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産経新聞論説委員    齋藤 勉 氏 『ウクライナ侵略の真実』

武藤記念講座(講演会事業)

第1093回武藤記念講座要旨

    2022年9月17日(土)
    於大阪「國民會館 武藤記念ホール」
    産経新聞論説委員
    齋藤 勉 氏
 『ウクライナ侵略の真実』


セミナー





はじめに
   私は産経新聞に入社して50年目となりますが、ソ連崩壊前後の5年半、プーチンの最初の3年間をロシアに居てゴルバチョフとプーチンの両方を見ることができました。今年2月24日にプーチンのウクライナ侵略が始まった後、5月4日に私はロシア政府から入国禁止となりました。思い当たるのは、駐日ロシア大使のガルージンと産経紙面で論争した事です。3年前に「ソ連の独裁者スターリンは北方領土を一方的に奪った。これは国家犯罪である」と講演した事があり、これが産経新聞に出ると、ガルージンからツイッターで「あなたは第2次大戦当時の日本がヒトラーと同盟を組んでいたことを知らないのか。今からでも遅くはないから勉強しろ」と?みついてきました。今のプーチン政権は、ヒトラーとの戦争でスターリンが勝利したことだけを錦の御旗にして国をまとめようとしているのです。ヒトラーの同盟国を痛めつけると言えば国民から信頼され、人気が上がるのです。だから、ウクライナでも「ネオ(新)ナチに東部のロシア人がジェノサイド(集団殺戮)を受けている」と大嘘をついて侵攻しました。日本に対しても、ヒトラーと同盟国だったから北方領土を奪っても構わない。シベリア抑留という残酷な事をしても構わないと言っているのです。私は「ヒトラーと同盟国だったと言うけれども、では60万人を日本の領地からシベリアへ拉致し、6万人を殺した貴方の国がやったジェノサイドはどうなのだ」と新聞に反論を載せました。ガルージンからは、それ以上の反論は出て来ませんでした。今のプーチンこそヒトラーではないですか。ガルージンはプーチンの言っていることをそのまま繰り返しているだけで、外交官としての誇りも、正義感もないのです。

第一章 ロシアのウクライナ侵略
第1節 血塗られたプーチン独裁政権
   今年10月7日でプーチンは70歳となります。プーチンの誕生日で思い出すのは、ある暗殺事件です。16年前の2006年10月7日に著名なロシア人女性記者が自宅のエレベーターで射殺されました。アンナ・ポリトコフスカヤです。彼女は非常に優秀なジャーナリストでした。彼女はチェチェン問題を追及していましたが、ロシアからの独立運動に走ったチェチェン弾圧問題はプーチン政権のアキレス腱なのです。2000年5月にプーチンは大統領に初当選するのですが、その前年の1999年、エリツィンから首相に抜擢されます。彼は元々、東ドイツのドレスデンでKGB(国家保安委員会)のスパイをしており、ソ連崩壊で故郷のレニングラード(今のサンクトペテルブルク)に戻り、大学の先輩であるサプチャーク市長の下で副市長に抜擢されると、ビジネスと諜報活動でめきめき頭角を現し、1996年にエリツィンから大統領府の副長官としてクレムリンに呼ばれます。そして1998年にKGBの後継機関であるFSB(連邦保安庁)のトップとなります。さらに翌年には首相へとトントン拍子で出世します。何故こんなに早く出世できたのかと言いますと、1991年8月に、ゴルバチョフが保守派グループのクーデターでクリミアに軟禁されました。クーデターは3日で失敗に終わるのですが、同じ年の12月にソ連は崩壊して、ロシアの初代大統領だったエリツィン時代となるのです。しかし民主化や資本主義化はトントン拍子で達せられるものではなく、国全体が混沌状態となります。エリツィン自身も酒浸りで求心力がなくなり、国全体をもう一度引き締められる人物として白羽の矢が立ったのがプーチンでした。エリツィンはプーチンを首相に引き上げ、1999年の大晦日に、次の大統領候補はプーチンであると発表するのです。さて首相に抜擢されたプーチンが先ず行ったのがチェチェンの弾圧です。ロシア軍はチェチェン武装勢力と1994年から3年間にわたって戦争(第1次チェチェン戦争)して、一応は停戦しましたが、その後も収まりませんでした。そこでエリツィンはチェチェン問題を始末するためにKGB出身のプーチンの残虐さに賭けたのです。プーチンが首相になると、すぐにモスクワとその周辺のアパート4つが爆破される事件が起き、約300人が死亡しました。プーチンはチェチェンのテロリストの仕業だと言って新たな弾圧を始め、チェチェンのカフカスの本国で戦争を仕掛けたのです。第2次チェチェン戦争です。ポリトコフスカヤ記者はアパート爆破事件と戦争の実態に焦点を絞って報道し、4つのアパートを爆破したのはプーチン政権の自作自演で、諜報機関にやらせたのだと追及した。このため真っ先に殺されたのだと思います。さらに同じ2006年の11月23日にロンドンで元KGB要員のリトビネンコが毒殺されました。彼も爆破事件はプーチンの仕業だと追及してイギリスに亡命していました。このような暗殺事件がプーチン独裁政権の22年間に相次いで起きています。ジャーナリスト、元KGBそして政治家、すでに数十人が殺されています。今も真犯人は誰一人捕まっていません。そしてプーチンは暗殺に加え、チェチェン戦争でのし上がってきたのです。今ウクライナに侵攻している一つの部隊のトップに、チェチェンから寝返った指導者がいます。この22年間のプーチン政権は血塗られた独裁です。1999年からチェチェンの弾圧を始め、チェチェン戦争は2009年まで続きます。そして2008年にはジョージア(グルジア)侵攻を始めます。8月8日午後8時、北京オリンピックの開幕日です。世界の目が北京に集まっている最中、プーチンはジョージアがウクライナ同様に西側入りするのを阻止するため戦争を始めました。そして2014年3月にはウクライナのクリミア半島併合です。
第2節 ウクライナ侵略の真相
   2014年2月、ウクライナで民主化の「マイダン革命」が起こります。親ロ派のヤヌコビッチ大統領が何千人という反対勢力の民衆に銃口を向け、結局約百人の市民を殺害します。国民は民主化に燃え上がり、ヤヌコビッチはモスクワに亡命して、欧米派のポロシェンコ政権が誕生します。初めての本格的な民主政権です。プーチンは、これは大変な事になったと思い、ソチ・オリンピックが終わるとすぐにクリミアに目をつけます。クリミアの黒海に面したセバストポリにはウクライナから租借しているロシアの軍港があります。そこにいる軍隊に命じ、クリミア自治州内にあるウクライナの公的機関を全部乗っ取りました。それと同時にウクライナ東方のドンバス地方にロシア軍を投入し、戦争を始めたわけです。プーチンが、ウクライナから攻撃してきたので、それを封じ込めるためにロシア軍が入った、というのは全くの出鱈目です。全部プーチンが仕組んだ事です。クリミアの公的機関を乗っ取り、軍事力をバックに編入の是非を問う住民投票なるものを行い、独立賛成票が多かったと言って、2014年3月18日、クリミア併合を宣言します。これが真実です。この併合は珍しく無血でしたが、同時に始まったウクライナ東部の戦争では大変な流血が起きていました。ロシア本土からウクライナ東部を黒海沿いに南下してくるとクリミアにつながります。これが「陸の回廊」です。首都キーウ(キエフ)が取れなかった結果、この回廊を占領することが、今回のウクライナ侵攻の最大の目的となりました。プーチンにとっては、クリミアを抑えただけではクリミア併合は完成しません。この「陸の回廊」を奪って初めて、クリミア併合が完成したと言えるのです。
   チェチェンから始まり、ジョージア、クリミア、ウクライナ東部、そして今年1月にはロシア軍によるカザフスタンの民衆騒乱鎮圧という事がありました。この一連のプーチンの軍事行動に対し、アメリカや北大西洋条約機構(NATO)などはそれなりに非難はしましたが、今回の侵略に対するような米欧日が国際的に結束した大規模な制裁や反対行動は見られませんでした。国際社会が、結局はプーチンの無法を見逃してしまったわけです。これがプーチンをつけ上がらせてしまったのです。ロシアがクリミアを併合してもアメリカやヨーロッパも大騒ぎしないので、プーチンはウクライナに全面侵攻したというのが、ウクライナ侵略の1つの真相だと思います。それからもう1つ理由があります。プーチンは今年10月7日で70歳、古希になります。2019年のWHO(世界保健機構)の統計によると、ロシア人男性の平均寿命は68.18歳です。70歳を超えることはなかなか難しいわけです。22年間独裁体制を敷いてきたプーチンが70歳になって何を考えるかということです。多分彼は歴史にどう残るかを考えたのだと思います。プーチンが崇拝するのはスターリンです。スターリンが70歳の時、彼はまさに権力のピークを迎えました。
   1949年12月21日のスターリン70歳の誕生日には、モスクワのボリショイ劇場で東ヨーロッパの同盟国トップを全部呼び集め、盛大な式典を開きました。中国からはその年10月1日に中華人民共和国を建国したばかりの毛沢東が馳せ参じ、2ケ月間のモスクワ滞在中、中ソ軍事同盟条約を結びました。第2次大戦後、ソ連は領土を拡大し、東欧諸国を衛星国にしたうえ、東では北方領土を奪って絶頂を極めたのです。プーチンはスターリンと同じように領土を拡張し、死ぬまで皇帝として君臨しようと思ったはずです。ロシア人に最も尊敬されるのは、領土を増やすことです。スターリン、ピョートル大帝、エカテリーナ2世らのように、プーチンもなりたいと考えていたはずです。2020年7月の新憲法は、彼が事実上、生涯独裁者でいられるような体制に仕立て上げました。2年後の大統領選挙にプーチンはこれまでの任期数はなかったことにして、新人として立候補できるなどという出鱈目な内容で、最低でも2期12年、83歳まで大統領を続けることができるというわけです。クリミアを併合し、今度はウクライナ本土を取る。プーチンはウクライナ本土も簡単に取れるだろうと思い、侵攻したのです。首都キーウ近郊の空港を空挺部隊が抑え、地上部隊が入り、あっという間にウクライナを制圧し、4日後にはキーウで勝利パレードまで行おうとした。ウクライナの領土を強奪して、スターリンのような皇帝となり、ロシア帝国を支配する。これがウクライナ侵攻の目的の真相だと思います。
第3節 ウクライナ侵攻で三つの嘘をつくプーチン
   プーチンはウクライナ侵攻で三つの嘘をついています。一つ目はゼレンスキー政権をネオ(新しい)ナチスだと言っています。ウクライナ東部にネオナチが現れ、わが同胞であるロシア人をジェノサイドしている。ヒトラーと同じような集団殺戮を行っていると言っているのです。その証拠など、どこにもありません。ロシア国民を騙すため嘘をついているのです。二つ目の嘘は、ウクライナがNATOに入れば、ロシアは安全保障上、大変な脅威になる。NATOが身近に迫ってきたので、ウクライナに侵入したと言っています。そんなことはありません。クリミア併合の時、NATOは軍事介入しませんでした。むしろプーチンが8年前にクリミアを併合して、東ウクライナに武力侵攻することで、ウクライナがNATOに加入する口実をなくしてしまいました。NATOに加盟するためには、その国が戦争状態でないことと領土問題を抱えていないことが最低条件です。ウクライナのNATO加盟をプーチン自ら潰してしまっていたわけです。今になってウクライナがロシアの安全保障にとって極めて危険であるからウクライナに侵攻したというのは真っ赤な嘘です。さらに三つ目の嘘があります。「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」という概念を編み出して、活用したということです。ロシア正教には「ロシア語を話し、ロシア正教を信じている人達は、1つの同じ国に住まなければならない」という哲学理念があります。ロシア正教のトップであるキリル総主教は、ウクライナ侵攻した2月24日「この戦争が是非成功しますように」と祈りを捧げたのです。「この戦争を止めてもらいたい」と祈るのではなく、戦争を煽っていたのです。プーチンはキリル総主教の受け売りで「ロシア語を話し、ロシア正教を信じる人達は同じ国に住まなければならない」と国民向けに言って、国民を騙したのです。内心は自分の欲得で一杯であるにも拘わらず、表向きには「三つの嘘」を平然と言って国民を騙し、真実を隠すために言論統制を強いているのです。戦争を特別軍事作戦であると国民を欺いて、ウクライナの侵略を続けているのです。

第二章 ロシアの皇帝を妄想するプーチン
第1節 プーチン政権の巨大利権グループ
   プーチンは世界一の金持ちともいわれていて、総資産は20兆円とも言われています。反政権の代表でいま獄中にあるナワリヌイ氏が映像を暴露したように、プーチンはソチに数千億円規模の巨大な宮殿を持ち、中には映画館、柔道場、ビリヤード場と何でもそろっていて、一族郎党を住まわせるのではないかともいわれています。1991年にソ連が崩壊した時、国家資産はその内情を知るKGBや軍の幹部、悪辣な政治のトップらによって横取りされてしまいました。国際競争力のあるロシアの産業はいまでも全くなく、石油、天然ガス、武器という3つの不労所得に頼っています。エリツィン時代にオリガルヒ(新興財閥)などというもっともらしい名前をつけ、強奪した国家財産を全て自分たちのものにして、経営者を決めて、暴利をむさぼってきたわけです。プーチン時代になり、さらにひどくなりました。自分に服従する者からは、何割かの財産を上納すれば生かし続ける。逆らう者には無残な死や悲惨な運命が待っている。これがプーチン政権の特徴です。プーチンの周りには巨大利権グループがいて、そこに入っている者は非常によい思いをする。まるで北朝鮮の金正恩体制を巨大にしたという感じです。プーチンが一生、皇帝として支配をするためには資産が必要です。彼が怖がっているのは、ウクライナがNATOに加盟し、民主化して、そのウクライナを通じて、欧州の民主化の波が流れ込んでくることです。プーチン独裁政権は吹っ飛んでしまい、自分の巨大利権も吹っ飛んでしまいかねない。これを何としても避けなければならない。そのために大嘘をついている。プーチンの本音はこの巨大利権を一生自分のものにしたいということです。今年5月、ジュネーブにあるロシア国連代表部のポンダレフが「プーチン一族の考えていることは、権力を永遠に保持し、悪趣味で豪華な宮殿に住み、海軍の総予算に匹敵するようなヨットを所有し、免責特権に居座ることである」と英語の声明を出して外交官を辞めました。これほど的を射た指摘はこれまでありませんでした。プーチンは国民の幸福なんて全く考えていないということです。退役軍人組織のトップであるイワショフは、侵攻の前から「こんな戦争は止めろ。プーチンの個人的な資産を増やすための戦争だ」とはっきりと言っています。さらに「戦争が起きれば、今でも人口が減少しているのに、若者がドンドン死んでいく。そんなことをしてよいのか」とも言っています。彼の言っていることは全く正しい。彼の論文を読むと、ウクライナがロシアに靡いてこないのは魅力がないからだとも言っています。ロシアに魅力があれば、ウクライナはロシアについて来るはずです。ウクライナはロシアと別れたまま、西側を向いてしまっているではないか、と書いていますが、全くその通りです。このプーチン政権には魅力がない。平気で人を殺し、私腹を肥やし、言論を弾圧して、嘘ばっかりつく。このウクライナ戦争には周辺の少数民族を動員して、中核のスラブ人はなるべく戦争に出さない。ロシアの人口減少は大変な問題で、去年の1年間で百万人が亡くなっています。ポンダレフが言うように、今プーチンは、ロシアが衰退の一途を辿るようなことを平気でやっているのです。
第2節 プーチンの国家観
   アメリカのブリンケン国務長官は、プーチンはウクライナの主権と独立を奪い、この地上からウクライナを消そうとしている、と言っています。ロシア民族とウクライナ民族は一体であり、ロシアとウクライナという国も一体である。ウクライナに主権はない。ロシアあっての主権である、というのがプーチンの国家観です。彼は、国家は独裁国家でなければならず、民主国家の言論の自由は独裁国家を潰すための道具である、と言っています。西側では、独裁国家は他国を脅かすことによって存在を増す国である、と考えていますが、プーチンも、人に恐れられる国でなければならない。核兵器を持っていなければだめだ。世界の主権国家はロシア、中国、インドであると言います。核を持ち、強大な軍を持ち、そして多くの人口がいることが重要なのです。しかし今ロシアは人口がドンドン減っています。ソ連時代の人口は2億8千万人と言われましたが、ロシアになって人口は半分になってしまいました。困り果てたロシアは、この戦争でウクライナから人を持ってきているのです。アゾフ海に面したマリウポリを制圧して、大量の住民をロシアに連行した。ウクライナという国をなくして人を奪ってくる。これまでに子供も含めて160万人くらいのウクライナ人をロシアに連れ去ったといわれています。占領地域から将来ロシアで役立つ人間をロシアに連行する。または占領した地域を強化するために役立てようともしています。人口問題のために、とんでもない非人道的なことをしているのが今のプーチン政権です。彼は結局のところゴルバチョフの遺産を台無しにしているのです。ゴルバチョフが今年8月30日に91歳で亡くなりましたが、私はゴルバチョフはソ連共産党体制の民主化というそれまでありえなかったことに英断を下したそれなりの指導者だと思います。私は1987年から1992年までが最初のモスクワ勤務でしたが、この5年間ほど言論の自由が花咲いたことはありません。しかし政治改革のペレストロイカで民主化の窓を開けたら、扉まで全部吹っ飛んでしまい、ソ連が崩壊してしまったというわけです。ゴルバチョフは初めから共産党独裁政権を潰そうと思ってペレストロイカを始めたのではありませんが、硬直した独裁国家に風穴を開けたら民主運動が想定外に広がって、一挙にソ連が崩壊してしまったということです。プーチンはそれを恐れているのです。ロシア崩壊を恐れている。せっかく22年間、独裁恐怖国家を作ったのに、また自由国家に生まれ変わると、自分の財産も自分では築き上げたと思っている名声もすべてがなくなってしまう。プーチンは死ぬまでこの国を統治したい。そして本音ではソ連の復活です。旧ソ連は15の共和国がありましたが、極端に言えばロシアはウクライナだけあればよかったのです。バルト3国、中央アジア5か国、コーカサスなどは小さな国で何もない。必要なのはウクライナだけです。ウクライナの面積はヨーロッパではロシアに次いで2番目です。フランスより大きい。ソ連で核兵器を2番目に多く所持していました。しかも世界に冠たる穀倉地帯です。人間も非常に穏やかな人が多い。要するにウクライナは農業、工業、軍事的にロシアにとってなくてはならない国なのです。プーチンにとって、ウクライナが西側に取られることは耐えられないのです。しかもプーチンの妄想では、ロシアとウクライナは一つでなければならない。それで彼は「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的大惨事である」という嘆き節を何度も口にするわけです。この根深い復讐心がウクライナ侵略の動機でもあります。
第3節 制限主権論の復活を企むプーチン
   さて、ゴルバチョフは新思考外交も展開しましたが、その最大の功績は制限主権論の撤廃を決断したことです。制限主権論とは、社会主義圏全体の利益は、その中のどの1国の利益よりも優先する、というブレジネフが作ったドクトリンです。1968年夏、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を武力弾圧した口実に使われた屁理屈です。ゴルバチョフは制限主権論の撤廃で東ヨーロッパをソ連から解放しました。今プーチンは、ソ連を復活させるために、ウクライナをはじめ西側を向いた旧ソ連各国に制限主権論を復活させたかのようです。ゴルバチョフの外交的遺産も台無しにしているということです。1991年8月のクーデターで、ゴルバチョフをクリミアに閉じ込め、政権を乗っ取ろうとして失敗した共産党強硬派の連中が、今政権を抑えているのだと私は考えています。要するに当時失敗したクーデターが、今になって成功しているということでもあります。あのクーデターはプーチンの先輩であるKGB議長のクリュチコフが首謀者でした。ところが当時、全土に展開した戦車部隊が民衆が支持するエリツィン側に寝返り、クーデターは失敗するわけです。しかしプーチン政権ができて、クーデターの連中が蘇ったのです。首謀者のクリュチコフや国防相だったヤゾフらはクーデター直後に逮捕されました。しかしエリツィンが1990年代の半ばに突然、彼らを恩赦で釈放してしまったのです。2000年5月にプーチンが大統領に就任すると、その就任式にはなんとクリュチコフが来賓として招かれていたのです。あの瞬間、私はクーデターが10年も経って成功したのだと思いました。そしていま、クーデターの首謀者に連なる連中が利権を独占して潤っているのだと思っています。彼らは共産党の数々の高級ポストや特権が失われてしまうと焦ってクーデターを起こしたのです。共産党の独裁国家は全部自分達の利権の為に奉仕する体制でした。国民の命や財産は全く意にも介さない。考えたこともないと思った方がよいと思います。

第三章 ウクライナの覚悟
第1節 ウクライナの最後の独立戦争
   プーチンは今度のウクライナ侵略を最初から特別軍事作戦と言っており、宣戦布告をしていません。ウクライナは簡単に3、4日で取れると考え、特別軍事作戦でよいと思ったのです。つまりプーチンの出身のKGBとは戦争をするのではなく、作戦をする機関です。過去の歴史的な作戦として、まず1956年のハンガリー動乱があります。その3年前にスターリンが死んで、フルシチョフが第20回党大会でスターリンの粛清や個人崇拝するを批判(スターリン批判)すると、東ヨーロッパに民主化の空気が広がり、ハンガリーで民主化運動が起こります。それを潰したのがロシア軍の特別作戦でした。その12年後にはソ連・ワルシャワ条約機構軍による「プラハの春」弾圧がありました。これも特別作戦です。プーチンはKGBの裏の歴史を全部知っています。今年1月の「カザフ騒乱」を潰したのも特別作戦です。ソ連・ロシア軍からすれば全部簡単に始末しているのです。今度もそれでよいとたかをくくっていた。ところがとんでもない。7か月経ったいまも激しい抵抗に苦しんでいます。そして8月末からはウクライナの反転攻勢が顕著になってきました。ウクライナにとっては、これは最後の独立戦争なのです。17世紀半ば、ウクライナがコサックの国だった頃、ポーランドと戦争を始め、帝政ロシアに助けを求めました。ところが、これ幸いとばかり、帝政ロシアはまんまとウクライナを乗っ取り、隷属下に置いてしまったのです。それ以来、ウクライナはロシアにずっと虐げられてきました。はっきりとした独立戦争としては、ロシア革命の起きた翌年の1918年、レーニンがウクライナをソ連の一員にしようとしたため、ウクライナはロシアに独立戦争を仕掛けますが、逆に攻め込まれ、仕方なくウクライナ・ソビエト共和国という国を作らされます。そしてロシアはウクライナ、ベラルーシのスラブ3国と、ジョージア、アゼルバイジャン、アルメニアの3つが合体したカフカス共和国の計4か国により、ソ連邦という国をつくったのです。これがロシア革命から5年経った1992年12月30日です。今年はソ連ができてちょうど百年目です。百年前、ウクライナがロシアに戦争を仕掛けて負けてしまった。今度こそ最後の独立戦争です。1812年のナポレオン戦争や第2次大戦でウクライナがナチスドイツに占領された頃に、共産党独裁政権から離れようとした運動もありましたが、今度こそ、ロシアから完全離脱する最後の独立戦争だとゼレンスキー政権は覚悟を決めています。今度の侵略で、キーウ近郊の街・ブチャやハリコフ州のイジュームのような、残忍極まりない虐殺を見せられて、ウクライナ国民の誰しもがもう金輪際、ロシアには支配されたくないと思うのは当然だと思います。
第2節 ウクライナの反転攻勢
   ロシアによってクリミアが併合されてからこの8年間、ウクライナはアメリカやNATO、イスラエルの特殊部隊などの軍事支援や訓練を受け、軍事的、情報的に見違えるように強靭になりました。それをロシアの軍や諜報機関は見くびっていたのです。ロシアは、いやウクライナもソ連時代から国を挙げて腐敗にまみれ、汚職は常態化していました。共産国家は賄賂を使わなければ生きていけない世界です。硬直した行政組織にお金をばらまいて便宜を図ってもらい、それによってピラミッドの上位の共産党幹部やKGB幹部は潤ってきたのです。戦争前までそういう状態が続いていたので、ロシアは強くなったウクライナに気づかなかったのです。例えば、ウクライナの状況を探るための資金を諜報機関の幹部が全部自分の懐に入れてしまう。軍の幹部は、新しい兵器予算を自分の懐に入れる。または兵器を他国に横流しして懐を肥やす。北朝鮮の兵器は全部ソ連製、ロシア製の兵器ですが、北朝鮮は大した金では買っていません。最近ロシアが北朝鮮に大量の兵器供給を要求した報道がありましたが、ロシアにすれば、安く売った兵器を取り戻しに行った程度の感覚かも知れません。さらにロシアは今兵員が非常に不足しています。徴兵をしても全然人が集まらず、刑務所内で、戦争に行けば刑期を軽くする、恩赦にするから戦場に行ってこいと、兵士を集めているほどです。スターリンの時代にも同じことが起きていて、全く情けないことをやっています。今ロシアはかなり弱ってきています。それがウクライナには分かってきました。そこで8月24日のウクライナ独立記念日に、ウクライナは反転攻勢に転じたのです。ゼレンスキーはクリミアに初めて砲弾を撃ち込みました。クリミアはロシアの巨大な補給基地になっていて、兵器や食糧、その他の軍備品が南部ヘルソンのロシア兵に補給されていました。そのクリミアにウクライナが本気になって攻撃を始めた。アメリカはすでに何回も膨大な武器援助を行っています。今プーチンは慌てています。西側の制裁は効いていないと言っていますが、戦車などの最新兵器を生産するのに必要な半導体が入っていないようです。中国と手を組んでいるロシアに半導体は支給しないと台湾は言って、裏でリトアニアとウクライナと連携しています。プーチンは焦っています。昨日9月16日には「最終的な目標は、ドンバスの制圧だ」と言いましたが、ドンバスは侵攻を開始したすでに7か月前に独立宣言をして、ロシアが独立を認めたところです。ロシアにすれば、ドンバス奪取は既成事実で、キーウ奪取からは早々と手を引き、さらに南に向かって陸の回廊を延ばすため戦争を続けてきたのに、今頃になって、そのドンバスが最終目標だと寝言を言っています。こりゃロシアはだめだと思いました。ただ怖いのは核兵器や化学兵器です。こうした状況で、ロシアは国際的な仲間を作ろうとしていますが、とんでもない話です。9月に行われた上海協力機構でプーチンは仲間が出来たと思っているのでしょうが、中央アジアのカザフスタンやキルギスなどの伝統的な友好国である中央アジア諸国さえロシアと距離を置こうとしているほどです。5月17日、ロシアを中心に中央アジアを巻き込んだ集団安全保障機構の集まりがありました。プーチンはこの場で昔の仲間にウクライナに兵を出してくれと頼みますが、どこの国からも拒否されています。自分の国が西側から制裁を受けるかもしれない。ロシアと同じ侵略国家と思われては困る。勘弁してくれ。もう昔のソ連じゃない、ということです。中国も微妙な反応でした。習近平は、きっぱりと武器そのものは出さない。その代わり石油を安く買ってあげる、後方支援をすると言っています。中国も腰が引けているところがあります。
第3節 非ロシア化へ動き出したウクライナ
   ウクライナの最後の独立戦争という意味は、精神的にもロシアと切れるということです。ロシアがクリミアを併合し、東部の戦争を仕掛けた2014年からウクライナ人は遅ればせながら「非共産化」を始めてレーニン像などを破壊しました。ソ連崩壊で共産党独裁政権はなくなりましたが、プーチンがいまだに共産党的手法を使っているからです。プーチン政権は共産党政権ではありませんが、プーチンが「国家の中の国家」といわれたKGBのスパイとして共産党に尽くしてきた人間だからです。そして今度の侵略を機に始まったのが「非ロシア化」です。ロシアから精神的な完全離脱です。モスクワ通りを廃止し、ロシアの国民的詩人プーシキンの文学作品や銅像が撤去されました。彼はロシア帝国の讃美者だったという理由からです。さらに世界的な作家のトルストイやドストエフスキーも世界文学としての評価はしない、その方針を教育にも取り入れると言っています。相当な覚悟です。金輪際、こんな残忍なロシアとは付き合いたくないという証です。ゼレンスキーは最後までやる気です。冬になるとエネルギー的にヨーロッパが困って来ます。これを乗り越えて、ヨーロッパがどこまでウクライナに精神的、物質的、兵器的援助を継続できるかということが、これから一番大事な問題になってきます。ウクライナは日本に対して兵器を欲しいとは言いませんが、最近ウクライナ人が「冬になるので軍服と軍靴が欲しい」と言っています。自衛隊には性能の良いものが沢山ありますので、是非政府に対応してもらいたいと思っています。

おわりに
   第2次大戦の終戦直前、ソ連軍は一方的に日ソ中立条約を破って満州や樺太、北方領土に侵攻してきました。ここで起きた残虐行為はいままさにウクライナで起きていることと同じです。日本はソ連軍による北方領土の不法占領やシベリア抑留の残虐行為を世界に訴える絶好のチャンスなのです。ゼレンスキー大統領は8月24日、ソ連からの「31回目の独立宣言記念日」に「クリミア奪還」をテーマにしたオンライン国際会議を開きました。岸田総理も参加しましたが、あろうことか、北方領土のことは一言も話しませんでした。全く惜しい機会を逃しました。今こそ北方領土が戻って来るチャンスなのです。極端な推論をすれば、これからロシアが益々衰退して、シベリアを中国に奪われる事態さえ考えられるのではないでしょうか。北方領土が日露間ではなく、日中間の問題などにでもなったら、一層面倒なことになります。繰り返しますが、いまこそ世界に対し北方領土返還を訴えかける大チャンスなのです。31年前のソ連崩壊で政治空白が生まれた時、日本の外交当局は結果的に何も出来ませんでした。北方領土もシベリア抑留も一歩として動きませんでした。プーチン体制に危うい兆候が見えてきているいま、日本国民の全員の意識が、ゼレンスキーのようにならなければ北方領土は戻ってきません。国家主権、国権に関する問題解決に岸田文雄総理は死力を尽くしてもらいたいと思います。具体的な行動を起こしてもらいたい。ロシアは北海道にも触手を伸ばしてきています。スターリンは第二次大戦で北海道の北半分を奪おうとしましたが、それをトルーマンが阻止して、北海道は助かりました。いま、ロシアの下院副議長が「北海道の領土の権利はわが方にある」と公言しています。プーチン自身「アイヌ民族はロシアの先住民族である」と北海道への野心を吐露したことがあります。いまやロシアと中国が艦隊を組んで何度も日本を威嚇しています。こういうプーチン政権を絶対に許してはなりません。消えるべきはウクライナではない。プーチンの一刻も早い退場を願うばかりです。

質疑応答
「質問1」

  ロシアは戦争に負けるのでしょうか。その場合プーチンはどうなるのでしょうか。

「回答1」

   宮廷クーデターのようなことは大いに有り得ます。モスクワとサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の区会議員によるプーチン批判が西側に伝わってくるのですから、ソ連崩壊と同じ現象が起きる可能性もあります。ソ連崩壊の1年前から毎日のように全国で抗議運動が起こり、アフガン戦争の終わり頃には、兵隊のお母さん達の訴えが新聞やテレビに出て、結局ゴルバチョフは1989年2月、アフガンからの撤退を余儀なくされたわけです。それから2年あまり経ってソ連は崩壊しました。戦争で失敗すると国は大変な目に合うわけです。1905年日露戦争に負けたロシアでは「血の日曜日事件」が起き、第一次戦争に負けると「ロシア革命」が起きました。レジームが変わるのです。今回、プーチンは「白旗を揚げます」とは死んでも言わないでしょうから、この戦争に負けるようなことがあればロシア崩壊もあり得ます。ソ連崩壊の時、一番懸念されたのはイスラム教徒の反乱でした。イスラム教徒が増えて人口比で大きな割合を占めるようになると、帝国の屋台骨がぐらつくのではないかと言われました。
   チェチェン紛争で厳しく弾圧したのはチェチェンがロシア支配に対して戦闘的になったイスラム国家だからです。ダゲスタンという国がすぐ傍にあり、モスクワの東方にはタタルスタンやバシコルトスタンというモンゴル軍の末裔もいるわけです。それがまた反乱を起こすと、ロシアは大陸国家ですけども、虫食いみたいにあちこちで独立運動が起き、収拾がつかなくなる危険性があります。ソ連はそれを恐れていました。プーチンが恐れているのも同じような事態です。プーチンの後、ナワリヌイのような反対勢力が出て来てまともな政権をつくるとよいのですが、残念ながらロシアには出てこないでしょう。だからロシアを少しでもゴルバチョフ時代に近づけるように仕向けなければ日本に危害が及びます。今後はウクライナを一刻も早くNATOに引き入れて、ロシアを完全に包囲することです。もう一つ懸念は中国がロシアを抱き込むということです。ロシアが完全に負けるというのは撤退した時、それから軍で反乱が起きた時です。これが内戦に発展すると日本にも跳ね返ってきます。また中国がもしロシアを属国化した場合、経済的にはかなり隷属化することになると思うのですが、軍事的にも隷属する可能性があります。中露艦隊が並んで日本海や太平洋で合同訓練をするようなことがさらに頻繁に起きてくるのか、中国がロシアをどうしたいのか、注目されるところです。


「質問2」

  ブダペスト合意でアメリカ、イギリス、ロシアが守ると言ったので、ウクライナは核を返したわけです。今後のウクライナ戦争は、基本的に西側の支援次第だと思うのですが、アメリカもイギリスもフランスも所詮他人事です。アメリカ、イギリスの対応をどう思いますか。

「回答2」

   NATO、EUはもっと一体感を持つ必要があります。イギリスはEUを抜けてからやや孤立感がありますし、ドイツは軍事力強化に乗り出してきましたが、アメリカにはまだ率直な物言いはできません。アメリカの武器援助は巨額ですが、まだ決定的な兵器は渡していません。本当はロシア国内を攻撃できるとよいのですが、そうすると完全に核戦争になってしまいます。ゼレンスキーは今の援助を続けて欲しいと言っており、今ロシアを確実に苦しめているのはウクライナへの兵器供与の継続です。この戦争が続く限り継続支援が重要です。


「質問3」

  クリミアにはロシアの黒海艦隊の基地があり、制海権がなければクリミアの奪還は難しいと思います。世界最強のアメリカの海軍が入らない事には奪還は無理と思いますが、如何でしょうか。

「回答3」

   ロシアの不凍港はカリニングラード、ウラジオストク、セバストーポリの三つで、セバストーポリは絶対に放しません。ウクライナの海軍力は弱いのですが、艦隊モスクワを沈めました。兵器供与をしてもらえば制海権を手にすることも望めない話ではないと思います。ウクライナはスネーク島からからロシアを追っ払いましたので、決して希望は捨てたものではないと思います。ウクライナの独立戦争ですから、クリミアを奪還してロシアを全部追い払わないことには、この戦争は終わりません。


「質問4」

  トルコはどう考えているのでしょうか

「回答4」

   トルコはフィンランドとスウェーデンのNATO加盟もまだ全面的には賛同していません。トルコが対立するクルド族問題があるからです。トルコはまた、ナゴルノ・カラバフ紛争が再発したと言って、旧ソ連のアゼルバイジャンにも相当のドローンを供給しています。プーチンの交渉相手として非常に重要です。今後トルコの姿勢が1つのカギになります。NATO加盟国でロシアにも顔の利く国は他にはあまりありません。最後になりますが、ウクライナがこれだけの覚悟を持って戦っています。初期の頃「人の命が大事なので、早く止めろ」という人がいました。戦争は覚悟です。兵器論争もありますが、プーチンに勝たせてはならない戦争です。そういう思いで世界がまとまれば、ロシアに負ける事はないと思います。ウクライナはプーシキンやトルストイという文学者まで排除しようと戦っています。世界中が本当に支援しなければなりません。ウクライナの精神的な覚悟に賭けるべきです。(敬称略)完


   以上は、産経新聞論説委員、齋藤勉氏の講演を、國民會館が要約、編集したものです。文章の全責任は國民會館が負うものです.。

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