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    井上和彦 氏 『いまなぜ“日英同盟"か』

武藤記念講座(講演会事業)

第1090回武藤記念講座要旨

    2022年6月4日(土)
    於大阪「國民會館 武藤記念ホール」
    軍事ジャーナリスト
    井上 和彦 氏
 『いまなぜ“日英同盟"か』


セミナー





はじめに
   今日のテーマは“日英同盟”です。これは今のウクライナ情勢とも関係がありますので、ウクライナ情勢についてメディアで報じられていない内容や日本社会の中から完全に消されてしまっている事象を合わせて、皆さんにお届したいと思います。

第一章 ウクライナ情勢について
第1節 ウクライナの概要
   ウクライナはヨーロッパ最大の約60万平方キロメートルの面積を持っています。日本の約1.6倍の広大な国土です。そこの人口は4,159万人で、日本の3分の1の人口が暮らしています。日本のように真ん中に山脈が連なり、日本海側と太平洋側に人口が分散しているのではなく、平坦な土地が多く、人口密度は低い国です。民族構成はウクライナ人が77%で、ロシア人がおよそ17%います。このことが問題の要因の一つとなっています。日本人がロシア料理だと思っているボルシチは、もともとウクライナの郷土料理です。また日本との関りでは、日露戦争の時、日本陸軍の秋山好古がコサック兵を打倒したのですが、勇猛なコサック兵で有名な国です。また文学者では「外套」「死せる魂」などの小説を書いたニコライ・ゴーゴリが出たところでもあります。また皆さんはイーゴリ・シコルスキーをご存じでしょうか。アメリカにある世界No1のヘリコプター製造会社を創った人です。シコルスキーはウクライナ人です。さらにびっくりするような人がいます。旧ソ連の書記長、レオニード・ブレジネフです。彼もウクライナ出身です。
第2節 ウクライナに侵攻したプーチン大統領の真意
   ロシアのプーチン大統領はいったい何をウクライナに求めているのでしょうか。本当に“NATOの東方拡大”を恐れているのでしょうか。彼は、NATOの配備を1997年時点の状態に戻すように言っていますが、それはプーチンにとって最重要の問題ではないと思います。かつてウクライナも、ロシアも、ベラルーシはキエフ大公国という同じ国でした。そしてキーウ(キエフ)という街は、モスクワを東京に例えると、ロシア人からすれば京都や奈良みたいな場所ということになりましょう。ロシア人にとってはそんな古都が離れていくことが我慢ならない。確かにNATOは拡大しています。最初のNATOはノルウェー、デンマーク、西ドイツ、イタリアなどが境界線で、その東側と西側の間には中立国が存在していたのです。また旧ワルシャワ条約機構に入っていた東ヨーロッパの国々の南にはトルコがあり、この辺り一帯がオスマン帝国であった時代、非常に関係が強かったのです。それが、気が付いたら全部NATOに入っていました。さらに旧ソビエト連邦の構成国であるバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)がNATOに入り、今度は、ウクライナが入ると言い出した。しかしロシアは今回のウクライナへのNATOの拡大の阻止で墓穴を掘ってしまいました。これまで戦略的に中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンがNATO入りすることを決意し表明しました。フィンランドとロシアは1,300kmの国境で接しています。プーチンは大失態をやらかしてしまった。ウクライナに軍事侵攻してしまったために、こうした中立国までもがNATOへ加盟することを決断するという、まさに“オウンゴール”になってしまったのです。我々が“ロシア”と呼んでいる国は、実は、22の共和国から成る”ロシア連邦“が正式名称です。この構成国の中には数多くのイスラム教の国があります。つまり”ロシア“は1カ国ではなく、数多くの共和国からなる連邦国家なのです。20世紀末には、ロシア連邦の構成国の一つであるチェチェン共和国がロシアから独立しようと2度も独立戦争を起こしています。いわゆるチェチェン紛争です。
   米ソ冷戦後にはかつての東ヨーロッパのポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ブルガリアという国が、次々とEUに加盟し、NATOにも入るなどして、それまでのリーダーだったロシアから離れていってしまいました。ところがソビエト連邦が崩壊した時、その構成国だったエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国がNATOおよびEUに入ってロシアから離れていったことはショックが大きかった。そして近年では、同じ旧ソ連邦の構成国だった、ウクライナ、モルドバ、ジョージアがNATO入りを希望しているということで、ロシアにとってみばれ、いわば血縁関係のある親族が自分から離れていくようなものでショックが大きかったのでしょう。というのも、こうしたいわゆる“ロシア離れ“が進むと、先ほど申し上げたロシア連邦の22の構成国からも、かつてのチェチェン共和国のように独立を言い出す国が出てこないとも限りません。先ほどのたとえを使って言えば、この場合は、自分の肉親、自分の息子や親が自分から離れていくようなもので、それはロシア連邦の瓦解に繋がってゆきます。プーチン大統領はこのことを恐れているのだと思います。
第3節 ロシアのウクライナ侵攻
   今年の2月24日、ロシアはついにウクライナに大規模な軍事侵攻を開始しました。北、北東部、東部からウクライナ領内に大軍を投入し、ベラルーシ国境から進撃したロシア軍部隊は首都キーウを目指して軍事作戦を行いましたがこれは完全に失敗でした。一方でロシア軍は、ウクライナ東部のルガンスク州とドネツク州といったドンバス地方をほぼ手中に収めつつあります。この地方は、そもそも親露派の住民が多く、ロシアがクリミア半島を併合した時期に合わせて“ドネツク人民共和国”“ルガンスク人民共和国”という国が独立宣言しており、8年前からロシアへの併合の準備が行われてきた地域です。もちろんロシアの“傀儡国家”です。この二つの人民共和国は2014年5月12日にウクライナから独立を宣言しました。ルガンスク州の半分がルガンスク人民共和国、ドネツク州の一部がドネツク人民共和国です。これは明らかに国家分裂を企んだ内戦です。そしていま南部のヘルソン州でも人民共和国が誕生する動きがあります。
   ロシアは、偽旗作戦(False Flag Operation)という軍事作戦を多用します。ロシア軍が、ウクライナ軍が攻撃しているように見せかける欺瞞作戦です。またロシア軍は、住民虐殺、略奪、強姦といった戦争犯罪を各地で行っています。しかもウクライナに投入されているロシア軍の兵士たちはモスクワから遠く離れた地方や少数民族が多く、シベリアや北方領土からも投入されています。モスクワ近郊の兵士が戦死すると家族が騒ぎ反政府運動に発展する恐れからだと推測されます。現実に「ブチャの大虐殺」を行ったのは、極東のハバロフスクあたりの部隊だったと言われています。
   ポーランドの友人から、ロシア軍がウクライナにとんでもない兵器を持ち込んでいると連絡が入りました。それは“移動火葬車”といわれるもので、コンテナの中に遺体を火葬する炉が積まれているのです。具体的には激戦地マリウポリに、ロシア軍は13両の移動火葬車を持ち込んだということです。しかも一般市民の虐殺を隠すために死体を焼却していたようです。不思議なことにロシア軍はロシア兵の遺体には見向きもしないというのです。どうやらこの移動火葬車は、虐殺した一般市民の遺体を灰にすることで証拠隠滅を図ろうとしているようです。
   ウクライナ戦争では多くの一般市民が犠牲になっておりますが、ロシア軍は、当初から民間人も攻撃対象としており、民間施設にミサイルや砲弾を撃ち込んでいました。避難のため鉄道駅に集まった民間人に対する攻撃では、ロシア軍が撃ち込んだ兵器の残骸にはなんと白い文字で「子供たちへ」と書いてありました。
第4節 ウクライナが善戦しているのは何故か
   ロシア軍の戦死者は6月1日時点で3万人を超えています。僅か3カ月です。アフガニスタン侵攻で戦死したソ連軍兵士は10年間で1万5千人です。また失った戦車は1,363両、この数字は陸上自衛隊が保有する戦車の2倍ということになります。そして戦闘機は210機失っています。これは航空自衛隊が保有するF15戦闘機の保有数とほぼ同じです。しかもウクライナに投入されたロシア軍は、その戦闘能力の25%を失っているという分析もあります。
   一方、ウクライナ軍はアメリカなどから提供される高度な軍事情報を基に、NATO諸国から提供されるハイテク兵器を効率的に運用するという21世紀型の戦いをやっています。ロシアは最初の1週間は弾道ミサイルによる長射程攻撃やサイバー攻撃で電子機器を麻痺させるハイブリッド戦を行いましたが、その後は第二次世界大戦の地上戦闘を彷彿させるような前近代的な戦い方をしています。つまりロシア軍は1週間で軍事作戦を終わらせる目論見だったようですが、想定をはるかに超えるウクライナ軍の徹底抗戦でその計画が狂ってしまった。
   2月初めの北京オリンピック開会式に、プーチン大統領が出席しました。ドーピング問題で国家として参加出来ないにもかかわらずですよ。この時私は「プーチン大統領が習近平にウクライナ侵攻を告げた」と思いました。 ウクライナは3月初めになると雨が降り始め、大地がぬかるんで戦車が動けなくなります。かつて第二次世界大戦で、ソ連軍がドイツ軍と激突したハリコフ攻防戦で大損害を出しましたが、その時と同じ状況です。2月末までは凍土のため大規模な戦車の運用ができますがそれ以降になると難しくなってくるのです。
   それに3月にはパラリンピックが始まり、世界の注目がそちらに向きますので、私は「1週間という短期間で攻撃をかける可能性がある」と思っていました。しかしウクライナ軍がここまで善戦するとは思いませんでした。さすが勇猛なコサック兵の伝統を受け継いだウクライナ軍は押し寄せるロシア軍の前に立ちはだかったのです。
   さらにロシア軍の動向に対する高度な軍事情報がアメリカなど支援国からウクライナにもたらされたことはたいへん大きかったと思います。 それに加えてアメリカやイギリスなどから提供された「ジャベリン」「NLAW」といった携行式対戦車ミサイルが威力を発揮しました。軽量で、相手の戦車をロックオンすると戦車を追いかけ、戦車の最も脆弱な上面も攻撃できる対戦車ミサイルです。こうしたハイテク兵器によって攻撃を受けると、どうやら後続車は怖気づいて戦車を放棄して兵士が逃げ出すこともあるようです。
   また戦闘機やヘリコプターのエンジン部の熱源を探知して追尾するアメリカ製の携帯式地対空ミサイル「スティンガー」というミサイルは、数多くのロシア軍ヘリコプターを撃墜する戦果を挙げています。
   そして今回のウクライナ戦争の特徴の一つといえるのが無人機です。とりわけトルコ製のバイラクタルという無人機が大活躍しています。このようにNATO諸国からウクライナに供与されるハイテク兵器はロシア軍にとって極めて厄介な存在です。
   さらに先ほども紹介したとおりアメリカからの高度な軍事情報の提供はウクライナ軍にとってたいへん重要です。ロシアのプーチン大統領とラブロフ外相は、開戦前は「絶対に戦争はしない」と言っていましたが、アメリカの情報機関はロシア軍の軍事侵攻に関する確度の高い情報を入手しておりました。その上でウクライナ軍はNATOからロシア軍の侵攻に対する有効な防御兵器をもらって効率の良い戦いを行っているのです。
   情報といえば、ブチャの大虐殺を行った1,600名のロシア兵のパスポート情報が公開されるということがありました。つまりNATO軍は、ロシア軍の規模どころか末端の兵士の情報も把握していたわけです。しかもロシア軍将官が相次いで戦死しております。そもそも指揮官は後方の司令部等で采配をするのに、そこにスナイパーが現れ、あるいは砲弾が飛んでくるわけです。つまりロシア軍の指揮官の居場所が特定されていると思われます。ロシア軍にとってこれほど恐ろしいことはありません。またゼレンスキー大統領の暗殺未遂やプーチン大統領の健康状態までもが漏れている。そもそも国軍の最高指揮官の健康状態は最高軍事機密の一つです。これが漏れるのは、明らかに通信傍受か、プーチン大統領周辺にスパイが送り込まれていると考えられます。それにウクライナ各地で戦うロシア兵とロシア国内に居る家族との会話も傍受されており、時折りその赤裸々な通話内容が公開されたりしています。実はそうした個人レベルの通信傍受から、ロシア兵の心情など戦争遂行に必要な貴重な情報が入手されており、かつ戦争犯罪までもが明らかになっているわけです。
   当初、ロシア兵は戦争へ行くと聞かされていなかったということが報じられておりました。しかしながら、ロシア軍10万人以上もの大兵力から戦争突入の情報が漏れないようにするためには、兵士らに情報を与えないのは不思議な事ではありません。さらにいえば戦争中は偽情報を流します。かつての大東亜戦争では、日本の軍部が大本営発表としてデタラメナ情報を流したと信じ込まされてきましたが、そもそも大本営が本当の戦果や被害を流さないのは当然のことなのです。こうした発表を敵であるアメリカ軍が傍受しているからです。つまり”情報戦“です。戦後、日本のメディアは、「日本の軍部が国民に嘘をついた」と言っておりますが、そうではなく、その本質は軍の情報戦であったわけです。止むにやまれぬ戦争を決断させられた日本と、国家のエゴと領土的野心で戦争をはじめたロシア軍を並べて考えるのは不謹慎ですが、いずれにせよ戦争には”情報戦”という視点をもつことが必要です。
   ちなみにスウェーデンはロシア軍の偽情報に巻き込まれないよう今次のウクライナ戦争を契機に心理防衛庁を作っていますし、フィンランドは偽情報に対する自衛教育を行っています。

第二章 日本はロシアへの警戒を怠ってはならない
第1節 ロシアの飛び地戦略
   ロシアの“飛び地戦略”に注目する必要があります。
   ウクライナのドンバス地方、ルガンスク州とドネツク州に、ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国を作りました。またウクライナの隣国にモルドバ共和国があります。人口264万人の九州より少し小さな国です。ワインが有名で、民族構成はモルドバ人、ウクライナ人、ロシア人などとなっています。ロシアはここに沿ドニエステル共和国という飛び地を作りました。細長い国土の面積が4,163平方キロ、人口51万人の小さな”国“です。国旗は旧ソ連の旗の真ん中に緑の線が入ったものが使われています。ここにロシアの陸軍第82独立自動車化狙撃旅団と113独立自動車化狙撃大隊の約2,500名の部隊が駐留しています。この存在は、ウクライナと同じく西側との協調路線を強めるモルドバへの圧力であり、ウクライナを西方から威嚇する存在でもあります。
   また旧ソ連構成国のジョージアにも、南オセチア、アブハジア自治共和国といった飛び地を作っており、近く南オセチアでロシア編入の住民投票が行われるという情報もあります。
   ロシアは、領土的野心を持つ国やロシア離れの可能性がある国には、こうした飛び地を作り、いざという時介入の口実とします。そもそもジョージアは旧ソ連のヨシフ・スターリンやエドゥアルド・シュワルナゼ外相の生まれ故郷ですが、そんな国ですらロシア離れが加速しているのです。
   そして次にロシアの侵攻が懸念されているのが、ウクライナと同じく旧ソ連構成国だったエストニア、リトアニア、ラトビアのバルト三国です。
   エストニアの人口はおよそ133万人ですがそのうちの約4分の1がロシア系住民です。ただし、エストニア語を使えないと国籍が貰えずおよそ30万人が無国籍の状態で社会サービスが受けられていません。これはラトビアも同じです。もし万が一、この点にロシアが目を付ければ、またウクライナと同じように侵攻する可能性も否定できません。
   またこのバルト三国で注目すべきは、リトアニアとポーランドの間に存在するカリーニングラードというロシアの飛び地です。ソ連邦からリトアニア、ラトビア、エストニアが独立したことでこのカリーニングラードが飛び地となってしまったのです。どうやらロシアはここに核兵器搭載が可能な弾道ミサイルを配備しており、スウェーデンやドイツ、ポーランドにとってたいへんな脅威となっています。
第2節 対馬を占領した「ポサドニック号事件」
   「ポサドニック号事件」(別名:ロシア軍艦対馬占領事件)をご存知でしょうか。文久元年2月3日(1861年3月14日)、ロシアの軍艦が対馬にやってきて居座った事件です。ロシアの中国艦隊司令官のイワン・リハチョーフ大佐が不凍港確保のため対馬に軍港建設を提案、ニコライ・ビリリョフ中尉の乗ったポサドニック号が、突然対馬の浅茅湾の尾崎浦に現れ、修理を理由に資材と遊女を要求しました。当時外国船が出入りできるのは長崎だけでしたので対馬藩はこれを拒否しました。すると勝手に上陸し、兵舎を建て、対馬藩に租借を要求しました。さら制止しようとした警備兵をロシア兵が射殺し、郷士2名を軍艦に連行しました。さらに別の番所では、武器を収奪し住民を数人拉致、7頭の牛を強奪しました。翌日にも水兵100余名が大船越村で略奪行為を行いました。今ロシアがウクライナでやっていることと同じようなことをやっていたのです。15代藩主の宗義和は懐柔策を考えますが、ロシアは更に永久租借を要求します。この時老中の安藤信正は、イギリス公使のラザフォード・オールコック、イギリス海軍中将のジェームズ・ホープと協議し、イギリスが東洋艦隊の軍艦2隻を対馬に差し向け、圧力をかける話がまとまります。そしてイギリスの軍艦2隻が対馬に向かって示威行動を行ったところ、ロシアは対馬から退去したということがありました。 br /> 第3節 ウクライナ問題は他人ごとではない
   ロシアが対馬に来たのは、1853年に起こったクリミア戦争の結果にも起因します。ロシアはイギリス、フランス、トルコの連合軍に敗れ、黒海に不凍港が確保できなかった。そのため不凍港を求めて対馬に来たのです。 ウクライナと日本は、ロシアの隣国でかつ領土問題を抱えている点で類似性があります。ウクライナの三十代の女性から「私たちウクライナ人は、日本のためにもウクライナで戦っております。我々が戦うことでロシアが東側で行動をおこすことができない」という趣旨の手紙をもらいました。ロシアと領土問題を抱えている日本は、ウクライナと同じであるという発想です。
   先のポサドニック号事件が対馬でおきた。そして南下するロシアと戦った日露戦争。考えてみれば、朝鮮半島は東のクリミア半島と考えればロシアの動きがよくわかる。なるほどソ連が北朝鮮を作ったのは、まさにクリミア併合のシナリオによく似ている。沿ドニエステル共和国は北方領土の択捉島にそっくりではないですか。まさしく日本領に作られたロシアの飛び地といっても過言ではありません。彼らは返還するつもりがないのでしょう。ただし安倍総理の時、日露間の外交が活発化し返還ムードが盛り上がったことがありました。ロシアにとっても日本の技術支援や投資が欲しかったのは事実でしょう。
   ロシア人にとって日本は不思議な国のようです。戦争に負け、日本は焼け野原になって半世紀も経たないうちに世界第1、2位を争う経済大国になり、ハイテク機器や自動車などの産業を独占してきた。しかも平均寿命は世界1,2を競っている。隣国ロシアにとって、日本は謎が多い国として映っているのです。
   そして日本は、かつてナポレオンもヒトラーもできなかったことをやったと。つまりロシア人は、日本が日露戦争でロシアを打ち負かしたことにある種の敬意すら感じている。また同時にそれゆえにロシア人は日本人に対し恐ろしいほどの警戒心を持っています。
   かつてロシア人から「日本は、北方領土がなくても経済大国、技術大国になった。そして世界一の長寿国になった日本が、なぜ北方領土に固執するのだ。北方領土に何があるのだ」と聞かれたことがありました。ひょっとすると、北方領土には金銀財宝が眠っており、返還されると、益々日本が発展すると思っているのかもしれませんね(笑)。
   以前、ウクライナの人達が、ウクライナの首都キーウのロシア大使館前で、北方領土返還を訴えているデモの写真を見せてもらいましたが、その横断幕には、英語で「昨日の日本、今日のウクライナ、明日はあなたの国かも!」と書かれていました。つまり、大東亜戦争終結のどさくさに紛れて日本が北方領土を奪われ、今、ウクライナはクリミア半島が奪われている。そして明日はあなたの国かもしれない、というメッセージでした。まさにウクライナ人は、ロシアの領土的野心をこのように見ていたのです。にもかかわらず日本人は、はるか遠いウクライナで起きていることは対岸の火事のように感じているかもしれませんが、決してそうではない。ウクライナ戦争は対岸の火事ではないのです。
   6年前、ウクライナ出身のナタリアさんは、靖国神社の特攻勇姿の像の前で、「このような若い特攻隊員がいたら、今のウクライナはロシアに蹂躙されていない」と泣いていました。「祖国のために身を投げ出す日本の軍人は立派です」と言われた時何も言えませんでした。今の日本人を想うと恥ずかしくなりました。
   今回のウクライナ戦争で我々が一つ認識しておかねばならないことがあります。それは、ロシアの仕掛けた戦争で、日本に住んでいるロシア人も同じ思いで戦争に反対し、そして肩身の狭い思いをしていることを知っておく必要があります。ロシア人が反戦運動をやったり、軍を批判するようなことをすれば、最長15年の懲役をくらうかもしれないのです。また帰国できなくなることを覚悟で運動している人がいることを知ってください。ウクライナの人たちは「避難民」ですが、二度と祖国に帰れないロシア人は「難民」とえいましょう。

第三章 日英同盟が必要
第1 節 懸念されるロシア、中国、北朝鮮の連携
   私が最も懸念しているのは、ロシアの要請をうけて北朝鮮が北方領土に兵力を展開させることです。現在ロシアは、シベリアを含むロシア各地の部隊をウクライナに投入しており、これによる力の空白を補うために北朝鮮の特殊部隊や弾道ミサイルが、国後、択捉、歯舞、色丹に配備されることが一番厄介なシナリオです。その意味で、ウクライナ戦争の長期化は極東地域の安全保障に大きく影響することにもなりかねないのです。
   もちろんこうした不安材料は北朝鮮だけではりません。中国はさらに厄介な脅威です。
   “今日のロシアは、明日の中国”であり“今日のウクライナは、明日の台湾”だ、という認識を持つ必要があります。ロシアが1週間以内にウクライナを制圧することに呼応して中国が台湾を制圧する計画もあったという物騒な話も聞きました。
   ウクライナの輸出入の最大の貿易相手国は中国で、中国は、ウクライナを取り込んでいたということですが、今度は世界中からの経済制裁で苦しんでいるロシアの経済を支え、ロシアに弾薬を供給するなどしてロシアを取り込むことでしょう。習近平とプーチンが水面下でつながっているのは間違いありません。中国は、絶対にロシアが壊れてもらっては困るのです。自分たちが国際社会の非難を一手に引き受けることになるからです。中国の軍事的脅威や深刻な人権問題が今次のロシアのウクライナ侵攻で隠れてしまっていることに危機感を持つ必要があります。
第2節 日英同盟の歴史
   日清戦争の時、日本と清国が激突する中、ロシアは北方から虎視眈々と朝鮮半島を狙っていました。日本の学校教育では、朝鮮半島の支配権をめぐる日清両国の争い、と教えていますが、日本は、朝鮮が清国から独立して近代化するよう説得していたのです。西郷隆盛のいわゆる“征韓論”の本質は、このままでは朝鮮がロシアに飲み込まれてしまうので、朝鮮に開国を勧めることでした。その後福澤諭吉も清、朝鮮に開国を促しますす。清国も同様でした。そこで福澤諭吉は明治18年(1885)3月16日の時事新報の社説で「脱亜論」を書きました。つまり福澤もロシアの脅威を察知していたわけです。
   明治19年(1886)7月、清国は北洋艦隊を朝鮮に派遣します。その後、北洋艦隊の定遠・鎮遠など4隻の軍艦が長崎にやってきて「長崎事件」を起こします。北洋艦隊の水兵が無許可で上陸し、乱暴狼藉の限りを尽くし、2人の警官が殺害されました。海軍力のない日本はこの脅威を討払うことができなかったのです。そのような状況の中で、明治27年(1894)7月16日、日本はイギリスと日英通商航海条約を締結します。幕末(安政5年)に、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとの間で結んだ安政五か国条約は、日本にとって不平等な条約でしたが、これを最初に改定してくれた国がイギリスです。イギリスのキンバリー外相は「日英間に対等条約が成立したことは、日本の国際的地位を向上させるうえで、清国の何万の軍を撃破したことよりも重大なことだろう」と言っています。その9日後、日清戦争が始まります。イギリスは、日本と清国の争いを、ロシアが虎視眈々と南下の好機を窺っていることを見抜いていました。福澤は日清戦争の安全保障上の意義について自伝の中で書いています。
   そして日本が日清戦争に勝って遼東半島を獲得したところへ、戦争に参加していなかったロシアがフランスとドイツを誘って、日本に遼東半島を清国に返還するよう要求しました。いわゆる三国干渉です。しかしながら最終的にはロシアが遼東半島に進出するわけです。当時、日本海軍は戦艦を持っていませんでしたので、ロシア、フランス、ドイツと戦えるわけがありませんでした。このようにロシアの脅威が一段と高まる中で日本は、海軍力の大拡張を図りました。主力艦となる戦艦6隻の建造をイギリスに発注しました。富士、敷島、三笠などの戦艦はすべてイギリス製です。
   そのような時に清国では排外主義の勢力が急激に膨張していき、義和団の乱が起こります。1900年6月21日、この叛乱を西大后が支持して、清国は列強へ宣戦布告しました。5月末ごろから北京駐在公使の要請をうけていた8か国の連合軍は2か月も経ないうちに北京城を占領しました。連合軍のロシアやドイツ、イタリア、フランスは北京城に入城すると、その直後から暴行、略奪を始め、多くの文物が持ち去られたと言われています。このとき各国軍の派遣部隊は北京公使館区域に籠城して義和団の攻撃から守ったのですが、その中で武勇を馳せ注目されたのが日本陸軍の柴五郎中佐でした。ロンドンタイムズは「籠城中の外国人の中で、日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民はいない。日本兵の輝かしい武勇と戦術が、北京籠城を持ちこたえさせたのだ」と報じました。ピーター・フレミングは「日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中どの士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ尊敬された。当時日本人と付き合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として皆の目に映るようになった。日本人の勇気、信頼性、その明朗さは籠城者一同の称賛の的になった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも一言の非難を浴びていないのは日本人だけである」と記しています。イギリスの公使クロード・マクドナルドは早速「北京籠城の功績は、特に勇敢な日本将兵に帰すべきものである。すべての勝利の事は日本軍人がすばらしかったから、あの北京籠城は持ちこたえた」と、イギリスの首相に報告し、柴中佐はこの北清事変、義和団の乱で、比類なき武勇と儀礼が賞讃され、「ルーテナント柴」と呼ばれました。そして義和団の乱の翌年、イギリスのソールズベリー首相に会います。クロード・マクドナルドは初代の駐日英国大使となり、義和団の乱の2年後、「日英同盟」を結んだ立役者です。日英同盟が結ばれると、アメリカも日本を支持するようになります。
   そしてその後の日露戦争の勝利は日英同盟の勝利でした。当初の日英同盟では「一か国が交戦している場合は、もう一か国は参戦しない」という内容になっていました。当時、露仏同盟を結んでいたフランスは、現在のベトナムがあるインドシナを植民地にしており、もしやフランスの艦隊がロシアのバルチック艦隊に加勢していれば、新参者の日本海軍は勝てなかったかもしれません。しかしフランスはロシアに加勢できませんでした。もしフランスが参戦すればイギリスと戦うことになるからです。
   このことは日英同盟最大の功績といえましょう。
   日英同盟に基づきイギリスは、バルチック艦隊に関する情報を逐次日本に知らせ、またバルチック艦隊の航行に支障をきたすあらゆる手段を使って日本を支援し、最終的に日本を勝利に導きました。
   イギリスは世界の主要な港を抑えていたため、バルチック艦隊はスエズ運河の通航制限をうけ、半分は南アフリカの方を回るという妨害を受けました。イギリス領の港には寄港はできても艦艇の燃料となる石炭はもとより、水や食料の補給もうけられず上陸もできないこともあったといいます。こうしてロシア海軍将兵は心身ともに疲れ切って対馬海峡にやって来たわけです。
   さらにいえば、日本の戦艦はすべてイギリス製の最新鋭の軍艦でした。これは作家の故C・W・ニコルさんから教えてもらったことですが、戦前は、ロシアもイギリスに軍艦の建造を依頼していたのですが、ロシアの軍艦は木材が使われ燃えやすくできていたということです。このようにイギリスは様々な面で日本を助けてくれたのです。イギリスは一発の弾も撃つことなく日本を勝利に導きました。同盟の力とは本来こういうことなのです。
   またアメリカのセオドア・ルーズベルトがポーツマス条約の仲介をしてくれたのも、日本がかの大英帝国の同盟国だったからです。これもまた同盟の力といえましょう。
第3節 自由で開かれたインド太平洋構想
   日本の目指す外交方針は、アメリカ、オーストラリア、インドとの「自由で開かれたインド太平洋構想」です。近年この4か国の枠組みであるQUAD(クアッド)に、イギリスが参加を表明しており、またTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加も正式に表明しております。EU離脱後のイギリスの太平洋シフトへの表れです。しかしながらイギリスが太平洋に関心があるのは当然です。そもそもコモンウェルス(英連邦)に加盟している国は54か国あり、その中でクイーン・エリザベス2世が女王陛下として国家元首である英連邦王国は16か国あります。ユニオンジャックを背負った国ですが、その主要国オーストラリア、ニュージーランド、カナダは太平洋にあります。言ってみれば、イギリスにとって濃い血縁関係にある国は太平洋にあるというわけです。
   そうした中で日本とイギリスの安全保障上の結びつきは深まっています。
   昨年発足したアメリカ、イギリス、オーストラリアの3カ国による実質的な軍事同盟AUKUS(オーカス)、そしてアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどアングロサクソンの国々が高度な機密情報を共有するFive Eyes(ファイブアイズ)という安全保障枠組みへの日本の参加を示唆したのは、いずれもがイギリスでした。
   日英間による防衛装備品(兵器)の共同研究・開発も進んでいます。なかでも航空自衛隊の次期主力戦闘機の開発にもイギリスの参画によって行われます。もちろんアメリカの技術支援もあるのですが、いずれにせよ主力戦闘機を日・米・英による共同開発は、政治的にもたいへん大きな意義があります。このことは、さらなる日英の緊密化を促進し、日米同盟にとってもプラスとなるでしょう。もちろん日英の防衛協力は、日本の抑止力のみならず、アジアの平和と安定にも大きく貢献することになるでしょう。

おわりに
   “今日のロシアは、明日の中国”であり、“今日のウクライナは、明日の台湾”です。かつて日露関係が緊迫した時、日英が結束してその脅威を討払うことができました。いまこそ日英同盟が必要です。アメリカをしっかり繋ぎ留めるためにも役立ちます。アメリカは大統領が替われば外交政策も大きく変わります。バイデン政権の行動力や外交力に不安を感じる今こそ「日英同盟」が必要だと思います。英連邦はエリザベス女王を長とする英連邦王国が16カ国あり、それらの国々と連携を模索する上でもイギリスとの関係強化は大事です。福澤諭吉もイギリスに目を向けていました。武藤山治さんも日英同盟の大推進者であったと伺っています。是非、このようなことを念頭に世界情勢を見て頂きたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

   以上は、軍事ジャーナリスト 井上和彦氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです.。

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