対応を見せています。これはイスラエルと敵対関係にあるイランからすれば有り難くない状態で
、イラン側の態度がより硬化することになります。イランは従来よりも更に高い水準のウラン濃縮をやっていることが、国際原子力機関(IAEA)の査察やモニタリングで明らかになっています。核合意の停止でイランの濃縮ウラン量が益々増加し、総量で核弾頭1発以上となり、また60%濃縮の領域まで行えるようになりました。兵器は90%以上の濃縮が必要ですが、60%という領域は核兵器を持つ国以外やっていません。イランとの交渉は今デッドロック状態で、危機の足音がどんどん大きくなっています。核合意交渉が始まった2013年11月の状況に戻っている。あるいは当時以上のところまできてしまったということです。核合意が核危機を抑制していたと認めれば、核合意の再生に意味がありますが、核合意を再生しても、イランの核活動ははるか上の水準に行っており、弾道ミサイルなども全部まとめて核合意に入れない限り新たな合意に意味がないということで交渉は頓挫しています。
第3節 イスラエルの状況とアメリカ中東外交の変質
   イスラエルとイランが対立関係にあることから、アメリカの核交渉チームはイスラエルの意向を強く反映する構造になっています。イスラエルがイランのウラン濃縮能力の拡充を警戒していことは分かりますが、イランに対するスパイ活動や破壊工作は、少し間違えると戦争になる危険があります。イランはアサド政権に要請されて
、シリア領内に軍を派遣していますが、イスラエルはその軍部隊に対して空爆しています。またイランのタンカーが東地中海から紅海にかけての海上で攻撃を受けたり、民生用ウラン濃縮工場が爆発したり、公然と暗殺が行われるなど、去年からかなり激しさを増している状況です。一方イランはオマーン海近辺でイスラエル関係の船舶をドローンで襲撃したり、ウラン濃縮の濃度を上げたり、あるいはIAEAに対する協力を縮小して対抗しています。イランが核活動の天井を引き上げることは、イスラエルの安全保障に脅威を与えることになり、イスラエルはいっそう攻撃意欲を増すというエスカレーションの構図を辿っています。去年11月にはイラン側のキーパーソンである核物理学者が暗殺されました。衛星通信を使ったリモートコントロールで車列を銃撃し、車中の人物をピンポイントで殺すという物凄く精度の高い遠隔攻撃を行いました。アメリカの中東外交はいつの時代も多くの問題を抱えていますが、バイデン政権が宣言したような復活はありません。変質したとも言えます。特に中東においては縮小傾向にあるのは明らかで、アフガニスタンにそれが表れていますし、イラン核問題は合意の再建は五里霧中という状況です。その状態でイスラエルからの破壊工作などの攻撃があり、エスカレーションの構図がはっきり見えます。「イラン核合意があってこそ、この地域の核拡散や紛争が抑えられていた」という認識が復活しない限り、新たな危機の発生に向かってしまいます。イスラエルについて言えば、バイデン政権はイスラエルが軍事行動や破壊工作を起こすことを止める意識はないということです。イランの核活動の拡大と、それを潰そうとするイスラエルの実力行使がある中で、イランとイスラエルとの衝突の可能性も捨てきれません。アメリカにとって、チョークポイントとしての中東の問題であり、本来であれば無視できない問題です。

おわりに
   今ガソリンが物凄く上がっていますが、その背景には原油高、円安ということもありますし、燃料の歪な需給関係というのもあります。アフガニスタンを巡っては1990年代から天然ガスパイプラインを敷くという話があました。トルクメニスタンを井戸元として、アフガニスタンからパキスタンを通ってインドに至るまでTAPIというガスパイプラインを建設しようとしました。この建設は2001年以降アジア開発銀行が予算をつけ事業化調査をやっていました。仮にタリバン政権がアフガニスタンを安定的に抑えることが出来れば、このパイプライン敷設の議論もできると思います。ただし最後はP(パキスタン)とI(インド)との関係ですが、パキスタンとインドとの関係は常に緊張があり、とても早期に解決する問題ではありません。特に下流に当たるインドは重要なガスの供給を上流でパキスタンに握られるような戦略的弱さを見せることは絶対にできないわけで、パイプラインが前に進む余地はありません。パキスタンは自分の経済力ではガスを買う能力がありませんので、インドまでの通行料を得ることで自ら必要なガスを買うことができるという構造です。今回タリバンと中国が一定の協力関係を築けるのであれば、港町カラチから石油パイプラインを敷いて中国の西僻に持っていくCPEC(中国・パキスタン経済回廊)という構想がありますが、これに沿うかたちで天然ガスパイプラインを敷けば、中国がパキスタンに通行料を払うということで、新しいパイプライン図が描けることになります。エネルギー地政学あるいは新しいグレートゲームがこの地域で出てくるだろうと予想しています。世界のエネルギー需給の中でガス不足に将来どう対応するのかということに波及します。

質疑応答
「質問1」

  タリバン政権復活後、女性や子供の人権が著しく侵害されていると聞きますが、日本が人道支援のために出す支援金は本当に市民のために使われるのでしょうか。

「回答1」

   支援金がそのままタリバンに渡るのではなく、国連の関係機関や国際的なNGOに渡り支援が行われますが、環境が厳しく相当苦労すると思います。制裁の関係もあり、市民支援のノウハウもないタリバンに渡るわけではありません。


「質問2」

  中東は男性中心社会ですが、ジェンダー平等が問題にはならないのでしょうか。

「回答2」

   各国の国内で声が上がっていないわけではありません。しかし多くの批判は国際的な人権擁護団体や国連人権理事会から出てくるものです。アフガニスタンだけではなくイラン、サウジアラビア、イラク、イエメンなどで特に問題があるとの報告書が出ています。しかし外からの批判は真に受けようとせず、開き直りに聞こえる反論が出てくるのが常です。


「質問3」

  現在の原油高の原因と原油高はいつまで続くのか教えてください。

「回答3」

   原油高は需要と供給のミスマッチがあるからです。近年OPECとロシアを中心とした非OPEC国の間で生産調整が行われてきました。しかしコロナが沈静化した幾つかの経済圏で経済が上向きになり再びエネルギー需要が上昇しているので、生産調整を緩めようという声と、先行きの反落懸念から慎重に対応しようとする構成国の間でせめぎ合いがあります。春先に増産慎重派のサウジアラビアと積極派のUAEが対立したこともありました。増産の見込みが低いことが原油高を引っ張っています。さらに石油製品の需給はもう少し歪です。日本の場合、航空燃料の需要が低いという問題があります。原油は軽いものから重いものに分離していくわけですが、ガソリンは比較的に上の方にあり、その下にジェット燃料がきます。ガソリン需要で原油を精製すると、ジェット燃料が余ってしまいます。そのため積極的に原油を精製したくないという事情があります。結果として今のガソリン高を招いているということになっています。このアンバランスが是正されないと、原油価格がある程度落ち着いてもガソリン高のままということになります。原油高が収まる時期はOPECプラスが生産調整をやめ大増産に転じれば途端に流れは変わります。また日本は原油を輸入していますので、円高に戻ればよいわけです。日本ではいわゆる「トリプル安」が始まったという話もありますので、円安が日本経済の足かせになるかもしれません。


   以上は、慶應義塾大学大学院教授 田中浩一郎氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです.。

お問い合わせ

イベント情報や館内のご利用についてなど、お気軽にお問い合わせください。

※メールソフトが開きます

お問い合わせ